
レシートに赤線が出たら #シロクマ文芸部
レシートに赤線が出たら、それはもうすぐロールが切れるっていうサインやから、お客さんが切れた瞬間を狙って早めに交換するんや。
と、水落副店長は当時大学1年生だった僕に言った。
初めての客商売、というか、初めてのアルバイトで極度に緊張していた僕は、副店長に言われた通りに従順に業務をこなし、お客さんが試着で散らかした服を片っ端から畳み、文具を補充し、オリジナル家電の保証書にスタンプを押し、チョコがけバナナチップの在庫を確認し(バイト先はお察しである)、それなりに必死で働いていたのだが、慣れてくるとすぐにサボりぐせが付き、接客を放置してバイト仲間とだらだら喋ったり、風邪をひいたと嘘をついて休んだりと、まあそれなりに学生らしいアルバイト生活を過ごしていた。
水落副店長は当時まだ30歳前後だったと思うが、既におっさんの風格を備えており、落ち着いた、けれど厳しさのある大人の声のトーンでそんな僕たちを叱るのだった。
その店には結局3年お世話になり、大学生活のバイト収入のほとんどをそこで得ることになったのだが、僕はその間に小説を書き始め、小説家になるんだと周囲に吹聴するようになっていった。
プロのサッカー選手になりたい、芸人になりたい、といった確率の低い夢は、この国では周囲の猛反対に遭いがちである。
「本気で金メダルを目指したい」という夢は「本気でキリンになりたい」という夢と同じくらい周囲に止められる。
僕の夢、いや、実際は夢とも思っていなかったけれど、その夢ももちろん周囲に否定された。時には心ない大人に笑われることもあった。
書いた小説を印刷し、感想用のアンケートまで付けて、それをバイト仲間に配ったら、彼らは優しいのでそれなりに優しい言葉をくれたが、その言葉と、大人に笑われた時の言葉を心の中で戦わせてみれば、やっぱり真実だと思えるのは、20歳そこそこの自分をはるかに上回る人生経験を積んだ大人のニヤニヤした余裕の笑みと、そこにわずかに見える僕に対する憐れみの心、ああ、無駄な夢を追いかけてかわいそうに、というあの表情の方なのだった。
当時はスマホどころかネットすら無くて、だから誰ともつながれなくて、僕は一人で小説を書いていた。
自分には良いものを書いているという自信があった。けれどそれを証明してくれるものは何もなかった。
僕は毎日服を畳み続け、レシートのロールを交換し、すぐ品切れになるチョコがけバナナチップの在庫を確認しながら黙々と小説を書き続けていた。
ある時、シフトのことで水落副店長に呼ばれた。店の裏にある事務所に行くと、もっとシフトを増やせないかという相談だった。ベテランのバイトが卒業で辞めていって、人手がまったく足りていないのだという。
僕は小説を書くためにかなりシフトを削っていたから、もっと入ってくれと言われて当然だったが、当時はあまりに必死で、必死に書いていたから、他人の都合など思いやれる余裕もなく、僕は「できません」と返事をした。
水落副店長はいつもの落ち着いた、けれど厳しさのあるトーンで「なんでや」と訊いた。
僕はとっさに「小説を書いてるんです」と答え、それから「小説家になりたいんです」と付け加えた。
なぜそこまで言ったのかは自分でも分からない。それがシフトを増やせない理由として社会に通用するとでも思ったのだろうか。
若かった僕は社会をナメていたし、小説もナメていた。高卒で社会に出てから地道にキャリアを積んできた水落副店長から見れば、親の金で大学に通い、適当な態度でバイトをして小説を書いてます~なんてほざく僕などは、何から何まで甘すぎる若者であったはずだ。
けれど副店長はその時、僕を叱らなかった。
ちょっと驚いた顔をして、それからすぐにこう言ったのだ。
「そうか。がんばれよ」
あれから30年(30年て)近い歳月が経ったが、僕の心には今でもあの時の「がんばれよ」が残っている。
悩み相談したわけでも、親身に励ましてもらったわけでもないし、副店長とはそれきり小説の話はしないままだった(シフトの問題はすぐに解決した)。
しかしバイトを辞めてからも、あの「がんばれよ」に対して、がんばらないといけない、という思いは年々強くなっていった。
小説を誰かに応援されたのは生まれて初めてのことだったのだ。
このエッセイを書きながら、僕は空を見上げて思う。水落副店長、僕はまだがんばってますよ。
その声は空の向こうには届かないだろうが、それでもいい。
僕は青い霞の彼方を見つめ、そうしてしばらくして思うのだ。
いや違う、副店長まだ生きてるわ、と。
レシートの赤線を見たら、僕はいつもあの頃のことを思い出す。