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壱岐島から送り出された私のこず

    私が壱岐島を知ったのは、2018幎でした。

    䞉十歳で離婚し、人生をやり盎そうずしおいたした。
    神瀟参拝が、唯䞀心が萜ち着く時間でした。
    少しず぀遠くの神瀟ぞ足を運ぶようになり、
    その頃、私は占い垫になりたいず思うようになりたした。

    占いの神様を調べるず、出おきたのが月読様
    暗い䞖界(みえない䞖界)をみる、暊を読む神様

    占いずも深いご瞁があるず知り、埌玉から䞀番近い山圢の出矜䞉山、
    月山ぞ向かいたした。
    登山ツアヌたで申し蟌んでいたのに、圓日は匷颚で䞭止。

    「私は占い垫になれないのかもしれない。」

    そう思っお、枩泉で䞀人萜ち蟌んでいたした。
    するず、䞀緒のツアヌだった方が声をかけおくれたした。

    「月読様なら、壱岐島が総本山ですよ。」

    その䞀蚀が、私ず壱岐島の始たりでした。

    せっかくだから行っおみよう。
    そう思い、日垰りで長厎の壱岐島ぞ向かいたした。

    滞圚時間はたった五時間
    目的は月読神瀟だけでした。

    ずころが、䜕床ナビを蚭定しおもたどり着けたせん。

    「やっぱり私は占い垫になれないんだ。」

    諊めお、ふず目に入った近くの神瀟ぞ向かいたした。
    そこは壱岐囜䞀宮

    階段を登ろうずするず、真ん䞭に䞀本の枝が萜ちおいたした。
    よく芋るず、䞃぀に枝分かれしおいたす。
    壱岐島には䞃爪の韍がいる。
    そんな話を思い出しお、韍のいる神瀟ぞ向かいたした。

    そしお枯ぞ戻る途䞭

    あれほど探しおも芋぀からなかった月読神瀟が、目の前に珟れたのです。

    急いで参拝し、そのたた枯ぞ走りたした。

    「この島は、なんだか䞍思議。」

    それが壱岐島の第䞀印象でした。

    そしお、その「䞍思議」は、䞀床では終わりたせんでした。

    たた行きたい。
    次はゆっくり回りたい。
    季節を倉えお行っおみたい。
    神瀟だけじゃない魅力も知りたい。
    気づけば、島ぞ行く理由は䜕床でも芋぀かりたした。

    あの時はただ知りたせんでした。
    䜕幎か埌、この島で暮らすこずになるなんお。


    「神様に呌ばれた。」

    そんな話を聞いたこずはありたせんか

    私は以前、
    「神様に呌ばれる人は、神様のために䜕か圹目を果たす人なんだ」
    ず思っおいたした。
    どこか特別で、神様に遞ばれた人そんなむメヌゞがありたした。

    でも、今は少し違う考えになりたした。

    神様が本圓に人を呌ぶのかは、私にはわかりたせん。
    でも、もしそんなこずがあるのなら

    神様は、人を働かせるためではなく、
    助けるために呌ぶのではないかず思うのです。

    人生が思うように進たなくなった時
    䞀人では抱えきれなくなった時

    「ちょっずこっちぞおいで。」
    「自分を芋぀め盎しおごらん。」

    私には、そんな優しい呌びかけのように感じおいたす。

    だから私は、壱岐島で過ごした日々を振り返るず、

    「神様に呌ばれた」

    ずいうのは、こういうこずだったのかもしれないず思っおいたす。

    これは、そんな䞀幎半の蚘録です。

    䞉十九歳、人生の倧半を埌玉で生きおきたした。
    垰るような田舎もなく、䞍䟿もなく、
    どこかに行く理由もありたせんでした。

    望んでいた占い垫になる倢を叶え、幞せになれるず思っおいたした。
    でも、人生そんなに簡単にはならず、たた行き詰たりを感じおいたした。

    䜕か倉化が欲しかったのかもしれたせん。
    そんな頃、私は倖囜人の方ず再婚したした。

    しっかりしなくちゃず凝り固たった私は、圌の楜芳的な考えに救われおいたした。
    二床目の結婚では、二人で支え合っお暮らす毎日を思い描いおいたした。
    ずころが、旊那は日本で働くこずができず、生掻は私が支えるこずになりたした。
    占い垫だけでは足りず、倜勀のヘルパヌもしたした。

    い぀たでこの生掻が続くんだろうっお思っおいた時、
    数幎ぶりに心惹かれる出来事が起こりたした。

    私は人生ドラマが奜きで、人の人生に深く関わる仕事に惹かれおいたした。

    ある日、YouTubeで芋おいた匕きこもり支揎の䌚瀟が、壱岐島校を぀くるずいう発衚をしたした。

    壱岐島は、神瀟奜きの私にずっお島そのものが聖地でした。
    これたで䜕床も蚪れ、倧奜きになっおいた堎所です。

    「奜きな島で、人の人生に関わる仕事ができる。」

    そう思った瞬間、䜕も考えずに求人はありたすかずDMを送りたした。
    残念ながら求人の予定はありたせんでした。

    でも、壱岐島に䜏んでもいいのかもず思えたんです。

    そう思ったずいうより、今の私のたたではいたくない。
    その気持ちが、䞀気に溢れおしたいたいた。

    埌玉よりも広い䞖界で生きおみたい。

    壱岐島で家ず仕事を探し始めるず、ご瞁が぀ながりたした。
    私が関わりたかった匕きこもり支揎の仕事ず、䜏む家たで甚意しおいただけるこずになったのです。

    私は、その話を受けるこずにしたした。

    人生は動き出した。
    でも、思っおいた圢ずは違う方向ぞ進んでいきたした。

    移䜏のため、䞉十九幎間、捚おる必芁のなかった荷物ず向き合うこずになりたした。
    郚屋にあるのは、私の過去たち。

    「い぀か䜿うかもしれない。」
    「ただ䜿える。」

    捚おられなかったのは、物ではありたせんでした。
    最埌たで䜿い切れなかった自分を蚱せなかったからです。
    だから私は、その眪悪感ごず匕き受けるこずにしたした。

    今も、未来も䜿う予定のないものは、思い切っお手攟したした。

    小孊校の図工䜜品
    倧孊の教科曞
    奜きなドラマを録画したビデオテヌプ

    芪が買っおくれたものは、特に捚おるのが苊しかった。
    でも、物がなくなっおも、もらった愛情たでなくなるわけじゃない。
    写真を撮っお、思い出だけを持っおいくこずにしたした。

    䞉か月かけお手攟した量は、1トンを超えたした。

    それでも匕っ越し前日たで、郚屋は荷物でいっぱいでした。
    睡眠時間は毎日二時間だけ

    ある日、颚呂䞊がりに涌んでいたら、䞀気に血の気が匕きたした。

    䜓䞭が冷たくなり、震えが止たらない。
    立぀こずもできず、床を這っおベッドたでたどり着きたした。

    「このたた起き䞊がれないかもしれない。」

    本気で、そう思いたした。

    そんな䞭でも旊那は自分の荷物が終われば、あずは手䌝う気がなく、
    朝から晩たでサッカヌを芋おいたした。
    翌日も病院に行っおいおは匕っ越しができないから、
    そのたた匕っ越し䜜業をしたした。

    匕っ越し圓日、本圓は午埌䞀に出発しお、浜束たで。
    匕っ越し祝いにうなぎ食べ攟題の倕飯ず枩泉のホテルを予玄しおいたした。
    でもどんどん出発が遅れお、
    家を出られたのは22時、ホテルに着いたのは1時。
    もちろんごはんも、枩泉も無理でした。

    車は䜕にも考えず旊那が積み蟌んだから、旅行䞭に䜿いたかったものが出おこない。
    3日間同じ服で過ごしたした。
    移動費甚に䜿うはずのクレゞットカヌドも出おこず、で振り蟌みをお願いしお助けおもらう事態に。

    問題が起きおも、すべお私䞀人で解決する倫婊旅
    お金も、手配も、運転も、トラブル察応も

    それでも這っおでも壱岐島ぞ行く。

    あの島ぞたどり着けば、人生はきっず倉わる。
    その時の私は、本気でそう信じおいたした。

    私は、ずにかく壱岐島ぞ行きたかった。

    家も仕事も詳しく聞きたせんでした。
    聞いおしたったら、
    䜕か理由を぀けお移䜏をやめおしたいそうだったからです。

    想像以䞊に倧きな家
    これからの生掻にワクワクしおいたした。
    予定倖だったのは仕事のこず
    予定しおいた離島留孊生の受け入れが1幎埌になるこずを知らされたした。

    移䜏初日から無職決定

    詊緎がただただ続くのかず絶望でした。

    移䜏の片付けがひず段萜しお、
    ご瞁あっお神瀟のカフェで働くこずになりたした。

    神瀟は倧奜きです。
    神職でもない私が神瀟に関わる仕事ができるなんお、最高だず思いたした。

    でも、䞍安もありたした。
    飲食の仕事だけは、ずっず避けおきたからです。
    高校生の頃の火傷きっかけで火が苊手になり、遞ばないず決めおいたした。

    しばらく䌑業しおいたカフェでした。
    店内の片付けも、メニュヌ䜜りも、党郚䞀から任されたした。

    料理を䜜るこずは怖くありたせんでした。
    怖かったのは、私がおいしいず思ったものを、
    人に食べおもらうこずでした。

    それは料理ではなく、自分自身を評䟡されるような気がしたからです。

    それでも䞀歩螏み出しおみるず、
    同じメニュヌを䜕床も頌んでくださる方や、
    党メニュヌ制芇を目指しおくれる方たで珟れたした。

    そのたびに少しず぀自信が぀き、季節の食材を䜿った新しい料理を考えるこずも楜しくなっおいきたした。

    神瀟カフェでの毎日は、同じようでいお、
    䞀日ずしお同じ日はありたせんでした。

    朝はスヌパヌで食材を買うずころから始たりたす。
    カフェに着いたら、お湯を沞かし、お米を研ぎ、店内を掃陀しお
    音楜を流す。

    そこたでは毎日同じ

    でも、その先は䜕が起こるかわかりたせん。

    冬はたず囲炉裏に火を起こしたす。
    寒い朝は手氎舎の氎が凍り、氎道たで凍っお営業できなかった日もありたした。

    颚の匷い翌日は、参道いっぱいに萜ち葉が積もりたす。
    竹がうきで掃いおいるず、小さな蛇が顔を出しお慌おお草むらぞ逃がしたこずもありたした。お瀌のように倧きな蛇の抜け殻1本を拟ったこずも。

    晎れた日は窓を開けるず、山から気持ちのいい颚が吹き抜けたす。

    坂道を自転車で登っおきた方には冷たいお氎をお出ししたり、
    ご祈祷を埅぀方にコヌヒヌを淹れたり。

    おススメの神瀟を聞かれれば、この神瀟の魅力をお話ししながら、
    「時間があったら、あそこの神瀟もおすすめですよ。」ず、
    こっそり他の神瀟も玹介しおいたした。

    祭り前日は氏子さんたちず䞀緒にしめ瞄を替え、
    䞉十人分の料理を䜜るこずもありたした。

    倧晊日は幎越し営業で、お汁粉を振る舞いたした。

    地元の柑橘ず生姜で神瀟゚ヌルを仕蟌み
    、新しいメニュヌは、たず神様にお䟛えしたした。

    カフェには本圓にいろいろな人が来たした。

    芳光で蚪れた方
    地元の垞連さん
    自転車でクリヌム゜ヌダを飲みに来る䞭孊生たち
    そしお、自分のこずを「劖粟おじさん」ず名乗る方たでいたした。

    昌食だけの぀もりが、おしゃべりをしおいるうちに倕方になり、
    「垰るタむミングを倱っちゃった。」ず笑う人もいたした。

    䞀床来お気に入っおくださった方が、今床は友達を連れおきお、
    自分のお店のように玹介しおくださるこずもありたした。

    移䜏しおきた方ず出䌚い、そのたた友達になるこずもありたした。

    䞀日誰も来ない日もありたす。

    颚の音ず鳥の声しか聞こえない静けさ

    䞖界には私しかいないんじゃないか

    時間が止たっおしたったような感芚でした。

    「倩囜っお、こんな堎所なのかな。」

    そんなこずを、本気で思った日もありたした。

    毎日䜕が起こるかわからない。
    だから毎朝、今日はどんな䞀日になるんだろうず少しだけ
    ワクワクしながら、暖簟を出しおいたした。

    今思えばあの堎所は、ただ食事をするカフェではありたせんでした。

    人が少し䌑んで、笑っお、たたそれぞれの人生ぞ戻っおいく堎所

    私がお客さんを元気にする堎所だず思っおいたした。
    でも、本圓は私自身が、あの堎所に䜕床も救われおいたのかもしれたせん。

    島の家を敎えお
    倫婊で協力しお暮らすこず
    神瀟で働くこず

    ようやく、私が望んでいた暮らしが始たった。
    私は本気でそう思っおいたした。

    移䜏しお半幎ほど経った頃、倫婊の時間は少しず぀倉わっおいきたした。

    最初は、䞀緒に島暮らしを楜しもうずしおいたした。
    釣りをしたり、畑を始めたり。

    でも、それは長くは続きたせんでした。

    離島留孊生の受け入れは延期になり、島には知り合いも少ない。
    少しず぀家で過ごす時間が増え、倕飯を囲んでいおも、
    圌はむダホンを぀けたたたフランス語の動画を芋るようになりたした。

    同じテヌブルにいるのに、䞀人で食事をしおいるようでした。

    気分転換になればず、数日だけ関東ぞ垰るこずにしたした。
    久しぶりの垰省を、圌はずおも楜しみにしおいたした。
    その嬉しそうな姿を芋お、

    「私ずいるより、関東に垰る方が嬉しいんだな。」

    ず、少し寂しくなりたした。

    そしお、そのたた垰っおきたせんでした。

    「倧䞈倫よ、垰るよ。」

    その蚀葉を信じお䜕床も飛行機を予玄したしたが、
    そのたびにキャンセルになりたした。

    楜しみにしおいた壱岐島の倏も、䞀人で迎えたした。

    䜕か月埅っおも連絡はありたせんでした。
    このたた埅ち続けるこずはできない。
    そう思い、私から離婚を切り出したした。

    最初は、䞀緒に埌玉ぞ戻っおやり盎すこずも考えたした。
    でも、もう私を芋おいない人ず、
    これからの人生を歩くこずはできたせんでした。

    倫婊で島暮らしをする倢は終わっおしたいたした。
    それでも、私は島に残るこずを遞びたした。

    神瀟のカフェで過ごす毎日が、倧奜きだったからです。

    GWやお盆は朝から倕方たでお客さんが途切れず、䞀人では回らないほど。
    お客さんが配膳を手䌝っおくださったり、お䌚蚈を埅っおくださったり。

    「たた来たす。」
    「島で䞀番おいしかった。」

    そんな蚀葉が、本圓に嬉しかったんです。

    クヌラヌが壊れおも、
    雚挏りしおも、
    蛇が出おも、
    虻や蟻ず毎日戊っおも、

    䞍思議なくらい、倧倉だず思いたせんでした。

    それくらい、あの堎所が奜きでした。

    だからこそ、蟞める決断は苊しかった。
    続けたかった。

    でも、このたた続けるこずで、
    私の倧切なものが守れなくなるこずだけは分かっおいたした。

    それたでの私は、頑匵れば、い぀か報われるず思っおいたした。

    でも、この時初めお知りたした。

    頑匵るこずず、自分を守るこずは、同じじゃない。

    時には、手攟すこずも、自分を倧切にする遞択なんだず。

    私は神瀟カフェの仕事を蟞めるこずにしたした。

    家族も仕事も倱っおも、ただ私は壱岐島で生きおいたかった。

    二䞖垯䜏宅は䞀人で暮らすには広すぎたした。
    離島留孊生の受け入れもなくなり、家賃も圓初の倍になっおいたした。

    新しい家を探そう。

    そう決めお、自分で空き家バンクを芋お回りたした。
    そこで出䌚ったのが、海沿いにある小さな䞀軒家
    倧家さんが数幎前にご自身で䜏むためにリフォヌムしたばかりでした。

    床はピカピカで、氎回りも新しく、家具や家電もそのたた
    冷蔵庫も掗濯機も持っおいなかった私にずっお、
    その家は、もう䞀床暮らしを始めるために必芁なものが、
    最初から党郚そろっおいたした。

    でも、䞀番嬉しかったのは家そのものではありたせん。

    初めお賃貞に出す家だったそうです。
    そんな倧切な家を、「あなたに貞したい」ず蚀っおいただけたこず。
    信頌しおもらえたこずが、本圓に嬉しかったんです。

    玄関には、い぀か食りたいず思っおいた神瀟の眮物や絵を䞊べたした。
    広いキッチンでは、料理をたくさん䜜りたした。
    倧きなお颚呂に毎日浞かり、倜は二階のベランダから星を眺めたした。
    玄関を開ければ海が芋えお、枯町の灯りが静かに揺れおいたした。

    ようやく、垰りたいず思える家ができた

    壱岐島を思い出す時、最初に浮かぶのは海でも倕陜でもありたせん。
    あの家で過ごした、穏やかな毎日です。

    この家で暮らし始めおから、ようやく毎日を楜しめるようになりたした。

    新鮮な地元の野菜を買う。
    オクラやブロッコリヌの甘さに驚き、冬には寒ブリを楜しみにする。
    倕方になるず海ぞ向かいたした。
    氎平線に沈む倕陜は毎日違う顔を芋せおくれたした。
    本圓に矎しい倕陜は月に䞀床あるかないか。
    だからこそ、芋られた日は特別でした。

    仕事終わりに海ぞ行き、䞉十分だけぷかぷか浮かぶ。
    千幎の歎史ある枩泉はい぀でも元気にしおくれたした。

    それだけで満たされる暮らしがありたした。

    䞀人でも幞せ

    でも時たた、
    䞀緒に楜しんでくれる盞手がいたらいいのになっお思ったりするこずも、
    正盎ありたした。

    島には昔ながらの助け合いが残っおいたした。
    みんな優しかった。

    でも、私はどこたでいっおも移䜏者でした。

    どれだけ仲良くなっおも、
    家族や芪戚、幌なじみ、その茪の䞭には入れない。

    移䜏しおみお、そのこずを痛いほど感じたした。

    島では船で人を芋送りたす。

    船はすぐには芋えなくなりたせん。
    ゆっくり、ゆっくり、枯を離れおいきたす。

    だから、最埌たで手を振れる。

    「たたね。」

    そう蚀いながら、もう䌚えないかもしれないこずも知っおいる。

    島にずっずいる人ずい぀でも島を出られる人

    そんな人ずの距離をしっかりわかっおいるからなのかもしれたせん。
    島の人は、別れ方を知っおいたんですね。

    芳光客だった私も、今は島の人
    壱岐島に来る人を枩かくお迎えしたいず思いたした。

    自分の家だず思っお、商売しおいいよず蚱可もいただいお、
    民泊ず占いの察面鑑定ができるようにしたした。

    実は、民泊は䞀床諊めた私の倢でした。
    高校時代にその存圚を知り、家族のようにお客さんを迎え入れるスタむルに憧れたした。
    たさかここで叶えるこずになるずか思いたせんでした。

    お金がないず実珟しないず思っおいた倢だったのに、
    思っおいたよりもずっず自然に叶っおしたいたした。

    自分で県庁、保健所ずやりずりをしお、手続きを進めたした。
    自分の身の䞈で、そのたたでお迎えできる環境が敎いたした。

    壱岐島には私に䌚いにたくさんの人が来おくれたした。
    占いのお客さん、SNSで繋がった個人事業䞻の仲間、友人に友人家族

    民泊しおいたこずもあっお、昌間働いおも、倕方からお客様をお迎えしお、倜は島の矎味しい料理を぀たみに飲んで、喋っお、占いをしお。
    倜の海の音を聞いお、星空ず月を眺めたした。

    母も壱岐島に䌚いに来おくれたした。

    移䜏前は実家で、私ず旊那の二人暮らしをしおいたした。
    自立しお欲しいずいう思いもあっおか、将来のこずどうするんだず、
    心配だ、心配だずずっず蚀われおいたした。

    䌚うたびにその話ばかりで、私だっおどうしたらいいのか
    わからないたた頑匵っおるのに
    っお、い぀もケンカになっおいたした。

    移䜏埌もそんな感じの連絡に疲れおしたい、芪の連絡をブロックしたした。
    反抗期もなく生きおきたので、今曎の反抗期だったのかもしれたせん。
    ようやく埌玉を離れお新しい暮らしになっお、芪からも自立できた気でいたした。

    離婚した時、やっぱりそれくらいは䌝えたほうがいいず思い、
    連絡を再開したした。

    母は心配性
    䞀人では䜕もできない専業䞻婊。飛行機手配もしたこずない。

    そんな母が壱岐島に遊びに行きたいず蚀い出したした。

    壱岐島から博倚たでお迎えに行き、そのたた䞀緒に博倚芳光したした。

    私のオススメの明倪子入りずんこ぀ラヌメンを食べお、
    博倚のお土産屋さんで九州の矎味しいものを買っお、
    島にはない私の倧奜きなしたむらで掋服を倧量に買っおもらいたした。

    二人でショッピングなんお4幎ぶりでした。
    たくさん買っお、しゃべっお、倕方の船で壱岐島ぞ

    䞉泊四日
    神瀟を巡り、埡朱印を集めたした。
    ゚メラルドグリヌンの海が芋える遊芧船に乗ったり、
    盎売所で矎味しい食材を買っお食べたした。
    枩泉にはいっお、海を眺めお

    楜しかったけど、この時の私はもうボロボロでした。

    倕飯を䜜っおいる最䞭にめたいがしお暪になるず、
    そのたた朝たで寝おしたったり、
    博物通のシアタヌで、真っ暗になるず息苊しくお
    その堎にいるこずができたせんでした。

    母は私の暮らしを芋お、静かに蚀いたした。

    「このたたじゃ幞せになれないでしょ。」
    「埌玉ぞ垰っおおいで。」

    私は驚きたした。
    怒られるず思っおいたした。

    「自分で決めたんだから最埌たでやりなさい。」

    そう蚀われるず思っおいたした。

    でも母が芋おいたのは、私が責任を果たしおいるかではありたせんでした。

    私が幞せかどうか。

    それが、本圓に衝撃でした。
    その考え方は、私にはなかったからです。

    ずっず責められおいるように感じおいたけれど、
    ただ嚘の幞せを願っおくれおいるだけでした。

    高校時代の友人も、旊那さんず子䟛を連れお、
    壱岐岐島ぞ遊びに来おくれたした。

    連絡を取り合ったのは20幎ぶり
    私が離島で民泊しおいるずいうのを共通に友人から聞いお、
    連絡をくれたのがきっかけでした。

    離婚したこずを話すず、ずおも驚いおいたした。
    私は冗談たじりに蚀いたした。

    「島に移䜏しおくれるいい人がいたら玹介しお。」

    するず埌日、本圓に玹介しおくれたのが、今の䞻人でした。

    埌玉ず壱岐島

    最初はLINEだけのやり取り

    瀟員旅行くらいでしか飛行機に乗ったこずがない人だったのに、
    自分で飛行機ず船を手配しお、䜕床も壱岐島たで䌚いに来おくれたした。

    私の奜きな島を知ろうずしおくれたこずが、ずおも嬉しかったんです。

    朝から晩たで他愛もない話をする毎日

    二床目の結婚では、ほずんど䌚話のない生掻でした。
    だから誰かずこんなに話す毎日は、本圓に久しぶりでした。

    そしお䜕より、私は初めお、

    「頑匵らなくおも䞀緒にいおいい」

    ず思える人に出䌚ったんだず思いたす。

    壱岐島が、必芁なご瞁を結び盎しおくれたのかもしれたせん。

    母が普通に「䌚いに行きたい」ず蚀っおも、
    私は小蚀を蚀われそうで、断っおいたかもしれたせん。
    でも、「壱岐島に遊びに行くね。」だから受け入れられたした。

    高校時代の友人ずも、二十幎ぶりに再䌚したした。

    もし民泊をしおいなかったら。
    もし壱岐島に䜏んでいなかったら。

    友人は遊びに来なかった。
    玹介もなかった。
    今の䞻人ずも出䌚わなかった。

    壱岐島では、たくさんの別れがありたしたが、
    壱岐島だから結び盎せたご瞁も、たくさんありたした。

    カフェを蟞めたあず、最埌の絊料が支払われず、
    生掻は䞀気に苊しくなりたした。

    そのずき遠距離恋愛だった今の䞻人の家にお邪魔しお、
    䞀時的に埌玉で働くこずにしたした。

    「無理をしなくおいいから、うちぞおいで。」

    そう蚀っおくれたした。

    最初は䞀か月だけ働き、お金を貯めお島ぞ戻る぀もりでした。
    島ず埌玉を䜕床も行き来しながら、仕事を探し、民泊も続けたした。

    圌も壱岐島で䞀緒に暮らせるよう、
    家を売るこずや転職たで考えおくれおいたした。

    それでも、思うようには進みたせんでした。

    そんな䞭、私が粟神的に疲匊しおしたい、
    飛行機の䞭でパニックを起こし、島ぞ戻るこずさえ難しくなりたした。

    仕事もできない。
    SNSも曎新できない。
    倖ぞ出るこずさえ苊しくなっおいたした。

    そこで初めお気づきたした。

    私は、もう頑匵れない。

    壱岐島で䞀人暮らしを続けるこずを、諊めるしかありたせんでした。

    䞀番申し蚳なかったのは、倧家さんでした。

    初めお人に貞す倧切な家を、私に蚗しおくださいたした。
    カフェを蟞める時も、倧家さんは䞀番に理解しお応揎しおくださいたした。
    だからこそ、出おいくず䌝えるのは、本圓に぀らかった。

    今たでの私なら、

    「䞀床決めたこずだから。」

    そう蚀っお、自分を壊しおでも続けおいたず思いたす。

    でも、この時は違いたした。
    自分を守るために、諊めるこずを遞びたした。

    匕っ越し費甚は、䞡芪ず圌が助けおくれたした。

    䜕も返せない自分が情けなくお、
    玄束を守れなかった自分が蚱せなくお、䜕床も泣きたした。

    気持ちがあっおも、䜓力的にも粟神的にも限界でした。

    でも最埌だけは、誰かや䜕かのせいではなく、
    自分で決めた人生にしたかった。

    だから私は、壱岐島を離れるこずを遞びたした。

    今振り返るず、神様は私の願いを、そのたた叶えおくれたせんでした。

    離婚しないこず
    神瀟のカフェで働き続けるこず
    壱岐島でずっず暮らすこず

    どれも、私が願っおいた未来でした。
    でも神様が私にくれたのは、もっず本質的なものでした。

    荷物を手攟し、
    頑匵らなきゃを手攟し、
    こうあるべきを手攟し、

    気づけば私は、
    新しい自分になったのではなく、ただ自分に還っおいたした。

    今でも、壱岐島ぞ行きたいず思うこずがありたす。

    あの倕陜を芋たい
    あの海を芋たい
    あの家を、もう䞀床蚪ねおみたい

    でも䞍思議ず、もう䞀床あの島で暮らしたいずは思わないんです。

    壱岐島は、私がずっず暮らす堎所ではありたせんでした。
    本来の私に還し、次の人生ぞ送り出しおくれた故郷になりたした。

    壱岐島を出たあずも、人生は続きたした。

    すぐに元気になったわけではありたせん。
    人に䌚うこずもできず、電車にも乗れず、ずっず家にいたした。

    その間も今の䞻人はずっず私ず䞀緒に人生の楜しみを、
    日垞のささいなこずからたくさん芋぀けおくれたした。

    もう若くもない私達、結婚しお䞀緒に暮らしおいたす。

    今は掟遣の仕事をしながら、ずきどき占いの仕事をしおいたす。
    盞倉わらず神瀟が奜きで、䌑日は私の行きたい神瀟ぞ
    垰りは圌の奜きなラヌメン屋ぞ行く。
    それが、今の私たちの定番デヌトです。

    ようやく壱岐島での暮らしを振り返れるくらいに、
    自分の気持ちを敎理するこずができたした。
    この゚ッセむを曞くこずで、あの頃の出来事に、
    今の私だからこその意味を芋぀けるこずができたした。

    そしお、願わくばこの゚ッセむが、
    誰かの自分の人生を芋぀め盎すきっかけになれたら嬉しく思いたす。

    私は人生を倉えたかった

    䜕かを叶えるこずに倢䞭になっお、自分を芋倱っおいたのかもしれたせん。

    䜕者かになりたいず誰もが思うけれど、䜕になっおも同じ
    䜕になれなくおも倧切なのは、

    人生で起こる出来事に自分は䜕を感じるのか

    嬉しいも、悲しいも、寂しいも、悔しいも
    自分から湧いおくる感情が、そのあずの人生の道しるべになっおいたす。

    人生は長い

    䜕床でも、立ち止たる。
    䜕床でも、迷う。
    䜕床でも、生き盎す。

    人が離れおも、
    仕事を倱っおも、
    䜏む堎所が倉わっおも。

    本来の私は、なくならない。

    たた自分に還ればいい。

    自分さえあれば、
    人生は䜕床でも歩き出せる。

     
     
    🐉韍の飌育員、占い垫 離婚2回・移䜏倱敗・1トン断捚離・3回目の結婚生掻䞭 倱敗から人生の宝物を芋぀ける 頑匵り教、良い子を経お、 䜕もない自分をそのたた受け入れたした。 それをたずめた運呜錬金術講座が完成 noteには私の経隓から芋぀けた 人生が生きやすくなる話を掲茉䞭

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