長寿者の夢
ある日、百寿を数年後に控えた老婆が、リハビリテーション目的で転院してきました。彼女には「…したい」という夢がありました。
さて、その夢は如何に?
山形県庄内を知る人は「庄内のお年寄りには元気な人が多い」と皆、口を揃える。
実際に庄内町では「健康長寿日本一のまちづくり」を掲げ、百寿を迎えた町内の高齢者に毎年、賀詞とお祝い金を贈っている。それは条例第21号「庄内町元気でご長寿お祝い条例」(平成18年 3月20日)に定められている。2024年の人口が 19,453名の庄内町で、その年に百寿を迎えたのは12人(男2人女10人)であった。
百寿を院内で迎えた高齢者には、町長が自ら病院を訪問して患者に賀詞とお祝い金を手渡す。また、故人が百寿など長寿を全うした葬儀では、小銭を入れた祝儀袋を配ることもあると聞いている。金額は、長寿にご縁があるようにと5円玉だったり、十分に生きましたと 10円玉だったりするそうだ。
その患者さんはあと数年で百寿を迎える老婆だった。
肺炎後の廃用症候群*でリハビリテーション目的で転院してきた。(*病気や怪我の治療など過度の安静後に、使わなかったことにより身体機能、精神機能が低下する一連の症状)意思疎通は可能であったが、身体機能は床上で全介助が必要だった。
診察所見は意識は清明だったが表情は暗く活気に乏しかった。栄養状態は不良で、下肢の筋委縮が進んでいた。
彼女は離床を拒否し、協力が得られずリハビリテーションは難渋した。
「家さけぇりて」
看護記録には、患者は帰宅願望が強い旨が記載されていた。
経口摂取量は 0~3割程度と少なく、点滴が必要だった。
彼女は特別養護老人ホーム(特養)に入所していた。病棟での多職種カンファレンスで、その特養は点滴が持続して必要な症例は入所不可であることが報告された。現状ではこの老婆の退院先は未定であった。
「倅の処さ行ぐ。」
回診で彼女は表情も硬く気分も落ち込んで抑鬱が強そうだったので、私は会話で傾聴を心掛けた。
「息子さんの処ですか? それはいいですねぇ。」
「…。」
その後、彼女は沈黙した。
老婆の息子さんは 20数年前に亡くなっていたことを後で知った。(しまった、家族歴を確認しておくべきだった…。)
「長生ぎしてもいいごどねぇ」
看護記録には患者はそう言った後から、経口摂取を受け付けなくなったと記載されていた。拒食である。
カルテの経過表には経口摂取ゼロの日が続いた。
回診でも寝た振りをしているのか、彼女は私と視線を合わせることはなかった。
老婆は家に帰りたかった。しかし、そこは終の棲家ではなく、また、実際に帰れるかどうかも分からなかった。
老婆は息子の処に行きたかった。しかし、息子は 20数年前に亡くなっていた。
百寿を数年後に控えた老婆の未来は短すぎた。夢は現実に跳ね返され、過去にまで振り戻された。しかしその過去もどうすることもできなかった。
写真 1↓は、羽越本線鼠ヶ関駅構内に進入する上り普通列車である。

鉄道路線には起点と終点がある。その途中には幾つものポイント(=転轍器**)(**列車の通り道である線路を切り替える装置を指す鉄道用語)を通過する。
終点が近づいた老婆は線路を振り返って何を思うのだろうか? 自分で選択して通過したポイント、気が付かないうちに通り過ぎてしまったポイント、選択の余地のなかったポイント…。
長寿な老婆の夢は、遠い昔を見ていた。
んだの。
(2026年 3月)