メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

「おなじのきぐるみ」あずがき

    氎谷アス

    本線はこちら


    今回のお話は、幎ほど前に描いたひず぀の䜜品が元になっおいたす。
    元になった䜜品は私の実䜓隓をほがそのたた描きたした。

    呚りずうたく同じに出来ずにいじめられ、倱敗を繰り返し、それでも倫ず出䌚い子を産んで育おる䞭で発達障害ずいうものを知り、合わない環境でうたくやれない嚘が『自分はいらない子だ』ず蚀い出したこずによっお、ようやく自分ず他者を真剣に芋぀め盎し、生きづらさを手攟しおいくお話です。

    倚くの方に読んでいただけたした。
    いいこずばも、わるいこずばもたくさん頂きたした。

    今、䜕幎もたっお圓時を思い出すず、手攟すたでの時間は本圓にしんどかったなぁず思いたす。この䜜品を描いたずきの私の思いは「こういう苊しい思いをしおいる人がいるこずを䌝えたい」「そしおしんどい思いをしおいる人に"そのたたでいい"を䌝えたい」ずいうものでした。

    それはある皮「私がしんどかったこず・様々な経隓を経おしんどさを乗り越えたこずを誰かに知っおほしい」ずいう、究極の゚ゎでもあったず蚀えたす。

    䜜品に察しおいいこずばを䞋さった方は「今たさにしんどい思いをしおいる人」が倚かったように思いたす。芁は共感しおくれたずいうこずです。
    しかし、そういう圓事者に届くだけではあたり意味がないずも思っおいたした。しんどいよね、しんどいよねずしんどい蚘憶を共有しお傷を舐め合うだけでは結局珟実は倉わらないからです。

    私は、珟実を倉えられるようなずころに䜜品を届けたかった。
    でもそれがどこなのかはわかりたせんでした。

    圓時のこずを思い起こすず、わるいこずばを䞋さった方もたた同じように「今たさにしんどい思いをしおいる人」だったように思えたす。
    ただ、そのしんどさが、私ずは違うものだった方々です。

    "みんなしんどいんだから、お前ばかりがしんどいず蚎えるんじゃない"

    そういう怒りのようなものがそこにはあったような。

    この䜜品はSNS䞊に䜕床か䞊げおいるのですが、䞀床掟手めに炎䞊したこずがありたした。

    「障害者なんお䞖間にずっお邪魔者だ、いっそいなくなったほうがいい」
    「生きづらいずわかっおいお子どもを産むなんお、生きづらさの連鎖でしかない。こどもがかわいそうだ」
    「瀟䌚はやさしくないんだ、甘えるな」

    そんな蚀葉がたくさん䞊びたした。

    圓時はその蚀葉がずにかく痛くお、ただただ泣くしかありたせんでした。

    でも、そのこずばを私にぶ぀けた人も、きっず私ずは違うその人なりの生きづらさを抱えおいたのだず今の私は思うのです。

    障害名を掲げた生きづらさをアピヌルされるこずは、自分自身がそこに属さない堎合、属したくない堎合 鋭い凶噚のようなものだったかもしれたせん。

    「なんで生きづらいずいいながら、理解しおくれる盞手が珟れるのか」
    「職に就けお、家族に恵たれおいるならいいじゃないか」
    「誰にも愛されない自分よりずっずマシだよ」

    そういうこずばも、たくさんありたした。

    私ぞの攻撃の蚀葉は、蚀葉を発した人の䞭にある『自分を芋぀けおくれる人が珟れない寂しさ』や『瀟䌚に認めおもらえない苊しさ』が圢を倉えお向けられたものだったのではないかず思うのです。
    きっず、みんな、䜕かしらのかたちで"生きづらい"のではないかず。

    だからこそ『発達障害』ずいう特定のカテゎリを䜿わずにもっず倚くの人の生きづらさを包括できるようなお話にできないだろうかず考えおできたのが、今回の「おなじのきぐるみ」です。

    発達障害の人は定型発達ず蚀われる人ず同じにできないこずが倚い故に生きづらさを感じる郚分が倚いのではないかず思いたす。

    でも、実は、発達障害の有無に関わらず、誰もが呚りに足䞊みを揃えようずしお生きづらくなっおいるのではなかろうか ず思っおいるのです。
    本来歩幅は人によっおたちたちなのに、䜕故か䞀埋に歩むこずをよしずされがちな珟代においおは。

    い぀でも呚りを気にしお自分を隠し、誰かに嫌われないように取り繕っおやりたいこずを我慢する。

    "こっちだっお我慢しおいるんだからお前も我慢しろよ"

    苊しい着ぐるみの䞭で、お互い䜙裕がなくなった人々は

    特に匱い立堎の人に攻撃の矢印を向けたす。

    それが今回の物語で蚀うメむであり、小さな頃の私でした。

    みんなが圓たり前にできるこずを出来ない存圚。

    出来るこずがなかったわけではありたせん。
    ただ、出来るこずず比べお出来ないこずずいうのはずおもよく目立぀ものです。

    メむは悪いこずなんおしおいないのです。
    ただ、呚りず同じように出来なかっただけです。

    我慢しおいる人は、人にも我慢を匷いおしたいたす。
    それは小さな頃から圓たり前に脈々ず芪から子に受け継がれおしたっおいるものなのかもしれないず、最近良く思うのです。

    芪は子に理想を着せようずしおしたいがちなのかもしれたせん。
    自分がしたかった生き方。出来なかったこず。
    本圓の子どもの姿を芋倱うほどに、重なる理想で分厚くなるきぐるみ。
    それは芪自身も自分の芪に着せられたものかもしれたせん。

    物心぀いたのがちょうどコロナ犍だった、ずいう子の䞭には顔を出すのが怖くおマスクを倖せなくなっおしたった子がいるそうです。

    同じように物心぀いたころから芪に着せられた心の着ぐるみを圓たり前に着お生きおきた人は、苊しいず思っおいおも脱ぐのが怖いのではないでしょうか。

    そんな䞖界の圓たり前なんお倉わったらいい。

    誰もがそれぞれの違いを受け入れおいる䞖界。
    そのたたの自分でいるこずのほうが圓たり前の䞖界。
    誰も我慢しおいない䞖界。

    苊しい我慢は自分にも、呚りにも優しくありたせん。

    我慢をしおいない人は人に我慢を匷いたせん。

    これは「私の経隓したしんどさ」だけではなくお「誰もがきっず倚少なりずも抱えたこずのあるしんどさ」のお話。

    そしおその共通のしんどさを手攟すためのお話です。

    今の私は、誰もが自分にも呚りにも優しく出来る䞖界を願っおこのお話を䜜りたした。

    あなたもおなじの着ぐるみ、脱いでみたせんか。

    きぐるみを脱いだ、息苊しくない姿で䞀緒に過ごす人ず笑い合える䞖界ぞ。

    どうかこの物語が、もこもこに着膚れしおしたった方の心の底たで届きたすように。


    #創䜜倧賞2025 #オヌルカテゎリ郚門

     
     
     
    思いの䞈を文章ず挫画で曞き殎る人。 音声配信もやっおたす。 ほずんどの蚘事をメンバヌシップ向け蚘事に倉えおいく予定です。 ASD圓事者。 アマゟンア゜シ゚むト・プログラム参加しおたす。

    あなたぞのおすすめ