
僕の昭和バイク史 その18(僕のカワサキ750RS)
事前審査は、前後バンパーの付いた、50年式いわゆる「青玉」の"カワサキ750RS"。岐阜の8の字引き回しは、坂道発進の坂を使って行われていました。当時の岐阜試験場の坂道は「T」の字になっており、3箇所の坂があるものでした。
少し記憶は曖昧ですが、坂道の下から坂道の頂上まで押し上げ、90度左折してブレーキで調整しながら坂道を下り、もう一度正面の坂の入り口に戻り、もう一度押し上げて、今度は右折して坂を下り、出発位置に戻る、といった過酷な物でした。
そのため体力の無い女子には事前審査も難関で、事前審査を通過できない人も多くいたかと思います。自分は充分訓練を積んで来ているので難なくクリアー。初回受験者の、午後からの本試験に備えます。
そして運命の1回目の試験。バイクはホンダCB750K。個人的には軽いホライゾンが好みでしたが、CB750FⅡよりは随分マシです。しかし試験官は、当時一番厳しいと言われた、柔道家の様な体型をした教官。
6度も中型試験に通い、のべ500人以上の限定解除試験を見学して、コースの暗記も、イメージトレーニングもバッチリ。もう慣れっこになった、心地良い緊張感を味わいながらも、本試験の開始です。
厳しい練習の成果を生かし、慎重に、しかし加速にはメリハリを付け、試験官の目を意識して、大袈裟な安全確認と、スムーズな左折を意識して走ります。一番の難関は、坂道発進からの、坂の頂上での左折。そしてそれに続くクランク。
初回は一本橋〜波状路まで来られたら上出来かと思ってましたが、そこを越えても試験終了の合図は無く、最後の急制動まで到達。そのまま出発地点に戻り、なんと初回にして完走を果たしました。
「完走しちゃって幸先良いな」と思いつつバイクを降りて試験官のところに行きますが、「じゃ免許証出して」の言葉に、一瞬何が起きたのか理解が出来ませんでした。
「免許証出して」は合格の印です。全く予想してなかった展開に、あたふたしながら尻ポケットの免許証ケースを取り出し「早くしないと試験官の気が変わる」と焦りながら免許証を取り出し、震える手で試験官に渡しました。
「はい。じゃあ合格です」
この言葉が貰えるまでは、信じられませんでした。
その後は放心状態。恐らく引率の先生からも、一緒に受けに来ていた教習所の仲間からもお祝いの言葉が有ったのでしょうが、全く覚えていません。ただ、乗せて来てくれた先輩が「用事が出来たから帰る」と、機嫌を悪くして帰ってしまった事で、「これは他人に自慢する様な事じゃないんだ」と、後々自分を戒める元になりました。

かくして自分も念願の限定解除を果たし、8月中にもう一度宿泊でクラブツーリングを行いました。周ちゃんにとってはZ2との、俺にとってはSR400との最後のツーリングです。お互い3〜4ヶ月の短いオーナー期間でしたが、今も写真を見ると、その時の楽しい想い出が鮮やかに蘇って来るのです。
そして1985年8月26日。自分は夢だった"カワサキ750RS"のオーナーとなりました。それから40年以上、世の中の流行り廃りに流される事無く、ただこのオートバイが好きで、あの時と同じ気持ちのまま、このRSに乗り続けて来ました。
その美しいスタイルは、どれだけ眺めても見飽きる事は無いし、充分過ぎる性能は、どれだけ乗っても乗り飽きる事はありません。
これが自分が2026年現在も大切に乗っているRSとの出会いと馴れ初めです。あの時周ちゃんに断られていたら、いまこのRSは自分の手元にはありません。また、周ちゃんがこうやって代わりに買ってくれたものじゃなかったら、こんなに大切に長く乗り続けて来なかったかもしれません。
ただ単純に売っていたバイクを買った訳じゃない。これは、自分が欲しくて買いに行った訳じゃないのに、友達にどうしてもと頼まれたから買ってくれたという、男の心意気と、友情の証なのです。
若干19才でこんなバイクに出会えた事。そしてそれを大切に40年間も乗り続けられた事。Z一筋で来られた事は幸せだったと感じる反面、もしかしたら、いわゆる世の中の"スーパースポーツバイク"や"魅力的な外国車"を知らずに来た事は、不幸な事だったのかもしれません。
だけど自分には、自動車の免許を取得してからも、一度もバイクからは離れず、ずっと走り続けてきた自負があります。石の上にも3年ならぬ、"Z2の上にも40年"という、他の人より幸せなバイクライフを過ごして来られたんだと思っています。
そしてそれは、まだまだ続いて行くのです。
周ちゃんはその後、