本来の自分に戻る旅〜宝探しが人を再生する〜
プロローグ 身体を治したかっただけだった
私は長い間、自分の身体を治したかった。
不眠。
呼吸苦。
動悸。
慢性的な疲労感。
原因がはっきりしない不調に悩み、自律神経や姿勢、アロマや整体、東洋医学について学び始めた。
看護師として働きながら、人の身体を支える仕事をしているにもかかわらず、自分自身の身体の扱い方が分からなかった。
なぜこんなに生きづらいのだろう。
なぜ頑張っているのに楽にならないのだろう。
そんな問いを抱えながら、私は何年も身体と向き合ってきた。
しかし振り返れば、私が本当に探していたのは健康ではなかったのかもしれない。
身体を治したかったはずなのに、気づけば私は幼少期の記憶を掘り起こしていた。
幼稚園でバスを待っている間に友だちと触っていた蟻やダンゴムシ。
空き地でみんなと一緒に遊んだり虫取りをしていたこと。
お泊まり会で一緒に食べたカレーライス。
当時まだ無名だったポケモンを教えてくれた友だち。
一緒にロックマンをして遊んだ隣町の友だち。
そして『大どろぼうホッツェンプロッツ』。
それらはただの思い出だと思っていた。
だが違った。
それは私が人生の途中で置き忘れてしまった宝物だったのである。
これは、自律神経失調症になった看護師が、自分自身を治そうとして始めた旅の記録である。
そして気づけばそれは、
本来の自分に戻る旅になっていた。
第一章 世界は最初からぼんやりしていた
私は生まれつき裸眼視力が〇・〇三だった。
今思えばかなりの近視である。
しかし不思議なことに、幼稚園の頃はそれほど不自由だった記憶がない。
時計の針もなんとか見えていた。
友達の顔も分かっていた。
空き地を走り回り、ダンゴムシを集め、バッタを追いかけていた。
世界は今よりぼんやりしていたはずなのに、なぜか今より生きやすかった。
幼い私は虫が好きだった。
ダンゴムシも平気で触れた。
バッタも蝶々も好きだった。
クワガタやカブトムシにも夢中になった。
今になって思う。
虫たちは私を否定しなかった。
怒鳴らなかった。
評価もしなかった。
ただそこにいた。
私は安心して彼らと同じ世界にいられた。
ところが幼稚園の頃、野球少年が投げたボールが私の右目に当たった。
それをきっかけに視力はさらに低下し、やがて眼鏡をかけるようになった。
当時の私は特に深く考えていなかった。
しかし今振り返ると、あの頃から少しずつ身体の感覚が変わり始めたような気がしている。
眼鏡をかけるようになってから姿勢が崩れた。
呼吸が浅くなった。
身体の軸が弱くなった。
もちろん科学的に証明できる話ではない。
だが私自身の感覚としては、あの日を境に世界との付き合い方が変わったような気がするのだ。
世界を感じるのではなく、世界を頑張って見ようとするようになった。
その感覚は後の人生にもどこか似ていた。
第二章 ちゃんとしなければならない
父は腎不全を患っていた。
入退院を繰り返していた。
子どもだった私は病気の意味を十分理解していなかった。
しかし家の空気は感じていた。
母の不安も感じていた。
ある夜のことを今でも覚えている。
夫婦喧嘩の後だった。
母は仏壇の前で必死に祈っていた。
私はその姿を少し離れた場所から見ていた。
当時は意味が分からなかった。
でも最近になって思う。
子どもは思っている以上に空気を吸っている。
言葉にされない不安も。
親の悲しみも。
家庭の緊張感も。
全部身体で感じ取っている。
だから私は五歳や六歳の頃から、無意識のうちに何かを決めたのかもしれない。
ちゃんとしなければならない。
頑張らなければならない。
家族を守らなければならない。
そしていつしか、
このままの自分では価値がない。
何者かにならなければならない。
そんな信念へと変わっていった。
幼い頃、私は母にこう言ったことがある。
「将来はお金屋さんになりたい」
困っている人を助けたかった。
それが理由だった。
しかし母はこう言った。
「そんなので自分が食べていけないやん」
母に悪気はなかったと思う。
親として当然の心配だったのだろう。
だが子どもの私は深く傷ついた。
私が否定されたような気がした。
今振り返ると、その時から少しずつ、
やりたいことより、
失敗しないこと。
ワクワクより、
将来困らないこと。
を優先するようになっていったのかもしれない。
第三章 進学塾とホッツェンプロッツ
小学校三年生になる頃、私は進学塾へ通い始めた。
本来は高校受験に備えるためだった。
しかし当時のクラスは中学受験コースしかなかった。
私は中学受験をする予定はなかったが、そのクラスへ入ることになった。
正直に言うと、勉強はあまり好きではなかった。
テストで良い点を取ることよりも、友達と遊ぶ方が楽しかった。
ゲームをする方が楽しかった。
虫を追いかける方が楽しかった。
それでも私は塾へ通った。
なぜだろう。
最近になって思う。
勉強が好きだったからではない。
将来困らないように。
家族を安心させるために。
ちゃんとした大人になるために。
そんな気持ちがどこかにあったのだと思う。
塾の教室はいつも蛍光灯の光で明るかった。
窓の外の景色より、机の上の問題集を見る時間の方が長かった。
植物もなかった。
自然もなかった。
そこには成績と偏差値の世界があった。
今振り返ると、少し息苦しい場所だったように思う。
だが、そんな塾にも楽しみが一つだけあった。
国語の先生だった。
先生は授業の最後に、毎回少しずつ本を読み聞かせてくれた。
その本の名前は、
『大どろぼうホッツェンプロッツ』
だった。
私はその時間が大好きだった。
続きが気になって仕方がなかった。
次の授業が待ち遠しかった。
ホッツェンプロッツがどうなるのか。
次はどんな展開になるのか。
ワクワクしていた。
不思議なもので、三十年以上経った今でもその記憶だけは鮮明に残っている。
テストの点数は覚えていない。
偏差値も覚えていない。
何点取ったのかも覚えていない。
でもホッツェンプロッツは覚えている。
なぜだろう。
その理由が最近になって分かった気がする。
私は昔から物語が好きだったのだ。
人の人生の話が好きだった。
冒険が好きだった。
空想が好きだった。
だから今、本を書いている。
だから今、人の話を聴く仕事に惹かれている。
あの頃の私はまだ知らなかった。
人生を決めるのは偏差値だけではないということを。
あの国語の先生は、知らないうちに私の人生に種を蒔いてくれていたのかもしれない。
第四章 悠貴くん
小学校一、二年生の頃。
私には一番仲の良い友達がいた。
悠貴くんだった。
彼は優しい子だった。
何をする時も、
「なんでもいいよー」
と言ってくれた。
関西弁でノリツッコミもできる。
一緒にいると楽しかった。
私はよく彼をからかっていた。
今思うと結構ひどいことも言っていた気がする。
それでも彼は笑っていた。
怒らなかった。
受け止めてくれた。
当時まだ世間ではそれほど知られていなかったポケモンを教えてくれたのも彼だった。
私たちはよく一緒に遊んだ。
明日も会えると思っていた。
来週も会えると思っていた。
ずっと友達でいられると思っていた。
しかしある日、悠貴くんは引っ越すことになった。
隣町だった。
最初の頃は何度か遊びに行った。
でも少しずつ会わなくなった。
子どもというのは不思議だ。
会おうと思えば会える距離でも、少しずつ生活が変わっていく。
学校が違う。
友達が変わる。
遊ぶ場所も変わる。
気づけば会わなくなっていた。
連絡先も知らない。
そのまま音信不通になった。
当時は平気だと思っていた。
泣いた記憶もない。
だから私は何も感じていなかったと思っていた。
だが最近になって気づいた。
私は寂しかったのだ。
人生で初めて経験した別れの一つだったのかもしれない。
昨日まで当たり前だった存在がいなくなる。
それは子どもにとって、とても大きな出来事だった。
そして最近、幼少期の記憶を振り返る中で気づいたことがある。
私が思い出している宝物のほとんどは、人との思い出なのだ。
ダンゴムシも。
ポケモンも。
空き地も。
全部、人と一緒だった。
私は昔から人が好きだったのかもしれない。
人との縁が好きだったのかもしれない。
そのことに気づいた時、なぜか胸が温かくなった。
第五章 飽きたんじゃなくて、寂しかった
進学塾で仲良くなった友達がいた。
はるかくんだった。
電車で6駅隣の町まで遊びに行ったことを覚えている。
一緒にロックマンX4をした。
私はゲームが好きだった。
だが今思い出すのはゲームの内容ではない。
一緒に遊んだ時間の方だ。
笑いながら過ごした時間の方だ。
友達という存在そのものだった。
しかし私は途中で進学塾を辞めることになった。
もともと中学受験をするつもりはなかった。
だから塾を続ける理由もなくなった。
今なら普通に言える。
「塾辞めるねん」
その一言で済んだ話だった。
だが当時の私は言えなかった。
なぜか分からない。
今になって振り返ると、別れを認めたくなかったのかもしれない。
塾を辞めることになった時、私は泣いていた。
勉強が好きだったからではない。
むしろ勉強は苦手だった。
面白いとも思っていなかった。
それなのに泣いていた。
当時の私は、その理由が分からなかった。
そして最後の日。
はるかくんが聞いてきた。
「なんでもう会われへんの?」
私は本当のことを言えなかった。
塾を辞めること。
もう今までみたいには会えなくなること。
それを口にしたら泣いてしまいそうだったのかもしれない。
だから私は反対のことを言った。
「一緒に遊ぶの飽きてん。」
今思い出しても胸が痛む。
なんてひどい言葉を言ったのだろう。
はるかくんは傷ついたと思う。
悲しかったと思う。
子どもだった私には分からなかった。
でも今なら分かる。
私は飽きたのではなかった。
寂しかったのだ。
別れたくなかったのだ。
本当はもっと遊びたかったのだ。
四十歳手前になって、ようやくそのことに気づいた。
人は時々、本当の気持ちとは反対のことを言う。
平気なふりをする。
強がる。
傷ついていないふりをする。
子どもの私は、それしかできなかった。
だが、その出来事を思い出した時、私は不思議な感覚に包まれた。
後悔だけではなかった。
あの時の自分を責める気持ちでもなかった。
むしろ、
「あぁ、そんなに大切な友達やったんやな」
という温かい感覚だった。
私は何かを失ったのではなかった。
人を大切に思える心を持っていたのだ。
そのことを思い出したのである。
第六章 ゆりえちゃん
もう一つ忘れられない出来事がある。
小学校三年生の時のことだ。
同じクラスに、ゆりえちゃんという女の子がいた。
ある日、算数の授業で答え合わせをしていた。
お互いのノートを交換して、丸やバツをつける時間だった。
私はゆりえちゃんの答案を見ながら採点していた。
ある問題に丸をつけようとした。
だが途中で気づいた。
「あ、間違ってるわ。」
そこで丸をやめてバツにした。
しかし丸とバツが両方あると分かりにくいと思った。
私は子どもなりに親切心を発揮した。
分かりやすくしようと思ったのである。
そして私は大きく、
レ
レ
レ
バツ
バツ
バツ
と書いた。
今思えば意味不明である。
だが当時の私は本気だった。
ところが、それを見たゆりえちゃんは突然泣き出した。
私は焦った。
何が起きたのか分からなかった。
怒らせるつもりなんてなかった。
むしろ分かりやすくしたつもりだった。
しかし相手にはそう伝わらなかった。
その時の私は、
人の気持ちを理解するのが少し苦手だったのかもしれない。
今なら分かる。
ゆりえちゃんから見たら、
たくさんのバツを並べられたように見えたのだろう。
責められたように感じたのかもしれない。
私は悪気なく人を傷つけることがあった。
でも不思議なことに、この出来事も最近になって思い出した。
なぜだろう。
考えてみると、私は昔から人と関わることが好きだった。
だからこそ失敗もした。
人と関わらなければ傷つけることもない。
だが私はいつも人の中にいた。
友達と遊んだ。
笑った。
失敗した。
後悔した。
それでもまた人と関わった。
昨日から思い出している宝物は、そのほとんどが人との思い出だった。
私は自然が好きだった。
物語も好きだった。
でもその奥にはいつも人がいた。
もしかすると私の人生の宝物とは、
人との縁そのものだったのかもしれない。
第七章 身体は敵ではなかった
父は腎不全だった。
私が子どもの頃から病院は身近な場所だった。
入院。
透析。
検査。
白い病室。
消毒液の匂い。
子どもながらに、父が大変な病気であることは分かっていた。
だから私は看護師になった。
もちろん理由はそれだけではない。
だが父の存在が大きな影響を与えたことは間違いない。
困っている人を助けたい。
苦しんでいる人の力になりたい。
幼い頃に言った「お金屋さんになりたい」という夢も、本質は同じだったのかもしれない。
私は昔から、人を助けたい人間だった。
看護師になってからも一生懸命働いた。
夜勤もした。
勉強もした。
利用者さんのために頑張った。
家族のためにも頑張った。
もっと成長しなければ。
もっと役に立たなければ。
もっと頑張らなければ。
そうやって走り続けていた。
しかしある頃から身体が悲鳴を上げ始めた。
眠れない。
呼吸が苦しい。
動悸がする。
疲れが取れない。
検査をしても大きな異常は見つからない。
それなのに苦しい。
私は自律神経失調症と向き合うことになった。
当時の私は必死だった。
横になっても眠れない。
眠っても疲れが取れない。
身体は疲れているのに頭だけが動き続けていた。
将来のこと。
仕事のこと。
家族のこと。
お金のこと。
考えなくてもいいことまで考え続けていた。
夜中に目が覚める。
また考える。
朝になる。
身体は全く休まっていない。
それでも仕事へ向かう。
当時の私は、
「もっと頑張れば何とかなる」
と思っていた。
しかし何ともならなかった。
むしろ少しずつ悪化していった。
今振り返ると、あれは地獄だった。
仏教でいう地獄界という言葉がある。
怒りや恐れや不安に支配され、
生きることそのものが苦しくなる状態。
私にとってあの頃は、まさに地獄界だった。
そして最近になって気づいたことがある。
本当に苦しかったのは呼吸だけではなかったのかもしれない。
私はずっと走り続けていたのである。
五歳や六歳の頃から。
ちゃんとしなければならない。
家族を守らなければならない。
将来困らないようにしなければならない。
このままの自分では価値がない。
何者かにならなければならない。
そんな小さな子どもが背負うには重すぎる荷物を抱えたまま、私は四十歳近くまで走り続けていたのだ。
当時の私は必死だった。
治さなければ。
元に戻らなければ。
もっと頑張らなければ。
そう思っていた。
だが今振り返ると、その考え方そのものが苦しさを生んでいたような気もする。
私は身体を治そうとしていた。
しかし身体は壊れていたわけではなかった。
身体はずっと私に何かを伝えようとしていたのだ。
「頑張りすぎているよ。」
「本当の気持ちを置き去りにしているよ。」
「もっと大切なものを忘れているよ。」
そう言っていたのかもしれない。
私は身体を敵だと思っていた。
しかし本当は違った。
身体は人生の案内人だったのである。
第八章 宝探しが人を再生する
ある日から、不思議なことが起き始めた。
幼少期の記憶が次々と蘇ってきたのである。
最初は意味が分からなかった。
なぜ今さらそんなことを思い出すのだろう。
なぜダンゴムシなのだろう。
なぜ悠貴くんなのだろう。
なぜホッツェンプロッツなのだろう。
しかし思い出していくうちに気づいた。
それらは偶然ではなかった。
全部、私の宝物だったのである。
人は傷ついた記憶ばかりを覚えているわけではない。
本当に大切な記憶も身体の奥に残っている。
友達と笑った時間。
物語に夢中になった時間。
自然の中で遊んだ時間。
何者かになろうとする前の自分。
それらは消えていたわけではなかった。
ただ忘れていただけだった。
私は長い間、自分の問題を解決しようとしていた。
身体を治そうとしていた。
不安をなくそうとしていた。
メンタルブロックを外そうとしていた。
しかし最近思う。
本当に必要だったのは問題をなくすことではなかったのかもしれない。
ワクワクを思い出すことだったのかもしれない。
子どもの頃、私は友達と遊ぶことが好きだった。
物語が好きだった。
人を助けたいと思っていた。
自然が好きだった。
それは四十歳手前になった今も変わっていない。
本来の自分とは、新しく作るものではなかった。
思い出すものだったのである。
第九章 公園での出来事
実は、この作品を書いている前日にも小さな出来事があった。
療育の帰り道だった。
息子が言った。
「公園行きたい。」
私は正直、少し面倒だった。
暑かった。
疲れていた。
家に帰って休みたかった。
最初は、
「今日はやめとこうか」
と言いそうになった。
しかし息子は諦めなかった。
結局私は公園へ向かった。
公園に着くと、息子はすぐに走り出した。
そして気づけば、そこにいた全く知らない子ども達の輪の中へ入っていった。
親同士も知らない。
子ども同士も初対面。
それなのに数分後には一緒に笑いながら遊んでいた。
私は少しソワソワしていた。
迷惑をかけていないだろうか。
嫌がられていないだろうか。
親としてそんなことばかり考えていた。
しかし子ども達は違った。
大人が作る境界線など最初から存在しないかのように、一緒に遊び始めた。
その光景を見ながら、私はなぜか微笑んでいた。
そして少し羨ましくもあった。
人は本来、こんなふうに繋がる生き物だったのかもしれない。
ふと足元を見ると芝生が広がっていた。
裸足ではなかったが、足裏から柔らかさが伝わってくる気がした。
大きな木が風に揺れていた。
頬に当たる風が心地よかった。
空は青かった。
その時、私は何かを思い出していた。
ダンゴムシを追いかけていた頃のこと。
空き地を走り回っていた頃のこと。
友達の家へ遊びに行った頃のこと。
もしかすると息子は公園へ行きたかっただけなのかもしれない。
でも私にとっては違った。
あの日、公園で出会ったのは息子だけではなかった。
私は昔の自分とも再会していたのだ。
最終章 本来の自分に戻る旅
先日、子ども達と昼寝をした。
娘をおぶり、息子も隣で眠っていた。
私はうつ伏せになり、少しだけ目を閉じた。
そして気づけば眠っていた。
目を覚ました時、不思議な感覚があった。
泣いた後のような感覚だった。
身体の中を大掃除した後のような感覚だった。
何かが浄化されたような感覚だった。
私は昔から眠ることが少し苦手だった。
身体は疲れているのに頭が休まらない。
考え事が止まらない。
そんなことがよくあった。
しかしその日は違った。
自然に眠れたのである。
そして、もう一つ気づいたことがあった。
胸の苦しさが少し減っていた。
劇的に何かが変わったわけではない。
病気が治ったわけでもない。
それでも確かに身体が軽かった。
呼吸もしやすかった。
不思議だった。
私は身体を治そうとしていたはずだった。
ところが最近やっていたことは、身体の治療ではなかった。
ダンゴムシを思い出していた。
空き地を思い出していた。
悠貴くんを思い出していた。
はるかくんを思い出していた。
ホッツェンプロッツを思い出していた。
私は昔の自分を思い出していたのである。
そして気づいた。
昔の自分も、こんなふうに安心したかったのかもしれない。
ダンゴムシを追いかけていた頃。
空き地を走り回っていた頃。
悠貴くんと遊んでいた頃。
はるかくんとロックマンをしていた頃。
ホッツェンプロッツの続きを楽しみにしていた頃。
あの頃の私は、まだ何者かになろうとしていなかった。
ただ毎日を生きていた。
ただ楽しいことに夢中になっていた。
私は長い間、自分の問題を解決しようとしていた。
身体を治そうとしていた。
不安をなくそうとしていた。
メンタルブロックを外そうとしていた。
しかし今思う。
身体が求めていたのは治療だけではなかったのかもしれない。
安心したかったのかもしれない。
寂しかった自分を抱きしめてほしかったのかもしれない。
悠貴くんとの別れ。
はるかくんとの別れ。
言えなかった言葉。
置き去りにしてきた気持ち。
それらが少しずつ繋がった時、身体もまた変化し始めたように感じた。
身体と心は別々ではなかった。
私の身体はずっと知っていたのだ。
私がどこに宝物を置き忘れてきたのかを。
人生は不思議である。
私は身体を治そうとしていた。
しかし気づけば、失ったものを探していた。
そして探していたものは、最初から自分の中にあった。
人との縁。
物語。
自然。
人を助けたいという願い。
それらは今も私の中で生き続けている。
だから私は思う。
インナーチャイルドケアとは傷探しではない。
宝探しなのだ。
そして宝探しは、人を再生する。
私はこれからも旅を続けていく。
半農半セラピーという生き方を目指しながら。
子ども達の成長を見守りながら。
人の人生の宝探しを手伝いながら。
本来の自分に戻る旅を。
その旅が終わる時は、私が笑顔でこの世を去る時だ。