
# 夢と現実の狭間で漂う…
若い頃、料理人になれば毎日美味しい料理を作り、お客様に喜んでもらい、仲間と店を盛り上げて生きていける!
そんな人生を想像していた。
本当は、カウンター越しにお客様と話せるような店に憧れていた。
バーでもいい。
小料理屋でもいい。
常連さんがいて、仕事の話や人生の話を聞きながら料理を作る。
そんな店だ。
でも現実は違った。
給料は安い。
休みは世の中の休みと真逆だ。
ゴールデンウィーク。
お盆。
年末年始。
みんなが遊んでいる時ほど忙しい。
だから友達とも予定が合わなくなる。
気がつけば疎遠になった人も多い。
貯金もなかなか増えない。
若い頃は遊びたい。
飲みにも行きたい。
付き合いもある。
借金なんて珍しくもなかった。
そして何より、自信を砕かれる。
自分では頑張っているつもりでも、上には上がいる。
もっと上がいる。
さらに上がいる。
飲食店経営の厳しさも知った。
料理が上手いだけでは店は続かない。
原価。
人件費。
家賃。
売上。
料理以外の数字ばかり追いかける日もあった。
接客業だから、たくさんの人と関わる仕事だと思っていた。
でも実際は違う。
毎日同じメンバー。
同じ厨房。
同じ人間関係。
狭い世界の中で働く。
だからこそ人間関係は難しい。
逃げ場も少ない。
若い頃に憧れていた世界と、現実は少し違った。
いや、かなり違ったのかもしれない。
最近は会社の研修で、
ハラスメント。
ホスピタリティ。
コンプライアンス。
そんな言葉をよく聞く。
もちろん大切なことだと思う。
昔のように怒鳴ればいいとも思わない。
理不尽が正しいとも思わない。
でも現場に立っていると、少し気になることがある。
厨房は毎日が本番だ。
しかも一日に何十回、何百回と本番が来る。
ただ、本当に本番なのは厨房ではなく、お客様の方なのかもしれない。
厨房から見れば100件のオーダーのうちの1件。
100皿のうちの1皿。
でもお客様から見れば違う。
今日初めて食べる料理かもしれない。
今日しか来ない店かもしれない。
家族との食事かもしれない。
恋人との食事かもしれない。
記念日かもしれない。
つまり、厨房にとっての100分の1は、お客様にとっての1分の1なんだ。
だから現場は必死になる。
急ぐ。
確認する。
指示が飛ぶ。
失敗を防ごうとする。
問題は、その必死さをどう伝えるかだ。
理想は必要だ。
でも現場も存在する。
その両方を知った上で考えないと、本当に大切なものを見失うかもしれない。
そんなことを考えるようになった。
そして今、なぜか「深夜食堂」が好きだ。
最初は理由が分からなかった。
派手な料理は出てこない。
有名シェフも出てこない。
成功物語でもない。
でも気になる。
何度も読んでしまう。
ある日、気が付いた。
私は「深夜食堂」に出てくる料理が好きなのではない。
あの店の空気が好きなんだ。
カウンターがあって、
常連がいて、
誰かが来て、
少し話をして帰っていく。
人生を語る人もいる。
何も語らない人もいる。
マスターは前に出ない。
ただ料理を作る。
そして人が集まる。
若い頃、本当はこんな店をやりたかったのかもしれない。
でもできなかった。
経験が足りなかった。
知識も足りなかった。
自信もなかった。
当時の私は、自分で思っていた以上に未熟だった。
料理は作れても、人を受け止めるほどの器はなかった。
だから店を持たなかった。
持てなかった。
気が付けば30年、40年近く厨房に立っていた。
そして今になって「深夜食堂」を読みながら思う。
夢は叶わなかったのではない。
現実を知ったんだ。
現実を見るとは、夢を諦めることではない。
夢の値段を知ることなのかもしれない。
#創作大賞2026 #エッセイ部門