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とっぷおぶざふぁっきんわーるど!

    【あらすじ】
    舞台はとある地方の通信制高校。周囲から浮いても地雷系ファッションを貫く平原結奈(ひらはらゆいな)は、父親のスキャンダルをきっかけに転校してきた八幡カレン(やはたかれん)と出会う。そこへ、他人と関わることを避けて生きてきたゲームオタクの牛嶋大和(うしじまやまと)も加わり、三人はとある“変態配信者”を追うことになる。
    ネット私刑、承認欲求、炎上文化、SNSに振り回される現代で、それぞれが孤独やコンプレックス、家庭の問題を抱えていた。
    彼らは傷つきながらも少しずつ居場所を見つけていく。やがて三人は、「ファックな世界に中指を立てる」ための仲間になることを決意する。

    1、かえるかげんしょう?

    〈俺、もっと結奈(ゆいな)のことが知りたいんだ!〉
    〈だからさ、お願いだよ!〉
    〈送ってくれよ!〉
    〈わかるだろう?〉
     
     連続して送られてきたメッセージを見た途端、平原結奈はなんだか胸がモヤっとした。
     あんなに好きだった気持ちに、曇りが生じた。
     あれ? 
     これって、もしかして……。
     蛙化現象ってやつなのだろうか?
     うーん。
     彼女はない頭を使っていっちょ前に悩んだ。
     うーん。うーん。うー。ゔ、ぐ。ぐー。ぐー。ぐー。
     彼女はスマホを握ったまま寝落ちしていた。
     どうやら頭を使い過ぎたみたいだ。

    「メンタルつっえー」
     昼休みに学校の廊下を歩いていると、どこからともなくそんな声が聞こえて来た。
     その声が自分に向けられたものだということを、平原結奈(ひらはらゆいな)は知っている。まあ、もう慣れっこ。いつものことだ。それと言うのも、彼女の恰好が少しばかり変わっているからだ。
     フリルやリボンのたくさん付いた真っ黒い服。
     ピンク色の髪を左右で縛ったツインテール。
     両耳には鈍く光る大量のシルバーピアス。
     地雷系と呼ばれるファッションの愛好者である彼女はまるで漫画やアニメの世界から飛び出してきたような見た目をしていた。
     どこにいても目立つから、ちょうど良い待ち合わせ場所になりそう。と言っても、今日は彼女の方が人を訪ねて行くところだった。
     お目当ての図書室に着いた。
     廊下から教室のなかをのぞくと、窓ぎわに制服姿の女子生徒が見えた。四人掛けのテーブル席に一人で座って、本を読んでいる。
     制服を着ているからすぐにわかると聞いていたが、まさか本当だとは。
     彼女が通う興進高等学園は、ギリギリ関東の端っこにある通信制の高校だ。
     通信制と言っても、週に二、三日は登校しなければいけない。その代わり、決まった制服などはなく、髪型も自由だ。それが理由でわざわざこの学校を選ぶ生徒もいるくらいだ。
     かく言う結奈もそのうちの一人。お気に入りの地雷系の洋服を着て、テンションブチ上げで通学していた。
     周りと比べて、ちょっと浮いてても関係ない。みんなと一緒になんてなりたくはなかった。
     それにしても、うちの学校にわざわざ制服で通っているなんて、彼女は相当な変わり者に違いない。まあ、人のことは言えないけど。
    「失礼します」
     小さい声でそう言って、結奈は窓ぎわに向かった。
     教室内にほとんど人はいなかった。貸し切り状態と言ってもいい。
     通信制の高校に通う理由は人によって様々だが、単純に勉強が苦手という生徒が多かった。勉強が苦手な生徒たちは当然本なんて読まない。なんでこの学校に図書室があるのか不思議なくらいだ。
    「あなたが、八幡カレン(やはたかれん)さん?」
    「そうだけど」
     八幡カレンは読んでいた本から顔を上げて言った。
    「ウチは二年A組の平原結奈。ちょっとカレンさんに相談したいことがあるんだけど」
    「何か用かしら?」
     肩まで伸ばした綺麗な黒髪。座っていてもわかるスタイルの良さ。噂通りの美少女。彼女は帰国子女らしい。
     結奈は自分のずんぐりむっくりした身体を見る。育った環境によって、こんなに変わるものなの?
    「まあまあ、そう焦らないで。とりあえず座らせてよ」
     結奈はカレンの隣の席に座った。
    「カレンさんのお父さんって、有名な弁護士なんでしょう?」
    「まあ……」
     カレンはそっけなく言った。
    「やっぱり! てことはさ、カレンさんも法律くわしかったりするわけ?」
    「別に、詳しくないけど」
     やっぱりそっけない。
    「そうなの? でも、噂だと成績超良いって。こないだのテストもぶっちぎりで一位だったらしいじゃん」
    「ここの生徒のレベルが低いだけでしょ」
     カレンは鼻で笑いながら言った。まあ、それはそうだ。
    「だけどさ、将来、カレンさんも弁護士になるんじゃない?」
    「ならないわよ」
    「えー! なんで。もったいない」結奈は大袈裟に言った。「実は最近、困ったことがあってさ。お父さんにちょっと聞いてくれるだけでいいのよ。家族なんだし、すぐ訊けるでしょ?」
    「父親は……東京にいるのよ」
    「え、一緒に住んでないんだ」
     なんだ。想像と違うではないか。
    「ていうか、もう家族でもない。去年、うちの両親、離婚したの」
    「まじ?」
    「あなた……知らないの?」
    「何を」
     カレンが呆れた顔になる。
    「あのねえ。あいつは不倫スキャンダルで有名になったの。三股かけたゲス不倫って週刊誌にすっぱ抜かれて。まあ、型破りな元国際弁護士ってキャッチコピーでテレビに出てたらから、元から有名だったと言えば、有名だったんだけど」
    「知らなかった」
     結奈は目を丸くして言う。
    「私が言うのも何だけど、結構人気あったのよ。日本の選挙のシステムに果敢に意見しちゃったりなんかして。もうすぐ国政に出馬するんじゃないかって噂されてたわ。だから、足元すくわれたのね。まあ、不倫してたのは本当だし、あいつの自業自得なんだけど」
    「ごめんなさい。そんなこと全然知らなかった」
    「別に、あなたは悪くないわよ」
     カレンはそっぽを向いた。明らかに不機嫌だ。
    「こっちに引っ越してきたのも離婚したから?」
    「そう。東京にいると、まわりがうるさくて……静かな田舎に越してきたの。母親の実家がこっちにあるのよ。私はこんな田舎に越して来たくなかったけど」
    「それは大変だったね。うちも片親だから」
     結奈は神妙な表情になった。高校生だとは言え、カレンだって相当ショックだっただろう……。
     彼女の両親が離婚したのは、彼女がまだ小学生になる前だった。今でこそ何ともないが、当時の彼女にとって、両親の離婚は世界が終わるくらい辛い出来事だった。昔を思い出して、急に悲しい気持ちになる。
    「なんであなたが泣きそうになってるのよ」
    「ああ、ごめん」
    「気にしないで。母親は慰謝料も養育費もガッポリふんだくってやるって息巻いてたから」
    「えー、良いなあ。うちはビンボー暇なしって感じ」
     そう言うと、カレンは少し笑った。
    「こんな風にズケズケ話しかけてきたの、あなただけよ」
    「えへへ」
     もしかして、褒められた? 
    「同じクラスの人たちはみんな私のこと腫れ物扱い。教室にいると、遠巻きにコソコソ言ってるのがわかって腹立つから、此処にいるのよ」
    「つら」
    「で、話ってなに?」
     カレンは開いていた本をぱたんと閉じた。
    「え、聞いてくれるの! やったー」
     結奈は小さくガッツポーズをした。
     
     テーブルの上に、スマホが一台置かれた。
    「カレンさんは配信者とか観る人?」
    「配信者?」
    「そうそう。ネット上で雑談したり、喋りながらゲームやったりする人だよ」
    「観ないかな。それって、観てて楽しい?」
    「うーん。楽しいって言うよりは、観てると落ち着くって感じ? あのね、ウチはよく見てる配信者がいて」
    「ふうん」
     スマホの画面には、とある配信者のプロフィールが表示されていた。
     アイコンは本人の自撮り画像を使っている。グレーのマッシュヘア。前髪が長く、片目が隠れている。年齢は二十代半ばといった感じ。
    「ぴんちゃって言ってね。まだそんなに人気はないんだけど。すごくイケメンで、ウチの推しなんだあ」
    「はあ」
    「やさしいし、声もカッコ良いんだあ。それから、ときどき歌もうたってくれるの」
    「私には全くわからない世界」
    「えー、観てみたら面白いのに」
    「そうねえ、私は代わりに本を読んでるって感じね。ああ、映画も観るわよ。そういえば、こないだ観た下妻物語っていう映画にあなたみたいな恰好の人が出てきたわ。ゴスロリって言うんでしょ?」
     結奈はなんだかお婆ちゃんと話しているような気分になった。
    「違う違う! これは地雷系って言うの。もしかして、SNSとかも見ないの?」
    「うん。あんまり……特に父親の一件のあとは、なるべく見ないようにしてる」
    「あ、そっかそっか。酷いこと書かれてるかもしれないもんね」
     最近のSNSは悪意に満ちている。ネガティブな投稿をした方がみんなの注目を集められる仕組みになっているのだ。
    「ぴんちゃはさ、地雷系の女の子が好きってSNSで言ってて、それにウチが反応したのがキッカケで仲良くなったんだあ。個人的にメッセージ送り合うくらいね」
    「ふうん。それで?」
    「最初は、まじ最高って感じだったんだけど……最近、蛙化しちゃったの」
    「かえるか?」カレンが訊いた。
    「そう。蛙化現象って言って、好きだった人が自分のこと好きになったら、急に無理ってなっちゃう現象」
     たしかグリム童話の『かえるの王さま』が由来になっているとか、いないとか。
    「どうして蛙化したのよ?」
    「うんとね。ウチ、ぴんちゃと毎日メッセージのやり取りしてたのね。そしたら、昨日――」結奈は声のトーンを落とした。「おっぱいの画像送ってって言われたの」
    「おっぱい!?」
     ちょっとカレンさん声デカいと言おうとしたが、時すでに遅し、彼女の声は教室中に響きわたっていた。
    「ちょっと、誰かいたらどうすんの」
    「ごめん」
     カレンは舌をペロッと出して言った。可愛い。
    「まあ、たまたま誰もいなかったから良かったけど……」
    「あ、さっき本棚の方に誰かいたわよ」カレンがしれっと言う。
     さすがにおっぱいという単語だけで会話の内容は伝わっていないだろうが……結奈は少し不安になって、本棚の方に目をやった。
    「えっ」
     一人の男子生徒と、ばっちりと目が合った。
     どこかで見たことのある顔。たぶん同じ学年の生徒だ。
     バサッ。
     男子生徒は手にしていた本を床に落とした……。
     明らかに動揺している。
    「あんた、話聞いてた?」
     結奈が声を上げた。
    「い、え、いや、いえ」
     男子生徒はまるでチワワのように震えていた。なんだか少し不憫になるくらいだった。
    「まあ、いいや。あんたもここ座んなさい」
     結奈は男子生徒を二人と同じテーブルに座らせる。
    「あんた、名前は? クラスどこ?」
     まるでカツアゲする不良のようだ。
    「う、牛嶋(うしじま)、や、大和(やまと)。に、二年B組の」
     声が小さい上に、酷くどもる。
     前髪が長くて、ほとんど目が見えない。いかにもオタクといった感じだ。
     B組にこんなやついたっけ? 
    「で、話戻るんだけど、未成年にえっちい画像を送らせるのって、なんか法律的にアウトな気がするんだよね」
    「アウトね」カレンがきっぱりと言った。「未成年に猥褻画像を送るよう求めるのは、児童ポルノ禁止法に違反するわ。ファッキン親父じゃなくたってわかるわよ」
    「まじで!」
     散々言っていたが、カレンは法律に詳しいらしい。
    「ていうか、未成年の猥褻画像を持っているだけでアウト。警察に通報しましょ」
    「でもさ、でもさ、ぴんちゃはウチのことが好きだから、あんなこと言っちゃったって可能性もあるでしょう? その法律知らなかったって可能性もあるじゃない?」
    「だとしたら、相当バカだけど」
     カレンが鼻で笑った。
     確かに、相当バカであることは変わらない。
     ふと、大和と目が合った。
    「そうだ! あんた男なんだから気持ちわかるんじゃない?」
    「え、えっ!」
     急に話を振られて、大和がビクッとなる。
    「好きな女の子のおっぱい、見たいでしょう?」
    「えっ、あ、え」
     まだ大和は挙動不審。まるで壊れたロボットみたい。
    「正直に言え! お前、男だろ!」
     結奈は机を叩いた。まるで取り調べをする刑事のようだ。
    「み、み、見たいです」
     大和は下を向きながら小さい声でそう言った。
    「ほらね! おっぱいの前では男はバカになっちゃうものなのよ!」
     結奈が得意気に言った。
    「うーん、だいぶ違法な取り調べが行われていたわ」
     とてもくだらない会話になっている。
    「で、結局画像は送ったの?」カレンが訊く。
    「ううん。まだ送ってない。悩んでたら……寝落ちしちゃった」
     てへぺろ。
    「ということは、未遂に終わったわけね。メッセージのやり取り履歴なんかが残ってたら警察に通報できるんじゃない?」
    「まだ悪気があったかどうかわからないじゃない! それに、証拠は残ってないのよね」
    「なんで?」
    「ぴんちゃとのやりとりは全部ログが残らないアプリでやってたの。その場でスクショでも撮れば良かったんだけど、もう何も残ってない」
     結奈はスマホでそのアプリを見せた。
     あまり詳しくはないけれど、海外のアプリらしい。芸能人なんかがトラブル防止のために使っていると聞かされていた。
    「わざわざこのアプリを指定してきたってこと?」
    「そう。ファンとのやり取りは全部このアプリ使ってるんだって。ぴんちゃはこれからどんどん人気になるだろうからね。意識からすでに有名人ってわけ」
     カレンと大和が顔を見合わせる。
    「完全にクロじゃない」
    「く、くろだね」
     まさか。それじゃ……ぴんちゃは本当に犯罪者?

     キーンコーン。
     昼休みの終わりを知らせるチャイムが鳴った。
    「教室に戻らないと」
     今日は六時間目まで授業がある日だ。ちなみに、次の登校日は二日後。
     結奈は二日間、このモヤモヤを一人で抱えていられる自信がなかった。
    「あのさ、放課後、また集まって話さない?」
     結奈は思い切って言ってみた。
    「別に、いいわよ」
    「え! ホント? マジ神」結奈は目の前で手を合わる。「カレン様って呼んでいいですか?」
    「カレン様はやめてほしいかな」
    「じゃあ、親しみを込めて、カレンっちで」
    「好きにすれば」
     どうやら彼女はツンデレらしい。
     呼び方を変えるだけで、カレンとの距離がぐっと縮んだ気がした。
    「じゃあ、放課後、校門に集合しましょ。あ、あんたも来なさいよ」
     大和の方を向いて結奈が言う。
    「え、ぼ、ぼ、僕も?」
     相変わらず挙動不審だ。
    「そうよ。乙女の悩みを聞いたんだから……なんか奢りなさい!」
    「え、ええええ!」
     大和が変な声を出した。
     これってカツアゲになるのかな? 
     それとも、タカリ? 
     午後一の二年A組。社会科の先生が教科書を読み上げている。
     お経のような声を聞き流しながら、結奈はずっとぴんちゃのことを考えていた。
     果たして彼は何を思ってあんなメッセージを送ってきたのだろう? 
     彼女はまだぴんちゃのことを信じていた。
     考えれば考えるほど、気になってしまい、授業に集中できない。
     そこで彼女は机の下でこっそりスマホを操作して、ぴんちゃにこんなメッセージを送ってみた。
    〈昨日の話なんだけどさ〉
    〈児童ポルノなんちゃらって法律があるらしくって……〉
    〈画像を送ることはできないんだ〉
    〈ぴんちゃがウチに興味持ってくれてるのは嬉しい〉
    〈だけど、画像を持ってるだけでも犯罪になっちゃうらしいんだ〉
     そんな文面のメッセージを送った。
     もちろん、送ったところで、返事が気になって授業に集中なんてできなかった。
     授業が終わっても返信はなかった。
     ちょうど忙しい時間なのかもしれない。重い女になりたくはなかった。
     よくネットで地雷系女子はメンヘラと言われているが、彼女はメンヘラではない。純粋にファッションとして地雷系が好きなだけだ。地雷系の恰好をしているからと言って、みんながみんなメンヘラというわけではない。たぶん。

     放課後になっても、ぴんちゃからの返信はない。
     重い女になりたくはないけれど、彼女は我慢できなくなった。ホームルームが始まる前の僅かな時間に、彼女はぴんちゃに新しいメッセージを送った。
     すると、今度はすぐ返信があった。
    「えっ」
     期待してメッセージを確認すると、
    〈ブロックされているユーザーへのメッセージは無効です〉
     とあった。
     どうやら、ぴんちゃは結奈をブロックしたらしい。
     さすがの結奈もこれで目が覚めた。
     
     放課後、急いで校門に向かうと、下校するたくさんの生徒のなかにカレンを見つけた。相変わらず一人だけ制服を着ている。おまけに背が高いので異様に目立つ。
    「お待たせ! カレンっち背高っ! 何センチあるの?」
    「172」
     何でもないことのようにカレンが言った。
    「モデルじゃん!」
    「ありがと」
    「てかさ、なんでカレンっちはいつも制服着てるわけ?」
     ついでに疑問に思っていたことを訊いてみる。
    「単純に毎日、服を選ぶのが面倒くさいってだけ」
    「なんか、スティーブ……ジョーズみたいだね」
    「ジョブズでしょ……」カレンが呆れて言う。「ジョーズだったら、サメ映画になっちゃうわよ」
    「あれ? そうだっけ?」いかんいかん、お馬鹿がバレる。「でも、せっかくカレンっちスタイル良いのにもったいない」
    「私、制服好きなのよ」
    「そうなの?」
    「中学まで海外にいて、日本の制服にちょっとした憧れがあったの。あと、クエンティン・タランティーノのキル・ビルって映画観たことある?」
    「知らなーい」結奈が言った。
    「み、み、見たよ。あれ、さ、最高だよね」いきなり横から声がした。
     びっくりして見ると、いつの間にか大和が立っていた。 
     カレンと裏腹に大和は身長が低かった。150ちょっとしかない結奈と同じくらいだった。と言っても、結奈は厚底靴を履いているのでだいぶ底上げされている。
    「制服姿の栗山千明が可愛いのよね」
    「こ、殺し屋じゃん!」
     なんだかよくわからないけれど、大和が気持ち悪く笑う。
     二人が観たことのない映画の話で盛り上がっていて面白くない。
    「とりあえず、駅まで行こ」
     結奈が歩き出すと、二人も後をついてきた。
     興進高校は交通の便がいい。
     学校パンフレットにもそう書かれていて、学校から最寄り駅までは、歩いて十分もかからなかった。ほとんどの生徒が駅から歩いて通っている。結奈とカレンも歩き。大和は自転車を押していた。
     歩きながら、結奈はぴんちゃにブロックされた話をした。
    「ほら、クロじゃない」
    「や、やっぱりね」
     またもや結奈は面白くない。
    「どうせ私はバカですよー」
     ちょっと自虐的な気分になってきた。
    「じゃあ、これからその男を抹殺する作戦を練るのね」
    「ふふ、こ、殺し屋みたいだ」
     さっきの映画の話まだ続いてる?
    「抹殺はしなくていいよ」
    「他にも被害者が出るかもしれないわよ」
    「それは……嫌かも」
     他の人が自分と同じような気持ちになるのはやりきれない。
     学校の最寄り駅が近づくにつれて、高いビルやカラフルな看板をかかげた店舗が増えていく。この辺のターミナル駅で、東京に比べたら田舎だけど、県内ではなかなか都会な方だった。
    「で、どこで話そっか? やっぱカフェとか?」と結奈が訊いた。
     そういえば、どこで話すか何も決めてなかった。
    「実は、助っ人がいるの」カレンが言う。「日本風に呼ぶなら刺客ね」
    「し、刺客。カッコいい」
    「その人、どこにいるの?」
    「ふふ、案内するわ」
     二人は大人しくカレンについて行った。 
     カレンが足を止めた。見覚えのある紫色の看板。
     ハンバーガーチェーン店のファストキングダムだった。
    「ファッキンじゃん」
    「ファッキンって略すのやめてよ。女の子が言う言葉じゃないわよ」
    「ごめんごめん」
     カレンっち、お父さんのことファッキン親父って言ってなかったっけと思ったけれど、結奈は黙って飲み込んだ。
     店内に入ると、迷いのない足取りでカレンは二階席に向かう。
    「いたいた」
     ボックス席に中年男性が一人で座っていた。
     難しい顔をしながらノートパソコンをカタカタと叩いている。
     グレーのパーカーにくたびれたジーンズ、そして、長い髪を後ろで一つに縛っている。なかなか癖の強そうな人物だ。
    「おー、カレン」
     男性はカレンに気づくと表情をゆるめた。
    「お仕事中にごめんなさい」
    「平気平気。にしても珍しいな。カレンが友達連れてくるなんて」
     男性が結奈と大和を見て言う。
    「友達じゃないけど」
     カレンがそっけなく言った。
     確かによくよく考えれば、三人は今日会ったばかりだった。友達かどうかは微妙なところだ。少なくとも、大和は友達じゃない。
    「この人は私の叔父。お母さんの弟ね」
    「どうも、八幡アキラです。いちおう作家をやってます」
    「作家?」
    「そう。おじさんはミステリー作家なの。法律なんかにも詳しいわよ」
    「いやあ、どうだろう」
     おじさんが頭をかく。
    「あ、握手してください!」
     いきなり大きい声が聞こえたかと思うと、大和がおじさんに向かって手を伸ばしていた。
    「え、僕のこと、知ってるの?」
    「も、もちろんです!」
    「嬉しいなあ」
     おじさんが手を差し出すと、大和はその手をがっしりと握りながら流暢に喋り始めた。
    「八幡先生の作品はなんと言ってもキャラクター描写が素晴らしいです。デビュー作『神のいない祠』の時点でキャラクターの異常な完成度に驚かされましたが、最新刊『道化師だけのサーカス』では、もはやその域を超えてキャラクターという概念そのものを再定義しに来ているとすら感じました……。先生の書いた登場人物たちは、単に設定が緻密、というだけではなく、性格・言動・価値観・思考回路のすべてが相互作用し、劇中で発生する事象に対して自然発生的に反応しているわけです。まるで実存するかのような圧倒的リアリティを備えています。しかも、その緻密な設計がキャラ同士の関係性にも波及し、一見すると何気ない掛け合いの一つすら彼らの過去や認知の歪み、無意識のバイアスを反映したものになっているんです。これって単なるキャラが立ってるとかいう次元の話ではなくて、もはや人格のプログラミングという領域なのではと思ってしまいます。そうなると、先生の作品世界は単なるフィクションの枠を超えて、もうひとつの現実を形成していると言っても過言ではない訳で――」
    「え、何。怖いんだけど」急に始まったマシンガントークに結奈の顔がひきつる。「あんた、めっちゃ話すじゃん」
    「しかも、少しもどもってなかったわね」
     カレンも驚く。
    「あ、ごめん」我に返った大和がおじさんの手を離した。「ちょっと、興奮しちゃった」
    「なんだか、面白い子だね」
     おじさんは呆気にとられていた。
    「いやあ、それほどでも」
     大和が頭をかいて言った。誰も褒めてない。

    「ところで、みんな、お腹減ってる?」
    「減ってまーす!」
     結奈とカレンが声を揃えて言った。
     何故だろう。高校生って無性にお腹が空くよね?
    「あ、はい、よろこんで!」ワンテンポ遅れて大和も返事をする。
     居酒屋かい。
    「じゃあ、ちょっと待っててね」
     しばらくすると、おじさんが両手にトレイを持って戻ってきた。
    「適当に買ってきたから、みんなで分けて食べて」
     テーブルの上にハンバーガーやポテトがずらっと並んだ。
     三人は口々にお礼を言い、とりあえず、腹ごしらえをした。
     三人はハンバーガーを口に運びながら、事件のあらましをおじさんに説明した。
     一通り話を聞くと、彼は難しい顔をしてこう言った。
    「うーん。証拠がないとなると、警察も捜査してくれないんじゃないかなあ」
     おじさんがアイスコーヒーを飲みながら言う。
    「そう、ですよね」
    「本人に連絡取ろうにもブロックされてるのよね」
     カレンがポテトを片手に困った顔をする。
    「最初からわざわざログが残らないアプリを使っているってことは、常習犯って可能性が高いな。他にも被害に遭ってる人がいるかもしれない」
    「ツイッターで声かけて、他の被害者を探してみるっていうのはどう?」
    「それは難しいかもね」
     ぴんちゃはそこまで有名じゃない。
     もし他に被害者がいたとしても、その人が勇気を出して声を上げてくれるかどうかわからなかった。
    「オトリ作戦なんてどう? ウチ、昔使ってたアカウントあるから」
     結奈は昔使っていたツイッターのアカウントにログインした。このアカウントなら結奈だとはわからないはずだ。
    「このアカウントでぴんちゃのツイートにリプを飛ばして……」
     ぴんちゃのツイッターアカウントを検索すると、こんなメッセージが表示された。

    ――このアカウントは見つかりませんでした。

    「え、ちょっと待って! ぴんちゃのアカウント消えてる!」
     急いで配信アカウントの方も検索してみると、そちらも綺麗さっぱり消えていた。
     これではオトリ捜査なんてできない。 
    「困ったな。アカウントがなくなってるとなると対策しようがない」
    「どうしよう」
     結奈は泣きそうな顔になった。
    「泣き寝入りは嫌よ!」カレンが息を巻く。「絶対に社会的に抹殺してやらなきゃ」
    「ちょっと待って」おじさんが遮って言った。「結奈さんはどうしたい?」
    「え、ウチ?」
    「そうだよ。結奈さんの問題だよ」
    「社会的に抹殺したいとかはない、かな。でも、会って一言文句言ってやりたい」
    「会うって……相手は男だし、直接会うのは危険よ」
    「わかってるよ」
     結奈は力なく言った。
     直接会うのは危険。
     今後、自分がぴんちゃと会うことはないだろう。
     少し前までは、もしぴんちゃと実際に会うようなことになったらどうしよう、なんて甘い妄想をしていたというのに……。
     ふと見ると、時計の針は十八時を回っていた。
    「やば! もうこんな時間じゃん!」
     今日はお母さんの帰りが遅い。結奈が夕飯を作らなければいけない日だった。
     ごめん先に帰ると言って、結奈はそそくさと店をあとにした。
     
    「ただいま」
    「おう」
     家に着くと、爺ちゃんはいつものようにテレビを見ていた。
     数年前に婆ちゃんが他界してから、結奈はお母さんと爺ちゃんの三人暮らし。
     お母さんは看護師をしていて、夜勤が結構ある。夜勤の日は結奈が夕飯を作ることになっている。
     爺ちゃんは昔ながらの男で、一人ではお湯を沸かすこともできない。
     結奈は帰りに近所のスーパーで買った惣菜のコロッケをオーブントースターで温めながら、味噌汁と簡単なサラダを作った。
     みんなでハンバーガーを食べたから、爺ちゃんの分だけ冷凍してあったご飯を電子レンジで温めた。
    「ごはんできたよ」
    「お、あんがと」
     二人でなんの感動もない夕飯を済ませると、結奈は二人分の食器を洗って、自分の部屋に向かった。
     スマホを片手にベッドに寝転び、ヘッドホンを装着する。
     無意識に配信アプリを開いていた。
     いつもなら、ぴんちゃの配信を観ている時間だった。もうチャンネルがないから観ることもできない。他の配信者を開拓してみようかと思ったが、なんだか気乗りしないのでやめた。
     YouTubeでお気に入りの都市伝説チャンネルでも観ようと思ったけれど、そちらも今日は動画を更新していなかった。
     結奈はぼんやりとSNSを眺めた。
     タイムラインに流れている投稿がいつもと違う。そういえば、昔のアカウントにログインしたままだった。ぴんちゃの配信を観るようになったのは、ちょうどこのアカウントを使わなくなった頃だ。
     懐かしい気持ちになりながら彼女は過去の投稿を見返した。
    「あっ」
     そこにはエリカとのツーショット画像があった。

     工藤エリカは高校に入学したばかりの結奈が最初に仲良くなった女友達、親友だった。
     昼休みや放課後はいつも一緒にいたし、休みの日にもよく遊んだ。
     二人の仲が微妙になったのは夏休みからだ。
     きっかけはエリカが歌舞伎町に行きたいと言い出したことだ。二人の地元から新宿までは電車で二時間。交通費だけでも結構な額になる。小遣いの少ない結奈は行くのを渋った。
     当時、歌舞伎町の新宿東宝ビル横、通称「トー横」には、二人と同じような地雷系ファッションの若者が集まっていた。ある意味、そこは聖地のような場所だった。
    「トー横キッズの仲間になれるよ」
    「ホストは無理だけど、メンコンなら未成年でも入れるみたいだよ」
    「気持ちよくなれるクスリ貰えるかもよ」
    「オーバードーズってちょっとやってみたくない?」
     結奈を説得しようと、エリカはいろんなことを言ってきた。だけど、正直、どれも興味が湧かなかった。
     そもそも結奈はファッションとして、地雷系が好きなだけだ。
     中学生時代、たまたまSNSで流れてきた地雷系インフルエンサーの画像を見た彼女は、ちょっとダークで個性的な世界観に一瞬で心を奪われた。
     それまで彼女は自分が無個性でつまらない人間だと思っていたけれど、それが一遍するような気がした。いてもたってもいられなくなった彼女は、すぐにネット通販で地雷系の服を買って、YouTubeやTikTokの動画で地雷系のメイクを勉強した。 
     初めて地雷系ファッションに身をつつんだとき、結奈は何とも言えない万能感に満たされた。これが、本当の私だ。
     地雷系の格好をしているだけで、彼女はいつも最高の気分になれた。
     だけど、エリカは違ったみたいだった。
     彼女は地雷系カルチャーへの憧れが強かった。トー横で知り合いを作りたがったし、よくわからない薬に興味を持った。今思えば、彼女は彼女なりの生きづらさを抱え込んでいたのだと思う。
     結奈が渋っているうちに、エリカは一人で歌舞伎町に出入りするようになった。
     彼女はトー横界隈で知り合いをどんどん作り、どこかよくわかならい場所で寝泊りするようになった。
     久しぶりに電話したとき、彼女はコンカフェにハマっていた。
     コンカフェというのはコンセプトカフェのことで、簡単に言えば、コスプレしたイケメンがサービスしてくれるカフェのことだ。すでに結構な額を使い込んでいるみたいだった。
    「まじ金足りねー」
     彼女は何度もそう言っていた。
     夏休みが明けても、エリカは学校に来なかった。心配になった結奈は何度も連絡してみたけれど、反応はなかった。
     しばらくして、エリカが高校を退学したことを知った。
     聞いた話によれば、学校にパパ活が見つかって停学になり、そのまま辞めてしまったらしい。それを聞いた結奈は相当ショックを受けた。
     さらに悪いことに、エリカとよく一緒にいたという理由で、結奈も周りから疎まれるようになってしまった。イジメられることはなかったけれど、学校で気軽に話せる人はいなくなってしまった。学校で結奈はいつも一人だった。
     ぴんちゃに出会ったのは、ちょうどその頃だ。
     彼はまだ配信を始めたばかりで登録者はほとんどいなかった。結奈がコメントをすると、必ずリアクションをくれた。
     結奈が何気なく学校を辞めてしまった友達の話をすると、親身になって話を聞いてくれた。ただそれだけのことだった。だけど、それがものすごく嬉しかった。
     彼女はぴんちゃの配信があるときは必ずリアルタイムで視聴するようになった。
     家族以外の誰とも話さない日々のなかで、いつしかぴんちゃが心のよりどころになっていた。ぴんちゃとの距離が近づいて、個人的にメッセージのやりとりをするようになった時は死ぬほど嬉しかった。
     だけど、今回の事件が起こった。
     誰かに相談したいと思ったけれど、結奈には相談できる相手がいなかった。二年生になっても彼女は学校で浮いたままだった。
     個性的なファッションをやめて、みんなと一緒になれば、上手く周りに解け込めたのかもしれない。だけど、彼女はみんなと一緒になりたくはなかった。
     そんな時、転校生の噂を聞いた。
     父親が有名な弁護士で、いつも一人制服を着ている女の子。転校生だからきっとエリカのことも結奈のことも知らないと思った。
     結奈はごろんと仰向けになって天井を見上げた。
    「なんか、楽しかったな」
     昼間話したカレンのことを思い出す。家族以外の人間とあんなにいっぱい話したのは久しぶりだった。
     カレンは可愛くてスタイルも良いのに、毎日制服だなんてもったいない。今度、地雷系の服を着せてみたい。絶対似合うはずだ。きっと彼女は嫌がるだろうけど。
     ついでに、大和のことも2秒くらい思い出した。
     そういえば、大和のバカにまだ何も奢ってもらってない!
     
     二日後、放課後に三人は再びファストキングダムに集まっていた。例の作戦会議の続きだ。
     三人で二階のボックス席を陣取り、テーブルの上にポテトとドリンクを広げた。
     今日はカレンのおじさんがいなかったので、大和のバカの奢りだ。
     決してカツアゲではない。あくまで彼の好意。レディファーストってやつだ……たぶん意味違うけど。
     口に含んだポテトをコーラで流し込んでいると、
    「あれからどう?」
     カレンが結奈の顔を見ながら訊いた。
    「あのね」結奈は少し言いよどむ。「こんな風に集まってもらって、こんなこと言うのもなんだけどさ、もういいかなって」 
     できるだけ重くならないように口角を上げた。
    「もういいって、何が?」
     カレンが驚いた顔になる。
    「ぴんちゃのこと。これ以上騒ぎ立てるのはやめようかなって」
    「一体どうして」
    「あのあと、考えたんだよね。なんであんなに、ぴんちゃに夢中だったのかって……ウチ、一年生のとき、めっちゃ仲良い、親友みたいな子がいたのね。学校でも、いつもその子と一緒だった。だけど、その子、いろいろあって学校やめちゃったんだよね。それから、ウチ、学校で一人で、なんか、寂しかったんだよね。きっと」
    「そうだったの」
     カレンは目線を下に向けた。
     心なしか大和も困ったような顔をしている。
    「そういえば、今日はおじさんいないんだね」
     思い出したように、結奈が言った。
    「それがね……」
     ブルッ、ブルブルッ!
     その時、テーブルに置いてあったスマホが勢いよく震え出した。
    「かかってきた!」
    ――八幡アキラ。
     スマホ画面には、カレンのおじさんの名前。 
     カレンは通話ボタンを押して、画面をみんなの方に向けた。ビデオ通話らしい。
    「やっほー」
     画面の向こうで、おじさんが手を振っていた。
     なぜかアロハシャツ姿。
    「コンビニ?」 
     おじさんの背後にはレジカウンターがあり、某コンビニのユニフォームを着た男性店員が映っている。
    「いやぁ、沖縄はもう夏だねえ」
     沖縄?
    「あの、お客さま。撮影はちょっと困るんですけど……」
     横から男性の声が聞こえた。
     店員がおじさんに注意をしたのだ。
    「なにやってんの」
     結奈は呆れて言う。
     その時、急にカメラが反転した。
     一人の男性店員にピントが合う。グレーのマッシュヘアに長い前髪。結奈はその顔にどこか見覚えが――
    「君、ぴんちゃ君だよね?」
     おじさんの声がした。
     そうだ。画面に映っているのは紛れもない、ぴんちゃだった。
     店員の表情が途端に厳しくなる。
    「は? 何勝手に撮ってんだよ!」
     やっぱり、本人だ。 
     彼はだんだんカメラの方に近づいて来る。
    「君にひとこと言いたいって人がいるんだ」
    「おい、おっさん!」ぴんちゃが怒鳴った。
     手を伸ばして、おじさんの手からスマホを奪おうとする。
     カレンがスマホを結奈一人に向けた。
     画面いっぱいに結奈の顔が映る。
    「この子に、見覚えあるだろう?」
     おじさんがスマホの画面を向ける。
     ぴんちゃと目が合った。
    「こ、こんなブス、知らねえよ」
     ぴんちゃが吐き捨てるように言った。
     こんなブス……。
    「この子、姪っ子の友達なんだ。君に嫌なことされたって相談されてね。未成年に猥褻画像を送れって言うのは犯罪だよ。知ってるでしょ?」
    「そんなこと言ってねえし。言うなら、もっと可愛い子に言うだろ」
     ぴんちゃが鼻で笑う。
     は? 
     その一言で何かが切れたのがわかった。
    「てめぇ! こんなブスにおっぱい送れとか言ってんじゃねえよ!」
     気づくと、結奈は身を乗り出してスマホ画面に向かって叫んでいた。
     そして、中指を立てる。
    「お前みたいな変態野郎はまじでファック! 地獄に落ちろ!」
     そう言って、彼女は拳から突き出した親指を勢いよく地面に向けた。
     一瞬、時が止まった。
     まるで映画のワンシーン。
     画面の向こうのぴんちゃも目を丸くしている。  
    「あ、お邪魔しましたー」
     おじさんの小さい声が聞こえて、通話がブチッと切れた。
     
     結奈は我に返った。
     二階席のお客さんの視線が一身に集まっている。
     恥ずかしさで顔から火が出そうだ。
     同じテーブルに座るカレンと大和を見る。二人は黙ってうつむいていた。
     沈黙。
     ……。
     ……。
     ……プッ。
     堪え切れなくなったカレンが笑い出した。
    「女の子がファックなんて言うもんじゃないわよ」
    「カレンっちだって、前に言ってたじゃん」
     結奈も笑顔になる。
    「ち、ちなみに、お、男もファックとか言わない」
     大和が余計なことを言う。
    「てか、どうやってぴんちゃのいる場所を突き止めたわけ?」
    「大和さんよ」
    「え?」
    「大和さんが活躍してくれたのよ、ねえ?」
    「こいつが?」
     大和がモジモジしている。キモい。
    「どうやって?」
    「ぴ、ぴんちゃの配信アカウントは消されて、たんだけど、ウェイバックマシンで消される、前のページが見れて。元アカの情報を拾い直して、ユーザーネームや画像なんかを基にネットで洗いまくったら、裏アカが特定できて。それで、過去投稿にあったユニフォーム、見切れた風景画像なんかから、バイト先、見つけたんだ」
    「ごめん。半分くらい何言ってるかわかんない。けど、すごいじゃん。見直した」
     大和が頭をかく。
    「裏アカを調べたらいろいろなことがわかったわよ」
     カレンが裏アカを分析してわかったことを教えてくれた。
     ぴんちゃはもともと関東出身だけれど、受験に失敗して沖縄の大学に進学した。
     ぴんちゃというアカウント名は沖縄のさんぴん茶が由来らしい。
     就活も失敗して、卒業後はそのまま沖縄でフリーターをしている。
     特に将来の夢も展望もなく、適当にライブ配信をして、知り合った女の子にちょっかいを出している。
    「まじでファッキン野郎だったんだ……」
     結奈がつぶやくように言った。
    「やっぱり社会的に抹殺した方が良かったかしら?」
     カレンは真顔だ。
     いや、怖いって。
    「え、ちょっと待って、じゃあ、さっきの沖縄ってこと?」
    「そうよ」
    「なんでおじさんが沖縄にいるの?」
    「実はね、二日前の時点でぴんちゃが沖縄にいるってことはわかってたの」
    「えっ」
    「大和さん仕事が早くて、あなたが帰ってから一時間もかからなかったかな」
    「なんで教えてくれなかったの」
    「……びっくりさせようと思って」
     カレンが舌を出して言う。可愛い。
    「ち、ちょうど昨日、ぴ、ぴんちゃが明日のバイトだりぃって投稿してて」
    「それ見たらおじさん、膳は急げだって言って沖縄に飛んで行っちゃったの」
    「フットワーク軽いなあ」
    「次回作のアイデアで煮詰まってたらしくて、ぴんちゃが沖縄に住んでるってわかったときに、そうだ、次回作の舞台は沖縄にするって言い出したの」
    「で、伝説のユタの孫娘が主人公で、く、口寄せでシャーロックホームズの魂を憑依させて事件を解決するって設定を、一瞬で思いついてた。さ、さすが八幡先生」
     なにそれ。ちょっと面白そう。
    「だから、取材のついでみたいなものなのよ。気にしないで」
    「そっか」
     たまには本でも読んでみようかな、ふとそんなことを思った。
     今度、おじさんの本を本屋で探してみよう。
    「でも、さっきはびっくりしちゃったわね。映画のワンシーンみたいだった」
    「す、すごい迫力だった」
     二人が結奈を見て口々に言う。
    「感情が爆発してた。さすが地雷系ね」
     カレンはたぶん地雷系の意味を勘違いしている。
     そう思ったけれど、結奈は黙ったまま微笑んだ。
     こんなに楽しい時間は久しぶりだった。

    2、オタクになりたい

     八幡カレンは以前、こんなことを調べてみた。
     ここ日本で年間に公開される映画の数はおよそ1000本。
     毎日一本ずつ観たとしても、その全てを観ることは不可能だ。
     もちろん、ここに含まれていない作品だってたくさんある。
     NetflixやAmazon Primeが独自に制作している作品は含まれていない。
     おまけに、過去をさかのぼり、古今東西の名作駄作を加えてみる。
     それこそ天文学的な数字になるに違いない。
     だけど、哀しいことに人生は有限だ。
     人生100年時代になったからといって、死なないわけじゃない。
     どう考えても時間が足りない。圧倒的に。
     早く不老不死の技術が開発されないかなあ。
     
    「あっちー。ビール飲みたい」
     街頭キャンペーンで貰ったうちわを仰ぎながら結奈が言った。
     ぴんちゃ事件から一気に時は進み、三人はもうすっかり成人に――、
    「まだ未成年でしょ」
     なっていなかった。
     あれからまだ数ヶ月しか経っていない。
     事件以来、三人はよく放課後に集まるようになっていた。場所はもちろんファストキングダムだ。
     テーブルの上には新商品のハンバーガーが並んでいる。みんなで分けて食べてと言って、さっきおじさんが置いてった。
     おじさんは少し離れた席で、ノートパソコンを開いて執筆中だ。
     いつの間にか梅雨も明け、もうすぐ夏休みだった。
     高校二年生の夏休みだ。
    「もうすぐ夏休みじゃん! 海とか行きたくない?」 
     結奈が目をキラキラさせながら言った。
    「い、いいね」
     何故か大和も乗り気。彼は絶対海なんて似合わないと思う。
    「海ねえ」
     カレンは微妙な反応。
     海って、そんなに楽しいだろうか?
     おそらく、内陸の県で生まれ育った二人は海に対して過剰な憧れがあるのだ。勝手にうがった分析をする。
    「あーでも、ウチは痩せないと、水着とか着れないなあ」 
     そう言って結奈はチキン南蛮バーガーに手を伸ばした。
     ん? あれ、二個目では?
     ホントに痩せる気があるのだろうか。
    「そういえばさ、なんでカレンっちは、うちの学校に転入してきたわけ? カレンっちの成績ならここら辺で一番頭良い進学校にも入れたでしょ」
    「まあ、入ろうと思えば」
    「なんでわざわざ通信選んだの?」
    「通信を選んだのは、時間が沢山ありそうだったからよ」
     転校する高校を選ぶにあたって、カレンが一番に考慮したことは、いかに時間が余るか、ということだった。
     要するに、暇になりたかった。
     通信制の高校は登校日数が少ない。家でやらなければいけないレポートや課題はそれなりにあるが、それが終わってしまえば、あとはひたすら自由な時間だった。
    「私、もともと東京の名門進学校に通ってたのね」
     かつて彼女が通っていたのは、クラスの半数以上が東大か京大に行くような学校だった。起きている時間のすべてを勉強に割いているような人たちばかりで、当然、カレンも置いてかれないよう一生懸命勉強していた。
    「だから、もう結構勉強したっていうか。数学は一年生のうちに高三までの内容は一通り終わっているし、帰国子女だから英語は勉強しなくてもできるでしょ? 三教科で受験できる私立なら、そんなに頑張らなくても、そこそこ良い大学に入れると思うわ」
    「嘘でしょ!」
    「チ、チーターだ!」
     珍しく大和も大きい声を出す。
    「食肉目ネコ科の?」カレンがとぼける。
    「ゲ、ゲームでイカサマしてる、プレイヤーのことやろがーい!」
     大和が下手なツッコミをした。
     なぜだろう? 大和につっこまれると少しイラっとする。
     カレンはコーラを一口飲み、気を取り直した。
    「私の父親、東大卒なの。だから、将来のためにちゃんと勉強して、良い大学に入りなさいってずっと言われてきた」
    「うわあ、ウチには絶対無理」
     結奈が顔をしかめる。
    「ぼ、ぼくも」
     何故か大和は酸っぱい顔をした。
    「二人とも正直ね。私も何のためにこんなに勉強してるんだろうって思いながら勉強してたわ。親から言わせれば、もっと良い仕事や高いお給料のためなんでしょうけど……私の父親、あんなことになったじゃない?」
     カレンが眉を釣りあげる。 
    「勉強するの、馬鹿らしくなっちゃった?」
    「まあ、そんなとこ。それに、やりたいことができたの」
    「え、なになに?」
    「私、将来、作家になりたいの」
    「おじさんみたいな?」
    「そう」
     田舎に越してきて、母親の弟である叔父と頻繁に会うようになった。
     以前から変わった人だとは思っていたが、八幡アキラは知れば知るほど周りの大人たちとは違った。
     彼は今まで一度も就職というものをしたことがなく、結婚もしていない。
     世間的に見れば、可哀そうな人。
     だけど、不幸という感じではない。むしろ、幸せそうだ。
     自分の中のルールのようなものに突き動かされて、ひたすらストイックに作品を書き続けていた。
     姪っ子であるカレンに対して、ちゃんと勉強しろとも良い仕事に就けとも言わない。
     まわりの大人たちとは、まるで違うベクトルで生きてるみたいだった。
     そんな叔父に影響されて、いつしかカレンは自分も作家になりたいと思うようになっていた。
    「じゃあ、カレンっちは毎日、家で小説を書いてるってこと?」
    「うーん、今は映画を観たりして……インプット?」
     カレンは書こうと思えば、すぐにでも小説を執筆することができた。
     彼女は自分のパソコンを持っていたし、アメリカに住んでいたときも、日本の小説は結構読んでいた。日本語を忘れないようにと両親がたくさん買い与えてくれたのだ。
     だけど、書けなかった。どんなにパソコンの画面と睨めっこしても、数行書けるか書けないかという感じだった。
    「もっと本を読まないとダメなのかな?」
     以前、カレンはおじさんにこんな質問をしてみた。
    「どうだろう。全然小説読んだことがないのに小説を書こうってのは無理だけど、カレンはけっこう読んでるみたいだからなあ……じゃあ、映画とか観てみたらいいんじゃないか? 小説以外のものから沢山インプットしたら、いつか自分のなかに取り込んだものが溢れるようになるさ」
     おじさんは師匠みたいなものだ。師匠の教えは守らなければいけない。
     そういう訳で、いまカレンはひたすら映画を観ている。もともと映画を観るのは好きだったから、苦ではない。
     学校がない日は家で4、5本、学校がある日も帰ってから2本は観るようにした。
     彼女は月200本のペースで映画を観た。まるで修行だ。
     そして、観た映画を忘れないように映画ノートを作り、丁寧に記録を付けた。やるからには徹底的にやる。
     彼女は映画オタクになるつもりだった。
    「映画かあ。ウチはショート動画で、あらすじだけ観るかな」
     結奈がしれっと言う。
     カレンが軽蔑のまなざしを向けた。
    「あ、でも、面白そうなやつは全部観るよ……倍速で」
     カレンが目を丸くする。
    「そんなの、作った人に失礼じゃない!」
     ぴえんと言って結奈が泣き真似をする。
    「でもさあ。映画ってタイパ悪くない?」
    「ん? タイパ……」
    「タイムパフォーマンスのことだよ」
     どうやら、自分がかけた時間に対して、どれくらいの満足度が得られたか、ということらしい。
    「二時間かけて観た映画が面白くなかったらタイパ最悪でしょう? だったら、倍速で観た方が良くない?」
     確かに、結奈が言っていることにも一理ある。
    「正直……倍速で観たいって気持ち、ちょっとわかる。どんどん新しい作品って増えていくじゃない? 追っても追ってもキリがないわよね」
     ときどき、カレンも自分が何のために映画を観てるのかわからなくなることがあった。
    「そういえば、二人はどうして通信に通ってるの?」
    「ウチは、私服可だから」
     今日も結奈は全身黒ずくめ。地雷系ファッションに身を包んでいた。
    「こういう格好してる自分が一番好きなんだ」
    「なるほどね。大和さんは?」
     カレンが大和の方を見た。
    「ぼ、ぼくは通いたい選択コースがあったから」
    「コース?」
    「じ、自分の興味あることを、勉強できるんだよ」
    「テレビでよくCM流れてるよ」
     
    ――君の興味に突き進め~♪
    ――みんなで行こう興進高等学園~♪
     
     と結奈が歌った。びっくりするくらい下手クソだった。
     なんでも興進には10種類ものコースがあるらしい。結奈がドヤ顔で言った。
    「ちなみに、ウチはデザインコースだよ」
    「ぼ、ぼくはデジタルテクノロジーコース」
    「へえ、そうだったんだ」
     カレンは総合進学コースだった。
     どうせ大学に行くんだからと何も考えずに選んだ。他のコースのことなんて気にしたこともなかった。
    「じゃあ、みんなそれぞれ将来の夢とか目標があるってことね」
    「ウチは将来、デザイナーになりたいかな」
    「へえ、凄いじゃない。デザイナーって何のデザイナー?」
    「洋服よ。地雷系の洋服、デザインしたいなって」
    「じゃあ、そのために頑張って勉強してるのね」
    「う、うん。ま、ま、まあ」
     なんとも歯切れの悪い返事だった。
     さては勉強してないな。
    「ぼ、ぼくは、ゲームを作ってる」
    「凄いじゃない」
     まだ全然大したやつじゃないけど、と大和は頭をかいた。
    「今度、やらせてよ」と結奈が言った。
    「う、うん。まだ途中だけど。一応最後までできるよ」
    「どんなゲームを作ってるの?」
     カレンの言葉を聞いて、大和は堰を切ったように話し出した。
    「今回は初めてアンリアルエンジンっていうゲームエンジンを使って作ってみたんだ。アンリアルエンジンは、エピックゲームスが開発したゲームエンジンで、リアルなグラフィック表現に優れている。実際、『フォートナイト』や『ファイナルファンタジーVII リメイク』といった有名タイトルで使われていて、特にブループリントという機能がコードを書かずにゲームの動きを作れて画期的でさ――」
     カレンと結奈が目を合わせる。
     二人はテーブルの上を片付け、荷物をまとめてこっそりと席を立った。
     夢中で喋り続けていた大和も二人が階段を降りはじめているのを見て、やっと自分が取り残されていることに気づいたようだった。
    「ちょ、ちょっと待ってよおおおおー!」
     
     カレンの家は学校の最寄り駅から、電車とバスで30分ほどの距離にあった。家と言っても、母親の実家。要するに、カレンにとっては祖父母の家だ。
     元通訳の母親は駅前の英会話教室で働き始めた。社会人向けの教室で帰りは遅い。
     夕飯はだいたい祖母が作ってくれた。派手さはないが、毎日食べても飽きない料理。帰国子女のカレンからすると、そういうのが一番ありがたかった。ただ、
    「アメリカだ、東京だ、なんだかんだって好きなとこに行ってたと思ったら、離婚して今度はこっちに戻ってきて、お母さん、本当に勝手だねえ」
     祖母の厭味だけは、どうしても受け入れられなかった。
     大人はみんな勝手だ。ファック! 心の中で中指を立てる。
     夕飯を食べ終わると、カレンは二階のおじさんの部屋に向かった。
     正確には、昔おじさんが使っていた部屋。現在、おじさんは駅の近くに部屋を借りて、そこで暮らしている。この部屋は自由に使っていいと言われていた。
     ドアを開けると、中は真っ暗だ。
     窓に暗幕が張られていて、外の光を遮断している。この部屋では、天井に付けられたプロジェクターで、壁に大きく映画を映して鑑賞することができた。
     電気を付けて中に入る。
     棚にはDVDやビデオがずらりと並んでいる。おじさんが若い頃に観た映画だ。
     新品で購入したものもあれば、TSUTAYAのレンタル落ちもある。
     以前、会話に登場した『下妻物語』も『キル・ビル』もおじさんに面白いと薦められた作品で、この棚に置いてある。
     カレンから見れば、おじさんは小説家であると同時に、生粋の映画オタクでもある。
     おそらく彼はここに並んでいるすべての映画を観たのだろう。彼は映画オタクになるのに、一体、どれくらいの時間を費やしたのか。 
     アメリカの学校では、アジア人の生徒は「ガリ勉」か「オタク」にしかなれなかった。ステレオタイプなものの見方をする人間が多いから、枠から外れた者は排除される。
     カレンは勉強を頑張って、なんとかガリ勉としてクラス内に自分のポジションを確立した。
     でも今になって思う。あの時、オタクになっていても良かった。
    「さて、今日はどれを観ようかしら?」
     彼女は棚を眺めながら眉間に皺を寄せる。映画を選ぶときは、いつも真剣だ。
     一本の映画を観た前と後で、自分の人生が変わるかもしれない。そう思って選ぶようにしている。
     たった2時間にまとめられているが、構想から製作まで、映画には膨大な時間と携わった人々の想いが詰まっている。
     適当にホイホイ観ていくのは失礼だと思っていた。
     仮に自分の小説が完成したとして、適当に流し読みされるのは不本意だ。
     だから、いつも彼女は次にどの映画を観るか真剣に悩んだ。
     散々悩んだ挙句、結局今日もおじさんが薦めてくれた作品を観ることにした。
     『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』
     比較的新しいアメリカのSF映画だ。日本ではエブエブと略されている。
     アカデミー賞7部門受賞した作品で、映画好きのあいだではかなり話題になっていたらしい。
     カレンは部屋の電気を消して、プロジェクターで映画を流した。
     あらすじはこうだ。コインランドリーを経営するアジア系の中年女性が、様々な宇宙を移動しながら強大な敵と闘い、全宇宙を救うという壮大でカオスな物語。
     正直、カレンはあまりこの映画を楽しめなかった。
     映画に出てくるSF用語に馴染みがなさ過ぎた。もっとSF小説を読むべきかもしれない。
     中でも特にマルチバースという言葉を理解するのが難しかった。日本語では多元宇宙論というらしい。そんな言葉一度も聞いたことがなかった。
     コインランドリーを経営している主人公の他にも、カンフーの達人になっている主人公、シェフになっている主人公が別の宇宙にいて、それぞれが同時に存在しているというのだ。
     要するに、可能性は無限にあるということの示唆なのだけれど、指がぐにゃぐにゃのソーセージになった主人公や、全く動けない石ころになっている主人公まで登場してきて訳がわからなくなってしまった。可能性の幅が広過ぎだ。
     だけど、何故か気になって、彼女はもう一度最初からその映画を見直した。
     そして、二回目を観終わると、わからない単語をネットで調べながら、感想や考察を映画ノートにまとめた。
     気づくと、時計の針は深夜をまわってしまっていた。 
    「ああ、もうこんな時間」
     さすがにそろそろ寝ないと。
     通信は休みが多い分、生活リズムが崩れると学校に行くのが億劫になる。
     なかには夜型の生活から脱け出せず、そのままドロップアウトしてしまう生徒もいると聞いた。
     シアタールームを出て、寝室に向かう。
     ベッドにもぐり込んで目をつぶってもなかなか眠れなかった。
     さっき観た映画が頭を離れなかった。
     一体自分はいま、どんな宇宙を生きているのだろう?
     父親のせいで名門進学校から片田舎に転校してきた女子高生といった感じか?
     父親のスキャンダルという特異点がなければ、きっと彼女はあのまま東大か京大に進学して、卒業後もそれなりに良い仕事に就いていただろう。
     そう考えると、なんだか不思議だった。
     その世界線では、あの二人とか絶対に出会わなかったのだから。
     
     とある放課後、いつもの三人は学校のパソコン室に集まっていた。
     先日話題になった大和が作ったゲームをやろうということになったのだ。
     最初、大和はUSBにデータを入れて渡そうとしたが、
    「ウチ、パソコンなーい」
     と結奈が言った。
    「パ、パソコン室の、パソコンなら使えるよ」
    「え、そうなの?」
    「う、うん。僕、パソコン部だし」
     なんと大和はパソコン部の部員だった。
     彼が言うには、放課後も許可を取れば誰でもパソコンを使うことができるらしい。
    「あんた、パソコン部だったんだ」
     結奈が興味なさそうに言った。
    「う、うん」
    「その割にいつも放課後、暇そうにしてるわよね」とカレンも言う。
    「じ、自分の家のパソコンの方が、スペック良いから、わ、わざわざここに来る理由ないよ」
     もじもじしながら大和が言った。
     興進のパソコン室は新旧で二ヵ所ある。
     当然、新しい方のパソコン室はパソコン部の部員が陣取っている。仕方がないので、三人は旧パソコン室にいた。置いてあるパソコンは古かったが、他に人がいなかったので広々と使うことができた。
    「まだー?」
     キャスター付きの椅子をくるくる回転させながら結奈が言う。
     大和はUSBメモリを差し込んで、学校のパソコン二台に自作ゲームをインストールした。
     それから、なにやら細々とした設定をして、
    「で、できるよ」
     と二人に向かって言った。
     カレンと結奈は同時にゲームをスタートした。
     大和の作ったゲームでは、プレイヤーは鳥になって自由に空を飛び回ることができた。
     世界中に散り散りになった仲間たちを集めて、最後は巨大な怪鳥を倒してハッピーエンドという内容だ。
     ときどき大和が説明を挟んだが、結奈は無視してどんどん進め、あっという間にクリアしてしまった。
     普段まったくゲームをしないカレンは大和に操作方法を繰り返し聞きながら、なんとか最後までプレイすることができた。
    「ど、どうかな?」
     二人がプレイを終えると、もじもじしながら大和が訊いた。
    「うん。つまんない」結奈がバッサリと言う。「発想が小学生並み」
     確かに、大和の作ったゲームは面白くはなかった。ストーリーはあってないようなものだったし、展開も稚拙だった。
    「でも、映像はすごく綺麗だった……」
     カレンは感心して言った。 
     ゲームの世界観やオブジェクトの完成度は圧倒的と言って良かった。大和は自分の作りたいものを作りたいように作っているだけなのだ。そこには変な打算のようなものは一切ない。
     正直、カレンは少し羨ましかった。
     彼のような人間が生粋のオタクなのだろう。
    「あ、ありがとう。もっと良いパソコンでやったら、全然違くなると思う」
    「そうなの? でも、十分だったわ。次の作品が楽しみ」
    「つ、次はもっとストーリー性のあるゲームか、競技性のある対戦ゲームを作りたいと思ってるんだ」
    「競技性?」
    「そ、そう。運だけじゃなくて、プレイヤーの戦略や判断力が活かせるゲーム。これからゲームはオリンピック競技にもなるだろうって。最近はどこの高校にもeスポーツ部ってのが、新しくできてる。うちの学校はパソコン部の中に併設されてるけど」 
    「そういえば、eスポーツ部って私が前いた学校にもあったわね」
    「あ、麻布成館高校は、eスポーツの強豪校だよ」
     何故か大和はカレンが前いた学校の名前を挙げた。
    「な、なかでもカレンさんと同じクラスだった佐部時(さべじ)君は、既にプロとして活躍してる選手で――」
    「ちょっと待って!」突然、カレンが話を遮る。「どうしてあなたがそんなこと知ってるの?」
     カレンの通っていた学校の名前は週刊誌では伏せられていたし、元同級生の名前まで知っているなんて、明らかにおかしい。
    「たしかに、なんであんたが知ってるの!」結奈も声を荒げた。
    「ご、ごめんなさいい!」
     そう言って大和は顔を真っ青にして黙り込んでしまった。
     カレンは結奈と顔を見合わせる。
     なんだか二人して男の子をいじめてるみたいだ。
     二人は黙って大和が喋り出すのを待つことにした。

    「と、特定班って、わかる?」
     数分後、大和がゆっくりと話し始めた。
    「なにそれ?」カレンが訊く。
    「ネットで炎上した人の本名とか住所とか職場を晒す、サイテーなやつらのことだよ」
     結奈が説明してくれた。
    「その特定班がどうかしたの?」
    「ぼ、ぼく、昔、特定班だったんだ。い、今は、やってないよ」
     彼は言葉に詰まりながらなんとか説明しようとした。
     カレンの父親のスキャンダルは、ネット上をちょっとしたお祭り状態にした。
     なんせ不倫相手が三人もいたのだ。
    ――有名人が世間様に迷惑をかけるなんてけしからん!
     死ぬほど暇な特定班たちは寝る間を惜しんで特定作業を開始した。
     一人、二人と、すぐさま父親の不倫相手は特定されていった。
     思ったよりも早く、三人の不倫相手が特定され、お祭りは一瞬で終わったかのように見えた。
     しかし、一部の特定班たちはそれだけでは飽き足りなかった。奥さんや娘のことまで特定しようとする者が現れたのだ。
    「カ、カレンさんの身元を、特定したの、ぼ、ぼくなんだ」
    「道理で……」
     ぴんちゃの裏アカを特定するのが早かったわけだ。
    「じゃあ、あんたのせいでカレンっちは田舎に越してこなくちゃいけなくなったわけ?」
    「ご、ご、ごめんなさい!」
     今にも泣き出しそうな顔で大和が言った。
    「そういうことだったのね」
     カレンは至って冷静だった。
    「ちょっとカレンっち、もっと怒っていいんだよ!」
     結奈が一番興奮している。
    「別に大和さんがやらなくたって、他の誰かがやったでしょ」
    「それはそうかもしれないけど……ウチだったらめっちゃキレるよ」
     怒りは湧かなかった。
     今のカレンは、あのまま流されるように名門進学校に通い続けていなくて良かったとさえ思っていた。エスカレーター式にファックな大人の仲間入りをせずに済んで、彼には感謝してもいいくらいだ。
     ただ流されて生きるのではない。誰とも違う、自分だけの人生を歩みたい。今、彼女はそう思っていた。
    「怒ってはないわ……」
     ふと、カレンは今の自分の姿を俯瞰する。
     放課後にファーストフード店でだべっている、どこにでもいる普通の高校生。
     びっくりするくらい普通だった。
     普通すぎてつまらない。
     つまらない人間の書いたものは絶対に面白くない。
    「私たち……もう、集まるのやめましょ」
     彼女の口からそんな突拍子もない言葉が飛び出した。
    「え、えええええええ」
     大和がこの世の終わりのような顔をする。
    「あんたは仲間外れね。ざまあ」
     結奈が勝ち誇って言う。
    「二人ともよ」
    「え、ウチも? なんで!」
     三人で過ごす時間がつまらないという訳ではなかった。
     普通に楽しかった。ただ、普通だった。
     以前のようにずっと一人で過ごしていた方が尖った高校生活が送れるような気がした。
    「意味ないからよ」
    「意味?」
    「私たちが過ごしている時間って、何の生産性もないでしょ?」
    「生産性って……ウチら友達だから一緒に遊んでるだけじゃん」
     結奈が笑いながら言った。
    「私は早く小説を書いて新人賞に応募しなきゃいけないの。できれば高校生のうちにデビューしたい。それに、別に私たち友達じゃないでしょ?」
     わざと傷つくような言葉を選んだ。
     結奈の顔から笑顔が消えた。
    「放課後、ファーストフード店でくっちゃべってる高校生なんて……普通すぎるの」
    「普通って。ウチはよく変わってるね、個性的だねって言われる。全然普通じゃないし!」
     結奈が必死になる。
    「こないだ、ネットで調べてみたわよ。地雷系って。みんなあなたと同じような恰好して、同じようなメイクしてたわ。あなたは地雷系のいない田舎の学校では個性あふれる存在だろうけど、地雷系ファッションした子たちの中に入ったら、きっと誰だかわからなくなっちゃうでしょ? 本当に個性があるんだったら、制服着てようが、何着ていようが、個性が出るはずじゃない?」カレンが淡々とした口調で言った。「それに、あなた、デザイナーになりたいって言ってたけど、何にもしてないじゃない。時間を無駄にしてるわ」
     結奈は何も言い返してこなかった。
     目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

     ファストキングダムから帰ると、カレンは一目散にシアタールームに閉じこもった。
     映画を鑑賞したが、内容はまったく頭に入ってこなかった。
     ふと、涙を浮かべた結奈の顔を思い出す。
    「ちょっと言い過ぎちゃったかな……」
     でも、そんなことを考えてもどうしようもない。
     今後、三人で集まることはないだろう。
     時間は有限だ。
     カレンにはまだ観ていない映画がたくさんある。読んでいない本もたくさんある。
     時間はいくらあっても足りないくらいだった。
     もちろん、小説も書かなくてはいけない。
     春が来る前に、一作完成させよう。
     凄い作品を書いて新人賞に応募するのだ。
     高校生のうちにデビューしたら、きっとみんなびっくりする。
     ファックな大人たちに認めさせてやるのだ。
     八幡カレンという人間が此処にいる、ということを。
     

    3、洗脳ちゃん

     バコンッ!
     ノックもせず部屋に入ってきた父親はバットで大和のノートパソコンを叩き壊した。
     鈍い音が部屋中に響き渡る。
     目の前で自分のパソコンが、粗大ごみへと変わっていく。
     ああ、パソコンって、こんな感じで壊れるんだ。
     ディスプレイが割れ、キーボードのキーがおもちゃのブロックのように飛び散る。
     パソコンはゆっくりと静かに形を失っていく。
     いっそ爆発でもしてくれたらいいのに……。
     大和は自分のパソコンがバットで破壊される光景を眺めながら、そんなことを考えていた。
     期末試験の成績は散々だった。
     もともと低空飛行していた成績が地に堕ちた。
     ちゃんと勉強すると言って良いパソコンを買ってもらったのに、まったく勉強しなかった自分が悪い。
     父親がブチギレるのもしょうがなかった。
     
    「これって、もしかしてスイミー?」
     顔を上げると、知らない女の子がいた。 
     アニメのキャラクターのようにキラキラした大きな瞳がこちらを見つめていた。ずっと見つめられたら、なんだか吸い込まれそうだ。それくらい可愛い子だった。
    「う、うん」
     目を逸らしながら大和が答えた。
     旧パソコン室の低スペックのパソコンに、制作途中のゲーム画面が映し出されていた。
    「仲間の鳥たちが終結して、大きな鳥になるとこなんてまんまスイミーだなって思った。この主人公の鳥だけ、なんか色違うもんね」
     オランダ出身の絵本作家レオ・レオニの『スイミー』は、小学校の教科書に必ず載っている。最後に小さな魚たちが集まって、大きな魚のように海を泳ぐシーンが印象的な作品だ。
     このゲームが『スイミー』を題材にしてると当てられたのは初めてだった。と言っても、このゲームをプレイしたのは、カレンと結奈の二人だけだ。
     カレンは小さい頃からアメリカの学校に通っていたみたいだから、知らなかったかもしれない。結奈は小学校の教科書で読んだはずなのに、忘れているのか、つまらないと言われただけだった。
    「でも、どうして鳥なの?」と女の子が訊いた。
    「え、あ、うん」
     大和は背が低い。154センチしかない。160センチないというのは男子として致命的だった。
     背の順はいつも一番前で腰に手をあてていたし、体育の授業では一番前で体操をしていた。
     いつも大和は見下ろされてばかりだった。
     だから、ゲームキャラクターは鳥をモチーフにした。
     鳥になって空を飛べば、背の高さなんて関係ない。鳥になって世界を見下ろしてみたいと思った。
    「なんかわかるかも、あたしも背低いから」
     148センチ。折坂メグル(おりさかめぐる)。
     彼女は自分の身長と、それから自分の名前を名乗った。
     
     大和と同じ二年生。パソコン部に所属しているらしい。
     顔を見たのは初めてだった。
     ほとんどのパソコン部員は新しいパソコン室にいるのに、どうして彼女はわざわざこっちの教室に来たのだろう? 
    「あたし、たくさん人いるの苦手なんだよね」
     大和の心を読んだかのようにメグルが言った。
    「そ、そうなんだ」
     その後、メグルはずっと隣で、大和が作業するのを眺めていた。
     邪魔にならない程度に、メグルは大和に質問をしてきた。大和はそれにつっかえながら答える。
     いつしか二人は好きなゲームの話で盛り上がっていた。
    「大和君が面白いって言うなら絶対面白いやつじゃん」
     メグルは大和が教えたゲームのタイトルをスマホに全部メモして、
    「帰ったらそっこーダウンロードするね」と言った。
     あれ? なんか楽しい。
     こんな気持ちになるのは久しぶりだった。
     大和が通信制の高校に入った理由は、人と関わりたくないからだ。
     彼は人と話すとき、必ずどもってしまう。
     どこに行っても一番背が低くて、自分に対して極端に自信がなかった。
     他人からどう見られているかを気にして、いつももぞもぞしてしまう。
     中学時代はそれでイジメにも遭った。
     だから、高校はなるべく人と関わらない通信制の学校を選んだ。
     通信なら登校日が少ないし、同じような理由で来ている生徒も多かった。
     できればほとんど登校しなくてもいい完全リモートの学校に進学したかったが、父親が許してくれなかった。
     大和の父親は、男は男らしくと未だに言っているようなステレオタイプな人間だ。
     休みの日に少年野球のコーチを自ら進んでやるような人間で、大和も子供の頃、無理矢理野球をさせられていた。
     野球なんて全然好きじゃなかったから一向に上手くならなかった。
     彼は家でゲームをしている方が好きだった。
    「大和君はなんで旧パソで作業してるの? 前までいなかったよね」
    「う、うちのパソコン、壊れちゃって……」
    「そうなんだ。大変」
     さすがに初対面の人に父親にパソコンを壊されたと言うのは気が引ける。
     彼女がスマホを見た。
    「うへ。あたしそろそろ行かなきゃ!」
     メグルが急いで荷物をまとめ出す。
     何か用事があるらしい。
     大和は少し寂しい気がした。
     教室を出て行くとき、メグルは大和の顔を見て言った。
    「そうだ、連絡先交換しよ」
     
     学校に残れるギリギリの時間まで作業をして、大和は駐輪場に向かった。
     比較的家が近く、彼は学校まで自転車で通っている。
     片道20分。ちょっとした運動だ。
     スマホを開くと、メグルからメッセージが届いていた。
    〈あたしのオススメ曲、聴いてみて!〉
     添付されたURLをクリックすると、キラキラした音楽が流れ始めた。何かのアニメの曲みたいだ。
     イヤホンを着けて、聴きながら自転車を漕いだ。
     
     大和には友達がいない。
     人と関わりたくないと思って入学した手前、自分から誰かに話しかけようなんて微塵も思わなかった。
     気づいたときには一人ぼっちになっていた。
     人と関わりたくないと思っている人間にかまってくれるほど、世間は優しくない。
     別に最初はそれでいいと思った。
     イジメられるより100倍マシだ。
     だけど、通信制の学校は思ったよりずっと時間があった。
     いつしか彼は暇を持て余すようになった。毎日ゲームばかりしている自分にうんざりしてきていた。
     特定班に参加したのはその頃。人間、暇だとろくなことを考えないものだ。
     特定班に実体はない。変な話、各々が有志でやっている。
     大和は特定班に参加して、その一員になった気がした。仲間がいると錯覚していた。
     そして、知らない誰かをいち早く特定することで、自分は他の誰かよりも有能だと思うことができた。
     特定される側にとってはたまったものではない。
     だけど、世間様に迷惑をかけたのだから、その代償を支払わせるのは当然のことだ。
     言ってみれば、ネット上の警察みたいなものだ。そう思っていた。
     自分が特定した本人が同じ学校に転校して来るまでは――。
     学校で見た八幡カレンは普通の女の子だった。ただ、彼女はいつ見ても無表情だった。
     本来ならば、彼女は東京の有名進学校に通って一流大学に進学していたのだ。
     こんな田舎の学校に来る必要なんてなかったのだ。東京で暮らしていれば、笑顔がなくなることもなかった。
     すべては大和のせいだった。自分は誰かの人生を狂わせてしまった。
     大和はカレンを陰ながら見守ることにした。
     特定班の逆。せめてもの罪滅ぼしだ。
     決して、ストーカーではない。
     あの日、図書室で結奈とカレンが初めて接触したときも、大和はカレンを見守っていた。結奈が何か酷いことを言うのではないかと警戒しながら見ていた。決して、ストーカーではない。
     まさか、二人と行動を共にするとは思っていなかった。
     二人は学校で浮いた存在だったけれど、他人からどう見られるかなんてまったく気にしていなかった。
     大和はそんな二人のことが羨ましかった。
     彼女たちと一緒にいる時間はとても楽しかったのだ。
     自分が特定班だとバレた日以降、本当に三人で集まることはなくなった。
     校内でカレンや結奈をちらっと見かけることはあっても話すことはない。
     大和は再び一人になった。
     カレンに突き放されてからの孤独は、以前の孤独よりもずっとキツイものだった。
     
     家に着くと、すでに夕飯の支度がしてあった。大和は急いで自分の席に座った。
    「遅い」
     父親は変なこだわりがあって家族みんなで一緒にご飯を食べないと癇癪を起こす。
     食事中は父親の話に母親が適当に相づちを打った。
     大和は始終黙っていた。いつものことだ。
     夕飯を食べ終わると、大和は逃げるように、二階の自分の部屋に籠った。
     以前は部屋でずっとパソコンをいじっていられた。しかし、今はパソコンがないので、そうもいかない。ゲーム製作の続きもできなかった。
     ふと思い立って、スマホでメグルに曲を聴いた感想を送った。
     すぐに返信があった。
    〈え! もう聴いてくれたの! 嬉しい!〉
     しばらくとりとめのないやり取りをしていると、
    〈パソコンないと暇でしょ?〉
     というメッセージが届いた。
     同時にスマホが震えた。通話だ。
    「やほー」
     スマホからメグルの声が聞こえた。
    「一緒にゲームやろうよ」
     メグルがゲームの画面を共有してくれた。
     大和が教えたゲームをさっそくダウンロードしてくれたらしい。
     彼女がゲームをしているのを眺めながら、だらだらとお喋りをした。ゲームがあれば、大和も饒舌になれる。
     気づいたときには日付が変わっていた。
    「ご、ごめん。こ、こんな時間に」
    「ううん。全然大丈夫。てか、明日も話そ」
     翌日、二人は同じようにゲームをしながら通話をした。そのまた翌日も。学校でも放課後のパソコン室で。
     大和の日常にメグルと過ごす時間が組み込まれた。
     彼女の声を聞くだけで、大和の心は穏やかになった。
     ずっと彼女と話していたい、いつしか彼はそう思うようになっていた。

     一ヵ月後、彼女からの連絡がぱたりと止んだ。
     こちらから連絡をしても一切返事がない。
     一体どうして? 大和は不安になった。
     何か彼女の気に障ることを言ってしまったのかもしれない。
     そう思って、謝罪めいた内容のメッセージを送ってみたけれど、反応はなかった。
     そもそもメグルはとても可愛い。
     彼氏の一人や二人いてもおかしくはないのだ。
     今まで自分なんかの相手をしてくれていたことが奇跡なのだ。
     そんなことを考えていたら、だんだん気が滅入った。
     夕方、父親がソファに座って酒を飲みながらテレビを見ていた。
     今シーズン、大谷選手はすでに××本目のホームランですとアナウンサーが興奮しながら言っている。
    「大谷は凄いなあ。お前もゲームなんて作るのやめてちゃんと勉強しろ。バーチャルにいくら時間使ったって意味ないんだ」
     酔払って顔を赤くした父親が大和に向かって言った。
     頭にかっと血がのぼるのがわかった。
    (あんたがパソコン壊したから作れないだろ!)
    (野球だってボール打って遊んでるだけだ!) 
     そんな風に怒鳴れたら楽になれたかもしれない。
     もちろん、そんなことはできなかった。
     バタンッ!
     大きく音を立てて部屋のドアを閉め、大和は家を飛び出した。それで精一杯だった。
     外はすっかり暗くなっていた。
     どこにも行くとこなんてなかった。
     仕方ないので、自転車に乗って家から少し離れた公園に向かう。
     夜の公園には誰もいなかった。
     一人ブランコに座ってスマホを取り出した。
    〈家で死ぬのと、家出して死ぬの、どっちが親に迷惑かかるかなあ笑〉
     フォロワーがほとんどいないSNSのアカウントでそうつぶやいた。ちょっとダジャレっぽくて笑える。
     スマホが震えた。
     父親からの電話なら無視しようと思った。でも、違った。
     メグルからのメッセージだ。心臓の鼓動が早くなった。
     彼女から、一枚の画像が送られてきていた。
     ハシビロコウ?
     灰色の大きな鳥だ。
     特徴的な大きなくちばしを持っていて、ほとんど動かず獲物を待つ姿から「動かない鳥」と呼ばれている。
    〈何これ?〉
     とだけ返す。
     すぐに返信があった。
    〈何って、ハシビロコウだよ。てか、ごはん食べた?〉
    〈まだだけど……〉
     そういえば、家を出てきたのは夕飯を食べる前だった。大和はお腹が減っていることに気づいた。
    〈何か食べ行こ〉
     見覚えのある紫色の看板。
     駅で合流したメグルが行きたいと言ったのは駅前のファストキングダムだった。よりによってこの店とは。
     カレンや八幡先生と鉢合わせしたら嫌だな。
     そう思って大和は店内をキョロキョロとうかがった。どうやら大丈夫そうだ。
     二人は一階席に座った。
     テーブル席に向かい合わせに座って、ハンバーガーを食べる。
    「で、何があったの?」
     メグルが訊いた。
     その目はどこかギラギラしている。
    「じ、じつは……」
     大和はつっかえながら父親にパソコンを破壊された話をした。
     自分は父親が苦手だという話もした。
     これまで父親から受けてきた仕打ちの数々を打ち明け、誰にも相談できなくて、ずっと孤独だったという話をした。
     話しているうちに感情が高ぶって途中から涙が溢れた。
     メグルはずっと黙ったまま話を聞いてくれた。
     そして、大きな瞳でじっとのぞき込んだ。
    「大和君のお父さんは、いわゆる毒親だと思う」
     毒親?
     急に出たパワーワードに大和はショックを受けた。
    「そ、そうなの?」
    「絶対そうだよ」メグルは瞬きせずに言う。「大和君は、何にも悪くない」
    「そ、そうなのかな」
    「だから……お父さんの言うことなんて聞く必要ない」
    「う、うん」
     メグルは初めて自分のことを理解してくれた人だ。
     そんな彼女が言うのだ。間違っているわけがない。
     父親の言うことなんて聞く必要はない。
    「わ、わかったよ」
     メグルの表情が優しくなった。
    「じゃあ、代わりにあたしの言うことを聞いて」
    「う、うん」 
     もちろん、その方が良いに決まっている。
     彼女の言うことはすべて正しい。  
    「これからは、あたしの言うことだけを聞いて」
     そうだ、彼女の言うことだけ聞いていればいい。
     メグルがいれば……、
     もう他に何もいらない――。
    「あのー、ちょっといいですかね?」
     突然、後ろから女の子の声がした。
     振り返ると、そこには結奈が座っていた。奥にはカレンもいる。
    「誰?」
     メグルが大和に向かって言った。
    「う、うーんと」
     大和は説明に困った。元友達?
    「あんた、この女のこと本気で信じてるわけ?」
    「ほ、ほほっといてよ」
    「これ、見てみ」
     結奈がスマホ画面をちらつかせた。

       洗脳ちゃん
       男子高校生を奴隷栽培しています。

     そこには見覚えのないSNSのアカウントが表示されていた。なんだこれ。
    「あんた特定班なんだから、このアカウントの身元を特定しなさいよ」
     一体何を言ってるんだ。
     大和は取り合うつもりはなかった。しかし、そこには見覚えのあるゲーム画面が映っていた。
     大和のゲームだった。
    「この、クソつまんねえって言われてるゲーム。あんたが作ったゲームじゃないの?」
     本当だ……大和が二人にプレイしてもらったゲームだ。
     大和は結奈の手からスマホを奪って、スクロールして他の投稿も見る。
     どれもこれも大和とのやり取りばかりだ。
     メグルは大和とのやりとりをすべてネットに晒していた。
    「ど、どどうして、こ、こんなこと?」
     大和はメグルを見て言った。
    「インプレッション稼ぐために決まってんじゃん。そのためには何をしたっていい。世の中そういう仕組みになってるでしょ?」
     さっきまで天使に見えていたメグルがいまは悪魔のようだった。
    「うち兄妹が多いの。父親は大学行きたけりゃ自分でパパ活でも風俗でもして稼げって言うの。信じられる? 母親は母親でバブルの頃は良かったーなんて言ってるだけ。でもそれがヒントになった。アッシーくん? メッシーくん? ミツグくん? そういうの私も自分で作ることにしたの」
     メグルが不敵な笑みを浮かべていた。
     ショックで大和は言葉を失っている。
    「大和さんが自殺でもしたらどうするつもりだったの?」
     カレンが口を開いた。
    「そこは上手くやるわよ。腕の見せドコロ」
    「なるほど。死んじゃったらタイパ悪いか」
     結奈が言った。
     なんかもう一人悪魔がいる。
    「見てる人たちも犯罪にならないすれすれを楽しんでる。これだけ面白いコンテンツが溢れてても、結局リアルが一番楽しいってこと」
     結局リアルが一番楽しい。
     その感覚は元特定班だった大和が一番、身をもって知っていた。
    「あー、なんかシラケた。帰る」
     そう言ってメグルは席を立った。
     引き止めて問い詰めるべきだった。
     でも、身体から力が抜けて何もできなかった。

    「大丈夫?」
     放心状態になった大和を見て、カレンが声を掛けた。
    「う、うん。あ、ありがと」
     思えば、かつての自分もカレンに同じようなことをしたのだ。
     それにもかかわらず、カレンは自分の心配をしてくれている。
     大和はそんな彼女の姿に感動し――、
    「いやあ、なんか白熱したね!」
     結奈が興奮して言った。
    「良かった。今のバッチリ録音できてるわよ」
     カレンが隠してあったスマホを確認する。
     なんかめちゃ楽しんでる……。
    「ウチ、このアカウント前から知ってて。たまたま見てたら知ってるゲーム画面が出てきてビビった。で、洗脳ちゃんが今晩仕上げってポストしてるじゃん? 大和奴隷になりそうなんですけどおって思って、カレンっちにそっこー連絡したんだよね」
    「私もビックリしたわよ。結奈さんから連絡が来たすぐあとに、ちょうどおじさんから大和がデートしてるってメッセージが送られてきたんですもの」
     八幡先生……いたんだ。
    「そうだそうだ。他の奴隷さんたちも解放してあげないと。他のアカウント、あんただったらすぐわかるでしょ?」
    「え、あ、たぶん」
    「奴隷解放しましょうか」
     ほらほら早くとどやされ、大和は他の高校生のアカウントを特定して、先ほどの音声データをDMで送った。
     相変わらず、二人は大和に優しくなかった。
     かと言って、意地悪というわけでもない。不思議な関係のままだ。
    「思ったんだけど、こいつを助けたのって、めっちゃタイパ悪くない?」
    「マイナスでしかないわね」
    「ウチら友達でもないのにね……」
    「そうね、解散しましょ」
     やっぱり訂正。
     彼女たちは意地悪だ。
     でも、それで良かった。
    「な、仲間になろう!」
     珍しく大和が大きな声を出した。
    「仲間?」
    「ワンピースみたいな?」
    「お、同じ目的のために集まった仲間だよ」
    「目的って何?」
    「ふ、ファックな世界に、な、中指を立てるんだ」
    「結奈さんみたいに?」
     カレンが小さい声で言った。
    「おつかれー」
     絶妙なタイミングで八幡先生が現れた。ハンバーガーやらポテトやらが載ったトレイを手にしている。
    「ひさびさの再会だねえ。あれ? 大和の彼女は」
     八幡先生はテーブルにトレイを置いて言った。
     一同沈黙。
     何とも言えない空気になる。
     すかさず、結奈がハンバーガーに手を伸ばした。
    「あ、これ食べたかったやつ!」
    「私にも、ちょっとちょうだい」
     二人は新発売のハンバーガーを上手に分けて食べ始めた。
    「そういえば、英語のカンパニーってラテン語でパンを分け合う仲間って意味なのよ」
     急に思い出したようにカレンが言った。
     会社か。
    「ウチらのことじゃん!」
    「パンっていうか、ハンバーガーだけどね」
    「そうだ。ウチらで会社作らない?」
     結奈が声を上げる。
    「か、かいしゃ?」
    「そう! このファックな世界に中指を立てるような会社」
    「いいわね。普通じゃない。面白い経験ができそう!」
     カレンも賛同する。
     二人がノリノリで話す様子を、大和は呆気に取られながら見つめた。
    「で、あんたはやるの?」
     突然、結奈が大和を見た。
    「仲間って、大和さんが言い出したんじゃなかったっけ?」
     カレンも目を細めて言う。
     大和はテーブルの上に置いてあるハンバーガーに手を伸ばし、包み紙を剥がした。
    「や、やるよ!」
     そう言ってハンバーガーにかぶりついた。

    4、とっぷおぶざふぁっきんわーるど!

     八幡アキラの朝は遅い。
     毎日、日が傾いた頃、彼は一人でむくっと起き上がる。
     窓を開けると、電車の音。
     もうすっかり街は動き出している。
     というか、普通に勤めている人ならば、すでにお昼を食べ終わっている時間である。
     数年前、仕事場として、この駅近のマンションの一室を借りた。作家として軌道に乗ってきたタイミングだった。
     最初は仕事部屋のつもりで借りていたが、しばらくすると、通うのが面倒になって、ここで寝泊まりするようになった。
     いつでも戻れると高をくくっていたら、姉と姪っ子が実家に住むと言い出したので帰れなくなった。
     ずっと就職せずに子供部屋おじさんを貫いていた彼が独り立ちした瞬間だった。
     アキラは自分の姉が苦手だ。
     彼女はこうと決めたことを絶対に曲げない。とにかく、頑固な女なのだ。子供の頃から喧嘩ばかりしていた。
     今でも彼女はアキラの顔を見れば、「ちゃんと働け」としか言わない。だから、なるべく実家には近づかないようにしていた。
     それにもかかわらず、姉の娘、姪っ子のカレンには異様に懐かれていた。言ってみれば、姉という共通の敵が二人を近づけたのかもしれない。
    「やばい。もうこんな時間だ」
     今日はその姪っ子に呼び出されていた。
     カレンとその学校の友達。
     地雷系の結奈と、ゲームオタクの大和だ。
     謎の凸凹トリオ。
     アキラはいつか、この三人組を題材にした小説を書きたいと思っている。
     
    「へえ、面白いね」
     三人が用意した企画書はとてもしっかりとしていた。
     少し緊張した様子で、目の前に三人が座っている。
     場所はいつものファストキングダムだ。
    「ありがとう」
     カレンが笑顔を作った。
     彼女たちはなんと、これから三人で会社を作るつもりらしい。インディーゲームを作る会社だ。
     記念すべき第一作目は、地雷系少女が活躍するスプラッターアクションゲームらしい。なかなか奇抜なアイデア。
    「キャラクターデザインは、ウチが担当しました!」
     地雷系ファッション愛好者の結奈が言った。
     資料には彼女が描いたキャラクターのイラストが添付されている。
     プレイヤーが自由に着せ替えをして楽しめるように、服装は何種類も用意するつもりらしい。
    「なかなか本格的だね」
    「最近は、ちゃんとデザインの勉強してるからね」
     結奈がドヤ顔になる。
     喧嘩でもしたのか、ちょっと前まで三人は疎遠だった。
     その間、各々思うところがあったのだろう。
     アキラは勝手に想像を巡らせ、胸にじんわりと込み上げるものがあった。歳のせいか。
    「それにしても……」
     この主人公はどう見てもカレンだった。
    「だって、カレンっち、地雷系の格好してくれないんだもん! だから、無理矢理ゲームの中で着せちゃった」 
     カレンはやれやれといった表情をしている。
    「それで、ゲーム全体の設計は大和が担当するんだね」
    「こ、今作もアンリアルエンジンを使って制作します。アンリアルエンジンを使うことによって、リアルなライティングや影の表現が可能になります。それによって、より没入感のある世界観を作ることが――」
    「あー、はいはい。わかった、わかったから」 
     唐突に結奈に遮られる。
     大和は普段口下手だが、スイッチが入ると止まらなくなる。典型的なオタクだ。
    「で、カレンは何するの?」
    「私はシナリオ担当」
    「シナリオライターってわけか。どれどれ」
     アキラは改めてゲームのあらすじを眺めた。
     主人公は斧や日本刀を駆使して、極悪弁護士や変態配信者、マインドコントロールしてくる少女たちと闘うとある。どれもなんだか聞き覚えのある設定だ。
     主人公が敵をメッタ刺しにすると、鮮血がブシューっと溢れる描写。この表現なんかは往年のスプラッター映画を参考にしていそうだ。
    「面白いじゃん」
    「ありがと」
     カレンが二人と会わなくなってから、一度ここで話したことがある。
     どうして喧嘩したのか、理由は訊かなかったが、彼女はなぜか高校生のうちにデビューすることに強くこだわっているようだった。
    「そんなに生き急がなくたっていいんじゃない? 夏目漱石がデビューしたのは38歳だし、松本清張がデビューしたのだって40歳のときだ」
     そんな説得じみたことを言ってみたけれど、あまり響いてはいないようだった。
     アキラが思うに、彼女は父親に対して、ねじれ曲がった感情がある。
     だけど、自分からは何もできないでいた。姉に似て頑固な子なのだ。
    「お父さんに、電話でもしてみればいいじゃない」
    「別に……話すことないし」
     そう言って彼女は浮かない顔をしていた。
     だけど、今日、目の前で話すカレンはちょっと違った。 
    「で、僕は何を、すればいいのかな?」
    「出資してくれないかしら?」
    「出資?」
    「他に頼めそうな大人いないからねー」
    「ほとんどの大人は反対するでしょうね」
     確かに。ついこないだ三人は高校三年生になったばかりだ。進路のこともあるだろうし、なかなかこの時期に会社を作ると言って賛同してくれる大人はいないだろう。
     だから、自分に話を持ち掛けたわけか。
     アキラは自分がある意味特殊な存在だということを認識していた。
    「別に……いいけど。何にそんなにお金がかかるんだい?」
     アキラにはゲーム開発の知識は全くなかったが、簡単なゲームを作るくらいなら、それほど費用はかからない気がした。
    「とりあえず、パソコンを買うわ」
    「じゃないと始まんないよねー」
     そうか。大和のパソコン、壊れてるんだったな。
    「会社の持ち物となれば、大和さんのお父さんも簡単には手出しできないと思うわ。会社の持ち物を意図的に壊したら器物損壊罪に問われる可能性があるし、業務が妨害されたと判断されれば、偽計業務妨害罪や威力業務妨害罪が適用される可能性があるわ」
    「カレンっち、お父さんに電話したんだよね。その時、いろいろ訊いてくれたの」
    「うん。案外元気そうだったわ」
     ちょっと前までただの子供だった姪っ子が、いつの間にか大人みたいな顔をしていた。
    「いいじゃん。今しかできないことをしなさい。ところで……」
     アキラは企画書に記載されているゲームタイトルを眺めた。
    「女の子が多い会社なのに、タイトルにファッキンって入ってるのは、どうかと思うけどなあ」
    「ほら、やっぱり変えた方がいいんじゃない?」
    「いやいや、これくらいインパクトがあった方がいいんだって!」
     カレンと結奈がタイトルについて言い合いを始めた。その隣で大和は何やらブツブツ言いながらメモを取り出した。
     アキラはそんな三人を黙って眺めていた。
     

     
     
    野良の作家。現代日本を舞台に「生きる意味」や「人との繋がり」をテーマに小説を書いています。 読みやすくて、クスっと笑える、だけど、ちょっと考えさせられる作品を目指しています。

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