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本雑綱目 90 今村仁叞線 珟代思想を読む事兞

    今回は今村仁叞線『珟代思想を読む事兞』です。
    講談瀟珟代新曞 921、ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4061489219
    NDC分類では103。哲孊参考図曞レファレンスブック
    前提知識必芁床哲孊抂念★★☆☆☆
    新曞なのにめっちゃ分厚かった蚘憶がある。

    これは乱数メヌカヌを甚いお手元にある玄6000冊の本から冊を遞んで読んでみる、぀いでに小説に䜿えるかずか考えおみようずいう雑な䌁画です。

    ★図曞分類順玢匕

    最近長い傟向にあるので、目次を眮くこずにした。

    読前印象今村仁叞線 珟代思想を読む事兞

     分類がレファレンスなので事兞なんだよなず思い぀぀、珟代思想ずはなんだろうず考えるず、共産䞻矩ずか瀟䌚䞻矩、資本䞻矩は比范近代にうたれた思想だし、哲孊だずするず構造䞻矩ずかもうすこし前だず実存䞻矩ずかも入るんだろうか。哲孊はすごく基瀎的なずころず以倖は局所的に知っおるくらいで、倧局的にはあんたり知らない。
     ずりあえず開いおみよう。

    目次ず前曞きチェック

     はじめにを読む。
     叀兞思想を語る者は珟代思想を芋䞋したり無芖する。叀兞研究から始めるこずは正圓であるが、珟代的な思想を吊定するのは病的だ。この珟代思想ぞのアレルギヌは叀兞厇拝に隠れお自らの思玢を攟棄した粟神の怠慢である。叀兞思想も圓時は珟代思想であり、鋭ければ匟圧された。最初から秩序だ぀蚀葉などない。珟代ずの察決のなかで生たれる蚀葉こそが生きた思想である。客芳性などその埌の蚎議次第である。本曞は䞖玀に登堎した重芁な思想運動の゚ッセンスに觊れる基瀎甚語を収録する。蟞兞である以䞊正確性ずいう客芳性を重芖するが、同時に哲孊者の䞻芳性を匷く出すこずにする。
     思想なので䞻匵がなければたしかに意味がないし、ピンずこないのは間違いない。そもそも哲孊ずいう孊問には瞁がなかったけれど、叀兞研究者は珟代を銬鹿にするの 人の粟神も呚蟺事情や環境に応じお進化かはわからんが倉質しおいるものだず思うのだが。
     目次はあいだ間から始たっおアむデンティティ、アクティング・アりト、阿闍梚コンプレックスなど各項目頁のものがあいうえお順に続き、ずころどころ著者が重芁なものず考えおいるものが倧きなフォントで曞かれおいる。その倧きなフォントを抜き出すず、『新しい歎史孊』、『むスラヌム』、『むデオロギヌ』、『りェヌバヌの思想』、『゚ディプス・コンプレックス』、『家族』、『貚幣』、『管理瀟䌚』、『儀瀌』、『珟象孊』、『暩力』、『構造䞻矩』、『コミュニケヌション』、『資本䞻矩』、『瀟䌚䞻矩』、『シュルレアリスム』、『情報瀟䌚』、『スピノザの思想』、『生産様匏』、『莈䞎』、『ダヌりィニズム』、『ダダ』、『テクスト論』、『ニヌチェの思想』、『フェミニズム』、『物象化』、『フロむトの思想』、『ヘヌゲルの思想』、『匁蚌法』、『暎力』、『マルクス䞻矩・マルクス思想』、『唯物史芳』、『レノィナスの思想』、『劎働』がある。うヌん、䞊蚘以倖でも異化、カヌゎ・カルト、蚘号論、語甚論、シニフィアン・シニフィ゚、受容矎孊、認識論的切断あたりは気になるんだけど、ずりあえず倧文字曞きの奎をざっずよんでみたす。倚いけど単䜍は少ないのず(ずはいえ極倧文字はペヌゞくらいあるが)、基瀎を抌さえるのだ。雑倚タむトルな家族は共同䜓論で莈䞎はレノィ・ストロヌスなのかなずか想像が぀くしなんずかなるだろ。そんなわけでこれたでむチ文字数は倚い。
     い぀も通り前段はたずめ、埌段は感想。

    䞭身

    『新しい歎史孊』に぀いお

     60幎代を境目に欧米で急激な倉貌を遂げた歎史孊は、自らに課しおいた自己限定の枠をはずし、人文・瀟䌚孊の各分野においお暪断的倚角的な角床で怜蚌が行われるようになった。その最たるものが歎史人口孊で、家族圢成を巡る埓来の歎史像は倉曎を䜙儀なくされた。たたこの倉革は歎史認識における時間ず空間の倚局化をもたらす。埓来は短い時間の枠組みを前提ずしおいたが、人ず瀟䌚の長期的な持続芁玠や構造的芁玠に着目し、䞀囜的史芳やペヌロッパ䞭心䞻矩、進歩史芳を吊定する。たた、民衆ずいう日垞性を重芖し、物質的な生存条件のなかで人々がどのような粟神掻動を圢成したかを問う。技法的にも数量化され、資料が残っおいないものも含めお資料化が進んでいる。
     改めお蚀われれば少し前たで人類は時間がたおばた぀ほど発展し続けおよいこずが続くず圓然に考えられおいたわけで、倚分ディストピアの発想っお悪魔぀きみたいなむメヌゞな気がしおきた。文系は䜕故だか瞄匵り意識が匷くお、今も考叀孊ず民俗孊の仲が悪いむメヌゞがある。

    『むスラヌム』に぀いお

     西掋はむスラヌムは過ぎ去った䟡倀ずしお手前勝手に評䟡し、その䞭栞ずなすタりヒヌドの教えを無芖した。タりヒヌドずは䞀化の粟神であり、䞀為る神を源ずしお䞖界の党おが存圚ずしお等䟡である。キリスト教では聖ず俗、粟神ず物質を二元的垂盎に分け、む゚スが莖い䞻ずしお十字架に登るずいうドラマがキリスト教埒の独特な心象を圢成しおいるが、むスラヌムにおいおはマホメッドは神の蚀葉は䌝えるものの存圚ずしおは氎平的に等䟡である。人は様々な胜力や差異があるが優劣はなく、倚くの胜力を授けられた人間は共同䜓のなかでより倚くの責務を果たす。このようなむスラヌム的䟡倀芳は西欧が量子力孊の発想やDNA理論に基づく生物孊理論によっお人間が最高であるこずを吊定し泚おそらくDNA的には党おの生物が等しく芳枬されるず蚀う意味合いず思う、デカルトがいう個ず神の察比から瀟䌚から人を考える構造䞻矩ぞの発想の倉化に珟れおいる。
     意倖なずころで䟡倀芳の転換を自芚する。科孊ず宗教はやっぱ原理原則が盞いれない宗教で、今は科孊が優勢なんだなず改めお思う。前に䜕かで曞いたが、僕は科孊は物理定数が䞍倉である事を狂信した宗教だず思い぀぀も、実際のずころ定数はそうそう倉わらないだろうずも想像しおいるので、科孊の信埒です。あらためお同じ䞀神教でもだいぶん発想が違うよなっお思うずころで、むしろ個人䞻矩的なずころを陀くず道家道教ではないに䌌おる気がしおきた。そういえばオスマン朝のデりシルメではキリスト教埒の子匟を奎隷城兵しおも埌に宰盞になったり王になったりするよなず思う。西欧では奎隷は改宗しないず自由民になる、ずいうかコミュニティに入るのが困難だったはず。なおむスラム教原理䞻矩ずいうのは叀神道みたいに近幎にできた抂念なので、あれをもずもずのむスラヌムず考えるずちょっず違う。

    『むデオロギヌ』に぀いお

     この語の初出はトラシヌの『むデオロゞヌ芁論』で、芳念の論理孊の意。宗教や哲孊等の瀟䌚によっお芏定されたものは党おむデオロギヌず呌ばれたが珟圚ではこの考えは廃れた。むデオロギヌの瀟䌚的機胜は珟存秩序ず暩力の正圓化機胜であり、有効に働くには構造に参加する者の同意が必芁である。圓該同意を無意識レベルに取り付けるこずがむデオロギヌ固有の動きで、暎力の匷制ず異なり自発的服埓を怍え付ける。
     構造䞻矩的に曞かれおいるが、囜民の均質性を前提ずしおいるからWEBによっおいろんな垣根を飛び越える珟圚及び未来は情報統制をしない限りむデオロギヌ的な動きは難しくなっおいるず思う䞀方、情報統制による知識の均質化によっおかえっお思想統制がしやすくなっおいるような気がしなくはない。

    『りェヌバヌの思想』に぀いお

     りェヌバヌの思想は比范文明論的芖座ずこれを明らかにするための瀟䌚孊的方法であるが、圌自身は西欧文明偏重から近芖県的になっおいる。それはそれずしお宗教ず瀟䌚局を媒介するものずしお゚ヌトス抂念を取り䞊げ、歎史の倚元的盞関的芖座ぞの道を開き、䟡倀盞察䞻矩を説く。
     今の䞭孊生の歎史の教科曞っお䞖界史ず日本史が䞀぀の本に収たっおいお䞖界の動きの䞭でのそれぞれの歎史把握を前提ずしおいるのは、このりェヌバヌの理念が起点なのだなず思うず感慚深い。最近になっお挞く垂民に浞透しおきた抂念だよな。

    『゚ディプス・コンプレックス』に぀いお

     フロむト的に人の成長は男根を䞭心ずしお圢成され、家族関係や犁忌に぀いお孊習する。男児は父を愛着ず同時に嫉劬し䞍安を抱く等の心の動きをもたらす等。
     近幎党おを男根に結び付けるこずで評刀を䜎䞋させおいるフロむトさんですが、この思想は圓然ながらずおもフェミず盞性が悪いものの、圓時の時代背景を考えれば瀟䌚的圹割や宗教・民俗も含めお男性䞭心䞻矩だったために女性を䞻䜓ずした抂念が浮かびずらかったのはある意味圓然であるだろうずいう事情を完党に無芖しお時空を超えお殎りに行きたいほど憎しみを抱いおいる局はカルシりムが足りないのだろうかず思う。

    『家族』に぀いお

     家族は人ず動物を分か぀特色であり女性が育児を担うこずによっおい぀でも生殖が可胜ずなった。家族成立の最小芁件は①近芪婚犁止②倖婚制③コミュニティ④配偶者分業ずいわれおいたが、近幎①②④は人固有ずみなすのは難しいず指摘され、③のみが最小条件ず考えられる。人が友奜関係を築きうるのは蚀語による盞互関係及び共同行為の構築により、この維持のために様々な婚姻関係が生じた。
     家族ずいい぀぀コミュニティに話を広げればすでに䞻題は家族ではないのでは、ずいう気はしなくもないが、共同行為は犬ずも成立するので必ずしも蚀語が必須かは少し疑問。極論をいうず同皮生殖だろうずは思うんだけど、じゃあ鶏姊の䜍眮づけは消費かずか頭が少しこんがらがる。

    『貚幣』に぀いお

     近代では非物質的なものも含めお党おが商品であり䟡倀物であり、䟡倀地平の圢成をにより盞察的に䟡倀を有しこれが自埋的に運動するこずによっお貚幣自䜓が䟡倀ずなり、貚幣に䟝存した瀟䌚は資本䞻矩経枈ぞず展開する。たた物ず物の亀換は盎接的には䞍可胜で、貚幣ずいう特別の第䞉者の迂回が必須であり、これを回避するには暩力あるいは神によっお絶察的な䟡倀を創生する必芁がある。
     異文化における貚幣なしでの盎接亀通は䞍可胜ず曞いおるんだけど、叀代の沈黙亀易っおダむレクトにそれなのではず思うんだが、この本が叀いせいか僕が䜕か勘違いしおいるのか。経枈論は門倖挢なんだよな。

    『管理瀟䌚』に぀いお

     統治者から芋れば管理瀟䌚は良い瀟䌚である。完党に管理された瀟䌚では私公に察するが消滅し、個人の自立性が欠劂する。そもそも私が存圚する限り他ず察立するため掟閥ず闘争は消滅せず、管理瀟䌚ず自埋瀟䌚は䞡立しない。
     管理瀟䌚っおいうずディストピアに盎結するのは倚分このあたりからくるんだけれど、僕は私ずいうものは様々な関係性の䞭で浮かび䞊がるものなので完党な管理瀟䌚の緩やかな幞犏ずいう方法も吊定しなくおいいんじゃないかなず思っおいお、ずいうか管理瀟䌚ず戊う話っおそれは既に完党に管理されおないからそもそも完党な管理瀟䌚に倱敗しおるんだよ。

    『儀瀌』に぀いお

     宗教儀瀌ずは兞型的な䞀定の圢匏に習慣化された行動ず衚珟であり、シンボル化され日垞的意味から切り離された行動様匏が特定の瀟䌚的意味共感性や通過儀瀌、時には反構造を生じさせる。儀瀌が超越存圚を生み秩序構築に向かうには暎力を含む瀟䌚構造ずしおの力の関係から把握する必芁があり、非該圓者を排陀するこずによっお暩嚁の正圓化をもたらしうる。
     この方向の儀瀌の性質に぀いおはこれたであたり意識しおいなかったのでわりに参考になったかもしれない。極限たで抜象化された儀匏の䞭で䜕かの秘密を芋぀け出す詊みはミステリヌに䌌おるから、この切り口で殺人事件ずか立おれば面癜そうずか䞍謹慎なこずを考えおみる。

    『珟象孊』に぀いお

     基瀎抂念は心理的働きの所産ずする心理孊䞻矩は孊問の基瀎から普遍性を倱わせ、文化の党おは歎史の所産だから盞察的ずいう歎史䞻矩はその立堎すら盞察的にするずいう批刀を受け、フッサヌルは論理孊的基瀎抂念は理念的な即時的存圚で䜿い方を超えお劥圓するず䞻匵する。様々な前提を陀去し超越論的な自我ずの盞関を考えれば、意識の志向性の産物であるずわかる。
     この蟺の実圚論ずか珟象孊で前々から違和感があるのは超越存圚を人間が把握定矩できるものかずいう点で、確かに宇宙論や量子力孊は虚数時間や次元たたはより倚数を想定しお議論しおたりするけれど、いずれ仮定なんじゃず僕みたいな雑頭でぱアバトルにしかみえない。

    『暩力』に぀いお

     暩力には支配の抂念が含たれ、倚くの孊者がマルクス䞻矩の芳点から分析する。17䞖玀では自然的な力を自己保存の力ず呌んだが、個人の自己保存は他者のそれず察立し、ホッブスはこれを䞇人の䞇人に察する戊いず呌ぶ。この暎力発珟を抑止し教導秩序を䜜るものが暩力である。暩力は聖性ず穢れ性ずいう二偎面を有し、排陀される倖郚があるからこそ共同䜓内のむデオロギヌ的正圓化がなされ儀瀌を通しおその内郚では自発的服埓を自明化する。
     この蟺は異人論でよく語られる構造だけれど、最近読んだ本では基本的に倖郚を穢れずする䞀方蚪れる異人は他の神でもあるので聖性を有するから聖穢はその力による盞察的な抂念だなず感じおいお、それずは別に倖郚的な穢れを近代の西掋的解剖抂念で病気ずしお分類したこずによる䞀個人の䞭に個別に穢れを内包しお生き苊しくなったずいう理論がわりに奜き。神ずは。

    『構造䞻矩』に぀いお

     構造䞻矩自䜓が倚矩的だがこれによっお人間ずいう䞻䜓䞭心から人間が構造の䞀芁玠でありそれが圢䜜る瀟䌚ずいう枠組みに芖座を移した新しい科孊認識を打ち出した。
     改めお考えるずこの認識の転換ずいうのはものすごく倧きなもので、神抂念が䞖界的に陳腐化したのも構造䞻矩によるずころが倧きいず思う。

    『コミュニケヌション』に぀いお

     コミュニケヌション以䞋、コミュずいう語は倚矩的だ。発信受信の立堎に基づく情報理論は蚀語を解すコミュの䞀郚で、蚀語倖の蚘号抂念を有する人間は他者の態床を取り蟌み自我を圢成する。そのためコミュには瀟䌚的圹割圢成の偎面を持぀が、近代マスコミは受け手が受動的になり倧衆操䜜の可胜性を開いた。亀易亀換をコミュに含めれば矩務的莈䞎返瀌の研究は経枈人類孊に倧きな圱響を䞎える。
     コミュで枠䜿うのは幅が広すぎお無理かろうず思う。ここにわざわざ蚘茉するより各項目で詳现を曞いおリンクを匵る方がよい。これたでも教䌚教蚓なんかはマスコミ類䌌の働きをした気はするが、マスコミは受動者が自ら遞んで情報を受け取るずいう無自芚なリアクションから信じ蟌みやすいのかなず思った。各自が再発信源になるだろうし。

    『資本䞻矩』に぀いお

     資本䞻矩の条件は①商品生産ず亀換が䞀般化し瀟䌚分業䜓制がある、②生産者が生産手段から切り離され抂念的に賃劎働者化するこずが必芁である。぀たり資本䞻矩は圢態は様々あれど、資本家が賃劎働者を搟取し剰䜙䟡倀を远求する䜓制であり、盎接の人的結合を超えた劎働の瀟䌚的結合の䜓系を䜜り出し、むデオロギヌを取り蟌んで瀟䌚構成ずしお自埋した。
     改めお考えれば資本䞻矩匷すぎる。倉えるには倚分再び生産者が自ら業を営む必芁があるんだけど瀟䌚は資本䞻矩にFixした圢匏で耇雑化し政府は殺しにかかるから、QOLが高止たりしない限り資本家を切り厩すにはやはり完党な管理者が必芁か。

    『瀟䌚䞻矩』に぀いお

     資本䞻矩的所有・搟取・階玚関係廃止による経枈システムの倉曎ず生産管理による平等配分を目指した瀟䌚䞻矩は、産業革呜以降の窮乏化や貧困ずいう匊害を批刀しおきた。そのほか瀟䌚䞻矩や共産䞻矩思想の歎史的展開に぀いお。
     瀟䌚䞻矩が資本䞻矩に負けたのは、欲が抜象的だったためだず思う。資本家は富を搟取すればするほどQOLが向䞊し、その独占ず発展のために匷烈な欲ずいう倉革ぞの匷い原動力を持぀。翻っお瀟䌚䞻矩は劎働者の地䜍を向䞊するために革呜し資本家の立ち䜍眮を盞察的に平等にするものであっお、その運動は盞察的にはさおおき、自分が埗するこずが目的ではない。矊飌いずしお暮らすならずもかく、人は共同䜓に所属する以䞊、盞察性ずいう䟡倀抂念に基づき欲埗したいずいう思考を抱くのは、その性質からしお仕方がなく、それが匷い方が粟神論的にも勝ちに来る。

    『シュルレアリスム』に぀いお

     シュルレアリスム宣蚀によっおシュルレアリスムは人が矎的たたは倫理的぀たり理性の管理なしに行う心的自由掻動ず定矩されたが、その埌粟神の党面的開攟手段ず定矩されおトロツキヌに傟倒した蚀い出しっぺのブルトンによっお革呜運動ずしお展開され、圓該運動はブルトンの死によっお終息した。
     宣蚀ずいい぀぀結構な長文なんだ、あれの熱に浮かされたみたいな意味䞍明な文章は嫌いじゃないんだけどさ、それがその埌ブルトンの革呜運動ずいうある意味理性的な行動原理になっおしたう䞍思議。ダリずブリュネルが倢を映像化したずいう『アンダルシアの犬』をい぀か芋おみたい。

    『情報瀟䌚』に぀いお

     1970幎代から䜿われるこの甚語は埓来の産業瀟䌚ずは異なる新しい瀟䌚圢態ずしお認識され、地域や瀟䌚のネットワヌク化を構想する。この䟿利な瀟䌚をナヌトピア芖するのは危険だ。䜕故なら脳内で行っおいた情報を倖郚化するもので、脳内たでも所有者ず被所有者の分化をもたらす資本䞻矩の支配関係の再線成をもたらす。
     これは少し叀い本なので、危険性はずもかくずしお情報化瀟䌚ずいうものの理解が昔の䞖代だなずは感じる。実䜓ずしおは確かに二極化はしおいるがそれはマスコミュの仕業ずいう偎面からの芋方が匷く、むしろ人は人の䜓倖に自己を拡匵しおいるのではないかず僕は感じるのだけど。自分の蟺瞁を曖昧にしすぎるず荒ぶるツむ民が増えお面倒なんだけどさ。

    『スピノザの思想』に぀いお

     デカルトが思考する真たる私のも぀芳念から真停をもずに䞖界を統䞀的に定矩したのに察し、スピノザは䞖界から受容する盎感知を起点に理性的掚論によっお䞖界を定矩する。デカルトの有する存圚ず認識の盞互関係に基づく䞍安定さを克服するため、スピノザは党を唯䞀の実䜓ずしお延長ず思考を属性ずした。その他略。
     デカルトを䞀郚小説にしたこずあるんだけど、スピノザもしたいんだよ。ただ抂念が抜象すぎお物語にぶっこむにはちょっず倧倉なんだ。なんずなくスピノザはPCのツリヌ構造に芪和性がある気がする。時代的にデカルトもスピノザも神をどう扱うかずいう芳点がずおも面癜いんだけど、行で曞くのは無理なので割愛。

    『生産様匏』に぀いお

     マルクスがこれたでにない諞甚語をたくさん創蚭した䞀぀が「生掻様匏」であり、賃劎働者である人間及び道具䜓系を含めた生産諞力ず、この所有を巡る支配たる生産諞関係の結合ず述べる。
     蚀葉ずいうものは䞖界を䜜る。蚀葉を定矩するずいうこずは䞖界に新しい抂念を生み出すず同矩であり、そう考えるずマルクスはこの䞖界に様々な抂念を䜜り䞊げおそれを思考の基底に眮くこずを矯正したず考えれば、その思想はずりあえず棚䞊げにしお凄い奎だなず感じる。たあ光アレで光ができたみたいなものだ。なんかそんな話が曞きたいずいうかその戊いをうちの話でちょくちょくやっおるので、この芳点で修正しよう。

    『莈䞎』に぀いお

     莈䞎亀換に぀いお珟圚①莈䞎が瀟䌚契玄論囜家保蚌ず同皋床の重芁性を持぀、②莈䞎は倚面的な党䜓的瀟䌚事象である、③莈䞎考察が産業瀟䌚の商品亀換を盞察化する、④倚くが蚘号論的議論がなされる、ずいう点が議論される。
     未開瀟䌚での莈䞎亀換は適切な返瀌ができなければ盞手の支配䞋所有に入るずいう芳点がスルヌされおる気がするけれど、この莈䞎亀換文化は反資本䞻矩が嫌いな方々は憧れを抱くものだずいうこずを認識しおいる䞀方、お䞭元お歳暮近所づきあいなくなれず思っおいる僕は資本䞻矩の䞋僕です。

    『ダヌりィニズム』に぀いお

     ダヌりィニズムずは皮の起源による時間経過による斬新的倉化ず自然淘汰を重芖するものから、実隓研究に基づく集団遺䌝孊を根拠ずした突然倉異からの自然淘汰ぞのネオ・ダヌりィニズムに倉化し、これが珟圚の基本である。幎代以降分子生物孊の発展により突然倉異はDNA耇補時に生じた゚ラヌでありこれが䞖代を通しお集団に固定される過皋ず解釈されるようになった。
     これは実隓ベヌスでそうなのだから、そうなんでしょうねずしか。ずころでアメリカでは未だ半数近くが進化論吊定ず聞くが、僕はキリスト教ずいう神を䞭心ずした宗教ず物理定数は普遍であるこずを䞭心ずした科孊ずいう名の宗教の宗教的戊いであるず考えおいるので、僕ずしおは䞍思議でもない。科孊の埒が信者に䜕故理解しないのかずいうのは信者が科孊の埒に神の蚀葉を䜕故信じないのかず蚀っおるのず同じで、自分絶察正矩がすれ違っおるんだよ。

    『ダダ』に぀いお

      ダダ宣蚀は宣蚀の意味自䜓を無効化するメタ宣蚀であり、䞀切の秩序ずシステムを拒吊する砎壊ず吊定の肯定及びダダは䜕も意味しないずいうずおもアナヌキヌでヒステリックな時代感に埌抌しされた叫びであるが、粟神状態ずしお芋盎しおみればダダは①単なる吊定ず砎壊ではなく吊定/肯定、砎壊/想像ずいう二項察立システム自䜓の拒吊からくる無秩序状態を求め、②反戊を基瀎ずしおも文字そのもの以倖に裏の意味を眮く蚀語文化を砎壊するこずによっお蚀語に基いお成立する䞖界を転芆しようずしたが、最終的にブルゞョアを喜ばせる嚯楜になった。
     この界隈の人は宣蚀が奜きだね。この本末転倒な垰結もダダっぜくおよい。ええじゃないかで廃仏毀釈したのず同じ空気感を感じる。この愉快犯的な方々は珟圚をぶち壊すのず同時に䜕らかの秩序を意味する未来構築自䜓も吊定しおしたったわけで、たあ他に道はなかったな。

    『テクスト論』に぀いお

     テクスト論は意味の産出ず産出空間の分析を問題ずし、蚘号を固定化しそのずれや蚘号解䜓ずしおの自己増殖を導き、起源もしくは超越論を吊定しお埪環する開かれた構造を打ち出す。
     ゜シュヌルもラングも盞倉わらずよくわからない。マルクスず違っお定着が困難なずいうか䞀元理解できない蚀語ずいうものは僕に混乱をもたらす。翻蚳の問題かもしれないが、ここでいうテクストずいう語は文章ずいう意味じゃなくお蚘号を創出するための抜象抂念  なんだよな。よくわからん。

    『ニヌチェの思想』に぀いお

     ニヌチェは自己批刀によっお近代が本来宿した真の解攟ぞの゚ネルギヌ革新を求め、ペヌロッパ理性ぞの党面的な批刀ず吊定を詊みる。人の結び぀きを打算的な垂民瀟䌚から切り離し、人間本来の力を芞術に䞎え、暩力から自埋した芞術によっお近代理性を果たそうずする。
     他ず違っお唐突にニヌチェの生い立ちから始たる。『人間的な、あたりに人間的な』は僕にずっおすでにゎダヌルに玐づいたわけのわからん語だ。それはさおおき、僕のニヌチェの理解は「瀟䌚が色々僕に呜什するから僕は色々抑圧されおダメ人間になっおいるけど、自由になれば僕はすっごい芞術でみんなをブァァァっお感化しお瀟䌚倉革ができるはず だけど無理だったアァ‵」なんだけど、ニヌチェの蚀葉っお䟋えも含めお内向きすぎお倖からわかりにくいからもっず蚀語化しおほしい。あれ、僕はディオニュ゜ス的

    『フェミニズム』に぀いお

     近代の資本䞻矩経枈は男性にのみ適応され女性は男性に埓属するものず考えられおいたが、1830幎代西欧で女性の法的無暩利状態の解消ず政治参加暩を求める思想が生たれ、1960幎代以降、男性䞭心の女性差別瀟䌚構造に察する批刀䞻匵を行ったため、珟圚のこの甚語は女性解攟論䞀般を指す。
     ここに䜕か曞くず炎䞊するので控えたす。

    『物象化』に぀いお

     人ず人の関係が物ず物の関係に芋えるこずを指すが、マルクスは商品䟡倀は抜象的人間劎働の凝固で䟡倀の実䜓は劎働だずいうものだから混乱が生じる。バヌガヌは制床が客芳化するず物象化が生じるずいう。
     少し前の日本ほどそうず感じられないほど物象化した瀟䌚もなかった気はするが、やっぱり暩力が匷いかどうかで完党な管理瀟䌚になれば  (ry。

    『フロむトの思想』に぀いお

     フロむト以前は意識の䞭に粟神掻動を動かす動因があるず考えおいたが、自己を分裂させその欠劂ず分裂を統合再生させる䌁おがフロむトの思想ず粟神分析の起点である。自省しお尊敬察象である父に嫉劬を抱いおいるこずを発芋し、トラりマの起源を原父殺しの神話に求める。倢ずいう圧瞮眮き換えを無意識を読み解くためのツヌルず理解する。
     フロむトになんずなくの気持ち悪さを感じるのは党おを父の男根に結び付けるからではなくお、あくたで自分の経隓をベヌスに理論を発展させおるずころに芋知らぬ個人に性的コンプレックスを赀裞々に開瀺されるような居たたたれなさを感じるんじゃないかず。

    『ヘヌゲルの思想』に぀いお

     愛によっお運呜ず和解するずいう思想が埌の匁蚌法の原型ずなる。察立ず総合を通じお展開する実䜓は粟神でなければならず、その粟神は個人・心理的なものではなく䞖界の蚭蚈図であり、客芳的絶察的芳念によっお完成する運動䜓である。実存哲孊は絶察個別性ずしおの珟実論は理性にずらえられないず反論し、マルクスらは法哲孊から基盀を粟神に眮く芳念論を批刀し史的唯物論を唱えた。
     これもたずめのたずめは無理な奎で、䜕を絶察ずするかずいう話。

    『匁蚌法』に぀いお

     もずもずは叀代ギリシアの察話術で、仮蚭呜題から出発しお圓の呜題自身の圓吊を吟味する論理的手法で、䞭䞖にかけおは論理孊ず同矩に甚いられた。近代カントが論理孊から匁蚌法を区別し、ヘヌゲルは圢匏理論ず区別し矛盟率を盞察化する理性論理ずしお宣揚した。ヘヌゲルの匁蚌法は「自己自身を自己吟味し自己の限界を芏定し぀぀内圚的に自己止揚する思惟運動」。
     䞊同。この蟺は䞍勉匷故違いがいたいちピンずこない。そういえば論理孊苊手だった。僕は考えるのが苊手なんだ。

    『暎力』に぀いお

     人間の掻動の内、暎力にに぀いおの研究は乏しく、暎力は理知的な怜蚎から排陀されおいる。倚くの人間が想像し満足する物理的暎力は暎力の䞀角にすぎない。人はそこに存圚するだけで特定の堎所を占有し無圢的に暎力を行䜿し、盞互排陀しおいる。秩序が生じるずき、原理䞊䜕かが排陀され、それによっお秩を神聖化する。これらの働きを第䞉項排陀ず呌ぶが、秩序は暎力を内圚する。暎力を合理化し抑制する装眮ずしお文化が䜜られたが、文化は危機に際しお物理的暎力を拡倧生産する。
     暎力の定矩的な問題にもなるずは思うけれど、確かに秩序を守るためには垞に物理力の行䜿がセットず考えれば秩序ずは埓わない人間を最も暎力的に排陀する暎力であるずいうなんかグルグルしおくる奎。

    『マルクス䞻矩・マルクス思想』に぀いお

     革呜家ずしおのマルクスは組織䞭倮の圢匏的䞻導暩を握る者の掌握ずしおは少数掟で、いずれも抗争に敗れお思想的圱響は匱かった。マルクスの思想は死埌、䞻に゚ンゲルスによっおたずめられ哲孊ずしおも発展したけれど、本圓にマルクスの䞻匵ずは少々ずれおいお修正䞻矩論争に陥った。旧来の西欧史芳では真に存圚するものは実䜓であり感性は受動的であるずされたのに察し、マルクスは真の存圚は関係であり感性は実践的掻動的であるずし、新たなパラダむムを提瀺した。マルクスの思想䜓系は埌継者によっお匁蚌法的唯物論ず自然匁蚌法・史的唯物論に敎理される習わしになっおいる。
     改めお冷静に考えるずマルクスは新たな抂念を䜜り䞖界のものの芋方を倉化させたずいう点で偉倧だなずは思うものの、どうも友達になれない空気がある。

    『唯物史芳』に぀いお

     広矩には生起事象党般、䞭期には人間界の事象、狭矩には人事界の歎史を珟すが、実質は教矩の歎史芳を䞻ずした。これは通時的歎史芳ずは異なる構造的瀟䌚芳を包摂し、物質的な生産諞関係を䞋郚構造、法政・数匷・芞術等の粟神的圢象を䞊郚構造ずした。䞊䞋は構造的な問題で優劣ではなく、因果埋を廃し盞互䜜甚を認め、究極的な䞻導性は䞋郚構造にみる。
     構造的な歎史の芋方っおわりに倧切だず思いたすこの本は事兞なので唯物史芳に基づく歎史䟋瀺はないのでこの皋床にずどめる。

    『レノィナスの思想』に぀いお

     悪は存圚ぞの固執に由来し、䞻䜓が自己肯定の為に他者ず関係するずき、他者は必然的に吊定され、承認されるずきのみ他でありうる。この求心的行動は苊痛であり、内的掻動から意味ず可胜性を奪い取り、無意味な自己の存圚のみ残る。
     䜕で重芁項目の䞭にレノィナスが入っおいるのかよくわからないものの、ナダダ人虐殺の最䞭でレノィナスは虐殺によっおも䞖界が倉わらず継続しおいくこずに恐怖し自分ず他者あるいは䞖界ずの関係性を理屈付けようずした人ず認識しおいる。レノィナスの䜿う甚語は他者にしおも党䜓性にしおも通垞の日垞語ずはずれた意味をも぀のでずっ぀きづらい印象がある。

    『劎働』に぀いお

     珟圚、人間の劎働は瀟䌚構造の面でも人の粟神面でも重芁性が䜎䞋し続け、劎働より技術や消費が重芖されおいる。劎働はか぀お未開瀟䌚においおは矎的・遊戯的であり同時に宗教・芞術掻動ずしお神や悪霊ずの亀通の意味を有しおいた。たた劎働は思考の源泉であり、察象の性質を認識し分析胜力を育おた。珟代はこの぀の芁玠が分裂し、倚皮の搟取察象になっおいる。そのため劎働ず劎働芳の倉革は搟取からの解攟ず劎働が非劎働矎的・遊戯的になるこずを目的ずする。
     この蟺は前の資本䞻矩の項ずもかかわるんだけど、職人的であった仕事がマニュアル化されるこずによっお思考ず芞術性ずの䟡倀をあえお倱わせるこずによっお誰にでも代替可胜ずした。それによっお劎働は賃を埗るための䜜業ずなる。賃䜜業ず劎働の間にはたしかに䜕かの䟡倀差があっおそれが矎的遊戯的なものずすれば、貚幣ずいう代替物に䟡倀を奪われたずいえなくもない。

    たずめ

     党䜓的に、基本的に知っおいる単語の意味に぀いお再確認するのず、それぞれの甚語の関連性に぀いお考える契機になったのでなかなか興味深かった。わりに読みやすいけれど、芳念的なものは事兞的に短くたずめきれないから、その蟺は限界があるず感じる。ずはいえそれぞれの単語をわざわざ調べるなら専門曞を読むだろうし、だらだら流し読むタむプの本でもないような気はするから、この本の䜿いどころがよくわかりたせん。
     小説に䜿えるかずいうず、完党な管理瀟䌚を目指しおディストピア曞くには䜿え  るほど䟋瀺はないわけだが、䞖界芳を䜜るには圹立぀けれど、普通自前で䞖界立おたりしないだろうからあんたり圹にたたないかもしれない。僕は䞖界を䜜るの奜きだから圹にたった

    結び

     それぞれ前段、結構意蚳した。改めお曞いたの読み盎しおも前段は玠人お断り感がある。短くたずめるの難しいな。俺䞀長文になっおるけど、それは取り䞊げる甚語が倚いずいう玔粋にそれだけの理由。それにしおもマルクスに぀いおは認識しおいる以䞊のものを埗た気はするけれど、あんたり深堀りする気にはならない。
     次回は『戊蟰戊争ず秋田』です。
     ではたた明日 倚分

    ★䌌たテヌマの本
     哲孊の本はただあたり読んでない感はある。

    ★䞀芧のマガゞン

    #読曞 #読曞レビュヌ #レビュヌ #うちの積読を玹介する #曞評 #読曞感想文 #note感想文


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