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ご乗車ありがとうございました     昭和の街から令和の空へ

    #創作大賞2026 #お仕事小説部門 #はとバス#バスガイド#東京タワー

    あらすじ

     バスガイド三代の絆と東京の記憶を描く物語。
     戦後復興の中、初代バスガイド安澄真琴あすみまことは、戦地から戻らぬ恋人を想いながら、新しい女性の仕事を創ろうと奮闘する。様々なお客様や、上野駅で暮らす少年との出会い、人々がその人生を行き交う。
     時は流れ、孫娘の涼りょうは歌手を夢見るも母親が猛反対。バスガイドならいけると甘い考えで就職するが、想像と違う世界で親友や教官に助けられながら悪戦苦闘する。
     しかし、コロナ禍で観光が休業し、アパレルへ出向。
     二年後、再開したツアーで、涼は参加した母親やお客様たちに果たして成長した姿を見せることができるのか。

    主な登場人物

     
    初代バスガイドと関係者
    安澄真琴あすみまこと  バスガイド一期生、涼の祖母
    石崎薫いしざきかおる   バスガイド一期生、真琴のライバル
    狩野かのう教官  初代教官
    お兄ちゃん 真琴の恋人、学徒動員で出征
    矢岡義雄やおかよしお  終戦後に上野駅で暮らしていた少年

    令和の「はとバス」ガイドと関係者
    安澄涼あすみりょう  新人はとバスガイド
         祖母は「はとバス」ガイド一期生
    杜映美もりえいみ  新人はとバスガイド
         涼の親友、元同級生
    夏樹航なつきわたる  新人はとバスガイド(男性)
         「はとバス王子」と呼ばれる
    紫吹真代しぶきまよ トレーナー兼はとバスガイド
         「妖精」を自称
    一路大輔いちろだいすけ ドライバー、白髪のベテラン
    瀬那輝せなひかる  通訳案内士(英語)
         日本語で喋る時は「お姉キャラ」
    安澄祐希あすみゆうき 涼の母、麻布十番で居酒屋を営む
         夫は「死別」としている
    謎の乗客 (男女不明)
    檀静香だんしずか  涼の出向先アパレルの店責任者
    広瀬玲奈ひろせれいな バスガイド志望、涼の後輩

    プロローグ


    「お兄ちゃん。今日から涼が『はとバス』ガイドになりましたよ。空の上から見ていてくださいね」
     掌てのひらを合わせて涼のことをお願いした「お兄ちゃん」の写真は、二十歳のまま出征する軍服姿で口元を引き締めています。この六畳ほどの部屋で唯一の家具、整理ダンスの上からいつも私を見ているのです。
     今日から私の孫娘、涼が「はとバス」ガイドになるのは、嬉しいだけではありません。
     私自身が辿たどってきた道ですから。もちろん努力も必要ですし、苦労が有ることは分かっています。
     でも、あの涼ならばやり遂げてくれるだろうと思うのです。あの子はいつも、私の話に目を輝かせて聴き入っていましたから。
     私もあの子が案内するコースに乗車させてもらいたいのですが、言われているのです。
    「真琴お祖母ちゃん、一年待って。一年で一人前の『はとバス』ガイドになったら迎えに来る!」
     楽しみですよね。一年くらいすぐですから。
     本当に一年で、一人前の「はとバス」ガイドになれるかは分かりません。
     そもそも、一人前の「はとバス」ガイドというのは何なのか。
     毎日色々なお客様の人生を乗せて、自分にしかできない御案内をしていくこのお仕事には、これで終わり、これで完成ということは無いのですから。
     でも、涼ならばやってくれることでしょう。きっと、苦労も乗り越えてくれるだろうと思います。
    「お兄ちゃん」思い出しますよね。
     さあ、そろそろ朝食に行きましょうか。私は、サービス付き高齢者住宅の三階にある自室を出ると、すぐ正面のエレベーターに乗り込み、一階の食堂に向かいながら思い出していたのです。
     あれは未だ終戦後の昭和24年のことでした……。

    第一章 発車オーライ!


    バスガイド採用


    「こんなにも大勢の人が……」
     昭和24年3月14日午前8時、上野駅の真正面に聳そびえ立つ九階建ての「地下鉄ビル」、その最上階を占める広い講堂に詰め掛けた女性達を見廻すと、恐らく百人近くは集まっているでしょうか。
     一体、この内から何人が採用になるのだろうかと想像しながら、私はふっと溜息をもらしてしまいました。

     講堂の正面に立つ背広姿の男性職員から名前を呼ばれると、順に通路を挟んで左右に五つずつ並んだ椅子の列に座っていきました。
     私が着席したのは二列目の右端でしたが、お隣に座った女性から突然に声を掛けられたのです。
    「貴女、随分とお綺麗きれいね」
    「えっ! 私ですか……」
    「ええそうよ。私、石崎薫いしざきかおる。よろしくね」
    「あの私、安澄真琴あすみまことです」
     全く澱みのない余りにもはきはきとした彼女の口調に少し気圧けおされました。洋装の胸には花の形をしたブローチを挿していますし、髪のウエーブはパーマネントを当てているのでしょう。

     新日本観光株式会社が、初めての女性のお仕事「バスガイド」を募集するということを教えて下さったのは女学校時代の恩師でした。
     あの女学校、和欧学院の生徒たちは、殆どの人が卒業してからもお仕事には就かないで花嫁修業をしながら、いずれは仲人さんが取り持つお見合いで結婚するのでしょう。
     ですが、私の家がそうではないことを、先生はご存知でした。それを気に掛けて、私にバスガイド募集のことを教えて下さったのだと思います。 
    「バスガイド」、聞いたことの無いお仕事でしたが、何だかモダンな響きが漂っていました。
     それに何よりも、初めての女性の採用ということに私は惹かれたのです。
     未だ、どの様なことをするのかよく訳も分からないままでしたが、私はとにかく新しい女性の仕事に就きたい。母の様に生きたくは無かった。私は職業婦人になりたかったのです。
     新日本観光株式会社から示された応募条件には「18歳以上、23歳以下、女学校卒業か同等」「東京在住」「容姿端麗ようしたんれい」とありました。
     少し気後れする私に、先生は「貴女なら大丈夫よ」と言って下さったのですが……。
     案の定でしたが、受験会場に集まった女性たちを見廻すと、確かに育ちの良さそうなお嬢様ばかりのように思えます。
     そこはかとない雰囲気を醸かもし出す彼女たちの中では、どう見ても私は白鳥の群れに紛まぎれ込んだカラスの様ではないかと、逃げ出したくなるような心持でした。

    「真琴さん、どちらのご出身かしら?」
    「はい、芝区です。あっ、今は港区になりました。生まれてからずっとです。しばらく金沢に疎開そかいしていましたけれども」
    「そう、私は文京区の本郷なの」
     その名前は知っていました。きっとお屋敷とかが多い土地柄だと思います。
    「真琴さん、英語はいかがかしら?」
    「英語ですか……、女学校では教わりましたけれども」
    「女学校ってどちらの?」
    「あのぉ、和欧学院ですけれど。御存知ですか」
     私の母校、和欧学院は戦争前からキリスト教系の女学校で、英国人のシスターも多く在席していましたし、英語はとても大切な言葉でした。
     それが戦争中には敵性語と言われ禁じられてしまっていたのです。
    「でも、あまり得意という訳では無くて……」
     私が和欧学院で英語を習ったと言うと、少し鼻を鳴らすような仕種を見せた彼女でしたけれど、また笑顔を浮かべ直すと得意げに語り始めます。
    「私は双葉学院ですけれど、これからは英語よ。バスガイドにも英語が必要になるわ」
    「えっ、英語が必要なのですか。バスガイドって」
    「もちろんよ。進駐軍だけでは無いの。これから日本には外国人が大勢やって来るってお父様が仰おっしゃっていたわ」
     お父様、その様な情勢に通じているというのは一体どの様なお方なのでしょう。確かに彼女も、どこから見てもお嬢様に見えています。
     暫くの間、彼女の少し自慢気な話を聞いているうちに、私達の前列から五人ずつ名前を呼ばれた女性たちが別の場所に案内されていくようでした。
     一体、どこでどの様な試験を受けているのでしょうか。

     もう9時近くになっていました。私と彼女、その隣に並んで座る五人の名前が呼ばれたのは。いよいよということでしょうか。私達の番が来たのです。
     名前を呼んだ職員の後ろについて講堂を出ると、階段を二階降りて扉が並ぶ廊下の一室に案内されました。
     部屋に入ると、正面に据えられた長いテーブルの向こう側、左と真ん中には背広姿の男性が、右には紺色の上着とスカートに身を包んだ洋装の女性が腰掛けています。
    「どうぞ、お掛け下さい」
     促うながされて着席した私達に、男女三人の面接官という方々が役職とお名前を自己紹介されました。
     左側は総務部長さんという男性、業務部長さんという男性が真ん中に、右に座っていた女性は教官だそうですが、私には未だどういう方なのか分かりませんでした。
     続けて私達にも自己紹介を促します。
    「それでは、お一人ずつ、御自分の自己紹介を立ち上がってお願いします」
     なるほど立ち姿も見られるのかと考えているうちに、最初に呼ばれたのは私の名前でした。
     慌てて椅子から立ち上がります。
    「はい! 安澄真琴です!」
     私は直立不動で、女学校時代の教練の様に両手を指先まで真すぐに伸ばして、体の真横に張り付けたまま、生年月日、住所、母校の女学校の名を半ば叫ぶように呼びました。
     何とか無事に終えたと思い、胸を撫なでおろしながら一礼して着席したのでしたが、次に立ち上がった薫の行動には驚かされました。
    「My name isKaoru.I was born March 2, 1932」
     ええっ! さすがに面接官の方々も面喰らっている様に見えますが、当人は堂々と続けます。
     着席する時に、チラリと私にどうだと言わんばかりの目線を寄越したのが分かりました。
     その後の三人も、卒なく自己紹介を続けましたが、その立ち姿にはおっとりとした柔らかさがありました。私の様な直立不動はいません。
    「では、皆さんのお好きなことや特技はありますか?」
     今度は私が最初ではありませんでした。でもそれは、私にとって益々の緊張を強いられることになったのです。
     皆さん、お茶、お花などのお稽古事の名前を挙げていましたが、私には何もありません。母は私に踊りを教えようとしましたが、それを頑なに拒んできたのですから。
     薫さんはピアノだそうです。ピアノがあるお家とは、どの様な……。少し想像していると、すぐに私の名が呼ばれました。
    「はい、好きなことは読書です。それに、特技ではありませんが……、歌は大好きです」
    「ほう、読書とは、どんな本が好きですか?」
     真ん中に座る業務部長さんが尋ねてきます。
    「はい、『小公女』とか『赤毛のアン』は大好きです」
     そうなのです。いつも一人ぼっちだった私は本を読み漁あさっていました。特に好きなのは、外国の少女たちが自身の運命を切り拓いていく物語です。
    「何か、好きな曲を歌って下さい」
     えっ!
     教官だという女性の言葉には、なぜ私だけがと少し戸惑いましたが、一瞬で意を決しました。
     ここでやらなければ、きっと悔やむことになるでしょう。
    「はい! 『青い山脈』を歌います」
     真っすぐに姿勢を正します。
    『若くあかるい歌声に
     雪崩は消える 花も咲く
     青い山脈 雪割桜
     空のはて
     きょうもわれらの 夢を呼ぶ』
     一番を歌い終わった時に、もうこれで十分だったのでしょうけれど、自分でも分からない気持ちが込み上げて、なぜだか続けて二番も歌い始めてしまったのです。
    『古い上衣よ さようなら
     淋しい夢よ さようなら』
     そうです。この歌は私の今の気持ちを歌っているのです。
     三番の歌詞を思いながら、もう私の目は潤み始めていました。
    『雨にぬれてる 焼けあとの
     名も無い花も ふり仰ぐ』
     歌いながら思い出していたのです。真っ黒い焼け跡になってしまった麻布十番の街……、それに「お兄ちゃん」のことを……。
     次第に涙が溢れて頬を伝います。
     何とか最後まで歌い切り深くお辞儀をしましたが、足元に大粒の涙が零こぼれました。
     私は涙が止まらないまま椅子に座ると、もう自分でもどうすることもできずに、そのまま突っ伏して泣いてしまったのです。
     でもそれは、私だけではありませんでした。静かに咽むせび泣く声が聞こえていたのです。

     全員の面接が終了したのは、もう11時を回ってからです。
     社員の方から、午後2時に再度集合する様に言われ、それまでの間は各自休憩するようにということで一旦解散となりました。
     一緒にお昼を食べようと声を掛けてきたのは、やはり薫です。
     二人で地下鉄ビルから表に出ると、大通りを渡った上野駅前の広場は大勢の人で溢れていました。
     東北や北陸から上京してきた人々に混じって、軍服姿のままの兵隊さん達の一団も見えます。
     きっと復員して北陸のどこかの港から到着したばかりなのでしょう。家族と抱き合っている人もいれば、一人呆然と佇たたずむ人の姿もありました。
     駅前広場から上野公園に向かう大きなガードの下を歩くと、白装束しろしょうぞくに兵隊帽の姿で、路上に手を付き頭を下げた傷痍しょうい軍人のひとたちが座っています。
     私は居並ぶ人々の顔を素早く見廻しました。
     実は駅前の広場でも、復員してきた兵隊さんの顔を見渡して探していたのです。「お兄ちゃん」のことを……。

     上野駅正面玄関とは線路を挟んで反対側の上野公園に向かう坂道を上り、空いているベンチを見つけると、二人並んで腰掛けました。
     公園を貫くように続いている広い路を覆う桜の木には、未だ小いですが蕾も付き始めている様です。
     私は持参したおにぎりを包んだ風呂敷を拡げましたが、薫が籠の様な手提てさげから取り出したのはサンドイッチでした。やることなすこと全てがモダンです。
     それからしばらくの間は、殆ど薫の話を聞いているだけでした。
     お父様とお母様に連れられて色々な場所に行ったことがあるという彼女の話は、もちろん自慢気に聞こえましたけれど、自分こそバスガイドに相応ふさわしいと言っているのだとも分かります。
     確かにそうなのかもしれません。私も東京育ちとはいっても、自分の家の周辺と、せいぜい渋谷の街に出ることがあったくらいですから。
     それに、面接で泣き出してしまった私は、とても採用されることは無いでしょう。
     そう思うと、なおのことバスガイドになりたいという気持ちも込み上げて、彼女の話も上の空で聞いていたのでした。

     午後2時の少し前に「地下鉄ビル」の講堂に戻ると、正面に立つ三人の社員さんを、再び集まった百人近くの女性たちが固唾かたずを呑みながら見詰めていました。
     誰の目にも力が込められているのが分かります。私は一番後ろに立つと、その時を待ちました。
     後ろの扉が開いたので振り向くと、一人の社員さんらしい男性が筒の様に巻いた模造紙を持って駆け込んできました。そのまま女性たちの前を横切り、正面に立つ社員さんに向かって駆け寄ります。
     模造紙を受け取った二人の男性が拡げ始めると周りを取り巻く女性たちは騒ざわめきましたが、ここからは何が書いてあるのか見えません。
    「これから名前を呼びます!」
     社員さんがそう言ったのは、どうやらこれが採用者の発表なのでしょうか。
    「安澄真琴さん!」
    「ええっ!」
     突然に名前を呼ばれた私は、思わず驚きの声を上げてしまったのです。
     一斉に女性たちが振り向いて私を見詰めました。
     私の横に立つ薫も、意外そうな表情を貌に浮かべたのが分かりました。
    「石崎薫さん!」
     社員さんは女性たちの反応には構わず、また名前を呼びます。薫は今しがたとは打って変わって満足気に私を見て頷きました。
     結局、私と薫を含めて五人の名前が呼ばれたのです。
    「名前を呼ばれた人は、直ちに当社一階の玄関ホールに集合してください!」

    「行きましょう」
     薫はすぐに私の手を引くと、諸々の思いが募ったのでしょうか、講堂から去ろうとしない女性たちを残して、階段を下り一階に向かいました。
     私は未だ半信半疑で実感が湧きませんでしたが、名前を呼ばれた五人が玄関ホールに集まると、すぐに待っていた女性の社員さんからビルの表に停まる二台の黒いハイヤーに案内されました。
     ハイヤーが行き着いた先は、本郷にある東大病院の玄関です。
     そのまま一緒に乗ってきた女性の社員さんに指示されるままに、次々に「検査室」や「レントゲン室」等と表示された幾つかの部屋を廻って身体検査や健康診断を受けていきました。
     最後にお医者様からの問診が終わると、私たちが渡された健康診断書とレントゲンの写真を社員さんが集めました。

     再びハイヤーで地下鉄ビルに戻ると、案内されたのは午前中に面接を受けた七階の会議室です。
     促されて私達五人が並んで座ると、正面の長いテーブルには午前中の面接官三人が座り、私達の健康診断の結果を確認している様でした。
     確認し終わったのでしょうか。三人の面接官が顔を見合わせたのが分かります。
    「安澄真琴さん」
    「はいっ!」
     中央の業務部長さんが私の名前を呼んだので、すぐに立ち上がりました。
    「合格です。本日をもって、貴女を新日本観光株式会社のバスガイドに採用します」
    「あ……、ありがとうございます!」
     そうでしたか、先ほどは講堂で名前を呼ばれたのは、あの時は未だ採用では無かったのですね。健康診断が終わった今、採用になったということですか。
    「石崎薫さん」
     次々に五人の名前が呼ばれて、晴れて全員が採用ということになりました。でも、ほっと胸を撫で下ろした途端のことです。
     会議室の扉が開くとノートと道具箱を持った二人の女性が入室して来ました。
    「では、皆さん頑張って下さい。よろしくお願いします」
     そう言い残して、業務部長さんと総務部長さん、二人の男性が退室すると、教官の女性からすぐに指示された言葉は意外でした。
    「皆さん、すぐに服を脱いで下着だけになって下さい」
     ええっ!
     驚いたのです。先ほどの健康診断で下着になることは理解できたのですが、今度は何でしょう。
    「下着になったら、制服の採寸をします。最初に安澄真琴さん」
     なるほど、この女性達は洋服の仕立て屋さんだったのですね。
     最初に私の体を一人の女性が巻き尺で計りながら読み上げて、もう一人が書き込んでいます。
     自分の体を計った数字を大きな声で読み上げられるのは、かなり恥ずかしいことでしたが、これも仕事なのだと思い込もうとしました。
     そう、私はなる。私はバスガイドになるのだと。
     でも、考えてみれば、今朝8時に講堂に集まった時には応募者の多さに気圧されていたのに、その日のうちに今私は制服の採寸をされている。
     これが本当のことなのかと未だ実感が湧く間も無いままに、余りにも目まぐるしい展開が続いています。

     最初に採寸を終えた私が、服を着て身繕いを正していると、次に採寸を終えた薫が嬉しそうに小声で囁いて来ました。
    「五十音順ね」
    「えっ?」
    「名前を呼ばれる順番よ」
    「……、ああ、そうよね」
     なるほど、確かに不思議だったのです。いつでも私の名が最初の呼ばれるのは。そういうことですか。
      二番目に呼ばれる薫は、その法則を見つけて満足そうに見えました。きっと、最初は悔しかったのかも知れません。何故、自分が私より後に呼ばれるのかと。

     五人の採寸が終わると、教官が仕立て屋さんに向かって強い口調で言ったのが気にかかりました。
    「では、衣装合わせは、3月18日の午前9時ということでお願いします」
     えっ、今日が14日ですから、それでは中三日しかありません。三日で五人分の洋服を仕立てるというのは、無理があるのではないかと思ったのですが。
    「畏かしこまりました」
     でも、予め了解していたのでしょう。二人の仕立て屋さんは、深々とお辞儀をすると退室していきます。
     教官は私達五人に横一列に立つように指示してから、全員を見廻しました。
     それから自身の名前を狩野と名乗ると、戦前に新日本観光株式会社の前身である東京地下鉄道株式会社の遊覧課で観光案内をされていた経験から、私たちの採用にあたって教官として出向しているのだと自己紹介をされました。
    「では、栄はえあるバスガイド第一期生の皆さん」
     凛とした声が室内に響きます。
    「これから、研修を始めます。期間は四日間。皆さんのバスガイドとしての初仕事、最初の乗務は3月19日です」
     ええっ、たったの四日間ですか!
     それで「バスガイド」という新しい仕事ができるのでしょうか。
     急に不安な気持ちが擡もたげてきましたが、それを打ち消す様に狩野教官の号令が響きます。
    「では最初に挨拶からです。復唱してください。おはようございます!」
    「おはようございます!」
     五人が声を揃えようとしましたが、私は未だ体が固まっている様に上手く声が出ません。
    「もう一度! おはようございます!」
    「おはようございます!」
    「姿勢が悪い!」
     狩野教官は、私達に背中を壁に着けて立つように指示しました。
    「これが真っすぐに立つ姿勢です。そのまま、もう一度!」
     それからも、挨拶と言葉遣い、姿勢やお辞儀などの立ち居振る舞いと研修が続いて、激動の一日目が終わったのは午後7時近くになってからです。
     私は、この新日本観光株式会社のバスガイド採用を勧めて下さった恩師に、合格したことを知らせたかったのですが、上野駅から省線しょうせんに乗って田町駅に降りた時には、もう電報電話局は閉まっていました。

     それからの四日間は、怒涛の様な日々が物凄い速さで過ぎて行きました。
     狩野教官が用意した教材は、出発時の挨拶から始まり、途中下車する上野公園、皇居前、赤坂離宮、浅草の観光案内資料、乗車中の車窓から見える景色の案内など本当に盛沢山だったのです。
     教材を読み込んで暗記するだけではありません。全員が順番に声に出して実際の観光案内を実演して見せるのです。
     できるようになるまで何度でも繰り返しました。
     狩野教官の指導は、とても厳しいものでした。女学校の先生方とはまるで違います。
     でも、これは学校の勉強ではありません。仕事なのですから、そうしなければならないのでしょう。
     これがバスガイドになるということなのです。

     狩野教官だけではありません。会社の方々も、きっと心配されているのだろうと思います。
     研修が行われていた会議室には、面接官だった業務部長さんや総務部長さんも度々激励に訪れて下さいましたし、初めてお会いする社長さんもお見えになったのです。髪の毛は殆どありませんでしたが、黒くて太い縁取りの眼鏡を掛けた恰幅かっぷくの良い方で、いかにも社長さんらしく見えました。
     もちろん私達五人も無我夢中で頑張りました。毎日が新しいことばかりで誰もが必死だったのです。
     それでも、研修三日目が終わる頃には皆疲れ切ってしまいました。最初は自信満々だった薫も、もう余計な口を開くことも無くなり、誰もが押し黙って帰路に就いたのです。

     四日目の朝に再び洋服の仕立て屋さんがやって来ると、全員が「わぁ!」と声を上げて歓びました。
     紺色の上着とスカートに、同じ色の帽子。それに白いブラウスと白手袋も付いています。
     制服を衣装合わせする際には、白いブラウスの襟を出すように言われました。そうすると紺の上下に白い襟と白手袋が凄く映えます。
     上着にはボタンと胸ポケットが付いて機能的ですが、身頃みごろもモダンです。
     華やいだのも束の間に、その日の午後からは、いよいよバスに乗車しての研修です。

     早めのお昼ご飯の後に、本社玄関前に集合した私達を待っていたのはボンネットバスという大きなバスでした。
     運転手の一路いちろさんに御挨拶して狩野教官と一緒に乗り込んで見ると車内の広さに驚きます。
     それからが大変だったのです。教材は完全に暗記したつもりでしたが、やはり乗車しながら声に出して案内するのは勝手が違っていました。
     五人が交代で実演するのですが、最初に私が案内を始めるとすぐに狩野教官の叱責が飛びます。
    「右手に見えますのが」
    「違う! 右を差すときは左手!」
     そうでした! お客様に向かって後ろ向きに立つバスガイドは常に左右が反対なのです。研修の時にはできていたのですが……。
    「声が小さい! もっと大きな声で! ハッキリと!」
     走るバスの中で運転席の後ろに立っているだけでも必死で、思うように声も出ませんし、エンジンの音に搔き消されてしまいます。
     必死の思いで何とか研修を終えて、上野駅前の本社に戻った時には、もう午後の6時を回っていました。
     辺りに宵闇よいやみが迫り始める中で、見上げた地下鉄ビルは、窓々から漏れる明かりを煌きらめかせながら聳え立っています。
     やっとのことで厳しい研修が終わったのだと放心してしまいたくなる気持もありましたが、すぐに気を取り直しました。
     明日から、明日から始まるのだと思い、私自身の気持ちをもう一度強く確かめて信じたかったのです。
     私は、どうしてもバスガイドになりたい! 新しい職業婦人になるのだと!

     私は母のことを嫌いではありませんでした。むしろ好きだったのでしょう。
     でも、その生き方は真似したくはありませんでした。母の様に男の人に頼って生きるのは絶対に嫌だったのです。
     だから、どうしても私はなりたい。女性が自分自身で生きていける職業婦人に。

     私の母は川を渡った「花街」(三業地=料理屋,待合まちあい,芸妓屋げいぎや)の芸者だったそうです。
     でもそれは後から人伝に聞いたことで、母からは言われたことはありませんでした。
     お父さんが家にやって来る時には、私と二人の姉に必ずお寿司やお菓子などのお土産を持ってきてくれました。
     お小遣いも下さったので、私はいつも橋を渡って川向こうの麻布十番商店街の中ほどにある玩具屋さんに駆けていったのです。

     私の家は瀟洒しょうしゃな造りの一軒家で、格子戸を引いて屋根付きの門を潜ると、坪庭の手水鉢ちょうずばちの隣には楓かえでの木が伸びています。
     二畳ほどの玄関に続く八畳の客間と茶の間。縁側の外には、軒沿いに一間半程の奥行でしたが小さくてもお庭もありましたし、大きな梅と椿の木々の下には飛び石が並ぶ小さな池と、隣には石灯籠いしどうろうが置かれていました。
     毎年のことでしたが、庭の梅の木になる大きな実を母が漬けて梅干しや梅酒にしていたのです。
     表の玄関の他にも台所に繋がる勝手口があるのは私の家だけでした。棟割むねわり長屋が連なるこの街の中では、確かにかなり浮いていたのでしょう。
     近所の子どもたちと遊ぶ歳頃になると、私のことを「妾めかけの子」と呼ぶ子がいましたが、最初はその意味が分かりませんでした。
     でも、尋常じんじょう小学校に行く頃には、どの子も私を「妾の子」と揶揄からかいましたので、私もその意味を知ったのです。

     私達三人の姉妹は四つずつ年が離れていて、二人の姉は母に似て綺麗でした。
     それが却って良くなかったのかも知れません。一番上の姉は派手好きで、不良の様な人達と浮名を流して悪い噂が絶えないようでした。
     私が尋常小学校に通っていた頃です。姉は、未だ女学校を卒業しないうちに出奔しゅっぽんしてそのまま行方は知れず、相手は大人の男の人だと噂では耳にしましたが、本当のことは分かりませんでした。

     やがてお父さんが家にやって来なくなると、その代わりなのでしょうか、母は川向こうの三業地に小さな小料理屋を貰いました。
     二番目の姉は、長女とは正反対の大人しい女でしたが、いつでも自分の意志は言わずに、何を考えているのかよく分からないところがありました。
     でもそういう女性が好まれたのでしょう、あの頃には。
     女学校を卒業すると母の手伝いでお店に立った姉は、すぐに見初みそめられました。
     相手は金沢から出張で東京にやって来ていた若い銀行員で、少しのっぺりとした顔付きの穏やかそうな青年でした。
     父親は四高(現金沢大学)の先生で、家も金沢城のすぐ近くということで、良い家のボンボンということらしかったのです。
     先方は堅いお仕事の家なので、こちらとは釣り合わないのではないかと母は心配した様でしたが、意外にもお話はとんとん拍子で進み、姉が金沢に嫁いでいった後の家は母と私だけになりました。

     母は、尋常小学校では揶揄われ苛いじめられていた私を、無理をして私立の女学校に入れました。
     ですが、そのキリスト教系の女学校に通うのはお嬢様ばかりで、片親の私は異質であり、やはり浮いた存在だったのです。
     その女学校には別の校舎に男子部もあったのですが、やがて戦争が始まるとキリスト教への弾圧として文部省から卒業証書が渡されなくなったので、止む無く男子部はキリスト教の教育から離れて全く別の麻布高校という男子校として独立しました。
     お嬢様ばかりの女学校の方は、卒業証書が無くとも困る人はいなかった様でそのままでしたが。
     その男子校に在席していたのが、隣町の麻布に住んでいた地元でも唯一人、私を苛めずに可愛がってくれた「お兄ちゃん」だったのです。

    「富士号」発車オーライ


     空は晴れ渡っていました。春の風が雲を吹き飛ばしてしまったように青く澄みきっています。
     昭和24年3月19日午前8時30分。上野駅正面口前、地下鉄ビルの前に設置された「東京遊覧バス乗り場」と大きく描かれた標識の前に停車しているのは、「三菱ふそう」のボンネットバス「富士号」です。
     正面から見ると、運転席の二つの窓の下から大きく前に突き出るエンジンカバーとその両側の丸いライトは、まるで逞たくましい人間の顔の様にも見えました。
     クリーム色というのだそうですが、艶やかな肌色に塗られた車体の下側と窓周りに朱の隈取くまどりが映えて光っています。
     先日私たちを励ました社長さん、それに50人程の全社員がこの場所に集まっています。

     私達五人のバスガイドは、今朝は7時に中野駅前通りの中野車庫に集合して五台のバスを車内清掃してから、この「富士号」に乗車してここ本社前に到着しました。
     バスは未だ珍しいガソリン車で、「富士号」「箱根号」などと山の名前を付けられています。
     その中で私が担当して乗務することになったのが、この「富士号」です。
     実は、それが発表されたのは昨日、全ての研修を終えて本社に戻ってからのことでした。
     研修会場となっていた会議室で、突然告げられた狩野教官の言葉に、全員が息を呑んだのです。
    「明日、午前9時発、東京遊覧バス第一号車は『富士号』! 乗務は安澄真琴さん!」
     四人の目が私を覗いたのが分かります。
     私は喉が詰まった様に声が出ず、一拍遅れました。
    「はい!」
    「午後1時発、第二号車は『箱根号』! 乗務は石崎薫さん!」
    「はい!」
     すぐに答えた薫は、少しほっとしたようにも見えましたが、やはり少しきつい目線を私に寄越したのも分かりました。

     乗務員発表の後、明日も早いので少しでも早く家路に就こうと皆が帰りだした時のことです。
    「安澄さん、少しいいかしら?」
     私に声を掛けたのは狩野教官でした。
    「貴女ならできると思ったの。第一号車のガイドを」
    「えっ……、私が、ですか」
    「ええ、この研修中も貴女は少し違っていたわ。バスガイドになろうという気迫が。それに、あの面接の時に」
     ああ、面接の時ですか……。あの時私は歌いながら泣き出してしまったのでした。どうして合格することができたのかと思っていたのですが……。
    「あの時に、貴女ならお客様の心が分かる、お客様と一緒にこの仕事を作っていけると思ったのよ。バスガイドというお仕事はね、観光名所の案内をすればいいだけではないの。
     きっと色々なお客様がご乗車されてくるでしょう。そのお客様たちの人生を運びながら、これから作っていくのよ。このバスガイドという仕事を」
     言いながら、狩野教官の目が潤んでいることに気付きました。今日まで研修で私達を厳しく叱咤激励してきた狩野教官が全く違う貌を見せています。
    「未だ戦争で傷ついている人も、悲しみが癒いえていない人も大勢います。そういうお客様の心に寄り添いながら、それでも前を向いて歩いて行こうと。生きていこうと思って頂くのよ」
    「あの、そんなことできるでしょうか……。私が」
    「できるわ。できるわよ。貴女の歌を聴きながら、私も泣いてしまったもの。貴女は、貴女にしかできない御案内をしていくのよ」
     ああ、そうでしたか。私が面接で泣き出してしまったあの時に、静かに咽び泣く声も聞こえていました。あれは狩野教官だったのですね。狩野教官にも……、同じ思いが。

     そうして一夜を明けて迎えた今、私の気持ちはもう揺らいではいません。この青空の様にくっきりと晴れ渡っています。
     私は逃げません。私がやるのだ、私がバスガイドの仕事を作っていくのだと思って。
     紺色の制服姿の私達五人のバスガイドと一路運転士が「富士号」の前に並ぶと、隣に立つ社長さんが取り囲むように見守る全社員に向かって挨拶しました。
    「いよいよ本日、新日本観光株式会社の定期観光事業が開業し、東京遊覧バス第一号車が出発します。これまで鋭意奮闘されてきた諸君に感謝いたします。我が社の設立目的である『東京を観光事業で復興し、平和な日本を観光事業で成り立たせる』為に、観光の発展により平和国家の建設に寄与していこうではありませんか!」
     それは、研修中にも訓示されていたので知っていました。私達の仕事は、観光で復興と平和に尽くすということなのだと。
     社員の拍手が響く中で、総務部のカメラマンが写真を撮ります。
     さあ、お客様がお見えになり始めました。

     役員や社員の皆さんが、お客様に丁寧に御挨拶なさっています。
     実は、未だ「遊覧・観光」は時期尚早じきしょうそうであるという役所からのお達しによって、新聞などでの宣伝は禁じられておりましたので、社員の皆さんが一生懸命に色々な団体に出向いたり、ハイヤーの顧客名簿でお願いするなどしてお客様を募ってきたのです。
     料金はおひとり250円(初任給が二万円)ですから、お安くは無いでしょう。
     それでも集まったお客様たちからは笑顔が溢れていました。男性のお客様は殆どが洋装の背広姿でしたが、紋付もんつきに袴はかま姿のかたもいらっしゃいます。
     女性のお客様は洋装と着物のかたが半々ほどでしょうか。
     私達バスガイドは、順にお客様を車内に御案内しました。
     車内は路線バスの横向きのシートとは違って、前方に向かって左右に並ぶ二人掛けの座席と補助席が一つ、最後尾の五人掛けの座席も含めて七列で定員は35人、全てのお客様に着席して頂きます。
     第一号車「富士号」に乗車するのは33人のお客様と業務部長、総務部の広報担当者です。
      狩野教官も当然乗車して私の仕事ぶりを確認するのかと思っていましたが、「大丈夫。信じています」と乗車しないと言われました。
     そして最後に付け加えたのです。
    「安澄さん、貴女は昨日までの研修で全て学んできました。でも、今日からは研修ではありません。お客様と一緒に乗務する時に一番大切なのは、笑顔よ。勉強してきたことを笑顔にのせてお伝えするの」
     そう言って微笑んだ狩野教官の貌を見れば、その意味は分かります。そう、これが笑顔ですよね。

     全てのお客様を車内に御案内し終わると、私を残して四人のバスガイドが降車していく時に薫がまた強い目線を寄越したことに気が付きました。
     私は客席と運転席の仕切りを支えるポールに背中を着けて真っすぐに立ちました。
     車内を見渡すと、全てのお客様たちの視線が私一人に注いでいるのが分かります。
     腕時計をチラリと見遣ると9時の2分前です。この腕時計は、就職祝いにと今日に合わせて母が買ってくれた物でした。
    「お早うございます! お待たせしております。間も無く出発致しますので今暫くお待ち下さい」
     車外が騒めいているのが分かります。本社前の社員たちだけではありません。向かいの上野駅正面口前の広場からも一目見物しようと大勢の人だかりができていました。
     社長さんたち全社員が大きな拍手を始めます。
     プッ! プッー!
     一路運転士が短いクラクションを二回鳴らしました。
     9時です。
     私は振り向いて一路運転士に向かって言いました。
    「お客様、お揃いです。発車オーライです!」
     東京遊覧バス第一号車『富士号』が発車したのです。
     動き出すバスに向かって全社員が大きく手を振りながら見送っています。車内のお客様方もそれに応えて手を振りました。どのお顔も満面の笑みを湛たたえています。
     走り出すバスを追いかけながら手を振り続けている社員もいます。今日、この日を迎えるまでの努力と苦労してきた思いがよほど込み上げたのでしょう。
     この光景を見ただけで私の目頭は熱くなっていましたが、ここは堪たえてお仕事です。
     再び深々と最敬礼してから貌を上げると、お客様を見渡しながら、口角を上げて笑顔を完璧にしました。
    「皆様、おはようございます! お待たせいたしました。本日は、東京遊覧バス第一号車『富士号』にご乗車下さいまして、ありがとうございます。 
     今日半日、皆様の御案内を担当致しますのは、運転士は一路、私はガイドの安澄真琴と申します。どうぞよろしくお願い致します」
     お客様たちの拍手が車内に満ちると、胸の奥から実感が沸きあがってきました。なったのです。私は今、バスガイドになったのです。
     
     まず向かったのはすぐ近くの上野公園でした。
     バスを降車してから公園入口の階段を上ると、最初に西郷さんの銅像の前で立ち止まり、初めての御案内です。
     私は白い手袋の左手を上げて、お客様たちに指し示しました。
    「こちらが西郷さんの名前で親しまれております西郷隆盛像でございます。高村光雲の作で、高さは3.7メートル。
     西郷隆盛は西南戦争により亡くなりましてから、時の明治政府から逆賊ぎゃくぞくとされておりましたが、明治22年の大赦たいしゃにより許され、それから銅像の建設が始まり、完成致しましたのは33年。没後21年のことでございました」
     頻しきりに頷くお客様たちを見て一安心しました。私も実は緊張していたのですが、きっとそうは見られなかったと思います。
     そこからは、寛永寺五重塔の前を通り、正面に大屋根を載せて構える東京国立博物館まで、お客様を御案内しました。
     たった五日前のことでしたが、バスガイド採用面接のお昼にはこの公園でお弁当を食べていた私が、今はお客様を御案内している。それも今では何だか随分と昔のことの様に感じます。
     頭上の桜の木々に、あの時は未だ付き始めた始めたばかりだった小さな蕾も少し綻んできたように見えました。
     上野公園には、幸いにも戦災で焼失しなかった歴史のある建物が多く残っていましたから、確かに観光案内する名所にはこと欠きません。
     ですが、それは上野の表の貌でしかありませんでした。
     ここ、上野駅とその周辺には、戦争で家族と住む場所を失い、身を寄せ合って生きている人たちが未だ暮らしていたのです。
     ひしめき合う露店の闇市やみいちも、ハモニカを奏でる傷痍軍人たちもそうでしょう。
     終戦前後から駅の地下道で暮らす子どもたちは「駅の子」と呼ばれていました。
     今では随分減ったというのですが、駅前や公園入口の階段での靴磨きや、駅に降り立った乗客の重い荷物を運ぶ「担かつぎ屋」等で日々の糧かてを得ているようでした。「担ぎ屋」には自分よりも大きな荷物を背負おうとする子どもの姿も見られます。

     皇居前広場でもバスを降車して、歩きながら楠木正成くすのきまさしげの銅像から二重橋前までを御案内しました。
     じっと二重橋を、その先の皇居を見詰めるお客様たちに、後ろを振り向いて御案内した建物はGHQ(連合国最高司令官総司令部)ビルディングです。
     皇居前広場を睥睨へいげいする様に聳え立つ八階建ての大きなビルの屋上には巨大な星条旗がはためいていました。
     元は第一生命ビルディングでしたが、この並びの東京会館など周辺で焼け残った大きなビルディングは全て進駐軍に接収されています。
     皇居とGHQビルディング、この不思議な対比を眺めながら、お客様たちの胸にもきっと色々な記憶や思いが去来していることでしょう。
     戦争で大事な人を失っているかたも、未だ戻らぬ息子を待っているかたもいるかもしれません。誰しもが、それぞれの思いを抱えながらこの場所に立っていたのだと思います。

     再び乗車して、今年復興を終えたばかりの赤レンガ造りの東京駅を車窓から御案内すると、感嘆の声が車内に溢れています。
     バスが銀座通りに向かうと、通りの入口には「GINZA」と英語で表記された大きなゲートが見えました。
     この通りは車窓からの御案内で、次に降車する赤坂離宮に向かって進みます。
     通りの中心、銀座四丁目交差点で交通整理していたのは緑色の軍服に白いヘルメット姿のMP(ミリタリーポリス=憲兵)でした。
     交差点に面して「TOKYO PX」(占領軍と家族専用の売店)と大きな看板が掲げられた「服部はっとり時計店」(現・和光)はこの辺りで焼け残った最大のビルですが、その周りには進駐軍のジープが何台も駐車しています。
     でも私の目を惹いたのはビルの前に座り込んでいる大勢の子どもたちの姿でした。
     布を手にして靴磨きのお客を呼び込もうと声を張るのは進駐軍から「シューシャインボーイ」と呼ばれる子どもたちでしたが、へたり込む様にただ座っている子もいたのです。
     表通り沿いには二階建てのビルやお店も立ち並び始めていて、復興が進んでいるのが分かります。でも、脇道から垣間見えるのは、その先にひしめいている未だ露店やバラックの闇市でした。

     バスは赤坂離宮でも停まり、降車してお客様を御案内します。外観と玄関ホールまでの見学でしたが、ネオ・バロック様式と呼ばれる建築の美しさにお客様たちも皆驚かれていました。
     戦争前には私達の様な一般人がこの建物に立ち入ることは無かったのでしょう。

     最後の降車場所、浅草公園に降り立つと、浅草寺の本堂と五重塔は東京大空襲で焼失して未だ空き地のままでしたが、辺りにバラックや露店の闇市が埋め尽くす中、立ち並ぶ六区の演芸場の向こうに見えるのは、一際大きな存在感を放つ四階建ての国際劇場です。
     建物正面に御案内すると、「松竹少女歌劇公演」と浮き出た文字で描かれ、『レビュー春の踊り』と書かれた垂れ幕も掛かっていました。
     この歌劇団はSKDと呼ばれて人気を博し、有名なスターも生まれていましたので、少女たちの憧れの舞台でもあるのです。
     華やかな芸能の聖地、国際劇場と軒を連ねる演芸場、闇市が混然一体となった街並み、それが人々を惹き付ける浅草の魅力なのでしょう。

     私達を乗せたバスが、上野駅正面口前、地下鉄ビルの本社前に戻ったのは出発から三時間半後の12時半でした。
     到着前、私はお客様に最後の御挨拶をします。
    「御案内してまいりました東京遊覧バス『富士号』も間も無く上野駅前に到着いたします。短い時間ではございましたが、日本の首都東京のご印象はいかがでしたでしょうか。
     江戸の昔から続く古いもの、戦災で変わってしまった街並み、それでも復興を続ける東京の姿を、多少なりともご記憶いただければ幸いと存じます」
     言いながら自分でもその台詞せりふの意味を嚙み締めていました。
     そうなのです、今日は観光名所を御案内しましたが、同時にまだ残っている戦争の傷跡も確かめることになりました。
     それでも、お客様には前を向いて生きて行こうと思って頂けたでしょうか。
    「行き届かない御案内でしたが、最後までお聞きくださいまして、ありがとうございました。どなた様もお気をつけてお帰り下さいませ。
     本日は、ご乗車下さいまして、ありがとうございました!」
     腰から折れる様に最敬礼すると、お客様の拍手が鳴り響いて私を包みました。

    「東京遊覧バス乗り場」に停車したバスから私はすぐに降車して、タラップを降りるお客様を手伝いながら一人一人に御挨拶しました。
     お礼の言葉をかけて下さるお客様もいらっしゃいます。
    「本当にありがとう。良い冥途めいどの土産になりました」
     そう仰って下さったのは着物姿の高齢のご婦人です。やはり羽織はおり袴はかま姿の高齢の男性と御一緒でした。
    「お体を大切になさって、お元気でいらして下さい。またのご乗車をお待ちしております!」
     洋装の女性からも、嬉しい言葉を頂きました。
    「貴女の案内、とても上手かったわよ。また貴女の案内するバスに乗りたくなったわ」
    「ありがとうございました! またのご乗車をお待ちしております!」
     お客様たちが全員降りられてから、最後に降車してきたのは、営業部長と総務部の広報担当者です。
     営業部長は私の手を取って褒めて下さいましたが、ご自身もよほど嬉しかったのでしょう。
    「良くやってくれた! 大成功だよ! さあ、これからだ。頑張ってくれ!」
    「はい! 頑張ります!」

     降車するお客様たちの様子をずっと見守っていた狩野教官も私に歩み寄りました。
    「お客様たちを見れば分かります。よくやりましたね。信じていましたよ、貴女ならできると」
    「ありがとうございました!」
     狩野教官に最敬礼したのは、心の奥から込み上げる感謝の気持ちだったのです。この機会を与えて頂いたことが私にとって、きっと人生の意味を変えることになるのだという。
     すぐに私は、休む間もなく午後1時発、東京遊覧バス第二号車『箱根号』を見送ります。
     出発するバスの車内から誇らしげな笑顔を浮かべる薫が私に強い目線を寄越したのが分かりました。

     ですが、それからだったのです。苦しい試練の日々が続くことになるのは。
     新しい毎日を、私達は無我夢中で過ごしていました。
     それでも最初の頃は満席でしたお客様も、次第に減り始めて座席の半分しか埋まらない日も多くなってきたのです。
     それは、観光は未だ時期尚早だという役所からのお達しにより新聞などでの宣伝ができなかったからでしょう。
     会社にとって更に大きな問題は燃料不足でした。
     日本全国の燃料不足により、路線バスも四割ほどが木炭や薪などの代用燃料車両でしたのに、当社のガソリン車が観光で皇居前広場に入るのが目に余るとして、役所から車体の改造を求められたということです。
     仕方なく車体を改造し後部に天然ガスのボンベを三本装備しましたので、車庫に戻るたびにそれを積み替える仕事が必要になりました。
     都内半日コースでもボンベを積み替えましたが、新しい成田山コースでは三本とも積み替えるのが重労働になったのです。

     確かに少し早かったのかも知れません。観光で復興と平和に尽くすという理念は崇高でしたし、とても大切なことでした。
     けれども未だ、観光どころでは無いという人々も大勢いたのですから。
     それでも人々はその頃、復興の大きな変わり目を感じていただろうと思います。
     前年の11月からお米の配給は2合7勺しゃく(380グラム)に増えていましたが、東京遊覧バスが始まってすぐのこと、4月には野菜の統制が無くなり、6月にはビアホールが解禁し飲食店も再開されました。

     お客様の数も再び増え始めたのは、車体の窓下に「お一人でも乗れる東京定期観光バス」と描いた帯状の宣伝文句を、沿道の人々が御覧になったこともあったでしょう。
     それまで観光バスというのは団体で貸切るものでしたが、手軽に乗り合いで観光できることが人気になったのだと思います。
     宣伝文句だけではありません。車体には運行開始後間も無くから「鳩はと」の絵が描かれていましたが、それはもちろん「平和」の象徴でもあり、同時に「速さ」と、必ず還って来るという「安全」という意味もありました。
     それを改めて東京芸術大学の先生にお願いして、新たな「鳩」のマークをデザインして頂いたのです。
     新しい白いハトのマークを挟んで「はとバス」と大きく車体に描かれることとなりました。
     それからの私達は「バスガイド」ではありません。「はとバスガイド」と呼ばれることとなり、世の中に知られるようになったのです。
     第二期生の採用面接には二百人もの応募者が殺到しました。
     ますます忙しくなる「はとバスガイド」のお仕事でしたが、私にはもう一つやることがあったのです。

     復興の変わり目を迎えていた日本でしたが、この上野駅とその周辺には未だ戦争で全てを失った人がいたのです。
     傷痍軍人と呼ばれる白装束に兵隊帽を被った人たちは、路上に並んで座り頭を垂れながらハモニカで物悲しい音色を奏でていました。
     駅前広場では、新潟などの港から列車が到着すると、復員してきた兵隊さん達の一団が降りてきます。
     その人たちの顔を見廻しながら私は探していたのです。「お兄ちゃん」のことを……。

    「お兄ちゃん」の記憶


    「東京遊覧バス」が運行を始めてから一年が経ち、昭和25年になると「はとバス」と呼ばれて親しまれる様になった新日本観光株式会社の定期観光バス事業は急速に拡がりました。
     バスの車両は運行を開始した当初の5台から10台に増えましたし、全車両がディーゼル車に切り替わりました。国内の燃料事情が好転してきたのだそうです。
     定期観光事業が拡がるのに合わせて、二期生を迎えた私達「はとバスガイド」の仕事もどんどんと忙しくなっていきました。
     東京半日コースから始まった定期観光も、一日コースに加えて、成田山や箱根などの長距離コースも新設されたので、その教材を社内研修や乗車研修で学びながら毎日が新しいお仕事への挑戦だったのです。
     私達は「はとバス」ガイドという新しいお仕事を創っているのだと。

     お客様の数も増えるのに従って、本当に様々な人々がご乗車される様になりました。
     運行を始めた当初は、やはり少し生活にゆとりのあるかたが多かったのかと思いますが、「はとバス」の名前も知られるようになり、宣伝文句の「お一人でも乗れる東京定期観光バス」という手軽さが人気となったからでしょう。
     観光名所を見たいという目的のかただけではありませんでした。
     復員して間もないだろう軍服姿の兵隊さんが車窓からの街並みを眺めながら、涙を浮かべていたこともありました。やっとの思いで還ってきた東京の姿を見たかったのだと思います。
     それに、還って来ることができた人ばかりではありません。遺影となってご乗車されたかたもいたのです。
     遺影を抱いてご乗車された着物姿のご婦人は、感慨深げに復興が進む東京の街並みを御覧になっていましたが、胸の内には一体どの様な気持ちが去来していたのでしょうか。
     皇居前広場で降車して、楠木正成像から二重橋前まで御案内した時のことです。そのご婦人は遺影を抱いたままで皇居に向かって跪ひざまずくと、その場に突っ伏して咽び始め、やがて声を上げて泣きました。
     見守る周りのお客様たちも涙を滲ませているのは、そのご婦人のお気持ちは分かったのでしょう。
     私は隣に腰を落として、咽び泣くご婦人の背に手を添えました。それしか無かったのです、私にできることは。
     そうなのです。私も待っていたのですから。待ちながら、探していたのです。「お兄ちゃん」のことを……。

     私が未だ女学生だった時でした。「お兄ちゃん」は大学生で二十歳になったばかりだったと思います。
     昭和18年10月21日、冷たい雨が降りしきる中で明治神宮外苑競技場の出陣学徒壮行会には、東條英機首相が出席して、「お兄ちゃん」たち七万人の男子大学生が整列していました。
     式典が進み、最後に「海ゆかば」が演奏されると、大学生達は真っすぐに小銃を捧げ持ちながら雨の中を宮城(皇居)に向かって行進していきました。
     彼らの足元で、ゲートルを巻いた軍靴が激しく水飛沫みずしぶきを蹴けり上げる様に、動員された私達女学生は日の丸の旗を思い切り振りながら力の限りに叫んだのです。「万歳!」と。

     その12月です。「お兄ちゃん」が入営したのは。
     麻布十番商店街の真ん中で、大学生二人の学徒出陣を祝うために街中の人々が集まっていました。
    「お兄ちゃん」が招集されたのは陸軍でしたが、もう一人の大学生は海軍です。
    「万歳!」「万歳!」
     人々が歓声を上げる中で、緑色の軍服姿の「お兄ちゃん」と、紺色の軍服のもう一人の大学生は、額に手を当て周りの人々に敬礼しました。
     それからもう一度振り返ると、頭を下げて家族に最敬礼してから踵きびすを返して歩き始めます。
     歩み去る二人に向かって誰もが「万歳!」と叫ぶ人の輪の中から、私は駆け出してしまいました。どうしても、どうしても、自分自身を抑えることができなかったのです。
     追いかけながら「お兄ちゃん!」と叫ぶと、振り向いた「お兄ちゃん」は駆け寄った私の頭を子どもの頃と同じようにポンポンと叩いてから撫でてくれました。
     私が目に一杯の涙を溜めながら言うことができたのは「お兄ちゃん! 御無事で!」という言葉だけでした。
     出征兵士には戦い続けるという意味で「武運長久ぶうんちょうきゅうを」と言うのが約束だったのですが、とてもそうは言えなかったのです。

     翌年秋のことでした。海軍に入営した大学生の名前が新聞に載ったのは。敵艦に「特別攻撃」を行ったということで「軍神ぐんしん」になったのです。
     それを祝うために再び商店街の真ん中に集まった人々が、何度も「万歳!」と叫ぶ歓声に、「ありがとうございます」と頭を下げて応えていた「御母堂ごぼどう」の足先に涙が零れていたことに私は気付きました。
    「お兄ちゃん」は無事なのか、一体どうしているのでしょうか。陸軍で満州の師団に配属されたとは聞いていたのですが。

     東京に「空襲」が始まったのはその年の暮れでしたが、年が明けて昭和20年になると「空襲警報」が鳴る回数も格段に増えてきました。
     既に多くの国民学校(小・中学校)の生徒たちが、学校毎に集団学童疎開そかいをしていましたが、私が通っていた私立の女学校は集団疎開をしませんでした。
     縁故疎開と言って頼れる親戚がある人や、別荘を持っているお金持ちのお家の生徒はもう学校には来ていませんでしたし、私もその頃には「学徒勤労動員」で品川か大崎の工場で働く日が殆どで授業は受けていません。
     私の街では「空襲警報」が鳴ると、人々は小高い丘の麓ふもとに横穴の様に掘られた防空壕に逃げ込むことになっていました。
     丘の上には連合国の大使館と日本の財閥の社交クラブが建っていたので、本当にそうなのかは分かりませんでしたが、ここには米軍の飛行機も爆弾を落とさないと大人たちが言っていたのです。

     けれども強い春一番が吹き荒れていた3月9日の夜、10時30分に発令された短いサイレン音を繰り返す「東部軍管区警戒情報」が解除された後のことでした。
     真夜中を過ぎて午前0時15分に再び長いサイレン音が続く「空襲警報」が発令されたので飛び起きて防空壕に向かって走ると、もう東の空は炎で明るく染まり始めています。
     芝公園に配備された高射砲陣地から打ち出した弾が夜空で炸裂する白煙が見えました。
     飛行機の爆音が次第に大きくなるのを聴きながら、防空壕に飛び込むと誰もが声を潜めて身を寄せ合いました。
     それから五分も経たないうちでした、爆発の音が響き始めたのです。
     近い!
     ひしめき合った人々は、空の上から響く爆音にひたすら身を固くしながら、教えられた通りに防空頭巾を深く被った上から眼と耳を押さえ、口を開けて爆風に備えることしかできませんでした。
     防空頭巾ではなく座布団や鍋を被っている人もいるのは、急な「空襲警報」によほど慌てたのでしょう。
     爆音が去って暫くしてからです。防空壕から外の様子を見に行った高齢の男性が叫ぶのが聞こえました。
    「大変だ! 燃えているぞ!」
     驚いて防空壕を飛び出した私たちが見たのは、北の飯倉いいくらや六本木の方向から燃え上がっている火柱と立ち昇る黒煙でした。
     近隣では一際高く聳え立つ増上寺の五重塔も炎に包まれています。
     ただ立ち尽くすしかありませんでしたが、もう東京の街が大変なことになっていることはこの私にも分かったのです。
    「空襲警報」が解除されたのは午前3時近くになってからのことでした。

     あの空襲のことをラジオでは「残酷、野蛮なアメリカ人による虐殺」だと報じられて、「空襲を恐れることなく、ますます一致団結して奮って皇都庇護の大任を全うせよ」と私達に呼びかけていました。
     でも、表立って口にする人はありませんでしたが、大人たちの噂では、東京は三分の一が燃えたらしい、隅田川には死んだ人が大勢浮かんでいた、と囁ささやかれていたのです。
     もう戦争は戦地に出征した兵隊さん達だけの戦いではありません。誰もがいつ命を落としても不思議ではない。それを人々も感じていました。

     4月14日の深夜、15日に日付が変わった頃でした。
     鳴り響く「空襲警報」に飛び起きて家の外に出ると、もう既に爆音が聞こえています。3月の空襲の時とも違う。爆音は私の頭の上から響いている!
     防空壕に向かって駆けると、私の隣を走っていた母が突然倒れ込みました。
     足が縺もつれたのでしょうか。その手を取って叫びました。
    「お母さん! 立って! 走るのよ!」
     頷いた母を抱え起こしながら確かめると、下駄が脱げて変な方向に足先が曲がっているのが分かりました。足を挫くじいたのか、もしかすると捻挫ねんざしたのかも知れません。
    「お母さん!」
     無我夢中で私は母を背負うと、防空壕に向かって一足ずつ歩きました。
     近くで爆発する音と、焼夷弾が破裂するザザーッという響きが聞こえ始めます。
     防空壕の入口が見えた時には、中から出てきた高齢の男性が今にも扉を閉めようとしていました。
    「待って! 待って下さい!」
     叫びながら母を背負って歩く私が、必死の思いで防空壕の入口から中に潜るとすぐに扉が閉じられました。
     爆発の音が響きます。
     私は母を背負ったままで一緒に尻もちを付きました。
     爆弾が落ちる音が聞こえていたましたが、防空壕の外は、私達の街はどうなっているのでしょうか。
     午前2時を過ぎていたと思います。「空襲警報」が解除されると、入口の扉を閉めた男の人が様子を見に外に出ていきました。
     暫し待っていると、戻って来たその人が強張った貌で「大丈夫だ……、ここは」と言うので、私は足を挫いた母を残して恐る恐る防空壕から出てみたのです。
     確かに防空壕の周りは、この一角は燃えていませんでした。
     ですが、河を挟んで対岸の麻布十番は街中が燃え上がっていたのです。
     黒々とした煙を立ち昇らせながら燃えさかる炎が夜空にかかる雲を赤く染めていました。
     舞い上がる火の粉が、吹き飛ばされたトタン屋根も巻き込みながら南西からの風に乗って北東に飛んでいくのが見えました。
     風向きが変わるとこちらに流れてくるかも知れないと、私達は再び防空壕に戻り、これからどうなるのだろうか分からないままの不安を抱えて一夜を過ごしたのです。散々練習したバケツリレーなどでは、もうどうにもならないことは誰もが分かっていました……。

     朝になってから、防空壕を出た私は信じられない光景を目の当たりにしたのです。
     この街は、いえこの街のこの一角だけが、燃えることなく残っていました。でもその周り、対岸の麻布十番は街全体が黒焦げの焼け野原になっていたのですから。
     一体どうなったのでしょうか、「お兄ちゃん」の家は、家族は。
     確かめに行きたい気持ちはありましたけれど、河に架かる小山橋こやまばしを渡ってもその先の、市電通りを挟んだ焼け跡には猛烈な熱気で近寄ることはできませんでした。
     橋のたもとから見遣ると、全てが焼け落ちた真っ黒い廃墟の中に残っているのは黒い大きな四角い塊。あれは金庫か何かでしょうか。ぐにゃりと曲がっている鉄の輪は自転車だったのかも知れません。
     誰もが呆然としてその場に立ち尽くしました。
     何故だかこの一角だけには一発の爆弾も落ちませんでしたが、周りがまるで焼け野原になってしまったのですから。

     母の足が癒えてから、私達親子は金沢に嫁いだ姉を頼って疎開しました。
     その後、5月25日にも再度の空襲があり、麻布の街は更に広く壊滅したということです。
     8月15日、私は金沢で終戦を迎えました。
     戦争が終わったのだと言われましたが「お兄ちゃん」は一体どうしているのでしょう。無事でいるのか、戦争が終われば戻って来るのでしょうか。
     戻って来ることができても、焼けてしまった麻布の街で「兄ちゃん」が帰るお家は、待っている家族は……。

    帰郡


    「はとバス」の呼び名も人々の間に広まった昭和25年から翌26年にかけては、私たちが御案内する東京の街も急速にその姿を変えていきました。 
     それに伴ってお客様も増えましたし、私達のお仕事も変化していったのです。
     定番の都内半日コースで必ず車窓から御案内する銀座通りは、すっかり増えた新しいお店のショウウインドウを見て歩く「銀ブラ」に大勢の人が詰め掛けていました。
     行き交う人々に向かってプラカードを掲げて盛んに宣伝をしているのはサンドイッチマンです。
     ビルからは昨年封切られた映画「銀座カンカン娘」の垂れ幕が下がり、高峰秀子さんが歌う主題歌が街に流れて人々の明るい気分を盛り上げていました。

     街の様子が変わったのには食糧事情の影響もあったと思います。昭和25年4月には水産物の、翌26年10月には麦の統制が撤廃されて、米以外の食品は全て自由販売となりました。
     食料がヤミ物資ではなくなったのです。その12月、東京都内の常設露店は廃止となり闇市は姿を消していきました。
     私たちの「はとバス」にご乗車されるお客様も、年毎に前年の倍に増えていきました。それと共に、26年にはGHQから石油燃料車への転換が許可されてガソリン自動車となった車両も20台に増え、社員も150人近くになっていました。

     定期観光コースにも大きな変化がありました。26年4月から「夜の定期観光コース」を始めることになったのです。その為に白羽の矢が立てられたのが、狩野教官でした。
     狩野教官は、新日本観光株式会社の社員では無く、前身である東京地下鉄道株式会社の遊覧課で戦前に観光案内をされていた経験から、私たちバスガイドの採用にあたって教官として出向していたのですが、「夜の定期観光コース」の開発と最初の乗務のために、この際当社に転籍して欲しいと頼まれたそうでした。
     最初は転籍については躊躇ためらっていたそうですが、前例のない夜コースへの挑戦にやはり血が騒いだのでしょう。
     一度決まると私たちの先頭に立って「夜の定期観光コース」の乗務を始めました。教官兼現役バスガイドというその姿は、実はその後の私の働き方に大きな影響を与えることになったのです。
    「夜の定期観光コース」は、午後6時に新橋駅前を出発し、銀座から日本橋の夜景を車窓から御案内、歌舞伎座で降車して一幕を観劇してから、再び新橋に戻りフロリダダンスホールで降車するという3時間の行程で、お一人350円でした。
     発車してから私たちが御挨拶する「この度たび、『はとバス』ではロンドン、ニューヨークに次いで我が国で初めての夜の観光バスを走らせることになりました」と言う第一声も誇らしかったのです。
     ですが、当然のことながら新しいコース故の難しさも有りました。歌舞伎座など市街地の真ん中で停車する際には、運転士はもちろんですが誘導するバスガイドも一苦労です。
     さらに困ったのはお酒に酔われたお客様への対応です。夜のコースはお酒が入ってくだけた気分でご乗車されるかたもおりますし、バスガイドにも型通りの観光案内ではないユーモアや機微も必要でした。
     そうは言っても人生経験の少ない若いバスガイドにそれは難しく、やはり狩野教官から必死に学ぶしかありません。
     私たちは、狩野教官の乗務にするバスに乗車して勉強をしましたし、会社でも顔を合わせれば情報交換を絶やさず助け合っていったのです。

     当時、何よりも大きなでき事、日本全体に影響したのは昭和25年6月に勃発した「朝鮮戦争」でした。
     お隣の国で始まった戦争は、すぐに日本を占領していた進駐軍と中国やソ連との事実上の戦争に拡がっていきましたので、随分沢山の進駐軍の兵隊さんもこの戦争に向かった様でした。
     もちろん、あの悲惨な戦争を経て二度と戦争をしないことを決めた日本は、いくら米国の占領下だからと言っても戦争に参加することはありませんでしたが、それでもきな臭い軍靴の足音は聞こえていたのです。
     一方で、この戦争に物資を送るための「特需とくじゅ」と言われる進駐軍からの調達は、日本の工業生産と景気をたちまち沸騰させていきました。
     私が住む街の周りでも白金の町工場はフル回転で操業しているようです。「はとバス」に御乗車されるお客様の様子も変わって来るのが分かりました。

     私が乗務する「東京観光半日コース」にいかにも羽振りの良さそうな羽織袴姿の御老人と一緒に現れたのは、派手な洋装に真っ赤なルージュを引いた綺麗な女性でした。
     その貌を見ると一瞬で分かったのです。随分と変わってはいましたが、女学校時代に出奔した一番上の姉だと。
     私よりも8歳上ですから31歳になっていると思いますが、それよりもずっと若いように見えていました。
     乗車するまではガイドの私のことなど気にも留めてはいない様子で老人にべったりと寄り添っていましたが、御案内を始めると最初に私が自己紹介しますから、一瞬ですがハッとこちらを見た様子で、当然彼女も分かったのだと思います。
     それからの乗車中は御案内するガイドの私を見ることは無く、車外の景色に気を取られている振りをしながら、御老人の目が私に向かないようにと必死で気を惹いて車窓に向けさせているのが分かりました。
     コースが終了してから降車する際にも、お礼の挨拶を述べる私を見ることなくバスから離れましたが、それから少し振り向いてもう一度だけ私を見遣ったことには気付きました。
     僅かに目線を交わした私たちはお互いに分かったのだと思います。もう二度と生きている間に会うことは無いのだろうと。

     日本国内の景気は「朝鮮戦争」による「特需」に沸いていましたが、もちろんこの戦禍による犠牲者や苦しんでいる大勢の人々がいることは間違いありません。
     日本でも、未だ戦争が終わっていない人々にとっては辛い状況だったのです。
     この開戦によってソ連に抑留よくりゅうされている兵隊さん達の帰還が止められてしまったのですから。
     上野駅に降り立つ復員した兵隊さん達の姿も見るからに減っていきました。
     それだけではありません。上野駅とその周辺を巡る景色は急速に変わっていたのです。
     駅からの線路に沿って犇めいていた広大な闇市は次第に正規のマーケットに置き換わっていましたが、昭和25年には前年の火災を契機に全面的に建て替えられて「アメ屋横丁」と呼ばれる商店街に一新しました。砂糖が禁制品だった時期にマーケットの人気商品だった「芋アメ」がその名前の由来の様です。
     闇市が無くなると、その手伝いや靴磨きをしていた「駅の子」も随分と少なくなったように見えました。

     これからも変貌していく上野駅周辺の景色を私が目にするのは、もう減ってくるのかも知れません。昭和26年7月には、上野駅の真正面に聳える東京地下鉄道株式会社の「地下鉄ビル」に入居していた私たちの新日本観光株式会社が、東京駅丸の内北口に移転することになっていたのです。
     私たちバスガイドは、朝にまず新しい品川の車庫に出勤してからバスに乗車してコースに向かい、観光が終了すると車庫に戻りバスの清掃をするのが通常の仕事でした。
     忙しくなる一方の日々の中でしたが、私は研修や打ち合わせなどで上野の本社で降りることができる時には、仕事帰りに上野駅構内を見て回っていました。
     列車で到着する帰還者は減ってはいましたが、それでもその人々の中に「お兄ちゃん」がいないかと探していたのです……。

     6月に入ると日が長くなって未だ明るい空には、松坂屋デパートの屋上から浮かぶアドバルーンが「カルメン故郷に帰る」という映画の宣伝が描かれた垂れ幕を下げて風に靡なびいているのが見えていました。その周りには鳩の群れが舞っています。
     私は仕事帰りに上野駅正面口を見廻して到着した帰還者がいないことを確認してから、上野公園に向かって歩いていました。
     上野公園をいつものコースと同じ様に、西郷さんの銅像、寛永寺の五重塔、上野動物園の前を通り、正面に構える東京国立博物館に向かって歩くと、お仕事でお客様を御案内するのでもちろん慣れてはいるのですが、自分一人で眺める景色はまた違って見えています。
      やはりお仕事中は観光名所の御案内とお客様への気配りに全ての神経を使っているので、その時には見えていないものもあるのでしょうか。
     噴水広場から振り向いて仰ぎ見ると、空は青く晴れて雲は遠くに綿の様に積み重なっています。
     松坂屋デパートのアドバルーンの方から鳩の群れがこちらに向かって飛んでくると、公園の上を回りながら舞っているのを眺めていた時でした。
     突然に気がついたのです。
     公園に向かって舞い降り始めた群れの中から、離れて飛び出したのは一羽の白い鳩でした。
     野生の鳩では見かけない白い鳩に目を惹かれていると、公園に降り立つ群れから一羽離れて飛んで行ったのは噴水池の対岸でした。
     この時間、もう噴水は止まっていましたが、池の水盤を超えた向こう側を見遣ると、その先に白装束に軍帽を被って筵むしろに座りハモニカを吹く傷痍軍人と、その周りに手を付いて頭を垂れる何人かの傷痍軍人の姿が見えました。
     その瞬間、私は雷に打たれたように全身に電撃が走ったのです。
     あれは!
     遠くからでも一瞬で分かりました。
     あの人は! 目の周りを包帯で巻いていますが、きっと間違いありません!
    「お兄ちゃん!」
     力の限りに叫ぶと、私はもう池の周りを対岸まで廻ることはできませんでした。そのまま池を横切ろうと靴を履いたまま水盤に足を踏み入れたのです。
     脛すねまで水に浸かりながら必死で歩きましたが、ああっ!
     何かが足に引っ掛かり、私は水の中に転んでしまいました。
     ずぶ濡れになって呻うめきながら手を付いて立ち上がると、足元に見えたのはパイプの様なもので噴水設備の一部だったのでしょうか。
     また歩み始めても、水に足を取られて向こう岸がなかなか近付いてきません。
     池の水盤を進む一歩ずつの時間が、とてつもなく長く感じます。
     でも、そんなことは何でもありませんでした。
     私はずっと待っていたのですから、この時を。「お兄ちゃん」が入営してからもう七年も待っていたのですから。
     やっとの思いで対岸に辿り着いた時にはもう息が切れていましたが、私は力の限りに声を振り絞りました。
    「お兄ちゃん!」
     そのまま駆け寄ると、正面から抱き着いた私はもう堪えることもできずに思い切り声を上げて泣きました。
     涙が止めどなく溢れ出していきます。
     もう、そうするしか、それしかできなかったのです。私には。
     号泣する私の貌を「お兄ちゃん」がゆっくりと手でまさぐりました。
    「……真琴、真琴……なのか」
    「うん! ……うん!」
     私の貌をまさぐっていた手を背中に廻すと、「お兄ちゃん」も私を抱き絞めました。
     泣き続ける私を強く抱き絞めながら、「お兄ちゃん」の顔に巻いた包帯も涙で濡れています。
    「……帰ろう」
    「……」
    「お兄ちゃん! お家へ帰ろう!」
     言いながら抱き絞め合う私たち二人を、無表情のままに見詰める切れ長の目をした少年が隣に立っていたのです。

    帰れない少年


     母は、私が連れ帰った「お兄ちゃん」と少年を何も言わずに受け入れました。
     もしも、「お兄ちゃん」が復員することができたならば、こうなることは考えの内だったかもしれませんが、もう一人の少年のことまでは想像もしてはいなかったと思います。

     もう乾いてはいましたが噴水池でずぶ濡れになった私も、一緒に帰った二人もすぐに銭湯に行かなければなりませんでした。
     先ずは二人の着替えに、もう十年以上も使うことが無かったお父さんの浴衣を出してくると、二人とも丈が合いませんでしたが仕方がありません。
     実は、お父さんの着物は家には沢山あったのですが、食べ物が無かった時期に全て交換してしまい、もうこれしか残っていなかったのです。
     それから二人を家の裏にある銭湯に案内して、少年にお金を渡そうとすると受け取らずに手を引っ込めてしまったのです。
     私は少し戸惑いましたが、もしかするとこの子は銭湯に入ったことが無いのかも知れないと思いました。
     丁度やって来た三軒隣に住む小学生の男子、源ちゃんに二人の世話を頼むと、「いいとも。真琴姉ちゃん、任せといて」と元気に応えてくれたので安心して女湯の暖簾のれんを潜ることができました。

     家に帰ると、母は自分のお店を今日はお休みにしたのでしょう。夕食を用意してくれていました。
     皆で卓袱台ちゃぶだいの前に座ると、私は「お兄ちゃん」の手に自分の手を添えて並んだ白いご飯とお豆腐の味噌汁、焼き魚と卵焼きの器の位置を伝えます。御飯には、母が漬けた梅干しを添えました。
    「頂きます!」と言って掌を合わせた「お兄ちゃん」は、手探りで器を手に取り食べ始めると何も言いませんでしたが、包帯を外して瞑つむったままの見えない目からは涙が零れていました。
     私達から目を背そむけて黙々と食べる少年に向かって尋ねたのは母です。
    「幾つなの?」
     少年は答えずに、箸と茶碗を置くと両手の指を広げました。
     十歳、なのですか……。
    「お名前は?」
     答えようとしない少年に代わって「お兄ちゃん」が言ったのです。
    「あそこではヨシオと呼ばれていました」
     終戦からずっと、もしかするとその前の空襲の時から、あの上野駅の地下道で暮らしていたのでしょうか。
     だとすると、たった四歳の子どもが一人で……。

     二度の空襲で焼け野原になってしまった麻布十番の復興は、都内でもかなり早かったのだと思います。
     終戦翌年の昭和21年3月にはバラックながらも十番マーケットが開きましたし、未だ焼け跡の空き地を使って盆踊り大会を始めたのもその9月のことでした。
     商店街の人達が練り上げた復興の青写真が東京都の「都市計画」に採用されて、「復興土地区画整理事業」が着工したのは昭和23年でした。
     今年に入ると映画館も二館が開業しましたし、来年の27年にはもう一館と演芸場も開業する予定です。
     母のお店があった三業地の営業再開が許可されたのも、「復興土地区画整理事業」に合わせてのことでした。
     次第に賑わいを取り戻す花街と共に、不自由な食糧事情ではありましたけれど、どうやって手に入れてくるのか母は何とか食糧を調達しながら小料理屋の再開に漕ぎつけて、食糧統制が無くなった今ではようやくとお店も軌道に乗っていたのです。

     母は自身のお店の仕込みも忙しかったと思いますが、仕事に出かける私よりも「お兄ちゃん」の世話を焼きながらヨシオのこともかなり気に掛けてくれました。
     ヨシオを連れて警察署に赴おもむくと警察官の聞き取りで作成された調書を区役所に届け出て、「矢岡義雄やおかよしお」と言う名前で戸籍と住民票も作ってもらったのです。
     住民票もできましたので小学校にも通えることになり、銭湯で知り合った源ちゃんが毎朝迎えに来てくれたのですが、義雄は学校に行きたがりませんでした。
     その気持ちも分かります。いきなり小学五年生になっても義雄は未だ文字の読み書きもできなかったのですから。

     義雄は学校には行かずに、按摩あんまの仕事を習い始めた「お兄ちゃん」が師匠の家を訪ねる時には手を引いて連れて行っていました。
    「お兄ちゃん」も目を瞑ったままで文字を書いて見せて教えようとしていましたが、義雄は乗り気でなかった様です。
     二人は上野でも助け合って暮らしてきたのでしょう。義雄は全盲の傷痍軍人の世話を焼きながら、僅かに得た施ほどこしを糧としてきたのだと思います。
     ですが、義雄もそれだけで生きてこられた訳ではなかったということも分かってきました。
     上野の「駅の子」は、終戦直後の悲惨な食糧事情の中で、毎日何人もが餓死や凍死する状況だったということでした。
     確かに日本中で誰もが飢えに苦しんでいた中で、両親も家も失くした子どもたちが生きていくことがいかに困難だったのかは想像を絶します。
     靴磨きや荷物の担ぎ屋などで僅かな糧を得ていた子どもたちを「狩り込み」と言って警察と役所が強制的に施設に送っても、逃げ出してまた上野に舞い戻って来るのは、施設の多くが食糧事情や待遇も相当に悪かったということらしいのです。
     その施設の状況も、昭和22年に児童福祉法ができてからは次第に改善されて逃げ戻る子も減ってきたようでした。
     闇市の手伝いも子どもたちの貴重な糧だったようですが、闇市が縮小していくと、その元締もとじめだったテキヤが衣替えしたヤクザ組織の使い走りとならざるを得ない子もいたのでしょう。

     上野から出てこの街に住み始めた義雄のもとにも、少し年嵩としかさのわざとでしょうけれど「不良」に見える出で立ちの少年たちが迎えに来ることがあったのです。
     全焼して区画整理された麻布十番から川を隔てたこの一角は、焼けずに戦前の姿のままでしたので狭い路地は子どもたちの格好の遊び場でした。
     でも義雄は、チャンバラで鞍馬天狗くらまてんぐと近藤勇こんどういさみになりきっている子どもたちの遊びには目もくれずに、年嵩の少年たちとつるんで紙芝居に集まる子どもたちを冷やかしで驚かせたり、路幅一杯に張ったゴム飛びに興じる女子に文句を言って脅かしたりして、次第に周りの子どもたちから怖がられていったのです。
     川に架かる橋に続く商店街には路の両側に小さなお店が立ち並んでいます。
     戦災には遭いませんでしたが、疎開したまま戻らなかった人もいますし、戦後の統制下で商品が揃わず廃業したお店もありました。
     それでも多くの統制が廃止された今では、私たちの暮らしはこの商店街で成り立っています。
     お米屋さんは未だ配給でしたが、八百屋も魚屋も二軒ずつ、豆腐屋に乾物屋もありますし、酒屋さんでは味噌や醤油も置いていました。煮豆屋さんではいつも窯でうずら豆や佃煮を作っているところへ、丼ぶりを持って買いに行くと盛りを良くしてくれます。
     もちろん食料品だけではなく、床屋と下駄屋、洗い張り屋(着物の直し)に仕立屋(洋服屋)、建具屋などの生活に必要なお店は揃っていました。
     そんな商店街を、路地裏では飽き足らなくなった義雄と仲間たちは練り歩くようになりました。たばこを吸う姿も見かけたと、商店街の人達から母の耳には入ってきたようです。
     とりわけ駄菓子屋さんのお祖母ちゃんにはご迷惑を掛けていました。
     義雄たちがお店に入って来ると集まっていた子どもたちが雲の子を散らす様に帰っていくので、その騒ぎに乗じて万引きを繰り返していたらしいのです。
     お祖母ちゃんは何回か我慢をしていたのですが、さすがに酷くなると家に来て母に伝えたのでした。
     母は驚いて平謝りすると、もちろん代金も払ったそうです。
     この頃は杖をついて一人で出かけるようになった「お兄ちゃん」が按摩の師匠の家から戻って話を聞くと、畳に額を押し当てながら「義雄が済みません!」と母に謝りました。
     母は、もちろん「お兄ちゃん」のせいではないと言いましたが、「お兄ちゃん」も義雄のことでは辛かったでしょう。
     この日、家に戻った義雄に母も厳しく叱りましたし、その時は義雄も泣いて「もうしません!」と謝ったということでした。
    「お兄ちゃん」も義雄とは随分と話し込んだそうでしたが……。

     翌日は私のお仕事がお休みの日でしたので、早めにお店の仕込みに出かけた母に代わって夕食の準備をしようと台所に立った時のことです。
     台所の勝手口を力一杯に開けると怒鳴り込んできたのは胸まで覆う前掛けを着けたままの魚屋さんでした。
    「お前の家のガキはどこだ! ガキどもはどこへ隠れている!」
    「ええっ! うちの子って、義雄ですか。義雄が何か……」
    「どうしたも何も! 店の一日の売り上げだぞ! 子どもだからって容赦できねぇ!」
     お魚屋さんでは、アンコウが入った日には店先でつるし切りを見せるのが名物なのですが、どうやらその最中に店頭に下げられた売り上げやお釣りが入った籠からお金を取って逃げたというのです。
     大変なことになりました。お金となると……、これは。
     私は台所の床板に額を擦り着けて平謝りし、お金は必ず弁償しますからと約束するしかありませんでした。
     暫くは怒りが治まらない様子の魚屋さんでしたが、夕方の掻かき入れ時、つるし切りの最中に飛び出してきたからでしょう。肩を怒らせながらも引き上げていきました。
     その夜、「お兄ちゃん」と二人で囲んだ卓袱台には三人分の夕食を並べましたが、義雄が帰って来ることは無かったのです。
     瞑ったままの「お兄ちゃん」の目からは涙が零れて頬を伝っていました。

     上野に義雄のことを探しに行こうかと私が言うと、「お兄ちゃん」は首を横に振って「行かなくていい」と言いました。確かに、もう私たちにはどうすることもできないのかも知れません。
     私自身も、定期観光コースの御案内以外では上野から足が遠のいていました。7月に入ると上野駅前の「地下鉄ビル」に入居していた私たちの新日本観光株式会社が東京駅丸の内北口に移転したのです。
     もちろん変わったのはそれだけではありません。私たちの仕事も日に日に忙しくなっていったのです。お客様も26年に入ってから前年の倍に増える勢いでした。
     新設された「夜の定期観光コース」も大人気でしたが、新たなコースとして外国人に向けたコースも検討が始まりました。
     これまで、占領軍の兵士とその家族には貸し切りバスで対応してきたのですが、外国人観光客の急増を受けて来年から「昼の外人Sコース」という東京駅、皇居、外苑絵画館、浅草観音、上野公園を三時間半で御案内するお一人様700円というコースを新設しようというのです。
     このコースができれば、英語の上手な薫にはピッタリですし、彼女の得意げな貌が目に浮かんだのですが。

    「真琴さん、お話があるの」
     私達の仕事は、乗務はいつも一人ですし、コースによって終了時間が違いますから、仕事終わりが一緒になることは中々無いのですが、珍しく車庫で鉢合わせすると薫から誘ってきたのです。
     二人で車庫を出ると、品川駅の反対側、西口前の「京品ホテル」一階の喫茶店に向かいました。
     薫が女給さんに珈琲を注文したので私も好きでは無いのですが仕方なく珈琲を注文しました。
     驚いたのは、薫がバックから煙草を出した時です。いつから煙草を吸うようになったのでしょうか。
     彼女がテーブルに置いた箱に描かれていたのはラクダの絵。煙草を吸わない私でも知っています。
     これは「洋モク」と呼ばれるアメリカ製で、煙草屋さんでは売られていません。PX(進駐軍の売店)経由でしか手に入らないはずですが。

     珈琲がテーブルに置かれると、薫は一口だけ啜すすって煙草に火を点けました。
     私は珈琲に添えられたミルクを入れてかき混ぜてから一口飲んだのですが、それでも苦みは残っています。どうしてこれが好きな人がいるのか分かりません。
     薫は話を始めずに私から目を逸らしたまま咥えた煙草を吹かしているだけでした。何ですか、自分から誘っておいて。
    「薫さん、お話っていうのは何なの」
     私から促すと、薫はこちらに向き直り微笑みながらじっと見詰めました。尋ねられるのを待っていました、という感じです。
    「実はね、未だ誰にも言ってないの。真琴さんだけに話すのだけど」
    「私だけに?」
     勿体もったいぶっていますが、一体何でしょう。
    「それがねぇ……、どうしてもって言われて」
     ああ、なるほど。そういうことですか。
    「もしかして、結婚とか」
    「そうなのよ! さすが、真琴さん。親友だけのことあるわ」
     親友だったのでしょうか……。どちらかと言うとライバルだと思われていたかと。
    「それで、お相手は?」
     それを聞いて欲しかったのですよね。
    「それがね! お父様の会社の人なのだけど、将来有望なのですって。いずれは会社を任せたいって、お父様が。それでそのかたお家が」
     薫は延々とお相手の御立派さや家柄の良さを話したのですが、私には関係ないでしょう。それよりも肝心なことを聞かなければなりません。
    「それで、薫さん。はとバスガイドのお仕事はどうするの」
    「それはもちろん辞やめるわよ」
     薫は、私が何を尋ねているのか分からない様子で怪訝けげんそうです。
    「このお仕事、はとバスガイドは大好きよ。みんなに注目されて、みんなの憧れですものね。でも当然でしょ。ずっと続けられるわけ無いのだから」
     彼女の話はそれからも延々と続きました。
     どんな家に住みたいか、どの様に夫に尽くし励ます妻になりたいか、子どもは三人以上欲しい、等々と。
     結婚式は来年に開く予定だけれども、結婚の準備と花嫁修業のため年内で退社する。結婚式には私にも是非出席して欲しいとも。
    「喜んで出席させて頂くわ。おめでとう!」
     口角を上げて笑顔で応えましたが、私は自分自身のことを考えていたのです。

     今日薫が私を誘って話したかったのは、私だけに秘密を打ち明けたかったわけではなく、まず私に自慢をしたかったのだということは分かりました。彼女にとってそれは誇らしいこと、目指す理想だったのでしょう。
     でも私は考えたのです。薫の話を聞きながら。
     薫の生まれ育った人生とこれからの生き方の理想は、最初から私とは違うのだと思います。
     では、私はどの様な理想を目指しているのだろう。どのような女性として生きていきたいのか、私の人生の意味は何なのかと。

     薫からのお話の際には彼女に言いませんでしたが、実は私も「お兄ちゃん」と話し合っていたのです。
     それから暫くして、「お兄ちゃん」と私は一緒に区役所に届け出て籍を入れました。
     もちろん私は「はとバス」ガイドの仕事は続けるつもりでした。私は職業婦人になりたくてこのお仕事に就いたのですから。
     母の様に男の人に頼る生き方はしたくなかったのです。それに、薫とも違うのです。私の生き方、人生の意味は。
     入籍したことを会社には届け出ましたけれども、戸籍の名字も安澄のままでしたので、殆ほとんどの社員は気付かなかったでしょう。当時は妻が夫の姓に変わることが当たり前でしたので、かなり珍しいことだったと思います。
     戦争で家族を亡くした「お兄ちゃん」は、もう俺には継ぐ家は無いよと笑って安澄の姓で良いと言いました。
     もしかすると、その時「お兄ちゃん」は分かっていたのかも知れません。自分の身体のことを……。
     結婚式は挙げませんでした。「お兄ちゃん」には家族がいませんでしたし、私にも母以外はもう家族と呼べる人はおりませんでしたので。
     それでも狭い町の中ではすぐに知れわたりましたから、源ちゃんが「真琴お姉ちゃん、おめでとう!」と言ってくれましたし、商店街のお店で量(はか)り売りを買うとご祝儀と言って盛りを多くしてくれました。
     ほっと安心した人も多かったのだと思います。
     この街に戦争前から住んでいた人々は、全盲になって復員してきた「お兄ちゃん」を見た時には、出征を祝う際に皆で「万歳」と叫んだことの意味を考えたでしょうから。
     その「お兄ちゃん」が所帯を持ったことは、きっと良いことだったのでしょう。

     私は、「お兄ちゃん」が按摩の師匠の家に通って仕事を覚えながら、今にこの家の玄関に続く八畳の客間にお客さんを呼んでお仕事を始める姿を思い描いていました。
     私自身もお仕事を続けながらの忙しい日々でしたが幸せだったのです。
     私が仕事に出ている時には、母も「お兄ちゃん」の世話を焼いてくれましたし、私もできるだけ「夜の定期観光コース」の乗務を外してもらっていたのですが、それが叶かなわぬ時には母が夕食まで用意してから自分のお店に出ていました。
     私の仕事がお休みの日には、「お兄ちゃん」の手を引いて商店街に出かけて買い物もしましたし、午後3時に銭湯が開くと早めのお風呂に入りました。
    「お兄ちゃん」よりも早くお風呂を上がって、どこからか流れる三味線しゃみせんの音色を聞きながら暖簾の前で待っていると、女湯からは芸者さんたちが浴衣の襟から白く塗ったうなじを覗かせながらお隣の三業地に向かっていきます。
     慎つつましい所帯での暮らしは、幼い頃のおままごとの様に嬉しかったのです。
    「妾の子」と苛められた独りぼっちの幼い頃の寂しさも、あの頃から大好きだった「お兄ちゃん」と戦争で引き裂かれて出征を見送ったことも、その復員を7年間も待ち続けた日々のことも、その全ての辛い思い出が今の幸せと釣り合って帳消しになったのだと思っていました。
     次第に咳き込むことが増えていた「お兄ちゃん」の口元に、思わず私が当てた手拭いが赤い印で染まった時までは……。

    「岸壁の母」


    「お兄ちゃん」が結核で入院した東村山のサナトリウムで逝ったのは享年28歳、最初に血を吐いてからは4カ月ほど経った頃のことでした。
     シベリアでの抑留から復員して戻ることができた「お兄ちゃん」も、恐らく帰還する前の過酷な状態が最後まで響いたのでしょう。
     私と籍を入れた時には、もう自分の身体のことは分かっていたのかも知れません。
     葬儀は家ですることができませんでしたので、サナトリウムから近くの火葬場で私と母の二人だけが立ち会って本当にひっそりと執とり行いました。
     棺に眠る「お兄ちゃん」の端正な貌は、少年の頃に戻った様に穏やかでした。
     幼い頃、よく苛められていた私のことを庇かばってくれた優しい「お兄ちゃん」のことを思い出すと涙が溢れてきます。
     大好きだった「お兄ちゃん」と所帯を持てた時には、それまでの私の境遇や寂しさも辛さも、この時を待っていたのだと思えば、通らなければならなかった道なのだと考えることができました。
     それほどに幸せだったのです。
     ですが、「お兄ちゃん」はそうでは無かったのでしょう。
    「お兄ちゃん」は昔から優しくて正義感が強い立派な人でした。戦争と抑留から全盲となって帰還するまでは、もちろん凄く苦労をしてきたはずですが、それを取り戻す様に自分自身が幸せになってはいけないのだと今も考えていたのだと思います。
    「お兄ちゃん」は戦争中のことも戦後の抑留のことも殆ど話しませんでした。
     それでも私には分かりました。
     きっと、いつでも思っていたのです。戦争で犠牲となった人たち、シベリアで亡くなった人たち、それに今も未だ帰還を待ちわびながら還れずにいる人々のことを。
    「お兄ちゃん」にとって戦争は未だ終わっていなかったのです。
     今は、やっと安心することができたのでしょうか。
     静かに眠るその貌を見詰めながら、私は目に一杯の涙を湛えたままで言いました。
    「お兄ちゃん! 待っていてね。また一緒になろうね!」

     昭和27年に入ると4月28日には「対日講和条約」「日米安全保障条約」が発効して進駐軍が撤収することになりました。占領が終わったのです。
     薫の結婚式は4月に進駐軍の接収から返還された帝国ホテルで盛大に開かれました。
     列席者はいかにも景気の良さそうな男女が競う様に着飾っていましたが、招待された私たち同期のはとバスガイド四人はもちろん敢えてですが制服姿で参加したのです。
     披露宴の余興では、私が観光案内に見立てて薫とその夫婦の幸福な「旅路」を「御案内」して見せると大変な喝采でした。
     我が社の社長も主賓席から駆け寄って来ると嬉しそうに私の手を取りました。これは良い宣伝になったと思ったのでしょう。
     ですが私は、大喜びしている列席者たちや媒酌人、嬉しそうな新郎を横目に薫の強い視線を感じていたのです。あの時、都内定期観光の第一号車「富士号」に私が乗る時と同じ目線でした。

     その年には石油類統制も撤廃となり自由化されましたので、新日本観光株式会社は「はとバス」の新たなコースを次々に開拓していきました。
     秋からは吉原の料亭「松葉屋」の「花魁おいらんショー」を観劇する「夜のお江戸コース」を新設して連日満席という人気を博していきました。
     車両も、それまでのエンジンを鼻の様に突き出したボンネットバスから、四角い車体のリアエンジンバスに置き換わり、その数も34台にまで増えていました。

     何よりも私にとって大きな影響があったのは、開業時には50人程だった社員の数も270人と五倍以上に増えたことです。
     春秋と年に二回行われた「はとバス」ガイドの募集にも毎回募集が殺到する人気ぶりでしたが、それに対応する教官のお仕事も自ずと膨らんでいきました。
     新規採用の面接から研修までの過程もそうですが、コースが増える毎に新しい教本を作成して現役も含めたガイドたちに研修する必要があったのです。
     この頃になると、薫の結婚を皮切りに同期のバスガイドは全員が結婚により退職して、第一期生で残るのは私のみになっていました。
     自ずと私の仕事はバスガイドを続けながらも、狩野教官を手伝う仕事も多くなっていったのです。
     それは私にとって仕事が増えて困るということでは無く、やるべき仕事であり、私にとっても必要なことだったと思うのです。
     私は、薫の結婚話を打ち明けられた際に、彼女の幸せ、人生の目標が分かった時から、それとは違う自分の人生の目標とその意味に気がつきました。
     私は何を為すべきなのか。私たちは毎日お客様に観光名所を御案内しています。でもそれだけではありません。
     私は、新しい女性の生き方を案内しているのです。
     それを、新しいバスガイドになった女性達だけにではなく、お客様にも、大袈裟おおげさに聞こえるかもしれませんが世の中にも伝えたかったのです。

     この年、昭和28年2月には人々の暮らしが変わるでき事もありました。   NHK東京テレビの放送が開始されて、都内7か所の駅前広場や公園にテレビジョンが設置されたのです。
     四角い箱型をしたテレビジョンの画面は大きくはありませんでしたので、はとバスが「夜の定期観光コース」で発着する新橋の駅前広場には、人の背丈よりも高い大きな白い箱の上に十台以上もが輪を描く様に配置されていました。
     その周りを取り囲む大勢の人々が折り重なるように見入っていたのです。
     忘れられないのは、昭和29年2月のことでしたが、新橋駅前広場には一万人もの人々が詰め掛けて、力道山りきどうざん・木村組と、対するシャープ兄弟のプロレス中継に熱中していました。
     画面に見入る人々が、力道山が責められる度に同じ様に仰け反り、彼が空手チョップを繰り出すと一斉に同じ方向に身を乗り出していたのです。
     戦争で敗れた米国に対する鬱憤うっぷんを力道山が晴らしているのだと感じていたのかもしれません。

    「はとバス」ガイドのお仕事で一番重要なのは観光名所の御案内ですが、実はもう一つの人気が歌でした。
     開業当初の昭和24年から人気があったのは並木路子なみきみちこさん『リンゴの唄』、岡晴夫おかはるおさん『青い山脈』等でしたが、開業前年に流行した笠置かさぎシズ子さんの『東京ブギウギ』は意外でした。 
     未だ東京が焼け野原だった終戦から三年後にアメリカ音楽の様なリズムのこの曲が流行ったのは、人々が何か明るいものを求めていたのかも知れません。
     けれども人々が求めたのは明るい歌ばかりではありませんでした。昭和29年になって歌われたのが『岸壁の母』です。
     私が御案内中に、高齢のご婦人からのリクエストでこの曲を歌った時のことです。
    『母は来ました 今日も来た
     この岸壁に 今日も来た』
     歌いながら涙が滲んできました。この歌詞の気持ちは私にも分かりましたから。
    「お兄ちゃん」を待ちながら探していた時の記憶が私を捕えたのです。
    『届かぬ願いと 知りながら
     もしやもしやに もしやもしやに
     ひかされて』
     歌い終わって深く最敬礼した私の目からは涙が零れました。
     御案内が終わってお客様たちが降車される際に、曲をリクエストしたお客様から言われたのです。
    「さっきの歌で分かりましたよ。貴女も待っている人がいるのね」
    「はい……。私も、待っていました。待っている人がいましたけれど……、もう亡くなりました」
     そう答えた私にお客様は急に抱き着かれて泣き出したのです。私たちは抱き合ったままで共に号泣しました。
     未だ戦争が終わっていない人もいたのです。
     それから二年後に「もはや戦後ではない」と政府が宣言したのは昭和31年7月です。
     でも、シベリアに抑留されていた兵隊さん達が最後の帰還船で日本に帰国したのは、その年の暮れ昭和31年12月のことでした。
     戦争が終わってから実に11年以上の時が経っていたのです。

    東京のバスガール


    「もはや戦後ではない」と宣言されてから明けて昭和32年、東京の人々の暮らしも街も益々その姿を変えていきました。
     それを支えていたのは、地方から上京して工場や商店で働く「金の卵」と呼ばれた中学や高校を卒業したばかりの男女だったのです。
     上野駅は東北地方からの「集団就職列車」が到着する度に、続々と降り立つ若いというよりもまだ幼い男女と、それを迎える工場の社長や商店主でごった返していました。
     上京した少年少女たちの夢は、働いてお金を貯め、田舎の両親を呼んで「はとバス」で東京案内することだと言われていました。
     その若者とその両親が「はとバス」に殺到したのでお客様は増えましたし、私たちも大忙しになっていったのです。

     御案内する観光名所も増えていきました。とりわけ、どのコースでも絶対に外せない観光名所となったのが東京タワーです。
     昭和32年に芝の紅葉山もみじやまで着工されたタワーの土台から、次第に四本の足が組み上がり、それらがアーチの様に繋がると、更に上へ上へと日々伸びていく様は、私の住む麻布十番の商店街からも見て取ることができました。
     今日はどこまで高くなったと、誰もが商店街の先に見える空を眺めたのです。
     昭和33年12月に完成した東京タワーは高さ333メートル、真っ赤に聳え立つその姿は周囲のどこからでも見ることができました。
     私たちには、バスが今どこを走っているのかすぐに分かる目印にもなったのです。
     東京タワーの凄さは、その外観だけではありませんでした。新たな定期観光コースに組み込むために、先ずは私たちガイドが研修で展望台に上った時です。
     誰もが見渡す景色に広がる東京の姿に感嘆しながら、皇居や東京駅、浅草などを指して歓声を上げていました。
     私たちが日々御案内している東京を空から一望した姿は本当に驚きでした。それだけではありません。私は展望台から足元に広がる街の息吹を見ていたのだと思います。
     空から眺めた私の街は、マッチ箱を並べたような商店街も家々もすぐに分かりました。
     人の姿はここからは見えませんが、普段何気なく目にする街の姿を鳥になって眺めると、却ってそこで生きる人々の営みを感じることができたのです。
     この展望台から見える東京の姿は、観光名所だけではない。この空の下で生きている人々の暮らしと人生に思いを馳せることができる。
     そんな御案内をできる場所だと思ったのです。

     定期観光では、もちろん観光名所の御案内が一番大切ですが、それと共に人気があったのは歌でした。
     歌い継がれる名曲もあれば、その年の流行歌もあるのですが、昭和32年にコロムビア・ローズさんが歌って流行した『東京のバスガール』は正に私たちの歌でした。
    『若い希望も 恋もある
     ビルの街から 山の手へ
     紺の制服 身に着けて
     私は東京の バスガール
     「発車 オーライ」
     明るく明るく 走るのよ』
     この一番の歌詞だけでも十分にこの曲は私たちのことを歌っていると思ったのです。以来、この曲はどの「定期観光コース」でも最後にガイドが歌う定番となりました。
     でも本当は、二番と三番の歌詞のほうが若いガイドの胸には響いたのでしょう。
    『昨日心に とめた方
     今日はきれいな 人つれて
     夢ははかなく 破れても
     「発車 オーライ」
     明るく明るく 走るのよ』
    『酔ったお客の 意地悪さ
     いやな言葉で どなられて
     ほろり落した ひとしずく
     それでも東京の バスガール
     「発車 オーライ」
     明るく明るく 走るのよ』
     そうなのです。どんなことがあっても「発車オーライ」、笑顔で走るのが私たち「はとバス」ガイドの仕事だったのですから。

     数々の曲が定期観光の御案内と共に歌われてきましたが、とりわけ忘れられないのは昭和36年に大ヒットした坂本九さんの『上を向いて歩こう』でしょう。
     この曲は『スキヤキ』の名前でアメリカでもオリコンチャート第一位になるという快挙を成し遂げたのです。
     日本での駐留経験があるという元兵士のアメリカ人が、御家族連れで乗車された時のことです。
    「スキヤキ・ソング!」
     彼が叫んだリクエストに応えて私が歌うと、体を揺らしてリズムを取りながら瞑った目からは涙が零れていました。
     その様子を見ていた男の子の不思議そうな表情を覚えています。

     この間に車両の数も増え続け、昭和33年の時点では84台にも達していましたが、それに伴って私たち「はとバス」ガイドの人数も増えていったのです。
     その頃には、「はとバス」ガイドは誰もが知る憧れの職業になっていました。『東京のバスガール』の曲がヒットしたことも後押ししていたでしょう。
     修学旅行の最後には、バスで駅まで送った何人もの女子学生から、卒業したら「はとバス」ガイドになりたいと言われて、それから文通をした子もいました。
     年二回の「はとバス」ガイド採用には大勢の女性が詰めかける人気ぶりだったのです。
     でも、それが実は弱点でもあったのかも知れません。
     誰からも人気の職業であった故に結婚も早く、退職も相次ぎました。若い女性の親たちも「はとバス」ガイドならば良いと、花嫁修行や、嫁入り道具の目録の様に勧めることもあるそうです。
     ですから、常に入れ替わっていく「はとバス」ガイドの採用に伴う新人研修、新設されるコースの研修や実習は多忙を極め、狩野教官と共に私もバスガイドとしての乗務から、次第に教官の仕事に重点が移っていきました。

     もう薫が結婚してから6年が過ぎていました。その後間も無く同期のガイドも次々に結婚退職していきましたし、私は現役では最年長のベテランです。
     今でも薫が私に結婚すると話した時のことを思い出します。あの時、結婚で退職する、ずっとできる訳が無い、という彼女の言葉で私は自分の生き方、人生の意味を確信したのです。
     きっと、私にしかできない仕事があるのだと。
     私が生まれた場所や運命は変えられない。でも、その意味は変えられる。誰でもない、私にしかない人生を、その意味を生きるのだと。
     私は新しい職業婦人になりたくて、バスガイドを目指しました。母の様な男の人に頼る人生を送りたくなかったのです。
     短い間でしたが「お兄ちゃん」と所帯を持った時もそうでした。もちろんあの時の状況では私が働き続けるしかなかったのですが、例え「お兄ちゃん」が働けたとしても私もこの仕事を続けたでしょう。
     確かに一生バスに乗務するのは難しいかも知れません。でも、私は可能な限り働いて示したかった。
     私は観光名所を御案内しているだけではない。後輩のガイドにも、お客様にも、新しい女性の生き方を御案内したかったのです。
     忘れることはありません。定期観光バス一号車「富士号」に乗車する前に言われた「色々なお客様の人生を運びながら、これから作っていくのよ、バスガイドという仕事を。貴女にしかできない御案内をしていくのよ」という狩野教官の言葉は。
     私は考えたのです。あの時の狩野教官の様に、今は私が、後輩のガイドやお客様にも「はとバス」の仕事をどう伝えるのかという合言葉を。
    「安心と感動を笑顔にのせて」私たちは御案内をしていくのだと。

     昭和34年、東京と日本を更に大きく変えることになったのは、第18回オリンピック大会東京開催の決定でした。
     大会が開かれる昭和39年に向けて、東京の街の姿を一変させたのは首都高速道路の建設でした。
     今から区画整理をするのでは間に合わなかったのでしょう。河川や既存の道路の上に急ピッチで建設されていきましたが、それでも無理があったのだと思います。
     東海道の起点、あの日本橋までが高速道路の下に隠れてしまったのですから。
     昭和38年には我が社の社名も「株式会社はとバス」となりました。
     既に最年長のベテランになっていた私の仕事は狩野教官を助けながら、私自身も教官を務めることが多くなっていたのですが、開催決定からは次々に新設するコースへの対応など再び乗務で手一杯になっていきました。

     そんな中、東京駅丸の内北口の発着所で「東京定期観光一日コース」のお客様を受付していた時のことでした。思わぬ人を見つけたのです。
     終戦の年に疎開して以来ですから、もう18年ぶりでしょうか。金沢に嫁いだ下の姉の夫でした。
     私にはすぐに分かりましたが、彼は暫く気が付きませんでした。
     乗車待ちの列に並びながら隣に立つ連れの若い女性とイチャイチャとしていましたから。バスガイドの私には目がいかなかったのでしょう。
     でも、バスが発車すると最初に自己紹介した私に気付いた時の驚き様は可笑しかったのです。
     私が「はとバスガイド」になったことは姉から聞いていたかと思いますが、未だ現役で続けているとは思わなかったのかも知れません。
     浅草で下車観光の為に降車した際には、もちろん私に挨拶はしてきました。
    「真琴ちゃん! 驚いたよ、本当に久しぶり。しかし、変わらないね。相変わらず別嬪べっぴんさんでびっくりしたよ!」
     私から目を逸らした連れの女性のことは、一緒に出張してきた銀行の部下だと紹介していましたが、ただの部下では無いことは分かりました。
     やはり、良い家のボンボンならではの脇の甘さが滲み出ているのです。この女性の方がよほどシッカリしていて上手でしょう。
     それなりにお金も立場もあるのでしょうに、馬鹿な男の考えることはどうしてこうも単純なのかと思います。
     きっとこういうことは初めてではありません。何回も繰り返しているのでしょう。
     おそらく姉も分かってはいます。
     いつもおっとりしている様に見えて本当は何を考えているのか分かりづらい姉でしたが、女子二人に男子一人、三人の子どもを育てた専業主婦として、あるいは地方銀行幹部の妻として、気がつかない振りをしているのでしょうか。
     それとも、そういうことは、もうどうでも良いのかもしれません。
     でも私はそんなことはいやですし、そうはなりません。私は自分で生きる職業婦人なのですから。

     昭和39年10月10日、東京の秋空は真っ青に晴れ渡っていました。
     前日の天気予報では「晴れときどき曇り」と言われていたのですが、曇りどころか雲一つありません。
     青空に白い五輪の航跡を自衛隊の飛行機が描きまました。
     開会式が行われている国立競技場の駐車場に待機する40台の「はとバス」が居並ぶ前で、私たちガイドと運転士は集まってNHKラジオ放送に耳を傾けました。
    「世界中の青空を全部東京に持ってきたような、すばらしい秋日和びよりでございます!」
     アナウンサーが興奮を隠さずに伝える実況に聞き入ると、ギリシャを先頭に各国選手団が入場する様子が目に浮かびます。
     最後に日本の選手団が入場して、主将が選手宣誓を終えた時でした。
     突然会場から、空の色が変わるほどの鳩の群れが飛び立ったのです。
    「全国から集められた八千羽の伝書鳩が今、青空に向かって飛び立ちました!」
     アナウンサーの実況を聴きながら、駐車場から会場の空を舞う巨大な鳩の群れを眺めました。その時私は気付いたのです。
     群れから離れて飛び去る白い鳩がいることに。
     私には分かりました。あの時のことを思い出したのです。上野公園で「お兄ちゃん」を見つけた時のことを。
     あの白い鳩はきっと「お兄ちゃん」の所へ飛んで行くのだろうと。
     私は白い鳩に託して心の中で言ったのです。
    「お兄ちゃん! 待っていてね!」

     私達は既に開会前の9月から大会の選手と役員を、羽田空港からホテル、競技場の間を循環バスの様に輸送していました。
     大会開催中の15日間も全力で駆け抜けましたが、大会が終了しても国立競技場と馬事公苑、駒沢公園から神宮外苑を七時間で御案内する「オリンピック記念コース」は爆発的な人気でお客様が絶えることがなかったのです。
     11月に入ってから、季節外れの雨が強く降る夜でした。
     母は未だ自分のお店から戻っていませんでしたが、翌日の仕事に向けて私はもう休もうかと布団を敷いていた時のことです。
     ドン! ドン! ドンっ!
     母が戻った時の為、門には鍵を掛けていませんでしたが、玄関の引き戸を激しく叩く音が響きました。
     何事かと思いながら急いで玄関に向かい灯りを点けると、引き戸のガラスの外で激しく戸を叩く人の姿が浮かび上がっています。
    「真琴さん! 開けてくれ!」
     えっ! 何故、私の名を?
    「あの、どなたですか?」
    「俺だよ! 義雄だ!」
     息が詰まりました!
     義雄? 義雄が……!
     訳も分からないままに鍵を開けて戸を引くと、傘もささず濡れた姿でそこに立っていた男は、すっかり精悍な顔立ちの大人になってはいましたが切れ長の目は変わらない。
     義雄だとはすぐに分かりました。
     この家を飛び出して戻らなかったあの時からは、もう13年は経っていましたが。
     自分は濡れながらも、雨から守るように体を被せて庇っていたタオルで巻いた塊を私に差し出します。
     思わず受け取った瞬間……、そのずっしりとした重さですぐに分かりました。
     タオルに包まれていたのは赤ん坊だったのです。
     それだけではありません。私は見たのです。義雄が差し出した腕の手首には赤と紺色の紋様、入れ墨が彫られていたことを。
    「真琴さん! この子だけは助けてくれ! 頼む!」
    「この子は……?」
    「名前は、祐希ゆうきだ!」
     それだけを言うと、義雄は玄関先で踵を返して、門から飛び出しながら雨の中に駆けていきました。
     激しい雨の中を追いかけることもできず、赤ちゃんを抱いたまま呆然と立ちすくんだ私に、雨音の中から別の怒鳴り声が聞こえてきたのです。
    「あっちだ!」
    「野郎! 待てぇー!」
     義雄は誰かに追われているのでしょうか……、この子は一体……。

    私の生き方


     私は、「お兄ちゃん」との間に子どもはいませんでしたが、義雄が私に託した祐希のことを自分の子どもとして育てようと決めました。
     きっと「お兄ちゃん」もそれを望んでいると思ったのです。
    「お兄ちゃん」は口にはしませんでしたが、いつも気に掛けていることは分かっていましたから。私と上野で再会してから、一緒に連れ帰った義雄があのように飛び出してしまったことを。

     祐希は生後10カ月から1歳の間位に見えました。
     義雄の時と同じように、警察署で聞き取りの調書を作って頂いて、出生届の代わりに区役所に届け出ましたが、もちろん生年月日は推測です。
     ですが、あの時とは違って区役所から言われたのは、先ず児童相談所に届けて、暫くは里親として育てながら家庭裁判所で養子縁組を認めてもらう必要があるということでした。
     いきなり私の戸籍に入れることはできずに、実際に養子縁組で親子になるまでは半年程かかるということです。
     終戦後のあの頃は戸籍も無い子どもも多かったので、それどころでは無くて簡単だったのでしょうか。
     それでも、私はバスガイドの仕事を続けていましたので、昼間の祐希の面倒を見ていたのは母でした。それに母も嬉しそうに見えたのです。
     義雄が祐希を預けて雨の中へ飛び出していったあの晩、お店から帰ってきた母が驚いたことはもちろんでしたが、瞬時で心を決めていたと思います。何としてもこの子を育てようと。
     母も義雄のことは気に掛けていましたから、それを自分ができること、するべきことだと思ったのでしょう。
     そのせいでは無いでしょうが、祐希は血が繋がっていないのに何故だか不思議と母に似ていたのです。
     孫だと言われれば誰もがそう思ったことでしょう。幼いながらも、美形に育つ片鱗が見えていました。
     母もそう思ったのでしょうか、本当の自分の孫として可愛がっていました。
     むしろ、飛び出してしまった義雄や、諸々手を煩わずらわせたうえで出奔した長女を失った心の穴を埋めていたのかも知れません。
     養子縁組が家庭裁判所から認められて、祐希が私の戸籍に入ったのは1歳半近くになった頃でした。

     オリンピックが終了してからも「オリンピック記念コース」は大変な人気を博して、実に一年半もの間続きました。
    「はとバス」の会社もどんどん大きくなり、若い新人ガイドも大勢入って来る中で、次第に私はガイドとしての乗務をしながらも後進を指導する教官の仕事にシフトしていきました。
     この年度末には狩野教官が引退するのに合わせて、教官の仕事に専念することが決まっていましたので、現役ガイドとしての乗務も残り僅かという昭和40年の冬でした。
     品川の車庫からバスに乗車して東京駅丸の内北口の「はとバス」発着所に着いた時のことです。
    「安澄さん、さっき貴女を訪ねてきた女の人がいるよ」
     東京営業所に顔を見せると、すぐに男性職員から言われたのです。
     この場所で私に会いに来る女性って……、一体誰でしょう。思い当たる人はいませんでした。
     でもお礼を言ってから営業所を後にして発着所に向かおうとすると、すぐに分かりました。
     乗り場に向かおうと行き交うお客様たちの手前に一人こちらをじっと見る女性、すっかり変わった一番上の姉を見つけたのです。
     前に一度だけ私のコースに乗車したのは、もう15年程も前のことでした。
     あの時は、いかにも羽振りの良さそうな御老人と一緒で、派手な洋装に真っ赤なルージュを引いて年齢も実際よりずっと若々しく見えていましたが、今日は地味な着物に化粧っ気もありません。
     私よりも8歳上ですから今は45歳でしょうか。もっと年上に見えるほど、すっかりやつれた様子です。
    「真琴、御無沙汰ごぶさた。変わらないわね」
    「お姉ちゃん、元気だった?」
     前に会った時には私に気付かない振りをしていましたが、今は目を逸らさずに私をじっと見詰めています。
    「お姉ちゃん、どうしたの?」
    「真琴、お金を貸して。こんないい仕事をまだ続けているのだから、稼いでいるんでしょ」
    「お姉ちゃん。私はね、女手一人で子どもを育てているの。お姉ちゃんに渡せるお金なんて無い」
    「くれと言っているんじゃないよ! 貸してと言っているんだ!」
     それが嘘であることは私にでも分かります。私はバッグから自分の財布を出すと、お札だけ取り出して姉の手に押しつけました。
    「お姉ちゃん、もう来ないで! 私の仕事場には」
     姉は私を睨にらみつけながら叫びました。
    「お前は! 一人だけいい仕事を貰って、いい思いをしてズルいんだよ!」
    「違うの! いいお仕事を頂いている訳じゃない。この仕事はね、私たちが、自分たちで創ってきた仕事なの! お仕事なだけじゃない! 私の生き方なのよ!」
     そうなのです。たとえ生まれた場所はお姉ちゃんと同じでも、これは私の、私が切り拓いてきた、私の人生の意味なのですから!
     もう一度私を睨むと踵を返して歩き去る姉の後姿を見詰めながら思ったのです。
     今度こそ、もう二度と会うことは無いのだろうと。そう思うと急に涙が溢れてきました。
     その日、家に帰ってからも姉と会ったことを母には言いませんでした。

    新たな不安


     東京オリンピックの開催は人々を沸かせて大観光ブームを巻き起こし、「はとバス」の利用者も123万人に上り絶頂期を迎えました。
     でも、人間も会社などの組織でもそうだと思うのですが、きっと苦しい状況の時に新しい機会が生まれ、それが軌道に乗ったと思うと、それによりまた新しい危機が生まれるのでしょう。
    「はとバス」にとって大きな機会であったはずのオリンピックがもたらした新たな危機は、大会に向けた高速道路や道路網の整備がマイカーの普及と相まって、急速に定期観光バスの利用者が減ってしまったことだったのです。
     観光業界への新規参入も相次いで過当競争も激化していました。
     更に追い打ちを掛けたのが、昭和48年のオイルショックでした。この影響は景気の減速だけでは無く、バスの燃料不足による運行の自粛など直接的な打撃を「はとバス」に与えたのです。
     もちろん、会社も手をこまねいてはいませんでした。その間にも、昭和44年には本社を車庫と統合する為に大田区平和島に移転し、昭和47年には「銀座キャピタルホテル」を開業して収益の多角化を図るなどの経営努力をしていたのです。

     現場のガイドを離れてから教官として勤めていた私も、開発担当者と共に新たなコースができる度に、バスガイドへの研修や実習に取り組みました。 
     その私の仕事にも大きな危機が訪れたのは、昭和50年代に入ると東京では若い労働者が不足していたのです。
     私が改善に取り組んだのは、新人に対する研修を暗記中心ではなく理解することを柱に据えることでした。
     もちろん、「はとバス」ガイドという仕事のモットーとその喜びを伝えることは忘れません。
    「安心と感動を笑顔にのせて」私たちは御案内をしているのだと。

     次第に新規採用者も増えた二年後には、何とか危機を脱することができました。
     私も一生懸命に取り組んできたのですが、でもそれが祐希にとっては寂しかったのかも知れません。
     終戦直後には、父親が戦死した家庭も、未だ復員していない家庭も多かったのですが、この頃には母子家庭は少なくなっていました。
     祐希には、父親は若いうちに結核で亡くなったと言ってあったのです。
     昼間は母が家にいましたが、夕方から自分のお店の仕込みに出掛けると、祐希は一人でおやつを食べて私の帰りを待っていました。
     本を読むのが好きな子で、私にねだるのは本ばかりだったのです。
     小学校も高学年になると新聞も読めるようになりましたが、私が開いた紙面に義雄の記事が載っていた時には、思わず祐希の目に触れないうちにさっと閉じていました。
     祐希は義雄のことを知らないでしょうが、記事はヤクザの抗争事件のあらましだったからです。
     あれからずっと義雄はその世界で生き続け、恐らくは次第に伸し上がっているのでしょう。
     興行や芸能の世界にも影響力があるらしく、その支援を受けた大物歌手がテレビ局の歌番組から出演を取り消されたことも報道されていましたが、それが後に祐希の進路に影響するとはその時は想像できませんでした。

     祐希は小学校を卒業すると私の母校、中高一貫の女子校に入学しました。
     そこは今でも「お嬢様校」の雰囲気は残り、母子家庭は殆どいなかったのでしょう。
     どうやら友達もあまりいないのだと思います。家では友達の話はしませんでしたから。
     でも、中学の頃から近所の男子達や、大人たちが祐希を見る目が変わっていったのです。
     高校に進むころには「スカウト」と称する男たちが家まで押しかけてくることもありましたが、祐希はそういう華やかそうに見える世界を頑なに拒んでいました。
     そんな祐希の様子を見ていると、私にも次第に疑念が湧いていたのです。  もしかすると、何らかの理由で祐希は知っているのではないでしょうか。義雄のことを。
     私もいつかは話をしなければならないとは思っていました。
     祐希は一歳半で家庭裁判所に養子縁組を認められて私の戸籍に入りましたが、その経緯は戸籍に記載されているのです。そこには実の父親の名前も。
     就職や結婚に際して知ることになるその前には、私から話そうとは思っていたのです。でも、一抹の不安もありました。
     もしかすると、もう祐希は知っているのではないか。本当の父親がどうしているのかを。
     だから、芸能やそういう世界を拒んでいるのかも知れないと……。

    狩野教官の退職


     娯楽や観光の多様化、旅行業界の過当競争、人手不足などの危機を何とか乗り越えてきた「はとバス」でしたが、大きく変わったのは既に一部の車両で採用していたレモンイエローを全ての車両のカラーに統一したことでした。
     レモンイエローに輝く「はとバス」が東京を駆け巡る姿は、誰しも分かる企業イメージとして定着していったのです。
     この時期に再び「はとバス」の勢いを盛り返した大きなでき事は、昭和58年の「東京ディズニーランド」開業でしょう。
    「はとバス」も二階建てバスや、座席が高く見晴らしの良いダブルデッカー、スーパーハイデッカーの車両を次々に導入していきました。
     昭和61年になると、株価や土地価格が高騰し始めて世の中が空前の景気に沸きました。高級レストランで食事する「マキシム・ナイト」など、新たな夜の観光コースが次々に打ち出されていったのです。
     経済が膨れ上がる中で「はとバス」社の収益も伸びていきましたが、私はいつでも思うのです。
     人間も会社などの組織も、上り調子に見える時にこそ新たな危機が忍び寄っているのだと。

     狩野教官が退職されるのを機に、本当に久しぶりに初代はとバスガイドの五人が昼食会で集まった時のことです。
     私のお仕事がお休みの日に、私たちが最初に出会った上野を選び、レストランで狩野教官を囲むと昔話に花を咲かせました。
    「栄えあるはとバスガイド第一期生の皆さん」
     言って狩野教官は微笑みました。
    「たった四日間の研修でバスガイドになったのは貴女たちだけ。よく頑張ったわよね」
    「本当ですよね。大変でしたけれどまだ昨日のことのよう」
    「もう三十年前、あっと言う間よね」
     誰もが忘れることはできないでしょう。口々に思い出を語ります。
    「でもあれから今も現役は真琴一人か。それはちょっと意外よね」
    「えっ、そうかしら」
     意外と言われた意味が私は分からなかったのです。最初からそのつもりでしたから。
    「真琴が最初に結婚すると思ったの。だって貴女凄く綺麗だったし」
    「そうそう、いつも一番に名前を呼ばれていたしね」
     その言葉に反応したのは薫でした。
    「あれはね、アイウエオ順よ。そうですよね、教官」
     狩野教官は微笑むと薫の言葉には直接答えずに話を逸らしたのです。
    「でも、真琴さんがお仕事を続けてくれて、私も助けられたわ」
    「私だって本当は続けたかったですよ。バスガイドの仕事は好きでしたから。でも、ずっとはねぇ……」
     薫は話を逸らされたことも、狩野教官が私に助けられたと言ったことも不満そうです。
     他の三人も頷いていました。皆、結婚と共に退職したので薫の気持ちも分かるのでしょう。
     私は笑って本音を言おうと思ったのです。彼女たちの気持ちも、専業主婦故の苦労も想像できましたから。
    「実はね、私も短い間だけど結婚したことがあるのよ。それにね、この歳で今も子育て中なの。まあ、実際に子どもの面倒見てくれたのは母だけど」
    「ええっ! 結婚って! いつ?」
    「別れたってことなの?」
    「子育て中って……、一体幾つで産んだのよ」
    「色々とあったのよ、これでも私だってね」
     狩野教官以外は皆驚いています。
     今日会うのは本当に久しぶりでしたし、私も子育てしていると声を大にすることもありませんでした。祐希の面倒はすっかり母に頼っていたのですから。
     短い結婚のことも、今も子育て中だというのも何だか訳ありで、職業婦人として肩肘を張ってきたと言うよりは人生の帳尻があっているようにも思えたのです。

     祐希が高校を卒業して短大に進学すると、母の店を手伝ってカウンターに立つことがありました。
     丁度その頃からなのです。母のお店で客層に変化があったのは。
     六本木が繁華街として栄えると、その利権を争うヤクザの抗争事件も起きていました。
     この商店街にも柄の悪い客がチラホラしていたのですが、その目に留まってしまったのでしょう。祐希が。
     街を歩く祐希が目を惹いたので後を付けて店を見つけたのだろうと思います。
     次第に柄の悪い連中が母のお店に出入りするようになると、地元の常連客の足が遠のいていきました。
     毎日、カウンターに立っている訳ではない祐希がお店に居ないと、「祐希を出せ」と騒ぎ立てる客までいたのです。
     もう体も大分弱ってきた母が、これを機にお店を閉めようかと言い出した時でした。
     ある夜、何故だか突然にピタリと柄の悪い連中の足が止まったのです。
     不思議に思った母がお店の周りの様子を覗くと、リムジンと言うのでしょうか、黒い大きな車がお店の向かいに停まっているのが見えたということでした。
     母が店の外に出ると入れ違う様に車はすぐ走り去っていきましたが、振り向くとその肩越しに祐希がじっと車を見詰めていたということです。

    涼の誕生


     私が退職した翌年には時代も「平成」に変わりましたが、テレビからは「24時間戦えますか!」と連呼するコマーシャルが流れて、世の中全体が浮足立っているようにしか見えませんでした。
     私が退職した際に、狩野教官の退職以来久しぶりに同期の「はとバス」ガイドが集まってくれた時のことですが、あの薫がいなかったのです。
     どうしたのかと思うと、同期の彼女たちの話では暫く前から足腰が悪く出掛けられないということでした。
     その時には、あの勝気な薫が外に出られないというのは想像もできませんでしたが、最近ではどうやらもっと厳しくなっているということです。

     同期のバスガイド四人でお見舞いに訪れた東村山の老人介護施設は広い敷地に静かに佇たたずむ白い立派な建物でした。
     広いロビーで待つ私達に、職員が薫の乗った車椅子を押して来た時には想像していたよりも元気そうに見えたのです。
     私たちが手を振って迎えると薫も笑顔でした。その手に持った額入りの写真は、上野から定期観光バス第一号「富士号」が出発するあの時、その前に並んだ私たちのものでしょう。
    「私のお話しを聞きたいというのは貴女がたね」
     えっ……?
    「私がね、最初の『はとバス』ガイドなのよ」
     もしかすると、私たちのことを分かっていないのでしょうか……。
    「この写真を見てちょうだい。ほら、これが私。最初に乗ったバスがね『富士号』って言うのよ」
     薫が指差したバスガイド……、それは私でした。
     言葉が詰まる同期たちでしたが、私は薫に尋ねたのです。
    「その頃はどんな曲を歌っていましたか」
     そうねぇ、と少しだけ考えた薫は迷わず言いました。
    「それは、やっぱり『東京のバスガール』よ」
     その曲は薫が結婚退職した後に流行したのですが、きっとその歌を聞いた時には自分のことだと思ったのでしょう。
    「コロムビア・ローズさんの曲ですね。じゃあ、歌ってくれますか。ご一緒に」
     嬉しそうに頷く薫に、私も微笑む。
    『若い希望も 恋もある
     ビルの街から 山の手へ
     紺の制服 身に着けて
     私は東京の バスガール』
     薫は笑顔でしたが、他の三人は目に涙を湛えていました。
     私は泣きません。この歌は私のことですから。
    『「発車 オーライ」
     明るく明るく 走るのよ』

     私が定年退職してから七年近くが経った頃でした。
     世の中全体が浮足立って誰もが身の丈に合わない派手な暮らしを求めていたバブルの頃にでも、煌びやかな世界を自ら拒んできた祐希でしたが、それでも出会いは生まれたのです。
     お相手は背の高い美男子で、人も羨む美男美女カップルに見えたのですが問題がありました。
     彼は商店街の近くにある有名な作曲家が主催する音楽学校の生徒さん。つまりは歌手デビューを目指していたのです。
     そういう世界、芸能界などを頑なに拒んできた祐希とは、かなりのすったもんだがあったらしいのですが、結局は二人が一緒になるためには彼が歌手の道を諦あきらめて母のお店の調理場に入ることになったのです。
     喜んだのは母でした。すっかり気に入った彼に料理を仕込みながら次第にお店を任せていったのですが。それで安心したのでしょうか。
     ある朝目覚めずに母は逝ったのです。享年93歳でした。
     穏やかなその顔を見た時に、初めて私は思いを巡らせました。
     私は、母の生き方が好きではなかった。男の人に頼りたくなかったので職業婦人を目指してバスガイドになったのです。それが私の人生の意味だと思ってきました。
     でも、今思えば尋ねたことが無かったのです。母は何故、花街で生きることになったのか。母もそれは何も語りませんでした。
     もしかしたら母には、母の人生の意味があったのかも知れません。
     それを私が知らなかった。知ろうとはしなかっただけなのでしょうか……。

     それから暫くしてからのことでした。二人の間に涼が生まれたのは。
     お店を切り盛りする祐希たち二人に代わって涼の子育ては私が担っていました。
     巡り合わせとは不思議なものです。私の娘として育てた祐希のことは、仕事を続けた私よりも母が面倒を見ていました。
     今はその祐希の娘、涼の面倒を私が見ているのですから。
     でも、涼のことは生まれた時から、私は思っていたのです。両親の全てを受け継いでいると。
     三歳になった頃に保育園の行事で初めて一人で歌った時には周りの父母が驚いたのです。
     子どもだから可愛いらしいというのではない。本当に歌が上手いと。
     一番驚いたのは実はあの父親だったのでしょう。忘れていた、いえ敢えて閉じ込めてきた心の叫びを呼び覚まされたのだと思います。
     あの人が家を出たのはそれから暫くしてからのことです。
     祐希とは話し合ったらしいのですが、祐希も詳しいことを私には言いませんでした。
     後から知ることになりましたが、あの人はどうしても歌うことを、歌手として人生を生きることを諦められなかったのでしょう。
     けれでも、それだけでは無かったのです。
     その頃には分かりませんでした。つい最近になってから私も知るところとなったのですが、まるでオシドリの様な夫婦に見えていたあの二人の結婚生活が続かなかった本当の理由は……。

    第二章 令和のバスガール


    新人バスガイド研修


    「駄目だ……」
     思わずスマホに手を伸ばしたくなる。
     こんなに沢山……、覚えられるはずがない。
     ガイド寮の部屋で机に投げだした安澄涼と氏名が記された「令和元年度新人研修教本」は、まるで辞書並みに分厚い。
     どの定期観光コースでも共通する出発時と最終到着前の御挨拶に始まって、皇居前、東京タワー、スカイツリー等々、定番の観光名所はもちろん、さらに隅田川に架かる橋の名前と順番に至るまで、東京中を御案内する何種類もの教本がバインダーに閉じられている。
    「ああ、こんなはずじゃなかった」
     人前に出さえすれば大丈夫だと思っていたのだ、私なら。ずっと歌もうまかったし、あの学園祭では大喝采だったのに。
     私が「はとバス」ガイドになると言った時の母の反対を思い出してしまう。
    「涼、貴女にできる仕事ではない。向いていないのよ」
    「何でよ! 何でいつも私のやることに反対するの!」
    「それは知っているからよ! 真琴お祖母ちゃんだってね、大変だったんだから」
    「それでも真琴お祖母ちゃんは、頑張ったんでしょ! 頑張って立派な『はとバス』ガイドになったんでしょ!」
    「そうだよ! 頑張った、だから大変だったの! 家族だって」
    「やってやるわよ! 私、やってやるから!」
     それだけじゃない。母の祐希は、高校二年の頃、私が歌手になりたいといった時にも猛反対した。
    「芸能界はね、そういう甘い処じゃないの! 歌が上手いとか、そういうことで、それだけで生きていける訳じゃないの! 自分の力だけじゃない、いくら歌が上手くても売れるとは限らない。結果はね、他人が決めるものなの」
    「何で、そんなこと知っているのよ!」
     結局、母は私の言うことには何でも反対する。
     確かに歌手とかは人気商売だから、歌が好きだとか上手いとかだけでなれないとは私にも分かる。
     でも私ならできると思っていた。私の歌なら人を惹きつけることができると。
     結局母の猛反対で、未成年ではデビューできないと思った時だった。
     そうだ!「はとバス」ガイドにならなれると考えたのだ。
     それなのに……、思わず呟いてしまう。
    「一人前の『はとバス』ガイドになれるのかな……」
     大好きな真琴お祖母ちゃんは「はとバス」ガイドだった。
     私は、真琴お祖母ちゃんが面白おかしく話してくれる「はとバス」ガイドの活躍の物語を聞くのが大好きで、話に聞き入りながら私も「はとバス」ガイドとして活躍する姿を想像していたのだから、私には向いていると自然に思い込んでいた。
     だから「はとバス」ガイドに就職が決まった時、大好きな真琴お祖母ちゃんに、私が御案内するコースに乗車してもらいたくて言ったのだ。
    「お祖母ちゃん。一年待って。一年で一人前の『はとバス』ガイドになったら迎えに来る!」
     でも、一年でなれるのだろうか。それに、一人前の「はとバス」ガイドってどういう……。
     ガイド寮で相部屋の杜映美もりえいみは、もう自分の勉強を終えて二段ベッドの下段で眠りについている。
     八畳ほどの部屋に二つ並んだ机の上も、映美のほうは綺麗に片付いてノートパソコンも閉じられている。
     それに比べて私の机は取っ散らかっている。まるで自分の頭の中のように。
     映美とは、あの女子校で中学高校を通じての親友だった。
     ベリーショートの髪に、仕事以外の日常では「俺はさあ」と男言葉で喋る映美は、実はすっきりとした美人なのだ。
     学園祭で一緒に男装バンド「花組」を組んで出演すると講堂は拍手と歓声で渦巻いていた。
     男装の映美には、下級生の女子から悲鳴のような叫び声で猛烈な声援が飛んでいた。
     あの時は本当に二人で歌手デビューを目指そうかと思ったのに。

     映美と出会う前、私には忘れられない経験がある。
     小学校六年生の時だった。好きな男子がいたけれど、それを言うことはできなかった。
     背の高い色白で切れ長の目をした男子だった。多分、結構大勢の女子はその子のことを好きだったと思う。
     それなのに何故あんなことになったのか。
     理由は分からない。でも今考えればきっと、結局は嫉妬しっとなのだろう。男子の間で苛めが始まったのは。
     確かに目立ち過ぎたのだと思う。見た目だけではなくて頭も良かったのだ、あの子は。
     学校の勉強ができるとか、そういうことでは無い。
     あのクラスでただ一人、御三家と言われる進学校を受験すると噂された頃からなのだろう。あの子に対する男子たちの苛めが陰湿な激しさを増していったのは。
     男子たちの苛めを扇動していたのは、それなりに勉強もできるしスポーツも得意な子だったのに、何故あんなことをしたのだろうか。
     最初は無視を決め込むとかで始まった苛めも、全く意に介さないあの子に腹を立てて、本や物を隠すなどの嫌がらせや机に大きな虫を入れるなどおぞましさを増していった。
     授業中にあの子の机から大きな虫が這い出してきた時には、さすがに先生も驚いて苛めに気付いたのだろう。放課後に、あの子と苛めを扇動している子を残して握手させたらしい。
     そんなことでは治まらなかった苛めも、あの子が動じることもなく御三家に入学が決まると空振りになっていった。
     結局、あの子の方が強かったのだろう。徒党を組んで嫌がらせをするような烏合の衆よりも。
     それでも私の心には影を落としたのだ。あんな子でも苛められるというのが信じられない。
     あの子は強かったけれど、私には無理。とても耐えられない。
     だから、あの時以来ずっと気をつけていたのに……。

     私が入学した地元の私立女子中学校は、明治時代から続く中学高校一貫のキリスト教系の学校で、真琴お祖母ちゃんも母も卒業生だった。
     石造りの校舎もクラシカルだが、紺地に槐えんじゅ色の筋が入ったクラシカルなセーラー服も今時では凄く珍しい。
     真琴お祖母ちゃんに聞くと、昔はもっとお嬢様学校だったそうだ。
     でも、いまでも結構お嬢様が多いと思う。私のような母子家庭は少なかったから。
     私が小さい頃に父を亡くした母が、自分のお店を切り盛りしながら一人手で私立女子中学校に私を入学させたのはきっと大変だったのだろう。そのことには感謝している。
     けれども、私がやろうとすることに何でも反対するのが嫌なのだ。
     女子校には、スクールカーストと呼ばれる階層が自然とできてくる。その中には幾つものグループがあるので、どのグループに属するのかが重要な選択なのだ。
     もちろん自然と纏わりついている雰囲気というのか、親の階層や家庭の環境による自分で選べないものとかもあるので私に一軍は無理だろう。
     どうしたものかと思っている時だった、声を掛けられたのは。
     意外にも私を誘ったのは既に一軍のトップと目されている子だった。
     特にあくせく目立とうとしている訳でもないのに自ずと滲み出るセレブ感がある。同じグループの二人もお嬢様だったのに、何故私が。
     理由はよく分からなかったが、もちろん悪気は無かったのだろう。でも、それがいけなかったのだ。クラスの中では。
     何故、私がそのグループなのか。一軍の他のグループの子達は気に喰わなかったらしい。
     次第に私を無視するようになったが、噂まで広まっていった。
     地元で小料理屋を営んでいる母のことを「水商売」と蔑さげすむように言っている子もいるらしい。どこで調べたのか分からないが、お店の辺りは「花街」だったとかも尾ひれがついている。
     小料理屋だろうが、昔は「花街」と言われようが、「本当のことだし別に何なの!」と言ってやりたいが、SNSで拡散されると質が悪い。
     私をグループに誘った子は全く悪気もなかったので、何だか私の方がその子に迷惑を掛けているような気がした。
     それに、小学校の男子たちの苛めを思い出していたのだ。これ以上酷くならないうちに抜けた方が良いと。
     グループを抜けることを伝えた時、私を誘った子は目に涙を浮かべて頷いた。ああ、悪気なんか無い。本当に素直な子なのだと思うと、私の目にも涙が滲んでしまう。
     でもしようが無い。もう懲り懲りだ。最初から一人で居た方が良いのかも知れない。
     小学生の時のあの男子の様に。私はあんなに強くはないし、苛められてもそれを無視して一人で闘うことはできないけれど、最初から一人で居るだけならできる。
     一人でカーストに属さずにいようと思った時だった。私の人生に映美が登場したのは。

    「おい、何か食べてから帰ろうぜ」
     映美が私を誘ったのは、校舎を出ると坂道を下り商店街に向かう途中だった。
     坂道を上った繁華街の地下鉄駅から帰る子の方が多いので、この坂を下る子はあまりいない。
     いつもと同じ様に一人で歩いていると、突然に後ろから違うクラスの映美に男のような口調で話し掛けられたので少し驚いた。
    「うん!」
     思わず肯いていた。ベリーショートの映美に男言葉で誘われたのは悪い気がしなかったし。
     商店街には居酒屋などの飲食店は多いが、中学生がセーラー服では入れる様なお店では無いので、浪花屋なにわやさんのたい焼きを買って頬張りながら石畳が敷かれた広場で階段に腰掛けた。
    「お前はさあ、女子とつるむのは向いていないんだよ」
    「えっ、それって自分は男子のつもりなの」
    「はははっ!」
     快活に笑う映美のスッキリとした顔立ちは確かに女子っぽくない。それが心地良いのかも知れないし楽だ。
    「ふふふっ」
     自然に、私も笑いが込み上げる。久しぶりに気分がいい。
     女子校のカーストに渦巻くドロドロした争いにウンザリしていた私には、さっぱりとした映美と話すのは新鮮だったのだ。
     それ以来、中学高校を通じて映美とはどんな場面でも助け合ってきた。
     よく遊びに行ったのがカラオケボックス。最近の曲だけではない。カバーしたい名曲を探すのが好きだった。
     特に気に入ったのが『ザ・ブルーハーツ』の曲で『リンダリンダ』や『情熱の薔薇ばら』

     あの頃は、歌手デビューできるかも知れないと本気で考えていたけれど。
     それが母に猛反対されて、確かにそんなに簡単ではないと分かった時に真琴お祖母ちゃんの話を思い出したのだ。そうだ、「はとバス」ガイドになろうと。
     映美を誘ったのは一緒に「はとバス」に入れば大丈夫だと思っていたから。
     でも、違った……。
     この教本は自分で覚えなければならない。こればかりは映美にも、誰にも助けてはもらえない。
     そうなのだ。肝心なことに気付いていなかった。バスガイドは、いつも一人で乗務する仕事なのだから。

     四日前から「接遇」に始まった新人研修では、私たち20人の新人ガイドは二班に分かれ、私はA班、映美はB班に振り分けられた。
    「おはようございます!」
     ううっ! 立ち姿が美しい。
     研修初日、ホワイトボードの前に立った紫吹真代しぶきまよトレーナーは、すっきりとした姿勢に手の置きどころ、お辞儀の流れまで全てが完成されていた。
     研修初日のテーマ、「接遇者として」はかなり心に響いた。
    「言葉づかい」「表情」から「心づかい」まで多岐に亘るが、やはり若い女性相手だからなのだろう。とりわけ「身だしなみ」は「おしゃれ」とは違うことが強く言われた。
     それはあのお嬢様校にいたせいかも知れないが私にも分かる。お客様に不快感を与えないのが「身だしなみ」なのだろう。
    「壁に背を着けた姿勢から、そのまま一歩前に踏み出して」
     言われる通り一斉に立ち並んだ私たちに紫吹トレーナーが「立ち居振る舞い」を実演する。
    「そのまま力を抜いて、両手はスカートのラインに合わせて、少しつま先を開く。これが第一の基本姿勢です」
     確かに、無理して張っていた肩と胸が少し楽になった。
    「そこから、右手に左手を添えて親指を組み体の正面で自然に下ろす。右足を後ろに下げて左足で隠す。足が一本の線に見える様に。これが第二の基本姿勢です」
     これは見たことがある。モデル立ちというやつだろう。
    「そのままお辞儀をします。最初は会釈えしゃく。身体は15度前に、目線は3メートル先を見る」
     そんなにも細かく指示するのか。
    「次は敬礼。身体は30度前、目線は2メートル先に」
     私たちは更に深く、身を屈める。
    「最後に最敬礼。身体は45度前に、目線は1メートル先」
     ええっ、それほど深くお辞儀って。一体、誰に。

     今日からは、一昨日の「本読み」で練習した教本を各自が実演して見せる「机上」研修が始まった。
     アイウエオ順だといつも一番手は私なのが辛い。
    「左前方の御門ごもんは、江戸城の正門でした大手門でございます。二代将軍秀忠の時代に仙台藩主伊達政宗によって造られました。大手門を潜りますと東御苑ぎょえんは、江戸城の本丸と二の丸がありました場所で、天守閣の跡も一般公開されております。右手前方に見えますのが東京消防庁で、高さは……」
     高さ、ええっと……、高さは?
    「高さは、119メートル! 119番と覚えるのよ」
     紫吹トレーナーの声が飛ぶ。
    「東京タワーは、昭和33年にできたから333メートル。できるだけ語呂で覚えるの」
     そうか……、うう、それにしても、数字を覚えられない。年号や建物の高さに長さ、覚えることが多すぎる。

     新人研修も教本の暗記と実演に入ってからは失敗が連続している。こんなにも細かく正確に覚えることは本当に必要なのかと思ってしまうのだが。
    「この研修は厳しいのではないのよ。恵まれているの」
     紫吹トレーナーの言葉に思わず仰け反る。
    「こんなに研修の時間をかけるのは、教本は暗記してしゃべらないと、お客様の顔を見られないから。これを覚えて初めてお客様の顔を見ながら、お客様に合わせて御案内することができるの。笑顔でね」
     一拍置いて紫吹トレーナーは口角を上げる。
    「いい! 『安心と感動を笑顔にのせて』お伝えするの!」
     決め台詞を言った紫吹トレーナーの笑顔は確かに素敵だ。
     紫吹トレーナーは一体何歳なのだろう。現役のガイドを続けながら私達の指導をしている。
     私はとても聞けないが、不敵にも歳を聞いた新人に「妖精に年齢は無いの」と答えていた。妖精って……、一体。

     やっとの思いで「机上」研修の一日が終わると、疲れ切って「ふうっ」と息を吐きながら椅子に背をもたれ掛けた私に、後ろから掛けてきたのは男の声だった。
     男性ガイドは一人しかいない。アイツ、夏樹航なつきわたるだろう。
    「安澄さん。ホント、お疲れ!」
     くっ……、これは私を労ねぎらったのでは絶対にない。明らかに馬鹿にしている。
    「いつも安澄さんが最初に実演してくれるから助かるよ」
    「好きで最初にやっている訳じゃないの! 小学校の時から名前を呼ばれるのが最初なのはいつもことだけどね」
     振り向きながら怖い目線を送ったのに、アイツは悪びれない。
    「そうかなあ。いい名前じゃない。安澄涼って」
    「余計なお世話だよ。気安く呼ばないで、人の名前を」
    「はははっ、また明日も頑張って!」
    「なんで、アンタに言われるの!」
     にこやかに手を振りながら立ち去って行くアイツ。航の奴ったら!

     昨日までのバス誘導や安全確認の研修を経て、いよいよ今日からは実際に乗車しての「車上」研修が始まる。
     これから約一ヶ月間、色々な観光名所を巡りながら、ご案内を実習するのだ。
     私たちÅ班の10人が順に御案内を実演するのだが、発車早々に私が最初だった。
     運転席の横から可動式の背もたれを拡げ、それに軽くもたれながら第二の基本姿勢を取る。
     この姿勢は何度も練習してきたが、走るバスの中でバランスを取るのは、「机上」とは違う。
     右手にマイクを持って、御案内をしながら左手で指し示す。その途端だった。
    「左手に見えますのが」
    「違う! 左右が逆、左を差すときは右に!」
     そうだった! お客様に向かって後ろ向きに立つバスガイドは、常に左右が反対なのだ。「机上」ではできていたのに……。
     何とか今日のコースの教本は暗記したつもりだったけれど、乗車しながら御案内するのはやっぱり勝手が違う。
     でも卒なくこなしたのはアイツ、男性ガイドの航だ。
    「はとバス」社では三人目となる男性ガイドで、既に広報室からマスコミには紹介されている。
     SNSでは、もう「はとバス王子」と言う名で呼ばれていて、「指名できるの?」等と騒がれているらしい。
     確かにマイルドなルックスに加えて背も高い。それに御案内も他の新人より上手いのには驚く。
     でも自分でそれを意識しているアイツは私のことを何かとすぐ馬鹿にするのだ。もう、本当に気に喰わない!
     平和島の車庫にバスが戻る頃には、もう既に疲れ切っていた。それでも最後に紫吹トレーナーの言葉が追い打ちをかける。
    「いい! 教本を覚えるのは大前提よ。それ無しには御案内はできない。でもね、実際の乗務ではもっと大切なことがある。それは、お客様への心遣いよ」
     ああ、心遣いか。
     それが一番難しい。スタンプで伝えられたら楽なのに。

     疲れ切って辿り着いたガイド寮だったが、B班の研修を終えた映美とは思いっきり喋りたい。それしか無かったから、心を癒すのは。
     食堂に並ぶ四人掛けテーブルの一つに広げたのは、近くのコンビニで買って帰った私の「焼き肉弁当」、映美は鮭の載った「のり弁」だ。
     私はもう一品。母が漬けた家の庭で取れた梅干しの瓶から、一粒ずつを箸で取り二人の弁当に添える。
     塩味が強過ぎず酸味が効いたこの一粒で体が蘇よみがえる。何とも言えない力になるのだ。
     五階建てのガイド寮には、二人部屋の個室の他には、自由に使えるこの食堂とクッキングルーム、共同の浴室もあるので不自由は無い。自炊もできるが、もうその元気が残っていなかった。
     お互いに今日の「車上」研修の話をしたが、どうやら映美は相変わらずマイペースで淡々とこなしているらしい。
    「ああ、駄目だ……。『はとバス』ガイドになるのを反対した母を見返してやりたいのに。それどころでないわ」
    「そんなこと、祐希さんは関係ないだろ。お前は、お前だ」
    「私は、私……か。私って何なのだろう」
    「そうだよな。お前は何なのか。俺はさあ、てっきりお前は歌手になるかと思っていたよ」
    「そりゃあ、なりたかったよ! でも、知っているでしょ! あのお母さんが猛反対したこと。未成年は親の同意無しでは無理だもの」
    「……何で、反対したのだろう」
    「そんなこと分からない。分かる訳ない。私のやりたいことには何でも全部反対なの」
    「……本当に、それだけなのかなあ」
    「そうだよ、そうに決まっている。それに、バスガイドになることにも反対した。きっと真琴お祖母ちゃんのことが嫌いだから。バスガイドだった真琴お祖母ちゃんは仕事が忙しくて、お母さんは真琴お祖母ちゃんよりも、いつもその母親に面倒を見てもらったと言っていたし。だからきっと……」
    「それでも、お前はバスガイドになった」
    「それはそうだけどさぁ、このままじゃあ。結局私って、何にもなれないのかな」
     確かに歌手を諦めたのは反対されたからだけでは無い。それが難しいことは私にだって分かる。
     もしも母に反対されなかったら、やれたのだろうか……。
     でも、「はとバス」ガイドならできると思っていた。私なら簡単だと。真琴お祖母ちゃんが務めた「はとバス」ガイドの仕事を、私がやり遂げて母を見返してやりたかったのだ。
     それに、真琴お祖母ちゃんに一人前の「はとバス」ガイドになった私の姿を見せたい!
     でもこのままでは、なれるのだろうか。一人前の「はとバス」ガイドに……。

    初めての乗務


     風が吹いている。雲は遠くに重なっているが、東京駅丸の内南口「はとバス」発着所から見上げた空は青く、ビルの谷間から日が射し込んでいた。
     私の初仕事だ。3月から続いた一月半の研修がようやく終了したのは嬉しかったが、もちろん不安もある。今日から独り立ちするのだから。

     今朝、私は平和島の本社事務所一階にある点呼室に出勤してから、二階の女性更衣室で制服に着替えると、鏡を見ながら念入りにチェックした。
     纏めた髪型や服装に乱れが無いように。「おしゃれ」ではない、「身だしなみ」なのだと。
     でもスカーフの結び方は自由なので各自が工夫できる。誰もがスカーフには力を入れているが、私は紫吹トレーナーの結び方を盗もうと研修中から目で追っていたのだ。全く同じとはいかないが、正面ではなく肩になびくスカーフは結構いけているだろう。
     完璧なのを確認してから乗務するバスに向かった。
     バスは『いすゞ』のスーパーハイデッカー車。車体番号は831号。ナンバープレートも同じ番号で「品川230う・831」だ。
     この三桁の車体番号は、一桁目は納入年の末尾、二桁目は車種、三桁目は納車の順で決まる。だから、この831号車は、2018年に納入された同型車両の第一号車。きっとドライバーもそれなりの人なのだろう。
    「おはようございます!」
     開いた前扉、スイングドアの外から思い切り最敬礼しながら声を掛ける。
    「おはよう」
     運転席からこちらに目を向けたドライバーは既に白髪だが、顔の色艶は五十歳くらいだろうか。
    「安澄涼です! よろしくお願い致します! 本日、初乗務になります!」
     私がステップに乗車して名乗ると、ドライバーは私の貌をじっと見据えた。
    「一路大輔いちろだいすけだ。うん。よろしく頼みます」
     頷いた運転士は確かにベテランに間違いない落ち着きを纏っている。それに、優し気な人に見えたので、少し安心したのだが。
     すぐにエプロンを身に着けると、全ての座席の肘掛けやテーブルを拭き取り、背もたれにはパンフレットにエチケット袋も綺麗に補充していく。
     車内清掃が終わると、事務所に戻り本日のコース「東京名所散歩」の指示書を受け取り、再び点呼室でバスの出庫を報告する。
     コースの指示書には、運行の予定時間の他にも食事会場など立ち寄り先の電話番号も記載されているので乗務中は必携なのだ。
     バスが本社から出庫してからも、東京駅の「はとバス」発着所に向かう間に、一路ドライバーとコースの日程や移動ルートを確認する。
     それから急いでお客様に渡す連絡カードに私の業務用スマホの電話番号を記入していく。
     今日はやはり定番の人気コースなのでお客様は定員一杯、満席の44名。
     観光バスには同じ大きさで前後に12列の座席の車両もあるが、「はとバス」は11列で、ゆったりとお客さまにお座りいただけるようになっている。
     仕込みをしているうちに、バスは東京駅丸の内南口「はとバス」発着所に到着してしまった。ああ、時間が足りない。

     発着所の前には、東京駅から続く線路の高架下に「はとバス」東京営業所、待合室やお手洗い、売店などが並ぶ。
    「はとカフェ」という直営飲食店は、ガイドやドライバーも昼食に利用することもある。
     どの施設もアーチ形の天井なのは、元々が線路を支える構造物だからということらしい。
     急いで東京営業所に到着を報告すると、これから先のコース運行中の指示は全てここから受ける。
     例えばコースの途中でお客様が集合時間に戻らなかった場合など、この東京営業所がお客様の携帯に連絡を取るのだ。私たちガイドにはお客様がコースを申し込まれた際に登録した携帯番号は知らされていない。
     1番から9番まで並んだ発着所に到着したバスは、順に前へと移動して発車時刻の10分前には1番乗り場でお客様の受付を開始する。
    「お客様にお知らせいたします。10時20分発『東京名所散歩』に御乗車のお客様は1番乗り場から御乗車お願い致します」
     アナウンスが流れると、待合室や周辺で待っていたお客様たちが集まって列を作り始めた。さあ、いよいよだ!

    「いらっしゃいませ!」
     お一人お一人に会釈しながらチケットやスマホを確認して、座席番号と私の携帯番号が記載された連絡カードをお渡しする。
     無言で受け取る人もいれば、会釈を返してくれるお客様もいる。
    「あらぁ、貴女、随分と可愛らしいガイドさんね。ほら、アレよ、『リカちゃん人形』みたい」
     そう言ったのは年配のご婦人だが、「リカちゃん人形」って。その名前は知っていたが一瞬戸惑ってしまった。
    「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
     我ながら意味不明の台詞で答えてしまったので、悔やみながら自分の頬が赤らむのが分かる。

     ゴールデンウイーク前の平日なので比較的年配のお客様が多い中で、一人セーラー服姿の中学生くらいの女子が並んでいることに気づいた。
     あの紺色のセーラー服は間違いない。そうか、確か今日は開校記念日だったから休校なのか。
    「いらっしゃいませ!」
    「あの、涼先輩ですよね?」
    「ええ。貴女も和欧学院ね」
     ネームプレートも見たのだろうが、突然に苗字ではなく名前を言われたので驚いてしまった。在学中の私を知っているということか。
    「はい! 涼先輩と映美先輩の『花組』、大ファンでした! お二人が『はとバス』ガイドになったって聞いていたので。実は、私もバスガイドってどうかなって思って」
    「そうなの! それは是非!」
     思わず言ってから困惑した。ガイドになりたいということは、もしかして今日は私が観察される?
     それはマズイ! 今日が初仕事だというのに。

     私がお客様を確認しながら車内に誘導を続けている間に、一路ドライバーは大きな荷物をお預かりする為に車体下の荷物積み込み口の横で待機していたが、腕時計を見ながら顔を顰しかめたのが分かった。
     私も腕時計を見ると、10時19分! あと1分で出発の時間なのに、もう一組お二人のお客様が見えていない。
    「お客様にお知らせいたします。10時20分発『東京名所散歩』に御乗車のお客様は一番乗り場にお急ぎください」
     アナウンスが流れる中で周囲を見渡しながら、時計を確認する。
     10時20分、もう時間だ。業務用スマホで東京営業所に連絡して、到着していないお客様の携帯に電話してもらおうと思った時だった。
    「済みませーん!」
     手を振りながら大きなスーツケスを曳いて来るご高齢の御夫婦の姿が見えた。
    「大丈夫ですよ! 慌てないで下さい!」
     お客様にそう声を掛けたが、実は私が焦っている。
     息を切らして到着したお客様から、一路ドライバーはスーツケスを受け取ると手早く荷物室に積み込んで扉を閉める。
     私はお客様のチケットを確認し、連絡カードを渡して座席番号を案内しながら車内に誘導する。
     最後のお客様が座席に掛けると、私は通路を一番奥まで歩いて人数を確認した。
     44人、よし! 予定通りだ。
     すぐに定位置に戻り、運転席の横から背もたれを引き出すと、お客様に向かって第二の基本姿勢を取る。
     遅れそうになったお客様への対応でいきなり慌てたが落ち着かなければ。マイクを持つ手が震える。
    「お待たせ致しました。間も無く出発致します。走行中は安全の為、シートベルトをお締め下さい。また、走行中は席をお立ちになりませんようにお願い致します」
     振り向いて一路運転士に声を掛ける。
    「お客様、お揃そろいです」
     バスが動き出す。発車したのだ。
     お客様を見渡すと、全ての視線が私一人に注いでいる。あのガイド志望の少女は目を輝かしているのが分かった。
     私は深くお辞儀をする。
    「皆様、おはようございます。お待たせいたしました。本日は『はとバス』に御乗車下さいまして、ありがとうございます。今日一日皆様の御案内をいたしますのは、運転は一路。私はガイドの安澄涼と申します。どうぞよろしくお願い致します」
     お客様たちから初めて拍手を頂いた。嬉しくて目頭が熱くなったが、再び深くお辞儀をして隠した。
     改めてシートベルトの着用や車内での注意事項を説明しているうちに、東京駅を出発したバスは皇居前広場に向かっていた。
    「只今向かっております皇居は、かつては江戸城でしたが、こちらがその御門の一つ。馬場先門ばばさきもんで」
     えっ、通り過ぎた?
    「今のが……、馬場先門でした」
     何故だ、車上研修の時はできたのに。そうか、今日は渋滞が全く無かったから……。バスの速度のペースが読めない。

     皇居前広場は降車しての御案内となるので、到着前にスケジュールと注意事項をお知らせする。
     バスが駐車場に着くと、私は最初に降車して駐車位置にバックするバスを誘導する。
     笛もあるが、普段はバス最後部のインターフォンで運転席に通話するのだ。
    「オーライ! オーライ! ライ! ライ! ストップです!」
     研修でも経験はしていたが、お客様が乗車しているので緊張が違う。
     再び乗車すると、お客様に出発時間を「タイムボード」で11:10と数字で示して確認する。
    「皇居前広場でのご見学の後、お手洗い休憩のお時間も取りまして、出発は11時10分。11時10分でお願いします」
     お客様が降車すると、私は黄色い「誘導旗」を高く掲げた。
     誘導旗には大きく831と車体番号が描かれている。観光名所では色々なコースの「はとバス」が何台も駐車していることがあるので、旗には車体番号が記されているのだ。

     最初に楠木正成像の前で立ち止まり、白手袋の左手で指し示す。翳かざした手先が緊張で固まっているのが自分でも分かった。
    「こちらは、南北朝時代の武将、楠木正成の銅像で高さは4メートル、台座も含めますと8メートルになります。正成は鎌倉幕府の打倒を目指す元弘の変で天皇方として戦い、沖ノ島に流されておりました後醍醐ごだいご天皇が京都に向かう際に、兵庫まで迎えに参りましたのが、この銅像の姿とされております。1333年、正成39歳の時でした」
     言えた! よし!
     次の二重橋前に向かおうと誘導旗を掲げながらお客様の先頭を歩き始めると、すぐにあのガイド志望少女が隣から話し掛けてきた。
    「涼先輩。私、広瀬玲奈ひろせれなです」
    「玲奈さん。バスガイドを考えていると言っていたけど、今は何年生?」
     一瞬だったが、彼女の視線が私から外れた。
    「中学三年生なのですけれど、……本当は今、バスガイドだけじゃなくて、他にも進路で悩んでいて」
     そうなのか。でも、その訳は尋ねない。敢えて少し微笑んだ。
    「進路を考える見本になれなくてごめんね。私、今日が初めての乗務なの」
    「大丈夫です! こんなイケてるガイドさん、憧れます!」
    「ええっ、そんな。こっちは必死だよ」
     二重橋前までお客様を御案内して、「富士見櫓」「伏見櫓」など見渡せる建物を紹介する。
     机上研修では失敗した東京消防庁の高さも今度は大丈夫、119メートル。そう119番と覚えている。
     最後に二重橋を背にしての記念写真の撮影は、このコースでは外せない定番だ。
     お客様のグループ毎に、私がスマホやカメラを預かって撮影するのだが、立ち位置を調整する時には左右に気をつける。
     私から見て右に寄って頂きたいときには「もう少し左にお願いします」と言うし、左の場合は「右に」と言うのだ。常にお客様に向かっている私からは左右が逆だと意識しなくてはいけない。
     ガイド志望少女の玲奈は一人で参加なので、私と一緒に撮りたいと、かわいいことを言ったのでもちろん喜んで二人で自撮りした。
     笑った玲奈も嬉しそうだったし、私の笑顔も弾けている。やっと独り立ちした記念なのだから。

     予定通りに皇居前を出発して向かったのは浅草だ。
     車中から昼食会場の『葵丸進あおいまるしん』に業務用スマホで最終の人数確認を連絡する。
     浅草では、雷門かみなりもん向かいの降車場所で私とお客様が降りて、バスは浅草寺せんそうじ裏の「はとバス」駐車場に向かう。
    「こちらの浅草寺雷門は、慶応元年1866年に焼失しましたが、昭和35年1960年、90年ぶりに再建されました。高さ4メートルの大きな赤提灯には正面に『雷門』、背面には『風雷神門ふうらいしんもん』と描かれています」
     ここからは歩いてすぐ、雷門通りに並ぶ天ぷらの名店『葵丸進』にお客様を御案内する。
     老舗の佇まいを見せるお店に着くと、後はお店のスタッフがお客様を二階の昼食会場に御案内してくれるので、私は降車前にお知らせした集合場所と出発時間を「タイムボード」を掲げながら繰り返した。
    「出発は1時30分。1時30分に浅草寺裏の駐車場に御集合お願いします」

     お客様が全員二階に向かうとホッとする。ドライバーとガイドの食事場所はお客様とは別に一階だ。
     スタッフに案内された二人掛けのテーブルには、御飯と汁椀、茶碗蒸しと香の物がセットされている。メインの天ぷらは、後から揚げたてが提供されるのだ。
     浅草寺裏の「はとバス」駐車場から一路ドライバーが到着するのを待って、一緒に食事を始めた。
    「いただきます」
     緊張の連続からやっと少し落ち着いたが、気になるのは一路ドライバーの評価だ。私の初乗務はどうなのか。
     でも、一路ドライバーは何も喋らない。
     茶碗蒸しに箸をつけていると、揚げたての天ぷらが運ばれて来た。胡麻油の香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
     ああ、この香りだけで御飯が食べられる。
     揚げたての天ぷらのサクサク感がたまらない。それに、海老天が二本も。
    「さすがに美味しいですね。これならお客様も喜んで頂けますよね」
    「ああ」
     何とも取り付く島が無いので、私から聞いてしまった。
    「初めての乗務で行き届きませんが、いかがでしたでしょうか? 私の御案内は」
     黙って食事していた一路ドライバーが顔を上げて私を見据える。
    「それは、最後にお客様の顔を見なければ分からない」
    「はい……」
     言われれば、それはそうだろう。
    「俺としてもコースが終了してからだ、言うのは。ただ……」
    「ただ?」
     一路さんの口元が少し緩んだ。
    「初めての乗務だとは、お客様達も皆分かっただろう」
    「えっ! やっぱり分かりますか?」
    「ふふ、あの誘導旗の持ち方を見れば分かる」
    「誘導旗って、何が……」
     一生懸命に高く掲げていたはずだが……。
    「誘導旗を持つ腕が耳に張り付いていたぞ。あれじゃあガチガチだと思われるだろう」
    「耳に、そ、そんなでしたか」
     一路さんはやっと顔を崩したが、私は……。ううっ、そんなに緊張していたか。恥ずかしくて貌が赤らむのが分かる。

     お客様の昼食には50分を想定しているが、その後も浅草の自由散策で50分の時間を取ってあるので、1時30分に浅草寺裏の「はとバス」駐車場から出発するまでの間は、基本的には私達も暫し休憩できる。
     そうは言ってもバスでお客様を待つことになるので、食事が終わった私と一路ドライバーは駐車場に向かって仲見世なかみせの一本裏道を通って歩いた。
     仲見世通りはもちろん混んでいるのだが、裏道を通るのは早いという以外にも目的がある。
     仲見世は古くからのお店が占めているが、少し裏道に入ると結構新しいお店も多いのだ。お客様からお勧めの店を尋ねられた時に備えてチェックしながら歩いて行く。

     浅草寺裏の駐車場に着くと今日は6台の「はとバス」が駐車していた。フロントガラスの内側にそれぞれの「コース名」を掲示して、出発時間を表示した「タイムボード」を外から見える様に置いてある。
     私も831号車の運転席隣に1:30と示された「タイムボード」を置く。
    「よう、どうだった? 初乗務は」
     声を掛けてきたのは先に到着していた映美だ。今日は「はとバス江戸味覚セレクション」に乗務している。
     私には普段通りに男言葉で話し掛けてきた。もちろん、御案内中のお客様には違うのだろうが。
    「もう、緊張爆発よ。でも、ドライバーの一路さんが言うには、私自身が思っているよりもっとガチガチに見えたって」
    「はははっ」
     笑った映美だったが、後ろから突然にアイツの声が聞こえたのだ。
    「大丈夫だったかい? お二人さん」
     来ていたのか夏樹航、いつの間に。
    「今日はさ、『東京ベストトリップ』に乗務しているんだ。もう、いきなり人気コース任されて大変だよ。安澄さんは『東京名所散歩』かい。ベーシックなコース、基本だよね」
     くっ……、確かに「東京ベストとリップ」はスカイツリーと東京タワー、それに浅草を廻る鉄板の人気コースだが、コイツが自慢げに言うのが気に喰わない。それに、また私を弄る。
     どう言い返そうと思った時だった。
    「あのぉ、写真いいですか?」
     三十代位の女性四人グループがアイツに声を掛けてくる。
     普通はお客様がガイドに「写真」を頼むのは自身を撮って欲しいということなのだが、どうやら違うらしい。
    「はとバス」王子と自撮りしてSNSに挙げるつもりなのか。アイツも一緒に写り込んでいる。
     それを機に次々と駐車場にたむろしていたお客様たちから頼まれている様だった。
    「ふっ、大変だな、『はとバス』王子も。じゃ、俺はもう行くよ」
     呆れ顔で乗務するバスに向かう映美を見送ったが、私の目にはその先から駐車場に向かって歩いて来る少女が写っていた。

    「どうしたの? 早いじゃない」
     私が尋ねると玲奈は薄く微笑む。
    「そんなに、見たいところとかある訳じゃなくて」
    「そうなんだ。玲奈さん、どうしてバスガイドって考えたの?」
    「……実は私、演劇部で本当は女優になりたいんです。けれど、両親にもそんなに甘くないって反対されているんです。確かに、それはやっぱり難しいだろうと思って。だけど……」
     玲奈は僅かに目線を落として一拍間をあけた。
    「なかなか諦められなくて……。でも、バスガイドさんも人前に立つ仕事だから、私向いているんじゃないかと思ったりもして。色々迷っているんです。それで今日『はとバス』に乗ってみようかなと。それから考えようと思ったんです」
     顔を上げた玲奈は私を見詰める。
    「でも、良かったです。やっぱりカッコいいガイドさんに、涼先輩に会えて」
    「ええっ、私で良かったのかなぁ」
    「はい、もう昼食の時も皆さん涼先輩の話題で持ちきりでしたよ。今日のガイドさん、初めてかしらとか、初々しさに感動って。随分と可愛いとかも」
     やっぱり、一路ドライバーの言う通りだ。初乗務だとはお客様たちにもお見通しなのか。
     よし! ならばもう格好つけずに全力でいこう。

    「皆様、御出発の時間となっておりますが、あとお二人お戻りになっていませんので、今暫くお待ち下さい」
     お客様たちが顔を見合わせるのが分かる。皆様、出発時刻の5分前にはお揃いになっているのに、二人だけの為に出発が遅れるのだから。
     遅れているのは、今朝の東京駅「はとバス」発着場でも遅れて駆け込んできた御夫婦だった。
     私は1時30分になるとすぐに東京営業所に連絡して、御夫婦の携帯に電話するよう頼んだのだが。
     返事が来ない……。困った!
    「おい! どうするんだ! 遅れて帰りの新幹線に間に合わなかったら!」
     怒鳴りながらバッグから取り出した新幹線の切符をかざしているのは、五十代位のビジネススーツ姿の男性だった。きっと出張帰りなどにギリギリのタイムスケジュールで観光しているのだろう。
    「はい! お待たせして大変申し訳ありません! 弊社の規定では10分までお待ちすることになっております」
    「それで来なかったら、どうする気だ!」
    「はい! その場合は出発させて頂きます」
     ふんっ! その男性が鼻を鳴らした時だった。私の業務用スマホが震えたのは。
    「はい! えっ! 浅草寺の前ですか」
     この駐車場は浅草寺本堂の裏にあるのだが、どうやら本堂の前にいるらしい。時計を見ると1時35分、あと5分しかない。
     私はお客様たちの顔を見渡した。
    「今、いらっしゃる所が分かりました。すぐに迎えに行ってまいります。申し訳ありませんが今暫くお待ち下さい!」
     猛烈な勢いでお客様に最敬礼すると、一路ドライバーも頷いた。
     バスを飛び出して駐車場を横切ると、本堂の横を駆け抜けて正面に向かう。
     あっ、あそこだ!
    「お客様!」
     叫んだ私に向かって悪びれずに手を振っている二人を見て思わず力が抜けてしまった。

    「お待たせいたしました!」
     お二人の手を引いてバスに駈け込むと、再び猛烈な勢いでお客様たちに最敬礼した。
     二人が着席すると、私は通路を一番奥まで歩いて人数確認する。
     よし! 44人!
    「お客様お揃いです」
     一路ドライバーに声を掛けるとすぐにバスが動き出す。
     時計を見ると1時42分。12分の遅れだ。私がガイド席に座りながら息を整えていると、一路ドライバーが頷いたのが見えた。

     浅草を出発すると、バスは最後の下車観光となる東京タワーに向かって走り、途中私は車窓から上野駅、歌舞伎座、銀座通り、国会議事堂などを御案内していく。
     先ほどの12分の遅れがあるので一路ドライバーが道中少し急ぐだろうことは想像できた。私も車上研修の時よりも少し急いで御案内する必要があるだろう。
     何となく、今朝出発した時よりはタイミングが分かる気がしてきた。
     国会議事堂を過ぎ、やがて虎ノ門辺りから赤く聳え立つ東京タワーが見えてくると懐かしさが込み上げてくる。
     今では背の高いビルやタワーマンションが近くに建っているが、私の住む街からも小さい頃にはいつでも見えていたのだから。
     真琴お祖母ちゃんもよく言っていた。東京タワーが土台から組み上がって伸びていく様は毎日見ていたと。
     芝公園から高台に建つ東京タワーまでは急勾配の坂道を上っていく。上りきると広い駐車場が開けて何台もの「はとバス」と他社の観光バスが並んでいる。
     私は最初に降車してバスを駐車位置に誘導してから、再び乗車してお客様に「タイムボード」で3:10と出発時間をお知らせする。
     ここまでの行程で、先程の12分の遅れは殆ど取り戻していたのでほぼ予定通りだ。
     私は誘導旗を高く掲げてお客様を一階エレベーターホールに御案内していく。
     誘導旗を翳す腕が耳についていようと構わない。もう、ガチガチと思われようといいのだ。私は初乗務なのだから。そう思うと急に強気に振舞えた。
     広い一階ホールに何機も並ぶ展望台行エレベーターの前には平日の昼間でも大勢の人達が並んでいたが、「はとバス」は待たずに展望台に昇れるのだ。
     私が、お客様を優先ラインに御案内して入場券を配ると、後は東京タワーのスタッフがエレベーターに誘導してくれるのですぐに展望台に到着できる。
     普段は私たちガイドの仕事はここまでで、お客様の帰りをバスで待つ。その間は休憩や他の「はとバス」ガイドとの情報交換、明日のコースの勉強や仕込みに時間を使う。
     でも今日は、初乗務の私にお客様の反応を見てこいと一路ドライバーが言うので展望台まで御一緒する。
    「おー!」
     一分ほどで到着した地上150メートルの展望台メインデッキ二階でエレベーターの扉が開くと、突然拡がった視界に誰もが感嘆している。
     今では超高層ビルが林立している東京都心だが、やはりこの東京タワー展望台から望む景色は特別だろう。
     窓の外に見入るお客様たちの様子を窺うかがいながら、私は降りたエレベーターの反対側、デッキの南に向かった。
     デッキ南側には東京23区で一番高い位置の神社「タワー大神宮」が鎮座していている。伊勢神宮と同じ天照大神あまてらすおおみかみを祀まつり「縁結び」に御利益があるという。
     そこに参拝してから振り向くと見えるのだ。私の育った街が。
     東京タワーの北側は丸の内に向かって超高層ビルが立ち並んでいるし、東の海側にも、西の虎の門から六本木にかけても超高層ビルが増えている。
     この南側の視界が一番開けていて、麻布十番の商店街から積み木を並べた様に小さな家が立ち並ぶ私の街までが見えるのだ。
     ここから鳥の様に見下ろすと、人々が暮らす息吹が伝わる気がする。
    「涼先輩。何を見ているのですか」
     街を見入る私に声を掛けたのは、また玲奈だった。
    「あの辺りにね、ここから見ると本当にごちゃごちゃしているんだけれど、私の家があるの」
    「へえー。東京タワーから近いですね。和欧学院からも」
    「うん、私のお祖母ちゃんが言っていた。東京タワーが土台から立ちあがって上に伸びていくのを、毎日見ていたって」
     私は窓の外に向けていた目を、隣に立った玲奈に向けた。
    「わたしのお祖母ちゃんはね。『はとバス』ガイドだったんだ」
    「えっ! お祖母ちゃんもそうなのですか」
    「昭和24年って、戦争が終わってから4年も経っていなかったって。当時は色々と大変だったらしいけれど。その頃の『はとバス』ガイドって、一体どういう仕事だったのかな。実はさぁ……」
     女優になりたいけど、バスガイドになろうか進路に悩んでいる、そう言った玲奈の台詞を考えていた。
    「私も、進路は悩んだんだよね。本当は、歌手になりたかったし」
    「えっ! やっぱり! 涼先輩なら必ずなると思っていました!」
     目を輝かして言う玲奈から視線を逸らして、窓の外を見る。
    「うん、だけど母親に反対された……。芸能界は甘くない、なれるかどうかは他人が決めることだって」
    「……、確かに。女優もそうですよね」
    「それは、そうなんだなとは思う。それでも、『はとバス』ガイドならなれると思っていた。お祖母ちゃんの話をいつも聞いていたから。でも、それも甘かった。今は、一人前の『はとバス』ガイドになれるのかなって思っている」
    「一人前の?」
    「うん、何が一人前なのかも未だ分かっていない。だけど、お祖母ちゃんには約束したんだ。私が一人前になったら、ご乗車して。迎えに行くからって」
     もう玲奈に言っているのではなかった。私は自分自身に言っている……。

     3時10分に出発したバスは東京駅丸の内南口「はとバス」発着場に向かう。
     何とか予定通りに出ることができたが、実は浅草でも遅れたお二人が3時に帰らなかったので私はお土産物店に探しに行ったのだ。
     案の定、色々と迷われていたのを急かしてバスに戻った。ここで出発が遅れると本当に新幹線に乗り遅れる方がいるだろうから。
    「皆様、本日はご乗車ありがとうございました。このコースの締めくくりに、私から一曲歌わせて頂きたいと思いますがよろしいでしょうか」
     お客様たちが少し騒めいた。
    「私たち「はとバス」ガイドが歌ってきたのは、昭和32年にコロムビア・ローズさんが歌って流行した『東京のバスガール』です。この歌は当時の「はとバス」ガイドがモデルとされています。
    『若い希望も 恋もある
     ビルの街から 山の手へ
     紺の制服 身に着けて
     私は東京の バスガール
     「発車 オーライ」
     明るく 明るく 走るのよ』」
    「いいね!」「上手い!」
     拍手と共に、口々に囃し立てられる。
    「ありがとうございました!」
     私は深く最敬礼した。
     もう一度顔を上げると、口角を上げて笑顔を完璧にする。そうなのだ。「安心と感動を笑顔にのせて」お伝えするのだから。
    「御案内してまいりました『東京名所散歩』も、まもなく東京駅で終了いたします。短い時間ではございましたが、日本の首都東京のご印象はおいかがでしたでしょうか。
     本日は東京都内の中でも中心部だけを御案内致しましたが、その中から大きく変わった街並み、江戸の昔から続く古いものなどを、多少なりともご記憶いただければ幸いと存じます」
     完璧な笑顔で挨拶を始めたつもりなのに、言いながら次第に目が涙で滲み始めている。
     思わず言わなくてもいい言葉が口を衝いてしまった
    「私、本日が初めての乗務でしたので、行き届かない御案内でしたが、最後までお聞きくださいまして、ありがとうございました。どなた様もお気をつけてお帰り下さいませ。
     本日は、『はとバス』にご乗車下さいまして、ありがとうございました!」
     私が再び深く最敬礼すると、お客様たちの拍手に包まれる。足元に涙が零れた。

    「はとバス」発着場に停車したバスから最初に降車すると、前扉の横に立って降りられるお一人お一人のお客様に御挨拶する。
    「貴女の初めてのコースに乗って良かったわ。また貴女のコースに乗りたい。きっと貴女、良いガイドさんになるわ」
     そう言って下さったのは、最初に私を「リカちゃん人形」と言ったご婦人だった。
    「ありがとうございました! またのご乗車をお待ちしております!」
     その他にも「初々しくて良かった」「初めてなのに頑張ったね」等と、概おおむね皆さん褒めて下さったのだが。
    「もっとまともにできるようになってから出せ」
     私にではなく、荷物室のドア前に立つ一路ドライバーにそう言ったのは新幹線に遅れると言った男性だ。
    「済みませんでした!」
     私は頭を下げて駅に急ぐお客様を見送る。
     最後に降車してきたのは玲奈だ。
    「涼先輩。今日……、このコースに乗って良かった。会えてよかったです!」
    「玲奈さん。貴女の進路の参考にはならなかったかも知れないけれども……、私も貴女に会えてよかった。またのご乗車お待ちしております!」
     玲奈は大きく頷いていた。

     全てのお客様が降車した後、静かに一路運転士が私に告げる。
    「今日は六十点。自分に何が足りないか考えてみろ」
    「はい! ありがとうございました!」
     ううっ、優しそうに見えて結構厳しい。でも本当に未だ足りないのだろう。それは何なのか。
    「さあ、帰るぞ」
    「はい!」
     私は一路ドライバーの隣に乗車して、本社に向かう。
     ガイド席から見上げた青い空には、遠くに刷毛はけで描いたような筋雲が浮かんでいた。

    愛すべき人達


    「あらぁ、アンタ新人ねぇ」
     ええっ! まさかの「お姉ねえキャラ」か?
     会釈した頭の上から掛けられた声に驚いたのは、その「お姉言葉」とビジネススーツに包まれた大柄でマッチョな見た目とのギャップがあり過ぎたからだ。
    「は、はい! 先月から乗務しております安澄涼です! よろしくお願いします」
    「新人でもねぇ、しっかり頼むわよぉ! アタシはね、通訳案内士の瀬那輝せなひかるよ。通訳案内士のねぇ」
     通訳案内士に凄く力を込めて言われたが、分かっているよ。超難関の国家資格だということくらい。
     私のことを上から下まで見廻してチェックしているが、見ただけで分かるのだろうか。経験値とかが。
     瀬那通訳案内士が引率して来たのはインドからのお客様で男性9名の団体だ。
     来日中の企業らしいが、今日は仕事ではなく観光なのだろう。服装もビジネス風ではない。各自がリラックスした私服だった。
     乗車前から既に盛り上がっていて列に並ぶとかはできなかったのだが。
    「はとバス」には外国人に向けた通訳案内士が御案内する専用のコースもあるが、今日の「江戸味覚食い倒れツアー」はそうではない。日本人34名のお客様と一緒に御乗車頂くことになっている。
     このツアーは、寿司・天ぷら・鰻という江戸の三大料理を一日で全部食べるという日本人にも外国人にも大人気のコースなのだ。
    「Now, let's get on the Hato bus.(では、はとバスに乗車します)」
     さすがに流暢な英語で瀬那通訳案内士が誘導すると一団は何とかバスの最後尾に着席したのだが、すぐに持ち込みのお茶やお菓子を回しながらのお喋りが始まって騒がしさは治まらない。
     9時にバスが東京駅の「はとバス」発着所を出発して、私の最初の挨拶と自己紹介を瀬那通訳案内士が訳したとたんだ。
    「She is your guide today. Her name is Ryo Asumi.(彼女は本日のガイド、安澄涼さんです)」
    「Wow, she's too cute!(わお、可愛すぎる!)」
    「How beautiful!(何て綺麗なんだ!)」
     囃はやし立てる言葉が英語で無かったら、私は貝になっていただろう。
    「She's a rookie(彼女は新人です)」
    「So, she's new!(それで、初々しいんだ!)」
    「We're lucky!(俺たち、運がいい!)」
     くっ! 余計な解説をするな。
     この瀬那という男、通訳案内士が偉いと言いたいのは分かるが、完全に私のことを弄っている。

     東京駅南口「はとバス」発着所を出発してから、バスはレインボーブリッジからお台場に渡り、豊洲市場を車窓から御案内して勝鬨かちどき橋を渡ると最初の目的地、築地場外市場に到着した。
     場外市場前のバス駐車場で降車したお客様たちを、これから朝食会場となる「すしざんまい本店」に御案内する。
     大勢の人々で賑わう中で44人の団体を御案内するのはただでさえ難しいのだが、特に今日はマイペースなお客様も多いので、かなり注意を払わねばならない。
     バス駐車場から大通りを渡り、波除なみよけ通りと呼ばれる比較的路幅の広い路を御案内していく。通りの名前からも昔はこの先が海岸線だったことが分かる。
     この路でさえもう人で溢れ返っているが、問題はここから先だ。すしざんまい本店に御案内するには、どうしても狭い路地に入らねばならない。
     また「腕が耳に張り付いている」と言われても構わない。黄色い誘導旗を目一杯高く掲げて思い切り緊張しながら大きな声で御案内する。
    「お客様、こちらです。私に付いてきて下さい!」
    「This way! We will follow her(こちらです! 彼女に付いて行きます)」
    「My pleasure!(喜んで!)」
    「I'll follow her forever!(どこまでもついていくよ!)」
     もう、いちいち混ぜ返される。
     やっとの思いで狭い通りにひしめく人混みを抜けてお店に着くと、私は入口でお客様の人数を確認しながら店内に御案内したが。
     えっ、42人!
     最後尾の瀬那通訳案内士が到着したのに二人足りない。
    「瀬那さん! お客様、お二人いません! もしかして」
    「大丈夫よぅ。もう、よく見てちょうだい」
     瀬那通訳案内士が指差す方を見遣ると、あっ、あれは。
     今来た路地の先に、串に刺した黄色い卵焼きを頬張りながら談笑する二人の姿が見えた。
    「お客様!」
     私が人の波を避けながら何とか駆け寄ると、二人は全く悪びれた様子もない。
    「Ryo, this is so delicious!(りょう、これ凄く美味しいよ!)」
    「Do you want to have this too?(君も食べたいかい?)」
     ああ……、張り詰めていた力が抜けていく。
    「First, our breakfast is sushi!(まず、朝食は寿司です!)」
     私が力を込めて言うと、二人は首を横にフリフリしている。
     髭を蓄えた大人がするには可愛い過ぎる仕種だが一体何なのだ?
    「これはねぇ、インド式の『はい』というポーズなの。まあ、日本人なら首を縦に振るところよね」
     そうなのか。追い付いて来た瀬那通訳案内士が説明したので納得したが。
     それより、自分が引率している団体の面倒をもっとよく見ろよ。

    「すしざんまい」での朝食後も、築地場外市場の散策時間も設定されていたので、やはり想像した通りアイスクリームを舐めながらマイペースでゆっくりと集合されたお客様もお乗せしてから、駐車場を発車したのは予定時間を10分ほど過ぎていた。
     車内から業務用スマホで昼食会場の浅草「葵丸進」に連絡して到着予想時間と人数、食事内容を確認する。
     外国人のお客様の場合には、とりわけ要注意なのが宗教による食事制限だ。
     今日のお客様、インドではヒンドゥー教のかたが多いので牛肉は食べられない。海老に魚、野菜の天ぷらは大丈夫だろう。
     ムスリムのお客様の場合は豚肉が食べられないし、他にもベジタリアンや様々な食事制限は予め予約の際に伺っているのだが、再度確認する必要がある。
     日本人でもアレルギーなどの有無は確認してから、必要な食事の変更はお店に連絡するのだ。
     雷門前で降車してお客様を「葵丸進」まで御案内してから、ドライバーと一緒に一階で昼食を頂いた。
     初めてではなかったが、このお店の揚げたてで提供される天ぷらの香ばしさといったら堪たまらない。胡麻油の匂いが食欲をそそる。

     昼食後、お客様たちが50分間の自由散策をされている間に、私とドライバーは仲見世通りの裏道を通って浅草寺裏の「はとバス」駐車場に向かう。この段取りはもう何回か繰り返したので慣れてきた気がする。
     5台のバスが並んだ「はとバス」駐車場には映美が先に到着していた。
    「おう! お疲れ!」
    「お疲れ様。もう本当に疲れたわぁ」
    「どうしたんだよ?」
    「もう、外国人のお客様がマイペースでさあ」
     映美に愚痴っていると、アイツの声が後ろから聞こえた。
    「ふふふっ、安澄さん、随分と苦労しているね」
     夏樹航、またいつの間に。
    「外国人のお客様は初めてかい。僕なんか、いつも人気コース担当だから毎回さ」
     またかよ! いつも自慢げに私を弄ろうとするのは。
     鼻を鳴らそうとしたその時だった。
    「あらぁ! 涼ちゃんのお仲間ねぇ!」
     突然の「お姉言葉」に驚いた二人が一瞬仰け反ると瀬那案内士は被せてくる。
    「アタシは、通訳案内士の瀬那輝よ。通訳案内士のねぇ」
     暫し怯ひるんだ夏樹航が再び姿勢を正して態勢を取り直す。
    「貴方が、安澄ガイドのツアーに御乗車の通訳案内士ですか」
    「そうよぉ。そう言うアンタが噂の『はとバス』王子ってわけね。そんなこと言われて、その気にならないほうがいいわよぉ」
     航に当てこすった瀬那案内士は、すぐ私に向き直る。
    「涼ちゃん、アンタもねぇ、もっと余裕を持たないと駄目よ」
    「えっ、余裕……、ですか? 余裕と言われましても私も時間通りに精一杯やっていまして」
    「あのねぇ、時間の感覚とかはね、お国によって違うのよぉ。日本人のほうが珍しいくらいなの、時間に正確なのは。もっと色んなお国柄をお勉強なさい」
    「お言葉ですが」
     突然に反論したのは航だった。
    「確かに、時間に対する感覚は国民性によって違うかもしれません。しかしです、我々バスガイドはそれを踏まえても運行上、時間を管理していかなくては」
    「あらあ! 王子ったら、随分と肩を持つのねえ。涼ちゃんのぉ」
    「いえ! そういうことでは無くてですね!」
     一瞬、私を見遣った航は、瀬那通訳案内士に語調を強める。
    「我々の仕事の責任としてですねぇ! 時間を守るのは」
     むきになって顔を真っ赤に上気させる航を見たのは初めてかも知れない。   普段は、いかにも余裕のある態度で振舞いながら私を弄っているから。
     何だか、不思議な光景だった。
     ふふっ、映美が笑みを浮かべながら二人の鍔競つばぜり合いを眺めている……。

     浅草を出発したバスが向かったのは東京スカイツリー。
     人気の観光スポットでいつも混み合っているのだが、実は「はとバス」のお客様は並ばずに、優先レーンを通って手荷物検査を受けるとエレベーターで天望デッキに直行できるのだ。
     地上350メートルの天望デッキにエレベーターが到着して扉が開くと、視界に広がる東京湾は日の光を映して輝いている。その眺めはさすがに息を呑む。
     関東平野を見渡せるこの眺望も素晴らしいのだが、私は地上の人々が暮らす息吹を感じられる東京タワーのほうが好きだ。
     まあ、地元の身びいきかも知れないけれども。

     スカイツリーから柴又に向かい夕食会場となる川千家かわちやの駐車場でバスを降車すると、柴又帝釈天しばまたたいしゃくてんに向かって参道を御案内して行く。
     参道の途中で「高木屋老舗」の名物草だんごを頂くのだが、そんなことはお構いなしに列を離れて買い食いするインド人のお客様には、もう驚かなくなっていた。大分慣れて来たのだろうか。
     柴又帝釈天に着くと境内を御案内する。
    「こちらは『男はつらいよ』の寅さんが産湯うぶゆを使ったとされている場所で、映画の舞台にもなっています」
    「Tora-san was born here(寅さんはここで生まれました)」
     瀬那通訳案内士が言うと皆色めき立つ。
    「Oh, Tora-san, I know!(おう、寅さん、知っているよ!)」
    「I love him!(大好きだよ!)」
     そうなのか。海外でも有名なのだと、感心したのも束の間だった。
    「Ryo, can you please recite some lines of Tora-san!(りょう、寅さんの台詞言ってみてよ!)」
    「Nice! please!(いいね! お願い!)」
    「涼ちゃん、リクエストよ。ここでやらなきゃ女が廃すたるわよぉ」
     瀬那案内士にそう言われると、ここは女の意地? なのか。思わず仁義を切るポーズを取ってしまった。
    「帝釈天で産湯を使い、姓はくるま、名は寅次郎。人呼んで『フーテンの寅』と申します!」
    「Wow! That's great!(わお! 素晴らしい!)」
    「You should be an actress!(女優になって!)」
     やっちまった……。
     もう、完全に巻き込まれている。お客様たちは喜んでいるが、私は自分の貌が真っ赤になるのが分かった。

     落ち込みながらも「川千家」で頂いたうな重と肝吸はさすがに美味しかった。口の中で柔らかくフワッと広がる鰻の焼き加減は、これが老舗の味なのか。参道沿いに構えるお店の佇まいにも風情があるし。
     食事後にお店の裏にある駐車場を出発したバスは、東京駅丸の内南口の「はとバス」発着所に直行する。
     朝から寿司と天ぷら、鰻を一日で食べ尽くした日本人のお客様たちは殆どがぐっすりとお休みになっているが、後部座席のインドのお客様たちは相変わらず元気にお喋りでお盛り上がっている。マサラティーというインドのお茶もポットで回しているようだ。
     今日は朝からこのお客様たちのマイペースな行動に振り回されたし、最後は思わぬ無茶振りをされて恥をかいたけれど、何だか憎めない可愛いさがある。
     どうしてだろうと考えると、この人たちはニコニコといつでも笑っているのだ。日本風に言うと「人懐っこい」というのだろうか。
     もしかすると私は、今日一日でこの人たちのことを好きになっていたのかも知れない。
     確かに瀬那案内士の言う様に時間の感覚も国によって違うのだろうし、風習や常識だって国によって違うのだろう。
     日本人の常識のほうが珍しいのかも知れないし……。もっと色々なお国柄を勉強しなくてはいけない。
     でも、私を小馬鹿にして弄るあの瀬那案内士には言われたくないけれど。

     東京駅丸の内南口の「はとバス」発着所に到着すると、私は前扉の横に立ってバスから降車するお客様お一人お一人に御挨拶する。
    「ああ、美味しかったわ。一日でこんなに食べたのは初めてよ」
     満足そうに微笑むご婦人は、これから大阪に帰るらしい。
    「ありがとうございました。またのご乗車をお待ちしております」
    「インドの人達も面白かったわね」
    「はい、良い人たちで楽しかったですね」
     日本人のお客様が降車されると、後部に座っていたインドからの団体も降車して来た。
     私はお一人ずつに御挨拶したが、全員が降り立ってからもう一度言う。
    「またの御乗車をお待ちしております!」
     本当の気持ちだった。やはり、この人たちを好きになってしまったのだろう。
    「She says, I'm looking forward to seeing you again!(またの御乗車をお待ちしております!)」
     瀬那案内士が訳すとまた囃し立てられる。
    「I'll be back! To see my angel!(また来るよ! 僕の天使に会いに!)」
    「Wait for me! My Goddess!(待っていてね! 女神ちゃん!)」
    「Next time, marry me!(次の時は、結婚して!)」
     最後まで賑にぎやかに盛り上がっていたが、見送る私に向かって一団を引率する瀬那通訳案内士が去り際に掛けた言葉が気になる。
    「涼ちゃん。アンタとはさぁ、アタシも長いお付き合いになりそうねぇ」
     ええっ、この男、これからも何かと絡からんでくるつもりなのか……。

    間に合わない!


     ああ、今度こそ、やっちまった……。
     東京駅丸の内南口に向かって大きなキャリーバッグを曳きながら急ぐビジネススーツのお客様を最敬礼で見送る。
     チラリと腕時計を見ると18時50分、20分の遅れだ。
     東海道新幹線のホームは14番線から19番線。この丸の内口からは一番遠く、八重洲口に近い。
     18時55分発の列車には間に合わないだろう。
     上野から銀座に向かう途中で巻き込まれた渋滞は不可抗力だったが、スカイツリー出発が遅れたのは判断ミスだった。
     もっと注意しておくべきだったのだろう。最初から分かっていたのだから。

     14時30分、東京駅発「さくっと満喫!東京スカイツリーと浅草散策」は、その名前通り出張の帰りなどでもサクッと御乗車いただける手頃なコースなのだ。
     でも、よりによってまたあのお客様にご迷惑を掛けてしまうとは。
     あのお客様には2カ月前、私の初乗務だった「東京名所散策」に御乗車頂いた。
     あの時は何とか遅れを取り戻して新幹線には間に合ったのだが、今日は間に合わなかった。
     あの時も今日も実は遅れの原因はいつも同じなのだが。
     紫吹トレーナーも言っていた。ベテランガイドなら集合時間に遅れるお客様は、その纏っている雰囲気で分かるという。
     最初の乗車時点にギリギリで来る。ガイドの話を聞いていない。遅れたことを混んでいたとか自分以外の周りのせいにするが、それは違うと分かる。発しているオーラで分かるらしい。
     確かに今日の遅れたお客様もそうだった。東京駅から「はとバス」発着所に向かって来るその姿からは「遅れる」オーラが出ていたのだ。
     かなりご高齢の男性でお一人だったが、出発時間の間際でも全く気にする風もなくキョロキョロと周りを見廻しながら歩いて来る。
     乗車してからも私の御案内に注意を払っていないのは分かったが、浅草観音と仲見世自由散策の集合時間だけはタイムボードでも4:20と念入りにお知らせしたつもりだったのに。
     60分の自由散策には浅草花月堂「ジャンボめろんぱん」のお土産付きなので、集合時間に戻った皆様は機嫌よく頬張っていたのだが、やはりあのお客様が集合時間に現れないことにビジネススーツのお客様は苛立っていた。
    「何で待つんだよ!」
    「申し訳ありません! 今連絡を取りますから最大10分で出発します」
     結局、浅草出発も10分遅れたが、東京スカイツリー天望デッキの見学時間で調整するかは迷っていた。
     通常は70分お取りするところを60分にするべきか。
     やはり、ゆっくりと見て頂きたいと思い、70分としたのが甘かった。
     出発時間になっても再び現れないので、東京スカイツリー一階の団体駐車場から、すぐに東京営業所に業務用スマホで連絡した。お客様本人の携帯に連絡してもらうためだが、それから未だ返事が無い。
     焦りながらも最大の10分待って、もう出発しようとしたその時だ。業務用スマホが鳴ったのは。
     表示を見ると東京営業所では無いので、そこから連絡がいって本人が掛けてきたのだろう。
     でも、電話に出ると仰け反ってしまった。
    「ええっ! 今電車の中ですか?」
    『うん、もう疲れたからさぁ』
    「あの、でしたら私にそう言って頂かないと」
    『だって、時間になれば発車するんだろう』
     慌ててバスに飛び乗ると、ドライバーに告げる。
    「お客様一名お帰りで、他のお客様お揃いです!」
     東京スカイツリーからの出発が遅れたことで、その後の渋滞にも巻き込まれてしまったのだ……。

     朝、点呼室に出勤すると最初に言われたのは、昨日の新幹線に乗り遅れたお客様から会社に抗議が入ったそうだ。それはそうだろう。お怒りはごもっともだし。
     反省頻しきりだが、気分を変えて持ち直さなければ。女性更衣室で制服に着替えると、鏡に向かって口角を上げる。こういう時は先ず笑顔を作って、それに気持ちを合わせていく。
     そう、私たちは「安全と感動を笑顔にのせて」いくのだから。

     10時に東京駅丸の内南口を出発したバスが、今日のコース「東京三名所(シンフォニーランチクルーズ)」で最初に下車観光したのは皇居前広場だ。
     定番の楠木正成像から二重橋前まで御案内すると、お客様たちの記念写真を撮り終えたと思った時だった。
     お一人で参加しているジャケット姿の男性はもう七十代かもっと上かも知れない。記念写真も撮らずに、ずっとスマホで電話を続けているので何かおかしいと思ったのだが。
     私を見遣ると電話を切っておもむろに声を掛けてくる。
    「ガイドさん! この辺りにコンビニか銀行はないかい?」
     えっ、もちろんこの広場にはコンビニも銀行も無いし、周辺に立ち並ぶビルまで行けばあるだろうが、それは時間的に無理だ。
    「どうされましたか? この広場には有りませんが何かお急ぎですか」
    「むう……、次の場所は……」
    「次は、シンフォニーランチクルーズですから、乗船してバイキングと東京湾クルーズとなりますので、約2時間は海上です。その次でしたら東京タワーですので、もちろんコンビニもございますが」
    「間に合わない……」
     男性は困惑とも怒りとも言えない、どちらも混じり合ったような戸惑いを貌に浮かべている。
     もしかすると……、これは。
    「ガイドさん、どこか途中で……、銀行の前で降ろしてくれ」
    「お客様、どうされましたか? 探しているのは、もしかして振り込みできる場所ですか」
    「君に関係ないだろう!」
     困惑から怒りに表情が振れたお客様だったが、ここは見過ごせない。
    「お客様! 必ずお役に立ちますから。どうか信じて下さい!」
     若い方だったならば、お仕事の取引などで急な振り込みもあるかも知れない。でも、この場合は違うだろう。
    「……、急ぐんだよ! 電話があって、家族のことですぐ振り込みが必要なんだ」
    「御家族のかたから、振り込みを頼まれたのですね。それは、本当に御家族からですか?」
    「当たり前だろう! 息子からの電話なんだから!」
    「それは本当に息子さんからの電話なのですか?」
    「お前! 何を言っているんだよ!」
     怒り心頭に達した様子で、お客様は私にスマホの画面を見せてきた。
    「家の電話でも、スマホでも、ちゃんと登録してあるんだよ! この前、本人から連絡があっったばかりなんだから!」
     連絡があって登録した……。もし、電話番号を変更して登録をし直したのなら。間違いない。
    「お客様、それは、息子さんから連絡があって電話番号の登録を変更したということですよね」
    「そう言っただろ! ほら! これを見ろよ!」
     お客様が私に見せた画面には息子さんの名前なのだろう。確かに登録されているが。
    「お客様、通話履歴を拝見できますか?」
     ここは強引に迫るしかない。私の有無を言わせぬ口調に少したじろかれた様子だったが、渋々見せてきた通話履歴を見ると何度か遣り取りした電話番号が載っている。
    「これが、息子さんの以前の電話番号ですよね」
     お客様は眼鏡を頭の上にずらしながら覗き込む。
    「……ああ、多分そうだ」
     何も言わずに私はその電話番号をタップすると、呼び出し音が鳴り始めたスマホを掴つかんでお客様の耳に押し当てた。
    「むっ! 何だよ! ……何をするんだ?」
     驚くお客様に構わずスマホをかざしていると相手が応じた。
    「えっ! お前か。どうして……、番号変わったんじゃないのか?」
     暫く話したお客様は涙を浮かべながらその場に跪いた。

     私がすぐ警察に連絡して息子と名乗る電話番号も通報したが、お客様は安心したというよりも気が抜けた様に脱力していた。
     仕方が無い。まさか自分が振り込め詐欺に惑わされるとは思ってもいなかっただろうし。
     その後のシンフォニーランチクルーズ、東京タワー見学、浅草観音と仲見世の自由散策を経て、東京駅丸の内南口に到着したのは、予定通り17時40分だった。
    「何と言ってよいのか……。ありがとう」
     お客様は両腕で私の手を取ると、顔を埋めて泣き出した。
     かなりのショックに違いない。自分の息子が困っていると信じて助けようとしたのに、それが詐欺だったなんて。
     騙されたことも、信じたことも、どちらも衝撃だろうし、二重に自信を喪失しているのだろう。
     でも、もう前向きに考えるしかない。起きた事実は変えられないけれど、その意味を変えることはできるのだから。
    「お客様。解決できてよかったです。これからも御家族で支え合ってお過ごしください。またのご乗車をお待ちしております」
    「おおっ、来るよ! 家族で。おうううっ!」
     お客様は声を上げて泣いていた。

    「安澄さん、貴女も忙しい人ね」
     点呼室で私に声を掛けたのは紫吹トレーナー。今日もビシッと決まっている。相変わらず年齢不詳だ。
    「遅れで抗議されたかと思ったら、今度は警察から表彰されるとはねえ」
    「はい、遅れの件は申し訳ありませんでした! 紫吹トレーナーには言われていたのに、遅れるお客様は乗車する時に最初から分かると。もっと注意を払うべきでした」
    「まあ、遅れはこれから気をつけるしかないわね。でも、振り込め詐欺の件は、とっさの対応が良かったわよ」
    「ありがとうございます! お客様もかなりお困りのようでしたので、これは何とかしなければと」
    「貴女のね、そういうところが良いの。『はとバス』ガイドに向いている」
    「えっ、向いていますか」
    「そう。自分の何が強みなのか。何が弱みか考えてごらんなさい」
     強みと、弱みか……。それは一体、何なのだろう……。
    「だけど、どんな時でもね、お客様との出会いと会話を楽しむの。大切なのはね、自分が心から楽しむこと。この仕事が好きなんだと思うことよ」
    「どんな時でも……、ですか?」
    「そう、例え難しい状況でもね、それは勉強させて頂く機会を頂いたということ。ピンチの時こそ、お客様に尋ねる、話し掛けるの。答えはお客様の中にあるから」
     ピンチの時に……、答えはお客様の中にあるのだろうか。本当に……。

    まだ生きている?


    「本日ご乗車のお客様は、とってもラッキーですよぉ!」
     紫吹トレーナーの声が明るく弾む。
     今日お休みの私は、紫吹トレーナーがガイドとして乗務するコース「東京名所散歩」に乗客として参加している。
     私たちは社員割引料金で乗車できるのだが、それは福利厚生ということだけではなく本当の実地研修になるのだ。
     初乗務からもう夢中に過ごしているうちに、あっという間の3カ月が過ぎていたが、この辺りでもう一度勉強する必要があるだろう。

    「何と言っても、本日の一路ドライバーの運転が最高なのです。私が御案内する説明に合わせて、スピードを調整しながら運転してくれますから」
     何ということだ! ガイドがドライバーを支配している!
     運行の責任者は当然ドライバーなのだが、こう言われては合わせざるを得ない。
     いくら紫吹トレーナーがベテランだと言っても、一路ドライバーは五十代でかなり年上だと思うが、この一言で力関係が決まってしまった。
     最後尾に座る私からは見えないが、きっと一路ドライバーは苦笑いしていることだろう。
    「凄い……、私とは全然違う」
     思わず呟いていた。そうなのだ、この「東京名所散歩」は私が初めて乗務したコース。
     それだけに違いが際立ってしまう。あの時、馬場先門を通り過ぎてから説明したことを思い出すと貌が赤くなる。
     御案内の説明が上手いとかではない。もちろん教本の内容は完璧に頭に入っているだろうが、それだけでは無い。
     お客様たちの反応、受け方が違う。落語や漫才で言う「つかみ」というのだろうか。もうお客様の心を掴んでいる。
     特に受けていたのは最前列に座るかなり高齢の女性たち、四人グループのお客様だったのだが、日本橋で日本銀行、通称日銀を車窓から御案内している時だった。
    「日銀と言えばどなた様も大好きな日本銀行券、お札を発行しておりますが。それでは質問です。一万円札の顔と言えば誰でしょう?」
    「福沢諭吉!」
     元気に手を挙げたのは8Bに座る男性のお客様だ。
     負けじと前方の高齢女性グループのお客様たちは財布を開いてお札を覗き込んでいる。
    「では、五千円札の顔は誰でしょう?」
    「ほら、この人よ!」
     最前列の女性が五千円札を翳す。
    「はい、そうですよねぇ。樋口一葉さんです。では、最後の問題です。一万円、五千円とくれば、千円札の顔は?」
    「この人よ!」
    「そうよ、あの人! あの人!」
     千円札を翳して見せる女性に皆さんが声を揃える。でも名前が出てこない。
    「はい、その通り! あの人です! 野口英世さんですね」
    「そうそう!」
     誰もが「あの人」のことは分かっているし、「あの人」で話も通じている。
    「実は今皆様に当てて頂いたお札のお顔は、偽造防止の為に一定の期間毎に変わることになっているのですが、新しい一万円札のお顔は渋沢栄一に、五千円札は津田梅子に、千円札は北里柴三郎に変わります」
     紫吹トレーナーは車内を見渡して一拍間を置いた。
    「お顔が変わりまして新しいお札が発行されるのは2024年の予定です」
     次の瞬間、最後尾に座る私には何も聞こえなかったのだが。
    「えっ? 2024年、まだ生きている?」
     最前列のご婦人がそう言ったのだろうか。紫吹トレーナーが聞き返す様に応える。
    「2024年、まだ生きている! はい! そうですよね! お体にお気をつけて下さい」
     ご婦人たちはもちろん、車内が爆笑の渦に包まれた!
     あれは、本当にお客様の言葉に応えた掛け合いだったのか。
     もしかすると、お客様の言葉は待っていない。漫才で言う「弄いじり」なのかもしれない。
     私には無理だ、とても……。

    「凄かった……。紫吹トレーナーの御案内は」
     思わず唸ったのは、ガイド寮の食堂だった。
     四人掛けテーブルに映美とコンビニ弁当を広げている。
     私は「豚生姜焼き弁当」、映美は白身魚フライ中心の「明太海苔弁当」。それにもちろん、実家の母が漬けた梅干しの瓶から一粒ずつを添えた。
     梅干しを頬張ると、口の中に酸味が拡がる。今の私にはこれが人生の酸っぱさにも感じられた。
     初乗務から3カ月、ようやくと仕事にも慣れてきたと思っていたのに、紫吹トレーナーとの違いを見せつけられると自分の至らなさを実感してしまったのだ。
    「まあ、しょうがないよなぁ。未だ3カ月の俺たちとじゃあ、場数と経験値が違い過ぎるし」
    「場数、経験値かぁ。確かにそれは追い付きようが無いけど、何か、それだけじゃない。違いがある様な気がする」
    「ああ確かに……。俺たちも越えなければならないハードルがあるのかな」
     考えると、思わず箸を持つ手が止まる。
    「この前、紫吹トレーナーに言われたのだけれど、自分の強みと、弱みを考えてみろって」
    「強みと、弱みかぁ……」
     映美は暫し考えてから私を見詰めた。
    「強みと弱みって、もしかすると同じことの裏表かもしれないなぁ」
    「えっ、どういうこと?」
    「お前にはさぁ、強みがあるんだよ……。でも、それが、却って難しくしているというかさぁ」
    「……?」
     映美は何でも話すことができる親友だ。でも、たまに分からないこともある……。

    霞保育園で待っています


    「さすがに緊張するなぁ……」
     アイツがそんなことを言うのは初めて聞いた。「はとバス王子」と囃されることにも慣れっこで、いつでも余裕でいるはずの航でも今日は特別らしい。
     航だけだは無いようだ。あの紫吹トレーナーでさえも、いつに無く硬くなっているのが分かる。
     それは私も同じだった。何せ、自分の母校の前で待機しているのだから。
     三台の「はとバス」が連なってお客様の乗車を待つのは麻布十番商店街から坂を上ると煉瓦塀で囲まれた霞かすみ保育園の前。
     道路を挟んで向かいに建つ私の母校、和欧学院は夏休み中だが部活動などで登校する生徒たちの姿も見える。

     今日のお客様は霞保育園の五歳「そら組」、四歳「つき組」、三歳「ほし組」の子どもたちだ。
     付き添いの先生の責任者は副園長の志村舞衣子しむらまいこ先生。なんと、保育園時代のアイツ、航の担任の先生だったという。
     それだけでも驚いたが、紫吹トレーナーの娘さんもこの保育園の五歳「そら組」に在席しているらしい。パートナーが警察官の彼女は、商店街から近い警察の寮に住んでいるのだ。
     関係者だらけのツアーの中で、実家が地元とはいっても私が一番気楽なのかも知れない。それでも母校の前で「はとバス」ガイドとして制服に身を包んで立っているのは、嬉しいような恥ずかしいような気がして落ち着かないけれども。

     出発の時間を迎えると、門から出てくる保育園児と先生たちの先頭に立つのが志村舞衣子副園長だろう。一目で瞬間に分かる。
     アイツが言うのは子ども時代の思い出だから、憧れが膨らんでいるのかも知れないが、あの紫吹トレーナーも言うのだから間違いないだろう。四十歳に近いはずだが、凄い美人だと。
     複数の「はとバス」が連なる場合には、1号車がドライバーもガイドも責任者、一番のベテランが乗車する。ドライバーとガイドの二番手が最後尾に。三番手が2号車、以下3号車へと続く。
     当然、今日の1号車のガイドは紫吹トレーナー、運転は一路ドライバーが務める。本日の最後尾3号車はアイツ,航が乗車して、私は2号車だ。くっ……、癪しゃくに障さわるが仕方ない。
     最初に乗車が始まる1号車の前扉の横に立つ紫吹トレーナーが、志村舞衣子副園長に最敬礼で挨拶したのは分かるが、航までもが3号車から駆け寄って来ると、その場に立ち竦すくんで一瞬で交わした二人の目線の強さは尋常では無かった。
    「舞衣子先生! 夏樹航です!」
     頷いた舞衣子先生の目には忽ち涙が溢れる。
    「航君……、待っていた……。霞保育園で待っていたわよ」
    「舞衣子先生!」
     突然に舞衣子先生の両手を取って最敬礼した航の目からも涙が零れている。
     これは……。ただの卒園生と担任ではないだろう。一体……?

     暫し無言で最敬礼していた航が、顔を上げ涙を拭いながら舞衣子先生に頷いて、踵を返すと自分の乗車する3号車に向かっていく。
     訳が分からないままに私は2号車に乗車する五歳「そら組」30人の子どもと2人の先生を迎えて車内に案内する。
     32人、人数を確認してドライバーに告げた。
    「お客様、お揃いです」
     1号車が動くと、続いて私が乗務する2号車も発車する。
     まずはいつも通りにと、出発の御挨拶と自己紹介をした途端だった。二列目に座る女の子が声を上げたのは。
    「わたしのママは、もっとうまいよ!」
     えっ、もしかして、この子が。
    「ママって、1号車の紫吹ガイドですか。それなら、もちろん凄く上手いですよ。私の先生ですから」
    「うん! わたし、ママの『はとバス』、パパとのったことあるもん!」
    「そうなの! それは良かったわね!」
    「ふふふっ」
     女の子は嬉しそうに笑っている。しかしさすがだ、紫吹トレーナーは。
     仕事と家庭の両立はきっと簡単ではないだろうと思うが、紫吹トレーナーは自ら「妖精」と称するだけあって、苦労は私たちに見せない。それでも、娘には自分の仕事ぶりを見せていたのか。
     最高だ。娘にママの仕事を自慢されるなんて。
     だけれども、私の母は真琴お祖母ちゃんの仕事、バスガイドを好きでなかったらしい。何故なのだろう、この違いは……。

     出発早々にいきなり混ぜ返されたが、気を取り直して本日の御案内をする。
    「今日、これから皆さんが行くのは『横浜八景島シーパラダイス』です。イルカのショーもありますよ。楽しみですね」
    「知ってる!」
    「ペンギンもね! 出てくるよ!」
     もう、私の御案内などでは騒ぎは治まらない。どの子も好き勝手に喋っている。

     バスが大井埠頭を通過する時だった。新幹線の車両が並ぶ引き込み線が見える。
    「皆さん! こちらで新幹線がネンネしているのですよ」
     私が言うと突然に笑われてしまった。
    「あはははっ!」
    「ネンネだってさ!」
    「『しゃりょうきち』っていうんだよ」
    「あっ、N700けいだ!」
    「ドクターイエローもいる!」
     ううっ! これはもう、タジタジだと思った時だった。
    「それでは、皆さん! そろそろ、クイズを始めましょうか」
     救いの手が入ったのは、霞保育園の先生からだった。
     もう無条件でマイクを渡すと、歌のイントロクイズから始まって、当てると皆でそれを歌うという王道の掴みがさすがとしか言いようがない。
     それから先は、目的地に到着するまで保育園の先生たちにお任せで『横浜八景島シーパラダイス』に到着したのだった。

     現地ではもちろん先生たちが引率するし、帰りの車中は誰もが爆睡だったので、「はとバス」ガイドの出番はそれほど無いままにツアーは終了したのだが……。
     降車する子どもたちの手を取って、一人一人に声を掛けていると、向かいの校舎から下校する紺色のセーラー服の集団、女子学生たちが騒めき始めている。
    「もしかして、『花組』の涼先輩! 『はとバス』ガイドになったって聞いていたけれど」
    「ヤバい! カッコいい!」
    「ええっ! じゃあ、映美先輩はどこ?」
     私は彼女たちに向かって静かに頷くと、唇に人差し指を当てる。今は仕事中だからと。
     うんうんと、大きく首を振る彼女たちも分かるのだろう。もう女子学生では無いのだ、私は。「はとバス」ガイドなのだから。

     煉瓦塀の門から子どもと先生たちが園内に入ると、最後に残った志村舞衣子副園長が私たちガイドとドライバーに向かって頭を下げた。
    「今日はお世話になりました。ありがとうございました」
    「こちらこそ、ご乗車ありがとうございました。またのご乗車をお待ちしております」
     紫吹トレーナーに合わせて私たちも最敬礼する。
     でも、顔を上げた私は驚いたのだ。
     綺麗な目に涙を湛えながら花が綻ほころぶように微笑んだ舞衣子先生は、航に歩み寄る。
    「航君、立派になって……。待っていたわよ。また、ムギューとさせて」
     えっ!
     次の瞬間、舞衣子先生は航を抱きしめた。
     航もそうされるがまま涙を流している。
     いくら元担任と卒園生だからといっても、大人になってからそこまでするか。
     何か、この二人の間にはあるのだろう。それは一体……。

    悩みなんか無い?


    「4号車って、あの『はとバス』王子! いいなぁ」
    「2号車のガイドさん、ヤバいよ! すっごく可愛い!」
     本日最初の下車観光、皇居前広場の駐車場で制服姿の女子高生たちが盛り上がっている。

     9月になると修学旅行のお客様が多くなる。新潟から訪れている高校生たちは四台の「はとバス」に分乗していた。
     一昨日は横浜、昨日はディズニーランドを訪れて、今日は東京半日観光の後に東京駅から上越新幹線で帰る予定だ。
     連なる「はとバス」四台の責任者は1号車の一路運転士と紫吹トレーナー。2号車のガイドは私、3号車は映美。しんがりを務める4号車に乗務するのはアイツ、航だ。
     出発前の駐車場で盛り上がっているのはもちろん女子だけではない。というよりも男子の方が好きなのだろう。こういう話は。
    「2号車のガイドが当りだな」
    「3号車もショートカットで結構イケてるぜ」
    「いや、やっぱ2号車だろ」
     話に夢中になり過ぎて、不幸にも気付かなかったのだ。彼らは。
    「なら、そっちに乗りなさいよ!」
     後ろから1号車のガイド、紫吹トレーナーに一喝されると「やべっ!」と慌てながら散り散りに自分たちのバスに向かって行く。

     皇居前広場を出発して銀座を走るバスの車窓から歌舞伎座タワーを御案内している時だった。
     受けを狙ったのだろう。一人の男子が目を剥いて見得を切るポーズを作って見せると、周りの子達が「イヨッ!」と囃したてる。
     私も思わず説明が途切れてしまった。
    「皆さん、元気でいいわね。悩みなんか無いでしょう」
    「ある、ある!」
    「あるとも!」
    「本当に? じゃ、悩みがある人いる?」
    「はーい!」
     誰もが我先に手を挙げているので笑ってしまう。
    「今、手を挙げた人は悩みが無いですよね」
     でも、私は見逃さなかった。
     手を挙げなかった女子が一人、じっと車窓の外を見詰めていたのを。

     浅草寺裏の「はとバス」駐車場で私は待っていた。
     昼食後、50分間の自由散策を設定しているが、きっと集合時間よりも早く戻って来るだろう。
     もし、あの女子の悩みが苛めだとかであったなら……。
     やっぱり……。
     一人、浅草寺から駐車場に向かって歩いて来る女子高生の姿が見える。
     私は真っすぐに立って彼女を見詰めていた。その意味は分かっただろう。私が待っていたのだと。
     2号車の前まで戻って来た彼女に大きく頷いて言う。
    「貴女に私の親友、映美を紹介したいの」
     彼女に3号車の前から歩み寄った映美を引き合わせた。映美には理由を言ってある。
    「これが、小学校の時の俺だよ」
     彼女は突然に男言葉で喋る映美にも驚いた様だったが、見せられた写真を覗き込んだ。
    「えっ!」
     写っていたのは長い髪のお姫様的な少女。彼女は、写真と現在の映美、ベリーショートの姿を何度も見比べている。
    「この頃、小学校六年生の時だけど、俺はさあ、苛められていたんだ」
    「……」
    「あれは嫌な経験だったな。でも俺はそれから生き方を変えたよ。髪を切って男になろうと。それだけじゃない。一生、決して人を苛めない人間になってやろうって」
     強く言い切る映美の凛とした貌に、私も見入ってしまった。
     そうなのだ。中学の時、女子校の一軍で省かれグループを抜けた私を助けたのは映美。
     女子校にはカーストと所属するグループがあったが、そんなものには関わりなく、私の前に現れたのが映美。
     それ以来、親友として生きてきた。
    「そう、人は運命を変えることができなくても、人生の意味を変えられるの」
    「意味を変える?」
     私の言葉に問い返す女子高生に、大きく肯いた。
    「うん、苦しい時にこそ、人生の意味を問われている。苦しい経験は変えることができなくても、どう生きるかでその意味は変えることができるのだって」
     それはいつも真琴お祖母ちゃんが言っていた……。

     東京駅で「はとバス」から降車する高校生たちを見送る。一人一人に声を掛けていると、あの女子高生が降りてきた。
    「またのご乗車をお待ちしております」
     言って私が微笑むと、その意味は分かったのだろう。また元気で会いましょうと伝えたかったのだ。
     彼女は肯きながら涙を湛えた目で笑った。

    初めての夜コース


    「うるさいんだよ!」
     お客様は、「もう少しお静かにお願いします」と頼んだ紫吹トレーナーに大声で怒鳴りつけた。

     このコース、「未体験ゾーン『黒鳥の湖』と『トニーローマ』」は豪快なスペアリブがメインの食事と、ニューハーフショー観劇に80分の「呑み放題」が目玉なのだが。
     私も夜のショーコースは未体験なので11月の今夜、乗客として社員割といっても研修のつもりで参加している。
     運転するのはやはりベテランの一路ドライバーだ。
     人気のコースなのでほぼ満席だったが、男性のグループやお一人様だけではなく、女性同士のグループもいる。やはりニューハーフショーのお店に女性だけで入るのは敷居が高くても、「はとバス」のツアーなら気軽に参加できるのだろう。

     あのお客様も最初は大人しかったのに。
     六十歳近くだろうか。ビジネススーツ姿なので仕事の同僚といった感じに見える男性4人のグループだったが、「呑み放題」から戻ると豹変していたのだ。
     仲間内で盛り上がっているというのではない。一人で酔っ払って、話すというよりは大声で喚わめいている。
     きっと騒いでいるお客様が一番年長なのだろう。一緒のお客様たちも止めることができずに困っている様子だった。
     大声が車内中に響き渡っているので、当然他のお客様たちも顔をしかめている。
     紫吹トレーナーはガイド席から通路を7Bに座るお客様の前まで歩いて静かにするようお願いしたのだが、怒鳴りつけられたのだ。
    「俺は客だぞ! 何を偉そうに言うんだよ!」
     ええっ! これは……、どう対応するべきなのか?
     紫吹トレーナーが絡まれた場合を想像して、最前列でたじろぎながらも身構えた私だったが……。
     彼女は罵倒するお客様に向かって顔色も変えずに微笑むと、突然他のお客様たちに向かって言ったのだ。
    「済みません! このお客様だけにお付き合いします」
     宣言する様に言うと、その場で補助席を倒して隣に座ったので、さすがに怒鳴っていたお客様も驚いたのだろう。
     気勢を削がれて急に黙ったお客様に向かって紫吹トレーナーが話し掛ける。
    「いつもは、こんなに呑むの?」
    「……」
     先ほどまでは大声を出していたお客様だったが、急に大人しくなってボソボソと話している様でその声は聞こえない。
    「どこからきたの?」
    「……」
     少し落ち着いてきたのだろうか。次第にしんみりと話し始めているのが分かる。
     私ももちろんだが、周りのお客様たちも思わず聞き耳を立てているだろう。
     暫く話が続いていたが、静かに紫吹トレーナーが呟く。
    「そう、大変だったのね」
     ううっ……、これは、銀座のママなのか……。行ったことは無いけれど、きっとそうなのだろう。
     そう思いながら気圧された時だった。
    『知らず 知らず、歩いて来た
     細く長い この道』
     静かに歌い始めた紫吹トレーナーには驚いてしまった。
     この曲は確か『川の流れの様に』だ。
    『振り返れば 遥か遠く
     故郷が見える
     でこぼこ道や
     曲がりくねった道
     地図さえない
     それもまた 人生』
     聴き入るお客様たちも、きっと人生を振り返ったのだろう。涙で咽ぶ声も聞こえる。
     歌い終わった時には殆どのお客様の目が潤んでいた。
     騒いでいたお客様はグチャグチャに泣き腫らしていたが、それでもよほど嬉しかったのか元気にリクエストしてくる。
    「子どもの頃好きだった歌。ほら、涙が出ても上を向くやつ、あれ歌ってよ!」
     リクエストを頼まれた紫吹トレーナーが私に目配せしたのはすぐに分かった。
    「はい!」
     手を挙げて私が立つと、さすがにガイドが乗客を指名するわけにもいかないので、紫吹トレーナーがお客様たちに説明した。
    「彼女は『はとバス』ガイドで、今日は研修で乗車しています」
     私はマイクを持つと、ガイド用の背もたれを出して基本姿勢を取る。
    『上を向いて歩こう
     涙がこぼれないように』
     歌い出すと、もうスイングする様に体を揺らすお客様もいる。
    『思い出す 春の日
     一人ぼっちの夜』
     曲に合わせて口笛を吹くお客様も、口ずさむ声も聞こえる。
    『幸せは 雲の上に
     幸せは 空の上に』
     もう呟いてなどいない。歌い始める人がいる。
    『悲しみは星のかげに
     悲しみは月のかげに』
     もう、全員で合唱していた。これが聞いたことがある「歌声喫茶」という状態なのか。
    『上を向いて歩こう
     涙がこぼれないように
     泣きながら 歩く
     一人ぼっちの夜』
     歌い終わって、拍手に包まれた私の目にも涙が滲んだ。

     降車するお客様に挨拶する紫吹トレーナーの少し後ろに、行きがかり上私も立って御挨拶する。
     色々とあったけれども、お客様たちはとても嬉しそうに見えるので御満足いただけたのだろう。
    「ガイドさんも大変ね」と労って下さるお客様もいたし「楽しかった!」とも言われる。
    「貴女、凄く歌が上手いわね」
     私に向かっても言われたので「ありがとうございます!」と最敬礼した。
     あの大声を出したお客様は、怒鳴ったことなど忘れた様に上機嫌で紫吹トレーナーに言う。
    「ああ良かった、最高だったよぉ!」
     本当だよ。これが銀座なら高いからね、と私は言いたかった。
     でも、紫吹トレーナーは口角を上げて笑顔を作ってから言ったのだ。
    「またのご乗車をお待ちしております!」
     同じグループのお客様たちが「済みませんでした」と頭を下げながら連れ帰るのを最敬礼で見送っている。
     全てのお客様を見送ると、一路ドライバーが私に言う。
    「紫吹ガイドはさすがだった。二百点。自分に足りないものが何か分かるか?」
     ううっ……。紫吹トレーナーは二百点、私は六十点。
     この違いは何なのか……。

    はとバス王子の秘密


    「あのさぁ、安澄さん。もちろん研修だけどさ、勉強の為に一緒に乗らないか?」
     点呼室で鉢合わせしたアイツ、何かと私に絡んで揶揄からかってくる航が言うので鼻を鳴らす。
    「はぁ! 何で私がアンタと?」
     航が言うのは、冬限定「恋するラブバス」コースに参加しようというのだ。
    「だからさぁ、カップル向けだろう、このコースは。やっぱり一人で参加してもなぁ」
    「当たり前でしょ! だったら彼女と行けばいいじゃないの。いるんでしょ、そんなお相手は。『はとバス王子』なんだから」
     でも、フッと思い出していた。この前の、霞保育園でのことを。
     志村舞衣子副園長が航を抱きしめた時には驚いたのだ。二人は、ただの卒園生と元クラス担任ではないだろうと……。

    「うわぁー! やっぱり綺麗だよ! これは乗ってみないと分からないなぁ」
     塔の先端から白、青、赤、三色の灯が12月のクリスマスバージョンに輝く東京タワーのイルミネーションを見上げながら、いつに無く航がはしゃいでいる。
     天井が無いフルオープンの二階建てバスからは、ライトアップされた冬の夜景が一望できるのだが、もちろんとても寒い。
     それを逆手に取ったコースなのだ。この「恋するラブバス」は。
     凍てつく寒空の下だからこそ、恋する二人が身を寄せ合うというコンセプトらしい。
     確かにカップルならロマンチックに手を握り合ったりもするのだろうが、コイツとじゃあ……。

     バスから見上げる東京タワーも綺麗だったが、六本木ヒルズの屋上展望台から見下ろすのもサンタクロースの尖がり帽の様でクリスマスっぽい。
     隣に立つ航はじっと目を凝らして見詰めている。
    「アンタは、何で『はとバス』ガイドになったのさ?」
    「うーん……、進学もしたかったんだけど」
     航は少し間を置いた。
    「俺の家、母子家庭でちょっと経済的に大変だったから」
     そうなのか……。知らなかった。
    「でも、妥協で就職したくはなかったんだ。それでさ、修学旅行で行った沖縄のバスガイドさんを思いだしてね。平和祈念公園の青空の下で、海とか景色だけじゃなくてさ、訴えかけるっていうのかな。凄く印象的だった。話すというより伝えるという感じで。凄い仕事だなと思ったよ」
     もしかすると、初めてかも知れない。航のこんな話を聞くのは。
     いつもは「はとバス」王子と呼ばれて、華々しく振舞っている姿しか見ていなかった。
    「そしたら、求人票が男女共だったから『はとバス』は。驚いたけど、すぐ申し込んだ」
     でも、もう一つ聞きたかったのだ。どうしても気にかかっていたから。
    「この前不思議だったけれど、霞保育園の志村舞衣子副園長って、アンタの何なの?」
     航は私を見ずに、真っすぐに東京タワーのほうに顔を向けている。
    「言ったと思うけど、五歳の時のクラス担任だった……」
     それは知っているよ。
    「……実は俺のお袋、その時DVで親父から逃げていてさ」
     ええっ、それは初めて聞く。
    「親父が、俺を見つけて霞保育園に乗り込んで来ちゃったんだよ。息子を渡せって」
    「えっ! それで……、それで、どうなったの?」
    「うん、舞衣子先生と園長先生が親父に、命に懸けても俺を絶対に渡さない、って断ってさ。お袋と一緒に逃がしてくれて」
     航の目からは涙が滲みだしている。
    「俺とお袋をシェルターに送り届けてから、舞衣子先生が別れ際に言ったんだ。ムギューとしながら。今でも覚えているよ。『霞保育園で待っている』って……」
     もう、航の目に溢れた涙は頬を伝わっていた。
     私の目に映る東京タワーも滲んで揺れている……。

    謎の乗客


     あれは、リムジンというのだろうか。
     年が明けた一月の澄み切った空の下、13時50分。私が二階建てオープンバスの前でお客様の御乗車を案内していると、東京駅丸の内南口「はとバス」発着所の少し先に停まったのは黒色の長い車だった。
     助手席の扉が開くと黒服の大きな男性が降りてきて後部座席の扉を開けた。
     そこから降りたのもやはり黒服の大男、二人が扉を背にして立つと周囲を見回している。
     ゆっくりと最後に後部座席から降り立ったのはグレーのスーツ姿の男性だった。
     ソフト帽を深く被り濃いサングラスを掛けているので歳の頃は分かりにくいが、白い髭を蓄えた口元を見るとかなり高齢に見える。
     巻かずに首に掛けた真っ白な長マフラーを靡なびかせていた。
     どう見ても観光客には見えなかったし、あんなに大きな自分の車があるのなら「はとバス」に乗り換えて東京見物はしないだろう。
     でも、ソフト帽の男性と黒服の大男二人が真っすぐこちらに向かって歩いて来る。
     えっ……。
     まさか……、私のツアーのお客様なのか?
     なんと、そのまま私の前に歩み寄った黒服の大きな男性に、思わず訝いぶかし気に尋ねてしまった。
    「あのぉ、こちらは『TOKYOパノラマドライブ』コースの御案内ですが、よろしかったですか?」
    「ああ、そうだ」
     驚きながらも、動揺を隠してお客様のお名前を確認すると、またしても……。
    「あのぉ、お客様、六人様でお申し込みですよね」
    「ああ、だが乗るのは三人でいい。金は六人分払ってあるから」
     少し憮然としたお客様に座席番号を御案内する。
    「では3Aから4Bまでのお席になります」
     御乗車になる時、黒服の大きな男性二人に挟まれたグレースーツのお客様は、立ち止まりソフト帽を取ると私に向き直った。
     ソフト帽の下は短く刈り上げた白髪で、サングラスは外さない。
     それでもサングラスの下から、まじまじと私を見詰めているのが分かる。
     七十歳位だろうか。いや精悍に見えているが本当はもっと歳上なのかもしれない。
     暫く凝視されていたが、フッと息を吐くとようやく私から目線を外して御乗車していく。
     何だろうと思いつつも、予約されていたお客様は全員が御乗車したので私もステップを上がって車内に乗り込んだ時だった。
     東京営業所から職員がこちらに駆けて来るのが見える。その後ろから駆けて来るのもやはり黒いスーツ姿の男性二人だった。
    「安澄さん!」
     手招きをしている。ということはバスから降りて来いという意味か。
     車外に呼び出された私に東京営業所職員が言ったことにまた驚く。
    「警視庁から要請で緊急に二名乗車するから。一番後ろの席に案内して」
    「ええっ! 一体何ですか」
     職員は私の質問には答えずに続ける。
    「いいかい、素知らぬ顔でね。警察だとは分からない様に、普通のお客様と同じに」
     私は頷くと、すぐに座席を御案内した。
    「お客様、11BとCにお願い致します」
     私の前を通る二人が耳に掛けたイヤホンが普通と違うことには気が付いた。コードが有線ではなく細い透明のチューブになっている。音楽用では無い。これは、見る人が見れば警察だと分かってしまうだろう……。

    「お客様、お揃いです」
     本当は予定通りではないのだが、そう言うしかない。この車両は二階建てオープンバスなので、インターフォンで一階のドライバーに連絡した。
     いつも通りに発車の御挨拶と自己紹介をしながら見渡すと、3Bに座るグレースーツのお客様を守る様に、3Cと4Bに黒服の大きな男性が腰掛けているし、それを見張る様に最後尾の11BとCに警察官が乗車している。
     車内で何が起きているのだ、これは!
     このコースは、東京定期観光では最も短時間で下車観光は無い。
     全て車窓から日比谷公園に国会議事堂、虎ノ門ヒルズから東京タワー、レインボーブリッジを渡ると、お台場から勝鬨橋を渡り歌舞伎座と銀座を御案内する約一時間のコースだ。
     ツアーが始まると、お客様たちは私の御案内を聞きながら晴れ渡った空の下で車窓から移り行く景色を眺めている。
     だが、グレースーツのお客様は、オープンバスなので風に飛ばされないようソフト帽は被っていないがサングラスは外さずに、その下からの視線は真っすぐ私に向けていた。
     通り過ぎる車窓の景色には全く眼もくれずに私のことだけを見詰めている。
     それを守る様に乗車している二人の黒服の男性も、景色には気も留めず周りに注意を払っているのが分かる。
     さらに、じっと見張っている最後尾の警察官が二人。
     一体、何をしに乗車しているのか、このお客様たちは。
     そもそも、警察が尾行するような人が何故私のコースに……。

     意味が分からないままだったが、いよいよ到着予定の東京駅に近付いたので、最後に私が定番の『東京のバスガール』を歌った時だった。
     ずっと私を見詰めていたグレースーツのお客様が、初めて視線を逸らしたが、サングラスの下から涙が頬に伝わっているのが見えた。

     東京駅丸の内南口「はとバス」発着所で、降車するお客様たちに御挨拶をしていると、あのお客様も降車して来たので会釈して頭を下げる。
    「またのご乗車をお待ちしております」
     お客様は何も言わずに頷くと、両手を差し出して私の手を包んだが。
     えっ、これは一体……。
     その手首に赤と紺色の紋様が、入れ墨が彫られていることに気付いたのだ。

    忍び寄る危機


    「いらっしゃいませ!」
     御乗車の案内をしようと挨拶したが、そのお客様は何も言わずに私を見詰めた。
     濃いサングラスの下にマスクを着けているので顔は分からないが、見える部分の肌は綺麗に色白だった。
     背が高いが、艶やかな長い髪を束ねている。男性なのだろうか、女性だろうか。
     黒いロングコートはどちらにも見えたが、パンツの裾の広がりと尖った靴先は、やはり女性なのかも知れない。
     お名前を伺っても、声を出さずにスマホの予約画面を見せたので座席を御案内する。
    「お客様、3Aにお願い致します」

     18時50分に東京駅丸の内南口を出発すると、いつも通りの御挨拶と自己紹介、乗車中の注意事項などのお願いをして、車窓からの夜景を御案内していく。
     この「夜景の二大ブリッジドライブ」コースは下車観光が無く、築地から汐留、レインボーブリッジを渡りお台場へ。その先の東京ゲートブリッジも渡ると豊洲から勝鬨橋を経て、歌舞伎座、銀座を御案内して東京駅に戻る。
     もちろん、お客様たちは灯りが煌めく夜景を御覧になるのが楽しみのはずだが、あのお客様は車窓に視線が行ってはいない。
     顔は正面に向けているが、サングラスの下からの目線が私に注いでいることは分かる。
     何故だろう、このお客様は……。前にもそういうお客様がいたけれども。

     御案内の間、ずっと私を見続けていたお客様だったが、到着前に定番の『東京のバスガール』を歌った時だった。
     私に注いでいた目線を逸らすと、俯うつむいて聴き入っている。きっとサングラスの下の目は瞑っているのだろう。これは……。

    「またのご乗車をお待ちしております」
     東京駅丸の内南口で降車するお客様たちに御挨拶をしていると、あのお客様が私の前で立ち止まった。
     最後までサングラスとマスクは外さなかったが、初めて声を発したのだ。
    「歌が上手い」
    「ありがとうございます!」
     お礼を言った私にではなく、独り言のように呟いた。
    「歌手になれる」
     えっ!
     驚く私に構わず踵を返すと足早に立ち去るお客様の後姿を見詰めながら思っていた。
     この声には、聞き覚えがある……。

     ガイド寮食堂のテーブルで、私が広げたのは「鳥竜田揚げ弁当」、映美は「釜揚げシラス御飯」だ。もちろん、母が漬けた梅干しを瓶から一粒ずつ取って添える。
     今日も梅干しの酸味が疲れた体に心地良い癒しに感じる。
    「不思議だったなぁ、あのお客様は。最後、歌手になれるって。もしかして、スカウトされるかも」
    「はははっ。涼、お前はさあ、確かに歌が上手い。だから色々と難しくしているけどな」
    「歌か……、思い出すなぁ。あの学園祭の『花組』、あれは確かに受けたよね」
     歌と言えば、「歌声喫茶」状態になった夜のショーコース。あの時の紫吹トレーナーは凄かった。
     あんな風になりたいけれど、とても無理だろう。でも、私にできることは何なのだろう……。何かないのか。
    「そうだ! あれをやればいい、ほらOGガイドと歌いまくるコース」
    「ああ、『あの歌この歌東京ドライブ』だっけ」
     下車観光せずに、懐かしの曲を引退した往年の「はとバス」ガイドとお客様が歌い続けるという、まさに走る「歌声喫茶」コースは大人気だったのだ。
    「あれを私たちがやろうよ! ツアーの名前は……、そうだ! 『ロックンロール・ナイト』!」
    「フッ、久しぶりだな。じゃあ、練習するか」

     新しいコースの企画を提案しようということになって、翌日の夜には映美とカラオケボックスに行って練習を開始した。
     曲はもちろん『ザ・ブルーハーツ』
     ジャーン、ジャーン、ジャーン。
     ゆっくりと伴奏のエレキギターが流れると、私は静かに歌い出す。
    『どぶねずみ、みたいに
     美しく、なりたい』
     ううっ……、懐かしい!
     スローテンポで静かなイントロに、学園祭では大勢の子が静まりかえって耳を傾けていたよね。
    『写真には、写らない
     美しさが、あるから』
     ダダダダダダッ!
     ドラムが入ると、私は叫ぶ!
    『リンダ、リンダ!
     リンダ、リンダ、リンダ!』
     あの時は途端に講堂中から歓声が沸いて誰もが飛び撥ねていたし、ベースギターの映美にも黄色い悲鳴が飛んでいた。
     久々に映美と歌いまくると、自分でも分かった。やっぱりこれが好きなんだ。私は歌が。

     2月3日夕刻、寮のテレビからはアナウンサーが読み上げるニュースが流れていた。
    「クルーズ船『ダイヤモンド・プリンセス号』が横浜港に寄港しましたが、政府から乗員乗客の下船許可が下りずに、船内で検疫官による全員の健康診断、有症状者と濃厚接触者の新型コロナウイルス検査が実施されることになりました。なお……」

    第三章 コロナ禍


    コロナ禍 涼


    「ああ……、こんなはずじゃなかった」
     ガイド寮の食堂で一人広げたのは「チキン南蛮弁当」だ。もちろん母が漬けた梅干しは一粒添えたが、映美はいない。
     寮内の生活でも会食を避けることになっているので、食事は一人で「個食」というやつだ。
     映美と食べながら愚痴るのが唯一の癒しの時間だったのに。
     映美とは相部屋のままだが、食事や入浴など生活の時間をずらしている。
     3月に入寮した令和二年度新規採用のガイドたちとは、歓迎会もできなかったので、すれ違うことはあっても未だ顔もよく分からない。寮内でも個室以外ではマスクを外せないし。
     この状況は私も辛いが、彼女たち新規採用者はもっと苦しいのだろう。「はとバス」ガイドとして採用されたはずなのに、いきなり最初の研修も途中で中止になって、当然初乗車も無い。今、自分が何者なのかと自問していると思う。

     2月に東アジアを巡っていたクルーズ客船「ダイヤモンド・プリンセス号」から香港で下船した乗客が感染していたことが確認されると、横浜港に入っても乗客乗員は船内で検疫を受け、六百人以上が集団感染したというニュースは衝撃的だった。
     世界各地で感染が拡大し、3月11日にWTOが「パンデミック」を宣言すると、都市の封鎖や外出禁止などの厳しい制限がされていることが連日のニュースとなっている。
     国内の感染者数は増え続け、クルーズ船を除いても千人を超えた3月末、今年開催予定だった2020オリンピック・パラリンピック東京大会の一年延期が発表された直後だった。
     東京都知事が「ロックダウン」という強い言葉を発したので、人々は食料品を買いに走りスーパーマーケットのレジには長い行列が続いたのだ。
     そして今、4月7日に東京など七都県に発せられた「緊急事態宣言」が16日には全国に拡大され、「はとバス」などの観光業は完全にストップしている。
     私たちだけではない。母の様な飲食店もそうだが、企業に勤める会社員でさえも多くが出社を制限されている。

     でも、これは一体いつまで続くのだろう。
     4月生まれの私は、今月二十歳を迎えるし、映美の誕生日は来月だ。派手にお祝いしたかったが、寮ではできないし、お店も閉まっているのだから無理だろう。
     それにもう、そんなことどころでは無いのかも知れない。
     テレビのニュースでは「世界的な感染は二年から三年続く」と解説されているのを聞いて、「まさか!」と思わず呻うめいてしまった。
     それでは、もう観光はできないのか。バスガイドという仕事自体が無くなってしまうのではないだろうか。
     私たちの仕事は「不要不急」なのか?
     渦の様に様々な思いが私の中を廻っている。
     母が漬けた梅干しを口に入れると酸味の中にうちの庭の香りがした。

    映美


     涼と入れ違いに、ガイド寮のテーブルの一つで広げたのは「あさりごはん弁当」だ。
     涼の実家で漬けた梅干しの瓶から一粒を取って添える。涼は、二人で会食できなくなってからは、梅干しを二つの瓶に入れ替えて、一つを俺にくれた。
     こうやって一人で食べるようになると、涼と一緒に話しながらの食事がどれだけ楽しかったのか分かる。
     俺はいつも魚系をメインにしていたが、涼は肉系だった。何も気にしていないのだ、体型とかを。まあ、それがいいところなのだが。
     食事だけではない。涼と同じ空気を吸って生きていることが嬉しかったのだ。

     涼と出会う前だった。
     何故あんなことになったのだろうと今でも思う。
     でも、考えてもしようが無い。むしろ良かったのだと考えることにしている。あれで俺は生き方を変えたのだから。
     小学校六年生の秋だった。最初は意味が分からなかったのだ。あまりにも唐突に始まった苛めの。
     秋の演劇祭の直後からだったが、何故俺を。一緒に演じたあの子が。
     あの子の方がヒロインで主役だったのに。俺は悪女役だったのだ。
     俺も迫真の演技をしたとは思う。劇のラストでは、俺が演じた悪女が主人公のヒロインに敗れて「何故なの!」と叫びながら幕が下りる。
     その時の父母や生徒たちの拍手は凄かった。だが、それが気に喰わなかったのか。
     多分あの子が付けたのだろうが、突然に女子達の間で聞こえよがしに言われるようになったのが「目立ちたがり屋」という私の渾名あだなだった。
     何か自分に落ち度があるのなら直しようもあるだろうが、そういう性格や人格に対する批判は反論も否定もしようが無い。
     どうしようもないので無視をするしかなかったのだが、向こうは省はぶくだけでは気が済まなかったようで次第に嫌がらせがエスカレートしていった。
     体育や図工などで教室から出ると、戻った時には机の上にごみが散らかっている。ごみの量や汚さも日に日に増していく。
     だが、体操着が隠された時にはさすがに先生も気付いたのだ。苛めを扇動していた女子と俺を、放課後に残して「和解」をさせようと説得したのだが。
     その場では首を縦に振った子は、もちろんそんなことで苛めを止めるどころか、ますます激しさを増していった。先生に言われたことに対する怒りが俺に向いたのか。
     もう、やるしかないだろう……。
     その夜、自分の部屋で机の上に鏡を置いて、暫くじっと眺めていた。今日まで付き合ってきた自分の貌を……。
     右手に裁たち鋏ばさみを取ると、鏡に向かって肯く。

    「きゃー!」
    「ひどい!」
     女子達の悲鳴が教室に沸いた。男子たちは唖然としている。
     生徒たちが揃ったのを見極めてから最後に教室に入った俺は、自分の席にごみが載っているのを横目に、真っすぐにその女子の席に向かうと、頭の上から紙袋を逆さまにしてぶちまけたのだ。
     ブワっと降り注いだのは、俺の髪の毛だった。
     頭の先から机とその周りにまで髪の毛だらけになった女子は唐突なでき事に呆然としている。
    「俺は、今日から男になる。もうお前なんか関係ない!」
     固まっている女子に向かってもう一度言う。
    「それでも勝負したいなら、いつでも来い! 相手になってやる」
     黙りこくった女子の目から涙が溢れ出して、やがて咽びだすと声を上げて泣き始めた。
     教室の入口で先生が立ち竦んでいる。

     結局は皆、付和雷同ふわらいどうしていただけなのだろうが、あの時から力関係が逆転したのを感じると、今度は急にあの女子が省かれだしたのだ。
     自分でも焦ったのだろう。何かと人の気を惹こうと大袈裟に振舞ったが、それが空回りしていた。
     それだけなら、もう俺の知ったことでは無かったが、次第にまた苛めの様子が垣間見えてきたのだ。
     六時間目の授業が終了した時、すぐに席を立った俺があの女子の前に立つと、クラス中が固唾を呑んでいた。
     何か復讐でもするのかと思ったのだろう。
    「帰ろう」
     そう言った俺を、その子は暫く凝視していたが、目に涙を浮かべながら肯くと席を立った。
     俺が自分の髪を切ったのは、男になって女子の苛めの圏外に出る為ではない。俺は、生き方を変えようと思ったのだ。
     俺は一生、もう人のことを苛めるようなことはしない。苛めを見ない振りをして自分だけ逃げることをしないと。

     俺が入学した中高一貫の女子校は、クラシカルな石造りの校舎もそうだが、紺色の地で丈の長いセーラー服も今時はかえって目立つ。
     どこの女子校にもカーストはあるのだろうし、グループで群れるのも同じなのだろう。だが、この学校の一軍は、やはりお嬢様校らしくセレブ感のある子が多い。
     どちらにせよ俺には関係ないし、小学校時代の苛めに懲り懲りしていたので、最初から一人で生きる。三人寄れば必ず難しくなるのだから、群れようとも思わなかった。
     それに、あの女子校では男言葉で喋るベリーショートヘアーの俺は当然浮いていたし、グループに誘う子は誰もいない。
     だが、違うクラスだったのに一目で分かったのだ。涼を見た瞬間から。
     それは、俺だけでは無かった。
     涼をグループに誘ったのは、あのクラスで一軍のトップと目されていた女子だったらしい。
     きっと悪気では無かっただろう。俺と同じ気持ち、涼と一緒に居たかっただけだと思う。
     それが気に喰わなかったらしい。他の一軍のメンバーからは。
     涼を中傷するSNSが拡散すると、それは違うクラスの俺にも届き始めた。
    「家が料理屋」というくらいは別に悪口でもないだろうが、次第に「水商売」とか「元は花街」と流布されてきた。
     所詮は中学一年生の知識で、どれだけ理解しているのかも分からないが、「やっぱり、それでね」「お顔で稼いできたのか」とイメージで中傷しているつもりなのだろう。

    「おい、何か食べてから帰ろうぜ」
     俺が涼を誘ったのは、校舎を出ると商店街に向かう坂道を下る途中だった。
     地下鉄駅は坂道を上った繁華街にあるので、この坂を下る子はあまりいない。
     いつも一人で歩いている涼に後ろから声を掛けると、俺の男言葉に驚いたらしい。
     俺を見詰めてから、少し嬉しそうに「うん!」と言って肯いた微笑みに射抜かれてしまった。
     商店街に入ってから、浪花屋のたい焼きを買って頬張りながら歩いた。石畳が敷かれた広場の階段に腰掛けて色々な話をしていると、涼はよく笑った。
     俺とは気兼ねなく喋れると感じたのだろうし、それにきっと女子校のカーストに渦巻く人間関係には嫌気がさしていたからだとも思う。
    「お前はさあ、女子とつるむのは向いていないんだよ」
    「えっ、それって自分は男子のつもりなの」
    「はははっ!」
     俺は笑ったけれど、俺の台詞の意味は涼に分かっただろうか。だが、俺の気持ちまでは分からなかったろう。
     分からなくてもいい。嬉しそうに笑う涼の貌を見ていられるなら。

     それから中学高校を通じて、クラスが違う時でもクラブ活動の軽音楽部で、それに下校後も涼とはいつも一緒だった。
     休日に渋谷へ行けば、ジーパンにジャケットやパーカーを羽織って帽子を被る俺に、ミニスカートの涼は男女のカップルに見えていただろう。
     カラオケボックスが二人の聖地だ。涼はただ歌が上手いとか、そういうことではなかった。
     最近流行の曲や今時の乗りだけでもない。往年の懐メロから演歌まで古今東西の名曲を歌い上げると、物語が蘇よみがえるとでも言うのだろうか。人の心を打たずにはいないのだ。
     俺たちが特に気に入ったのが往年のロックバンド『ザ・ブルーハーツ』
     学園祭で、男装バンド「花組」は、涼のボーカルに乗せて俺がベースでリズムを刻むと、下級生たちが悲鳴を上げて熱狂的な声援の渦を巻き起こした。
     あの頃の涼は、本気で歌手デビューも考えていたと思う。
     確かに涼の歌は、人を惹き付けずにはいられない何かを持っている。だが、それこそが危ないと思われたのだろう、あの人からは……。

     涼の家で母親の祐希に会った時のことは忘れない。驚いたのだ。涼のことを見れば想像はしていたのだが、思っていた以上だったのだから。
     この人は何故、女優だとか歌手とかにならなかったのだろうかと、不思議に感じる人だった。
     きっと何か訳があるし、それこそが、涼が芸能界に入るのを猛反対した理由なのだろう。
     だが、直感的に俺にも分かった。恐らく涼の母親が感じていることと、俺も思うことは同じなのだ。
     涼は危ない。その危険を涼の母親、祐希は知っているから守りたいのだろう。
     言葉ではなく、暗黙に涼の母親、祐希と俺は同盟関係を結んでいた。涼を守ろうと。
     確かに渋谷の街に行っても、俺がいなければ、涼一人だったなら、すぐにスカウトという連中が追いかけてくると思う。
     俺は涼を守るし、庇い続ける。

     だが、女子学生の時代とは違った。
    「はとバス」ガイドになってからは、仕事では基本的に一人で乗務するし、それを助けることはできない。
     それでも情報交換も、コンビニ弁当を食べながら愚痴を言い合うだけでも支え合うことはできたし、涼と一緒に暮らしながら生きていることは嬉しかった。
     俺はそれだけでよかったのに。
     コロナは壊してしまった。
     俺と涼の「はとバス」という仕事だけではない。観光業も、飲食行も、様々な仕事や人々の暮らしも……。
     涼の母親が漬けた梅干しを一口齧かじると、あの庭の香りがする。涼の実家で見た梅の木、それを愛めでてきたのだろうあの家の人たちの……。

    ćśź


     赤色灯を点滅しながらサイレンを響かせて一の橋交差点に向かって通りを走って行く救急車の車体には「川崎市消防局」と描かれていた。
     向かっているのは、この先の済生会中央病院だろう。川崎では新型コロナ患者の受け入れ先が見つからずに、都県境を越えて港区に来ているということなのか。
     医療従事者はどれだけ大変な仕事をしているのか想像を絶する。
     医療や介護もそうだが、物流や交通、清掃などの現場で働くエッセンシャルワーカーが社会を支えているのだと改めて思う。

     今日、久々に麻布十番にやって来たのは、母のお店に寄って自家製の梅干しを分けて貰うためだった。
     でも、お店に入ると母に言われたのだ。
    「お昼未だならお弁当、映美ちゃんと二人分持っていきなさいよ」
    「いいよ、買うって。お母さんだって大変でしょ」
     母も夜の営業は商売にならないので、お弁当の販売に力を入れている。私だって母が苦労しているのは分かっているから二人分買って帰ってきた。 
     それに、今日のメインは銀鱈ぎんだらの西京焼き。これは美味しいのだ。魚好きの映美も喜ぶだろう。
     母のお店だけではない。この一年以上、飲食業は空前の危機だった。
     繰り返す緊急事態宣言や蔓延防止重点措置、相次ぐ営業や酒類販売の自粛要請は、補償があったとしても経営だけではなく心も折れたと思う。
     この商店街でも何軒かのお店がもう看板を下ろしている。
     コロナの直撃を受けた観光業にも支援事業「GOTOトラベル」が令和2年7月に始まったが、その後の感染拡大と共に見直し、停止と紆余曲折うよきょくせつが続いた。
     令和3年になって4月25日からは東京など4都府県に三度目の「緊急事態宣言」が発せられているが、これはいつ終わるのだろう。
     解除されたとしても、また感染が拡大すればこの状態が繰り返されるのだろうか。
     昨年のニュース解説で「世界的な感染は二年から三年続く」と聞いたが、本当に二年目に入っても終わりが見えていない。
     もしかしたら、この先も本当に三年以上続くのか。
     このコロナの禍は世の中の弱い部分を衝いたのだろう。感染という意味では高齢者や体の弱い人を、社会への影響では飲食業や観光業など、それに不安定な働き方をしていた人々の暮らしを直撃したのだから。
     もちろん私にも不安はあった。いや、私だけではないだろう。この仕事は、これからも続くのかと……。

    「あらぁ! 涼ちゃんじゃなぁい! お久しぶりねぇ!」
     考えながら麻布十番駅に向かう舗道を歩いていると、突然に後ろから声を掛けられたが、その声はもしや。
    「元気だったぁ? 一年振りかしらぁ、もっとよねぇ!」
    「えっ! 瀬那さん、どうしてここに?」
     振り向くと、やはり声の主はそのお姉キャラに似合わぬマッチョな身体を紺のスーツで包んだ瀬那通訳案内士だった。
    「そこの日向坂ひうがざか、最近は『ひなた坂』って言うのかしら。坂を上った大使館に行ってきたのよぉ」
    「オーストラリア大使館ですよね。お仕事ですか?」
    「そうなのよぉ。最近は少しずつだけどねぇ。通訳のお仕事も戻ってきたとこかしらぁ。観光のほうは未だ全然だけど」
     通訳案内士は、通訳としても優秀だと保証付きなのでそういう仕事もあるのだろう。でも、確かに今は外国人向けの観光案内は無いだろうし。
    「本当ですよね、観光は。『はとバス』も全コース中止でしたから」
    「でもねぇ。涼ちゃん、アンタも感謝しなくちゃ駄目よぉ。『はとバス』の社員ってことはねぇ、随分と恵まれているのだってこと。アタシたちフリーランスはねぇ、お仕事が無ければお金も入らないしさぁ。もう、大変だったんだからぁ」
    「そうですよねえ。私も恵まれているのは分かっているんですけれど。でも、それはそれで心苦しいというか」
    「でさぁ、涼ちゃんこそ、何でここにいるよぉ?」
    「実は私、この近くに実家があるのです」
    「ああ、だからオーストラリア大使館も知っていたってこと?」
    「はい、丘の上にオーストラリア大使館があったので、戦争中に丘の下には爆弾が落とされなかったって、お祖母ちゃんはよく言っていました」
    「そうかぁ。結構レトロな街並みが残ったのは、そういう訳だったのねぇ」
     地下鉄麻布十番駅の入口まで歩くと、瀬那通訳案内士はこのまま六本木ヒルズに向かうという。
    「ところでさぁ、王子は元気かしら?」
    「夏樹航ですか。いえそれが、暫く会っていません。ガイド寮は女子だけで、男子は別ですから」
    「あら、そうなのぉ」
     口角を上げて笑みを浮かべた瀬那通訳案内士が元気に手を振った。
    「涼ちゃん。待っているわよぉ、またアンタと乗るのを!」
    「はい。再開したら、またよろしくお願いします」
    「楽しみにしているわぁ! アンタとはねぇ、最初からピンときたもん」
    「えっ、何のことですか?」
    「ふふふっ……」
     何なのだ。この瀬那通訳案内士の含み笑いは。

    映美


     ガイド寮の食堂に並ぶテーブルで、涼が母親のお店から持ち帰った弁当を開けると大ぶりの銀鱈西京焼きが載っている。
     添えられているのは自家製のぬか漬けだろう。前にも食べたことがあるが、これがまたいい味なのだ。
     涼が、今日貰って来た新しい梅干しの瓶から、一粒ずつを二人の弁当に添えた。最初にこれを頂く。
     うっ、旨い……。酸味の加減がいい。これを塩梅あんばいがいいというのだろう。涼の家で庭に伸びる梅の木を思い出す。
     涼の母親、祐希の貌が浮かぶような味付けの弁当だった。

     二人とも黙って食べ終わると、またマスクを着けた。
    「ああ旨かった! さすがだな、祐希さんの手作り弁当は。元気だったかい?」
    「うん。大変だとは思うけど、何とか頑張っているみたい。だけど十番も結構閉めているお店が多かった」
    「そうかあ、俺も十番は暫く行っていないしなあ。成人式は無かったけれど、二十歳になったのだから、本当は飲み歩きたかったよ」
    「映美と飲み歩いたら、またカップルだと思われたかもね」
    「はははっ!」
     ふふふっ、と笑った涼と一緒に俺も笑う。そうだよ……本当に、と。
    「そう言えばさ、今日バッタリと瀬那通訳案内士に会ったよ」
    「えっ、あのお姉キャラのマッチョか?」
    「うん、仕事でオーストラリア大使館に来たって。仕事って通訳のほう。観光案内はさすがに全然無いみたいだけど」
    「あの瀬那って通訳案内士さ、最初にお前のコースに乗った時から航と張り合っていたよな」
    「そうだったよね、浅草寺駐車場だっけ。でも、何で張り合うのかな。仕事も違うのに。相性が悪い?」
    「多分、初対面で最初に分かったのだろう。お互いにさ」
    「え、お互いに分かったって、何を?」
     教えてやりたいよ……。いい加減に気付けよってさ。

    ćśź


     ガイド寮食堂のテーブルに広げたのは、私が「塩豚カルビ弁当」、映美は「炙り焼さば海苔弁当」だ。
     もちろん、私は母の漬けた梅干しを瓶から一粒ずつ取って添える。
     黙って食べながら考えていることは二人とも同じだろう。
    「みんな頑張っているなあ……。でも、私は……」
     思わず呟いていた。

     昨年から、仕事が無くなってしまった私の休業状態は令和三年になっても続いている。
     早く一人前の「はとバス」ガイドになりたいと思っていたのに、仕事が無くなってしまったことは苦しい。
     入社早々に研修も中止となった令和二年度の新規採用者たちも、この一年間はオンラインでトレーナーと連絡を取り合ったりして、自分達でもモチベーションを保とうと努力をしていた様だったが、今年3月には研修が再開された。
     ようやくと「はとバス」ガイドであるという実感を持てたろうか。
     世間では一年半以上も繰り返したコロナの感染拡大とその対応で、多くの人々が暮らしを脅かされている。
     その中では、私たち「はとバス」ガイドも苦しかったといっても、仕事が無くてもお給料を貰えたことがありがたいということは分かっていた。
     でも、このまま続いたなら、本当にこれからも大丈夫なのか……。それは、私たちの仕事も……。それに「はとバス」社自体も。
     会社は、社名の通り「はとバス」が看板事業だと思うが、実はホテルや路線バス事業など多角経営で運営されている。
     今、「はとバス」の運行が止まっていても、その他の部門で働いている社員たちがいるので会社も成り立っているのだろうけれど。

     昨年9月、映美と部屋で見たニュース『今しかできない! バスでつくる巨大迷路体験』の映像は凄かった。
     誰が考えたのか。60台もの「はとバス」車両で駐車場に巨大な迷路を創るなんて。
     発想だけではない。正確に運転する技術が欠かせないし、ニュースでは、あの一路ドライバーがバスを正確に運転しながら、巨大迷路を創る様子が流れていた。
    「ああ、格好良かった。あれって相当な技術がいるよね」
    「そうだよな、一路ドライバーは駐車場でバックする時も10センチもズレない。本当にピタリと止めるからな」
    「さすがだなぁ。それなのに、私には……、やることが無い。何かないかな」
     その時には興奮して映美と言い合ったが、頑張っている他の社員たちを見ると、それに比べて自分は何をやっているのかと益々落ち込んでしまったのだ。

     その後も、この4月から始まったワクチン接種は、5月末から自衛隊が大手町で大規模接種センターを開設したが、東京駅と会場間の利用者輸送を「はとバス」が受託したので、ドライバーはその仕事に従事している。
     先月、一年遅れで開催された2020オリンピック・パラリンピック東京大会は無観客だったが、選手や関係者の輸送を「はとバス」も受託したので、ドライバーたちはかなり忙しかったらしい。
     ドライバーだけではない。7月からは本社の事務職員も15名がアパレルに出向しているのだ。
     そのお陰で、私たちも給料を貰えているだけでも恵まれていることは分かっている。
     でも、仕事が無いのはやはり辛い。
     ヴヴヴッ!
     その時、私と映美のスマホが同時に震えた。
     見ると会社からの業務連絡メールだ。文面を読んで映美と顔を見合わせてしまった。『明日、午後3時にガイド寮食堂に集合して下さい』という……。

    アパレル出向 涼


    「いらっしゃいませ!」
     店頭に展示した洋服を手にして眺めるお客様に向かって、マスクの下で口角を上げて声を掛けた。
     身体は自然に第二の基本姿勢をとっている。この体勢はもう身に付いているのだから。
     ああっ……。折角にこやかにお声掛けしても、目が合うとお客様は踵を返して立ち去ってしまった。
     ショッピングセンターの通路を行き交うお客様を眺めながら、思い悩んでしまう。
     どうしてだろう。マスク越しにとはいっても、最高の笑顔にのせて御挨拶しているのに。伝わらないのだろうか、それとも何かが足りないのか。
     私ならできると思っていた。あの9月の日には……。

     あの日、会社からの連絡でガイド寮食堂に集合した私たちに伝えられたのは、この11月から来年の令和4年3月まで「ストライプインターナショナル」というアパレル会社に出向するということだった。
     この会社には既に本社から15人の事務職員が出向している。幾つものファッションブランドを手掛けている会社だが、私たちはその店舗に配属されて接客するという。
     出向であり「はとバス」社に戻ることが前提で、この経験をバスガイドの仕事に活かして欲しいという説明を受けた。
     確かに、観光の仕事が無い中で、私たちの出向を受け入れてくれるこの会社には感謝しなければならないのだろう。
     それに、私ならできると思ったのだ。未だ乗車もしていない新規採用者たちには、想定外な仕事への出向に動揺もあっただろうと思うが。
     でも、私は違う。「はとバス」ガイドの看板を背負って意地を見せると決意した。
     仕事が無い期間、悶々としてきた自分の気持ちに決着をつけるには、出向であっても、どんな新しい仕事でも、働くしかないと思ったのだ。
     全員への説明が終わってから、一人一人の面談で意思確認が行われると、私は二つ返事で「行きます!」と言ったのに。

    「こんなはずじゃなかった……」
     思わず声に出していた。
     ガイド寮の食堂で、テーブルに広げたのは私が「鳥そぼろ弁当」、映美は「真あじ一夜干し御飯」、もちろん母が漬けた梅干しは一粒ずつ取って添える。
     何がいけないのか分からない。確かに私はファッションには疎うとかった。と言うよりも、興味が無かったのかも知れない。
     高校生までは、クラシカルなセーラー服の日常以外、休日には映美のチノパンにジャケットやパーカーを羽織る男装とは真逆に、ミニスカートで過ごしていた。
    「はとバス」ガイドになってからも仕事は当然制服なので、本社までの往き帰りや休日も新しいファッションなどを気にすることも無かったから。
     でも、今の仕事に出向してからは勉強した。配属された横浜駅直結の巨大ショッピングモールに入る店舗で取り扱うブランドの衣服も、それぞれの特徴まで暗記したし、入荷や在庫の状況にも気を配って、いつでもお客様にお勧めできるように頑張っている。
     そういう勉強も準備も今では得意なのだ。私は「はとバス」ガイドなのだから。
     それなのに結果が出ない……。一体、どうしてなのか。

    映美


     涼と二人で遅い夕食をコンビニ弁当井で済ますと、最後に祐希さんが漬けた梅干しを頂く。
     ああ、やっぱり。いつもながら、あの庭の香りがする。
     涼は声を出して溜息を吐くと、愚痴を言ったがそれも分かる。
     誰もが初めての出向で、それも一人ずつ別の店舗で接客の仕事に就いているのだから苦労しているのは。だが、涼の場合はそれだけでは無いだろう。
     俺の配属は新宿の店舗だし、横浜の店舗の様子は分からないが想像はつく。きっと涼は張り切って店舗に立っていると思うが、それがかえって良くない。
     涼は、自分のことを分かっていない。だからいつも難しくなる。
     だけども、あの会社とブランドには何かがある。洋服を売るだけじゃない。
     きっと涼を受け入れて、特別な力が活きる場所がある。それは俺自身が感じているのだ。
    「俺さあ、今の店舗の往き帰りだけじゃなくて、接客中もこれだぜ」
    「えっ! そうなの」
     俺がチノパンにパーカー姿のままだと言うと、涼は驚く。
    「私なんか、販売しているブランドで完全武装しているよ」
    「お前さあ、いつも張り切り過ぎるんだよ。そこがいいところなんだけど、却って、立ちすぎるから。たださえ……」
     その後の言葉を呑み込んだ。

     俺が配属された新宿の店舗に最初に出勤した時のことだった。
     取り揃えるブランドはもちろん、店舗やスタッフ全体を貫くトータルな雰囲気とでもいうのだろうか。何となく感じたのだ、もしかしたらと。
     それで、思い切って店責(店舗責任者=店長)に聞いてみたのだ。
    「えっ、いいよ。そのままで。清潔感があれば。はははっ! 『はとバス』ガイドさんっていうからどんな人が来るのか身構えていたけれど、色んな人がいるのね」
     そう笑って答えるのを見て驚いた。ファッションだけじゃない。このブランドが目指しているのは。
     それに、その時ふと気付いたのだ。
     もしかすると、この会社が俺たちを受け入れているのは、仕事が無い観光業へのお情けなんかではない。その本当の理由は……。

     10時からの開店前、届いた段ボール箱を開けると店舗の奥にあるバックヤードの棚に品とサイズ別に整理して収納していく。
     日に十箱は届くだろうか。店舗スタッフは華やかな接客業というだけではない。同じくらいに裏方の業務もある。結構、体育会系の仕事なのだ。まあ、俺は嫌いではないが。
     毎週火曜から水曜日に会社から陳列のマニュアルが届くと、主には店責の指示で並べ替えるのだが、次第に俺も慣れてきたので自分からも進んでやるようにしてきた。
     こういうところは「はとバス」ガイドとも共通する。表に見える御案内だけではなく、バスが出庫する前の準備や清掃、コース終了後も本社に帰庫してからの清掃と片づけといったバックヤードの仕事が重要なのだから。
     開店するとさすがに新宿だけあってお客様は多い。
     この店舗で取り揃えるブランドのお客様は、どちらかと言うとギスギスしていないというか、むしろゆとりの有る人が多い気がする。
     段々とブランドにも、このブランドが好きなお客様にも慣れてくると、最初に感じた気持ちがはっきりとしてきた。店責が俺の普段のファッション、男装のままでいいといった意味の。
     この会社が手掛ける幾つかのブランドにはそれぞれのテーマがあるが、ファッションだけではなくライフスタイルを提案している。色々なライフスタイル、それらに共通するキーワードは多様性なのではないか。
     そう考えれば分かる気がする。何故、俺たち「はとバス」ガイドを受け入れたのか。
     コロナ禍で仕事が無い観光業に手を差し伸べただけではない。きっと会社はこれを機会と捉えて、敢えて外の血を入れようと思ったのだ。
     俺の様な男装で現れるガイドは想像していなかっただろうが、それでもいい。
     同じ接客業と言っても、アパレルの店舗スタッフとバスガイドでは、仕事の仕方も振る舞いから立ち位置までが、やはりかなり違う。
     だが、それを敢えて混ぜようとしているのだ。
     仕事の違いに、涼も今は苦しんでいるが、きっと涼ならやれると思う。
    涼だけじゃない。今は誰でも苦しいけれど、みんなこの経験の意味を考えている。
     

    ćśź



    「あの、コレ、サイズ合わなくてさぁ。返品して欲しいんだけど」
     ええっ! ゆったりしたコーディネートに身を包んで前髪を正面で分けた男性のお客様がカウンターに放り出されたのはブルゾン。年が明けて正月から販売している春物だった。
     昨日もサイズが違ったと言ったので二度目の返品だ。今回だけではない。このお客様は他の服も返品しているので、もう何度目だろう。
    「あの、お客様。返品できる回数には決まりがありまして」
    「なんでだよ! アンタの見立てが間違っていたんじゃないの!」
     ううっ、違う。私が見繕つくろった訳じゃないし。
     確かに購入の際にサイズの確認はした。私が男性の体型やサイズ感に疎いと言っても、このブランドはウイメンズとメンズの共用なのでそんなに違和感がある注文なら見過ごしはしない。
    「それにさぁ、毎日この店に来ているんだから、融通利かせてよぉ」
     そこへ割って入ってきたのは店責の檀静香だんしずか。三十歳前後だろう。アースカラーのブランド服に、短めのボブでイメージを揃えている。
    「お客様! どなた様にも共通のルールがございます」
    「誰だよ! オレ、今この人と話しているの!」
    「私、この店舗の責任者、檀と申します」
    「めんどうくさいなぁ! もういいよ! また来るから」
     ブルゾンを掴んだお客様は踵を返すと足早に立ち去って行った。
     その後ろ姿を見送りながら、思わずフッとため息が漏れる。
    「あの客様の気持ちも分からなくはないけどね。貴女と話したいのよ、あのお客様は」
    「ええっ! そうなのですか?」
     檀店責が言う言葉に仰け反ってしまった。
    「あのお客様は確かに変わっているけど、積極的っていうのかな。でもね、他のお客様は、貴女が張り切って一生懸命になるほど、話し難がたいって感じるのかも。それで逃げてしまうお客様もいる。だから売り上げも伸びない」
     どうして……。こんなに頑張っているのに。
    「貴女が最初にこの店舗に来た時、感じたの。ビジュアルが立ち過ぎていたから。上手くいくか、いかないか。どちらに転ぶだろうって」
     私を改めて見詰めた彼女が続ける。
    「貴女は、きっと人気があったでしょう。ガイドとしても特別に目立っていたと思う。今までの『はとバス』ではね。でも、ここでは違う」
     私から目を逸らすと、店舗を見渡しながら彼女はゆっくりと頷いて言った。
    「『はとバス』に乗ろうと決めて来る人とは違ってね、お店にはもっと色々なお客様が来る。もちろん買い物をしようと思う人も、通りすがりに覗く人も、回遊するだけの人も」
    「回遊……ですか?」
    「そう、海の回遊魚のようにね。でもそれでいいの。お店ってね、そういう色々なお客様で成り立っているから。お店は、お客様と一緒に作っていくものなの」
     彼女はカウンターのタブレットを取り上げると、画面をタップしながらそのサイトを私に翳して見せる。
    「うちが、提案している新しいライフスタイル。コロナになってから立ち上げたブランドが、この『スラ―(SLURR)』。音楽の言葉だけど、意味知っている?」
    「スラ―……って、確か、音を繋げるとかですか」
    「そう。違う音を繋げる。誰もが誰かの力になる。お客様が参加するブランドっていう意味」
     言って、彼女は私をもう一度見据えた。
    「でも、貴女はね、いつもフォルティシモ(FORTESSIMO)。一人で立って響いている。貴女は自分のこと、自分をどう見せるしか考えていない。お店はお客様と創るものなの」

     横浜から乗った京急線の車窓を眺めながら考えていた。
     私が、フォルティシモか……。スラ―、それは、どういう。
     ヴヴッ。
     スマホが一瞬震えたのはLINEだった。表示を見るとアイツからだ……。

    映美


    「ただいまぁ!」
     涼は帰ってくるなり荷物を机の上に投げ出して、椅子にへたりこんだ。
     各店舗でシフトの時間が違うから、このところ涼とも夕食で話す機会が少なかったが、今夜は部屋で待っていた。
     この時間だから、涼も夕食は休憩時間に済ませてきたのだろう。
     俺は二段ベッドの下段から身を起こすと自分の椅子に腰掛ける。
     管理人さんからの部屋替えの申し出は思わぬことだったが、涼に伝えないわけにもいかない。
     先に話し出したのは涼のほうだった。
    「今日、店責からさ、意外なこと言われてグサッときちゃった。いつも私、フォルティシモだって」
     そうだよ。でもそれが却ってお前の限界になっているんだ。
    「それで、ずっと考えていたら、アイツからもLINEが来た」
    「アイツって、航かい?」
    「そう。映美と三人で会わないかって。情報交換したいらしい。アイツら男子は、ガイド寮と違って愚痴も言い合えないのかな。私もね、今日は店責の言葉が刺さっているけどね。どうする?」
    「どうするって。俺じゃないだろ。航が会いたいのは、お前だよ」
    「えっ、映美ともって」
    「あのさぁ! 違うんだよ!」
     つい、苛立ってしまった。それは、これから言おうと思っていたことだから。
    「いい加減に気付けよ!」
     思わず言ってしまうと、言葉が口を衝く。
    「お前はさぁ! お前は……、だから、いつも難しくなるんだよ!」
     これ以上、言わなくていいとは分かっている……。
     でも……、いつか、いつかは言いたかったんだ!
    「だから! 俺だってさ!」
     呆然と俺を見詰める涼は、俺が何を言っているのか分からないだろう。
    「だからさぁ……、初めて会ったあの時から、ずっと! ……ずっと、今まで! 俺だって!」
     言いながら、俺の目が潤む。
    「……今日、管理人さんから話があった。来月、新規採用者が入寮する前の2月に、空いている一人部屋に移れるって」
    「えっ?」
     唐突に何の話かと思っただろう。
     俺は見詰めた、涼のことを。
     言ってしまったからには、もうこの眼差まなざしで分かれよ、と!
    「でも、俺は……、俺は! お前と離れたくないんだよ!」
     俺は椅子を蹴って、涼を残したまま二人の部屋を出た。

    真琴


    『真琴お祖母ちゃん、今夜電話するね』
     スマホに届いた涼のLINEは嬉しいですね。
     このスマホというのも、便利になったのか不便になったのかよく分からないところもありますが、涼や祐希と連絡を取るために電話の他にもメールとLINEは何とか使っています。
     携帯どころか、固定電話すら置いている家も珍しかった時代の話は、もう涼の様な若い人たちに言っても想像がつかないでしょう。
    『君の名は』というラジオドラマで、名前を尋ねながらも駅ですれ違いを続ける男女の恋物語に、全国の女性が胸を締めつけられながら涙を流したことなどは。今ならばスマホで必ず遇えるでしょうから。
     でも、自宅からこのサービス付き高齢者住宅に移り住んだ3年前からは、電話だけでなく涼の写真も見ることができるのでスマホは楽しみにしています。
     私も涼が高校に進むまでは、お店を営む祐希よりも何かと面倒を見ていました。
     これも巡り合わせなのでしょう。私の娘として育てた祐希のことは、働き続けた私よりも母のほうが面倒を見ていましたから。
     それが祐希には寂しかったのかも知れません。あの頃は母子家庭も少なくなっていましたから。
     涼が「はとバス」ガイドになると言った時に、祐希が反対したというのも何だかわかる気もするのです。
     でも本当に祐希を育てた頃は、私も一生懸命でしたから。
     私自身が女性でも生きていける職業婦人になることにも、「はとバス」ガイドという仕事を切り拓いていくことにも。それが私の人生の意味だと思っていたのです。
     涼が、「はとバス」ガイドになると言った時には、もちろん苦労もあることだろうと想像もしましたが、やはり嬉しかったのは巡り合わせを感じたからなのです。私の生きてきた道、人生の意味が涼に繋がる様に。
     私と血が繋がっていない祐希が不思議と母に似ていたように、涼も私の孫だと言えば誰も不思議に思わなかったでしょう。
     でも、それだけでは無かったのです。涼はあの両親の全てを引き継いでいました。
     見た目とかだけではない、あの父親の血も引いたからなのか、歌の上手さは天性のものでした。
     それが、あの父親を去らせ、あの様に生きようとさせる原因となったのでしょうけれども。
     涼は「はとバス」ガイドになる前に、歌手になりたいと言ったことがありました。
     それに祐希が猛反対したというのは、あの父親のこともあるでしょうし、義雄のこともあるかと思うのです。
     義雄との関係は、祐希が成人した時には全て本当のことを話しました。何れ戸籍謄本を見れば記載されているので分かることだからです。
     でも、もしかしたらその前に義雄とも会ったことがあるのではないでしょうか、祐希は。
     実の父親だと名乗って会いに来たわけではないにしても、娘を見に来た義雄のことを祐希は何らかの感覚で分かっていたのかも知れません。
     かつて義雄が芸能界に影響力があると報道されたこともあったので、その世界に涼を入れてはならないという強い忌避きひ感を持っていたのでしょうか。
     確かに芸能界では危なかったのかも知れません。涼には、天真爛漫てんしんらんまんすぎるところがあったのです。
     それがあの子の良いところでもあるのですが。
     そのままでは、「妾の子」と苛められた私の様に、涼も学校で苛められたりしないかと心配したこともありましたが、あのお嬢様校でも映美さんという親友ができて楽しく学生生活を送っている様でした。
     涼の高校卒業を控えて、私も体が次第に不自由になり食事の用意が辛くなってきた3年前、今のうちだと思い切ってこのサービス付き高齢者住宅に移り住みました。
     六畳ほどの個室には、段差の無いトイレとお風呂、小さなキッチンが付いていますし、食事は一階の食堂で毎食用意して下さるので暮らしに不自由はありません。
     金沢に疎開した戦争の一時期を除いて、長年暮らしたあの家も懐かしいのですが、涼も祐希が漬けた梅干しや梅酒を持ってここを訪ねてくれたり、私のスマホに写真を送ってくれたりしていました。
     ところが、全く思わぬ「面会制限」を受けることになったのが昨年から始まったコロナ禍だったのです。

    『もしもし、真琴お祖母ちゃん。元気にしている? 体調はどう』
    「ありがとう。大丈夫だよ。涼ちゃんこそどうなの。新しい仕事は、洋服屋さんでしょう」
    『……色々と大変。何とか『はとバス』ガイドの意地で乗り切ろうと思ったんだけどさ、やっぱり勝手も違うしね』
    「大丈夫、涼ちゃんならきっとできるよ。映美ちゃんも一緒に行っているの、元気?」
    『……うーん、元気なんだけどね』
     何かあったのでしょうか、涼が口篭くちごもるので私は話題を変えました。
    「4月からは、また『はとバス』に戻るのよね。楽しみにしているから、涼ちゃんの御案内を」
    『真琴お祖母ちゃん、ごめんね! 一年たって、一人前の『はとバス』ガイドになったら迎えに行くって言ったのに……』
     涼が咽んでいるのが分かります。
    「涼ちゃんのせいじゃないでしょ。『はとバス』が止まっているのはコロナのせいだから」
    『違うよ、私がなかなか一人前の『はとバス』ガイドになれなかったから……』
     もう涼は涙声になっていました。私は言葉を継がずに耳を傾けます。
    『それに、このままじゃ戻れない……。今のお店でも、一人前にできなければ、きっと『はとバス』でも一人前になれない……』
     涼が泣き止むのを暫し待ちました。それからゆっくりと問いかけます。
    「涼ちゃん、一人前の『はとバス』ガイドって何だと思う?」
    『……未だ、一人前じゃないから、分からないよ』
    「私もね、ずっとやってきたけれど、ここからは一人前、これで一人前ということは分からない。毎日、違うお客様がご乗車されるのだから。毎日が違う御案内がある。もうこれで終わりということは無いの」
    『真琴お祖母ちゃんでも分からないの?』
    「そう。でもね、必要なものは分かる。それはね、感謝だよ」
    『……感謝』
    「場数や経験を重ねてガイドとして成長してもね、自分の力だけでは一人前になれない。このお仕事はね、お客様がいて成り立っている。その客様に対する感謝、この仕事を続けさせてもらっている感謝を、お伝えするの」
     涼は聞きながら考えているのでしょう。
    「涼ちゃんならできるよ。涼ちゃんにしかできない御案内がある。お客様が、また乗りたい、それまで頑張ろうって思って頂ける御案内があるから。それは、お客様と一緒に作っていくの」
    『私にしかできない御案内……、そんなことあるのかな』
    「あるよ。今は涼ちゃんも、お客様も、皆誰もコロナで苦労しているでしょう。苦しい時代だと思うけれど、そんな時だからこそ、涼ちゃんでよかったと思って頂ける御案内がある。きっと今は苦しいことにも意味がある、どう生きるのかという人生の意味があるの」
    『真琴お祖母ちゃんの時代も、大変だったんだよね』
     涼は、私が話す「はとバス」ガイドの話が大好きでしたからよく分かっているのです。
    「そう、私の時代は戦争の後だったからね。遺影になってご乗車されたお客様もいたの」
    『遺影って、亡くなったってこと』
    「戦死して日本に戻れなかった兵隊さんの奥さんがね、きっと見せてあげたかったのだと思うの、東京の姿を」
     あの遺影を抱いてご乗車されたご婦人のことは忘れません。
    「御案内が終わって、降車された時にね、本当に感謝を伝えたかったから、遺影に向かって思わず言ったのよ。『ご乗車ありがとうございました!』って」
     涼がまた泣いています。
    「涼ちゃん、一番大切なのは感謝だよ。それから、困った時にはね、困った時こそお客様に話しなさい。尋ねるのよ。答えはお客様の中にあるから」
    『答えはお客様の中にあるって、私のトレーナーにも言われた。それって、真琴お祖母ちゃんの言葉だったんだね』
     そうですか、今も伝えてくれているのですね。
    『真琴お祖母ちゃん! 私……、お祖母ちゃんの孫で良かった』
    「私もだよ。涼ちゃんが孫に生まれてきてくれて良かった」

     涼との電話が終わると、何だか急に全身の力が抜けていくような気がしたのです。
     今まで伝えたかったことを、全て渡しきってしまった様に。私が切り拓いてきた路、私が生きてきた意味を、涼に繋ぐことができたのでしょうか。
     そう考えているうちに、遠くから聞こえてきたサイレン音が次第に大きくなってくるのが分かりました。
     えっ、凄く近い。
     大きなサイレン音が止まったのは、このサービス付き高齢者住宅の前でしょう。
     何があったのだろうかと思っているうちに、この階のエレベーターの扉が開く音がすると、廊下が騒がしくなって何人もの声が飛び交っています。
     部屋のドアを開けて廊下を覘くと、301号室の扉を開けて救急隊員がストレッチャーから担架を運び込もうとしています。
     まさか、とは思いますけれど。あの部屋の女性は、昨夜の夕食の際に食堂で、透明パネル越しですが私の斜め前に座って咳き込んでいたのが気にはなっていたのですが……。

    ćśź


     あの夜から映美は私と口を利かないようにしている。シフトも敢えてずらしているのだろう。今日も休日なのは私一人だ。
     あの時、「いい加減に気付けよ」と言われたが、その言葉よりも映美の眼差しで突然に分かってしまったのだ。
     なぜ、今まで親友だったのか。何故、いつも私を助けたのか。
     私は今、それを失ってしまったのだろうか。それとも、元から友情は無かったのか……。
     分からない。今までのことも……。これからどうすればよいのかも。

     映美のいない一人きりの休日はやることが無いので、有効期限の切れていたパスポートを更新しようと思って大門の港区役所に来ていた。
     戸籍謄本をとってから、有楽町のパスポートセンターに向かうつもりだったのだ。
     期限の切れたパスポートは、母が申請した未成年者用で5年間有効だが、今度は成人用の10年期限を申請する。
     コロナの感染が治まるまでは海外旅行に出ることも無いだろうけど、免許証を持っていない私には身分証明書として便利だし。
     私が持つ番号札が表示されたブースに向かうと、カウンター越しに若い女性の職員から確認された。
    「安澄涼さんですね。戸籍謄本一通でよろしかったですか。御確認お願いします」
     封筒と共に手渡された書類を一瞥すると、その末尾に目が留まる。返事もできずに固まってしまった……。

     暖簾をくぐると、引き戸を開けてお店の中を覗く。
     白木のカウンター席には未だ誰も客はいない。仕込みをしていた割烹着姿の母が私に気付くとカウンター越しに声を掛ける。
    「あら、涼。どうしたの、もう梅干しが切れた?」
     ううん、首を横に振りながらカウンター席に腰掛けると、まじまじと母の貌を見詰めた。この人こそ、なぜ歌手とかにならなかったのだろう。
    「何か飲む?」
    「うん、梅酒が飲みたい」
     うちの庭で取れた梅を漬けこんだ自家製の梅酒。炭酸水で割り丸い氷を浮かべたグラスがカウンターに置かれた。
     目の高さまでグラスを持ち上げて、色合いを眺めてから口をつける。
    「ふうっ」
     梅の香りが鼻から通り、口の中にも拡がる。
    「……美味しい」
    「ふっ、アンタがお酒を飲むようになるとはね」
     母が少し笑う。
    「昨日、真琴お祖母ちゃんに電話したよ」
    「元気そうだった? 暫く会っていないものね」
     母の問いには答えずに呟いた。
    「ああ、一人前のバスガイドになって、真琴お祖母ちゃんに乗って欲しかったのになあ」
     それが実現できなかったのはコロナのせいなのか。私自身が一人前のバスガイドに成れていないからなのか……。
    「一人前のバスガイドって言うけど、真琴お祖母ちゃんだって簡単では無かったのよ。凄く大変だったんだから」
    「だからなの?」
    「えっ」
    「お母さんは、私が『はとバス』ガイドになる時も反対したよね」
    「それは知っているからよ。真琴お祖母ちゃんだって大変だったのを。毎日忙しくて。アンタに苦労して欲しくないもの」
     バンッ!
     私は白木のカウンターを叩いた。
    「違うでしょ!」
     ……。
    「どうして、私のやりたいことに何でも反対するの!」
     カウンター越しに、母の貌を睨みつける。
    「『はとバス』ガイドになる時だけじゃない! 本当は歌手になりたかったのに、あの時だって!」
    「アンタは何も分かっていない。芸能界はね、そういうところじゃないのよ」
    「何で! 何で、そんなこと分かるの!」
     私は知ってしまったのだから。今日……。
    「お母さんの嘘つき! お母さんの言うことは嘘ばっかり!」
     最初は少し驚いている様に見えた母が、今度は私を見据えた。私が何を言いたいのか、もう分かっているというかのように。
    「知っているからね。私のお父さん、死んだんじゃないこと! 今日、戸籍謄本見て分かった。死んだんじゃない! 何で隠すの!」
    「そうよ! 出て行ったのよ! 私とアンタを置いて!」
     母が睨みつけてくる目は、私ではなく父親に向かっている。
    「アンタのお父さんだった人はね、もうお父さんなんかじゃないの! あの人はね、開けてはいけない扉を開けてしまったの!」
     バンッ!
     私が思い切りカウンターを叩くと、梅酒のグラスが倒れたが、構わずに席を立って店の外に飛び出した。

     ジャーン、ジャーン、ジャーン!
     ジャ、ジャー、ジャ、ジャー、ジャーン!
     エレキギターの伴奏が流れ出すと、私はマイクを構える。母の店を飛び出してから田町のカラオケボックスで『ザ・ブルーハーツ』を一人で歌い続けていた。
    『永遠なのか、本当か
     時の流れは、続くのか』
     本当に、このままなのだろうか……。
    『見てきたことや、聞いたこと
     今まで覚えた全部
     でたらめだったら面白い
     そんな気持ちわかるでしょう』
     そうだよ! わかっているよ!
    『答えは、きっと、奥の方!
     心の、ずっと、奥の方!』
     私は叫ぶ! こころの奥に、ずっと奥に溜まった気持ちを!
     吐き出す様に! ぶつける様に!
     それしか無い! 他には何も無い! 私にできることは、それしか!
    『涙は、そこからやって来る!
     心のずうっと、奥のほう!』
     みんな嘘だったんだ、映美との友情も、母が言うことも!
     私には……、自分しかない。自分の気持ち以外に、何も持っていない!

    「ああ、もう駄目なのかも知れない……」
     東京都が新型コロナ患者の療養施設として借り上げているホテルの部屋で、ベッドに横たわったまま天井を見上げている。
     田町のカラオケボックスで一人歌い続けた翌日、映美はもう仕事に出ていたが、遅番のシフトに合わせてゆっくり目覚めた時にはやけに喉が痛かった。
     前夜の独りカラオケのせいかとも思ったが、念のために受けたPCR検査は何と陽性だったのだ。
     集団生活のガイド寮には戻れずに、若いから重症化のリスクは少ないと言われて、そのまま直行したのがこの施設だった。だがそれからすぐだった、急に発熱したのは。

     あれから3日は続いたろう。39度以上の熱が。40度も超えていたのかも知れない。
     幾ら若いとはいっても、もしかしたらこのまま死ぬのではないかという不安もよぎった。
     もしも、このまま死んでしまったら、どう思われるのだろう。
     あれから何も話していない映美にも。喧嘩別れした母にも。私は、どんな人間だったのか、一体何のために生まれてきたのかと。
     それに、誰よりも会いたかったのは、今は面会もできない真琴お祖母ちゃん。でも、私がコロナに感染しているのだから絶対に会えない。
     ヴヴッ!
     枕元のスマホが震えた。着信したLINEの表示を見ると母からだった。
    「真琴、本日午前9時20分永眠。享年93歳。コロナのため面会、葬儀できず」

     真琴お祖母ちゃんの葬儀もできなかったが、もしできたとしても未だ隔離施設に居る私は出られなかっただろう。
     あの夜、田町のカラオケボックスで歌い続けながら、心の中で叫んでいた。私は孤独だ、何も無いと。
     映美が去り、母とは喧嘩別れ、死んだと言われていた父親も実は私を置いて去ったことも知った。
     そして今は、唯一人の理解者、真琴お祖母ちゃんもコロナで失ってしまった。
     私は孤独……。
     でも……、本当にそうなのか。
     もしかしたら死ぬのかも知れないと思った時、これまでに出会った色々な人が頭の中を通り過ぎて行った。
     真琴お祖母ちゃん、映美と母だけではない。
     小学校の時に好きだった男の子、中学で私をグループに誘ったあの女の子、学園祭で熱狂していた下級生たち。
    「はとバス」ガイドになってから出会った紫吹トレーナー、一路ドライバー、瀬那通訳案内士、それにアイツ、航のことも。
     バスガイドになりたいと言った少女玲奈や修学旅行の女子高生、外国のお客様や、謎のお客様もいた。アパレルに出向して檀店責にも。
     そうだ。私は、色々な人たちに出会って来た。
     それに、私は不運だと思っていた。本当は歌手になりたかったのに、「はとバス」ガイドになった。
     それでも、折角「はとバス」ガイドとして頑張ろうと思ったのに、今はコロナで仕事が無い。異業種のアパレルに出向して苦労している。
     なぜ、私はこんなに不運なのかと思っていた。
     でも、そうなのか……。本当に私は不運なのか。
     真琴お祖母ちゃんいつもは言っていた。運命は変えられなくても、人生の意味は変えられる。苦しい時にこそ、人生の意味を問われている。そしてそれは変えることができると。
     歌手にはなれず「はとバス」ガイドになったのも、今はアパレルに出向しているのも、偶然では無いのかも知れない。
     もしかすると私は今、人生の中でいるべき場所にいるのか……。
     その場所で、問われているのだろうか、どう生きますかと。どういう意味の人生を生きますかと。
     私が辿ってきた道は全て必要だったのか。
     真琴お祖母ちゃんに最後に言われた「一人前のバスガイドに必要なのはお客様への感謝」だという言葉も、檀店責に言われた「スラ―(SLURR)。色々な人を繋ぐ、お客様が参加する」というコンセプトも、同じ意味なのかも知れない。
     それが私に足りないものなのか。
     だとしたら、それを私はやらねばならない。それをやらずに私は死ねないのだ。
     コロナから回復できたならば、私の場所でやるべきことをやりたい。
     未だ、やるべきことがある、私には。私にしかできないことが。
     寝たまま見上げた部屋の天井が涙で歪んでいる……。

     目を瞑つむると、すぐに包まれた靄もやの中で、河の向こう岸に茂った欅けやきの木々の間に歩み去る後姿に向かって私は叫んでいた。
    「待って! 映美!」
     瞬まばたくように振り返った映美は僅かに微笑みながら、枝が伸びた木々から差す木漏れ日の間に分け入っていく。
     もう一度叫んだ私の声に、応えはしなかったけれど、それでも分かったのだ。映美はあの大きな欅の木になったのだと。

     隔離施設を退所してガイド寮に戻った時には、コロナに罹患してから二週間近くが過ぎていた。
     部屋に入ると感じる。何だろうこのガランとした空気は。
     そうか、もう映美の荷物が無い。私が居なかった間に、一人部屋に移ったということなのだろうか……。

    第四章 再会


     

    アパレル最後の日 涼


    「お取り置きしておきましょうか。お荷物になりますでしょう」
     私がお声掛けしたお客様は、今日もお仕事帰りなのだろう。少しピンクが入ったグレーのパンツスーツ姿の三十代に見える女性だ。
    「ありがとう。いつも気が利くわね。じゃあ、他を廻って来るから」
     会釈して見送ると、檀店責が言う。
    「貴女にも随分とファンが増えたわね」
    「はい! ありがとうございます! 檀店責のおかげです」
     お礼を言って頭を下げたが、それは本当のことだった。
     この店舗に来てから、努力しているのに成果が出なかった。一生懸命にやると、却って上手くいかない。お客様が逃げてしまう。
     そんな時、檀店責の言葉で分かったのだ。
    「『はとバス』に乗ろうと決めて来る人とは違って、お店にはもっと色々なお客様が来る。もちろん買い物をしようと思う人も、通りすがりに覗く人も、回遊するだけの人も。お店って、そういう色々なお客様で成り立っているから。お店は、お客様と一緒に作っていくもの」
     そうか、バスガイドは最初からお客様に注目されている。でもアパレルは違う。お店はお客様と一緒に作る……。
     今、この状況を変えるには、まず自分自身が変わらなければならないということ。
     それ以来、一生懸命に売り込むよりも、お客様の求めに応じて商品を紹介するようにしてきた。
     服を探しに来ているお客様もいれば、ふらりと立ち寄った方もいる。
     お客様に気軽に話しかけるのは、やはり天気の話題だろう。それから、お客様の関心を伺っていく。
     お客様からファッションについての迷いや悩みを相談されることもあるが、それはどういうファッションを身にまとって暮らしたいのかというライフスタイルの提案でもある。
     もちろん、お客様の必要に応じて、尋ねられたことには完璧に答える。色、素材、形など商品知識を覚えて様々な角度から説明するのは、「はとバス」ガイドの強みなのだから。
     次第に私のアドバイスを求められるお客様も増えてきていた。
    「貴女がこの店舗に来た時には、正直言ってどうなるかと思っていた」
    「はい、フォルティシモでしたから」
    「ふふふっ、スラーの意味が分かって良かった。でも、こうなってみるとさすがに『はとバス』ガイドよね。覚えが違うし、接客もコミュニケーションも抜群だった」
    「ありがとうございます! 私も、こちらで勉強させて頂いたことを、また明日からお仕事に活かしてまいります」
     明日、4月から私たちは「はとバス」に復帰する。その時、ここで学んだことは私の財産になるだろう。
     檀店責が言うスラーは、違う音を繋げる、誰もが誰かの力になるという意味。お客様が参加するブランドだという。
     でもそれは、アパレルだけではない。「はとバス」にも色々なお客様がご乗車する。
     今までの私は確かにフォルティシモだった。
     私は歌手になりたかったし、歌が上手い、それを見せたい、注目されたいと思っていたのだ。自分だけで「はとバス」ガイドがやれると思っていた。
     でも違う。「はとバス」のツアーもお客様とつくるものだと分かった。
     真琴お祖母ちゃんの最後の言葉で気付いたのだ。「一人前のバスガイドに必要なのはお客様への感謝」だという。
     一路ドライバーが言った紫吹トレーナーには有って私には足りないもの。それはお客様への感謝、お客様と共感しあえる力なのだろう。
     それに気付くことができたのは、真琴お祖母ちゃんの最後の言葉と、コロナ禍で苦しい思いをしてきたけれど、このアパレルに出向したからだとも思っている。
     コロナ禍では、一番大好きな真琴お祖母ちゃんを失ってしまった。逝く時にも会えなかったし、葬儀もできなかった。
     一人前の「はとバス」ガイドになったら、真琴お祖母ちゃんに御乗車してもらうのが夢だったのに……。
     それが叶わなかったのは、コロナのせいなのか。
     違う、やはり私自身のせい。私が一人前の「はとバス」ガイドになれていなかったからだ。
     今になって、「はとバス」ガイドに戻ったら、きっとできると思うけれど、遅かった……。
     映美のことも、あんな形で失ってしまったと思ったけれど……、そうでは無かった。
     色々なものを失ったけれども、本当はそれから得るものもあったのだ。

    「ありがとう! 助かったわ」
     戻られたお客様は、先ほどお取り置きしておいた服の他にも、また店内を見廻してからもう一品お買い上げになられた。
    「お客様、いつもありがとうございます。実は私、この店舗は本日が最後のお仕事になります。大変お世話になりました」
     商品をお渡ししながら御挨拶すると、お客様は驚かれた様子だった。
    「えっ、違うお店にいくっていうこと?」
     隣から檀店責が説明する。
    「実は、彼女は元々『はとバス』ガイドでして、本日まで出向で当店に配属されておりました」
    「そうだったの。ああ、なるほどね。さすがだと思っていたわ。でも貴女がいなくなると困るなあ」
    「当店への御愛顧を引き続きよろしくお願い致します!」
     私が笑顔で言うと、お客様も檀店責も笑う。
     お客様をお見送りすると、檀店責が私を見詰める。
    「貴女のファンをお店のファンにしなくちゃね。ああ、もっと居て欲しかったわ」
    「そう言って頂けるのが一番嬉しいです! 貴重な勉強をさせて頂き、本当にありがとうございました!」
    「今度、貴女の『はとバス』に乗りに行くわ」
    「はい! 是非! 檀店責。ご乗車をお待ちしております!」
     檀店責にそう言った私は最高の笑顔だったと思う。
     苦しいこともあった、辛いこともあった。それでも、貴重なものを得た経験だったのだから。

    はとバスガイド復帰 涼


     海風が吹いていた。4月1日、白い雲が綿を置いた様に浮かぶ青空の下、江東区にある大きなホール「ティアラこうとう」の前で八台の「はとバス」が車を連ねて待機している。
     ガイド復帰後、最初の乗務がこのツアー。その1号車が私の担当だ。最後尾の8号車には映美が乗務している。
     通常なら、1号車と最後尾の担当は紫吹トレーナーの様なベテランが乗務するのだが、今回は会社が気を利かせたのだろう。
     今日、この施設で令和4年度入社式を行っているのは「ストライプインターナショナル」
     私たち、本日乗務する八人の「はとバス」ガイド、全員が昨日まで出向していたアパレル会社なのだから。
     入社式の終了後、二百人の新入社員たちを、会社が入る東銀座の歌舞伎座タワーに御案内し、それから未だ桜が残る皇居のお堀端を巡り一時間半をかけて東京駅へ到着する予定だ。

     入社式が終わったらしい。続々と施設を出てくる新入社員たちが、それぞれのバスに乗り込んで来る。
     私は1号車前扉の横に立ち、引率して来た檀店責に最敬礼した。
    「いらっしゃいませ!」
     お客様が御乗車されると、私は通路を歩いて人数を確認してから、業務用スマホで8号車までの全車両のお客様がお揃いになったことを確かめる。
    「お客様、お揃いです」
     一路ドライバーに伝えるとバスが出発する。
     いつも通りに出発時の御挨拶と自己紹介を終えると、ここからだ。
    「実は私、本日から『はとバス』ガイドに復帰しましたが、昨日まで、御社『ストライプインターナショナル』に出向して横浜の店舗でお仕事をしておりました」
     私の言葉にお客様たち、新入社員が驚いているのが分かる。
    「大変お世話になりまして、貴重な勉強をさせて頂きました。素晴らしい理念を持った本当に良い会社です。皆様、御就職おめでとうございます!」
     新入社員たちから歓声と拍手が沸き起こる中で、最後列に座る引率の檀店責がゆっくりと肯く。私も深く肯き返した。

    チーム再集合 映美


    「ああ、これだけ警備が厳しいと、かなり緊張するよね」
     涼が言う通り間違いなく誰でも緊張するだろう。
    「確かになあ。だけど、多分それも受けるんじゃないのか。この手の飛行機マニアには」
    「ううっ、マニアのお客様か。それも辛いよ、私じゃ無理かも」
    「はははっ。いくらお前でも、飛行機には敵かなわないよな」
     乗車手続きから禁止事項の注意まで、これだけ厳格なコースは他に無い。だが、そのリアルな臨場感が、飛行機好きには堪らないだろう。

     本社から羽田空港に向かうバスに乗車しているのは紫吹トレーナーと涼や航、俺も含めて10人のガイド。
     新設されるコース「羽田空港ベストビュードライブ」を担当する為の、久しぶりの車上研修だ。
     今月から「はとバス」ガイドに復帰して、この研修に集まった同僚たちは、もう以前とは違う。
     顔を見れば分かる。誰もが成長していることを。
     入社してから一年間は、一人前の「はとバス」ガイドになろうとして、誰もが一生懸命に紫吹トレーナーたち先輩を追いかけていた。
     だが、異業種のアパレルを経験してきたからこそ分かる。
     自分たちはもう、「はとバス」ガイドなのだと。そう実感しているに違いない。

     アパレルに出向中のあの時、俺が涼に告げてしまった言葉は口を衝いただけでは無かった。いつかは言いたかったのだ。
    「いい加減に気付けよ」と。俺の気持ちを……。
     だが、それを言ってしまったら、もう終わりだと思っていた。気付かれはしたかったが、その時は涼を失うのだと。
     だからもう離れて暮らそうと、涼が新型コロナに罹患して隔離施設にいる間に一人部屋に移ったのだ。
     あの頃、涼自身も苦しかったと思う。
     俺との関係も戸惑っただろうし、自分がコロナに罹患している間に、大好きな祖母をコロナで失ったのだから。これからどうするべきか、考えたし悩んだのだろう。
     悩んだ時に、あの会社『ストライプインターナショナル』に出向していたのは、涼にとって、俺にとっても結局良かったのだ。
     涼は店責に言われて気付いたらしい。自分がフォルティシモだと。
     そう。だからいつも難しくしているのだ。
     だが、あのアパレルが提案しているのは、スラー。違う音を繋げる、誰もが誰かの力になる。
     俺が最初から感じていた雰囲気は「多様性」なのだろう。
     涼もそれが分かってから、自分で変わろうとしたのだ。
     店舗での働き方も変えたのだろうが、あのアパレルにもそれを受けとめる、涼の力を活かせる土壌もあった。
     それだけでは無い。俺との関係も……。

     一人部屋に移っていた俺に、LINEでガイド寮の食堂に誘ったのは涼だった。
     テーブルで待っていた涼は、コンビニ弁当を二つ拡げていた。お茶のペットボトルが二本。それに、あの梅干しの瓶も載っている。
     黙って「焼サバ海苔弁当」の前に座った俺に、涼も黙ったまま瓶から箸で取った梅干しを一つ添える。自分の「鉄板焼きハンバーグ弁当」にも添えると、二人で最初に梅干しを頬張った。
     ああ、口の中に、あの家の庭の香りが拡がっていく……。あの家で梅を愛でる人々の貌も浮かぶ。
     俺を見詰める涼の目が潤んでいるのは分かった。
    「映美だけだよ、いつも信じられる親友は」
    「もう分かっただろう、俺の気持ちは。親友じゃなかったってことも」
    「違う!」
     バンッ! 涼が叫んでテーブルを思い切り叩くとペットボトルが倒れた。
    「親友だった……。親友だったよ、たった一人の」
    「終わったんだよ、それは。俺はただ、……お前のことを」
    「終わっても……。でも、それでも」
     涼は涙を一杯に溜めた目で俺を睨んでいる。
    「私にだって、私の気持ちがある! 映美は、……映美のままでいい。だけど、私は映美と、友達でいたいんだよ! ずっと!」
     言われると、俺の目からも涙が溢れて、涼の貌が歪んで見える。
    「だから、……また友達になってよ」
     頷いた涼に、俺も大きく頷き返す。
     俺が自分の気持ちを告げたことで、涼のことは失ってしまったと思っていた。
     確かに、それまでの涼は失ったのかも知れない。
     だが、涼も変わっていた。得たものもあったのだ。
     それから、やっと始まった本当の友情を。

     バスが羽田エクセルホテル東急に到着すると、これから70分の羽田空港制限区域内ドライブのためオープントップの二階建てバスに乗り換える。
     もちろん、普段は空港関係者しか入れないエリアなので「はとバス」以外では見学できないが、「はとバス」でも空港内制限エリア専用のナンバープレートを着けた車両しか入場できないのだ。
     この二階建てバスにも、オレンジ色に四桁の数字が並ぶナンバープレートがバンパーに装着されている。
     車両だけではない。乗車する俺たちも、事前に全員の漢字氏名と読み方、生年月日を登録している。それを証明する本人確認書類(運転免許証など)も必携で、提示しなければエリア内には入れない。
     更に「反社会的勢力ではない」という誓約書に署名するのだ。
     これらは、ツアーが始まれば、予約段階からお客様にもお願いすることになる。
     空港内制限エリア専用バスに乗り換える際に、空港警備員が乗車する全員を、一人一人本人確認しながら氏名入りの身分証明書を渡すので、それをストラップで首から掛ける。
     ストラップを着けるのはそれだけではない。基本的に全ての物をストラップで首に掛けて、飛ばされない様にするのだ。
     ネックストラップが装着されていないスマートフォンやタブレット、カメラ等は使用できない。だから、ネックストラップ付のスマートフォンポーチが配布される。
     驚いたのはペットボトルにも配布されるネックストラップを着けることだ。例えペットボトルでも、風で飛散したらエンジンに吸い込まれて大事故に繋がる可能性があるらしい。
     走行中に飛散の可能性があるハンカチやティッシュ、パンフレット等は使用禁止で、透明のバッグに入れる。今日は晴天だが、雨天でも傘は使用禁止なので雨具を配るのだ。
     本人確認と身分証明書交付、手荷物の固定などが終わると、俺たちを乗せたバスはいよいよ空港内制限エリアに向かった。
     エリア入口では、前の扉が閉まった検査場にバスの車両が侵入すると後方の扉が閉まり、完全に閉じ込められた状態で何人もの保安係員が車内に乗り込んで来る。先ほど交付された身分証明書と本人確認書類を突き合わせ確認して、全員が金属探知機で検査されるのだ。
     ようやく前方の扉が開くと、バスは空港内制限エリアへと入り、突然に視界が拡がる。

     そこから見える景色は、もちろん誰も見たことが無かった。
     旅客ターミナルの前に駐機する飛行機の機体を、正面下から見上げるルートをバスが進んでいく。通常は整備車両などが通るルートなのだろう。
     機体の特徴を見ながら、紫吹トレーナーが次々に解説していく。
    「あの青い尾翼はドイツ航空『ルフトハンザ』よ。機体は『エアバス380』。次のカラフルな塗装の機体は……」
     紫吹トレーナーの詳しさにはさすがに驚いた。もちろん俺だって鶴のマークの日本航空、青い尾翼のANAくらいは知っているが、全航空会社の全機種を覚えているのか。
     いつの間に紫吹トレーナーは勉強したのだろう。
     俺たちがアパレルでファッションを勉強している間も、残った紫吹トレーナーたちは新たなコースの為の調査や勉強を怠おこたらなかったのだ。
    「いい、半端な知識じゃ駄目よ。このコースに参加されるのは、相当にマニアックなお客様のはずだから」
     覚えなければならい事の多さには気圧されたが、バスが旅客ターミナルを離れてÅ滑走路の南端近くで停車すると、俺たちは屋根を開いてフルオープンになった二階から立ち上がり、飛行機の着陸に目を奪われた。
     バスが停車しているのは、滑走路そのものではなく並行した通路なのだが、この距離感と近さに驚く。
     遠くの空に現れた小さな機影が次第に大きくなり、こちらに向かって近づきながら突然に轟音を響かせて目前の滑走路に着陸する。
    「次に着陸するのが、ヴァージン・オーストラリア航空のVA7401便よ」
     次々に現れる機体の航空会社名と便名を解説する紫吹トレーナーにはまた驚いたが、専用のスマホアプリがあるのだそうだ。
     全員が立ちあがって、ネックストラップを着けたスマホを翳している。これが研修だということも、暫しは忘れた様に誰もが見入っていた。

     写真撮影が一段落すると、屋根を閉めてバスが移動する。
     Å涼滑走路の南端に差し掛かると、滑走路の先端を横断する一車線の連絡通路入口、その前で一旦停車する。
     ドライバーが降車して信号機のボタンを押すと、ライトが青に変わった。
     制限時速30キロでゆっくりと走るバスが、滑走路南端の連絡通路を半ばまで進んだ時だった。
     右手に見える空の奥から現れた機影が、次第に大きくなりながら、真っすぐこのバスに向かって降りて来る。
    「ええっ!」
     まるで俺たちに突っ込んで来る様に見えた機体は、一瞬でバスのすぐ真上を通り過ぎると、轟音と共に左手の滑走路に大きな銀色に光る腹を見せながら着陸していく。
    「うわぁぁーーーっ!」
     全員が叫ぶように歓声を上げる!
     コロナ禍が始まってから心を覆っていた靄もやや、もっと底の方にあった澱みが、掻き乱されて吹き飛んでいった。

    再会 涼


     空に懸かった雲は風に流されながら、その縁へりが日の光に映えて白く輝いている。大丈夫だ。今日は、これから晴れる。
     私が立つ東京駅丸の内南口「はとバス」発着所に向かって、真っすぐに歩いて来る着物姿の女性が見えた。
    「いらっしゃいませ!」
     笑顔で挨拶した私に黙って肯き返したのは母の祐希だ。
     戸籍謄本を見た晩にお店で喧嘩別れをして以来、コロナで亡くなった真琴お祖母ちゃんの葬儀もできなかったので3カ月ぶりだろうか。
     今日は色々なお客様たちに御乗車の予約を頂いている。でも、本当は……、真琴お祖母ちゃんに御乗車して欲しかった……。
     間に合わなかったのはコロナのせいだけではない。私が一人前になれなかったからだけれど。

    「いらっしゃいませ! 檀店責、お待ちしておりました」
     肯く檀店責も笑っている。
    「先日の入社式、ありがとう。みんな喜んでいた」
    「こちらこそ、ありがとうございました! お礼の機会を与えて頂いて」
     私にとっては少しでも恩返しをしたかったのだ。檀店責にも、あの会社にも。
     だから新入社員に伝えたかった、「とても良い会社です。おめでとうございます」と。

    「涼先輩!」
    「玲奈さん、来てくれたのね。ありがとう」
     バスガイド志望だと言った和欧学院の後輩、玲奈とは3年前に私の初乗務で出会った。
     あの時は確か中学三年生。本当は女優になりたいが、それも難しそうなのでバスガイドも考えて進路を悩んでいると……。
    「玲奈さん、あれからどうしていたの?」
    「はい、もう高校三年生です。あの時の涼先輩の言葉で分かったんです。大好きな涼先輩でも悩みながら一生懸命に仕事しているのが。私もやってみるしかないって」
    「そうなの。あの時は私も周りが見えていなかったけれど。でも、貴女がそう思ってくれたのなら良かった」
     それに私も、今日は3年前とは違う自分の姿を見せることができるだろう。

    「いらっしゃいませ! お客様、その節は申し訳ありませんでした!」
     私がお詫びしたお客様には、以前ツアーの遅れで新幹線に間に合わず、ご迷惑をお掛けしたことがある。
    「フンッ」
     私のことを覚えていたのだろう。お客様は何も言わずに御乗車された。

    「あらぁ! 涼ちゃん、久し振りぃ!」
    「いらっしゃいませ! 瀬那さん、通訳案内士のお仕事、再開されたのですね」
    「それがねぇ、未だ渡航制限中だから、観光のお客様はいないのよ。ビジネスで来日するお客様だけだから少しよねぇ」
     瀬那通訳案内士は少し肩を竦めたが、御案内して来たかなり年配の大柄な白人男性に私を紹介する。
    「She is today's guide, Ryo Asumi.(彼女が今日のガイド、安澄涼さんです)」
    「Oh, you're so cute. I'm looking forward to it today (随分と可愛いですね。今日は楽しみになりました)」
    「Right. You are lucky. She is a very popular guide(そう。貴方は運が良い。彼女はとても人気のガイドです)」
     ううっ、勝手なことを訳すな……。

    「いらっしゃいませ!」
     もう一組、外国人のお客様は瀬那通訳案内士の引率ではない。
     母と娘だろう。娘は金髪で20代だろうか、マンドリンよりも大きくて平たい楽器を背負っている。彼女が日本語で私に言った。
    「私は、日本に留学中で、日本語分かります。母は祖国から避難して来たばかりなので分かりません。私が通訳しますから」
    「はい! 畏まりました。よろしくお願い致します!」
     笑顔で明るく答えたが、祖国から避難って……。もしかすると、大変な状況なのではないだろうか。

    「いらっしゃいませ!」
     以前にも御乗車された背が高い黒のロングコートのお客様は、あの時と同じように濃いサングラスと大きなマスクで殆ど顔が隠れている。
     艶やかな長い髪を束ねて、少し見える部分の肌は綺麗に色白だし、パンツの裾の広がりと尖った靴先はやはり女性に見えるのだが、よく分からない。
     今回も声を出さずにスマホの予約画面を見せたので、座席を御案内する。

    「いらっしゃいませ!」
     三十歳前後に見えるカップルは、正装とまで言わないが随分とめかし込んでいた。
     男性のスーツにも生地にラメが織り込まれている様だし、女性が着るシルエットがシックな白地のドレスにもレースがあしらわれている。
     観光のお客様には見えない。
    「ガイドさん、お願いがあるのですが」
     嬉しそうに男性が言うと、女性は少しはにかんだ。
    「実は、僕たち遠距離恋愛でして。コロナで会えなかったので二年ぶりなのです。それで今日……」
     急に照れ臭くなったのか、男性も言葉を詰まらせる。それでも意を決したように続けた。
    「スカイツリーで、指輪を渡してプロポーズしたいんです!」
    「ええっ! それは、おめでとうございます!」
    「それで、ガイドさん、立会人になってくれませんか」
     スカイツリー、それで今日このコースに御乗車を。私も意を決すると、第二の基本姿勢から答える。
    「畏まりました! 喜んで!」

    「お客様、お揃いです」
     9時20分、私が一路ドライバーに告げると定刻通りにバスが発車する。
    「皆様、おはようございます。お待たせいたしました。本日は『はとバス』に御乗車下さいまして、ありがとうございます。今日一日皆様の御案内をいたしますのは、運転は一路、私はガイドの安澄涼と申します。どうぞよろしくお願い致します」
     お客様たちから拍手を頂くと「はとバス」ガイドに復帰したことを改めて実感した。目頭が熱くなったが、再び深くお辞儀をして隠す。
     今日のコース「東京ベストトリップ・東京二大タワー&浅草散策」は、これから直行して10時に最初の下車観光、東京スカイツリー天望デッキに到着する予定だ。
     晴れ渡る空の中、地上350メートルの展望デッキでのプロポーズは、きっと一生忘れることのできない日になるだろう。それに立ち会える私も凄く幸せだ。

     東京スカイツリー団体バス駐車場に到着すると、私はお客様たちを展望デッキ直通エレベーターの優先レーンに御案内して入場券を配る。
     直通エレベーターに乗る前に、手荷物検査の為にお客様たちがバッグなどを開けている時だった。
    「ああっ! 無い!」
     上擦った声で叫んだのは、これからプロポーズをしようという男性のお客様。只事ではないだろう。
    「どうされましたか?」
    「指輪が! 指輪が……、無い!」
     尋ねる私にバッグを開いて見せたお客様の目からはもう涙が溢れていた。
     どういうことか伺ってみると、どうやらプロポーズで渡そうと思った指輪を、バスを降りてから彼女に渡すつもりのお土産と一緒に、東京駅待合室のロッカーに入れてしまったらしい。
     もう、男性のお客様は項垂うなだれてしまっている。女性の方は彼に気も使ってなのか、あからさまに落ち込んではいないけれど、きっと残念ではあるのだろう。
     もちろん、指輪が無くてもプロポーズはできるだろうが、思い描いていたシーンが実現できないのは、やはりショックなのか。
     無言で直行エレベーターに乗り込んだ二人に私も随行する。
     展望デッキまで50秒で到着すると、直行エレベーターの扉が開いた目の前に、広がる紺碧の海が日の光を映して輝いていた。
     エレベーターから南西に向かって四分の一周すると、展望台で一番のビュースポット、富士山が東京都心に立ち並ぶ高層ビル街の向こうに見渡せるポイントだ。
     本来なら、この場所で指輪を渡したかったのだろう。そして、プロポーズの言葉を……。
     二人の人生の最初の記念になるはずの場面で、大きくしくじった男性は意気消沈していたが、それでも気を取り直したのだろう。
     ビュースポットの前に立ち、女性に向き合うと一歩前に出る。
     そうだよ、人生は思い通りにいかないよね。
     それでも前を向いて行くしかない。人生の意味は変えられる。取り戻せるのだから……。
     そう思った瞬間、私には見えたのだ!
    「お客様! あそこでやり直しましょう!」
    「えっ?」
     私が白手袋で指し示した先には、新宿から渋谷、品川まで林立する高層ビル群の手前に、凛として聳える赤い塔、東京タワーが立ち尽くしていた。

     東京スカイツリー団体バス駐車場で、私は待っている。
     私の乗務するバスと入れ違いにこの場所に到着するバス「さくっと満喫!東京スカイツリーと浅草散策」に乗務するアイツ、航のことを。
     お客様のプロポーズと指輪を巡る状況は、もう業務用スマホで伝えてある。
     お客様からお預かりした東京駅待合室ロッカーで発券された「QRコード」を、ここで東京駅に向かう航に託す。
     航のコースは、私たちと入れ違いに浅草散策からこの東京スカイツリー天望デッキで下車観光して、その後に車窓から上野駅、歌舞伎座、銀座を御案内しながら東京駅丸の内南口に13時30分に到着する予定だ。
     航が東京駅待合室でロッカーを開けて、東京タワーに向かう映美に渡せば届く、指輪は東京タワーに。
     映美にも伝えてある。今日、映美が乗車する15時30分発、「二階建てオープンバス・TOKYOパノラマドライブ」は16時前には東京タワーに到着できる。下車観光は無いのだが、指輪の受け渡しだけはお客様とドライバーにお願いするしかない。
     指輪が東京タワーに届くのは、私たちのコースが出発する20分前の予定だ。20分あれば間に合うだろう。大丈夫、できる!
     あっ!
     駐車場に入って来るレモンイエローの車体、フロントガラスの内側に「さくっと満喫!東京スカイツリーと浅草散策」と表示されている。
     バス先頭のガイド席から立ち上がって、今にも降りようとしているのはアイツ、航だ。
     私は駐車するバスに駆け寄ると、前扉が開くなり飛び降りた航に「QRコード」を記した紙を手渡す。
    「航! これ! QRコード!」
    「了解! 任せろ!」
     私が拳を突き出すと、航も拳を出してぐっと押し合った。

     東京スカイツリーを出発してから、次の下車観光場所、浅草観音と仲見世の自由散策から駐車場に戻った時にも、あのお客様は覇気が無かった。
     昼食は、このコースでは目玉、舞浜のシェラトン・グランデ・トーキョーベイ・ホテル「グランカフェ」でのビュッフェだ。
     どれも美味しい和洋中、各国料理の種類も多い。デザートなども充実しているし、時間もたっぷりと60分を予定している。
     お席はグループ毎にテーブルが用意されているが、かなり余裕のある広いフロアなので、お一人様でも一テーブルずつ確保されている。
     ふと見ると私の母と、あの黒コートのお客様は、目が合うと互いに離れた席へと移動したのが分かった。
     どのお客様もお食事を楽しんで下さっているだろうか。「祖国から避難して来たと」いうあのお客様も気になったが、娘さんが甲斐甲斐しく料理を運んだりしている様だった。
     見廻すとそれぞれのお客様が、料理を取りに席を立ち、チョイスした料理を召し上がっている様子だったので安心したのだが。
     やはり、プロポーズを予定していたお客様たちは、女性の方はデザートも幾つか選んで盛っている様だったが、男性の方はドリンクバーで注文したお酒は飲んでいても、お皿の料理には手をつけていない様子だった……。

     東京タワーに到着したのは、予定通りの15時30分。
     50分の見学で、出発予定時間は16時20分。映美が乗車するバスは、その20分前には東京タワーに到着予定だ。
     私はプロポーズするお客様を車内に残して、他のお客様たちを一階エレベーターホール、展望デッキ直行エレベーター優先レーンへと御案内した。
     お客様たちに入場券を配ると、ここから先は東京タワーの係員が御案内する。
    「行ってらっしゃいませ!」
     それを見送ると、私は二人のお客様たちが待つバスへと戻った。
     ヴヴヴッ!
     業務用スマホが鳴った。表示を見ると映美からだ。
    「えっ! 出発が、遅れた……」

    映美


    「映美さん! 涼さんに、これを!」
     東京駅丸の内南口「はとバス」発着所で、航が俺に渡した小さな手提げ袋に入っているのは白い小箱だった。
     これが涼の言う婚約指輪なのか。これをお土産と一緒にロッカーに入れるなんて。
     しっかりしろよと言いたいが、もうしようが無い。俺たちがやるしかないだろう。
     俺は航と拳を合わせてグータッチを交わす。「引き受けた!」と強く!
     15時30分発、「二階建てオープンバス・TOKYOパノラマドライブ」は、16時前には東京タワーに到着できる。
     下車観光は無いのだが、指輪の受け渡しだけはお客様とドライバーにお願いするしかない。

     えっ! だが、定刻になっても予約されたお客様が一組来ない。
    「お客様に御案内します。15時30分発、『二階建てオープンバス・TOKYOパノラマドライブ』に御乗車のお客様は、1番乗り場にお急ぎください」
     発着所にアナウンスが流れているがお客様が現れない。
     東京営業所に連絡すると、もうすぐ着くと電話があったというが、困った。どうする……。
     その時だった。
    「済みませぇーん!」
     小さな男の子の手を引いた、若いご夫婦がこちらに向かって来るのが見える。
     俺はもう、こちらからお客様に駆け寄って、車内へと御案内した。
     出発の御挨拶と自己紹介を終えると、すぐに涼には業務用スマホで連絡したが、その時には未だ間に合うと思っていた。
     最悪の場合でも、涼が乗務するバスは、東京タワーを出発するのが10分まで遅れることはやむを得ないことになっている。
     だが、こういう時に限って悪いことは続く。
     日比谷公園から霞ヶ関、国会議事堂へと車窓から御案内すると、普段なら混み合うことが無い虎ノ門ヒルズ前が渋滞している。
     スマホで確認しても渋滞情報は無い。なぜだ……?
     出発が5分遅れた上に、ここでも5分以上は渋滞に嵌はまっている。涼には再度連絡したが、さすがに限界だろう。これ以上は厳しい。
     ようやく渋滞から抜けられたかと、東京タワー方面に向かう道路に右折した途端だった。
     ああっ!
     前方に赤色灯を点滅させながら停車して道路を塞いでいるパトカーや警察車両が見える。事故だろうか?
     バスはもうバックして戻ることもできない。どうしよう……!
     お客様たちに振り返ると、俺は叫ぶように言った。
    「お客様! 済みません! 見てまいりますので!」
     言って俺は、ドライバーに頼んでバスを路肩に駐車してもらうと、タラップを駆け下りて開けた前扉から飛び降りる。
     俺は、歩道に降り立つと、点滅する赤色灯に向かって走った!

    ćśź


    「渋滞に嵌っている」
     映美から再び連絡があったのは、もうこのバスの出発時間まで10分だった。
     既に東京駅からの出発が遅れたとの連絡があったのだが、最悪の場合はこのバスも出発を10分遅らせることができるので、何とかカバーできると思っていたのに……。
     もう、間に合わないかも知れない。
     バス先頭1ABの席に座るカップルのお客様たちには、もう諦めの表情が浮かんでいる。
     他のお客様たちも戻り始めて、東京タワー駐車場からタワーやバスを背景に自撮りをしているし、私も写真撮影を頼まれる。
     お客様たちの写真を撮りながらも、私も焦った。
     ヴヴヴッ!
     表示を見ると映美だ。
    「ええっ! 今度は事故!」
     出発5分前、全てのお客様が乗車してお揃いになった。私は、未だ乗車せず、前扉の横に立って待つ。
     もう間に合わないか、そう思った時だった。パトカーのサイレン音が聞こえてきたのは。
    「えっ……?」
     サイレン音がこちらに近付いてくる。なぜだろう……。
     パトカーが、この駐車場に向かって坂道を上がってくるのが分かる。
    「あれは……!」
     サイレンを鳴らし赤色灯を点滅させながら東京タワー駐車場に入って来るパトカーの後ろに見えるのは、レモンイエローの車体「はとバス」だった。
     どうしてなのか分からないが、パトカーに先導されて駐車場に入って来た「はとバス」が停車すると、前扉が開くなり飛び降りたのは映美だ!
    「映美!」
     叫ぶと思わず体が動く。
     走る私に向かって、映美が駆け寄りながら叫ぶ!
    「涼! 指輪だ!」
     まるでリレーのバトンの様に、手を差し伸べながら小さな手提げを渡した映美に向かって、私は拳を突き出した。
     映美の拳と強くグータッチを交わすと、その一瞬で伝わったのだ。
     映美は、あの『はしれメロス』の様に友情を守る為ならば、どこまでも駆け続けてきたのだろうと……。

     さあ、ここからだ。これから、私にしかできない仕事がある。誰でもない、この私にしか。
     真琴お祖母ちゃんにも、紫吹トレーナーにも言われた「ピンチの時こそ、お客様に尋ねる。答えはお客様の中にある」という言葉は、この時の為だったのだ。
     ステップを駆け上がって車内に入ると、マイクを握る。
    「お客様にお願い致します。今日、コロナで二年間お会いできなかったこちらのお客様たちが再会し、プロポーズをなさろうとしています。その婚約指輪が、今この場所に届きました」
     私は全てのお客様たちを見廻した。
    「弊社の規定では、この場所からの出発が遅れることは、10分までしか認められていません。ですが、お客様! どうか、15分待ってください! これから展望台に行って来ます! こちらのお客様たちのプロポーズに私も立ち会ってまいります!」
     言って私は、深々と最敬礼する。
    「やってらんないわよねぇ、好きにしてよ!」
     肩を竦めて言いつつも瀬那通訳案内士は、ちゃんと外国人のお客様にも説明している。
    「That's great!(素晴らしい!)」
     言って外国人のお客様は拍手している。
     黒コートのお客様も肯いて拍手する。
     檀店責も大きく肯いた。
     玲奈は目を輝かしながら激しく首を縦に振っている。
     もちろん、私の母祐希も、ゆっくりと目線を送って来る、「やんなさいよ」と。
    「祖国から避難して来た」というあの外国人の母親は娘から聞いたのだろう、涙を拭いている。
     あっ!
     突然に立ち上がったのは、以前に遅れたことを会社に抗議されたお客様だ。 
     鞄から取り出した切符を振りかざしながら叫ぶ。
    「15分待ったら、俺は新幹線に乗り遅れるかもしれない! だが、それが何だ! 行ってこい!」

    「こちらです!」
     周りの人は何事だと思っただろう。制服の「はとバス」ガイドが、お客様と一緒に一階エレベーターホールの優先レーンを駆けて、直通エレベーターに飛び乗るのは。
     すぐに展望台二階に到着すると、私が案内したのはエレベーターからは半周先、南側に面した展望窓ガラスに向かって鎮座する「東京タワー大神宮」の神前だった。
    「縁結びにも御利益がある神社で、東京23区で一番高い、神様に近いところにある神社です。きっと、神様に届きますよ、お二人の気持ちが」
     思わず、巫女さんの様な台詞を言ってしまったけれど、本当のことだ。二人にはここが相応しいと思ったのは。
     今朝、二年ぶりに再会して、スカイツリーでプロポーズしようとしていた二人。
     思わぬミスで、婚約指輪が無くて落ち込んでしまったが、そんなことは全て忘れたような笑顔で、今私の前で愛の言葉を告げ合いながら結婚を誓っている。
     お互いに婚約指輪を贈り、指に嵌め合うと、また見詰め合っている。きっと目だけでも心が通じているのだろう。二人の目が潤んでいるのが分かった。
    「本当におめでとうございます! お幸せに!」
     祝福しながら、「東京タワー大神宮」を背景に、それから南側に広がる景色を背景に二人の記念写真を撮る。
     東京タワーの周りにも超高層ビルが立ち並んでいるが、この展望台南側からは超高層ビルではない。麻布十番の街に息づく人々の暮らしが見える。
     二人のプロポーズに立ち会った私は、この展望台から東京の街を見下ろしながら分かったのだ。
     私たちの仕事は、名所旧跡を観光案内しているだけではない。
     お客様の夢と暮らしを乗せて、お客様の人生を運んでいる。なんて素敵な仕事なのかと。
     一緒に撮ろうと言われて、三人で自撮りした写真の私は最高の笑顔だったと思う。そう、私はいつでも「安心と感動を笑顔にのせて」いるのだから。

    「おめでとう!」
     再びバスに戻り乗車すると、お客様たちから拍手で迎えられた。祝福の言葉を口にして涙を流している人もいる。
     誰もがコロナ禍で不自由や苦しい思いをしてきたけれども、それを乗り越えて愛を叶えようとする二人の姿に感動したのだろう。
    「お客様、お揃いです」
     私が一路ドライバーに言うとバスが動き出す。
    「お願いがあります」
     真っすぐに手を挙げたのは、あの外国人親子の金髪の娘。背負っていたケースから出したのだろう。大きくて平たい楽器を抱えている。
    「私は日本に留学中でしたが、今は母が祖国から避難して来て一緒に暮らしています。お二人のお祝いに故郷の曲を歌わせて下さい。『母への道』という曲です」
     私が頷くと、娘が弾く伴奏に合わせて母親が歌い出した曲には、喜びと哀愁とが入り混じっていた。
     聴き入るお客様たちも想像していたと思う。きっと、この親子の故郷の土地の美しい景色と人々の暮らし。それが今は……。
     歌と伴奏が終わると、車内は拍手に包まれた。涙を溜めているお客様も見える。
     でも、驚いたのだ。その時に手を挙げたのは、あの黒コートのお客様だった。
    「お国が大変な時、お辛いでしょうに。それでも、日本の恋人たちへのお心遣いは、本当に素晴らしい。お礼に、日本の歌をお返しさせて欲しいのです」
     言うと、お客様が歌い出したのは……。
    『知らず 知らず、歩いて来た
     細く長い この道』
     この曲は『川の流れの様に』……。でも、それよりも聞き覚えがあったのだ、この声には。
    『振り返れば 遥か遠く
     故郷が見える
     でこぼこ道や
     曲がりくねった道
     地図さえない
     それもまた 人生』
     もう、お客様たちも気付いたのだろう。
     この声はもしかして、あの国民的歌手。最近カミングアウトしたばかりの。
     聴き入りながら誰もが驚いている。お客様たちの静かな騒めきに車内は包まれていた。
     ただ一人、私の母、祐希を除いて……。母だけは動じていない。知っている、この二人は……。
    『ああ 川の流れのように
     ゆるやかに
     いくつも 時代は過ぎて
     ああ 川の流れのように
     とめどなく
     空が黄昏に 染まるだけ』
     歌い終わった時には、殆どのお客様が驚きで暫し呆然としていたが、拍手が沸き始めると感動したのだろう、涙で咽ぶ声も聞こえる。
     続いて手を挙げたのは、あの瀬那通訳案内士だった。
    「涼ちゃん! ほら、アンタの出番よ! こちらのお客様からリクエストよ!」
    「Please sing Sukiyaki(『スキヤキ』を歌って下さい)」
     知っている。『上を向いて歩こう』が、アメリカで『スキヤキ』という曲名で大ヒットしたので、よくアメリカ人からリクエストされたと真琴お祖母ちゃんから聞いていたのだ。
    「When I was a child, the bus guide sang it for me.(私が子どもの頃、バスガイドが歌ってくれました)」
    「こちらのお客様が子どもの頃に、バスガイドさんが歌ってくれたそうよ」
    「それは、きっと私のお祖母ちゃんです……」
    「The bus guide must be her grandmother. (そのバスガイドは、きっと彼女のお祖母ちゃんです)」
    「Wow! That's great!(おお! 素晴らしい!)」
     私は、マイクを持つと基本姿勢を取る。
    『上を向いて歩こう
     涙がこぼれないように』
     歌い出すと、リクエストしたお客様はもうスイングする様に体を揺らしている。
    『思い出す 春の日
     一人ぼっちの夜』
     曲に合わせて口笛を吹くお客様も、口ずさむ声も聞こえる。
    『幸せは 雲の上に
     幸せは 空の上に』
     一緒に歌い始めるお客様もいる。
    『悲しみは星のかげに
     悲しみは月のかげに』
     もう、全員が合唱していた。バスが走る「歌声喫茶」の様に。
    『上を向いて歩こう
     涙がこぼれないように
     泣きながら 歩く
     一人ぼっちの夜』
     歌い終わると、拍手が沸きおこる中で最敬礼した。拍手に包まれながら見渡すと、お客様たちの誰もが笑っている。

     東京駅丸の内南口「はとバス」発着所に到着したバスの前扉横に立って、降車されるお客様に御挨拶をする。
     最初にステップから飛び出す様に降りてきたのは、新幹線の切符を翳したお客様だ。
    「お客様! 遅れまして申し訳ありませんでした!」
     謝る私に、お客様はニヤリと少し頬を緩ませながら皮肉を交えた様に言う。
    「フンっ! 全くとんでもないガイドだな、君は。また、乗りに来るからな。今度はゆっくりと」
    「ありがとうございます! またのご乗車をお待ちしております!」

     続いて降車したのは、何とかではあるけれど無事にプロポーズを果たしたカップルだ。
    「ありがとうございました! 一生忘れることができない日になりました!」
     男性のお客様が言ったが、二人とも満面の笑みを浮かべている。
    「はい! 私も一生忘れることはないでしょう! おめでとうございます!」
    「ああ、貴女が担当のツアーに乗れてよかった!」
     女性のお客様が言って下さった言葉は、ガイドとして一番嬉しい。私にしかできない御案内になったのだろうか。
    「お幸せに! またのご乗車をお待ちしております!」
     最敬礼で、お二人の人生の門出をお見送りする。

     降車した檀店責も声を掛けてくれた。
    「さすがね。ああ、未だうちに居て欲しかったわ。でも、貴女がうちに来てくれて良かった」
    「ありがとうございます! 檀店責のおかげです。御社に出向して、檀店責に出会えて良かったです」
    「そう言われると私も嬉しい。やっぱり良かったわ、『はとバス』ガイドを受け入れて。また貴女のツアーに乗りに来るからね」
    「はい! またのご乗車をお待ちしております!」

     あの外国人の親子も降車して来た。娘さんが私に言う。
    「母も喜んでいます。日本に来て良かったと」
    「ありがとうございます!」
     私は最敬礼でお礼したが、再び貌を上げた時には、自分の眼が潤んでいるのが分かった。
    「祖国が大変な時に、日本のカップルのことを気に掛けて下さって。本当に……、お国が一日も早く、平和になることを祈っています」
    「ありがとう。母が、日本にいる間に、また乗りたいと言っています」
    「はい! またのご乗車をお待ちしております!」

     降車して来た玲奈の貌は涙を拭った跡が分かる。
    「涼先輩! 決めました。やっぱり私、はとバスガイドになるって」
    「玲奈さん! はとバス社に御乗車、お待ちしております!」
     二人で顔を見合わせて笑った。

    「涼ちゃん。やるわね、アンタも。お客様が、またアンタのバスに乗りたいそうよ」
     瀬那案内士が言うと、大きな白人のお客様も私に声を掛ける。
    「I remember your grandmother. I want to get on the bus you guide again.(君のお祖母ちゃんを覚えている。君がガイドするバスに、また乗りたいよ)」
     真琴お祖母ちゃんは生きている……、色々なお客様の思い出の中で。そう思うと涙が滲む。
    「Thank you very much. I look forward to seeing you again.(ありがとうございます。またのご乗車をお待ちしております)」

     こちらに向かって来るアイツ、航が見えた。17時30分発「江戸の風流・屋形船」コースに乗務するのだろう。
     私は黙って拳を突きだした。航も拳を合わせて互いに強く押し合う。もう、最初のグータッチとは意味が違っていた。
    「ありがとう! 間に合った」
    「任せろ、って言っただろ」
     それを見た瀬那案内士は黙っていない。
    「フンッ! 何よ! 王子ったら! やってらんないわ!」
     言って肩を竦める。
    「まあ、これじゃ……、しょうがないわね」

     殆どのお客様が降車してから私に声を掛けたのは、あの黒コートのお客様、というよりもあの国民的歌手。
    「歌が上手いな」
    「はい! お陰様で!」
     お客様は肯いた。分かっているのか……、と言いたげに。
    「歌手になる気はあるか?」
    「ありがとうございます! ですが私、この仕事が好き、お客様が好きです。この仕事で生きていきます!」
     即座に言い切ることができた。以前の私は「自分が好き」なだけだった。でも今は「この仕事が好き」「お客様が好き」なのだから。
    「フッ、頑張れよ」
    「はい! またのご乗車をお待ちしております!」
     待っているよ。たまには会いに来て欲しい。
     たとえ、私を置いて去った人でも。きっと、どうしても……、どうしても、そう生きたかったのだよね。
     お客様はマスクの下で笑うと、踵を返して片手を挙げながら歩み去って行く。

     最後に降車したのは私の母、祐希だった。私には声を掛けずにバッグを開ける。
     母がバッグから出して私に見せたのは、真琴お祖母ちゃんの小さな遺影だった。
     堪えきれずに、突然に涙が溢れてくる。
     真琴お祖母ちゃん、御乗車してくれていたんだね……。
     早く、一人前になって御乗車して欲しかったけれど、中々できなかった。
     やっと、やっと、御乗車してもらえたんだね。
     真琴お祖母ちゃん、どうだった……、私の御案内は。
     私にしかできない御案内になったかな。
    「真琴お祖母ちゃん、ご乗車ありがとうございました!」
     遺影に向かって最敬礼すると、つま先に大粒の涙が零れ落ちる。
     私の後ろに立って、お客様に御挨拶を続けていた一路ドライバーが声を掛けた。
    「真琴さん。御乗車を、お待ちしておりました」
     えっ! 声を掛けたのは、遺影に向かってなのか。
     一路ドライバーが制服のポケットから出した一枚の白黒写真は、丁寧にパウチされている。
     見ると、ボンネットバスの前に並ぶドライバーと五人のバスガイドたち。
    「この時の運転士が私の祖父でした。死ぬまで真琴さんのことを言っていました。素晴らしい『はとバス』ガイドだったと」
     母もハンカチを出して滲んだ涙を拭うと、一路ドライバーにお辞儀をした。
    「お世話になります。涼を、よろしくお願いします」
    「はい。承知しております。責任を持ってお預かり致します」
     遺影をバッグにしまう母を、離れて見詰めていたのは、あの黒コートのお客様。
     一瞬の間、二人は互いに視線を交わしたが、それぞれ別々の方向へと歩き去っていく。
     私が溢れ出た涙を拭うと、一路ドライバーが肯く。
    「今日は、二百点。御案内は満点の百点。あとの百点はお客様の点数だ」
    「ありがとうございました!」
    「まあ、真琴さんが見ていてくれたからかもなあ」
     見上げると、東京駅の上を舞っていた鳩の群れの中から、離れて一羽の白い鳩が飛んでいくのが見える。
    「真琴お祖母ちゃん! ご乗車ありがとうございました!」
     私が叫ぶと、空の上で真琴お祖母ちゃんが笑ったのが分かった。

    エピローグ


    「お兄ちゃん」、もうすぐ行きますよ。
     今日は祐希が連れて来てくれたので、涼の「はとバス」に初めて乗りました。
     あの人も乗っていて、本当に久しぶりでした。家族が顔を揃えたのは。
     涼も色々と分かったみたいです。
     立派にやり遂げましたよ。あの子にしかできない御案内を。
     白い鳩が私を迎えに来ました。
     空に向かう私に涼の声が聞こえます。
    「真琴お祖母ちゃん! ご乗車ありがとうございました!」
     いえいえ。涼、祐希。貴女たちこそ私の人生に、ご乗車ありがとうございました。


    取材協力


    (株)はとバス
    (株)ストライプインターナショナル



     
     
    「霞保育園で待っています」 「今日を運ぶ」 「ご乗車ありがとうございました 昭和の街から令和の空へ」

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