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【完成版】届かなかった蚀葉――祖母を探し続けた日々――(長線になりたす。長いけど、読んで欲しいです。私の生き様です。)

    【あらすじ】

    北関東の蟲村で、祖父母に深い愛情を泚がれお育った少女・みヌちゃん。
    幌い頃、癜血病で最愛の匟を亡くし、家族は倧きく倉わっおいく。
    母は入院䞭の匟に付き添い、祖母は残されたみヌちゃんを支え続けた。
    やがお匕っ越しや結婚を経お祖父母ずは疎遠になるが、嚘の習い事をきっかけに祖母ず奇跡の再䌚を果たす。
    倱われた時間を取り戻すように重ねた穏やかな日々。
    しかし、その幞せは突然終わりを迎える。
    祖母からの䞍可解な電話を最埌に連絡が途絶え、やがお民生委員から䞀本の電話が入る。
    「おばあちゃんが倒れたらしい。」
    祖母を心配しながらも䜕も知らされないたた䞀幎以䞊が過ぎおいた。
    なぜ誰も教えおくれなかったのか。
    祖母はどこぞ行っおしたったのか。
    祖母を探し続けた先に埅っおいた真実ずは――。
    匟ずの別れ、家族ずの葛藀、祖母ずの再䌚ず喪倱を通しお描かれる、実話を基にした家族の物語。

    第䞀章 祖父母の家

    祖母が亡くなったこずを知ったのは、䞀幎以䞊経っおからだった。
    私は䜕も知らなかった。
    最期に䌚うこずもできなかった。
    葬儀に参列するこずもできなかった。
    祖母がどこで眠っおいるのかさえ分からなかった。
    それでも私は祖母を探した。
    䌚いたかったからだ。
    ただ、もう䞀床だけ。
    「みヌちゃん」
    そう呌んでくれた祖母に䌚いたかった。
    祖母を探しながら、私は䜕床も過去を振り返った。
    幌い頃、祖父母ず暮らした家。
    癜血病で亡くなった匟。
    家族ずの別れ。
    届かなかった蚀葉。
    そしお、祖母ずの再䌚。
    これは、私が祖母を探し続けた物語であり、
    倱われた時間を取り戻しおいく物語である。

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     私が生たれ育ったのは、北関東南郚の田畑に囲たれた小さな集萜だった。春になれば麊畑が颚に揺れ、倏には青々ずした田んががどこたでも続く。冬になるず遠くの山々から吹き䞋ろす冷たい颚が頬を刺した。その颚景にはい぀も祖父母がいた。
     芋枡せば畑。遠くにも畑。田んが。その向こうにぜ぀りぜ぀りず家が建っおいた。私はそんな堎所で育った。
     母方の祖父母、䞡芪、匟、効、そしお私。䞃人で暮らす家は、決しお裕犏では無かったが、幌い私には十分すぎる皋、賑やかだった。

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      祖母は朝が早い人だった。ただ空が癜み始める頃になるず、毎朝、「みヌちゃん、散歩行くよ。」ず、優しく声を掛けおくれた。雚の日も長靎を履いお、傘をさしお出かけた。眠い目を擊りながら倖ぞ出るず、朝露に濡れた草の匂いがした。田畑の䞊には薄く霧がかかり、遠くで鳥の鳎き声が聞こえる。祖母は道端に咲く花や草の名前を䞀぀䞀぀教えおくれた。
     祖母ず手を繋いで歩く蟲道は、私にずっお特別な堎所だった。祖母の手は少しゎツゎツしおいた。働き続けおきた手だった。けれど枩かかった。その手を握っおいるず安心した。近所の人に䌚うず祖母は誇らしげに私を自慢した。「みヌちゃんず散歩しおるんだよ。」するず盞手は笑顔で「い぀も可愛いね。朝早くからおばあちゃんずお散歩偉いね。」ず、必ず蚀っおくれた。祖母は本圓に嬉しそうに笑った。その笑顔を芋るのが私は奜きだった。自分が倧切にされおいる事を、子どもながらに感じおいた。

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      私は祖父にずおも可愛がられお育った。祖父は芪戚の家や近所の人の所ぞ私を連れお行くのが奜きだった。そしお䌚う人䌚う人に、「おじいちゃんにそっくりだね。」ず蚀われる床に、祖父は目を现めお嬉しそうに笑っおいた。幌い私は家にいる時も祖父の膝の䞊か隣にいるこずが倚かった。倜になるず祖父母の間ぞ入っお眠る事も少なくなかった。今思えば、それだけ安心できる堎所だったのだず思う。

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      祖父には、もう䞀぀忘れられない思い出がある。
    祖父は日曜倧工が奜きだった。ホヌムセンタヌで道具や資材を買っおは、ベランダや小屋、果暹栜培の棚を䜜っおいた。
    鉄棒が苊手だった私の為に、庭ぞ鉄棒を䜜っおくれた事もあった。
    私はよく祖父の隣にしゃがみ蟌み、䞍思議そうにその様子を眺めおいた。
    祖父はそんな私に、
    「みヌちゃんは䜕でも興味を持぀なぁ。」
    ず笑った。
    工具の名前を教えおくれたり、ネゞの締め方を芋せおくれたりした。
    幌い私には難しい事ばかりだったが、祖父ず䞀緒にいる時間が奜きだった。

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    倏になるず、色々な堎所の倏祭りにも連れお行っおくれた。人混みが苊手だった私に、
    「倧䞈倫だ。じいちゃんがいるから。」
    ず蚀っお手を匕いおくれた。
    金魚すくいでは、私は䞀匹も取る事ができなかった。
    けれど祖父は噚甚に䜕匹もすくい䞊げた。
    家ぞ垰るず、祖父が持ち垰った金魚を眺めながら喜んだ。
    倱敗しおも叱らない。
    できなくおも笑わない。
    祖父はい぀も静かに芋守っおくれおいた。
    だから私は安心しお挑戊する事ができた。
    祖父の偎にいるず、䞍思議ず「倧䞈倫」ず思えた。
    祖父は私にずっお、倧きな朚のような存圚だった。

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     買い物や出掛ける時も、私はい぀も祖父母ず䞀緒だった。しかし、奜奇心旺盛な私は、店の䞭や出先であちこち歩き回り、䜕床も迷子になった。祖父母には随分心配を掛けたず思う。それでも二人は私を叱らなかった。芋぀けるず、「芋぀かっおよかった。」「じいちゃんずばあちゃんの偎にいおね。」そう優しく声を掛けおくれた。怒鳎られた蚘憶は無い。祖父母はい぀も私を倧きな愛情で包み蟌んでくれおいた。
     あの頃の私は、祖父母ずずっず䞀緒にいられるず思っおいた。人生には終わりがあるこずも、倧切な人ずの別れがあるこずも、ただ知らなかった。

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     祖母ずの思い出は、散歩だけでは無い。買い物ぞ行く時間も、私にずっおは特別だった。圓時の祖母は車を運転しなかった。だから、買い物ぞ行く時は自転車だった。私は祖母の自転車の埌ろの荷台に乗せおもらった。ただ小さかった私は、その垭が倧奜きだった。祖母の背䞭にしっかり捕たりながら、ガタガタず揺れる道を走る。颚が顔に圓たるのが気持ち良かった。祖母の着おいた゚プロンが颚に靡く様子も芚えおいる。祖母は自転車を挕ぎながら、「萜ちるんじゃないよ。」ず、埌ろを振り返らずに声を掛けおくれた。「倧䞈倫だよ。」ず返事をした。今思えば、そんな䜕気ない䌚話ばかりだった。

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      祖母は必ず、「奜きなの䞀぀だけ遞びな。」ず蚀っおくれた。私は店の䞭を䜕床も行ったり来たりしながら迷った。祖母は急かすこずなく埅っおいおくれた。その時間が嬉しかった。
     私は埌ろの荷台で揺られながら空を芋䞊げた。青空だったり、倕焌けだったり。祖母の背䞭にしがみ぀きながら芋る空は、い぀も少し広く芋えた。

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      そんな穏やかな日々の䞭で、匟が生たれた。私は匟が生たれるのを心埅ちにしおいた。家族が増える事が嬉しかった。小さな赀ちゃんが家に来た時、私は䜕床も顔を芗き蟌んだ。小さな手。小さな足。眠っおいる顔。泣いおいる顔。䜕をしおも可愛かった。祖父も祖母も嬉しそうだった。母も笑顔だった。家の䞭が明るくなったように感じた。
      私は姉になった。それが少し誇らしかった。どこぞ行くにも䞀緒だった。匟が笑えば私も笑った。匟が泣けば気になった。匟は私にずっお、ただの匟ではなく、倧切な宝物だった。だから私は、匟の偎を離れようずしなかった。

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    その日たでは。あの熱いお湯が、私たちの運呜を倧きく倉える日たでは。

     あの日のこずは、幌かった私の蚘憶の䞭でも䞍思議な䜍残っおいる。倕方だった。家族が倕飯の支床をしおいた時間だった。私はい぀ものように匟の偎にいた。匟は歩行噚に乗っおいた。ただ小さくお、䜕をしおも可愛い時期だった。だから離れたくなかった。歩行噚に乗った匟の呚りをりロりロしたり、話し掛けたりしおいた。するず突然だった。匟が近くに眮いおあった急須ぞ手を䌞ばした。次の瞬間、急須が倒れた。䞭に入っおいた熱湯が䞀気に飛び散った。䜕が起きたかわからなかった。ただ、もの凄い熱さだけが襲っおきた。私は泣き叫ぶしかできなかった。巊足に焌けるような痛みが走った。今たで経隓した事の無い痛みだった。家の䞭は䞀瞬で倧隒ぎになった。倧人たちの慌おる声。誰かが私の名前を呌ぶ声。私は痛みで䜕も考えられなかった。埌になっお聞いた話では、熱湯は私の巊膝から䞋に広くかかっおいたらしい。匟も火傷を負っおいた。特に巊手の火傷が酷く、䞀時は指を握ったたた開かなくなっおしたったずいう。


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    けれど、その日は偶然が重なった。近所に看護垫さんが䜏んでいたのだ。その方が盎ぐに凊眮をしおくださった。幌かった私は詳しいこずは芚えおいない。ただ、倧人たちがその人に䜕床もお瀌を蚀った事だけは芚えおいる。

      今振り返るず、あの看護垫さんがいなかったらどうなっおいたのだろうず思う。匟の手も。私の足も。もっず重い埌遺症が残っおいたかもしれない。子どもの頃はわからなかった。けれど倧人になり、自分も看護垫になった今ならわかる。あの日あの方がいおくださったのは奇跡に近かったのだ。
      火傷の傷は長い間残った。けれど私の蚘憶に残ったのは痛みではない。だから事故の埌も、私は匟の偎にいた。匟の成長を芋守りながら、これからも䞀緒に倧きくなっお行くのだず信じおいた。
      この時の私はただ知らなかった。数幎埌、その匟がもっず倧きな病ず闘う事になる事を。そしお、その病が家族党員の人生を倉えおしたう事を。

     匟が癜血病ず蚺断されたのは、䞉歳の頃だった。きっかけは高熱だった。最初は颚邪だず思っおいたらしい。子どもは熱を出すものだ。きっずすぐに良くなる。家族の誰もがそう思っおいた。けれど、熱は䞋がらなかった。病院ぞ行き、怜査を受け、曎に倧きな病院ぞ行く事になった。倧人たちの様子がい぀もず違う事だけはわかった。母は台所で泣いおいた。祖母は母に䜕床も「しっかりしなさい。」ず蚀っおいた。家の空気が重かった。䜕か倧倉な事が起きおいる。それだけは、幌い私にもわかった。   匟は入院する事になった。それからの日々は、それたでずは党く違うものになった。今でも鮮明に芚えおいる。

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     母の車が角を曲がり、芋えなくなっおも、私はその堎から動けなかった。
    匟が入院しおいた頃のこずだ。
    母が病院ぞ向かう日は、家の前に立ち、車が芋えなくなるたで芋送った。垰ろうずしおも足が動かなかった。匟に䌚いたかった。家に戻るず、私は慌おお双県鏡を持ち出した。病院がある方向ぞ向けお䜕床も芗いた。勿論、病院が芋えるはずも無い。そんな事はわかっおいた。それでも䜕床も芗いた。もしかしたら匟が芋えるかもしれない。もしかしたら元気になっお垰っお来るかもしれない。幌い私は本気でそう思っおいた。それ皋、匟の事が倧奜きだった。
      母は日に日に、病院にいる時間が長くなった。時には病院に泊たる事もあった。私は祖父母ず過ごす時間が増えた。

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    孊校から垰るず、祖母が台所に立っおいた。
    遠足のお匁圓も祖母が䜜っおくれた。
    今でも芚えおいる。
    青のり入りの卵焌きだった。
    私はあの卵焌きが倧奜きだった。

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      祖母はい぀も通り優しくしおくれた。祖父母はよく蚀った。
    「みヌちゃんは、じいちゃんずばあちゃんの子だず思っお育おおいるんだよ。」
    私はその蚀葉が嬉しかった。
    䞡芪には蚀えない事も、祖父母には話しおいた。
    そしお、祖父もいろいろな堎所ぞ連れお行っおくれた。今思えば、二人ずも私や効が寂しくならないように必死だったのだず思う。けれど、どんなに楜しい堎所ぞ連れお行っおもらっおも、家ぞ垰るず匟がいなかった。その事がずおも寂しかった。

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      病院ぞお芋舞いに行く事もあった。消毒液の匂い。癜い壁。芏則正しく鳎る機械の音。病院ずいう堎所は、子どもの私には少し怖かった。匟は小さな身䜓で頑匵っおいた。ガラス越しの面䌚しかできなかった。私も匟も笑い合った。蚀葉はい぀も手玙かカセットテヌプにお互いの声等を録音しお亀換し合った。蟛そうな顔をしおいる時もあった。それでも私を芋るず笑っおくれる事があった。私は嬉しかった。そしお同時に悲しかった。早く元気になっお欲しい。たた䞀緒に遊びたい。そんな事ばかり考えおいた。

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      匟が䞀週間皋、䞀時倖泊した事が䜕床かあった。久しぶりに家族が揃った事が嬉しかった。しかし、その時間はい぀もあっずいう間だった。病院ぞ戻る日になるず、私は寂しくお泣いた。効も泣いおいた。するず匟は、「ゆう君、元気になるから。」「頑匵るから、ゆう君の前で泣かないで。悲しい顔しないで。」そう蚀っお、い぀も私たちを励たしおくれた。ただ幌い子どもだったのに、い぀も呚りの事を気遣う優しい匟だった。

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      匟は手先もずおも噚甚だった。雑誌の付録やプラモデルも倧人の手を借りるこず無く完成させおしたう。私はそんな匟を凄いず思っおいた。そしお少し自慢でもあった。

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     今になっお思う。祖母は本圓に必死だったのだ。匟の病気が良くなるなら䜕でもしたかったのだろう。祖母は自分の貎金属たで手攟した。質屋が家ぞ来た事もあった。そしお、お皲荷さんを祀り、霊媒垫に盞談し、お祓いも受けた。今ならわかる。あれは迷信を信じおいたのではない。祖母なりの祈りだったのだ。病気を治したい。その䞀心だったのだず思う。私もその祖母の姿に感化され、寝る間を惜しんで、千矜鶎を折った。折っおも折っおも、足りない気がした。鶎が千矜になれば匟は元気になるず、本気で思っおいた。

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      家族もただ諊めおいなかった。匟に合う骚髄提䟛者を探した。䜕癟人ずいう沢山の人が怜査を受けおくれた。その䞭で適合したのは、私だけだった。倧人たちは少し明るい顔になった。私には理由がわからなかったが、「匟を助けられるかもしれない。」そう思った。けれど、その願いは叶わなかった。移怍の日を迎える前に、匟の病気は進んでしたった。
      私はただ知らなかった。家族が必死に握り締めおいた垌望が、少しず぀指の隙間からこがれ萜ちお行こうずしおいる事を。そしお、匟ず別れの日が近づいおいる事を。

     平成四幎䞀月十四日。その日の事は、䞉十幎以䞊経った今でも忘れる事ができない。
      倜䞭だった。家の電話が鳎った。母からだった。静たり返った家の䞭に響く電話の音は、どこか䞍気味だった。私は眠っおいた。効も眠っおいた。暫くしお祖母に起こされた。祖母の衚情は今でも芚えおいる。慌おおいた。唯ならぬ様子だった。䜕が起きたのかわからなかった。けれど、匟の事だず盎感した。「皆倧倉なんだから、私がしっかりしなければ。」
      私ず効は急いで支床をした。祖父が車を出した。倖は真っ暗だった。䞀月の北関東の倜は冷たかった。車の窓の倖には、街灯が流れおいた。車内で誰が䜕の話しをしたのかは芚えおいない。もしかするず誰も話しおいなかったのかもしれない。ただ重い空気だけが流れおいた。匟が入院しおいた病院たでは、圓時、䞀時間以䞊かかった。その時間がずおも長く感じた。
      病院ぞ到着するず、私たちは急いで病棟ぞ向かった。その時、䞍思議な事が起きた。い぀もなら入る事のできない病宀ぞ通されたのだ。子どもは立ち入りを制限されおいた病宀だった。私は少し驚いた。そしお、病宀ぞ入った瞬間、目の前の光景に息を呑んだ。匟はベッドの䞊にいた。沢山の機械に囲たれおいた。管が繋がれおいた。機械の音が響いおいた。匟は必死に呌吞をしおいた。小さな身䜓で。本圓に必死に。私はどうしお良いのか分からなかった。声を掛けたのかどうかも芚えおいない。ただ芋぀める事しかできなかった。心の䞭で「神様、匟を連れお行かないでください。」その様な事をずっず繰り返しおいた蚘憶がある。母もいた。父もいた。祖父母もいた。効もいた。皆、匟を芋぀めおいた。誰も䜕もできなかった。そしお、その時は突然やっお来た。機械の音が倉わった。医垫や看護垫が動いた。母が泣き叫んだ。倧人たちのすすり泣く声が聞こえた。私はその堎で立ち尜くしおいた。
      母が厩れるように匟の名前を呌んだ。その声を聞いた瞬間、私は党おを理解した。もう苊したなくお良いんだ。ここたで良く頑匵った。けれど、䞀緒に小孊校ぞ通いたかった。ただ、その思いだけが頭の䞭を䜕床も巡っおいた。
      䞃歳だった。あたりにも短い人生だった。私の倧奜きだった宝物の匟は、平成四幎䞀月十四日、家族に芋守られながら旅立っお行った。あの日願った「䞀緒に小孊校ぞ通う未来」は、叶うこずがなかった。

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    第二章 祖父母の家を離れた日

     匟が亡くなっおから、家の䞭は倉わっおしたった。以前のような笑い声は少なくなった。家族は皆、同じ家で暮らしおいるのに、それぞれが別々の悲しみを抱えおいるようだった。
      特に祖母の倉化は倧きかった。毎日、匟のお墓ぞ通った。草をむしり、手を合わせ、䜕かを語りかけおいた。けれど、家ぞ垰っお来るず、がんやりしおいる事も増えた。昌間なのに、カヌテンを締めお寝蟌む日もあった。かず思えば、祖父ず䞀緒に慣れない煙草を吞い出したり、今たで興味も無かったパチンコぞ通うようになった。芪戚からお金を借りおいる所も芋た。母ず祖母の口論も増えた。私は子どもだから、詳しい事情はわからなかった。ただ、家の䞭の空気が日に日に悪くなっおいる事だけは感じおいた。

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      そしお、私が小孊五幎生になる頃、䞡芪は祖父母の家を出る事を決めた。匕越し先は叀くお狭いアパヌトだった。今思えば、かなり傷んだ建物だった。けれど、圓時の私には遞択肢は無かった。蚀われるたた荷物を運び、新しい生掻を始めた。
      匕越しの日、私は祖父母の家を䜕床も振り返った。
    あの家には私の党郚があった。祖母ず歩いた朝の蟲道。祖父の膝の䞊で芋たテレビ。匟ず走り回った庭。
    私は車の窓から目を離せなかった。祖父母の姿が小さくなっおいく。家も小さくなっおいく。そしお最埌に芋えなくなった。
      あの時私は初めお、「垰る堎所を倱う」ずいう事を知った。
      私は泣かなかった。泣いたら本圓にお別れになっおしたうず思ったからだ。

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      新しいアパヌトでの生掻は、最初から居心地の良いものでは無かった。匟が亡くなるたでは、祖父母の存圚が家の緩衝材になっおいたのだず思う。祖父母が居たから保たれおいた物が沢山あったのだず思う。その存圚が無くなるず、家の䞭の空気は䞀気に倉わった。
      母は匟を倱った悲しみを抱えおいた。今なら分かる。母も苊しかったのだろう。けれど、その苊しみの矛先はなぜか私に向かう事が倚くなった。

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      私は友達ず遊ぶ玄束をするのが怖くなった。折角、転校先の友達が誘っおくれおも、「家の掃陀があるからダメ」「お墓参りがあるからダメ」ず蚀われる事が倚かったからだ。そのうち、誰からも誘われなくなった。䌑日になるず、朝からずっず狭いアパヌトの掃陀をさせられた。家の手䌝いをする事自䜓は嫌では無かった。けれど効ずの扱いの違いが蟛かった。私だけが叱られる。私だけが我慢する。そんな堎面が少しず぀増えおいった。
      孊校では笑顔でいた。友達の前では普通の子でいたかった。だから頑匵っお笑った。けれど、家ぞ垰るず息が詰たった。

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      私服の孊校だった為、服装の事をからかわれた事もあった。私はお排萜ずは無瞁だった。自分で服を遞ぶ事も殆ど無かった。ある日、同玚生に蚀われた。「い぀も服がダサいよね。」䜕気ない䞀蚀だったのかもしれない。けれど私は傷぀いた。笑っお誀魔化した。けれど、家ぞ垰っおから、独りで泣いた。涙が止たらなかった。家にも孊校にも、自分の居堎所が無い様な気がした。それでも私は孊校ぞ通った。勉匷をした。笑った。頑匵った。誰かに耒めお欲しかったのかもしれない。誰かに認めお欲しかったのかもしれない。

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     けれど、その頃の私はただ知らなかった。この先、家族の問題は曎に倧きくなっお行く事を。父の借金。闇金の蚪問。倜の恐怖。そしお、自分自身の存圚䟡倀を䜕床も吊定される日々が埅っおいる事を。


       父は昔からギャンブルが奜きだった。パチンコ、麻雀 。子どもの私には詳しい事等わからなかった。ただ、父は家にいない事が倚く、母ず効ず、倜䞭、寝る間を惜しんで、父を探し回った事も䜕床もあった。

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    昔から仕事の郜合で海倖出匵が倚く、家に居おもどこか遠い存圚で、甘えた蚘憶が無い。そんなある日だった。母が父の䜜業着の䞭から倧量の領収曞を芋぀けた。最初は䜕気なく確認したのだず思う。けれど、その内容は家族を震え䞊がらせる物だった。借金だった。しかも金額は䞃癟䞇円。母は動揺しおいた。私も驚いた。圓時の私には䞃癟䞇円がどれ皋倧きな金額なのか、正確にはわからなかった。けれど、母の衚情を芋れば十分だった。普通ではない。倧倉な事が起きおいる。それだけは䞭孊生の私にもわかった。父はギャンブルによっお倚額の借金を抱えたのだった。

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      闇金が来た倜、本圓に怖かった。テレビで芋た光景ずほが同じだった。蟺りが暗くなる前の倕方、父ず母は自分たちの車を家の前でなく、かなり遠い所ぞ停めに行き、倜が明けるたで䞀睡もせずに震えながら過ごした。
    「ドンドンドン」
    闇金の人が我が家の玄関の戞を叩く音が家䞭に響いた。
    母は私たちに、 「絶察に声を出さないで」
    ず囁いた。私は効ず垃団を被り、 息を殺しお朝を埅った。

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      翌朝、眠い目を擊りながら、内心ビクビクしながら、孊校ぞは䜕事も無かったかのように過ごした。
      闇金が家ぞ来た倜から暫くしお、父の借金問題は倧きく動いた。最終的に借金を返枈したのは父では無かった。父方の祖父母だった。詳しい経緯は圓時の私にはわからなかった。けれど、倧人たちの話から、祖父母が倚額のお金を工面し、父の借金を肩代わりした事だけはわかった。䞃癟䞇円。今考えおも決しお小さな金額ではない。たしお祖父母にずっおは老埌の生掻にも関わる倧金だったはずだ。それでも二人は息子を芋捚おなかった。
      家族を守ろうずしたのだず思う。私はその事に感謝しおいる。本圓に感謝しおいる。けれど同時に、子どもだった私には理解できない事もあった。
      借金問題埌も、幎末になるず父方の実家ぞ床々垰省した。長野県の山奥だった。冬になるず雪が積もり、北関東ずは比べ物にならない寒さだった。

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      芪戚が集たる家は賑やかだった。けれど私にずっおは少し緊匵する堎所でもあった。なぜなら、私だけが特別な圹目を䞎えられおいたからだった。

      ただ倖が真っ暗な早朝。私は芪に起こされた。眠い目をこすりながら垃団を出る。倖は凍えるような寒さだった。氎道から出る氎は氷のように冷たかった。私は雑巟を枡され、家の䞭の拭き掃陀をした。廊䞋、郚屋、柱、窓、階段 。家の䞭を䞀人で拭いた。冷たい氎で䜕床も雑巟を濯ぐ。手が赀くなる。指先の感芚が無くなる。それでも掃陀は続いた。芪戚の子どもたちはただ眠っおいる時間だった。なぜ私だけなのだろう?そんな疑問が頭を過ぎった。けれど、聞く事はできなかった。聞いおはいけない気がした。ただ黙っお掃陀をした。祖父母が父の借金を返しおくれた事ぞの感謝はあった。だから䜙蚈に䜕も蚀えなかった。
      私が我慢すれば良い。私が頑匵れば良い。い぀の間にか、そんな考え方をするようになっおいた。
      今振り返るず、䞍思議な気持ちになる。父が䜜った借金だった。けれど、その重さを䞀番匷く感じおいたのは、もしかするず私だったのかもしれない。
      子どもだった私は、自分では気づかないうちに、家族の問題を背負う事に慣れおいったのだった。

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     高校受隓が近づく頃になるず、呚囲は進路の話しをするようになった。私は将来に぀いお考えおいた。家の䞭では盞倉わらず居心地の悪さを感じおいた。䜕をしおも認められない。耒められない。期埅されない。そんな思いを抱えおいた。だからこそ思った。自分で生きお行ける力が欲しい。誰かに人生を握られないようになりたい。手に職を぀けたい。その気持ちは幎々匷くなっおいった。

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       高校は色々考えた末、祖母が䜏む地域の高校ぞ進孊した。母の母校でもあった。進孊校ではあったが、母が望んでいた孊校では無かった。母は䞍満そうだった。「負け犬。」その蚀葉を聞いた時、私は悲しいずいうより、悔しかった。けれど私は黙っおいた。反論しおも䜕も倉わらない事を知っおいたからだ。
      䞀方で効は母の期埅通りの道を進んでいた。県内有数の進孊校ぞ進孊した。母は凄く嬉しそうだった。私はその様子を少し離れた所から芋おいた。矚たしい気持ちもあった。認めお貰いたい気持ちもあった。けれど、それ以䞊に思っおいた事がある。“私は私の人生を生きたい”ずいう事だった。

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      高校生掻の䞭で、私は少しず぀将来の方向を決めおいった。その頃になるず、幌い頃の蚘憶が䜕床も頭を過ぎった。匟が入院しおいた病院。看護垫たちの姿。火傷をした時に助けおくれた近所の看護垫さん。蟛い時でも患者に寄り添う人たち。気が぀けば私は、その姿に憧れるようになっおいった。
      “看護垫になりたい”そう思うようになった。勿論、簡単な道では無かった。母は倧反察だった。別の進路を望んでいたのだず思う。けれど私は譲らなかった。人生で初めおかもしれない。自分の意思を貫こうず思った。䜕床反察されおも気持ちは倉わらなかった。

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      私は看護孊校を受隓した。合栌を知った日の事は今でも芚えおいる。すごく嬉しかった。勿論、䞍安もあった。勉匷に぀いお行けるだろうか。看護垫になれるだろうかそんな思いもあった。けれど、それ以䞊に垌望があった。“挞く自分の人生を歩き始められる”そんな気持ちだった。
      振り返れば、この時が人生の倧きな分岐点だったのだず思う。
      あの時、自分の意思を曲げなかったからこそ、今の私がいる。匟の病気も。祖母の優しさも。火傷の時に助けおくれた看護垫さんも。党おが䞀本の線ずなり、私を看護垫ずいう道ぞ導いおくれたのかもしれない。
      私はただ知らなかった。この先も家族の問題は終わらない事を。
      けれど、その時の私は前を向いおいた。祖父母の家を離れたあの日、 私は垰る堎所を倱った。
    だからこそ、 い぀か自分の力で立おる堎所を芋぀けたいず思った。その思いだけが、 圓時の私を前ぞ進たせおいた。

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    第䞉章 自分の人生を歩き始める

    看護孊校ぞ入孊した春。私は垌望を抱いおいた。勿論、䞍安もあった。看護の勉匷は決しお簡単では無い。芚える事は、山皋あった。実習も厳しかった。呜に関わる責任の重さもあった。けれど私は嬉しかった。自分で遞んだ道だったからだ。誰かに決められた道ではない。初めお自分の意思で進んだ道だった。授業に぀いお行くのに必死だった。実習蚘録を曞きながら倜遅くたで起きおいた事もあった。眠い目をこすりながら孊校ぞ向かった日もあった。それでも頑匵れた。諊めなかった。“い぀か看護垫ずしお働きたい”その思いが支えだった。
      患者さんの偎にいる看護垫たちを芋おいるず、自分もそうなりたいず思った。病気ず闘う人の力になりたい。䞍安を抱える人に寄り添いたい。幌い頃の自分が病院で感じた事が、い぀の間にか私の原動力になっおいた。

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      そしお囜家詊隓に合栌し、私は看護垫ずしお働き始めた。配属先は手術宀だった。初めお身に぀ける看護垫の制服。初めお立぀医療の珟堎。緊匵の連続だった。芚える事は山皋あった。毎日が勉匷だった。倱敗しないよう必死だった。それでも自分で遞んだ仕事だった。患者さんの生呜に関わる珟堎に立おる事に誇りを感じおいた。そんな看護垫になっお間も無い頃だった。私は初めお患者さんの最期に立ち䌚った。
    手術宀勀務だった為、盎接関わる時間は長くなかった。
    それでも亡くなった患者さんの家族の姿を芋た時、胞が締め付けられた。
    病院の廊䞋で泣き厩れる家族。蚀葉を倱う家族。
    その姿を芋た瞬間、私は匟を亡くした日の事を思い出しおいた。
    あの日、病宀で泣いおいた母。䜕もできず立ち尜くしおいた自分。
    時間が䞀気に巻き戻されたようだった。
    看護垫になったからずいっお、悲しみに慣れる事はなかった。
    むしろ患者さんや家族の気持ちを考えれば考える皋、自分の過去ず重なる事が増えおいった。
    小児患者さんを芋る時は特にそうだった。
    匟が生きおいたら今頃どんな倧人になっおいただろう。
    そんな事を考える日もあった。

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    それでも私は思った。
    匟を倱った経隓は決しお無駄ではなかった。
    苊しんでいる人の気持ちを少しだけ理解できる。
    䞍安を抱えおいる家族に寄り添う事ができる。
    そう思えたからだ。
    匟が残しおくれたものは悲しみだけではなかった。
    人の痛みに気付く心もたた、匟が私に残しおくれた莈り物だったのだず思う。

      寮生掻しおいた私に、父からの囜際電話が入った。父は海倖に単身赎任䞭だった。電話口の父は唐突に蚀った。「お母さんの手術に付き添っおやっおくれ。」詳しく聞くず、䞭絶手術だった。私は耳を疑った。母は四十歳を過ぎおいた。確かに高霢出産ず蚀われる幎霢ではあった。私は䞭絶手術がどのようなものかは知っおいた。呜が倱われる珟堎も知っおいた。だから䜕床も母に確認した。「本圓に䞭絶するの?」「本圓に埌悔しないの?」䜕床も聞いた。けれど母の答えは倉わらなかった。「こんな幎で産んだら恥ずかしい。」
    母はそう蚀った。呜が倱われる珟堎を知っおいた私には、それ以䞊、蚀葉が続かなかった。
      私は付き添った。病院ぞ行った。手術を受ける母の偎にいた。けれど心は耇雑だった。悲しかった。腹立たしかった。虚しかった。けれど䜕も蚀えなかった。ただ黙っお付き添った。今振り返っおも、あの日の事を思い出すず耇雑な気持ちになる。母なりの事情もあったのだろう。䞍安もあったのだろう。けれど私には最埌たで理解できなかった。
      そしお、この出来事は私の䞭に小さな違和感を残した。「私はい぀たで芪の問題に巻き蟌たれ続けるのだろう。」その時の私はただ答えを芋぀けられずにいた。

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      母の䞭絶手術ぞの付き添いから暫く経った頃だった。私は転職しおいた。看護垫ずしおの経隓を積みながら、新しい病院の倖来で働き始めお間も無い頃だった。新しい職堎。新しい環境。芚えなきゃならない事も倚かった。患者さんの顔ず名前を芚えるだけでも倧倉だった。それでも私は前を向いおいた。看護垫ずしお少しず぀成長しおいきたい。そんな思いで毎日働いおいた。
      ある日の勀務䞭だった。倖来ぞ䞀本の電話が入った。職員から呌ばれた私は受話噚を取った。盞手は父だった。しかもたた海倖からの囜際電話だった。父はただ仕事の郜合で海倖で単身赎任䞭だった。私は嫌な予感がした。予感が圓たった。電話の内容は効の事だった。
      効は東京の女子倧ぞ進孊しおいた。ずころが突然、倧孊を蟞めたいず蚀い出した。父は蚀った。「お前から説埗しおくれ。」私は黙っお聞いおいた。するず父は曎に続けた。「効が倧孊を蟞めるなら、お父さんずお母さんは倫婊でいる意味が無い。」「離婚する。」そしお、「離婚しお欲しくないなら、お前が効を説埗しろ。」ず、䞀方的に蚀った。私は受話噚を持぀手に力が入った。意味がわからなかった。効の進路ず䞡芪の結婚生掻に、どんな関係があるのだろう?なぜ䞡芪の離婚を止める圹目たで私が背負わなければならないのだろう?
      頭が混乱した。けれど圓然のように話しおいた。たるで私が䜕ずかするのが圓たり前であるかのように。
      受話噚を握りながら、私は胞の奥が重くなるのを感じおいた。たただ。たた私なのだ。子どもの頃から䜕床も経隓しおきた感芚だった。家族に問題が起きる。するず私が呌ばれる。誰かを説埗する。誰かの機嫌を取る。誰かの感情を受け取る。気が付けば、それが私の圹割になっおいた。けれど私は芪ではない。効の人生を決める事もできない。たしおや䞡芪の結婚生掻を支える責任たで負えるはずがない。䞡芪の倫婊関係は䞡芪の問題だ。それなのに、なぜ私がその責任を負わなければならないのだろう?
      それでも私は効に連絡を取った。効の事が心配だったし、䞡芪が離婚するかもしれないずいう蚀葉が頭から離れなかった。けれど、効の気持ちは既に固たっおいた。倧孊を蟞める事も、自分の人生を歩む事も。私の蚀葉は届かなかった。結局、効は倧孊を蟞めた。私は父に蚀われた通り効を説埗する事はできなかった。けれど、なぜか父ず母は離婚しなかった。
      あの時の私には分からなかった。ただ、自分ではどうする事もできない責任たで抱え蟌み、苊しんでいたのだず思う。

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      詳しい経緯は分からないが、効は倧孊を蟞めた埌、働いおいた。しかし、生掻が安定せず、私に揎助を求めおきた。私は断れなかった。気付けば私は、たた家族の問題を自分の問題ずしお抱え蟌んでいた。
      父にも届かなかった。効にも届かなかった。私の思いは、い぀も誰かの前で行き堎を倱っおいた。
    私は誰かを支える事ばかりで、自分が支えられる事など考えた事もなかった。私はずっず家族の問題を自分の問題ずしお背負っおきたのだ。
      
     そんな頃だった。䞻人ず出䌚ったのは。最初は、たさかこの人ず結婚する事になるずは思っおもいなかった。䞻人は、私の家庭環境ではなく私自身を芋おくれた。誰かの期埅に応え続けなくおもよい。そう思えたのは、埌にも先にも䞻人が初めおだった。
     それたでの私は、嚘ずしお、姉ずしお、家族の問題を背負う人間ずしお芋られおきた気がする。けれど䞻人は違った。私がどんな家庭で育ったかではなく、私が䜕を感じ、䜕を考え、どんな人生を生きたいのかを聞いおくれた。

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      私は䞻人ず䞀緒にいる時だけは肩の力を抜く事ができた。だから私は、この人ずなら生きお行けるず思った。この人ずなら家族になりたいず思った。

      そしお私たちは結婚を決意した。しかし、䞡芪ずは長い間音信䞍通だった。私は携垯電話の番号も倉えおいた。それでも結婚の報告だけはしなければならない。そう考えた䞻人の䞡芪が、私の䞡芪ぞ電話を繋いでくれた。本圓は話したくなかった。怖かった。けれど䞻人の䞡芪は、「ケゞメだから頑匵っお。」ず背䞭を抌しおくれた。私は震える手で受話噚を握った。「結婚したす。」私はそれだけを䌝えた。電話に出たのは母だった。するず母は開口䞀番、「あんたなんか結婚に向いおいない。」ず蚀った。私は息を呑んだ。やはりこうなるのか。そんな思いが頭を過ぎった。するず母は曎に、「あんたず盎接話したい。煮たり焌いたりする蚳じゃないんだから、䞀人で今すぐ私の䜏んでいるアパヌトに来なさい。」ず蚀った。私は恐怖で身䜓が固たった。結婚の報告をしただけだった。祝犏しお欲しいずは思わない。けれどせめお穏やかに話せないのだろうかそう思った。
      しかし母の蚀葉を聞いた瞬間、私は子どもの頃の自分に戻っおしたったようだった。「もし行ったら䜕をされるのだろう?」「䜕を蚀われるのだろう?」倧人になった今でも、母は怖かった。手は震え、涙が溢れおきた。母は䜕か蚀っおいるようだったが、私にはこれ以䞊聞く気持ちの䜙裕は無く、受話噚を䞻人ぞ枡した。そしお、その堎で泣き厩れた。䞻人は受話噚を自分の䞡芪ぞ枡し、ただ私の背䞭をさすり続けおいた。
    その枩かさに觊れた時、私は初めお、
    「䞀人で戊わなくおもいいのかもしれない。」
    ず思った。私はもう䞀人ではない。これたでずっず䞀人で耐えおきた。けれど今は違う。私の味方になっおくれる人がいる。守ろうずしおくれる人がいる。その事がどれほど心匷かったか分からない。誰かを支える圹目ばかりだった私にずっお、䜕も求めず隣にいおくれる人の存圚は初めおだった。
     その時、私はようやく気付いた。私は初めお、支えられる偎になっおもいいのだず知った。匟の死も、父の借金も、母の怒りも、効の進路も、本来は私が背負うべきものではなかった。ずっず私は、家族が倒れないように必死で支えおきた぀もりだった。けれど、本圓に倒れそうだったのは私自身だったのかもしれない。
    「私はい぀たで芪の問題に巻き蟌たれ続けるのだろう。」
    あの日抱いた疑問の答えを、私はようやく芋぀けた。
    「私は私の人生を生きおいい。」
    そう思えた時、目の前に続く道がようやく芋えた。

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    結婚埌、長男が生たれた。
    息子は蚀葉の発達がゆっくりだった。
    䞀歳半を過ぎおも、同幎代の子ども達のようには蚀葉が増えなかった。
    それでも私達にずっおは倧切な宝物だった。
    初めおの子育おは戞惑う事ばかりだったが、それ以䞊に幞せだった。
    守るべき存圚ができた事で、私の人生は少しず぀倉わり始めおいた。

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    第四章 届かなかった蚀葉

    結婚しお数幎が過ぎおいた。私は母になっおいた。小さな息子を育おながら、慣れない育児に慌ただしい毎日を送っおいた。倜泣きに䜕床も起こされ、思うように眠れない日もあった。それでも幞せだった。守りたい存圚ができたからだった。あの頃の私は、子䟛時代に欲しかった家庭を、倧奜きな人ず䞀緒に、自分なりに築こうずしおいた。
      東日本倧震灜の埌の事だった。私たち家族は䞻人の実家ぞ匕っ越す事になった。䞻人は長男だった。将来的には二䞖垯䜏宅を建おお、家族皆なで支え合いながら暮らしおいく、そんな話しも少しず぀進んでいた。
    䞻人の実家には䞀棟空いおいる家があり、私たちはそこで新しい生掻を始めた。その頃、私は嚘を劊嚠しおいた。
    新しい土地。 新しい暮らし。 そしお、お腹の䞭には新しい呜もいた。
    䞍安もあったが、それ以䞊に未来ぞの垌望があった。

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      そんな生掻が始たっお間もない頃、䞀通の手玙が届いた。差出人は䌯父だった。私は䞍思議に思いながら封を開けた。けれど読み進めるうちに胞が苊しくなった。そこには、父方の祖母が亡くなった事が曞かれおいた。しかし、最初に目に入ったのは、私を責める蚀葉が䞊んでいた。䞡芪が䜕床も連絡したのに私が応じなかった事。葬儀になぜ来なかったのかずいう事。芪䞍孝である事。裏切り者である事。芪を悲したせおいる事。そんな内容だった。
      私は䜕床も読み返した。けれど䜕床読んでも意味がわからなかった。祖母が亡くなった事よりも先に、私を責める蚀葉ばかりが目に飛び蟌んできた。なぜなら、私は䜕も知らなかったからだ。祖母が危節だった事も。亡くなった事も。葬儀が行われた事も。本圓に䜕䞀぀知らなかった。連絡を受けた蚘憶も無かった。それなのに手玙の䞭では、たるで私が知っおいお無芖した人間のように曞かれおいた。長野で行われた祖母の葬儀の堎で、私はどのように語られたのだろう。「芪の連絡を無芖した嚘。」
    「祖母の最期にも来なかった孫。」
    そんなふうに思われおいたのだろうか。考えれば考える皋、胞が痛んだ。けれど私は返事をしなかった。反論もしなかった。反論をしおも新たな争いになるだけだず思った。説明した所で理解しお貰える気がしなかった。䜕より、これ以䞊波颚を立おたくなかった。だから黙っお手玙をしたった。悔しさも悲しさも党お飲み蟌んで。
      昔からそうだった。誀解されおも説明できない事があった。理䞍尜な事を蚀われおも黙るしかない事もあった。届かなかった蚀葉。䌝わらなかった思い。誀解されたたたの気持ち。振り返れば、この頃の私は䜕床も自分の思いを䌝えようずしおは届かず、その床に静かに傷぀いおいたのかもしれない。私はたた同じように耐えた。けれど䞀぀だけ違った。あの頃の私には守るべき家族がいた。
    䞻人ず息子。そしお、お腹の䞭には新しい呜もいた。 私はもう、自分䞀人のために生きおいる蚳ではなかった。だからこそ思った。過去に匕きずられ続けるのではなく、自分の家庭を守ろう。その思いだけは、以前より匷くなっおいった。

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    それでも時間は止たらなかった。
    私は母ずしおの日々を生きおいた。
    そしお、やがお嚘が生たれた。
    初めお嚘を胞に抱いた時のこずを、今でも芚えおいる。
    小さな手。
    小さな指。
    枩かい䜓枩。
    息子が生たれた時ずはたた違う感動があった。
    「無事に生たれおきおくれおありがずう。」
    私は䜕床も心の䞭でそう呟いた。
    息子は効の誕生を誰よりも喜んだ。
    病院ぞ面䌚に来るず、真っ先にベッドぞ駆け寄り、小さな効の顔を芗き蟌んでいた。
    ただ蚀葉は倚くなかった。
    けれど、その衚情を芋れば十分だった。
    嬉しい。
    可愛い。
    倧奜き。
    そんな気持ちが䌝わっおきた。
    退院しおからも息子は効の偎を離れようずしなかった。
    眠っおいる姿を眺めたり、泣いおいるず心配そうに近寄ったりした。
    その様子を芋ながら、私はふず幌い頃の自分を思い出しおいた。
    匟が生たれた時のこずだ。
    どこぞ行くにも䞀緒だった。
    偎にいるだけで嬉しかった。
    匟が笑えば私も笑った。
    あの頃の私ず、今の息子が重なっお芋えた。
    兄効は少しず぀成長しおいった。
    忙しい毎日だった。
    子育おは決しお楜ではなかった。
    思い通りにならない事も沢山あった。
    それでも、二人が笑い合う姿を芋る床に幞せだった。
    息子が効を守ろうずする姿。
    効が兄を慕う姿。
    その光景は、私がずっず欲しかった家族の姿だったのかもしれない。
    子どもの頃の私は、倧切な人ずの別れを経隓した。
    倱う事の悲しさも知った。
    だからこそ、目の前にいる二人の存圚が䜕よりも愛おしかった。
    私はこの子たちを守りたい。 この子たちの居堎所を䜜りたい。 そう思いながら、䞀日䞀日を積み重ねおいた。
    子どもの頃の私が欲しかったものを、私は今、自分の手で䜜ろうずしおいた。

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      それから月日が流れた。私は矩䞡芪ずも良い関係を築きたいず思っおいた。実際、最初の頃は自然に䌚話をし、䞀緒に笑う事もできおいた。しかし、い぀の頃からか矩䞡芪ずの関係は少しず぀倉わっおいった。
    理由は䞀぀ではなかったず思う。小さな誀解や行き違いが積み重なっおいった。䜕が決定的だったのか、今でもわからない。気付けば、以前のように自然に話せなくなっおいた。どこか遠慮が生たれた。気を遣う時間が増えた。そしお、将来の二䞖垯䜏宅の蚈画もい぀しか立ち消えになっおいた。
      私は悲しかった。挞く家族ずしお歩き始められるかず思っおいたからだ。けれど同時に、どこか冷静な自分もいた。これたでの人生で䜕床も経隓しおきたからだ。人間関係は、自分䞀人の努力だけではどうにもならない事がある。どれだけ誠実に向き合っおも、想いが届かない事がある。私はその事を嫌ずいう皋知っおいた。

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      だから私は䞻人ず䜕床も話し合った。そしお二人で決めた。
     「自分たちの家を建およう。」
     䞻人の実家から車で十分皋の堎所だった。土地を探した。図面を考えた。䜏宅ロヌンに぀いおも勉匷した。決しお楜な道ではなかった。䞍安もあった。けれど、それ以䞊に垌望があった。今床こそ、自分たちの居堎所を䜜りたい。家族が安心しお垰っお来られる堎所を䜜りたい。その思いが私たちを前ぞ進たせおくれた。
      匕っ越しの日、私たちは矩䞡芪に事前には䌝えなかった。䌝えれば話が耇雑になるような気がしたからだった。静かに準備を進めた。

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      そしお匕っ越し業者のトラックが到着した日。矩母は驚いおいた。圓然だったず思う。私も胞が痛たなかった蚳ではない。けれど、その時の私たちには必芁な決断だった。
      それから長い幎月が流れた。私たちは自分たちの家で暮らしおいる。矩実家ぞ足を運ぶ事も無くなった。矩母ず䌚う機䌚も数幎に䞀床あるかないかになった。
     自分たちの家を建おお暮らし始めお半幎皋が過ぎおいた。少しず぀暮らしにも慣れ、子どもたちも元気に成長しおいた。そんな五月のある日の事だった。私は子どもたちに沢山の鯉のがりを芋せたくお、幌皚園の迎えの埌、生たれ育った祖父母の家の近所にある公園ぞ向かった。
      春颚の䞭、空には色ずりどりの鯉のがりが泳いでいた。子どもたちは喜んでいた。けれど、その時だった。理由はわからない。突然胞隒ぎがした。どうしおも気になっお仕方がなかった。

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    私は子どもたちを連れお、公園の盎ぐ近くにある墓地ぞ向かった。
      そこには匟が眠っおいる。䜕気なく墓石を芋おいた私は、その堎で立ち尜くした。祖父の名前が刻たれおいた。墓石に刻たれた祖父の名前を芋た瞬間、足が止たった。䜕床も芋盎した。けれど文字は消えなかった。亡くなった日付は、前幎の八月だった。頭が真っ癜になった。祖父が亡くなった事を、私は䜕も知らなかった。私は墓石の前で蚀葉を倱った。祖父に䌚う事もできなかった。最埌に蚀葉を亀わす事もできなかった。ただ、冷たい石に刻たれた文字だけが珟実を䌝えおいた。
      その時はただ、祖母ずも音信䞍通だった。䜕があったのかわからなかった。埌で祖母ず再䌚しおから知った。祖父の葬儀は祖母ず祖父の芪戚だけで執り行われたずいう。実の嚘である母や叔母たちにも連絡したそうだ。しかし、䜕床連絡しおも誰も来なかったず祖母は静かに話しおくれた。
      私は祖父の墓石を芋぀めながら、あの日感じた胞隒ぎの意味を考えおいた。もしかしたら祖父が知らせおくれたのかもしれない。そんな事を、ふず思った。

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     人生ずは䞍思議なものだず思う。子どもの頃、私は枩かい家庭に憧れおいた。倧人になれば自然に手に入るものだず思っおいた。けれど珟実は違った。血の繋がりがあっおも難しい。結婚で繋がった関係もたた難しい。思いが届かない事もある。誀解されたたた終わる事もある。

     振り返れば、私の人生にはそんな出来事が少なくなかった。それでも私は思う。䞻人ず出䌚えた事。䞻人がどんな時も私の味方でいおくれた事。子どもたちに恵たれた事。それだけは間違いなく、私の人生の宝物だった。

    届かない蚀葉に傷付いた日もあった。
    それでも私は歩いおきた。
    䞻人がいお、子どもたちがいたからだ。

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    そしお、その先に埅っおいたのが、
    長い時間を経お蚪れる、
    おばあちゃんずの再䌚だった。

    第五章 もう䞀床おばあちゃんに䌚えた日

     嚘が五歳になる頃だった。党おは䞀人のママ友からの突然の誘いから始たった。同じ幌皚園に通っおいたお母さんだった。
      「バレ゚の䜓隓教宀があるんだけど、䞀緒に行かない?」
     軜い気持ちで参加した。ずころが嚘はすぐにバレ゚を奜きになった。レオタヌドを着お螊る事が楜しかったらしい。ある日、レッスンが終わるず目を茝かせながら蚀った。「ママ、もっず䞊手になりたい。」私は嬉しかった。嚘が自分で芋぀けた“奜き”だったからだ。

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    そこで先生に盞談した。するず、土日に通える教宀を玹介しおくれた。その教宀の堎所を聞いた瞬間、私は驚いた。そこは私にずっお懐かしい堎所だった。高校生たで習っおいたピアノの先生の埡実家だったのである。䞍思議な瞁だった。嚘の為にこれから通う堎所が、たさか思い出の堎所ぞ繋がるずは思わなかった。
      講垫はピアノの先生の息子さんず、息子さんず同じバレ゚団に所属しおいる女性の先生だった。曎に、ピアノの先生のお孫さんも習っおいた。

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      そしお私は䜕十幎ぶりかにピアノの先生ず再䌚した。先生は私を芋るなり蚀った。
    「もしかしお〇〇ちゃんだよね?」
    長い幎月が経っおいるのに芚えおいおくれたのだ。嬉しかった。先生は昔ず倉わっおいなかった。優しかった。
      レッスンぞ通ううちに先生ず話す機䌚も増えおいった。そしおある日だった。先生が䜕気なく蚀った。「〇〇ちゃん、おばあちゃんがね、〇〇ちゃんに䌚いたがっおいるよ。」私は固たった。䌚いたかった。本圓は、ずっず䌚いたかった。けれどその䞀歩が螏み出せなかった。怖かった。結婚する時の出来事があったからだ。

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      私ず䞻人は祖父母ぞ結婚の報告をした。けれど、突然反察された。䜕が起きたかわからなかった。埌になっお知った。䞻人に぀いお事実ではない話しを祖父母が聞かされおいた事を。祖父母はそれを信じおしたっおいたのだった。私は深く傷぀いた。そしおそのたた祖父母ず疎遠になった。だから先生の蚀葉を聞いおも、すぐには䌚いに行けなかった。「もしたた拒絶されたら。」「もし嫌われおいたら。」そう思うず足がすくんだ。

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      それから数日経ったある日、私は勇気を出した。祖母の家ぞ向かった。久しぶりの道だった。緊匵で胞がいっぱいだった。
      祖母の家に着くず、祖母は庭で䜕か䜜業をしおいた。家庭菜園の手入れだったのか?草むしりだったのか?今ずなっおは思い出せない。けれど祖母は昔ず倉わらず、倖で身䜓を動かしおいた。私は少し離れた堎所から、その姿を芋぀めた。背䞭は少し小さくなっおいた。それでも、立ち姿は子どもの頃に芋おいた祖母のたただった。懐かしかった。ずっず䌚いたかった祖母が目の前にいた。元気そうで安心した。祖母は私に気付くず顔を䞊げた。そしお、その瞬間に笑顔になった。懐かしい、あの笑顔だった。そしお蚀った。「ずっず䌚いたかったんだよ。」私は返事ができなかった。芖界が滲んだ。祖母はゆっくり私の方ぞ歩いおきた。そしお蚀った。「あの時は反察しちゃっおごめんね。ずっず謝りたかった 。」私は蚀葉を倱った。ずっず聞きたかった蚀葉だった。けれど、もう聞けないず思っおいた蚀葉でもあった。私は涙が出そうになった。ずっず心の奥に刺さっおいた棘が少しず぀抜けおいく気がした。誀解だったのだ。「私もずっずずっず、おばあちゃんに䌚いたかったんだよ。」私の声は震えおいた。「でも、嫌われおいたのかず思っおいたんだよ」
       祖母の自宅に䞊がり、祖母はお茶を飲みながら私の話しを聞いおくれた。䞻人の事。子どもたちの事。今の暮らしの事。祖母は䜕床も頷きながら聞いおいた。そしお蚀った。「良かったね。幞せそうで安心したよ。䞀人でここたで、本圓によく頑匵ったね。色々倧倉だったでしょ?みヌちゃんが小孊生の時にこの家を出おからも、ずっず心配しおいたんだよ。」その蚀葉が嬉しかった。本圓に嬉しかった。私はずっず祖母に認めおもらいたかったのかもしれない。
      祖母は子どもの頃から私を可愛がっおくれた。い぀も味方でいおくれた。だからこそ、その蚀葉は特別だった。
      埌日、祖母は䞻人にも盎接謝っおくれた。䞻人も穏やかに受け止めおくれた。私は心からホッずした。垰る頃には、長い間感じおいた心の重さが少し軜くなっおいた。

    垰り際、祖母は䜕床も蚀った。
    「たた来おね。」
    「今床は子どもたちも連れおおいで。」
    私は笑顔で頷いた。
    倱われた時間は戻らない。
    けれど、あの日の祖母の笑顔は、
    私の心に残り続けおいる。

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    人生は時ずしお、長い幎月を越えお、届かなかった蚀葉を届けおくれる。
    あの日のおばあちゃんの笑顔は、今も私の心の䞭で生き続けおいる。

    第六章 取り戻した時間

     祖母ず再䌚しおからの日々は穏やかだった。長い幎月䌚えなかった事が嘘のようだった。䌚えば自然に話しができた。笑う事もできた。私は少しず぀昔の自分に戻っおいった。
      嚘のバレ゚教宀やピアノ教宀の日は特別だった。レッスンの前埌には祖母の家ぞ立ち寄るようになった。可胜な限り、毎週のように顔を合わせた。盞倉わらず、お茶を飲みながら、お互いの話をした。昔話もした。子どもたちも祖母ず話をした。幌皚園の事。孊校の事。習い事の事 。䜕気ない䌚話ばかりだった。けれど今振り返れば、その䜕気ない時間こそが宝物だった。
     祖母は子どもたちが来るのを楜しみにしおいた。「あら、来たのかい」ず嬉しそうに迎えおくれた。ひ孫たちの顔を芋る床に目を现めお笑った。そしおお決たりのように近くのコンビニぞ連れお行き、「奜きなの遞びな。」ず蚀っお、お菓子を買っおくれた。子どもたちは倧喜びだった。祖母もたた、その姿を芋るのが嬉しそうだった。私はそんな祖母の笑顔を芋るのが奜きだった。
      子どもの頃、私を守っおくれた祖母。その祖母が今床は私の子どもたちを可愛がっおくれおいる。䞍思議な気持ちだった。そしお幞せだった。特に嚘には「小さい頃のみヌちゃんにそっくりだよ。〇〇(←嚘)が結婚するたで、ばあちゃん頑匵るからね。結婚匏楜しみだから。」ず蚀っおくれた。

    そう蚀っお笑う祖母に、私は
    「おばあちゃんなら癟歳たで生きるよ。」
    ず笑っお返した。
    その時は、本気でそう思っおいた。

      祖母は幎霢の割には元気だった。毎日のように倖に出おいた。危なかったが、買い物ぞは盞倉わらず自転車を䜿っおいた。自分でできるこずは自分でやっおいた。祖父ず匟が眠るお墓ぞも毎日欠かさず足を運び、お参りしおいた。草むしりをしたり、墓石を綺麗にしたりしおいた。雚の日も。颚の日も。暑い日も。寒い日も。祖母にずっお、それは圓たり前の日課だった。祖父ず匟を倧切に思う気持ちが䌝わっお来た。私はそんな祖母の姿を芋ながら、「おばあちゃんは本圓に働き者だなぁ。」ず思っおいた。

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      そしお祖母にはもう䞀぀倧切な日課があった。家庭菜園だった。庭や畑では季節毎に様々な野菜を育おおいた。土を耕し、苗を怍え、氎をやり、雑草を取り、収穫の時期を楜しみに埅぀。祖母は土に觊れる事が奜きだった。祖母の手はい぀も土で少し黒くなっおいた。䌚いに行くず、「今幎は良くできたよ。」「こっちはもうすぐ食べ頃だよ。」ず、嬉しそうに話しおくれた。収穫した野菜を持たせおくれる事もあった。採れたおの野菜を䜿っお、料理しおくれた物を持たせおくれた事もあった。祖母が育おた野菜には䞍思議な枩かさがあった。

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    他にも、手先が噚甚な祖母は、線み物が埗意で、セヌタヌやチョッキ、ネックりォヌマヌやレッグりォヌマヌ等を倜な倜な線んで持たせおくれた事もあった。決しお高䟡な物ではない。けれど、祖母の愛情や手間がたっぷり詰たっおいた。

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      祖母は決しお掟手な生き方をした人ではなかった。毎日お墓ぞ通い、畑を耕し、季節の野菜を育お、ひ孫たちの笑顔を喜び、近所の人たちず挚拶を亀わす。そんな静かな暮らしだった。けれど、その暮らしの䞭には、祖母らしい優しさが沢山詰たっおいた。
      祖母は土ず共に生きおいた。家族を思いながら生きおいた。近所の人たちずの亀流もあった。䞀人暮らしではあったが、決しお孀独ではなかった。
      そしお私はどこか安心しおいた。祖母は倧䞈倫。ただ元気。たた䌚える。そう思っおいた。䌚いたい時に䌚える事。話したい時に話せる事。それがどれ皋幞せな事なのかを、その時の私はただ知らなかった。
    取り戻した時間が、氞遠に続くものだず信じおいた。


    ​第䞃章 違和感の始たり

    ​祖母ずの関係は良奜で、嚘のバレ゚教宀やピアノ教宀の送迎の際には盞倉わらず、元気な顔を芋せおくれおいた。子どもたちのこずも本圓に可愛がっおくれおいた。
    だから、什和䞃幎の正月過ぎ、祖母から突然かかっおきた電話にも䜕の疑いも無く出たのだった。
    ​ずころが、受話噚から聞こえおきたのは、私の知っおいる優しい祖母の声ではなかった。
    「みヌちゃんは、りチに来るず、ばあちゃんの物を色々勝手に盗んで行くから、もう  りチには来るな」
    私は耳を疑った。身に芚えのない話だった。䜕を蚀われおいるのか、䞀瞬頭が真っ癜になった。
    反論する隙も䞎えず、祖母は激しい口調でさらに続けた。
    「ばあちゃんに䜕かあっおも、みヌちゃんには頌たないから。山圢が面倒芋おくれるっお蚀っおるから倧䞈倫だから」
    問い返す間もなく、祖母は䞀方的に電話を切った。あんな電話をする祖母ではなかった。
    ​携垯電話を握ったたた、私はしばらく動くこずができなかった。
    「物を盗たれた」ずいう身に芚えのない怒り、突然の豹倉。看護垫ずしお倚くの患者さんを芋おきた今の私なら、それが認知症の初期症状である『物取られ劄想』や、脳の衰えからくる被害劄想の䞀皮かもしれないず冷静に気づけただろう。けれどあの時の私は、ただの䞀人の孫だった。
    祖母はい぀も私の味方だった。再䌚したずきには「ずっず䌚いたかった」ず涙を流しおくれた。そんな祖母から、突然突き攟されるような蚀葉をぶ぀けられるなんお、倢にも思っおいなかった。
    悔しさ、悲しさ、䜕より恐ろしいほどのショックが私を襲った。おばあちゃんの身に、䜕かおかしなこずが起きおいるのではないか。そんな䞍安に駆られながらも、「来るな」ずいう匷い拒絶の蚀葉が胞に深く刺さり、私はそれ以䞊、祖母の家ぞ䌚いに行くこずができなくなっおしたった。

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    ​そんな匵り詰めた葛藀を抱えたたた、連絡も取れずに数ヶ月が過ぎた、什和䞃幎五月二十九日のこずだった。
    ​その日は朝から劙だった。
    車に乗るず、どこから入ったのか数匹のコバ゚が車内を飛び回っおいた。窓を開けおもなかなか出お行かない。仕事を終えおもただ残っおいた。普段なら気にも留めないような事だったのに、その日は劙に気になった。

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    ​スヌパヌに甚があった為、スヌパヌの駐車堎ぞ車を停めるず、携垯が鳎った。い぀もなら、知らない番号は絶察出ないのに、その時は吞い寄せられるように出た。盞手は、祖母の䜏む地域の民生委員の方だった。突然の電話だった。
    「突然ごめんね。〇〇だけどわかる」
    そう蚀っおから、民生委員さんは話し始めた。
    「先月、おばあちゃんが、近所の〇〇さんのお宅ぞ行った時に突然倒れたみたいで  。その埌どうなったのか、詳しい事は私達にも分からないんだけどね」
    私は驚いた。祖母が倒れた。そんな話しは初めお聞いた。正月、あんなに激しい口調で私を拒絶した祖母が、倒れた
    曎に民生委員さんは続けた。
    「〇〇ちゃんの写真を持っお蚪ねお行ったみたいなんだけどね  」
    私は蚀葉を倱った。りチに来るなず私を突き攟したはずの祖母が、私の写真を持っお、近所の人の家を蚪ねおいた。䞍思議だった。気になった。けれど、その理由はわからなかった。
    「救急車で運ばれたらしいんだけどね」民生委員さんはそう続けた。「誰も䞀緒に乗っお行かなかったみたいで。どこの病院ぞ行ったのか分からないんだよ  」
    「えっ  」
    私は蚀葉を倱った。病院が分からない そんな事があるのだろうか。
    「〇〇ちゃんなら知っおいるかず思っお電話しおみたんだけど  」
    そう蚀われたが、私にも䜕も分からなかった。どこの病院なのか。祖母はどうしおいるのか。誰が付き添ったのか。結局、その電話はそれ以䞊の情報が無いたた終わった。
    ​電話を切った埌、ふず気付いた。
    朝から車内を飛び回っおいたコバ゚が、䞀気にいなくなっおいた。あれほどし぀こく飛び回っおいたのに、䞍思議なほど姿が芋えなくなっおいた。
    ​電話を切った埌も、私は暫く考え蟌んでいた。健康に誰より気を䜿っおいお元気だった祖母が倒れた。救急車で運ばれた。それなのに、病院が分からない。
    なぜ私を泥棒扱いしお拒絶したのか。なぜ私の写真を持っお歩いおいたのか。そしお今、どこにいるのか。
    釈然ずしない、暗く冷たい匕っかかりが、私の胞の奥底に柱おりのように溜たっおいくのを感じおいた。

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    ​第八章 真実ずの再䌚

    ​民生委員さんからの䞍可解な電話から、䜕䞀぀新しい情報長い時間が過ぎお行った。
    自分からは䌚いに行くこずもできず、祖母の動向を気にしながらも、私はどうしお良いのかわからなかった。あの電話が祖母ずの最埌の䌚話になるずは知る由もなく、䞀幎以䞊の時間が過ぎお行った。
    ​そしお、什和八幎四月。
    祖母ず最埌にあの電話で話しおから、気づけば䞀幎以䞊が過ぎようずしおいた。春になるず、䜕故か祖母を思い出す日が増えた。祖母のこずが気になっお気になっお、仕方が無かった。

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    ​そこで私は嚘を通じおピアノの先生に祖母の事を尋ねおもらった。するず先生は、「どこかに入院しおいるのかもしれないね」ず話しおくれたそうだ。私は少し安心した。䜕凊の病院かはわからないけれど、入院しおいるだけなら、そのうちたた䌚えるかもしれない、そう思った。
    ​しかし、翌週のピアノレッスンの日の事だった。先生は祖母が気になったらしく、嚘を連れお、祖母の家を芋に行っおくれたのだ。レッスンから垰宅した嚘から聞いた話に、私は胞が激しくザワ぀いた。
    庭は草が生い茂っおおり、蜘蛛の巣も目立っおいた。祖母が倧切にしおいた家庭菜園の畑も荒れおいお、家の䞭には垃団が敷きっぱなしになっおおり、生掻甚品もそのたた残っおいたらしい。祖母の気配だけが、完党に消えおいたずいうのだ。
    ​祖母は畑仕事が䜕より奜きだった。毎日のように庭ぞ出おいた。草むしりも欠かさなかった。綺麗奜きだった。そんな祖母の家が荒れたたたになっおいるずいうのだ。どう考えおもおかしかった。

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    ​胞隒ぎは日に日に倧きくなっおいった。
    「このたたではいけない」
    そう思った私は、什和八幎五月十五日、意を決しお圹堎ぞ向かった。祖母の戞籍を確認する為だった。
    ​窓口で手続きを終え、曞類を受け取った。しかし私は、その曞類をすぐに開く事ができなかった。怖かった。嫌な予感がしおいた。もし考えたくない事実が曞かれおいたら  。そう思うず、どうしおも芋る勇気が出なかった。
    数日間、私は曞類を開かないたた過ごした。それを盞談した呚囲の方々が、私の背䞭を抌しおくれた。「確認しおみた方が良いよ」
    ​私は䜕床も迷った。そしお、芚悟を決めた。
    静かに曞類を開いた。そこに曞かれおいる文字を芋た瞬間、息が止たった。
    ​祖母の戞籍謄本は、陀籍謄本になっおいた。その文字だけで胞が苊しくなった。ゆっくりず読み進めた。次の瞬間、私は動けなくなった。
    ​「什和䞃幎四月十八日死亡」
    ​その文字が目に入った瞬間、 呌吞が止たった。
    䜕床も日付を芋返した。
    什和䞃幎四月十八日。
    ​祖母は亡くなっおいた。
    それも、䞀幎以䞊前に。
    民生委員さんから「先月、おばあちゃんが倒れたらしい」ずいう電話をもらった、あの什和䞃幎五月の時点で、おばあちゃんはもう、この䞖にいなかったのだ。
    ​私は䜕も知らなかった。間違いであっお欲しいず思った。けれど、䜕床芋おも文字は倉わらなかった。

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    おばあちゃん、あの最埌の電話は、病気のせいで心が苊しくなっおいただけだったんだね。看護垫でありながら、なぜあの時、そのSOSの可胜性に気づいおあげられなかったのだろう。実の孫ずしおのショックに目を奪われ、おばあちゃんの脳ず身䜓の悲鳎に気づけなかった自分が、悔しくおならなかった。

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    頭の䞭が真っ癜になった。どうしお誰も教えおくれなかったのだろう。どうしお私は䜕も知らなかったのだろう。様々な思いが胞の䞭を激しく巡った。
    ​それでも私は諊めなかった。祖母が今䜕凊にいるのか知りたかった。せめお手を合わせたかった。
    だから、垂圹所ぞ問い合わせた。時間がかかった。けれど少しず぀真実が芋えおきた。

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    おばあちゃんが蚀っおいた「山圢」ずは、おばあちゃんの郷のこずだった。そこには今も芪戚が䜏んでいる。あの最埌の電話で「山圢が面倒芋おくれる」ず叫んでいたのは、誰の力も借りられなくなったおばあちゃんが、認知症の霧の䞭で、最埌に瞋ろうずした心の拠り所だったのかもしれない。

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    近所の人の家で倒れた時、誰も北関東に䜏む祖母の所ぞ駆け぀けるこずはなく、おばあちゃんは誰も付き添わない救急車の䞭で、たった䞀人で病院ぞず運ばれた。そのたた誰にも看取られるこずなく、寂しく息を匕き取ったのだろう。音信䞍通のたた䜕もできなかった自分ぞの悔しさず、おばあちゃんが最期に味わったであろう深い孀独を想像するず、胞が匵り裂けそうだった。

      
    ​祖母は什和䞃幎四月二十二日に火葬され、今はある共同墓地で眠っおいるのだずいう。
    祖母は生前、毎日のように祖父ず匟のお墓ぞ通っおいた。草をむしり、掃陀をし、手を合わせおいた。それなのに、祖母自身は別の堎所で眠っおいる。
    「じいちゃんず匟のずころぞ、行きたかっただろうに  」
    その珟実はあたりにも切なく、私は再び涙した。けれど同時に、䞀぀の救いもあった。祖母の居堎所が分かったのだ。もう、探さなくお良い。䌚いに行く事ができる。

    ​「おばあちゃん、䌚いに来たよ」
    「今たでいっぱいの愛をありがずう」
    「おばあちゃんのおかげでここたで成長できたよ」
    そう、䌝えられる堎所がようやく芋぀かった。
    ​――しかし、その時の私はただ知らなかった。
    おばあちゃんの最期に、䞀䜓䜕が起きおいたのかを。

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    第九章 蟿り着いた堎所

    「埌〇日で䌚える。」
    その日が近づくに぀れ、私は萜ち着かなくなっおいった。毎日、䜕回もカレンダヌを芋おは、指折りその日を埅っおいた。祖母に䌚えるからだ。姿・圢は無いが、墓地ぞ向かうたでの数日間、私は䜕床も考えた。
    そしお最埌には、これが祖母の遞んだ人生だったのだず、自分に蚀い聞かせおいた。

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      お墓参りの圓日、私は䞻人ず盞談し、午前䞭に祖父ず匟がっおいるお墓に「おばあちゃんに䌚っお来るね。」ず報告しおから、午埌に祖母がいるお寺ぞ行く事にした。
      その日は朝から晎れおおり、梅雚の合間の晎れ間で、汗が出る䜍に暑かった。
      祖父のお墓参りは、家族四人で行った。そんなに生えおいなかったが、皆でお墓を掃陀した。そしお、報告を枈たせた。

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      午埌、ピアノの先生を迎えに行き、祖母の眠る共同墓地ぞ向かった。道䞭では、ピアノの先生が沢山の祖母の話を聞かせおくれた。知らない話も沢山あった。「あなたのおじいちゃん、おばあちゃんは、いろいろあったけど、本圓に玠敵な人、立掟な人だったよ。」ずも蚀っおくれた。私は窓の倖を芋た。涙で景色が滲んでいた。私はそんな祖父母に育おられた自分が凄く誇らしい気持ちになった。

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      暫くするず、共同墓地ぞ着いた。立掟なお寺だった。初めおの事だったので、䜏職さんぞ挚拶ず事情を䌝えた。「無瞁仏の為、名前は無いが、そういった事情なら、間違いなくおばあちゃんはここの墓地にいたす。」「い぀でもおばあちゃんに䌚いに来おください。」ずも、仰っおくださった。
     どこに祖母の骚が埋たっおいるのか骚の圚凊を探したが、芋぀からなかった。私はいろいろな気持ちが混ざり苊しくなり、無瞁仏の前で泣き厩れた。しばらく涙が止たらなかった。䜏職さんに色々聞こうかず思ったが、䜕故か聞けなかった。

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     皆でお線銙をあげ、手を合わせた。私は合わせた手を離す事がしばらくできなかった。
    「おじいちゃんず匟のお墓に行っお来たよ。」
    「やっず䌚いに来られたよ。」
    「今たで、本圓にありがずう。」ず、䌝える事ができた。

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      その埌皆に今日、わざわざ来おくれたお瀌を䌝えた。するず「〇〇ちゃん(←私)が良いからだよ。本圓にここたで、おばあちゃんを芋぀ける為に頑匵ったね。おばあちゃんもこれで安心しお、倩囜ぞ行けるよ。〇〇ちゃんの事可愛がっおいたんだから、来おくれるのを、おばあちゃんは埅っおいたず思うよ。」そう蚀われ、枩かい気持ちになった。無我倢䞭だった。おばあちゃんに䌚いたくお。その䞀心だった。

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      私たちは、祖母を祖父や匟ず同じお墓に入れる方法はないのかず考えた。
    䜏職さんに尋ねるず、
    「骚はもう残っおいたせん。名前を刻む方法はありたすが、お孫さんが背負う事ではないず思いたすよ。」
    ず静かに話しおくださった。私たちは顔を芋合わせ、頷いた。

    䜏職さんの蚀葉を聞いた瞬間、胞の奥がぎゅっず締め付けられた。
    祖母に䌚いに来た。
    けれど、祖母の骚さえ、もう残っおいなかった。

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      生前、祖母は「みヌちゃんには、迷惑かけないようにするから。」ず、蚀っおいた。もしかしたら祖母は、こうなる事も承知しおいたのかもしれない。
    その時、䞍思議ず心が軜くなった。
    「ここぞ来れば、誰の目も気にせずおばあちゃんに䌚えるんだ。自宅からもそんなに遠くないし 、おばあちゃんがそうしおくれたんだ。」ず、思えた。

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    垰る時、祖母はい぀も家の倖たで出お来た。
    そしお私たちの車が芋えなくなるたで手を振っおいた。
    子どもの頃の私は、母の車が芋えなくなるたで芋送っおいた。
    祖母はそんな私を知っおいたのだろうか。
    今になっお思う。
    祖母はい぀も、私が芋えなくなる最埌の瞬間たで芋届けおくれおいたのだ。 

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      垰りの道䞭も、ピアノの先生が祖父母の話しをたくさん聞かせおくれた。私は思った。「嚘がバレ゚を習わなければ、ピアノの先生ずも䌚えなかった。祖父母の話もいろいろ知らないたただった。」ず。
     
    祖母ず䌚えない期間は䜕幎もあった。
    それでも䌚う床に、祖母は蚀葉よりもその生き方で倚くの事を教えおくれた。
    そしお私は、その背䞭から沢山の愛を受け取っおいた。
     祖母から受け取った物を、これからも倧切に生きおいこうず思った。
    「みヌちゃん 」
    そう呌ぶ祖母の声は、今も私の心の䞭で生き続けおいる。
    もう、䌚う事はできない。もう、祖母の手料理を食べる事はできない。もう、祖母に觊れる事はできない。
    それでも祖母はこれからも、私の人生を静かに照らし続けおくれるのだろう。
    私は空を芋䞊げた。
    梅雚の晎れ間の青空が、どこたでも広がっおいた。
    その向こうで、おばあちゃんが笑っおいる気がした。
    そしお、静かに思った。
    もう、おばあちゃんを探さなくおいい。
    おばあちゃんはずっず、私の心の䞭にいたのだから。


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    あずがき

    私は祖母の死を知った時、祖母ずの思い出を曞き残したいず思いたした。
    けれど曞き進めるうちに、祖母ずの思い出だけではなく、自分自身の人生を振り返る時間にもなりたした。
    匟の死。
    祖父母の家を離れた日。
    家族ずの葛藀。
    看護垫になった事。
    結婚し、母になった事。
    そしお祖母ずの再䌚ず別れ。
    振り返れば、私の人生には沢山の出来事がありたした。
    苊しかった事もありたした。
    悲しかった事もありたした。
    けれど、そのどの堎面にも祖母から受け取った愛情がありたした。
    祖母は決しお倚くを語る人ではありたせんでした。
    けれど、その背䞭はい぀も私に倧切な事を教えおくれたした。
    家族を思う事。
    働く事。
    人を倧切にする事。
    そしお、どんな時も前を向いお生きる事。
    私は看護垫になりたした。
    結婚し、二人の子どもの母にもなりたした。
    今、子どもたちの笑顔を芋おいるず、祖母が私を倧切に育おおくれた意味が少しず぀分かる気がしたす。
    祖母から受け取った優しさを、今床は私が子どもたちぞ繋いでいきたい。
    そう思っおいたす。
    祖母はもういたせん。
    けれど、祖母が私に残しおくれたものは、今も確かに私の䞭で生き続けおいたす。
    だから私は寂しくありたせん。
    䌚いたくなる日はありたす。
    声を聞きたくなる日もありたす。
    それでも空を芋䞊げるず、どこかで祖母が芋守っおくれおいるような気がしたす。
    おばあちゃん。
    沢山の愛をありがずう。
    そしお、私をずっず愛しおくれおありがずう。
    私はこれからも、おばあちゃんが遺しおくれたものを胞に、生きおいきたす。
    この本は、おばあちゃんぞの感謝の手玙です。
    そしお同時に、私自身が歩いおきた人生の蚘録でもありたす。
    おばあちゃん。
    私は倧䞈倫。
    おばあちゃんが育おおくれた私ずしお、これからも前を向いお生きおいきたす。


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    【゚ピロヌグ】


    受け継がれおいくもの
    祖母が亡くなったこずを知っおから、私は䜕床も祖母のこずを思い出した。
    幌い頃、手を繋いで歩いた朝の散歩。
    自転車の荷台に乗せおもらった買い物垰りの道。
    畑で土に觊れおいた姿。
    祖父ず匟のお墓ぞ毎日通っおいた埌ろ姿。
    そしお再䌚した時の笑顔。
    思い出そうずしなくおも、祖母の姿は自然ず心の䞭に浮かんでくる。
    祖母は特別な蚀葉を倚く語る人ではなかった。
    けれど、その生き方そのものが私ぞの教えだったように思う。
    どんなに蟛いこずがあっおも働くこず。
    家族を倧切にするこず。
    人を恚み続けないこず。
    自分にできるこずを黙々ず続けるこず。
    祖母は蚀葉ではなく、背䞭でそれを教えおくれた。
    私は祖母のようにはなれないかもしれない。
    それでも、祖母から受け取ったものは確かに私の䞭に残っおいる。
    今、私には守りたい家族がいる。
    䞻人がいお、子どもたちがいる。
    子どもたちが笑う姿を芋る床に思う。
    祖母が私を愛しおくれたように、私も子どもたちを愛しおいきたい。
    祖母が私を信じおくれたように、私も子どもたちを信じおいたい。
    人生には、どうしおも届かない蚀葉がある。
    誀解されたたた終わるこずもある。
    䌚いたい人に䌚えなくなる日もある。
    倱った時間は戻らない。
    けれど、それでも人は生きおいく。
    受け取った愛を抱きながら。
    祖母を探し続けた日々の䞭で、私は䞀぀の答えに蟿り着いた。
    寂しくないず蚀ったら嘘になる。
    もっず話したかった。
    もっず䌚いたかった。
    もっず䞀緒にいたかった。
    それでも今は、感謝の気持ちの方が倧きい。
    おばあちゃん。
    私を育おおくれおありがずう。
    沢山愛しおくれおありがずう。
    あなたが守っおくれた呜は、今もここにありたす。
    そしお、その愛はこれからも私の家族ぞ受け継がれおいきたす。
    空を芋䞊げる。
    北関東の広い空は、子どもの頃ず倉わらない。
    颚が吹く。
    畑の匂いがする。
    その颚の向こうで、祖父ず匟ず䞀緒に、おばあちゃんが笑っおいる気がした。
    「みヌちゃん。」
    そんな声が聞こえた気がしお、私は少しだけ笑った。
    おわり




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    【䜜品玹介】

    幌い頃、祖父母の深い愛情に包たれお育った䞀人の女性。
    最愛の匟ずの死別、家族ずの確執、長い別離を経お、再び祖母ずの時間を取り戻しおいく。
    しかし、その幞せな時間は突然途切れる。
    祖母の死を誰からも知らされないたた䞀幎以䞊が過ぎおいたのだ。
    祖母を探し続けた日々の先に芋぀けたものは、「倱われた時間」ではなく、幌い頃から倉わるこずなく泚がれおいた深い愛情だった。
    実話を基に綎る、喪倱ず再生、そしお家族の愛の蚘録。

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    䜜者コメント䜜成

    ​この䜜品は、私自身の䜓隓を基に綎った実話の物語です。
    ​幌い頃に経隓した最愛の匟ずの死別、機胜䞍党に陥っおいく家族ずの葛藀、そしお倧奜きだった祖父母ずの長い別離――。振り返れば、私の人生にはたくさんの「届かなかった蚀葉」や、すれ違いの痛みがありたした。
    ​しかし、長い幎月を経おおばあちゃんず奇跡的な再䌚を果たし、その最期を远い求めた日々の䞭で気づいたのは、たずえ蚀葉は届かなくおも、おばあちゃんが私に泚いでくれた無償の愛だけは、䜕ひず぀消えおいなかったずいうこずでした。
    ​人生には、理䞍尜な別れや、誀解されたたた戻らない時間がありたす。それでも、誰かから受け取った枩かい蚘憶は、私たちの背䞭を抌し、次の䞖代ぞず受け継がれおいきたす。
    ​この物語を通しお、読者の皆様の心の䞭にある「倧切な人ずの蚘憶」や、身近にある愛の枩かさに、そっず觊れるこずができたならこれほど嬉しいこずはありたせん。最埌たでお読みいただき、本圓にありがずうございたした。

    #創䜜倧賞2026

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