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やくざのような父と、その血を継いだ娘 ⑧若い時の経験の大切さを知る

    高校受験を考える頃には、
    弁護士どころか高校に行けるかどうかという状況だった私は、
    工業高校のデザイン科に行きたかったが、
    無理!と言われたので、
    公立で私がなんとか受かる商業高校を受験し、
    なんとか無事合格した。

    そんな私にはアメリカへ行きたいという夢があった。
    きっかけは小学6年生の頃。
    近所の工業高校の文化祭で観た映画
    『スタンド・バイ・ミー』だった。
    アメリカへ行きたい。
    あんな冒険をしてみたい。
    ただそれだけ。
    だからといって英語を勉強するわけでもなく、
    英語は相変わらず赤点だった。
    そんな私がダメ元で父に言った。
    「ホームステイでアメリカに行きたい」
    英語もできない。
    勉強もしない。
    そんな私が行けるはずがないと、
    自分でも思っていた。

    父は
    『いいぞ』
    と一言だった。
    あまりにもあっさりしていて、
    逆に現実味がなかった。
    自分から言っておいてなんだが驚いた。

    その頃、家計はようやく落ち着いてきた頃だった。
    私が中学生の頃、
    父は起業に失敗し、
    貯金は底をつき、
    次の仕事が見つかるまでアルバイトのような生活をしていたのをなんとなく感じていた。
    当時の私は詳しく知らなかったが、
    お年玉の額や、
    服を買ってもらえる回数で、
    なんとなく余裕がないことは感じていた。

    ある時、家のベランダから
    父の車を見たことがある。
    屋根の色が剥げていた。
    その時なぜか
    「あっ!うちって貧乏なんだ!」
    とショックを受けたことを覚えている。
    それでも父は100万円ほどかかるホームステイに行かせてくれた。
    なぜ行かせてくれたのか。
    大人になってから聞いたことがある。
    「若いうちに色々な経験をするのはいいことだ。
     本人がやりたいなら、できる範囲でやらせた方
     がいい」
    という考えだったらしい。

    その時の私は、
    100万円の重さなんてわかっていなかった。

    私はその後就職して1年で100万円を貯めた。
    簡単ではなかった。
    そしてホームステイの費用を返した。
    その時やっとあの時のお金の重さがわかった。
    あの時私をアメリカへ行かせてくれた事に、
    今でも凄く感謝している。

    その時はただアメリカを感じて、
    英語を習得するどころか相変わらず赤点のままだったが、
    その経験が、
    私の人生に大きく影響を与えてくれたことに、後々気づいた。

     
     
    やくざのような父親と、 その血を中途半端に受け継いだ娘。 そこにいた母の話。 家でも外でもヤクザのような父のもとで育ち、 気づけばその価値観を色濃く受け継いでいた。 52歳になった今、その人生を記録してみようと思い立った。