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Photo by1st_note1

映画「すずめの戸締まり」と「アシュタールAミナミ」 「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者がかんがえたこと」 読書と映画の記憶の整理 全てネタバレ全開で行きたいと思います😆!!


    初秋からずっと読んでいた「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」をようやくようやく読み終えた。それより先に年末に買ったアシュタールAミナミ「新・日本列島から日本人が消える日」全3巻をあっという間に読み終えて、その間に映画「すずめの戸締まり」を年始に観に行った。
    「ありがとう〜」とアシュタールの本は内容が関連があるのだけど、すずめの戸締まりは関連は無いような気がするけどまとめてアウトプットしたい気分なのでこのタイトルとなりました(いや、関連あるかも!?)
    では、行ってみます。

    「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」



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    さて、こちらの本は読み途中の時、以前の記事で少し内容を紹介させてもらったことがある。

    今、読み途中だけど「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民」(奥野克己著)という本を読んでいてその本ではボルネオの森で狩猟採集で暮らすプナンが出てくる。彼らプナンの行動様式や言葉のコミュニケーションを見ているとワンネスに近いなと、思う。彼らは個人的に反省することはなくありがとうやごめんなさいも言わない。それは個の区分けが希薄だからそういうことが起きてくる。物の所有も殆どせず、集落に来た新しい物品や狩猟の獲物、採集した果実等も集落の人々の間でまわっていくエネルギーとして扱われる。彼らは物質的にも精神的にも森と一つの共同体となっている。勿論、そこにはワンネスという言葉もない。ということを考えると、ワンネスという言葉が今もてはやされ人々が意識しようといているのは狩猟から農耕へと人類の生活様式が変わり、文明がどんどん大きくなり、食料の所有が金品の所有へと進み、それがさらに紙幣になり、今やデジタルになろうとしてるこの世界で個の細分化が益々進んでいるがゆえに、揺り戻し的にワンネスという言葉が溢れ出てきているように感じる。

    過去記事より


    マレーシアの狩猟民族、プナンの暮らしと価値観を書いた本である。アシュタールの本と何が共通なのかというと結婚や子育ての理想とする社会的なスタイルがまんまプナンと一緒なのである。

    プナンは所有という概念がなく物や食べ物はみんなで分け合う。最も物を持たない人が集落では尊敬を集める。
    一夫一婦制で結婚するが何年かしたら相手が入れ替わっていく。
    子どももいくつかの家族で育てられる。専門用語ではアロペアレンティングと呼ばれるのだが、
    それによって

    子どもはたちは食料と保護を与えられ、多数の大人によって人生で必要なことを教えられ、心理面の発育が促される。さらには、実親と養親の間の社会的な絆を固める。

    プナン的な生活スタイルの民族はまだまだ地球上に存在する。
    著者、奥野克巳氏はプナン社会を完全に真似ることは難しいが日本の社会はプナンから学ぶべき点があると書いている。

    「新・日本列島から日本人が消える日」全3巻



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    こちらはスピリチュアル陰謀論というジャンルになるだろうか。著者が宇宙人であるアシュタール、さくやと話しながら物語が進んでいく。
    (因みにぼくは宇宙人と出会ったことも話したこともない。存在していると信じている自分もいれば特に気にしていない自分もいる)

    アトランティスとムーの時代から理想とされる縄文時代、信長秀吉家康と来て再び理想的であったと語られる江戸時代、そして、日本人が支配されるようになった明治維新以降。教科書テレビ本などで知る歴史は全て都合よく書き換えられたものであり、真実は別にある。この本では信長、秀吉、家康はサンカの魂を持っており、3人仲良く戦の無い世を目指した。(秀吉の出自が河原者であることは歴史学者の網野善彦が指摘している)
    バブル崩壊に現代のコロナ騒ぎ。全て争いが好きなレプリタリアン(それにコントロールされている人々)によって引き起こされているという観点から語られている。
    (コロナ〜ワクチン〜ムーンショットな流れのところはまるでぼくが書いてるのではないかという感覚になった。ぼくはアシュタールだったのか!?💫)
    その真偽の程は人によって信じる信じないの世界になって行くのだろうけど、理想社会のあり方が、プナンと一緒なのが自分的には!!!!、となった。
    陰謀論的な歴史の見立ても明治以降は自分も考えが一緒。信長から江戸時代はふむふむとなったことが多かったかな。
    支配からいかにして抜けるかはご一読をおすすめします。


    すずめの戸締まり


    さて、こちらは映画館にて。
    こちらも前回記事の映画鑑賞同様ノーマスクで何も言われなかったので上機嫌で観ることが出来た。
    (ここからネタバレ全開ゾーンです!)

    ストーリーは主人公の鈴芽の喪失と再生の物語。2011年の東北大震災で母を失った幼少時のすずめは、母子家庭であったため、叔母(母の妹)環に引き取られ宮崎県にて暮らしていた。
    亡き母が作ってくれた小さな椅子とともに。
    この大震災の出来事は鈴芽の心の大きなトラウマとなってしまった。

    高校生に成長した鈴芽は宮崎県で不思議な雰囲気の若い男性と出会う。宗像草太。彼は大学に通いながら常世(あの世)と現世を繋ぐ後戸を閉じる仕事をする閉じ師の家系に生まれた。時々勝手に開く後戸を閉めて行かねばならないのだ。


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    南日本新聞より


    草太が探していた後戸へ鈴芽は一人迷い込んでしまうところから物語は展開していく。
    鈴芽が迷い込んだ世界は常世。
    死者の魂もいる世界。
    そこで封印されているミミズと呼ばれるとんでもない破壊的エネルギーを抑え込んでいる要石という石を抜いてしまった鈴芽。
    要石は猫に変化し現世へと逃げ出す。
    その猫を捉えようとした草太は想い出の椅子に閉じ込められてしまう。
    猫(ダイジンと呼ばれるようになる)を追って宮崎から愛媛〜神戸〜東京〜宮城へと後戸を閉じながら鈴芽と椅子の中の草太の珍道中が始まった。
    (後戸を閉じないと常世からミミズが飛び出し大地震が起きてしまう。)

    結末。

    最後は封印は元に戻され、鈴芽は母の死を受け入れる事が出来た。

    鈴芽の成長とシングルマザー、
    または叔母、環の恋も結婚も出来なかった苦労。
    物語の途中で環はそのストレスを鈴芽に直接ぶちまけてしまう。

    ふとこの記事の上の方に書いたプナンのアロペアレンティングの事が思い浮かんだ。
    社会的に鈴芽を育てるシステムがあったなら、
    環はそこまで苦しまなくて済んだだろうなと。
    今の社会で仕事と育児に追われている親の皆さんのストレスも減るだろうなと。
    これからの日本の社会で何らかの形でアロペアレンティングの様な受け皿が出来てくる気がする。

    そして、ミミズ。
    常世の国で封印された暴れまわる宇宙的エネルギーの化身。
    この様なエネルギーは閉じ込めてもまたいずれ封印を解いてまた同じことを繰り返す。
    閉じるのではなく、エネルギーの浄化と開放が真の解決の道だと思う。

    前回の映画「杜人」の記事で書いたが、行き所のないエネルギーは腐敗の方向へ進んでいく。
    杜人、矢野智徳はエネルギーの流れる道を作り、または抜ける穴を掘る。


    常世のエネルギーに対しても同じことが出来るのではないか。
    そして常世のエネルギーを中庸の状態にする事が現世の安定へと繋がるのではないかと感じた次第、また逆も然り。杜人の中で獰猛な蔓草は周りの空気の流れをを整えてあげるだけで途端に大人しくなるという。現世が中庸となれば常世にもそのエネルギーが影響を与える。
    現世の思念、エネルギー的なものは常世の国のエネルギーのあり方と表裏一体でぼくは繋がっていると思う。
    ぼくらの社会が整えばミミズ的エネルギーも途端におとなしくなるのではないか。


    映画は日本の古代の神や神話を感じるパーツが
    登場人物の名前や巨大ミミズなどに散りばめられている。
    そのあたりの深掘りは古代女子ぼたんさんに登場願いましょう。
    数霊による登場人物の名前解説もあります!


    沈没していく現代日本。
    抜け出すヒントはそこかしこにあるのかもしれません。
    意識の持ち方向け方次第💫

    以上でした!

    ナマステ✨

    追記、

    「あらすじ要らないんじゃないの。」
    ドキッ!!あらすじたっぷりな感想文を書いてしまった!!

    千世さんの感想文ポリシー✨
    参考になりますね✨
    自分はあらすじ書かないと読書感想文とか書けないんだよなー💦また感想文書くときトライしてみようー!!



    追追記

    こんな夢を見た

    舗装整備された森林の遊歩道を歩くぼく。右手に洞窟が現れた。

    洞屈の天井がとても低くて這って入っていかねばならない。男性二人が匍匐前進で進んでいるのが見えるが、恐ろしい感じがしたのでぼくは道の先へ進むことにした。

    道の先には2つの洞窟が並んでいた。
    右の洞窟は普通の洞窟で歩きやすく他の人々もその洞窟へと進んでいった。

    左の洞窟は入り口が固く封印されていた。その先は海の中で人は魚のように泳ぐことができた。とても自由でたまにとんでもない大波や獰猛な魚や海蛇も泳いでいるけれど縦横無尽に泳ぐことはとても楽しかった。ぼくは一度その洞窟の先へと入ったことがあったのだ。

    しかし、固く封印されているし右の普通の洞窟へ進むのが自分の道だなと進んでいった。
    少し未練を感じていた。


    1月18日の明け方に見た夢でした。
    (小さく纏まろうとしてるのか?オレ。もしくは真ん中の中庸の洞窟を選んだのか?オレ。最近、とても眠いよ、オレ。)


    追追追記(長い😂💦)


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    我が住む町に変な雲、なんじゃこりゃー!!





    以上です!😳

    ナマステ✨




     
     
     
    神奈川出身、沖縄移住6年の後、鹿児島大隅半島にて生息。 ヌーソロジー研究中! 《ものの中》へ行ってみたいと思いつつ、ヌーソロジー的な《他者》との関係性を実感に落としたい🌟∞🌟 勿論、noteを書いているのはTERUTERUという自我です。どうぞ宜しく💫

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