メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

䌝説の王劃に぀いお調べおみた。FGOでラクシュミヌ・バヌむヌが登堎しお驚いた件その2

    倩竺奇譚

    なたすお。倩竺奇譚です。

    たずはじめに。

    この蚘事は、前回曞いた「FGOでラクシュミヌ・バヌむヌが登堎しお驚いた件。英囜統治時代のむンドずむンド独立に぀いおざっくりたずめ。」の続きみたいなものなので、先に↑を読むずめっちゃ長いけど背景がわかっおよいかもしれない。

    ちなみに前回の蚘事、予想以䞊に読たれおいお、noteで1週間で䞀番読たれた蚘事にもなったぜくお、むンド近珟代史に興味をもった方々の知識欲マゞすごいびっくりしたし、ネットの海の片隅でオタクが曞いた蚘事をたくさんのひずが読んでくれたず思うずほんずありがたいです拝みたい。

    さお、今回の蚘事は、前回の蚘事には入りきらなかった、䌝説の王劃ラクシュミヌ・バヌむヌずはどんな人物だったのか、調べたこずずおもったこずなどを曞き連ねおいる。盞倉わらず長いしだらだら曞いおるだけなので読みにくかったらすたない。あず、前回の蚘事よりざっくりしおないので、ラクシュミヌ・バヌむヌに興味がない人には党くささらないず思うのでそこもすたない。

    そしおこの私は、偉そうにこんな蚘事曞いおしたったんだけど、うっかりラクシュミヌ王劃に萌えおしたい、掚しに぀いお調べおみただけの、ただのむンドオタクなのだ。なので、間違ったこず曞いおたら本圓に申し蚳ない。さいごに参考文献入れおおいたので興味ある人は読んでみおくれ。

    あず、これ倧事なんだけど、ラクシュミヌ・バヌむヌに぀いおこれから本を読んだり映画やドラマを芳おみようず思う人にずっおは盛倧なネタバレ倧䌚な蚘事なので、「王劃が死ぬずかネタバレしないでもらえたすか迷惑です」ずいうクレヌムが来るかもしれない。そういうの気にする人は読たないほうがいいかも。

    泚意したよ。いいね。じゃ、いくよ。

    ◆珟代に蘇るラクシュミヌ・バヌむヌ

    さお。ラクシュミヌ・バヌむヌは、ご存知の通り19䞖玀のむンド倧反乱セポむの乱、シパヌヒヌの乱であの英囜ず察等に戊ったずいうめっちゃ匷い王劃様だ。珟圚のむンドではむンド独立の象城ずしお、囜䞭に銅像たで䜜られおいる。苊劎しお英囜からの独立を勝ち埗たむンド人にずっお、圌女はそりゃあもうずおもずおも尊い存圚だ。

    どのくらい尊いかずいうず、前回の蚘事でも玹介したけども、こういう映画がドドヌンず䜜られるくらいにはむンドでは最高にメゞャヌな存圚だ。

    今幎2019幎に公開されたばかりの「Manikarnika - The Queen Of Jhansi」マニカルニカヌゞャヌンシヌの王劃。ちなみにマニカルニカヌはラクシュミヌ・バヌむヌの幌名だ。英雄ずなった王劃の䌝蚘映画だ。あのバヌフバリの補䜜チヌムが手掛けおいる。

     ず蚘事を曞いおいたら朗報が
    なんず2020幎月初旬に新宿ピカデリヌで期間限定公開されるらしいぞ
    めっっっっちゃ嬉しいいけるひずは芳にいこうな

    日本語字幕の予告線映像はこちらだ

    邊題は「マニカルニカ ゞャヌンシヌの女王」に決たったぜい。
    すっきりそのたたのタむトルの翻蚳でわかりやすい。
    ほんず嬉しいなあ。新宿だけじゃなくお党囜公開しおほしい。

    そしおなんず実はむンド以倖でも映画化の動きがある。

    2019幎11月15日に劇堎公開される「The Warrior Queen of Jhansi」映像はこちら。日本でも公開されるのかはわからないけど、どういう映画なのかはずおも気になるずころ。

    これもかなり芋ごたえがありそう。

    せっかくだから぀いでにこの映画も玹介しちゃう。英囜ず戊った南むンドの英雄ナラシンハ・レッディの物語だ。2019幎10月2日にむンドで公開されたばかりの「Sye Raa Narasimha Reddy」。バヌフバリでデヌノァセヌナ圹を挔じたあのアヌシュカさんが、ラクシュミヌ・バヌむヌ圹でゲスト出挔するず話題になっおいる。

    「Sye Raa Narasimha Reddy」はむンド映画界の人気俳優たちがじゃんじゃん登堎するし、アヌシュカさんのほかにもヒロむンはこれたたバヌフバリでアノァンティカ圹だったタマンナヌちゃんが登堎するっおこずで日本のバヌフバリファンの間では話題になっおいる。

    すごいじゃんラクシュミヌ・バヌむヌめっちゃ泚目されおない

    どうしお圌女は今、これほど泚目されおいるのか。

    で、そんなこんなでラクシュミヌ・バヌむヌに぀いおモリモリ調べおいたら、ラクシュミヌ・バヌむヌの研究者であるゞョむス・チャップマン・リヌブラ博士コロラド倧孊名誉教授。1925幎生たれ、珟圚93歳の本や論文が目に留たった。本は日本語でも読める。ありがたい。

    ずいうわけで、ここではリヌブラ博士があ぀めた資料や本や論文や、歎史に぀いおの本などをもずに、ラクシュミヌ・バヌむヌの生涯や背景、史実ず䌝説に぀いおもう少し掘り䞋げおみようず思う。

    でも、ひず぀倧きな問題がある。

    ◆ラクシュミヌ・バヌむヌ研究の難しさ

    ここでひず぀、ずおも倧切なこずがある。ラクシュミヌ・バヌむヌに぀いお、実はむンド偎にはほずんど資料が残っおいないずいう。

      ずいうのは、むンドは现かいこずを曞いお残さず、聖兞ずか重芁なこずは基本は口頭䌝承されるずいう䌝統がある。ヒンドゥヌ教では特に。なので、ラクシュミヌ・バヌむヌのこずも䟋に挏れずそんなかんじだったようだ。わかる〜むンド史にありがち。数十幎は誀差の範囲みたいな〜

    リヌブラ博士は王劃の生涯に぀いお調べ、むンド偎の資料を探したくった。でも、むンド偎には残っおいなかったそうな。英囜偎には倚くの資料が残っおいるが、それはラクシュミヌ・バヌむヌが結婚埌、王劃ずなっおからのこず。英囜ずやりずりした手玙ずか、そういうものだ。

    それでも博士はあきらめず、むンドでフィヌルドワヌクした。「だっお、英囜偎の資料だけで圌女を研究するこずは、フランスの聖女ゞャンヌ・ダルクを敵囜だった英囜の資料で研究するようなものでしょう」(意蚳)ず。かっこいいな。リヌブラ博士。

    で、博士はゞャヌンシヌ王囜やラクシュミヌにゆかりがあった地で王劃のこずを䌝える人たちの声や民謡や昔話、生き残ったラクシュミヌの逊子から聞いた話を知る人の蚌蚀などを山ほど集めた。

    ぀たり、ラクシュミヌず䞀緒に戊った人の息子から聞いた話ずか、「おばちゃんの話によるず王劃は 」ずか、詩人たちが歌っおるラクシュミヌ王劃を讃える詩ずかそういうかんじだ。むンドが英囜から独立したあずなので、ラクシュミヌ・バヌむヌが没しお90幎は過ぎおいる時点の話ではあるけれども、リヌブラ博士が22歳のずきにむンドが独立した1947幎ず考えるず、そこたで昔ではない。かもしれない。

    ◆王劃ラクシュミヌの䌝説ず䌝蚘

    博士は、あ぀めた資料をもずに1995幎にラクシュミヌ・バヌむヌを䞻人公にしお曞いた小説「Durga's Sword」戊女神ドゥルガヌの剣を発衚しおおり、日本語に翻蚳されおいる。これ読むず、博士がむンドで埗た資料をもずに描いたラクシュミヌ・バヌむヌの姿ず出䌚うこずができる。ただ、これは小説なので、史実だけではなくむンドで王劃に぀いお語られおいる䌝説も含たれおいる。

    『王劃ラクシュミヌ 倧英垝囜ず戊ったむンドのゞャンヌ・ダルク』圩流瀟ずいうタむトルなので、興味がある人はよんでみるずいいかも。

    あ、ラクシュミヌ・バヌむヌの「バヌむヌ」は敬称みたいなかんじなので、圌女の名前はラクシュミヌでよいのです。

    画像4

    内容ぱンタメ的な小説ずいうよりも、ラクシュミヌ・バヌむヌがどういう経緯で英囜ず戊うこずになったのかがよくわかる資料ずしおありがたいかんじだ。ラクシュミヌ・バヌむヌたちが英囜ずどう亀枉しおきたか、むンド倧反乱がどういう状況で起こったかずか、事现かにわかる。ちなみにこの本はラクシュミヌ・バヌむヌ24歳死亡説で曞かれおいる

    小説の䞭のラクシュミヌは、少女時代から剣ず銃を嗜み、銬に乗るのが埗意なお転婆な子だった。それにしおも逞話がすごい。

    (アッでもこの本をこれから読もうず考えおる人にはネタバレなので、以䞋は読たないほうがいいからね)

    ある日圌女は、お祭りで暎れる象の背に乗り、象を鎮める。
      おおっず、初っ端からバヌフバリだ、これは油断ならん

    ゞャヌンシヌの王劃になったあずも、率先しお軍を蚓緎し、盛倧なパレヌドでは先頭に立っお指揮し、民たちが若く矎しい王劃に熱狂したずか。
      王劃様ゞャむホヌゞャむホヌ

    城の䞭にいる女性たちを蚓緎し、軍人ずしお䜿えるようにしたずか。
      あの時代に女性を登甚すっげえな

    倫の愛人だず噂されおいた矎しいダンサヌの女性を郚䞋にしお圌女は砲台の操䜜もできる女戊士だった英囜ず通じおいる倧商人をスパむさせおいたずか
    え  ぀、぀よっ ダンサヌでスパむな女戊士が郚䞋  

    自分ずそっくりさんの友人を圱歊者にし、い぀も䞀緒にいたずか
      ほ、ほほう。それはなかなか 萌え  る  

    荒くれ者の盗賊グルヌプのリヌダヌず䞀階打ちしお郚䞋にするずか  

      え    ええ

    たっお 

    ちょっずたっお 

    蚭定がやばい。ほんずやばい。盛りすぎおやばい。
    どこからが史実でどこからが小説なの

    ず、読みながらびっくりしたんだけども、博士の論文をあわせお読んでみるず、これらの逞話は博士の創䜜ずいうわけではなく、むンド偎で調査した内容をもずに曞かれおいるずいうこずで、よけいびっくりした。

    ちなみにむンドでは、象は王暩を象城するので、象をなだめるこずは王の資質をあらわしおるのね。バヌフバリでも象に乗っお象さんうれしくおパオヌンみたいなのあったし、䞊で玹介したラクシュミヌ・バヌむヌの映画の䞭にも象さんに飛び乗るシヌンがあったりするんだけども、王は象を手懐けるものなのだ 芚えおおこう 

    ぀たり、ラクシュミヌ王劃の人生を远いかけるには、むンドで語られおいる王劃の姿ず、史実ずしお残っおいる王劃の姿、二぀を远いかけなければならないずいうこずか うわめっちゃ倧倉やねこれ。

    たあでもやるか。しかたない。乗りかかった船だ

    ずいうわけで。出来る範囲ではあるけれども、わたしも王劃の人生をおいかけおみた。

    蚀い忘れたけど、この蚘事は党郚で䞇千字くらいある。かなり長いぞ。匕き返すならいたのうちだ。倧䞈倫か倧䞈倫だな。ではいくぞ。

    ◆史実のラクシュミヌ王劃の生涯

    実はラクシュミヌ・バヌむヌが生たれた幎はよくわかっおない。

    えヌヌ、19䞖玀の王劃なのに資料もなければ幎霢もわかんないのず思う人も倚いかもだけど、たあそこはむンドだし、だいたいそんなかんじだから諊めおくれ。それにラクシュミヌはマラヌタヌ王囜の宰盞の郚䞋の嚘だったし、王劃になるたで泚目されたこずはなかったずいうこずもある。

    画像8

    ゞャヌンシヌの王劃、ラクシュミヌ・バヌむヌの姿ずされる絵。パヌルのネックレスを぀けお、むンドの乗銬服を身に぀けおいる。乗銬が埗意で、剣ず銃を嗜んでいたずいう。

    王劃の生たれた幎に぀いおはいく぀もの説があるんだけども、圓初は誕生幎は1834幎前埌じゃないかず考えられおいた。そうなるず圌女が亡くなったのは24歳頃ずなる。むンド倧反乱の1858幎に戊死したのは確実だからだ。

    若すぎる マゞか。24歳で戊死 そりゃあ䌝説にもなるわな。

    でも、近幎の研究だず、生たれたのは1827幎か1828幎あたりじゃないかずいう説が濃厚だ。この堎合、ラクシュミヌは1842幎に1415歳で結婚しおいお、30歳で戊死するこずになる。

    たあそれでも十分に若すぎる死ではあるが。

    1842幎に結婚したこずは英囜偎の資料ずしおも残っおいる事実。そこから逆算するず、だいたいそういう幎霢になるらしい。
    8歳で結婚したずいう説もあるんだけど、14歳結婚説は、ゞャヌンシヌ囜王は跡継ぎを求めおいたので、子䟛が産める幎霢じゃないず劃にしなかっただろうずいうのが根拠らしい。たあでもいろんな説があるのは事実。

    ヒンドゥヌ教埒には、「初朮がきた女性がすぐに結婚するべき」ずいう考え方がある。぀たり、子䟛が産める䜓になったのであれば、なるべく早く子䟛を䜜り子孫を残すこずが倧切だずいうこずだ。これはもう、マヌ法兞にかいおあるんだから仕方ない。叀代むンドで䜜られた考え方で、過酷な自然環境で寿呜も短かった人々にずっお、子䟛が産める䜓になったのならすぐに子䟛を䜜るこずが掚奚されたずいうのはなんずなくわかる。初朮前に婚玄しお嫁がせるこずもあった。ただ、この思想が珟代たで続いおいるのでむンドでは児童婚が問題になったりしおいるんだが 

    そうなるず、王劃の人生はこんなかんじの幎衚になる。

    1827幎
    バラナシで生たれる。幌名はマニカルニカヌ。

    1842幎
    14歳。ゞャヌンシヌ王囜に嫁ぐ。囜王は40歳くらい。囜王の2番目の劻だった。結婚匏で「ラクシュミヌ」の名を貰う

    息子が生たれるが生埌ヶ月で亡くなる

    1853幎
    26歳のずき、ダモヌダヌル・ラヌオを逊子にする。
    11月 ゞャヌンシヌ囜王、病死。英囜はゞャヌンシヌ王囜を接収

    1854幎
    王劃、英囜総督府にゞャヌンシヌ回埩を懇願するが拒吊される

    1857幎
    5月 29歳。メヌラトでシパヌヒヌセポむの反乱が起こる。
    6月 ゞャヌンシヌ駐屯兵が反乱、英囜人を殺す。王劃は英囜ず戊うこずを決意

    1858幎
    3月 英囜軍がゞャヌンシヌを攻撃
    4月 ゞャヌンシヌ陥萜、王劃たちは城から脱出
    6月 グワヌリダル城を確保。その埌の戊闘で戊死。30歳。

    

    この幎衚は、䞀般的な24歳死亡説のほうの幎衚をもずに、30歳だずどうなるかを圓おはめお曞いたものなので、たちがっおたらごめん。
    しかし、いずれにせよ波乱に満ちた生涯だ 。

    ◆謎倚き幌少時代のラクシュミヌ・バヌむヌ

    生たれた幎もわからないのに、どうしお子䟛のころのこずがわかるんだずいうこずになるけども、䞀応ラクシュミヌの芪は誰かなどはわかっおいる。

    ラクシュミヌ・バヌむヌの父であるモヌロヌパント・タヌンべはバラモンの家系で、マラヌタヌ王囜最埌の宰盞であったバヌゞヌ・ラヌオ二䞖に仕えおいた。

    バヌゞヌ・ラヌオ二䞖は、幌い頃のラクシュミヌ・バヌむヌマニカルニカヌず面識があった。圌は、英囜ずの戊争で負けおマラヌタヌ王囜から远攟され、英囜から領地ず幎金を貰っお暮しおいた。ラクシュミヌ・バヌむヌたちず亀流があったのはその頃ずいわれおいる。

    画像9

    マラヌタヌ王囜では、囜王よりも宰盞のほうが実暩を握っおいた。宰盞のこずは「ペヌシュワヌ」ずいい、王様よりも偉かったのだ。でもいろいろあっお第代宰盞であるバヌゞヌ・ラヌオ二䞖が囜内のいざこざを抑えるために英囜に助けをもずめたこずがきっかけでいろいろ戊争がおこっお、結局第䞉次マラヌタヌ戊争で英囜に負けお䞍平等な条玄を結び、マラヌタヌは英囜支配䞋の藩王囜ずなっおしたう。宰盞だった圌は囜を远攟され、英囜から小さな領地をあおがわれ、幎金を貰っお暮しおいた。マラヌタヌ王囜滅亡の原因を䜜ったずもいえるかもしれないが、圌も時代ず英囜に翻匄された䞀人だ。

    ずいうわけでモヌロヌパントず嚘のマニカルニカヌは、バヌゞヌ・ラヌオ二䞖ず繋がりがあった。バヌゞヌ・ラヌオ二䞖からチャヌビリヌずいう名前をもらっおもいる。そのため圌女はゞャヌンシヌ囜王の嫁候補になった。

    その埌嚘が王劃になったモロパントは、ゞャヌンシヌ王囜で重芁な地䜍を埗た。政略結婚ずいわれればそうかもだけど、むンドでは珟圚も星占いで決める芋合い結婚が䞻流な文化があるのでたあふ぀うのこずだ。

    ちなみに、バヌゞヌ・ラヌオ二䞖の逊子であるナヌナヌ・サヌヒブ、その郚䞋ずなるタヌティダ・トヌペずも、この時期に知り合っおいたようだ。
    幌銎染だったこの二人の男は、埌にむンド倧反乱でラクシュミヌず共に戊う䞭栞メンバヌずなる。

    画像7

    ナヌナヌ・サヌヒブの肖像画。むンド倧反乱の銖謀者の1人ずされおいる。マラヌタヌ王囜の宰盞バヌゞヌ・ラヌオ二䞖の逊子。父の死埌、宰盞の䜍は䞖襲制なので、ナヌナヌ・サヌヒブには跡を継ぐ暩利があったが、英囜は圌が逊子であるこずから跡継ぎず認めず幎金を払わなかった。そのため圌は反乱を起こしたずされる。シパヌヒヌの乱の埌、行方䞍明になっおいる。

    幌い頃のラクシュミヌは、若き日のナヌナヌ・サヌヒブたちず䞀緒に蚓緎を受けおいたずいう話もある。圌らず䞀緒に銬に乗ったり剣の蚓緎もしたりずか。宰盞の息子や郚䞋たちず。女の子が。

    マゞか。すごいなラクシュミヌちゃん。

    ずいうのも、ラクシュミヌはかなりお転婆な少女だったらしい。銬にのったり剣や銃を嗜んでいたりず、圓時のヒンドゥヌ教埒の女性のこずを考えるずかなり垞識倖れな女の子ずいっおいい。女性は家から出るこずはよろしくないずいう颚習には党く瞛られずのびのびず育っおいるのがめっちゃ䞍思議だ。

    これは、ラクシュミヌは、幌い頃に母を亡くしおいるこずが原因らしい。父は仕事で嚘の面倒をみれなかったこずもあり、ヒンドゥヌ教埒によくある「䌝統的なヒンドゥヌ女性はこうすべき」的な教育を受けおいなかった。だからこそ男の子ず同じように銬に乗り、剣の腕をみがき、走り回るこずができたんだろうずいわれおいる。

    では、そんなお転婆ラクシュミヌが嫁いだゞャヌンシヌ王囜はどんな囜だったんだろうか。

    ◆ゞャヌンシヌ王囜ずは

    ゞャヌンシヌ王囜のある堎所は、昔からブンデヌルカンド(Bundelkhand)ず呌ばれおいた。むンドの䞊のほうの真ん䞭ぞん。珟圚だずりッタル・プラデヌシュ州にある。1857幎の地図での䜍眮関係はこんなかんじだ。

    ゞャヌンシヌの地図

    この土地は、昔から自然条件がかなり過酷で、5月や6月は死ぬほど暑くお、さくっず気枩が40床や50床くらいになる過酷な䞖界ではある。
    昔はヒンドゥヌ教埒の土地だったが、デリヌ・スルタン王朝のアラヌりッディヌン・キルゞヌ王に滅がされおからは、ずっずムスリムの支配䞋にあった。

    おっず、キルゞヌ王その王様は 『パドマヌワト 女神の誕生』に登堎する暎れん坊のスルタンだね。

    そしおそしお、同䜜ず同じ監督が撮った映画『Bajirao Mastani』の悲しきヒロむン、あのマスタヌニヌ姫の故郷でもある。

    ムガル垝囜に反したムスリムのチャトラサヌル王が支配しおいた土地がブンデヌルカンド。チャトラサヌル王は、マラヌタヌ同盟の蚌ずしお、䞀郚の土地ず䞀緒にバヌゞヌ・ラヌオさんに姫様を䞎えたのだ。ゞャヌンシヌ王囜のあった堎所はマスタヌニヌ姫の故郷。おがえおおこう。映画の䞭のマスタヌニヌ姫はこちら↓

    ※『Bajirao Mastani』より「Deewani Mastani」。壇䞊にいるのがマラヌタヌ王囜の二代目宰盞バヌゞヌ・ラヌオ䞀䞖。圌に姫様が捧げるめっっっっちゃ濃い愛の歌。しかしこのバヌゞヌ・ラヌオさんず、野獣なキルゞヌさんを同じ圹者さんが挔じおるっおいうのがもう奇跡だよね 。圹者さんはランノィヌル・シンさんっおいいたす。むンドで超有名な人です。2019幎10月公開の『ガリヌボヌむ』の䞻人公でもあるよ。芁チェックだ

    さお。ブンデヌルカンドはマラヌタヌ同盟䞋だったけど、マラヌタヌ王囜が敗戊埌に英囜に譲枡し、英囜支配䞋になった土地だった。その埌、藩王囜のひず぀ずしおゞャヌンシヌ王囜ができた経緯がある。

    ぀たり。ラクシュミヌが嫁いだ時代のゞャヌンシヌ王囜は、英囜が䜜った藩王囜なのだ。王様であるガンガヌダル・ラヌオも、たながた的に英囜から王䜍をもらったずいう経緯もある。

    マラヌタヌ同盟の厩壊埌は、マラヌタヌもゞャヌンシヌも英囜配䞋の藩王囜であり、王はいるけど英囜総督府の䞀存ですべお決たっおしたうずいう状況だった。

    あ、マラヌタヌに぀いお知りたい人は、前回の蚘事を読んでもらえるずありがたい。

    ラクシュミヌ・バヌむヌが結婚したゞャヌンシヌ囜王のガンガヌダヌル・ラヌオは、芞術や文化は奜きだったが、あたり政治や軍に興味はない男だったらしい。䜓は䞈倫なほうではなかったぜい。子䟛がほしかったけど、劻や愛人の間に子䟛いなかった。なので、子を産めそうな元気な女性を探しおいたようだ。

    画像6

    ゞャヌンシヌ囜王 ガンガヌダヌル・ラヌオ。ぜっちゃりさんだったみたいだ。

    結婚匏前の占いではラクシュミヌは「王子を産む」ずいう予蚀もあったそうな。マラヌタヌの宰盞からの掚薊ずいうこずもあっただろうから、ラクシュミヌずの結婚は政治的な理由からも断らなかったのかも。

    ちなみに二人は14歳ず40歳代ずいう幎の差婚でもあり、王には愛人もいたずいう説もある。そのためか王は、劃であるラクシュミヌにあたり執着はなかったのかもしれない。

    王ず王劃は、お互いを尊敬しあう良い倫婊関係だったずいう説もあるっぜいんだけども、幎霢差等を考えるず、そういうのは埌付けされたんじゃないかなあずいうのがリヌブラ博士の芋解だ。「ヒンドゥヌ教的な理想の倫婊像」を埌䞖の人たちが二人に投圱したんじゃないかず。

    ただ、おおんば少女ずしお育った王劃は、王宮でも比范的自由に過ごしおいたようだ。ラクシュミヌが普通の女性のように王宮にこもるこずなく、衚にでお銬に乗ったり兵を蚓緎したり自分も鍛えたりずいうこずに、王はそこたで口出ししなかったそうなので。

    そしお王は念願の息子を授かったのだが、息子は病気になりヶ月で倩に召されおしたう。その埌、逊子瞁組をしお歳の芪類の子を埌継にしたが、今床は王が䜓調を厩しお亡くなっおしたった。

    かくしお王劃ラクシュミヌは未亡人ずしお王囜に1人取り残されおしたったのだった。

    ◆未亡人ずなった王劃ず英囜総督府

    英囜は、王が亡くなったあず、埅ち構えおいたように王䜍を返䞊するよう通達しおきた。

    王劃は英囜ず真っ向からやりあった。

    英囜偎には、ゞャヌンシヌ王が亡くなったあずに、ラクシュミヌ王劃が英囜総督府にゞャヌンシヌ王囜の正圓性をアピヌルするために送った資料や、埩暩を願っお宛おた手玙などが残っおいる。

    そもそも、埌継者のダモダヌル・ラヌオずの逊子瞁組に぀いおは、ゞャヌンシヌ王の生前に、英囜総督府の立䌚いのもず蚱可されたこず。その埌しれっず囜を取り䞊げたのだから、英囜のいちゃもんは甚だしいのだ。
    そのため、王劃は英囜総督府ずのネゎシ゚ヌタヌ圹に英囜からアむルランド人の法廷匁護士ラング氏を呌び寄せ雇っおいた。法には法で解決する぀もりだったのだ。

    たた、囜を取り䞊げられる前たでは、王劃は総督府から掟遣されおいた英囜人たちず芪亀を深めおいた。その䞭の1人の゚リス氏は政策顧問ずしお、䜕幎間もゞャヌンシヌ王囜ず総督府ずの窓口を担圓しおいた。王暩を取り䞊げた総督府宛に王劃偎の味方ずなるべく手玙を曞いおいたが、力及ばすその埌転勀になったらしい。

    王劃ず䌚った英囜人たちの残した資料によるず、ラクシュミヌ王劃は色癜で、ずおも矎人で、背の高い女性だったずいう。むンド人を芋䞋しがちな圓時の英囜人が色癜矎人だずいうくらいだから、本圓にそうだったんだろうなあず。バラモンの家系だし。

    王劃は、むンド倧反乱の初期には英囜ず戊う぀もりがなかったこずもわかっおいる。王暩を倱ったラクシュミヌ・バヌむヌは、英囜から幎金を貰っお静かに暮しおいた。おいうか幎金をもらうしか圌女には遞択肢がなかった。むしろ幎金が出るのがありがたいくらいだった。
    シパヌヒヌたちがメヌラトで反乱をおこしたずき、自分たちずは関係ないず総督府にあおお手玙も曞いおいるくらいだ。

    でもそのあず、ゞャヌンシヌ王囜の民や、ゞャヌンシヌに進軍しおきたシパヌヒヌたちが英囜人を殺しおしたった。殺された英囜人には女性や幌い子䟛もいた。英囜の報埩は目に芋えおいた。

    王劃は、ゞャヌンシヌの民を守るため略奪を防ぐために暎埒ず化したシパヌヒヌたちを抑えお事態を収拟させる必芁があった。シパヌヒヌたちはその埌ゞャヌンシヌを出おデリヌぞず向かった。デリヌでは、メヌラトで反乱したシパヌヒヌたちがムガル垝囜皇垝を擁立しおいたからそこに集合するためだ。

    しかしシパヌヒヌたちがゞャヌンシヌからデリヌに向かったこずで、王劃はシパヌヒヌたちをたき぀けた銖謀者の䞀人ず誀解され、英囜からは敵芖されおしたうこずになる。

    英囜に反旗を翻しメヌラトにやっおきたシパヌヒヌたちは、䞀応シパヌヒヌの将校たちが率いおいたものの、統制が取れおいたわけではなく、けっこうダバい集団だった。英囜人殺しながらデリヌに向けお行進しおきた反乱軍だからな。そりゃあそうだ。興奮しおるだろうし。

    画像14

    反乱したベンガル軍のシパヌヒヌたちの図

    そもそもむンド倧反乱ずいうのが、だれかが銖謀しおリヌダヌずなった革呜ずいうわけではなく、同時倚発的にむンド䞭に倧発生した英囜ぞの反乱だった。略奪行為もいっぱいあっただろうなあずいうのは想像できる。

    英囜総督府は東むンド、ベンガル地方のカルカッタコルカタが本拠地だった。反乱したシパヌヒヌたちはデリヌに向かっお進軍しおいった。その途䞭にゞャヌンシヌ王囜があったのだった。

    ゞャヌンシヌの地図2

    ガチで本気を出した英囜軍は、東にある本拠地から出お反乱軍を鎮圧し぀぀、南のボンベむムンバむから王劃たちがいるゞャヌンシヌぞず進軍をはじめた。ゞャヌンシヌはムンバむやコルカタからデリヌに向かう途䞭の芁所でもあり、英囜にずっおも重芁な堎所だった。

    王劃はゞャヌンシヌ城に篭城し、自ら軍の指揮を執るこずになる。王劃にずっお、もうそれしか方法が残っおいなかったずいうこずもあった。

    でも。䞀床戊うず決めた王劃はめちゃくちゃ匷かった。
    王劃は玠人ではなかった。これに぀きる。

    もずもず銬も剣も銃も埗意で、自らが軍を指揮しお蚓緎しおいたほどの女性だ。ゞャヌンシヌ城に篭城した王劃たちは、英囜軍の猛攻に耐えおがんがん攻撃した。

    画像13

    1882幎のゞャヌンシヌ城跡。珟圚では城壁の䞀郚が残っおいる。堅固な石垣に囲たれた芁塞だったこずがわかる。

    ゞャヌンシヌのたさかの反撃に、英囜はマゞでびびった。
    王もいない。幎金暮らしの幌い逊子抱えた未亡人が英囜ず戊う
    正気の沙汰ずは思えなかっただろうな、ず。

    英囜にずっおは時期も悪かった。ラクシュミヌたちず戊った時期は3月から6月頃。特に月は䞀番むンドで暑さが過酷な時期で、前にも曞いたけど昌間は40床から50床くらいになるから、英囜人兵士たちは生きおいるだけで粟䞀杯な環境だった。実際、英囜から぀れおきた兵士たちは、熱射病でほずんど䜿い物にならなかったらしい。

    ちなみに最前線でシパヌヒヌたちず戊ったのは英囜人だけではなく、英囜ずいろいろアレな関係だったスコットランドから぀れおきた兵も倚かった。北囜生たれの北囜育ちにずっおは、かなり厳しい戊堎だったず思う。あずは英囜に滅がされた北むンドのシク王囜のシク教埒たちも倚かったそうだ。

    床重なる英囜からの砲撃により城が危険になるず、王劃たちはゞャヌンシヌ城から脱出した。そしお、グワヌリダルぞ向い、シパヌヒヌたちや反乱軍の䞭心になっおいたメンバヌず合流する。

    グワヌリダル城は難攻䞍萜の城砊で、そこを抑えられおしたうず英囜は非垞に苊しい立堎になる堎所だった。亀通の芁所ずいっおいい。

    画像12

    グワヌリダル城。おおきくおかっこいいな

    ちなみにグワヌリダルの王様は英囜掟で、郚䞋たちがみんな反乱軍に傟いお王劃を受け入れおしたったので、めちゃ困っお英囜に助けを求めた。英囜はグワヌリダルを包囲する。

    王劃はその埌、軍を率いお前線ぞ向かった。

    そしお戊闘䞭に、銃匟を受けお倒れおしたった。
    王劃の遺䜓はその堎で荌毘に付され、城に戻るこずはなかったずいう。


      ずいうのが、たぶん史実だず考えられおいる王劃の物語だ。ながくなっおすたない。

    王劃になるたでの物語はどこたでが事実かは蚌明しにくいけども、そういう運呜を背負った女性がこの䞖界に存圚した、ずいうこずは事実。

    英囜偎に残っおいる資料からは、ラクシュミヌ・バヌむヌは軍人ずしおもずおも優秀なリヌダヌだったこずがわかる。ムンバむから進軍し、王劃たちず戊った英囜軍のロヌズ将軍は圌女を耒め称えおいる。

    しかし、やはり戊争埌の圌女の印象は英囜にずっおはよいものではなく、圌女を貶めるような内容の蚘事や噂も倚く広たったらしい。

    ただ、英語圏では、王劃が䞻人公の小説もたくさん曞かれた。王亡き埌のロマンス芁玠入りの物語ずか、「むンドのゞャンヌ・ダルク」ずしお矎化されたかんじのものも倚かったようだ。

    っおかんじで、英囜ずの戊争に぀いおの資料や英囜偎からの資料はただ残っおるので、どのくらいの芏暡の戊争だったかなど、むンド倧反乱に぀いお詳しく知りたい人は英語の資料をあさればいろいろ出おくるよ。

    でもここではそれはメむンじゃないので、次いくよ次。

    ◆女神の加護を受けた王劃

    ラクシュミヌ王劃亡き埌、圌女は䌝説ずなり、20䞖玀には詩人が王劃の物語を語り継いだ。どうしお圌女はそこたで神聖芖されおいるのか。

    そこには、王劃にはヒンドゥヌ教の神々ず結び぀けられやすい芁玠があったこずもあるんじゃないかなあず思っおる。

    ラクシュミヌ・バヌむヌが生たれたずき、「この嚘はドゥルガヌずラクシュミヌずサラスノァティヌの加護を埗るであろう」ず予蚀があったらしい。
    埌付けの䌝説かもだけど、この女神の加護ずいうのは実はものすごいこずだったりする。

    ヒンドゥヌ教では、䞖界の創造神であるブラフマヌ、維持神のノィシュヌ、砎壊ず創造を叞るシノァで、神をたずめお䞉䜍䞀䜓「トリムヌルティヌ」ずしお厇めおいる。ずいうのは䞖界史の教科曞で習ったずおりだ。

    画像5

    真ん䞭にいるのがノィシュヌ。臍からブラフマヌが生たれ、ノィシュヌ手の光線からシノァが生たれおいる。ノィシュヌが䞀番えらいず考えるノィシュヌ掟の図

    でも今はブラフマヌはあたり人気がなくお、シノァ掟、ノィシュヌ掟で倧きく二分されおるんだけども、実は同じくらいパワフルな存圚ずしお、神々の劃たち、぀たり女神様たちを䞀たずめにした「女神信仰」っおのがある。

    女神信仰はもずもずはシノァ掟からはじたったようなものなんだけど、シノァ神の劃たちである戊女神のドゥルガヌやカヌリヌ、優しいパヌルノァティヌなどが䞭心ノィシュヌの劃のラクシュミヌや、ブラフマヌの劃のサラスノァティヌも䞀緒にたずめお厇拝されおいる。

    特に、䞊蚘の男神䞉䜍䞀䜓「トリムヌルティ」の奥さん「トリデヌノィヌ」は匷い。めっちゃ匷い。ドゥルガヌ、ラクシュミヌ、サラスノァティヌを䞀たずめにしお拝む。この女神様の䞉䜍䞀䜓は、男神ず同じかそれ以䞊にパワフルでご利益があるずいわれおいる。

    画像3

    トリデヌノィヌの姿。䞀番前で剣を持っおるのがドゥルガヌパヌルノァティヌ、背埌のむかっお巊の蓮の花の女性がラクシュミヌ。右偎がサラスノァティヌ。

    ぀たりだ。ラクシュミヌ・バヌむヌは、ヒンドゥヌ教の最匷女神の加護をうけお生たれた。぀たり女神の䞭でも最匷オブ最匷の女神に守られおいる。ずいうこずであり、女神たちの化身でもある、いやいや、女神だったのだず蚀い換えるこずもできる。

    蚀い忘れたが、ヒンドゥヌ教には「化身(アノァタヌラ)」ずいう考えがある。(アノァタヌラはアバタヌの語源でもある。)

    倩にいる神々は、人の姿をずっお珟䞖に降りお人々を救うずいう。

    叙事詩『ラヌマヌダナ』のラヌマ王子も、『マハヌバヌラタ』に登堎するクリシュナも、ノィシュヌ神の化身。぀たりラクシュミヌ王劃は䞉倧女神の化身であるずいうこずでもある。

    そりゃあ䌝説になるわ。っおくらいパワフルなのだ。

    王劃は存圚自䜓が尊い。ご理解いただけただろうか。

    そしおもう䞀぀。王劃の出生に぀いおも䌝説になっおいる。

    ◆聖地バラナシで生たれた聖乙女

    ラクシュミヌ・バヌむヌが生たれたのはガンゞス川の聖地バラナシだ。バラナシは、沐济すればすべおの眪が消えるずいうヒンドゥヌ教埒にずっお最高レベルの聖地でもある。

    聖地で生たれた嚘。それだけでもなんかすごい。

    特に圌女の幌名「マニカルニカヌ」は、バラナシのマニカルニカヌ・ガヌトずいう有名な沐济堎の名前にちなんでいる。マニカルニカヌずは宝石が぀いたむダリングのこずでもある。ヒマラダに䜏たうアンナプヌルナヌ女神の耳食りが萜ちた堎所だずいうこずだ。マニ宝石、カルニカヌむダリングの意味

    ちなみにアンナプヌルナヌ女神はシノァの劃のパヌルノァティヌの別の姿でもある。食べ物を叞る女神で、托鉢にきたシノァに食べ物を䞎える姿や、王座に座る姿で描かれる。぀たり、マニカルニカヌずいう名前からもシノァ神ず瞁が深いずいうこずになる。

    画像1

    ※アンナプヌルナヌ女神から食べ物をもらうシノァ神

    で、マニカルニカヌはゞャヌンシヌ王ず結婚したずき、幞運の女神ラクシュミヌの名前をもらった。結婚埌に名前を倉えるのはよくあるこずずはいえ、ラクシュミヌはヒンドゥヌ教の䞻神、ノィシュヌの劃だ。

    マニカルニカヌは、ドゥルガヌ女神やラクシュミヌ女神に祈りを捧げおいたらしい。特にドゥルガヌ女神はマヒシャヌスラずいう氎牛の魔物ず戊った負け知らずの女戊士。ゞャヌンシヌ王囜ではドゥルガヌを祀っおいる寺院もあった。こちらも熱心におたいりしおいたそうだ。

    おたけに圌女はめちゃくちゃ床胞があっお頭もよかった。ずなるず、知恵ず孊問の女神でもあるサラスノァティヌ女神の加護はバッチリかもしれない。王劃になる前は聖兞を暗蚘し、王劃になっおから文字を勉匷したずか。

    ずたあ、シノァの聖地で生たれ、ラクシュミヌの名前を持った、知恵の神のごずき女性、ずいったずころだ。もうこれだけで十分䌝説になる。

    王劃は存圚自䜓が尊い。ご理解いただけただろうか。

    ◆たずめ。女神ずなったラクシュミヌ・バヌむヌ

    ずたあこんなかんじで、ラクシュミヌ・バヌむヌの生涯や背景を深く調べれば調べるほど、最終的にどこに結論を持っおいくべきか迷っおしたった。

    史実のラクシュミヌ・バヌむヌはこんな人だったよっおのをたずめたかったんだけども、あばれ象を鎮めちゃっおるからな  。最匷女神たちの加護を受けおるからな  。

    どうすんだこれ  。

    もうね、ここたでくるず、史実がどうであったかが本圓に重芁なのか。ず疑問も出おくる。史実ずしお残っおいるラクシュミヌ・バヌむヌの偉業ず圌女の存圚はあるんだけども、それ以䞊に、珟代の人々によっお圌女自身が䌝説ずなっおいるずいう事実がもうね、すごい。

    むンドの人たちにずっおは、ラクシュミヌ・バヌむヌは女神になっおいる。圌女の存圚自䜓がもう神様なのだろうな、ず思うのだ。

    カシミヌル問題むンドずパキスタンの間で、カシミヌルは俺のもんだず争っおる件でも衚に出おきおいるんだけど、今のむンドでは、ヒンドゥヌ教至䞊䞻矩ずいうか、ヒンドゥヌ・ナショナリズムがずおも匷たっおきおいる。ラクシュミヌ王劃がむンドでここたで泚目されおいるのは、そういうヒンドゥヌ・ナショナリズムの背景もあるのかず思う。

    むンドは、䜕癟幎ものむスラム教埒による支配のあず、英囜の支配䞋になった。英囜怍民地時代に生掻基盀たでがたがたに厩され、むンド倧反乱で鎮圧された埌も、むンド独立を阻むための英囜の思惑により内郚もバラバラに分断されお、そりゃあもう倧倉な目にあった。

    王劃が戊った時代はただ「むンド」ずいう囜家の意識はなかったが、独立運動を通じおナショナリズムに目芚めたヒンドゥヌ教埒たちにずっお、若くお矎しい悲劇の王劃な圌女をむンド独立の象城ずしたのだろうずいうのは容易に想像できる。

    英囜からの独立を叫びながら、若くしお散った矎しき王劃の物語。ヒンドゥヌ教の女神の加護を受けた王劃の物語がこうしお珟代になっおも矎化され、ドラマ化され、映画化されおいく。このタむミングに、政治的な背景があるのはなんずなく気づくだろう。

    ただ、圌女の、ラクシュミヌ・バヌむヌの生き様には、そういう政治的な意図を抜きにしおも胞に迫るものがある。

    母を亡くしたおおんばな少女は、王劃ずなり、母ずなり、囜を背負っお敵ず戊った。数奇な運呜に翻匄された1人の女性の物語。あたりにもドラマティックすぎる。すごすぎないやばい泣きそう。

    ã€Œà€à€Ÿà€‚à€žà¥€ à€•à¥€ à€°à€Ÿà€šà¥€ïŒˆã‚žãƒ£ãƒŒãƒ³ã‚·ãƒŒã€€ã‚­ãƒŒã€€ãƒ©ãƒŒãƒ‹ãƒŒïŒ‰ã€ãšã„ã†è©©ãŒã‚ã‚‹ã€‚ã‚¿ã‚€ãƒˆãƒ«ã¯ãã®ãŸã‚“ãŸã€Œã‚žãƒ£ãƒŒãƒ³ã‚·ãƒŒã®çŽ‹åŠƒã€ãšã„ã†æ„å‘³ã€‚ïŒ’ïŒäž–çŽ€å‰åŠã€è‹±å›œçµ±æ²»æ™‚ä»£ã«ã‚€ãƒ³ãƒ‰ç‹¬ç«‹é‹å‹•ã«èº«ã‚’æŠ•ã˜ãŸã‚€ãƒ³ãƒ‰ã®å¥³æµè©©äººã‚¹ãƒãƒ‰ã‚¥ãƒ©ãƒŒãƒ»ã‚¯ãƒžãƒŒãƒªãƒŒãƒ»ãƒãƒ§ãƒŒãƒãƒ³ã®äœœå“ã ã€‚ã“ã®è©©ã§ã¯ã€è‹±å›œãšå‹‡æ•¢ã«æˆŠã£ãŸçŽ‹åŠƒã‚’æ­Œã„ã‚ã’ãŠã„ã‚‹ã€‚è©©ã®äž­ã«ã¯çŽ‹åŠƒãžã®æ•¬æ„›ãŒå±±ã»ã©ã€ãŸã£ãŠã„ã‚‹ã€‚äž€éƒšã‚’çŽ¹ä»‹ã™ã‚‹ã­ã€‚

    英囜王座に戊慄 英囜王家に懞念
    生気なきバヌラタにも 再び生気の到来
    倱われし自由の䟡倀 みなが芚醒
    異囜人の远攟 みなが決意
    1857幎 叀き刀剣 光茝を攟぀

    ブンデヌラヌ族兵士の口より 我らが聞きし物語
    益荒男の劂く 果敢に戊いしゞャヌンシヌ王劃

    〜

    ラクシュミヌ女神かドゥルガヌ女神 勇猛の化身

    刀剣振り翳せば マラヌタヌ人驚嘆
    戊陣詊案 狩猟 敵軍包囲 砊砎壊 埗意の遊戯
    マハヌラヌシュトラ族の 女神バノァヌニヌ厇拝

    〜

    王劃 攻撃かわし 戊堎暪断 されど 県前に濠 王劃は窮地に
    戊に䞍慣れな銬は怯み そこに敵軍到着
    王劃ひずりに 敵倚勢 連続攻撃の開始
    雌獅子負傷し 厩れ萜ち 王劃は殉死

    〜

    火葬壇に乗りお 王劃は旅立ち 圌女に至高の勇気 勇気の䜓珟
    わずか 23 歳  人に非ず 神の化身
    独立のため闘う女性 我々が生きるため降臚
    道の提瀺 我々が孊ぶべきこず教瀺

    〜

    進め バヌラタの同胞よ 感謝し 王劃を忘るるなかれ
    王劃よ お前の犠牲 氞遠の独立の芚醒に
    歎史語らず 真実の黙殺あろうず
    英囜が勝利に酔い ゞャヌンシヌが砲匟で砎壊されようず
    お前の蚘憶は残る お前自身は消せぬ存圚

    ブンデヌラヌ族兵士の口より 我らが聞きし物語
    益荒男の劂く 果敢に戊いしゞャヌンシヌ王劃

    スバドゥラヌ・クマヌリヌ・チョりハヌン䜜「ゞャヌンシヌ・キヌ・ラヌニヌ」翻蚳A Japanese Translation of Subhadra Kumari Chauhan's Jhansi ki Rani䜐藀 裕之蚳より

    バヌラタずはむンドのこず。ブンデヌラヌ族ずは、ゞャヌンシヌ王囜のあったブンデヌルカンド地方に䜏んでいた人たちのこずだ。

    あの20䞖玀初頭の激動の時代、英囜からの独立を願った人々は、䜕を思っおその詩を歌ったんだろう。王劃の存圚が、どれほど人々の心の支えになっおいたのだろうか。

    もう䞀぀。私は、ラクシュミヌ・バヌむヌに぀いおはそこたで詳しくしらなかったので、今回ここで調べるたではあるこずがずっず疑問だった。むンドの文化に詳しい人なら「」ず思う䟋のアレ。そう、倫が死んだら劻も䞀緒に殉死しなければならないずいう颚習「サティヌ」のこずだ。

    サティヌは、未亡人は倫を死に远いやった䞍吉な女であるずいう信仰から生たれた颚習。ヒンドゥヌ教では未亡人は蔑たれ、疎たれ、屈蟱を受ける。逆に倫ず䞀緒に死ぬず女神ず厇められるので、生きお地獄を芋るよりはず死を遞ぶ女性も倚かった。倫が亡くなるず、劻は既婚者の蚌である頭頂郚の赀い印を消し、腕茪を割り装食品を倖す、未亡人ずなる。頭を剃る者もいる。化粧も犁じられる。サティヌは珟圚は法埋で犁止されおいるが、未亡人はいたでも肩身がせたい。

    この時代、サティヌは英囜により「野蛮な颚習」ずしお犁止されおいたので、王劃がサティヌをしなかったのは歎史的には理解できる。
    でも英囜に犁止されおいおも死を遞ぶ人はいたらしい。
    亡き倫ず殉死するこずが矎埳ずされた時代に育ったはずなのに、王劃は死を遞ばなかった。逆に、生きお堂々ず戊った。初めは法で。次は戊争で。

    シパヌヒヌが反乱を起こし、その埌英囜に睚たれるたでの間にはある皋床日数があった。どうしお他の王囜のように、英囜に䞎しなかったのか。すぐに王囜から逃げなかったのか。

    反乱に加わらなかったなら、生き残るこずはできたかもしれない。でも、そうしなかった。圌女は戊い続けた。

    ここたで圌女をおいかけおきお、なんずなく感じるのは、たしかに圌女なら、なんずしおも囜を守ろうずしたんだろうな、ず。そういう人だったんだろうなず。

    そうおもうのだ。

    それが、王劃ラクシュミヌ・バヌむヌの魅力でもあるのだろうなず。


    すたない。ちょっずしんみりしおしたった。

    せっかくなので、ラクシュミヌ・バヌむヌを調べるきっかけになったFGOずいうゲヌムの話をしおみる。

    ラクシュミヌ・バヌむヌはFGOFate grand orderずいうスマホゲヌムに登堎する。2019幎11月珟圚は第二郚4章たでリリヌスされおいお、4章の舞台はむンドなのだ。TVCMはこんなかんじだ。

    このTVCMは100回はみた。ラクシュミヌさんもそうだけどラヌマくん様がラヌマくんがニダッずするずころがあっあっダバいダバいですね掚しが動くの最高ですね

    ゲヌムの䞭のラクシュミヌ・バヌむヌは、「異䞖界にあるもうひず぀のむンド」に英霊ずしお召喚され、䞻人公ず䞀緒に、䞖界を滅がす力をも぀支配者ず戊う。たさに生前のラクシュミヌ・バヌむヌず同じ立堎で、民の味方ずなり、粟䞀杯䞖界を救おうずする。↓これはゲヌムのシヌン。ラクシュミヌ・バヌむヌが必殺技を䜿うずころ。

    画像15

    FGOã®ãƒ©ã‚¯ã‚·ãƒ¥ãƒŸãƒŒãƒ»ãƒãƒŒã‚€ãƒŒã®å®å…·ã€ŒäŸµå¥ªæ€ºãˆã¬æ‹’çµ¶ã®çŽ‹å›œã€€ãƒŠãƒ’ãƒ³ãƒ»ãƒ‡ãƒŒãƒ³ã‚²ãƒŒã€ã€‚å®å…·ãšã¯ã“ã®ã‚²ãƒŒãƒ ã®å¿…æ®ºæŠ€ã ã€‚ã‚žãƒ£ãƒŒãƒ³ã‚·ãƒŒåŸŽã§ã¯ãªãã€æœ€åŸŒã®æˆŠã„ãŒã‚ã£ãŸã‚°ãƒ¯ãƒŒãƒªãƒ€ãƒ«åŸŽãŒãƒ¢ãƒ‡ãƒ«ã«ãªã£ãŸãšæ€ã‚ã‚Œã‚‹åŸŽãŒç™»å Žã™ã‚‹ã€‚ãŠãã‚‰ããƒ’ãƒ³ãƒ‡ã‚£ãƒŒèªžã®ã€Œà€®à¥ˆà€‚ à€…à€ªà€šà¥€ à€à€Ÿà€à€žà¥€ à€šà€¹à¥€à€‚ à€Šà¥‚à€à€—à¥€ メン アプ二ヌ ゞャヌンシヌ ナヒヌン ドゥヌンギヌ」「私はゞャヌンシヌを䞎えない」
    ずいう王劃が英囜に蚀ったずされる蚀葉がもずになっおいるようで、状況から意蚳するず「我が囜はそなたたちに決しお枡さぬ䞎えぬ」みたいなかんじかなあず。これを宝具にするか。めっちゃ゚モ。

    このゲヌムの䞭の䞖界の「英霊」ずは、史実どおりの人物ずしお召喚されるわけではない。人々の思いが圢䜜った姿だずいう。そのため、史実だけではなく架空の人物、小説の䞭のシャヌロック・ホヌムズも英霊ずしお召喚されるし、史実の人物ナポレオンは「背が高いむケメン」ずしお召喚される。もちろんフィクションだ。ファンタゞヌで、なんかビヌム出したりするでっかいむカちゃんみたいな敵もいる。

    そしおこのゲヌムの䞭では、ラクシュミヌ王劃がラヌマヌダナのラヌマ王子ず共に旅をし、英囜人のホヌムズず察話する。゚モい。ダバい。

    なぜゲヌムの話を持ち出したかずいうず、今回、ラクシュミヌ・バヌむヌに぀いお調べれば調べるほど、たさに、珟実のむンドでも、ラクシュミヌ・バヌむヌは人々の望む姿ずしお「英霊」化しおいるず感じたのだった。

    人間の理想や思想や匷い思いずいうのは、たさに「英霊」を䜜り出すのだず。

    ただ、その英霊ずなった存圚は、人々の思いが匷すぎるず、どんどん史実から遠ざかっおいくこずもあるかもしれない。

    埗おしお人々の願いずは䞀方的で、時には残酷なものだ。

    ただ私にできるのは、自分が知り埗た䜕かをこうしお䌝えるこず。
    広倧なネットの海にほうり投げお、誰かが拟っおくれるのを埅぀だけ。

    あずは  

    FGOのラクシュミヌさんをスキルマするこずかな。


    おしたい。


    いやヌめっちゃ長い蚘事でしたねオタクが曞き散らかした蚘事をここたで読んでくれおありがずうそしおありがずう

    英霊ずなり、今でも人々の心に今でも生き続けおいる䌝説の王劃、ラクシュミヌ・バヌむヌの姿をほんのちょっずでも感じおくれたならうれしい。

    どうか王劃様の魂が安らかにありたすように。
    むンドの人々をずっず芋守っおくださいたすように。
    自らを信じお戊う人たちを導いおくださいたすように。
    そしお、䞖界が愛ず平和を願う心で満ち溢れたすように。

    オヌム・シャンティ・シャンティ・シャンティ。


    ※参考文献

    ・ゞョむス・チャップマン・リヌブラ『王劃ラクシュミヌ 倧英垝囜ず戊ったむンドのゞャンヌ・ダルク』圩流瀟2008幎
    ・The Rani of Jhansi: A Study in Female Heroism in India. By Joyce Lebra-Chapman. Honolulu: University of Hawaii Press, 1986.
    ・スバドゥラヌ・クマヌリヌ・チョりハヌン䜜「ゞャヌンシヌ・キヌ・ラヌニヌ」翻蚳A Japanese Translation of Subhadra Kumari Chauhan's Jhansi ki Rani䜐藀 裕之蚳
    ・䞖界歎史䜓系 南アゞア史 䞭䞖・近代 2007幎 山川出版瀟
    ・䞖界歎史䜓系 南アゞア史4 近代・珟代 2019幎 山川出版瀟
    ・近代むンドの歎史 ビパン・チャンドラ著 2001幎 山川出版瀟
    ・新版 南アゞアを知る事兞 2012幎 平凡瀟 などなど。


    こういう本曞いおたす。むンド神話に興味があればどうぞ。


     
     
     
    通りすがりのむンドオタク。むンド文化研究家。気になったこずをがちがち調べたりたずめたりしおる。『いちばんわかりやすいむンド神話』著者。 https://www.tenjikukitan.com/