メインコンテンツへスキップ

私のオリエンタルブルー

    あらすじ


    離婚を機に、主人公の瞳(ひとみ)は、かつて訪れた長崎・外海の美しさに心震わせ、自らの人生を見つめ直す。
    コロナ禍でスペインへの渡航が叶わぬ中、彼女は絵画教室の「先生」と出会い、その凛とした姿と芸術への真摯な眼差しに強く惹かれていく。
    デッサンを通じ「物事の本質を捉える」ことを学んだ瞳は、誰かに愛されることを求めず、自らの内側に「火」を燃やし続ける愛の形を見出す。
    届かぬ想いと、先生が選んだ色「オリエンタルブルー」を胸に、彼女は憧れの地スペインへ。
    叶わぬ恋の切なさを手放すことなく、その想いとともに、ただ自分らしく生きる道を歩み始める。届かぬからこそ美しい、一人の女性の静かな情熱の物語。
     



    外海

    外海(そとめ)は、悲しいくらいに美しい。
    日本にこんな場所があるなんて、知らなかった。 長崎市内からバスで1時間ほど、山を越えて外海に辿り着いた。
    遠藤周作文学館の窓から角力灘(すもうなだ)を眺める。
    角力灘へと沈んでいく夕日が美しすぎて、悲しいことなんて何もないのに、涙があふれてくる。
    美しさがこんなにも感情を刺激することを知った。
    そして、この場所は、私を独りにして、それでも見守ってくれているような気がする。
    かつてここは、潜伏キリシタンの隠れ家だった。
    実際にこの地に立つと、その理由がよく分かる。背後を険しい山に囲まれ、目の前には荒々しい海しかない。
    さっき訪れた教会のスタッフから、ド・ロ神父の話を聞いた。 十九世紀の終わり、フランスの名門貴族の出身だった神父は、この地に降り立った際、あまりにも貧しい人々の暮らしに言葉を失ったという。神父は、今のお金に換算すれば何億円という莫大な私財をすべて投じて、人々の救済に身を捧げた。
    「ド・ロ様」と親しまれた神父が教えたのは、神の教えだけではない。マカロニやパンの製法、医療、建築、さらには織物まで、生きていくためのあらゆる技術を人々に授けた。そして、一度も母国フランスへ帰ることなく、この地で一生を終えたのだ。
    それが神父としてのミッションだったと言えば、それまでかもしれない。けれど、遠く西欧からやってきた彼に、故郷を想う寂しさがなかったはずはないだろう。 郷愁を胸の奥に閉じ込め、日本で骨を埋める覚悟を決めた神父の気持ちを思うと、私の胸の中にも複雑な感情が入り混じる。
     
    私が外海を訪れたのは、ここが遠藤周作の小説『沈黙』の舞台だったからだ。一度、その場所を見てみたかった。そして、この地に立つ遠藤周作文学館を訪れることも、今回の大きな目的だった。

    私が「沈黙」を読んだのは、長崎が舞台だと言うことと、
    その著書が出版当初、カトリック教会から強い批判を浴びたと何かの記事で読んで、その理由への好奇心からだった。
    信仰について何の知識も持たない私にとって、それは少々難解だった。なぜそこまで激しい批判が起きたのか、本を読み終えた今でも、その本質を理解できているとは言い難い。
     
    以前、博物館で目にした、昭和初期に「オラショ(祈り)」を捧げる男性の古いビデオが忘れられない。1865年の「信徒発見」よりはるか前から、何百年も途絶えることなく受け継がれてきた祈り。迫害されてもなお守り抜きたかった信仰とは、一体どんなものだったのだろう。貧しい日本の土地で、マリア様や賛美歌といったヨーロッパの「洒落たムード」が、絶望の中にいた人々の心を掴んだ側面もあったのではないか。勝手だと思いながらそんな想像をした。
     
    もともと長崎は、数年前に平和活動で訪れたのが最初だった。一度でその魅力に引き込まれ、以来、何度も足を運ぶリピーターになった。異国情緒あふれるあの独特の雰囲気が、私を惹きつけて離さない理由の一つだと思う。
    長崎では、行くたびに新しい発見があった。 初めて訪れたときは、軍艦島に上陸した。軍艦島なんて場所があることを、数年前までは知らなかった。テレビやネットで見るようになって、こんなところがあるのだ、かつてここで人が働き、暮らしていたのだと知った。実際にその場所に上陸できるというのは、どこか不思議な気持ちだった。
    軍艦島に上陸したのは、夏の真っただ中で暑い日だった。帰りの船で船会社が用意してくれた冷たいおしぼりと冷たくて甘くて長崎らしいカステラアイスがありがたかった。
    外海も、軍艦島も。 長崎には、私の知らない、けれど確かに誰かが生きてきた時間が積み重なっている。
    外海の夕日は、そんな私の心も、この地に刻まれた人々の記憶も、すべてを受け止めてくれるような気がした。悲しすぎる美しい場所、外海。

    悶々の日々から離婚へ

    その頃の私は、悶々とした日々を過ごしていた。若いころに出会い、結婚した夫と離婚することを決めていた。私の決意は夫には悟られないようにしていた。離婚するための準備は用意周到にする必要があったからだ。
     
    しかし離婚の決意はしたものの、その方法について途方に暮れていた。
     
    いくつかの弁護士事務所の初回無料相談に足を運んだが、どの弁護士も一様に「夫が同意しない限り、今の状況での離婚は難しい」と首を振った。中には、「離婚が認められるほど酷いことをされているわけではないですからね」と言う弁護士さんさえいた。
     
    正気かと思った。どれだけ酷いことされたら、公的に離婚が認められるのか。
     
    世の女性たちは、これ以上に過酷な地獄に耐えているというのか。 ストーカー被害や家庭内暴力のニュースを見れば、加害者は男性、被害者は女性という構図ばかりが目に付く。
     
     
    私の頭の中には、私だけのブラックリストを作っている。私の敵となれば、このブラックリストに追加される。順位もついている。その順位は、相手が私に何か「いいこと」をしたり、あるいは害がなくなったりすれば下がることもあるが、一度載った名前を完全に消去するのは、相当の善行を私にしない限り難しい。もしくは生まれ変わるか。
    だいたいは職場の嫌な上司が入っていた。
    「復讐心なんて何も生まない」と世間は言うけれど、それは正しい。正論だ。でも一方で綺麗事だと思う。
    理不尽な悪意を笑って受け流せるほど、私はできた人間ではない。それをやったら、私の精神はストレスでパンクしてしまう。ブラックリストは、私が私であるために防衛するための不適切ではあるが必要なリストなのだ。

    私の夫もいつからか、このブラックリストに入っていた。 そして、彼はそこから二度と消えることはなかった。それにしても、夫がブラックリストに入るというのは、一体どういうことなのだろう。 本来、一番の味方であるはずの伴侶を、自分が密かに裁き、順位をつけ、監視の対象にする。その時点で、もう一緒に生きていくことなんて不可能なのだ。
     
    弁護士事務所を訪れたものの、どの先生も、芳しくない返事だったので。頼みの綱を失った感じがして、がっかりして、袋小路に入ってしまったようだった。浮気でもしてくれればと思った。
     
    そんな悶々とした日々に結論が出る日がくるとは、このときは、焦りばかりあって、想像もできなかった。
    毎夏、夫婦で旅行に行っていた。側から見たら、仲のいい夫婦に見えたであろう。
    でも、その年の夏。私は例年通り夫婦で行くはずだった夏休みを、一人で過ごすことに決めた。 「長崎に行ってくるね」 そう言い残して向かった外海の風景は、私に静かな覚悟をくれたけれど、離婚への具体的な道筋は見えないままだった。
     
     
    外海の旅から帰宅した夜のことだ。 旅の余韻を台無しにするかのように、夫がいつもより早く帰宅した。
    帰宅後、彼はリビングのテーブルにスマホを置いたまま、何かを取りに部屋を出た、その刹那だった。 暗い画面が、不意に光った。
    『冬美の好きなところなら、どこでもいいよ』その後に「冬美」なる女からの甘えた返信、紛れもない、浮気の証拠だった。
     
    私の心臓は、高鳴った。 それは悲しみではなく、純粋な「歓喜」だった。
    (落ち着け。今、悟らせてはならない。チャンスが来たのだ)
    自分に言い聞かせながら、平静を装いその証拠を脳内に焼き付けた。夫はいつも、自分の潔白を証明するかのようにスマホを無防備に置いていた。今考えれば、「僕は潔白だ」と言わんばかりに、スマホをわざと無防備に放り出してアピールしていた。その慢心こそが、私に届いた最高のプレゼントだった。
     
    その浮気の発覚が決定打となり、私の離婚はようやく成立した。
    煩雑な事務手続きや証拠取得の苦労は山ほどあったが、とにかく離婚は成立して私は再びの独身になったのだ。
    離婚後の姓は、そのまま夫の姓を使うことにした。
    旧姓に戻す選択肢もあったが、銀行口座からカードの名義変更まで、ありとあらゆる手続きに時間を割くことが億劫で我慢ならなかった。
    何しろ、私は自分の旧姓が好きじゃなかった。
    そんな理由で、私は引き続き「赤沢瞳(あかさわ・ひとみ)」で行くことにしたのだ。
     
    私の人生に離婚があるなんて考えもしなかった。それはただの思い込みなのであるが。
    私の中では結婚を完璧に実行し、幸せな家庭を築かなければならないという義務感があった。
    私の親の夫婦関係は最悪だった。結局は還暦過ぎたあたりに離婚するのだが。
    (まともに夫婦もできないの?)
    (私は、あなたたちとは違う。もっとうまくやってみせる)
    と冷めた目で争いが絶えない親を見ていた。だからこそ、私は結婚を成功させなければならなかった。不仲だった親に対して、「私はこんなに立派な家庭を築けた」と見せつけ、証明したかっただけなのかもしれない。
     
    そんな思い込みを捨てて再び独身になったことで、私は新しい何かになれる気がした。
     

    出会い

    私は東京近郊の郊外の街に住んでいる。結婚してから買った建売の戸建てだ。離婚を機に売却も考えたが、結果として丸々残っているローンを私が引き受けて買い取った。
    独りになって、ようやく自分のための時間が手に入ったけれど、世の中はあいにくコロナ禍の真只中だった。
    実は、離婚が成立したら、スペインへ旅行に行こうと決めていた。
     
    スペインには大学の卒業旅行で一度訪れた。
    その街に降り立ち、数日すると、咳き込むほど乾いた空気、石造りの美しい街並みに魅了された。
    でもどこかに懐かしさのようなものも感じたのだ。
    光あふれる彼の地をずっと夢見ていたのだ。
     
    けれど、感染症の拡大で行き先を失い、いつ行けるのかさえ分からなくなってしまった。
    溜息をつきそうになったけれど、ふと思った。 実際に行けないのなら、せめてスペインの風景を自分の手で描けるようになったら、少しは楽しいかもしれない。
    そんなささやかなきっかけで、私は近くの絵画教室の門を叩いた。
     
    体験レッスンの日、私は約束の時間に少々遅刻してしまった。 慣れない道に焦りながらようやく辿り着いた。
    「遅れてすみません、体験レッスンの予約をした赤沢です。」
    受付スタッフに名前を告げると、スタッフの女性が奥の教室まで先生を呼びに行ってくれた。
    「今、呼んできますね」
    スタッフが去ったあとのその場所で待っていた。すると、奥の教室から一人の男性がこちらへ向かって歩いてきた。
    それが、先生だった。
    先生に出会ったあの瞬間、もう私は、先生を愛していたのだと思う
     
     
    体験レッスンはデッサンだった。
    そこには、綺麗に削られた鉛筆が用意されていた。 芯が長く剥き出しになり、木片も長く削られ、その先は細く鋭く尖っている。私が知っている事務用の鉛筆とは、全く違うもののようだった。 「デッサンの鉛筆はこのように削るんです。鉛筆を寝かせて描きやすいし、面を塗るのも楽なんです」 先生はそう言って、私にその鉛筆を手渡した。
     
     
    そして先生は隣で、鉛筆の持ち方や、デッサンの基本となる描き方を丁寧に説明してくれた。
    一通り説明を終えると、先生は自分でも鉛筆を握り、教えながらさらさらと描き進めていった。
    デッサンする先生の姿があまりにも美しく、私は言葉を失った。
    デッサンを教わっているはずなのに、他のことに気を取られていた。そう、先生の存在に。
     

    入会

    私は絵画教室への入会を決め、体験の翌週から通い始めた。
    最初は、教室にシーズンごとに用意されるモチーフを題材にデッサンを練習することになった。
     
    最初に描いたのは、静物のリンゴと薪(まき)だった。
    リンゴはまだいい。丸みを描いて枝を添えれば、それ「らしく」は見えてくる。あくまで、らしく、でしかないけれど。
    厄介なのは薪の方だった。
    これといった特徴があるわけでもない木片は、その「らしさ」さえ掴ませてくれない。ごつごつとした無骨な手触り、複雑な木の質感、年月の刻まれた木目。
    白と黒の重なりだけでそれを再現しようとするほどに、本物は遠ざかっていく。
     
     
    この絵画教室は、美大を目指す若者たちが通う美術予備校に併設されている。
    私が通っているのは、その付属のような位置づけで、いわば大人の趣味のためのスクールだ。
     
    ときおり、薄い壁一枚を隔てた隣のクラスから、美術予備校の生徒と先生の会話が漏れ聞こえてくる。
    そこでは美術予備校の生徒の高校生や、中学生までもが、自分の進路、将来について真剣に語り合っていた。
    「将来はデザインの道に進みたい」
    「建築を学びたい」
    「大学ではこんな表現を追求したい」
    彼らは、自分自身の可能性を確固たる「目標」として先生方にぶつけている。
    先生方もまた、彼らを受け止め、アドバイスを送っていた。
    その輪の中にはもちろん「先生」もいた。
     
    みんな若いのに、本当にすごいなと、私は心底感心した。
    自分が彼らと同じ年齢だった頃、こんな風に将来のことを語れただろうか。
    その頃の私は、将来のことなんて真剣に考えたことなどなく、確固たる「目標」も持っていなかった。
    ただ漠然と、希望があっただけだ。
    それどころか、この年齢になってさえ、まだ惑っているんだから。
     

    そんな若さと確固たる決意をもって予備校に通う生徒の
    その彼らの絵にかける情熱と、私の絵への態度はきっと違う。
    だって、私にとっては趣味なのだから。
    そう思うと、同じ場所にいながら、少しだけ居心地の違いのようなものを感じることもあった。
    それでも先生は、私たちにも、教えられる限りのことを惜しみなく真摯に注いでくれているように感じた。
     
    先生もかつて、あの若者たちと同じように、芸術を志す決意を抱いた時期が
    あったのだろうか。
    その頃の先生に、私は会ってみたくなった。
     

    静寂の臨時クラス

    こんなふうに、始まった絵教室だったけれど、世間はコロナ禍で緊急事態宣言の煽りを受け、年末から始めた教室はずっと休講が続いていた。休講再延長の通知に肩を落としていた矢先、絵画教室から一通のメールが届く。「風景画を描く臨時クラス」のお知らせ。講師は、「先生」だった。
    クラス当日は、あいにくの雨だった。地方選挙の投票日でもあり、私は教室へ向かう前に投票所へ立ち寄ることにした。いつもなら閑散としているはずの場所は、入場制限のせいか外まで行列が延びていた。冷たい雨の中、傘を差して並びながら「応援している候補がいるからこそ、こうして耐えられるのだ」と、自分に言い訳をして時間を潰す。
    そして、その後に待っている「先生に会える時間」があるからこそ、私はこの雨も待ち時間も受け入れることができるのだ。
     
    教室に滑り込んだのは、開始五分前だった。
    受付には、いつもいるはずのスタッフの姿はなく、先生が一人だけで立っていた。その姿を見ただけで、素直に嬉しいという感情が込み上げてくる。
    休講中のアトリエには、驚くほど人の気配がなかった。入試を終えた予備校生も去ったあとだったのかもしれない。先生に招き入れられた広い部屋で、画材の説明を受ける。
    時間が過ぎても、他の生徒が現れる気配はない。
    (もしかして、私一人だけ?……だとしたら、なんてラッキーなんだろう)
    そんな風に素直に喜べる自分を、どこか愛おしく思う。
    普段のレッスンでは、絵に没頭して「無」になれる瞬間が心地よかった。けれど、この日の私に「無」など微塵もなかった。私の意識は、目の前の静寂に、そして先生の存在に、鋭く張り詰めていた。
     
    臨時クラスのテーマは、「風景画」だったため、題材とするためのA4のプリントが数枚用意されていた。
    国内の静かな風景や、海外の鮮やかな海、歴史を感じさせる石造りの建物。
    「こういうの用意しましたが、この中で描きたい風景はありますか?」
    先生はそう言いながら、そのプリントの束を私に丁寧に差し出した。
    私はそれを一枚ずつ、めくってみた。
    迷っている私に、先生は、
    「この中に描きたいのがなければ、他のものでもいいですよ。事務室で印刷してきますから」
    と、穏やかに言ってくれた。
    そして、彼はこう尋ねた。

    「どこか、行きたい場所はありますか?」
     「スペインに行きたいです」と私は即答した。

    先生は画像を探しに、すぐ隣の受付へと戻っていった。それから十五分。私は一人、アトリエで待っていた。壁を隔てたすぐ向こうに、先生の気配がする。
    効率や生産性ばかりを気にして生きてきた私にとって、この「気配を感じながら、ただ待つ時間」は何物にも代えがたい贅沢だった。
    戻ってきた先生の手には、数枚のスペインの風景写真があった。
    「細かいのが多くて、難しいかもしれないけれど……」
    そう言いながら、先生はバルセロナやラ・マンチャの風景を見せてくれた。その中にセゴビアの『アルカサル』を見つけた瞬間、私は「これにします」と指差した。
    本当は、自分のタブレットにも同じ城の画像を保存して持ってきていた。けれど、私はそれを隠した。先生が私のために探し、選んでくれた「その一枚」を描くことに、今の私は何よりの意味を感じていたから。
     
    「今日は、こんな画材はどうですか」
    描き始める前、先生は準備していたクレパスを差し出した。
    クレパスって子供の道具みたいだと戸惑った。
    けれど、先生の勧めに従って手に取り、実際に描いてみると
    軽やかな色、でも油絵のような重厚感があり、独特な雰囲気を生み出してくれた。
     
    下書きのレクチャーを終えると、先生は私の斜め向かいの椅子に腰を下ろした。
    彼もまた、波間に浮かぶ数艘の船を同じクレパスで描き始めた。
     
    先生がクレパスを動かす姿を、たまらなく見たかった。
    けれど、顔を上げれば視線がぶつかってしまう。
    私は伏し目がちに、ただその気配だけを追いかけた。
    クレパスが紙を擦る音と、油の匂い。
    時折、ビルの工事音が騒々しく響くけれど、その騒音さえも、二人きりの沈黙を埋めてくれる味方のように思えた。
    (このままでいたい。時間が過ぎないでほしい)
    それは、中学や高校の頃、放課後の教室で偶然好きな子と二人きりになったときのような、甘酸っぱくて、切ない感覚だった。
    この年齢で、少女のような心を思い出させるなんて。
    先生、あなたが、止まっていた私の時間を動かしてしまった。
     
     

    コロナ明け

    コロナ禍を経て、世の中は通常状態になっていった。
    やがて、街に人が戻り始める。止まっていたものが、少しずつ動き出す。


    ポストコロナでは、世の中は劇的に変わると言っていた人もいたが、私には何も変わらないように思えた。
    少しだけテレワークが定着した程度で、世の中は相変わらず人であふれていた。
     
    電車の混雑も、店のざわめきも、以前のように戻っていく。
    コロナなんてなかったように。コロナで世界は変わる、きっと、もう元には戻らないと言われていたけれど。
    私には前の世界と同じように思えた。一部、先生との時間をのぞいたら。
    気づけば、絵教室も通常運営になっていった。
    わたしは、素直にうれしかった、先生にまた会える。
     
    通常クラスに戻り、わたしは、やはりデッサンをした。いろいろなものを描いた。
    教室にはあらかじめ、共通のメインのモチーフが季節ごとに用意されている。
    また、生徒個々の希望に合わせて、先生が個別にモチーフを組んでくれる。
     
    先生が、私に用意してくれたのは、「革靴とレモン」だった。
    どこにでもあるような、履き古した茶色い革の紐靴と、偽物のレモンだ。
    革靴は、思っていたよりずっと複雑な形をしていた。
    こんなに長い時間、革靴を見つめることなんて、これまでの人生で一度もなかった。
    紐の少し古びているところ、ねじれているところ。皮の縫い目。どれもが単純ではない。
    茶色の皮靴と言っても、その茶色は一色の「茶色」ではない。
    製造されたときの色むら、年月を経ての色あせた質感、光の加減で生まれる明暗、一様でない。


    レモンだって同じだ。黄色でレモンらしい形をして、黒い点々がある、そんなイメージでしかなかったけれど、実際には、全体が同じ黄色などどこにも存在しなかった。
     
    教室の二時間半という時間ではとても描ききれない。
    何週間もかけて、一つのデッサンを仕上げていく。
    最初のモチーフが終わり、次は「レンガと綿花」。その次は「木馬と小物」。
    いろいろなものを描いた。
     
    効率や近道ばかりを探してきた私にとって画用紙の上で、リンゴの丸み一つ、革靴の紐のねじれ一つを捉えるために、何時間も、何週間も目を凝らす。それは一円の利益も生まない、資本主義的にはあまりに非生産的だけれども、私にとってはその時間がかけがえのない大切な時間になっていった。
     
     
     

    デッサンと言う忍耐

    デッサンは、真っ白な紙に鉛筆一本で挑む作業だ。
    ときには擦筆(さっぴつ)やティッシュで影をなじませることもあるけれど、手元にあるのは、紙の白さと鉛筆の黒。たったそれだけ。
    色を排したモノクロームの世界で、すべてを表現し、描き出していく。
    けれど、白と黒だけで、たとえば一個のリンゴをそこに存在させるというのは、やってみると驚くほど難しい。
    画用紙も、鉛筆も、幼い頃から知っているありふれた道具だ。
    それなのに、この二つが合わさる先に、まだ私の知らない深い世界が広がっていることを知った。
    そして同時に、その深淵には、いくら手を伸ばしても、永遠に行き着くことはできないのだろうと思う。
     
     
    「デッサンは忍耐なんです。」
    思い描く線が引けず、もどかしさに思わず小さな溜息を吐いたとき、隣にいた先生が静かに口を開いた。
    「みなさん、ちゃんと見えてるんですよ。気づいてないだけなんです。」
    「こっちを合わせるように描くと、あっちが合わなくて、また描き直す。その繰り返しなんですよ」
    淡々と、語る先生のそんな言葉が好きだった。
    忍耐なんて言葉を私は、好きではなかったけれど、先生の言う忍耐であれば好きになれそうな気がした。
     
    言葉は実際、そういうものではないだろうか。
    その価値は、誰が発するかによって劇的に変わってしまう。
    もちろん、先生は理不尽なことを強いる忍耐のことを言っているわけではない。
    それでも、同じ言葉であっても、好きな人から届く言葉と、嫌いな人から向けられる言葉が、同じ意味を持つことはない。
     
    私の好きなバンドグループのメンバーが、交通違反でニュースになったときのことだ。決して取り返しのつかないような過ちではなかったはずなのに、ネットには彼を激しく叩く批判的な記事が溢れた。
    そのとき、私は自分のこと以上に憤慨していた。 「この記事を書いた人は、何も分かっていない。彼は、このグループにとって絶対に必要な人なのに」 画面越しの見知らぬ誰かに向かって、怒りが込み上げてきた。
    「好き」になるということは、こういうことなのかもしれない、と思った。 もし興味のない相手なら、冷めた目でニュースを読み飛ばして終わりだっただろう。
    先生への想いとは別のことかもしれないけれど、好きになるってことは少なからず、こういうものなのかなと思う。
     
    先生のことを想う私は、先生の言葉も好きになる。
     

    私のオリエンタルブルー

    日曜日の午後が特別な時間になっていった。画用紙やキャンバスに向かって、鉛筆や筆を動かす時間が好きな時間になった。数か月、デッサンをやってみた後、本来やってみたかった油絵に挑んだ。
    何点かスペインの風景を描き続けた。
    そしてその時は、ラ・コルーニャの海を描いていた。
    海があり、遠くに街並みが見える、そして青い空がある、そんな風景を描いていた。
    ラ・コルーニャの空の色を塗るとき、私の持っている絵具のブルーは、どれも、本物の空に似てない色だった。ウルトラマリンブルー、コバルトブルー、セルリアンブルー、、。
    どれも違った。
    もっともっと澄み切って、遠くを感じる明るい青で塗りたかった。
     
     
    「先生、どうしても空の色が……」
    相談すると、先生は画材棚から一本のチューブを取り出し、「これを試してみてください」と勧めてくれた。
    オリエンタルブルーだった。
    その青で塗ってみると、ラ・コルーニャにふさわしい空の青になった。
    私は心の中で歓喜した。
    先生の選んだオリエンタルブルーが素晴らしい青だったし、ラ・コルーニャの空に吸い込まれそうな心地になったからだ。
     
    先生が選んでくれたオリエンタルブルー。その青で、私の描くラ・コルーニャの空が鮮やかに染まっていくことが、嬉しかった。
     
    私のこの感動は、もしかしたらひどく単純なものなのかもしれない。 単に先生が選んだ色だから、それが正しい色だと盲信しているだけなのかもしれない。
     
    それでもオリエンタルブルーには単なる色彩以上の意味があり、ラ・コルーニャの空の色にも意味がある。
     
    もしも、スペインを、ラ・コルーニャを訪れることができるなら。
    その時見上げる空は、きっとただ美しいだけの風景ではないだろう。
    私にとって先生を思い出す唯一のラ・コルーニャの空になる。
     
    臨時クラスで描いたセゴビアの「アルカサル」も単なる美しい城でなく、私にとって意味のある特別なものに変わっていく。
    そしてラ・コルーニャの空も私に意味のあるたった一つのラ・コルーニャの空になる。
     
     
     
     
     
     
     
     

    先生を知りたい

    ある日の絵教室のことだった。
    併設している美術予備校の生徒と先生が話しているのが聞こえた。
    先生は、私たちの社会人向けのクラスとは別に、美術予備校の生徒にも教えている。
    そこでは主に芸術大学を目指す高校生たちが学んでいた。
    その日も先生は、彼らを指導していた。
    私たち大人に向ける声とは違う、少し鋭い口調だった。
    「ここさあ、全然、花に見えないんだよ」
    私は、先生、厳しいなあ、と思った。
    でもすぐに思い直す。
    これから大学受験を目指すなら、厳しさも必要なのだろう。
    合格するには、競争に勝たなければならないのだから。
    さらに、別の先生たちと話している声が続いた。
    「あの生徒、今頃になって受験方針変えるって言ってる。なに考えてるんだよ」
    その声にはためらいがなかった。
    先生は毒づいていた。
    毒づくことも先生の一部なのだ。
    私たちの大人向けのクラスでは見せない、その先生の毒づく姿が、なんだか先生の秘密を知ってしまったようで、胸がかすかに高鳴った。
    わたしは、先生のことをもっと知りたいのだ。
     
    先生のことで知っているのは、この教室のウェブサイトに載っている簡素なプロフィールだけだ。
    そこには、日本で芸術大学の「東大」と称される最高峰の大学院を修了したという経歴が記されている。
     
    最高学府で研鑽を積み、芸術を追求してきた人間が、なぜ今、こうして美術予備校の片隅で、私のような素人や、未来の霧の中にいる若者たちを相手に講師をしているのだろう。
     
    もし先生が、芸術に掛ける国家予算の比率が日本とは桁違いに高く、芸術が社会に溶け込んでいるヨーロッパのどこかの国で、その道を歩んでいたら、今ごろは美術予備校の講師という位置に身を置いていただろうか。
     
    日本では多くの芸術系大学の卒業生は「アーティスト」一本で生活していくことは経済的な厳しさがあり、その結果、教員や講師、あるいは美術と直接かかわりの薄い一般企業の就職を選ばざるを得ないと聞く。
    一方、ヨーロッパの文化大国では、「アーティスト」という職業が社会的に強く認知されていて、大学卒業後のキャリアも確立されていると聞く。
    単純には比較できず、アーティストとして生きていくには、それぞれの国で厳しさもあるだろう。
    それでも、国家予算の額によって、キャリアはけた違いに違ってくると思う。
     
     
    けれど、結局のところ、サイトの先生のプロフィールをみて、この国の芸術環境を嘆いてみたところで、先生の歩んできた人生も、先生という人間を知ることはできないのだ。
     
     

    友達にすらなれない

    デッサンをしていると、先生は、モチーフと私の描いている絵とを真剣に見比べながら、静かに言葉をくれる。
     
    その様子を見ていると、私はなぜか「誠実だ」と思う。
     
    けれど、すぐに自分を疑う。
     
    誠実って、何をもってそう思えるのだろう。
    私はいったい、何を見てそう感じたのだろう。
     
    そもそも、誠実かどうかなんて、
    人を好きになるうえで、そんなに重要なことなのだろうか。
     
    そんなふうに考える自分が、どこか単純な人間のようにも思えてくる。
     
    私は、先生とまともに話したこともない。
    出会ってから、まだ一年も経っていない。
     
    そんな相手の何が分かるというのだろう。
     
    けれど、その考えは、途中で少し変わる。
     
    どんなに長く付き合っても、
    たとえ一緒に暮らしたとしても、
    分からないことのほうが多いのではないか。
     
    むしろ、分かり合えないことを、思い知らされることのほうが多いのではないか。
     
    そう思ったとき、
    人のことを理解することや、分かるということは、
    月日の長さに比例するものではないのかもしれない、と思った。
     
    だから、時間ではないのだと思う。
     
    どれだけ長く一緒にいたかではなく、
    その人を前にして、自分が何を感じてしまったのか。
     
     私は先生に惹かれている。
    先生がイーゼルの画用紙に向かって腕を動かし、デッサンしている後ろ姿は美しい。
    私はその姿にくぎ付けになる。
    モチーフを見つめる先生の視線が、ふとこちらに向くことがある。
    そのとき私は、目を合わせられない。
    先生の言葉も、とても好きだ。
    どういう人生を生きたら、こんな言葉が出てくるのだろう。
    先生に出会ったあの瞬間、もう私は、先生を愛していたのだ。

    昔から好きな、ある歌手の歌がある。
    最近、その歌が、まるで私の心を代弁してくれているように感じる。
    そしてとても切ない気持ちになる。
    その歌の中で、主人公はこう言う。
    友達のままでいいと思っても、やはり君がほしい、と。
    でも私は、その歌を聴くたびに、自分に言うのだ。
    友達になれたら、どんなにいいだろう。
    私は、友達にすらなれない。
    先生のことを、もっと知りたいのに、知ることもできない。
    できるのは、ただ想うことだけ。
     
     

    でもどうしたって、私たちは年齢が違いすぎる。

    先生は、私にとって意味のある人だ。 彼にとっても、私が意味のある存在になれたら……。
    でも、そうなれないことを、私が痛いほどわかっている。
     
    私たちは年齢が違いすぎる。あまりにも遠い時間を生きているのだ。
     
    私にしたって、同い年代の男は恋愛対象外だ。
    ましてや、才能あふれる若き先生にとって、わたしは恋愛対象ではないだろう。
     
    「もし、私たちの生まれてきた時間が、ほんの少しだけ重なっていたら」
    「もし、同じくらいの年齢で出会えていたら」
    何かが違っていたかもしれない。
     
    そんな、どうにもならない仮定を繰り返しては、胸の奥がきしむ感じがした。
    私の想いが届く日は永遠に来ないのだ。
     
    世界には、もっと過酷な「どうにもならないこと」を抱えて生きている人がたくさんいる。私のこんな感傷なんて、彼らに申し訳ないほど些細なことなのかもしれない。 分かっている。分かっているけれど、それでも、考えてしまうのだ。
     
    でも、私には分かっている。
    先生と手を取り合う未来は決して訪れなくても、私は心の底から彼を慕い、恋焦がれ、彼を愛すると決めていることを。
     
     
    いままでの私は、決してこんな恋をしたことはなかった。
    自分を好きになってくれる、あるいは条件の合う人の中から、恋の相手を選んできただけだ。
     
    何も求めず、心の底から「好きだ」と想う気持ちを大事にしたい。
    それが彼にとっては何の意味のないことでも。
     
     

    佐喜枝と

    わたしは会社員として働いている。
    朝出勤して淡々と仕事をして帰宅する日々。
    休日は、友人と会って話すこともある。
    先日、古い友人の佐喜枝と飲んだ。
    赤ワインをボトルで頼んで飲み交わした。
    佐喜枝は私が離婚するよりも前に離婚して、今も独身だ。
    私と同じく、もう結婚する気はないらしい。
    最近はマッチングアプリを始めたらしい。
    婚活ではなく、彼氏探しのために。
    毎週末の品定めの結果、理想の彼氏と付き合っていると言う。
    写真を見せてくれた。
    「いいね、楽しそう。」
    私はその写真を褒めた。 

    佐喜枝がアプリを始めたのは、つい最近のことだ。きっかけは、佐喜枝の職場の同僚に起きたあるドラマチックな出来事だった。
    その同僚はアプリで知り合った男性とわずか三ヶ月で電撃結婚したのだが、相手は名の知れた大企業の管理職だった。今では彼が所有する都心のタワーマンションで、絵に描いたような専業主婦生活を謳歌しているという。おまけに彼は、顔立ちも穏やかで品があり、性格も驚くほど誠実で寛大だそうだ。
    「ねえ瞳、まるでドラマよね。正直、お金はともかく、中身まで素敵な人だったなんて、ちょっと出来すぎだと思わない? 奇跡よ。人生って、本当に何が起きるか分からないわね」

     
    佐喜枝は彼女のことをうらやましく思っているらしい。佐喜枝自身、もう二度と結婚する気はないと決意しているが、今後のことを考えると結婚しないまでも、日常の雑多なことを話せる相手がほしいみたいだ。
    今日はこんなことがあった、テレビを見ながらくだらないことを話せる相手がほしいらしいのだ。
    それは友人では代替がきかないらしい。
    佐喜枝がマッチングアプリを始めたとき、プロフィール写真には映りの良いものを選んだらしい。
    そういうのは大事なんだろう。見えるところと言えば、やはり写真だから。
    マッチングアプリでは、当初、かなりの数の「いいね」がついたって、佐喜枝は言っていた。別に自慢しているわけではない。
    佐喜枝は言う。
    「でもダメなのよ。映りのいい写真にするのは、いいとは思わないわ。だって、それに惹かれてくる奴ばかりなんだもの。」
    「まあ、マッチングアプリってそういうものじゃないの?」
    私は言う。
    「だから私、プロフィール写真いいのやめて、映りの良くないのに変えたの。その方が「いいね」付ける人が少なくなって選びやすいのよ。」
    「そうなんだ。確かにね。」
    「でね、私の条件はね、」佐喜枝は続ける。
    「離婚歴あって、身長が175㎝以上、重要なのはそこね。結婚するわけでもないし、年収なんてどうでもいいわ」
    佐喜枝はわりと背が高いスラっとした美人なので、身長にこだわるのは、わかるけど、離婚歴があるほうがいいというのは、どういうことなんだ。
    佐喜枝だって淡々と話しているが、離婚するときの苦労はあったと思う。
    だから離婚の痛みを共有できる相手なら、過度な理想を押し付け合わずに済むという佐喜枝なりのいわば諦めや理解し合えることの期待なのなのかもしれない。
    「年齢は?」私は聞いた。
    「年齢も入れたよ、一応、私の前後10歳程度だったかな。」
    確かに、付き合い始めたっていうさっき写真見せてもらった彼氏は、この条件に当てはまっている。
     
     
    佐喜枝の話を聞いてから、
    私は、自分の恋愛相談でもしようかと佐喜枝に言ってみた。
    「私、絵画教室に行ってるって言ったでしょ、先生がね、かっこいいのよ。」
    「そうなんだ。今度写真見せて」
    「先生の写真なんて無いよ」
    「今度、撮ればいいじゃん」
    「そんなことできないよ」
    「どうして?いいじゃん、『先生、一緒に写真撮りませんかー?』って、撮ればいいのよ」
    確かに佐喜枝だったらできそうだ。
    私の「かっこいい絵画教室の先生」の話には、それほど興味なさそうだった。
    佐喜枝はちゃんと人の話を聞けるし、私の話だって、いつも聞いてくれ、的確な佐喜枝らしいアドバイスをくれる人だ。
    でも、今回は真面目な恋愛相談とは思わなかったらしい。
    そりゃそうだ。絵画教室で恋愛なんて。
     
    独身になってから、私は自分が独身であることを、なんとなく隠している。
    理由は一つ。面倒だからだ。
    この時代に、独身の女性なんて珍しくもない。
    それでも、「独身」と分かった途端に、距離を詰めてくる人がいる。
    なにを考えているのだろうと思う。
    いくら独身でも、私は、あなたたちを相手にするつもりなんてないのに。
    先日も、少し面倒なことがあった。
    友人だと思っていた男性がいる。
    自分が独身だとは伝えていなかったけれど、なんとなく察していたのかもしれない。
    以前、仕事で知り合った既婚男性だった。
    同じ会社ではないけれど、仕事をしていれば人と知り合うことはあるし、男女にかかわらず、連絡先だけ交換するような相手もいた。
    たまに近況を伝えあったり。
    その人も、そういう中のひとりだった。
    以前、私のノートパソコンの調子が悪く、たまたま仕事で近くに行ったときにカフェで診てもらったことがあった。
    今回も同じようにノートパソコンの不調をLINEでぼやいたら、「近くに行くから見てあげる」と、カフェで会う約束をした。
    けれど彼は、「どうせ近くまで行くから」と言って、隣町のレストランで夕食をと提案してきた。
    私はすぐに理由を並べて断った。
    その時点で、もう会うのをやめたくなっていたけれど、
    当初の予定どおり、近くのカフェで会うことにした。
    約束の日は、彼のほうから指定してきた日だった。
    何気なく理由を聞くと、奥さんが帰省しているのだという。
    ああ、と思った。
    この人とは、友人でいられると思っていた。
    けれど、それは私の思い違いだったのかもしれない。
    帰り道、私は静かに決めた。
    この人とは、もう距離を置こうと。
    この一件のことを、後日、佐喜枝に話した。
    「瞳、気を付けなよ」
    「男なんてさ」
    佐喜枝はワインを飲みながら、あっさりと言った。
    「隙あらば、ってずっと狙ってるよ」
    わたしは少し笑った。
    「そんなことないでしょ」
    そう言いながらも、先日の出来事が頭をよぎる。
    既婚者で、何もなかった顔をして、
    でも確かに一歩踏み込んできたあの感じ。
    「いや、本当だって」
    佐喜枝は軽く言い切る。
    「ほんと、気持ち悪いよね」
    私と佐喜枝は、同時に言った。
    「自分の顔、鏡で見てから誘えだよねー」
    私は言った。
    佐喜枝は笑った。
    私も、つられて笑った。
     
    佐喜枝は、「彼ね、私のことすごい好きって言ってくれるの。だから私も好きなのよ」と、彼氏のことを話す。
    「私ね、愛されたいのよ」
     
    私もかつてはそう思ってた。
    いや、誰しも、
    愛する人から愛されることって、この上ない喜びだと思う。
    でも私は今、心の底から、自分から恋焦がれて愛したいのだ。
    何も求めず、愛することだけできたら、幸せだと思う。
    私は、先生から、愛されなくても、愛し続けると決めている。
    でも、本当にそんなことできるのだろうか。
    自信はない。私はわたしのこの決意に酔いしれているだけなのだろうか。
     
    佐喜枝と別れ、駅へと向かう夜道。赤ワインに少しだけ酔いながら騒がしい道を歩く。
    かつての私なら、今の佐喜枝を眩しく、あるいは自分と比較して少しだけ惨めに思ったかもしれない。「彼氏」や「パートナー」という存在が、世間一般でいうところの「幸せ」だったからだ。
    「完璧な家庭」や「立派な幸せ」を証明しようと躍起になっていた頃の私にとって、パートナーがいない状態は、自分の価値が欠けているかのような錯覚を与えていた。
    けれど、今の私は違う。
    佐喜枝がマッチングアプリで条件を品定めし、日常の雑多な会話を埋める相手を求めることを、私は否定しない。
    友人として、彼女の心がそれで満たされるなら心から応援したいと思う。
    けれど、今の私が必要としているのは、愛されているふりをすることでなく、心の底から誰かを愛することなのだ。
    私は先生に恋をしている。
    その事実は、私を孤独にするけれど、先生を想う気持ちこそが今は愛おしいと感じるのだ。
     

    グラデーションの中で

    絵教室で過ごす日曜日の午後の時間は、わたしをとても幸せにしてくれている。
    でも、それはどこか、私から離れた、独立した時間のようにも感じられた。
    日曜日の午後には、その世界に行ける。
    けれど、また元の世界に戻ってくるのだ。
    ただ、寸断されているわけではない。
    グラデーションのように、ゆるやかにつながっていて、確かに影響を受けている。
    私と先生との関係も、それほど大きな線で結ばれているわけではないのかもしれない。
    認めたくはないけれど。
    でも、間違いなく、グラデーションの中で、先生は私に影響を与えている。
    たとえ、私のグラデーションが、先生には届いていないとしても。
     
     
     
    教室を出たあとも、私の中にはまだ、あの午後の色が確かに残っている。
    けれど、その世界からグラデーションを泳いで、私の現実に戻ってくると、またその世界にいくための時間をやり過ごしている気分になる。
     
     
    朝の満員電車に乗れば、乗客の顔、朝からみんな疲れて見える。
    私たち、こんな顔して生きていかなきゃいけないの?何のために。
    私も同じような顔をしているのだろうか。空恐ろしくなることがある。
     
    コロナ禍を過ごしたり、そんな何かが起きると、何もない毎日がいいと思う。
    それでもこの日々に満足しないのは、平穏だからこそなのだろうか。
    傲慢なのだろうか。
    食べるものに困らず、とりあえずは暮らせて行けているこの状態に疑問を持つことは不謹慎だろうか。
    世界には明日の命を心配しながら生きていかなくてはならない地もあることを知っている。
    でも、疑問を持つことを不謹慎だという風潮があればそれはそれで危ういことではないだろうか。
     
     
    それなりに楽しく暮らしてはいるけど、将来もこうして暮らしているイメージが全然つかない。
    ここにいれば、毎週日曜日には先生に会える。
    ただ、それだって、いつかは終わりがくる。
    このままずっと、ここにいたら私、、、そんなことを、考えることが多くなった。
     
    スペインの太陽のイメージが私から離れなくなる。私の心はもうここにはなくなっていた。
    先生と描いたスペインの風景は、もう、ただのスペインの風景ではなくなっている。
     
    私は、スペインの光の中で暮らしたい。
    それは恋とは別の、私自身の願いなんだ。
    いや、本当にそうなんだろうか。
    先生との未来がもしもあれば、私はここにいたい。
    それは本心だと思う。でも残念ながら先生との未来なんてないのだ。
     
    でも、ここを離れることは、先生と離れることを意味する。
    でもこのままでいたら、、、私、、、
     
    彼が好きだ。心の底から。
    でも自分の人生を生きるべきなのだ。
    それは、彼への想いを捨てることではなく、強くすることなんだ。
    彼が、そこにいなくても、会えなくても、彼のことを想って生きていく自分を私は想像できる。
     
     
    そうだ。もう一度、外海に行ってみよう。
    あそこに、賭けてみたい
     
     

    最終章

    わたしはサラマンカのカテドラルの前の石のベンチに座って、スケッチブックを開いていた。
     
    サラマンカは「大学の街」であり、そして「黄金の街」とも呼ばれる。
    1218年創立のスペイン最古、ヨーロッパでも屈指の歴史を誇るサラマンカ大学があり、かつてはセルバンテスもここで学んだという。
    もう一つの名門、ポンティフィシア大学があり、その建物の回廊の美しさも有名だ。
     
    街が「黄金」とされるのは、この地特有の砂岩、ビジャマジョールの石が建築の要に使われているからだ。
    その黄金の石は陽光を浴びると、その光の強弱により色調が変わる。
    石は、ビジャマジョール産のものより割安なアラピレス産の石も使われているということだ。
     
    街を歩けば、ゴシック、プラテレスコ、バロック、新古典主義の多様な美しい建築物が共存している。
    そして、スペインで一番美しいと言われているプラサマジョールがある。
    夏になると、カフェのテラスが立ち並び、観光客や着飾った地元の年配者たちがひしめき合う。
    ワインやビール、あるいはビールにソーダを加えた「クララ」を片手に、おしゃべりに花を咲かせる。
     
    この広場を囲むアーチの上には、スペインの歴史を彩る歴代の王や英雄たちのレリーフが、まるで街を見守るように並んでいる。
    かつてはその列の中に、フランコ将軍のレリーフもあったという。
    度々抗議の象徴として赤いペンキを浴びせられていたそのレリーフは、今では撤去され、街の記憶の一部としてひっそり保存されているらしい。
    華やかな光に満ちたこの街も、決して明るいだけの歴史を歩んできたわけではないのだ。
     
     
    サラマンカはマドリードから、バスか列車で2時間半程度の距離にある。
    マドリードの大都市の喧騒と違い、この街はとてもコンパクトだ。
    でも必要なものは全部揃っている、ディスコ、バル、レストラン、映画館、生活に必要なすべてが歩き回れる範囲に凝縮されている。
     
     
    私は成田空港を飛び立ち、先週末、マドリードのバラハス空港に降りたった。
    空港から市内へ向かう列車に乗るため、自動券売機の前に立ったが、操作が分からず、窓口の女性にたずねた。
    「オラ、ペルドン……(すみません…)」
    機械の使い方が分からず切符を買えないことを窓口の女性に伝える。
    女性は理解したようで、快く切符を用意してくれ、私は窓口で切符を買うことができた。
    ただ切符を買えただけのこと。
    けれど、海外という地で自分の言葉が通じたその成功体験が、何よりも嬉しかった。
     
    その夜はプリンシペ・ピオ駅近くのホテルに一泊し、翌朝、サラマンカへ向かう予定だ。 駅に到着したものの、目当てのホテルが見つからない。スーツケースを引いて立ち尽くしていると、通りがかりの年配の男性が声をかけてくれた。 「目の前のエスカレーターを上がればエントランスがあるよ」 スペイン語でそう教えてくれた彼の親切に深く礼を言い、指示された場所へと向かう。
     
    ホテルに着き、予約している旨をスペイン語で伝えると、受付の係員が尋ねた。
    「アブラス・エスパニョール?(スペイン語を話すの?)」 私は「シ、ウン・ポコ(はい、少しだけ)」と返す。スペイン人からすれば、アジア人がスペイン語を話すのは珍しいことなのだろうか。
     
    翌朝、プリンシペ・ピオ駅から、サラマンカ行きの列車に乗った。
    日本では長距離移動といえば新幹線の速さに慣れきった私にとって、サラマンカへ向かう単線の列車では、対向列車とすれ違うために、待避線に入って待ち時間があることも新鮮だった。
    途中、アビラを通った。アビラの城壁が遠くに見えた。
    オリーブ畑が広がるスペインらしい風景を眺めながら、列車はサラマンカに到着した。
     
    この渇いた空気の黄金の街、サラマンカの地に足を下ろしたのだ。
     
    昨日はカテドラルを訪れた。
    サラマンカのカテドラルはヌエバ(新大聖堂)とビエッハ(旧大聖堂)があり、
    二つの大聖堂は、背中合わせでつながっている。
    ゴシック様式のヌエバは、正面のファサードに繊細なプレテレスコ様式の装飾が施されている。
    一方で、ロマネスク様式のビエッハは、どっしりと構えている。
     
    入口の彫刻の中に、建築当時にはありえない宇宙飛行士の姿がある。
    修復士が遊び心で刻んだ小さな宇宙飛行士だ。
     
    周囲の観光客たちは宝探しのように、この宇宙飛行士を探していた。
    私も同様に宝探しをした。
     
    以前、絵教室でこのカテドラルを描いてたことがある。
    このカテドラルの写真を題材に、先生にアドバイスをもらいながら。
     キャンバスの大半を占めるのは、サラマンカ特有のビジャマジョール砂岩の色、ブラウンやオークル、そして夕日に映える黄金の色、全体的にシックなムードだった。
    私はカテドラルの手前にある小さな花壇を描き加えた。
     「建物全体が落ち着いたトーンだから、この花壇の鮮やかな色がポイントになっていますね」
    白やピンク、黄色のかわいらしい花々を散らしたその箇所を、先生はそう言って褒めてくれたことがあった。
     
    カテドラルの前に、その花壇があった。絵教室で、見ていた写真の花壇じゃなく、本物の花壇だ。
    あのとき私が描いたと同じような鮮やかでかわいい花を咲かせていた。
    私は、フッと微笑んだ。
     
     
    退職手続きは、事務的に進めた。
    事前の相談なんかしない。
    退職願を差し出すと、
    上司は慌てて
    「辞められたら困る。あと3ヶ月、後1ヶ月でもいいから残って」
    「知るか」私は心の中で言った。
    「大丈夫ですよ。しっかり引き継ぎ資料作りましたから。」私は突き放した。
     
     
    会社の組織表の上の方にその名が書かれているからといって、その位置が、人間の偉大さや崇高さを表すものじゃないのよ。
    上の方に自分の名前が書かれるとそのことを勘違いしている人がいるようだ。
    この人も間違いなくその一人だった。
    ただの表なのよ。
     
    私はその資料をWordで提出した。わざわざそうしたのは、かつて私を振り回したこの人への、ささやかな仕返しだ。
    以前、私が資料をWordで作っていたときのことだ。この嫌な「上司」と私の間にいるプロジェクトのリーダーは上司の好みを汲み取り、「あの人、Excelが好きなんだよ。悪いね、作り直してくれないか」と申し訳なさそうに私に言った。
     
    その時、私は「コピペするからすぐにExcelにできますよ」と穏やかに応じた。リーダーは私の敵ではない。けれど、内心では溜息をついていた。上司のご機嫌取りのために、私の手間が増える。そんな理不尽を強いる構造が、たまらなく嫌だった。
     
     
    かといって転職を繰り返しても、第二の「上司」が待っているだけなのだ。
    生きていくには金がかかる。
    会社というものに、いつだって私たちの「生活」を人質に取られているようなものだ。
    労働者は法律で守られてると言うけれど、それを行使するのは、強靭な精神や、また資金が必要になる。それほど簡単なことではない。
    私たちは、生き方を選択しているのではない、選択せざるを得ない選択肢の中かから選択させられているだけだ。
     
     
    「有給も全部消化するの?」
     
    上司の問いかけに呆れかえった。
    今までどれほど私をこき使ってきたと思ってるのだろう。
    私の権利に首を突っ込む下品な態度にいつものことながら腹が立った。
    「そうでしょうね、当然」と感情をこめずに言った。
     
    慰謝料ほしいくらいよ。
    もう私の人生に現れないでね!と心の中で罵声を浴びさせた。
    あんたはずっとわたしのブラックリストの一番上よ。
     
     
    荷物はだいぶ処分した。
    どうしても処分できないものは、実家の隣に嫁さんと住む兄に預かってもらうことにした。
    兄も嫁さんも、快く「大丈夫、預かるよ、部屋、空いてるし」と言ってくれた。
    それでも、もう世帯の違う妹の荷物を預かってもらうのは気が引けて、
    せめてものお金を少しばかり渡した。
    最後まで要らないと言われたが、半ば強引に受け取ってもらった。
     
    私が離婚して以来、兄は私のことをずっと心配していた。
    いつまでも私のことを子供のころの妹と思っているのだろう。
     
     
    佐喜枝は、
    「やりたいことがあるなら、やるのよ。お金なんてどうにでもなる。やりたいことがあるって、素晴らしいことじゃない。私なんて、やりたいことなんて何もないわ。つまらない人生よ」
     
    佐喜枝にはいつも背中を押される。
     
    端から見れば人生を謳歌しているように見える彼女だけど、人の内側なんて誰にも分からないものだ。隣にいる私にさえ、彼女が抱える空虚の正体は測りきれない。
     
     
    以前、佐喜枝と、死ぬ権利について、激しく言い合ったことがある。
    ヨーロッパの一部で認められているような、尊厳死という選択肢。
    佐喜枝はそれを肯定し、
    私は彼女に同意せず、人間は誰しも「生きたい」という本能を前提にすべきだという持論を曲げなかった。
     
    「なんでよ! 生きることが苦しいなら、死を選んだっていいじゃない。どうしてダメなの? ねぇ、どうして?」
    彼女の鬼気迫る問い詰めだったが、私は私で自分の持論を曲げず、一歩も引かなかった。
    けれど、後になってふと思う。なぜ彼女が、あそこまで必死に「死の権利」を肯定したのか。
    佐喜枝の心の奥底を、完全に理解することなんてできない。
    私の考えだって、今も変わっていない。
    それでも、彼女がなぜそんなふうに思うのかを、私は知りたかった。
    ようやく分かったのは、この世の誰もが「生きたい」という前提に立って生きているわけではない、ということだけだ。
     
    「ありがとう、また飲もう」私は言った。
     
     
     
    ローンの残っていた自宅は、どうにかマイナスにならずに売却した。
    そして、わたしは、この地にいる。
     
    思いついて、何も考えずに決めたわけじゃない。
    かなりの間、自問自答したり、考えたりはした。
    ここに来たからといって、わたしの何かが変わるわけでもない。
    金銭的な余裕もあるわけじゃない。
    この地に来たけれど、貯金を切り崩すだけなら、いつかはお金は尽きるわけで、この生活をずっと続けられないことも分かっている。
    でも、いつも最初から結論はいつも出ているんだ。
    結論に対して理由をつけていくだけ、そして自分を納得させるんだ。
      
    後悔のない過去はない。今までだってそうだし、これからもそうだ。
     
    スケッチって難しいんだ。同じ風景でも、写真を見ながらかくのと実際を見てかくのとじゃ、スケッチのように実際のものを目の前にするようが難しい。
    「写真は2次元の世界で、実物は3次元の世界だから、違うんですよ。」と先生がいつのころか言っていた。
     
    見知らぬ老人が、スケッチをのぞきこんできた。
    いい絵だって褒めてくれた。優しいなあ。
    私の大好きな風景、思うように描けたらなあ。
     
     
    ここに来る前に、2度目の外海を訪れた。
    外海の海は、悲しく美しかった。
    夕日の沈む時間、角力灘は橙色に染まった。
    この景色を見られるだけでなんだか、この地球に生まれてきた意味なのではないかと思えた。
    そして、外海の教会で、私はマリア様にひざまずいた。
    この鉛筆とカボチャの絵を自分のものにしたことと、
    先生のことをこれからも愛し続けることを
    どうぞお赦しくださいと。
     
    絵教室で、カボチャのデッサンがうまくいかないとき、A4用紙の裏紙に先生が描いてくれたカボチャの絵と、そのときに忘れていった先生のB2の鉛筆を私は、私のものにしていた。
     
    あの日、カボチャのデッサンに行きづまっていたとき、先生にアドバイスを求めた。
    先生は、A4サイズのプリント用紙の裏紙に、B2の鉛筆で、サラサラと自分でカボチャを見ながらお手本を描いていく。
    私はカボチャなんて、もうどうでもよかった。
    モチーフを見つめる先生の鋭い視線、鉛筆を走らせる美しい指先。その一挙手一投足を、私は網膜に焼き付けていた。先生が私のために描いたカボチャなのだ。
     
    「こんな感じで描いてみてください」
    先生は短時間で描き上げて、私にいった。
     
    「はい、ありがとうございます」
    先生が描いたカボチャをお手本に、カボチャに再挑戦した。すぐに先生みたいに描けるわけもなく、それでもさっきより少しはマシには描けた。
     
    先生が去った後、そこには短いB2の鉛筆が一本、忘れ去られたように転がっていた。
    私はそれを拾い上げ、手のひらの中で包み込んだ。まだ先生の熱が残っているような気がした。 返すべきだった。けれど、返さなかった。 その鉛筆と、カボチャの描かれた裏紙を、私は自分のものにした。

      
    「もし、いつかプラド美術館に来ることがあったら、声をかけてくださいね」
    最後にそう告げたとき、先生は少し驚いたような顔をして、それから、デッサンを教える時と同じ真剣な、けれど優しい眼差しでうなずいてくれた。
     
      
    今日はカテドラルで無料のパイプオルガンのコンサートがあるって、語学学校の先生が教えてくれた。
    夕方の時間になったら、行ってみるとするか。
    コウノトリが、鐘楼に巣を作っている。
    今度、これもスケッチしてみようか。
     
     
    この鉛筆もカボチャの絵も、いつか手放す日が来るのだろうか。
    先生のことを思い出さない日が、訪れるのだろうか。
    でも、しばらくは手放しはしない。
    でも、先生へのこの想いがなくなる日が来たら、その時はそれでいい。
     
     
     
     

    #創作大賞2026 #恋愛小説部門

     
     
    スペイン語を勉強したり、ときどき絵を描いたりしています。 平日は会社行ってit系の仕事をしてます。 日々のことや考えていることを書きつつ、 最近は「バカンス」というテーマについても考えています。

    あなたへのおすすめ