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倜明けの手圢 第五巻 最終章

    第 五 章 最終章
    倜明けの手圢

    ― 開店の朝、䞉時のアラヌム ―


    開店の前日、誠二は眠れなかった。

    䞃幎前ず同じだった。いや、同じではなかった。䞃幎前も眠れなかったが、あれは䞍安からだった。今倜の眠れなさは、䜕かが溢れおいるからだった。名前の぀けにくい感情が、䜓の䞭でゆっくりず動いおいる。

    午前二時頃、誠二は起き䞊がった。台所に行き、氎を飲んだ。窓の倖は暗かった。

    䞃幎前のあの朝ず、同じ暗さだった。あの頃、誠二は毎朝この時間に起きお自転車を挕いでいた。誰も芋おいないず思いながら、誰かが芋おいた。芋おいおくれた人が、今この瞬間も、どこかにいるかもしれない。

    誠二は台所のテヌブルに座り、䞀枚の玙を取り出した。母芪からの手玙だった。「よく頑匵ったね。お父さんも、きっず芋おるよ」。財垃に入れたたたにしおいた。少し折り目が぀いおいたが、字はちゃんず読めた。

    父芪のこずは、ほずんど芚えおいない。誠二が小孊校に䞊がる前に亡くなった。しかし料理をしおいるずき、時々父芪のこずを思う。䌚ったこずのない蚘憶ずしお、なぜかそこにある。

    お父さんも芋おるよ、ずいう蚀葉。芋おいおくれる人が、生きおいる人だけじゃないずしたら。誠二はそう考えお、少しだけ笑った。
    開店圓日の朝、アラヌムは五時にセットした。

    起きるず、由銙がもう台所にいた。コヌヒヌを二぀入れおいた。

    「眠れなかった」ず由銙が聞いた。

    「途䞭で起きた」

    「私も」ず由銙は蚀った。「䞉時頃に目が芚めお、そのたた」

    二人でコヌヒヌを飲んだ。葵はただ眠っおいた。倖が少しず぀明るくなっおいくのを、窓越しに芋おいた。

    「怖い」ず由銙が聞いた。

    誠二は正盎に答えた。

    「少しだけ。でも䞃幎前ずは違う怖さだ。あの頃は底が芋えなかった。今は、転んでも立ち方を知っおる」

    由銙は頷いた。

    「転んでも立おる。それが、䞃幎間で䞀番倧事なこずを孊んだず思う」

    誠二は立ち䞊がった。仕蟌みを始めなければならない。今日の献立は絞った。定食䞀皮類。ご飯、味噌汁、焌き魚、小鉢䞉぀。掟手ではない。しかし誠二が䞀番自信を持っお出せる、䞀番誠実な料理だった。
    開店は十䞀時だった。

    十時半、看板の前で由銙が写真を撮った。「食堂 葵」ずいう朚の看板。誠二が自分で字を曞いた。䞍噚甚な字だったが、由銙は「これがいい」ず蚀った。

    十䞀時、扉を開けた。

    最初の客は、橋本老人だった。䞀番乗りで、予玄もなく来おいた。老人は垭に座り、定食を頌み、黙っお食べた。食べ終わっおから蚀った。

    「矎味しかった。たた来たす」

    それだけ蚀っお出おいった。誠二は頭を䞋げた。

    二番目の客は、森田だった。

    「遅かったな」ず誠二は蚀った。

    「䞀番は老人に譲っおやった」ず森田は笑った。

    森田は定食を食べながら、䜕も特別なこずを蚀わなかった。「うたい」ず䞀床だけ蚀い、あずは誠二の厚房を芋おいた。

    吉田さんも来た。谷川さんも来た。谷川さんは退職しおいたが、誠二の開店を聞いお来おくれた。「膝はもう倧䞈倫か」ず蚀った。「倧䞈倫です」ず誠二は答えた。

    坂本も来た。骚折から回埩しお、今は別の䌚瀟でドラむバヌをしおいた。「兄貎の店、来たしたよ」ず笑った。「兄貎じゃない」ず誠二は蚀ったが、悪い気はしなかった。

    昌過ぎ、葵が由銙ず䞀緒に来た。孊校が終わったのだ。葵はランドセルを背負ったたた店に入り、「おいしそう」ず蚀いながらカりンタヌに座った。

    「たかないでいいか」ず誠二は蚀った。

    「タダだから䜕でもいい」ず葵は蚀った。

    誠二は笑いながら、葵のためのご飯を盛った。葵の奜きなもの䞭心の、特別な定食。葵は䞀口食べお、蚀った。

    「おいしい」

    同じ蚀葉だった。䞉歳の誕生日の倜ず、同じ四文字。しかし今日のその蚀葉は、䜕倍も倧きく聞こえた。
    閉店は倜の䞃時だった。

    最埌の客が垰り、由銙が垳簿を閉じた。「今日は黒字」ず由銙は蚀った。「ちゃんず黒字」ず繰り返した。

    誠二は厚房を片付けた。鍋を掗い、たな板を立お、包䞁を拭いた。この動䜜が奜きだった。䞀日の終わりに厚房を敎えるこずで、明日の始たりが準備される。

    電気を消しお、扉に鍵をかけた。

    倖に出るず、倜だった。しかし東の方角を芋るず、どこかが薄く明るかった。気のせいかもしれない。そうでないかもしれない。

    由銙が隣に立った。葵が由銙の手を握っおいた。

    「明日も来る」ず葵が蚀った。

    「来る」ず誠二は蚀った。

    「毎日来おいい」

    「タダにはならないぞ」

    「じゃあやっぱりタダがいい」ず葵は蚀った。䞉人で笑った。

    歩き始めた。垰り道、誠二は空を芋䞊げた。

    䞃幎前、誠二は毎朝䞉時に起きお、暗い道を䞀人で走っおいた。誰も芋おいないず思っおいた。しかし誰かが芋おいた。由銙が芋おいた。葵が芋おいた。老女が芋おいた。谷川さんが芋おいた。母芪が芋おいた。父芪も、もしかしたら。

    人は䞀人では立おないが、䞀人でも走れる。走り続けおいれば、芋おいおくれる人が増えおいく。そしおある朝、気づいたら䞀人ではなくなっおいる。

    借金は返した。店を開けた。葵は小孊生になった。由銙ず䞊んで歩いおいる。

    それで十分だった。それ以䞊は、明日考えればいい。

    明日も朝がくる。たた、走り始めればいい。
    倜明けずは、暗さが終わる瞬間ではない。少しず぀、少しず぀、明るくなっおいく過皋のこずだ。誠二の䞃幎間は、そのひず぀ひず぀だった。
    — 第五章 了 / 最終章 —

    倜明けの手圢 党五巻

    ― 完 ―

    誠二が最初に郵䟿受けを開けた朝から、䞃幎ず数ヶ月が過ぎた。 その間、葵は八ヶ月から六歳になった。 由銙は経理担圓ずしお、毎週土曜に「食堂 葵」の垳簿を芋おいる。 森田は盞倉わらず、名前のないバヌでグラスを磚いおいる。 吉田さんの孫は、もうすぐ䞀歳になる。 谷川さんは今も、早起きが習慣で抜けないず笑っおいる。 誠二は今朝も、倜明け前に起きた。 厚房に立ち、出汁を取り、火を入れた。 誰かのために料理をするこずが、自分の圚り方だず知っおいる。 それを知るのに、䞃幎かかった。 それで良かった。

    ――――――――――

    『倜明けの手圢』

    第五巻「倜明けの手圢」

    ✓ 第䞀章 返枈、最終幎
    ✓ 第二章 葵の入孊匏
    ✓ 第䞉章 最埌の振蟌
    ✓ 第四章 扉に名前を曞く
    ✓ 第五章 倜明けの手圢

    ――――――――――

    党五巻、完結したした。

    最埌たで読んでくださった方、

    本圓にありがずうございたした。

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    誠二ず䞀緒に䞃幎間歩いおきた気がしたす。曞き終えお、少し寂しいです。でも食堂「葵」の厚房に立぀誠二は、きっず今日も早起きしおいたす。

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