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8日でフォロワー670人。「すごい文章を書いた人」だと思って見に行った。|敗北上等 セツごっこ

2026年9月22日朝時点の公開情報をもとに書いています。確認時点では685フォロワーでした。

8日で、フォロワー670人。

え?

何をしたら、そんなことになるんだろう。

ものすごい記事が一本、跳ねたのか。

どこかで大きく紹介されたのか。

もともと有名な人なのか。

いずれにしても、見に行けば「すごい文章を書いた人」がいるのだろうと思った。

気になって、見に行った。

そこにいたのは、

一人の侍だった。

アカウント名は、

「セツ|note転生した侍」

何が、この数字を生んだのか。

気になって、いちばん古い記事までさかのぼってみた。

最初の記事は、9月13日8時27分。

「自己紹介 はじめてのnote│殿を探しに参った」

殿を探しに、noteへ来たらしい。

ただ、ここで一つ、私の勘違いが分かった。

セツさんは、noteを始めて8日の完全な初心者ではなかった。

本人によれば、これは3つ目のアカウント。

過去には収益化を試した経験もあるという。

「noteを始めて8日で670人になった初心者」

そんな分かりやすい話ではなかった。

さらに読んでいく。

9月19日12時22分。

フォロワー500人を報告した記事があった。

そこには、

「相互フォローというものでここまでやってきた」

とはっきり書かれていた。

さらに記事数も数えてみた。

9月13日から21日までの9日間で、

72本。

平均すると、1日8本。

初日は17本。

相互フォロー。

そして、この投稿量。

670人になった理由を調べに来た私には、もう答えが出たように思えた。

「相互フォローして、たくさん投稿したから」

そう書けば終われる。

……でも、それだけなら、この記事は書いていない。

この侍、ずっと負けている

記事そのものを読んでいると、同じ言葉が何度も出てくる。

「自動改札、敗北。」

「フォロー返し、敗北。」

コメント制限に引っかかったときも、

「コメント制限、敗北。」

現代に転生した侍が、改札にもnoteにも負けている。

最初は、そういうキャラクターなんだと思っていた。

でも、一つの記事で手が止まった。

他の人が作った即興絵本を紹介する記事だった。

タイトルは、

「即興絵本、敗北。」

ん?

紹介しているのに、

負けている。

普通、誰かの作品を紹介するなら、

「この人、すごいです」

と書く。

私もたぶん、そう書く。

でも、セツさんは自分が負ける。

すると、勝ったのは相手になる。

自分のキャラクターを崩さずに、紹介した相手が主役になる。

本人がそこまで考えているのかは分からない。

でも、私にはそう見えた。

この「敗北」、

自虐だけじゃない。

人を紹介するときにも使える。

しかも、「敗北」は企画にまでなっていた。

9月16日に始まった、

「敗北上等 セツごっこ」

自分が負けた話なら参加できる。

長文じゃなくていい。

一行でもいい。

絵でもいい。

写真でもいい。

▼企画はこちら

「【初企画】敗北上等 セツごっこ|負けた話を書けば、それで参加」

敗北上等 セツごっこ企画記事

ここで、また少し気になった。

「成功した話を書いてください」

と言われると、困る人もいる。

でも、

「最近、何かに負けませんでしたか」

なら。

……ある。

私にもある。

「失敗しました」

だと、ちょっと書きにくい。

でも、

「拙者、敗北。」

なら、なぜか書けそうだ。

失敗だったものが、

「敗北」と呼んだ瞬間に、

少し遊びになる。

だから「セツごっこ」ができる。

ここまで読んで、最初に数えた「72本」の見え方まで変わってきた。

72本は、どこから生まれたのか

セツさんは質問箱を置いている。

読者から「攻略してほしいもの」を募集する。

地元や街を教えてもらう企画もある。

他の人が開いた企画にも参加する。

約1週間で、10企画。

自分の企画へ来てもらう前に、

自分が他人の企画へ行っている。

そして、誰かの記事を読む。

紹介する。

コメントする。

コメント制限に引っかかる。

すると、

「書けぬなら記事で書く」

と、また紹介記事になる。

なんだ、それ。

負けても記事になるのか。

人と接する。

何かが起きる。

それを書く。

人が来る。

その人の記事を読む。

また何かが起きる。

交流が記事を生み、記事が次の交流を生んでいた。

72本という数字だけを見ていたときには、気づかなかった。

コメント欄を開いた

それまで私は、

670人。

500人。

72本。

10企画。

ずっと数字を追っていた。

でも、コメント欄を開いて、別のところで手が止まった。

「セツさん」

ではなかった。

「セツ殿」

だった。

一人だけではない。

「お強いのであるな」

「おめでとうござりまする」

自分のことを、

「拙者」

と書いている人までいる。

あれ。

侍になっているのは、

セツさんだけじゃない。

読者まで、セツさんの世界の言葉を使っている。

世界観を読んでいるだけではなく、

その世界の言葉で話し始めている。

さらにコメント欄を見ていく。

セツさんが記事で紹介した、しれネコさん。

その数日後、500人到達の記事にもコメントしていた。

セツさんも返信している。

しかも、紹介した「石碑」の話を覚えていた。

別のコメントには、

「今回も記事でご紹介いただき、ありがとうございます」

という言葉もあった。

紹介して、終わりではない。

また来ている人がいる。

もちろん、全員がそうだとは言えない。

私が確認できたのは、いくつかの例だけだ。

それでも、

紹介 → また来る

という往復は、実際にあった。

最初に私が見ていたのは、

670という数字だった。

調べているあいだに、

681になった。

でも気づけば私は、

数字ではなく、

コメント欄に並んでいる名前を読んでいた。

セツさんも、人を紹介するときには名前を書く。

企画に参加した人を紹介する。

500人になった記事でも、他の人を紹介する。

フォロワーを増やしているように見えて、

同時に、

「フォロワーの一人」を、もう一度「名前のある一人」に戻している。

私には、そんなふうに見えた。

681人になった理由と、「セツ殿」と呼ばれる理由

もちろん、681人まで増えた理由を一つに決めることはできない。

本人が明言している相互フォロー。

9日間で72本という投稿量。

他の人の企画への参加。

他者の記事の紹介。

いくつもの行動が、同時に重なっている。

だから、

「敗北だから681人になった」

とは書けない。

「侍だから増えた」

とも書けない。

ただ、別のことなら言える。

集まった人たちが、

もう、

「セツ殿」

と呼び始めている。

企画に参加する人がいる。

紹介されたあと、また来る人がいる。

自分まで「拙者」と書き始める人がいる。

だとすると、

人が集まった理由と、集まった人が遊び始めた理由は、同じではないのかもしれない。

最初の疑問は、

「どうやったら8日で670人になるんだろう」

だった。

その答えを探して、

記事をさかのぼった。

数えた。

読んだ。

コメント欄まで開いた。

そして、いつの間にか、

疑問のほうが変わっていた。

どうしたら、人がまた来たくなる場所になるんだろう。

私が持ち帰ったのは、

フォロワーを増やす方法ではなかった。

自分の記事なのに、

他人を主役にできる。

自分の企画なのに、

参加した人を紹介できる。

そして、

自分が負けることで、

誰かを勝たせることもできる。

8日でフォロワー670人。

その理由を知りたくて、

私は一人の侍を追いかけた。

勝ち方を調べていたはずだった。

なのに、

最後に見つけたのは、

この人の「負け方」だった。

しかも気づけば、

私はこの記事を書いて、

「敗北上等 セツごっこ」に参加しようとしている。

そして今、

最後の一行をどう書こうか考えている私の頭に、

もう普通に、この言葉が浮かんでいる。

拙者、敗北。



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