私たちはnoteという舞台で、泥んこになって遊ばなくちゃダメなんですよね
──創作大賞のグランプリ、それはそれ。子供の魂と「どろんこ遊び」を思い出そう!
壁打ち運動場へ行って2時間ほど壁打ちをしていると、そこには子供たちがたくさん集まってきて、それぞれ思い思いのスポーツをやっているんですよね。サッカーをやったり、野球をやったり、バスケットボールやテニスをやったり。
そこで彼らに「あなたの夢は何?」と質問をすると、みんな異口同音に、「プロのサッカー選手!」「プロの野球選手!」というふうに、プロの選手になりたいと答えるんです。
彼らにとって、そのスポーツをやっている自分というのは、やっぱりただ「遊んでいる感覚」なんですよね。楽しくて楽しくてしょうがないから、毎日この壁打ち運動場にやってきて、どろんこになって彼ら彼女らは遊んでいるんです。グランプリを取ることや、将来いくら稼げるかなんていう大人の計算は、1ミリも考えていません。ただ、今この瞬間が楽しくてしょうがないから、毎日泥にまみれている。
これを見つめていて、私はハッと大切な原点に気づかされたんですよね。
創造的な行為、つまり何かを生み出すクリエイティブな行為をやるときに、この「子供の魂」を忘れてしまったら、それはもう遊びにはならないんです。
今、noteでは本当にたくさんの人たちがエッセイを書いているでしょ。でも、その中で「遊び感覚」で書いている人って、100人中いったい何人いるんだろうね、と思うんです。
みんな年に一度の「創作大賞」のグランプリ狙いで、毎年それを獲るぞとしゃかりきになってムキになっている。でも、それって実は「子供のようには遊んでいない」という何よりの証拠なんじゃないでしょうか。
私はね、今完全につむじ風のような子供の感覚で、このnoteでは、遊んでいるんですよね。
だから楽しいから、1年1ヶ月で1,300本ものエッセイをこうして積み上げてこられたんだ。自分でも「ちょっと書く本数を減らそうかな」と思っても、毎日3本のペースでどんどん溢れてきて、容易に減らないんですよ。だって、楽しくてしょうがないから。子供のように遊んでいるからなんです。
私たちは、この原点に立ち帰らないとダメなんですよね。
noteという素晴らしい舞台をせっかく借りているのだから、他人の決めたグランプリの評価に一喜一憂するのではなく、私たち自身がもっと泥んこになって、楽しく遊ばなくちゃいけない。
noteの創作大賞のグランプリ、それはそれ。
本当に私たちがやるべきことは、1本1本の文章を子供のような純粋な魂で楽しく紡ぎ、楽しく読者に届けること。これに尽きるんですよね。
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