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《反省しない人々》 ありがとうもごめんなさいもいらない森の民 第二部

    プナン民族は「日々生きているだけで反省のようなことはしない」

    プナン民族の村で暮らし始めた奥野氏。そこで待っていたカルチャーショックとは。

    奥野氏が町で買って持ち込んだバイクを村人に貸すとパンクさせても何も言わずそのまま返してくる。バイクのタイヤに空気を入れるポンプを貸すと木材トレーラーに轢かれてペシャンコになったそれを何も言わず返してくる。
    プナンの人々は過失に対して謝罪も泣ければ反省もしない。プナン語には反省するという内容にずばり対応する言葉がない。狩猟や漁労に出かけたり用事で出かけたりする時、失敗や不首尾、過失についてプナンは個人に責任を求めたり「個人的に」反省を強いるようなことはしない。失敗や不首尾は、場所や時間、道具、人材などについて共同体や集団の方向付けの問題として取り扱われることが多い(集団としての緩やかな反省は多少はあるということ)。
    そこでは個人の力量や努力などが問題とされることはまずない。長い話し合いの後にあまり効果を期待出来なさそうな今後の方策が打ち立てられるだけ。逆に日本だと営業や学業の不振や停滞は個人の怠慢であり目標の未達は個人の努力不足であり場合によってはその失態は数値化されることで反省を個人の内面へと強いるということが行われている。そのことによって個人の悩みは深まり生きにくさを感じるようになるのかもしれない。
    個人へと責任を帰着させる時、個人は精神的にも肉体的にも大きなダメージを受ける。
    プナン社会には自死や精神的ストレスというものがない(完全に無いとは言い切れないが少なくとも顕在化はしていない)。

    🌳プナン語には反省するという内容にずばり対応する言葉がない。

    🌳失敗や不首尾、過失についてプナンは個人に責任を求めたり「個人的に」反省を強いるようなことはしない。

    🌳プナン社会には自死や精神的ストレスというものがない

    🇯🇵日本だと営業や学業の不振や停滞は個人の怠慢であり目標の未達は個人の努力不足であり場合によってはその失態は数値化されることで反省を個人の内面へと強いるということが行われている。

    🇯🇵個人へと責任を帰着させる時、個人は精神的にも肉体的にも大きなダメージを受ける。

    失敗に対する現代人と狩猟民族社会の対応は真逆である。
    個人を責めず集団で緩やかな方向としてまとまっていくか、徹底的に個人を責め二度と過失を起こさせないよう反省させ成長を促すか。
    資本主義社会における経済成長至上主義は人の心までも侵してきた。行き過ぎた《超自我》に対抗するように本当の豊かさに気付き始める人々が増えてきているのではないか。

    プナンは「後悔」「残念」という感情は持つけれど「〜しなければならなかった」「〜したほうが良かった」という思考はしない。
    現代人は何故反省するのか、反省するようになったのかと自らに問わなければならないと、奥野氏は言う。

    🕰直線的な時間軸の中で将来的に向上することを動機付けられている私達の社会。より良き未来の姿を描いて反省することを求められる。
    💫プナンにそういった直線的な時間感覚とそれをベースにした精神性はない。


    反省するというのは社会的道徳。
    道徳というものは自分の心から発生しているものではない。
    ・こうしてはいけない
    ・こうありたい
    ・こうであるべき
    社会的な家族的な《超自我》の押し付けなのだ。

    人を想う気持ち。
    動植物を想う気持ち。
    物を想う気持ち。
    それらは本来魂的なところからやってくるものなのだ。

    さて、現代人であるぼくたちがプナンのように生きるのは至難の業だ。
    しかし、現代人も自己と他者の軋轢を柔らかくするために色々なコミュニケーション方法を試みてはいるのだ。
    今回は《真菰娘》あしびなさんの記事よりアサーションという方法を紹介したい。

    「私たち、誰からも尊重され大切にしてもらえる権利、人間の尊厳は誰を侵すことも誰からも、侵されるものではない」
    今日は、お互いを大事にしながら、率直に素直にコミュニケーションをするアサーションのちょっとしたコツを一つ、ご紹介します。
    すなわち、
    Youメッセージではなく、
    Iメッセージに切り替える。
    Iメッセージとは、
    「わたし」の視点で話す話し方です。
    例えば、
    Youメッセージで、
    「なんで(あなたは)報告しないの??」
    というより、
    Iメッセージの
    「(わたしは)しっかり報告してもらえると助かる」
    とした方が、相手を責めたり、決めつけたりした言い方になりません。
    要望を伝える時などもYouメッセージとIメッセージでは、その印象がまるで異なります。
    Youメッセージで、
    「(あなたは)こうしてください」
    というより、
    Iメッセージの
    「(わたしは)こうしてもらえると嬉しい」
    と伝える方が明らかに効果的ですよね。
    このように、Iメッセージは「わたしはこう思う」、と自分の思いを伝える主観的なメッセージになるため、相手が受け入れやすい柔らかい表現で伝えることが出来るのです。
    自分の考え、氣持ちを相手に反発を与えず、正確に伝えるためには、伝える時の視点に注目するのが有効なのですね!
    🤔うーん。。。
    やはりコミュニケーションにおいても無意識を意識化することが大切なのですね!とかくわたし達は、あまり考えずに言葉を紡ぎがちですが、意識して言葉を選び、丁寧なコミュニケーションをすることが、人を大切にするということにもつながるのかもしれないなあ、と思いました。

    下記あしびなさんの記事より










    ぼくらは縄文社会に憧れることは出来る。それを思い描き生き方の参考にすることも出来るが、縄文人に戻ることは出来ないし、プナンのような森の生活を営むことも難しい。
    しかし、元々主語を省略する日本語を使うぼくら日本人にとって自己(I)と他者(You)の入れ替えは少し練習すれば出来るのではないか。少しの工夫と気遣いで、今までとは違う自己他者の関係を創る事はできるのである。今の社会の中で自己と他者の関係の中に心の森を育てる事は出来るかもしれないのだ。



    ヘッダー画像はこちらよりお借りしました。





    第三部へと続きます!


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    次回第三部はこちらです🌳





    ナマステ✨🌳✨
       ✨🌳✨🌳✨




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    神奈川出身、沖縄移住6年の後、鹿児島大隅半島にて生息。 ヌーソロジー研究中! 《ものの中》へ行ってみたいと思いつつ、ヌーソロジー的な《他者》との関係性を実感に落としたい🌟∞🌟 勿論、noteを書いているのはTERUTERUという自我です。どうぞ宜しく💫

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