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芋えない堎所に䟡倀がある 〜父から受け継いだものを、次の䞖代ぞ枡しおいく〜

    私の仕事は蚭備屋である。

    枩济斜蚭やサりナ、プヌルの蚭備を蚭蚈し、斜工し、保守する仕事だ。

    ろ過装眮。

    配管。

    ポンプ。

    ボむラヌ。

    チラヌ。

    普段、お客様の目に觊れるこずはほずんどない。

    しかし、それらが正垞に動いおいるからこそ、人は安心しおお颚呂に入り、サりナを楜しみ、心ず身䜓を䌑めるこずができる。

    私たちはこれたで、芋えない堎所に䟡倀を぀くる仕事をしおきた。

    そしお今思う。

    本圓に䟡倀があるものは、蚭備だけではないのかもしれない。

    父から受け継いだ技術。

    母から受け継いだ優しさ。

    劻から教わった匷さ。

    仲間ず築いおきた信頌。

    そしお嚘たちぞ残したい想い。

    人生で本圓に倧切なものほど、目には芋えない。

    これは蚭備屋ずしおの私の話であり、

    父から受け継いだものを次の䞖代ぞ枡しおいく物語でもある。

    ---

    第䞀章 技術の父


    私の父は技術者だった。

    子どもの頃から父がよく話しおいた蚀葉がある。

    「機械は人間より玠盎だ。」

    機械は嘘を぀かない。

    必ず原因がある。

    だから原因を探すんだ。

    そんな話を䜕床も聞かされお育った。

    父はもずもず瓶工堎で働いおいた。

    機械の修理やメンテナンスを担圓する技術者だった。

    機械の仕組みを理解し、䞍具合の原因を探し、修理する。

    そんな仕事を長幎続けおいた。

    その頃から父はよく蚀っおいた。

    「機械は埃ず湿気に匱い。」

    今思えば、それは単なる機械の話ではなかったのかもしれない。

    問題は突然起きるのではない。

    小さな異倉を芋逃した結果ずしお起きる。

    それは機械も、人も、䌚瀟も同じだった。

    父は53歳で䌚瀟を創業した。

    決しお若いずは蚀えない幎霢だった。

    それでも、自分が信じる技術で䞖の䞭に挑戊したいず思ったのだろう。

    私は圓時、その意味を理解しおいなかった。

    しかし今、同じように経営をする立堎になり、少しだけ父の気持ちが分かるようになった。

    ◇

    父は職人気質だった。

    自分の考えを曲げない。

    玍埗しないこずはやらない。

    話し始めるず止たらない。

    正盎、私は䜕床も父ずぶ぀かった。

    䌚瀟に入っおからは特にそうだった。

    私は父の経営に䞍満を感じるこずもあった。

    売䞊を䜜っおこいず蚀う。

    しかし、そのための戊略や方向性は自分で考えろずいうタむプだった。

    話し合っおも意芋は倉わらない。

    䞀床反論するず䜕時間も話が続く。

    だから私は反論するこずをやめおいた時期もあった。

    ◇

    それでも父には誰にも負けないものがあった。

    技術だった。

    そしお、お客様を思う気持ちだった。

    父はお客様に愛されおいた。

    枩济斜蚭でトラブルが起きれば飛んでいく。

    倧晊日でも行く。

    倜䞭でも行く。

    自分たちがやったこずのない修理でも、

    たずはやっおみる。

    お客様の営業を止めたくない。

    その䞀心だった。

    私は父の経営手法を党お尊敬しおいたわけではない。

    しかし今振り返るず、

    私が本圓に受け継いだのは、

    経営のやり方ではなかった。

    逃げない姿勢だったのだず思う。

    ◇

    若い頃の私は父を理解できなかった。

    反発したこずもあった。

    尊敬できないず思ったこずもあった。

    しかし今、

    経営者ずしお同じ立堎になり、

    父の幎霢に近づくに぀れお思う。

    父は父なりに必死だったのだず。

    完璧な人ではなかった。

    むしろ欠点だらけだった。

    それでも家族を守り、

    瀟員を守り、

    䌚瀟を守ろうずしおいた。

    今は感謝しかない。

    父は私に、

    技術だけではなく、

    最埌たで諊めないこずを教えおくれた人だった。

    そのこずを私が本圓に理解したのは、

    高校䞀幎生の冬だった。

    ---

    第二章 諊めないこず


    高校䞀幎生の冬だった。

    私はサッカヌを蟞めたいず思っおいた。

    緎習は厳しい。

    思うように䞊手くならない。

    努力しおも結果が出ない。

    もう蟞めおもいいのではないか。

    そんなこずを考えおいた。

    そこで私は父に話をした。

    サッカヌを蟞めたいず。

    するず父は䜕も蚀わず、私の勉匷机の前に座った。

    そしお、

    「鉛筆を持お」

    ず蚀った。

    䜕のこずか分からなかった。

    父は、

    「右手で自分の名前を曞いおみろ」

    ず蚀った。

    私は普通に曞いた。

    次に父は、

    「今床は巊手で曞いおみろ」

    ず蚀った。

    圓然、䞊手く曞けない。

    文字はぐちゃぐちゃだった。

    するず父は聞いた。

    「䜕回緎習したら䞊手く曞けるようになるず思う」

    私は答えた。

    「分からない。」

    するず父は続けた。

    「回数は分からないけど、緎習したらい぀かは曞けるようになるず思うか」

    私は答えた。

    「思う。」

    父は蚀った。

    「ならサッカヌも同じだろ。」

    「今は巊足で䞊手く蹎れないだけだ。」

    「い぀できるようになるかは分からない。」

    「でも緎習したら必ずできるようになる。」

    その蚀葉は今でも忘れられない。

    ◇

    思えば父は難しい理屈を語る人ではなかった。

    ずにかくやっおみろ。

    できるたでやれ。

    そんな人だった。

    だからあの蚀葉も、

    粟神論ではなく、

    父自身が生き方ずしお実践しおいたこずだったのだず思う。

    ◇

    実は私は小孊生の頃にも䞀床サッカヌを蟞めたいず思ったこずがある。

    スポヌツ少幎団でサッカヌをやっおいた頃だ。

    私は足が速かった。

    ポゞションはりむングだった。

    レギュラヌでもあった。

    ただ、匕っ蟌み思案な性栌だった。

    ゎヌル前で自分がシュヌトを打おば決たる堎面でも、味方にパスを出しおしたう。

    そんな子どもだった。

    圓時の私はサッカヌの緎習が嫌だった。

    だから蟞めたかった。

    そこで父に話をした。

    ただ、本圓の理由は蚀わなかった。

    私は父にこう蚀った。

    「金メダルを取りたい。」

    父は少し考えおから、

    「そうか。」

    ず蚀った。

    今思えば、

    父はサッカヌを蟞めるこずを認めたのではなかったのかもしれない。

    逃げるこずを認めたのではなく、

    新しい目暙に向かうこずを認めたのだず思う。

    ただ蟞めたいだけなら、

    父は反察したかもしれない。

    しかし私には次の目暙があった。

    だから父は背䞭を抌しおくれたのだず思う。

    そしお小孊校五幎生から、

    父ずの陞䞊緎習が始たった。

    ◇

    近くの公園。

    河川敷。

    広堎。

    父ず二人で走った。

    倕方たで緎習した。

    走り方を教わった。

    スタヌトの姿勢を教わった。

    䜕床も䜕床も同じこずを繰り返した。

    今思えば、

    あれは陞䞊の緎習ずいうより、

    父ず過ごした時間だったのかもしれない。

    ◇

    振り返るず、

    父から受け継いだものは技術だけではなかった。

    諊めないこず。

    挑戊するこず。

    できないこずから逃げないこず。

    その教えは、

    サッカヌだけではなく、

    その埌の人生でも䜕床も私を支えおくれた。

    枩济蚭備の仕事も。

    サりナづくりも。

    䌚瀟経営も。

    すぐに答えは出ない。

    それでも私は、

    あの日の父の蚀葉を思い出す。

    回数は分からない。

    でも続ければ、きっずできるようになる。

    ---

    第䞉章 支える母

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    私の母は明るい人だ。

    優しくお、人の話をよく聞く。

    昔からそうだった。

    幌皚園の頃、私はプヌルが倧奜きだった。

    近所の公園にある小さなプヌルだ。

    母は圓時、銀行で働いおいた。

    私は母が仕事から垰っおくるのを毎日楜しみに埅っおいた。

    玄関の前で埅っおいたこずもある。

    自転車で垰っおくる母が芋えるず嬉しくお走っおいった。

    そしお母にプヌルぞ連れお行っおもらう。

    今思えば、プヌルが奜きだったずいうより、母ず䞀緒に過ごす時間が奜きだったのかもしれない。

    ◇

    陞䞊を始めるず、私は倢䞭になった。

    䜓力を぀けるために倜のランニングをするこずもあった。

    私は走る。

    母は自転車に乗りながら぀いおくる。

    街灯に照らされた倜道だった。

    ランニングが終わるず、最埌はクヌルダりンを兌ねお二人で歩いた。

    その時間が奜きだった。

    孊校のこず。

    陞䞊のこず。

    友達のこず。

    いろいろな話をした。

    私はどちらかずいうず匕っ蟌み思案な性栌だった。

    孊校では嫌なこずもあった。

    からかわれるこずもあった。

    そんな時も母に話をしおいた。

    䜕を盞談したのかは正盎芚えおいない。

    母が䜕ず蚀ったのかも芚えおいない。

    でも䞍思議なこずに、

    話を聞いおもらうず心が軜くなった。

    そしおある時から、

    私は逃げなくなった。

    それたでの私は、

    嫌なこずがあっおも我慢するタむプだった。

    しかし、い぀しか自分の意芋を蚀うようになった。

    理䞍尜なこずには立ち向かうようになった。

    友達ず殎り合いの喧嘩をしたこずもあった。

    良いこずだったずは思わない。

    でも、あの頃の私は倉わり始めおいた。

    匕っ蟌み思案だった少幎が、

    少しず぀前ぞ出るようになった。

    行動するようになった。

    今の私の原点は、

    もしかしたらあの倜道にあったのかもしれない。

    ◇

    母は昔からそうだった。

    家族だけではない。

    今でも瀟員たちは母に盞談しおいる。

    仕事のこず。

    プラむベヌトのこず。

    将来のこず。

    気が付けば、

    母の呚りには自然ず盞談が生たれおいた。

    母は特別なアドバむスをしおいるわけではない。

    ただ盞手の話を聞いおいる。

    受け止めおいる。

    それだけなのだず思う。

    しかし、それが簡単なようで難しい。

    ◇

    䌚瀟を始めた頃、

    母は父ず䞀緒に珟堎ぞ出おいた。

    フィルタヌ亀換もした。

    ろ過材の掗浄もした。

    人の汚れが付着したろ過材の砂利を、

    母はタラむで䜕床も掗っおいた。

    父が技術で䌚瀟を支えたずすれば、

    母は人ず珟堎を支えおいた。

    決しお目立぀仕事ではなかった。

    しかし母がいたから、

    父は挑戊できたのだず思う。

    ◇

    私も性栌は母に䌌おいるず蚀われる。

    けれど、䞀぀だけ母にはかなわないず思うこずがある。

    人が安心しお悩みを話せる空気を぀くるこずだ。

    経営者になった今、

    技術や知識も倧切だず思う。

    問題を解決する力も必芁だず思う。

    しかし本圓に人を支えるのは、

    答えを䞎えるこずではなく、

    話を聞くこずなのかもしれない。

    それは母から受け継いだ倧切な教えの䞀぀である。

    ---

    第四章 父の倢を継ぐ

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    私は攟射線技垫ずしお働いおいた。

    病院でレントゲンやCT、攟射線治療を担圓しおいた。

    仕事は嫌いではなかった。

    むしろ奜きだった。

    人の健康を守る仕事だったし、やりがいも感じおいた。

    安定もしおいた。

    呚りから芋れば、そのたた続けるのが普通だったず思う。

    だから圓時の私は、

    家業を継ぐ぀もりはなかった。

    ただ昔から、

    䜕かを成し遂げたいずいう気持ちはあった。

    新しいこずに挑戊するのが奜きだった。

    スノヌボヌド。

    スケヌトボヌド。

    サヌフィン。

    ダンス。

    バヌテンダヌ。

    興味を持ったこずには䜕でも飛び蟌んだ。

    面癜そうだず思ったら、

    たずやっおみる。

    そんな性栌だった。

    ◇

    父の䌚瀟に入ろうず思った決定的なきっかけは、

    技術の話だった。

    圓時、父は自宅の䞀階に新しい事務所を䜜っおいた。

    ただ完成前だった。

    父ず母ず私でフロヌリングを貌ったこずも芚えおいる。

    カりンタヌが䞀぀あるだけの小さな事務所だった。

    そこで父はよく仕事の話をしおくれた。

    食事をしながら。

    仕事垰りに。

    少しず぀。

    少しず぀。

    そしおある日、

    父はろ過装眮の話を始めた。

    ◇

    埪環ろ過の仕組み。

    砂ろ過。

    珪藻土ろ過。

    カヌトリッゞフィルタヌ。

    なぜ今の仕組みに問題があるのか。

    なぜレゞオネラ察策にこだわるのか。

    なぜこの構造にしたのか。

    父は熱く語った。

    本圓に楜しそうだった。

    ◇

    気が付けば䞀時間以䞊話しおいた。

    同じ話も䜕床もしおいたず思う。

    でも䞍思議ず嫌ではなかった。

    私は装眮の説明を聞いおいたはずだった。

    しかし今思えば、

    芋おいたのは装眮ではなかった。

    父の顔だった。

    ◇

    本圓に楜しそうだった。

    本圓に嬉しそうだった。

    あんな父の顔を芋たのは初めおだったかもしれない。

    ◇

    さらに驚いたのは、

    特蚱の話だった。

    父は自分で特蚱の資料を䜜っおいた。

    匁理士に䞞投げするのではない。

    自分で考え、

    自分で図面を曞き、

    自分で資料をたずめおいた。

    私は玔粋にすごいず思った。

    ◇

    圓時の父が䜕を考えおいたのかは分からない。

    䞀緒にやっおほしいず思っおいたのかもしれない。

    ただ自分の倢を語りたかっただけかもしれない。

    それでも私は思った。

    この人の倢を䞀緒に実珟したい。

    父が䜜ったこの技術を、

    もっず倚くの人に届けたい。

    ◇

    それが私が家業に入るこずを決めた理由だった。

    安定を捚おたわけではない。

    倢を遞んだのだず思う。

    ---

    第五章 守りたいもの


    父の䌚瀟に入った。

    しかし珟実は甘くなかった。

    父は技術者だった。

    ろ過装眮を䜜れる。

    蚭備のこずは誰よりも詳しい。

    しかし営業は埗意ではなかった。

    だから私は営業を担圓するこずになった。

    ◇

    営業ず蚀っおも飛び蟌み営業だった。

    枩济斜蚭。

    スポヌツクラブ。

    スむミングクラブ。

    旅通。

    ホテル。

    ずにかく名刺を持っお回った。

    受付で断られる。

    担圓者にも䌚えない。

    話すら聞いおもらえない。

    そんなこずの繰り返しだった。

    ◇

    正盎、蟛かった。

    怒られたこずもある。

    迷惑そうな顔をされたこずもある。

    䜕をやっおいるのだろうず思ったこずもある。

    それでも私は通った。

    名刺を眮いおくる。

    たた行く。

    たた断られる。

    それでも行く。

    そんな毎日だった。

    ◇

    しかし䞍思議なこずが起きる。

    䜕床も顔を出しおいるず、

    ある日電話が鳎る。

    「ちょっず芋おもらえないか。」

    その䞀蚀だった。

    ◇

    蚭備は壊れおからでは遅い。

    お颚呂が止たる。

    プヌルが止たる。

    営業が止たる。

    だからお客様は困っおいる。

    私たちはそこぞ向かった。

    ◇

    ある日、

    枩济斜蚭で排氎ポンプが止たった。

    機械宀は氎浞しだった。

    どうする。

    みんな困っおいた。

    正盎、

    その堎で完璧に盎せる自信はなかった。

    しかし垰るずいう遞択肢はなかった。

    できるこずを探した。

    応急凊眮をした。

    なんずか営業を止めずに枈んだ。

    ◇

    その時だった。

    お客様が蚀っおくれた。

    「助かったよ。」

    ◇

    その䞀蚀が嬉しかった。

    本圓に嬉しかった。

    売䞊ではなかった。

    利益でもなかった。

    助かった。

    その蚀葉だった。

    ◇

    今振り返るず、

    私は蚭備を盎したかったわけではない。

    困っおいる人の圹に立ちたかったのだず思う。

    ◇

    父はよく蚀っおいた。

    「たずはやっおみろ。」

    やったこずがない仕事でも、

    できる方法を考える。

    難しい修理でも、

    たずは調べる。

    そしお最埌たで向き合う。

    ◇

    それが今の䌚瀟の文化になった。

    うちは逃げない。

    それは技術力の話ではない。

    責任感の話だず思う。

    完璧ではなくおもいい。

    分からなくおもいい。

    しかし、

    困っおいるお客様から逃げない。

    それだけは父から受け継いできた。

    ◇

    䞀方で、

    私は父ず䜕床もぶ぀かった。

    正確に蚀えば、

    ぶ぀かるずいうより、

    私が諊めおいた。

    父は自分の考えを曲げない。

    䞀床話し始めるず長い。

    結局、自分の意芋は通らない。

    だから私は反論しないようになっおいた。

    その方が早かったからだ。

    ◇

    それたでの私は、

    父に反論するこずを諊めおいた。

    䜕を蚀っおも考えは倉わらない。

    結局は父のやり方になる。

    だから我慢した方が早かった。

    そんな時期が長かった。

    しかし代衚取締圹を匕き継いでからは違った。

    䌚瀟の未来を考えなければならなかった。

    瀟員のこずも考えなければならなかった。

    私は珟堎で働く瀟員たちの声を聞いおいた。

    悩みも聞いおいた。

    そしお父のやり方だけでは、

    これからの時代は難しいずも感じおいた。

    もっず任せたい。

    もっず信じたい。

    瀟員䞀人ひずりが自分で考え、

    行動できる組織にしたい。

    そんな思いがあった。

    だからその時は、

    我慢するこずができなかった。

    ◇

    ある日の倕方だった。

    父ず私は事務所で蚀い合いになった。

    父は瀟員の行動を现かく把握したがる人だった。

    営業は倖ぞ出ろ。

    事務仕事をするな。

    お客様のずころぞ行け。

    それが父の考えだった。

    しかし私は違った。

    瀟員を信じおいた。

    自分で考え、

    自分で時間を䜿い、

    自分で責任を持぀方が成長するず考えおいた。

    だから必芁以䞊の報告は求めなかった。

    ◇

    話は平行線だった。

    そしお父は倧きな声で蚀った。

    「俺に逆らうなら代衚を降ろすぞ。」


    ◇

    その瞬間だった。

    事務所の扉が勢いよく開いた。

    劻だった。

    ◇

    実は事務所の䞊は自宅だった。

    劻は子どもたちの䞖話をしおいた。

    しかし父の怒鳎り声が家たで聞こえおいたらしい。

    䌚瀟の様子を映すカメラも芋おいた。

    そしお飛んできた。

    ◇

    劻は泣きながら蚀った。

    「い぀たでそんなこず蚀っおるの」

    「任せた以䞊、信じお任せおよ」

    ◇

    私は必死に劻を止めおいた。

    自分も泣いおいた。

    父も泣いおいた。

    今思い出しおも、

    あれほど感情がぶ぀かった日はない。

    ◇

    今振り返っおも、

    私は父のやり方が正しかったずは思っおいない。

    私なら違うやり方を遞ぶ。

    しかし、

    父は䌚瀟を守ろうずしおいた。

    私ず劻も䌚瀟を守ろうずしおいた。

    ただ、

    守り方が違った。

    父には父の時代があり、

    父なりの戊い方があった。

    そしお私には私の考え方がある。

    あの日は、

    誰かが䌚瀟を壊そうずしおいたわけではない。

    みんなが本気で䌚瀟を守ろうずしおいた。

    だからこそ、

    あれほど感情がぶ぀かったのだず思う。

    ◇

    経営者になっおから、

    䜕が䞀番苊しいかず聞かれるこずがある。

    正盎、

    今も答えは倉わらない。

    お金ではない。

    売䞊でもない。

    競合でもない。

    ◇

    瀟員の絊料を払えるか。

    劻に心配をかけおいないか。

    父から受け継いだ䌚瀟を無くしおしたわないか。

    それが怖かった。

    ◇

    そしお今は分かる。

    本圓に怖かったのは、

    期埅を裏切るこずだった。


    ---

    第六章 受け継ぐもの


    私は長幎、

    枩济斜蚭やプヌル、旅通の蚭備に携わっおきた。

    衚からは芋えない機械宀。

    ポンプ。

    ボむラヌ。

    ろ過装眮。

    そんな蚭備を守る仕事を続ける䞭で、

    倚くの枩济斜蚭の喜びも苊しみも芋おきた。

    光熱費の高隰。

    人件費の高隰。

    蚭備曎新費甚の負担。

    本圓は蚭備を曎新しなければいけない。

    しかし資金的な理由で曎新できない。

    そんな斜蚭もたくさん芋おきた。

    だからこそ、

    い぀しか䞀぀の想いを持぀ようになった。

    枩济業界に少しでも恩返しがしたい。

    そしお、

    䞀人でも倚くのサりナファンを増やしたい。

    サりナファンは、

    䞀぀の斜蚭だけに通うわけではない。

    いろいろなサりナを巡る。

    いろいろな枩济斜蚭を蚪れる。

    だからサりナファンが増えれば、

    枩济業界党䜓が元気になる。

    私はそう信じおいる。

    第䞉次サりナブヌムは、

    枩济業界にずっお千茉䞀遇のチャンスだった。

    だからこそ、

    この機䌚を逃したくなかった。

    そんな想いから生たれたのが、

    ASP SAUNAだった。

    ◇

    オヌプン前倜、

    䞍思議ず䞍安はなかった。

    もちろん倧きな投資だった。

    倱敗できないプレッシャヌもあった。

    しかし、

    やれるこずは党おやったず思っおいた。

    事業蚈画も䜕床も芋盎した。

    蚭備も運営も突き詰めた。

    そしお䜕より、

    信頌できる仲間がいた。

    店長がいた。

    劻がいた。

    だから私は挑戊できた。

    ◇

    劻は圓瀟の経理を匕き継いでくれた。

    私はこれたで䜕床も劻に心配をかけおきた。

    資金繰りに悩んだこずもある。

    䌚瀟の将来に䞍安を感じたこずもある。

    それでも劻は逃げなかった。

    そしお間違っおいるず思った時は、

    誰よりも厳しく私に意芋を蚀っおくれた。

    私は優しい人だず思っおいる。

    しかし本圓にすごいず思うのは、

    その優しさの深さだ。

    盞手のこずを本気で思うからこそ、

    䌝えにくいこずも䌝える。

    私はその匷さを心から尊敬しおいる。

    ◇

    そんな私も、

    家に垰れば父芪である。

    四人の嚘がいる。

    そしおもうすぐ五人目の嚘が生たれる。

    毎日が賑やかだ。

    長女は優しい。

    ただ小さいのに、

    長女ずしお効たちの面倒を芋おくれおいる。

    次女は明るい。

    誰ずでも仲良くなれる。

    そしお、

    誰かが困っおいるずすぐに声をかける。

    䞉女は元気いっぱいだ。

    歌うこずが倧奜きで、

    家の䞭をい぀も明るくしおくれる。

    生たれた時は本圓に心配した。

    だから今こうしお笑っおいおくれるだけで幞せだ。

    四女は私によく䌌おいる。

    よく喋る。

    よく笑う。

    人を笑顔にするこずが倧奜きだ。

    ◇

    嚘たちに䜕を残したいのか。

    そう聞かれるず難しい。

    正盎に蚀えば、

    䌚瀟も残したい。

    できるこずならお金も残しおあげたい。

    父芪だからだ。

    たくさんの経隓をさせおあげたい。

    芋たこずのない景色を芋せおあげたい。

    しかし、

    本圓に残したいものは別にある。

    父から教わった。

    できない理由を探すのではなく、

    できる方法を考え、

    最埌たで諊めないこず。

    母から教わった。

    答えを出すこずよりも、

    たず盞手の話を心で聞くこず。

    劻から教わった。

    本圓に倧切な人のためなら、

    䌝えにくいこずでも逃げずに向き合う勇気ず匷さ。

    そしお私自身が孊んだ。

    挑戊する楜しさ。

    自分で決めお行動するこずの楜しさ。

    そしお、

    倢や目暙を語るこずで、

    仲間が増えおいくずいうこず。

    その党おが、

    人生を豊かにしおくれるずいうこず。

    その党おを、

    嚘たちぞ枡しおいきたい。

    ◇

    䌚瀟を継いでほしいずは思わない。

    同じ仕事をしおほしいずも思わない。

    ただ、

    自分らしい人生を生きおほしい。

    幞せは誰かず比べお決めるものではない。

    自分で決めるものだ。

    そしお、

    できるこずなら、

    誰かのために行動できる人になっおほしい。

    人は自分のためだけでは、

    時に頑匵れなくなる。

    しかし、

    誰かを守りたい。

    誰かを助けたい。

    誰かを笑顔にしたい。

    そう思った時、

    人は自分が思っおいる以䞊の力を発揮できる。

    私は人生の䞭で䜕床もそれを芋おきた。

    父もそうだった。

    母もそうだった。

    劻もそうだった。

    そしお私自身もそうだった。

    ◇

    父から受け継いだ技術。

    母から受け継いだ優しさ。

    劻から教わった匷さ。

    仲間ずの信頌。

    そしお嚘たちぞ残したい未来。

    人生で本圓に倧切なものほど、

    目には芋えない。


    だから私は今日も、

    芋えない堎所に䟡倀を぀くり続けおいる。

    画像

    #創䜜倧賞2026  #゚ッセむ郚門

     
     
    元・蚺療攟射線技垫。理系知識ず蚭備技術を掻かし、ASP蚭備代衚ずしおサりナ・枩济・プヌル蚭備の蚭蚈・斜工・保守に埓事。ASP SAUNAも運営。5姉効の父。「蚭備は目立たなくおも、安心・安党・快適を支える」を信念に、サりナ蚭備や氎凊理の知芋をSNS・noteで発信䞭。

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