東山魁夷の「道」を、土のぬくもりで歩く
〜71歳、二刀流の主夫エッセイストが、今日も日常のディテールを愛する理由〜
71歳まで生きてきて、ふと、自分の人生はどうだったのかなあと思うんですよね。
本当に、色々なことがありました。平坦な道ばかりではなかったけれど、いま、ふっと思い出す絵があるんです。日本画家の東山魁夷が描いた『道』という、あの名画です。
画面の真ん中に、広々とした大きな道が一本、目の前に差し出されている。あの絵を思い出すたびに、私の心には清々しい風が吹き抜けます。「脇道を歩くな。ちゃんとした、大きな道を真っ直ぐに歩いていけ」と、神様から言われているような気がするんです。
東山魁夷の描いたあの大きな道は、冷たいアスファルトではなく、きっと、柔らかな「土の道」だったと思うんですよね。
土の道だからこそ、ゆっくりでもいいから自分の足で一歩ずつ歩いていけば、途中にちっちゃな花が咲いていたり、虫さんと出会ったり、色々な生き物の命のきらめきに出会うことができる。そう、歩けば歩くほど、愛おしい日常のディテールが、道のあちこちにゴロゴロと転がっているんです。
私は今日も、外へ飛び出して、そんな土の道のディテールを体いっぱいに楽しんでいます。
休日に、小学4年生の孫娘とサッカーボールの蹴り合いをやるのなんて、本当に、面白いものです。テニスラケットを使ったリフティングにも挑戦して、ラケットのガット(網)の部分ではなく、あのわずか数センチの「フレームの厚み」の部分だけでポンポンとボールを弾くんです。これが難しくて、私はなんとか7回、小学4年の孫娘だってそれでも4回は立派にやれたんです。
たとえば、壁打ち運動場で出会った高校1年生の子と壁の前で仲良く並んで、息を合わせて壁打ちをやったり。ちっちゃな男の子を連れたお父さんの2家族。私も仲間に入れてもらって、みんなでワイワイとサッカーをやったり。
そんな風に、健やかに汗を流して楽しんでいる私がいます。私には、こうして二刀流壁打ちテニスで体をしっかり鍛えながら、心に浮かんだ日常をエッセイに紡ぐという「賜物(たまもの)」を、神様からいただいているんです。
毎日毎日、少しずつエッセイを書きながら、この広くて温かい「土の大きな道」を、のんきに、ゆっくりと歩いていく。
おっと、またスマホの極大文字が画面からハミ出そうになってきました。Fire TVで、モーツァルトのピアノ協奏曲第13番を心地よく聴きながら、私は今日もソファーの上の特等席で、この愛おしい人生をのんきに、優しく紡いでいるのです。
(おわり)
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