
また あした|3つのお題に空想のひらめきを【ショートショート】
実家が、取り壊されることになった。両親が亡くなってからは空き家になっていて、私がここへ帰るのも今日が最後になるだろう。
荷物の整理をしていると、廊下の柱に目が止まった。
落書き。何本もの横線。日付と、名前。
子どものころ、ここでよく背を測った。私の名前の横には、もうひとつの名前がある。
健太。同級生だった。
学校からの帰り道に私の家があり、そのすぐ先に駄菓子屋、そのもう少し先に健太の家があった。そのせいもあって、私は健太とよく遊んだ。背比べは、いつも健太が少し上だった。
「また俺の勝ち」
得意げに笑う顔を思い出して、私は柱の傷を指でなぞった。健太は、十二歳になる前に亡くなった。だから柱に残るあいつの線は、途中で止まっている。私はその線を追い越し、大人になった。
そのときだった。
チャリン。足元で音がした。
見ると、百円玉が一枚転がっている。こんなもの、ポケットに入れていただろうか。拾い上げた途端、外から声がした。
「おーい!はやく来いよ」
聞き覚えのある声だった。玄関を開ける。眩しい夏の日差しの中に、少年が立っていた。半ズボンに、帽子。あの頃のままの姿で。
「遅いぞ」
健太だった。
「百円もらってきたな」
私は自分の手を見た。小さい。気づけば私も、あの日の半ズボンを穿いていた。
「じゃあ行こう!」

健太が走り出す。私は慌てて追いかけた。そうだった。こいつは昔から足が速い。
「待てよ!」
路地を抜け、駄菓子屋まで競争した。お互い、百円玉一枚を握りしめて、何を買うか散々迷った。
十円のガム。
二十円のラムネ。
三十円の菓子。
――まだ買える。
ぴったり百円になるように、二人で何度も計算した。たった百円で、ずいぶん長く遊べた。
虫捕りにも行った。神社の裏まで二人で駆けていき、カブトムシを見つけたり蝉を捕ったりして、二人で夢中になって走った。
遊び疲れて家へ戻るころには、いつも夕方になっていた。
「じゃあな! また あした!」

そう言って、健太は虫捕り網を手に駆けていく。夕日に染まった路地を小さくなっていく背中を、私はいつも見送った。
そんな日々は、いつまでも終わらないように思えた。いつだって健太は少し先を走っていた。
ある夕方。駄菓子屋の前の角まで戻ってきたとき、健太が立ち止まった。
「俺、こっちだから」
「知ってるよ」
「じゃあな」
「うん。また あした」
健太は笑った。けれど、走り出さなかった。
「どうした?」
「お前が先に行けよ」
意味が分からなかった。
「早く」
背中を押された。私は、健太より先に歩き出した。十歩ほど進んで振り返る。健太はまだそこにいた。夕焼けの中で、こちらに手を振っていた。
「じゃあな!」
「うん、また あした!」
その声が、蝉時雨の向こうへ消えていった。
私は、目を覚ました。どうやら柱にもたれて、うたた寝をしていたらしい。窓から夕日が差し込んでいる。ずいぶん長い夢を見ていた気がする。
子どものころ、いつも私は、あいつの背中を追いかけていた。
「……最後は、私が先か」
柱を撫でながら、私は笑った。もうすぐ、この家は取り壊される。この町へ帰ってくることも、もうないだろう。
玄関を出て、もう一度だけ辺りを見渡した。誰もいなかった。ポケットに手を入れた。百円玉は、なくなっていた。
代わりに、チロルチョコの包み紙が一枚、くしゃくしゃになって入っていた。

片桐 みかんさんの
『3つのお題に空想のひらめきを』に参加させていただきます。
片桐みかんさん、素敵なイラストをありがとうございました✨