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まだ自分を分かっていない者がnoteを始めようとした話

    書くことが好き。だけど。

    文章は読むのも書くのも大好きだ。

    だけど残念ながら、僕には学もスキルもない。

    ただのおっさんの文章。

    そんなものに一体どれだけの価値があるのだろう?

    果たして世間は読んでくれるのだろうか?

    そんな不安が頭をもたげ、noteを始めようと思い立って以来、もう随分と月日が流れてしまった。

    今日はそんな僕が、どうしてnoteを始めることができたのか、書き記しておこうと思う。

    僕ってどんなひと?

    そもそも僕は、自分自身をよく理解できていない。

    こんな歳になっても、である。(筆者は50代半ば)

    全くお恥ずかしい話だが、そうなんだから仕方がない。

    自分自身に問いかける。
    「僕はいったいどんな人?」
    一所懸命考えても、断片的にしか見えてこない。

    僕自身は合理性を大切にしているつもり。
    コスパやタイパにも拘るし、効率よく生きていたいと思っている。

    IT関連が大好きで、AIエージェントの利用や、ガジェット周りの最適化にとても興味がある。労力をかけずにタスクを消化しようと、効率を求め躍起になる。

    かと思えば、現代ではもう手間でしかなくなった万年筆を偏愛し、その書き味やインクの表現に頬を緩める。
    愛車のこととなると、泣け無しの金をはたいてまで、乗りごこち度外視のサーキットチューンを施してしまう。

    物の置き場が全て決まっている程度には几帳面。
    反面、ものすごく面倒臭がりで、興味がないことにはひどく大雑把。

    合理性や効率がモットーのはずなのに、非効率なものに惹かれ、肩までどっぷりと浸かってしまう。

    まるで矛盾の塊。

    全くもって不合理である。

    僕は合理性だけでできていなかった

    何故こんな矛盾した思考が同居しているのか?

    そんな疑問を抱えていたある日、チャッピー(ChatGPT)にこんな指摘をされた。

    「テルさんはAIを道具としてではなく、付き合う相手として見てますね」

    「AIも万年筆も車も、一見バラバラな趣味なのに、実は全部、

    ”こいつにはどんな個性があるんだろう?”

    と、性能より関係性を見ているんですね」

    なるほど、合点がいった。

    様々なものと自分との、関係性を面白がっているのである。

    そう考えると、かなり一貫しているとも言える。
    どうやら僕は、相手の性格を読み解き、その関係性を観察するのが好きな人らしい。

    自分では気づいていなかったが、たぶん昔からそうやって、物事に向き合ってきたんだろう。

    そして僕は「自分との関係性が心地よい」そういうものが好きなだけなのだ。

    合理的というよりは、単なるわがままである。

    開き直り

    IT、AI、ガジェット、最適化、万年筆、車、映画、話すこと、書くこと。

    僕が好きな物やこと、そして自分との関係性。
    僕が書きたいことを書く。僕が気になったことを書く。僕が知って欲しいことを書く。

    好きなように書いて何が悪い。いいじゃないか、僕が書いても。
    書くこと自体が楽しいんだから、それは趣味として至極真っ当じゃないか。

    僕のnoteは誰の役にも立たず、電子の藻屑と化すかもしれない。

    この文章だってそう。

    でももし、万に一つ、誰かの笑顔や元気、気づきの一助になれば、こんな素敵なことはない。

    そう信じて、僕はnoteを始めることにした。


    かくして僕は、noteを始める決心を固めた。
    次は下準備。書く環境を整えたい。
    合理性を好み、効率厨のこだわり屋のめんどくさがり。
    そんな僕が、どんな手順でnoteを始めたのか?
    その様子はまた追々と。

    to be continued...


     
     
    凝り性なのに面倒臭がり。 IT、AI、文房具、書くこと。 僕の好きをじっくり観察。 そこで見つけた「面白さ」を書いています。

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