疲れる子育てに、「適当でいい」を増やしたい

Xで「子育てでは選択過剰負荷を減らしたほうがいい」という話を書きました。

あの投稿では短くしか書けなかったのですが、子育てをしていると本当に「やること」以上に「決めること」に削られるな、とよく思います。
そのうえ厄介なのは、悩みぬいたところであまり改善されないことも多い、ということです。

「これなら食べるかな?」と悩んでも、子どもの気分には勝てない

子育てをしていると、毎日のように小さな選択に迫られます。

朝ごはんはパンがいいのか、ごはんがいいのか。
バナナなら食べるのか、ヨーグルトならいけるのか。
「昨日これ食べたから、今日もいけるかも」と思って出したら、見事に首を横に振られる。しかも、昨日はあんなに食べていたのに、今日はまるで初対面みたいな顔をされる。

「これなら食べるかな? こっちのほうが食べるかな?」と、こちらは真剣に考えているのに、相手はその日の気分であっさり判定を覆してくる。
子どもの“食べる・食べない”の前では、親の予想も工夫も、わりと普通に負けます。

もちろん、栄養や食習慣は大事です。
でも、日々の食事のたびに「今回は成功するか…!?」と気合いを入れすぎると、こちらのメンタルが先にやられます。

ちゃんと選んだおもちゃより、おまけのほうがウケる日もある

おもちゃも似たようなところがあります。

「これは長く遊べそう」
「知育にもよさそう」
「レビューも高いし、きっと気に入るはず」

そんなふうに、親は親なりにいろいろ考えて選びます。
考えます。かなり考えます。場合によっては商品ページを3日くらい寝かせます。

満を持して渡した結果、反応はそこそこ。
一方で、なにかについてきた謎のおまけ、スーパーでもらったシール、通販の段ボール、そういう“本命ではないもの”に限って異様にハマる。

「あのおもちゃより、こっち!?」
ということが、子育てでは本当によくあります。

親としてはちょっと複雑です。
でも、子どもってそういうものなんですよね。
こちらの「これが刺さるはず」という読みを、軽やかに飛び越えていく。

子育てって、努力と結果が比例しないことが多すぎる

たぶん、子育てがしんどい理由のひとつはここです。

頑張れば頑張った分だけ成果が出るなら、まだわかりやすい。
でも子育ては、こちらが悩んだ時間や工夫の量と、目の前の結果があまり比例しないことが多い。

食事もそう。
おもちゃもそう。
寝かしつけもそう。
渾身の読み聞かせより、「もう一回その変な顔して」で大笑いされたりもする。

いや、かわいいんですけどね。かわいいんですけど、親の努力の評価軸が独特すぎる。

だから、子育てって「やることが多い」だけじゃなくて、
“考えたわりに報われないことがある”のが、地味に心を削るんだと思います。

だから全部をちゃんとやろうとしないほうがいい

ここで最近思うのは、
子育てって、全部をちゃんとやろうとしないほうがうまくいくことがある、ということです。

もちろん、投げやりになるという話ではありません。
安全のこと、健康のこと、生活の土台になることはちゃんと大事。
でも、それ以外のすべてまで「最適解を出そう」とすると、親のほうが先にガス欠になります。

ごはんは毎回ホームランじゃなくていい。
おもちゃ選びも毎回大当たりを狙わなくていい。
「今日はこれでいっか」があっていい。

子育てって、毎日フルスイングしていたら続かないんですよね。
たまには送りバントみたいな日があってもいい。
なんなら見逃し三振みたいな日も、人生にはあります。

子育てにはパレートの法則くらいがちょうどいい

いわゆるパレートの法則では、「結果の大部分は、一部の重要な要素で決まる」と言われます。

これ、子育てにもけっこう当てはまる気がしています。

全部を100点にしなくても、
大事なところを外さなければ、意外とちゃんと回る。

たとえば、

  • 安全が守られている

  • ちゃんと眠れている

  • 親が無理をしすぎていない

  • 子どもが安心して過ごせている

  • 家の空気がずっとピリピリしていない

このあたりが押さえられていたら、日々の細かい選択は少し雑でも、そこまで致命傷にはならないことも多い。

逆に、毎回完璧に選ぼうとして親が消耗しきってしまうほうが、長い目で見るとしんどい気がします。

子育ては“全部を頑張る競技”ではなくて、
“力を入れる場所を見極める競技”なのかもしれません。

出産祝いも、結局は“何をあげるか”より“気持ち”が残る

引用元の漫画もまさにこれで疲弊しているのだと思います。

出産祝いって、けっこう悩みますよね。
実用的なものがいいのか、ちょっと気の利いたものがいいのか。
すでに持っていそうか、好みに合うか、かぶらないか。
考え出すと、キリがありません。

でも、受け取る側として振り返ると、
最後に残るのって「何をもらったか」だけじゃなくて、
「祝おうとしてくれた」「気にかけてくれた」という気持ちだったりします。

もちろん、相手を思って選ぶことは大事です。
でも、“完璧な一品”を当てることだけが価値ではない。

子育ても、ちょっとそれに似ている気がします。

子育ても同じで、「何を選ぶか」より「どう向き合うか」が大事

どのごはんを出すか。
どのおもちゃを買うか。
どの方法を試すか。

そういう選択ももちろん大事なんですが、
それ以上に大事なのは、日々どういう気持ちで向き合っているか、なのかもしれません。

食べなかったときに、毎回自分を責めすぎないこと。
おもちゃがハズレでも、「まあそういう日もあるか」と笑えること。
完璧を目指しすぎて、親子でずっと苦しい空気にならないこと。

子どもにとっては、毎回ベストな選択肢が与えられることより、
目の前の大人がなんだかんだ機嫌よくいてくれることのほうが、案外大きいのかもしれません。

適当でいいことを増やすと、少しラクになる

だから最近は、
「適当でいいことを、ちゃんと適当にする」のも大事だなと思っています。

悩んだところで子どもの気分には勝てないこと。
狙いすましたおもちゃより、おまけが勝つこと。
考え抜いても、大差が出ないこと。

そういうものまで全部本気で抱え込むと、親がもたない。

適当でいいことは適当にする。
そのぶん、本当に大事なことに気力を残しておく。
それくらいで、ちょうどいいのかもしれません。

子育てって、毎回正解を選ぶことじゃなくて、
家族がなんとか今日も回ったね、と思えることの積み重ねなのかもしれません。

そしてたぶん、子どもは親が思うほど、
「この日のおかずの最適解」や「厳選されたおもちゃの正答率」を見ていない。
見ているのはもっと別のところ――
一緒に笑ってくれたこととか、ちゃんと自分を見てくれたこととか、そういうことなんじゃないかなと思います。

なので、悩みぬいてもあまり改善されないことは、少し適当でいい。
そのくらい肩の力を抜いたほうが、結果的に親にも子にもやさしい気がしています。

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