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いつか書きたかった居酒屋・蓼科(たてしな)の話と、異国で踊りに踊った夜

     今はもうない店だから名前を出すが、東京・渋谷に「蓼科(たてしな)」という渋い呑み屋があった。

    それはセンター街最古の居酒屋から始まった

     センター街の一画、古いビルの2階でひっそりと営業していたその店は、当時すでに80歳代後半となっていた女将が切り盛りしていた。
     カウンター席とテーブル席がひとつという狭い店で、ぼくが通い始めた2015年の時点で50年近い歴史があった。いつだったか、
    「店を構えたころはセンター街も道路が舗装されていなかったよ」
     と、女将は教えてくれた。

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    蓼科(たてしな)の店内。カウンターにはアルバイトの女性

     女将はとにかくパワフルな人で、席がすべておっさんで埋まると、
    「バブルの頃はみんな2号さん(愛人のこと)を連れてやって来たもんだけど、いまの男は情けないねぇ!」
     と、客に聞こえるように大きな声でぼやいた。
     酒グセの悪い客には「勘定はいらないから帰ってくれ」と怒鳴り、本人に向かって直接「清めの塩」をまいたという噂もあった。のちに本人に確認したところ、本当だと教えてくれた。

     歴史ある店だから当然、常連客の年齢層も高く、50~70歳代が中心。女将と同年代の「先輩」も何人かいた。当時40歳手前だったぼくなど若手のなかの若手だった。

     ぼくは「蓼科」に通うなかで、女将と先輩の常連客たちからいろんなことを学んだ。

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    蓼科の女将とぼく

     店には時折、何をまちがえたのか女性客がひとりで呑みに入ってくることがあった。そういう時は、ふだん物静かな常連客たちも力を合わせて彼女を「ちやほや」する。
     ただし、女性に対して少しでも失礼な言動をしようものなら女将に叱りつけられるので、あくまでも紳士的でなければならない。

     そんなお客さんがひと通り呑んで「そろそろ帰りますね」となった際には、おじさんの誰もが思わずおごってあげたくなるが、そこは先輩の常連客に花を持たせるのが暗黙のルールだった。
    「今回はぼくが出しておくから、また(この店に)おいでね」
     のひとことを譲るのだ。先輩も酔って上機嫌になっていると、
    「みんなの分も俺が払っておくよ」
     と、その場にいる全員の分を支払ってくれることもあったので、これはこれで良い習慣だった。ぼくも何度もご相伴にあずかった。

     ぼくはぼくで、友だちを何人もこの店に連れていった。

     店はカウンター席が中心だから他の客との距離が近く、女将のおかげで常連客は皆、大人だったこともあり、ここに来ると自分もまた大人になった気分を味わえたからだ。
     友だちも「センター街にこんな落ち着いた店があったなんて」と驚くとともに、「また来たい」と喜んでくれて、なんだか誇らしかった。

     ある夜も仲のよい友だちを連れ、蓼科でひとしきり呑んだ。
     そろそろ会計を、と立ち上がった時、女将が周りの客に向かって言った。
    「この人(=ぼく)はいろんな友だちを連れてくるけど、絶対に財布を出させないんだ。それがこの男のいいところなんだよ」
     つまり毎回友人の呑み代まで出して偉いというのだ。

     まあ、自分より若い友人やかわいい女性(女性はたいていかわいい)には、こちらから誘った手前、おごることが多かったが、同年代の友だちには店を出てからいくらか払ってもらうケースもあったし、
    「じゃあ次の店ではおごって」
     ともう1軒呑みにいくこともあったから、女将の認識は正確ではなかった。

     ただ、長年いろいろな客を見てきた女将は、こんな細かなところまで見ているんだなと、自分の酔っぱらい方を振り返る夜になった。

    アニメオタクと数学者風の男たち

     蓼科(たてしな)での忘れられない思い出のひとつに、2人のアメリカ人との出会いがある。
     足しげく店に通い始めたその年の秋、ひとり蓼科に呑みに行くと、カウンター席の隣で呑んでいたのがブレイク(仮名)とコナー(仮名)だった。

     2人はパッと見、30歳前後。ブレイクは黒縁メガネをかけていて、ニコニコとしていて、どこかオタクっぽい。コナーは若き数学者という感じで、落ち着きがあった。日本武道館で開催される初音ミクのライブを観るため日本にやってきて、その帰りに、アメリカの友人から「トラディッショナルな居酒屋」だと聞いていた蓼科に立ち寄ったのだった。

     誰が最初に彼らに声をかけたのかはおぼえていないが、いつのまにか(いつものごとく)店の客全員が彼らを歓迎し、酒を呑みかわしていた。自分を含めて流暢に英語を話せる者はいなかったし、彼らも日本語をほとんど話せなかった。

     ほどよく酔っぱらったぼくは、店から妻に電話をかけた。妻は少し英語が話せるからだ。
    「ぼくだけど。ぼく。いつもの店で呑んでるんやけど、隣にアメリカから来たヤツがいてな。すまんけどちょっと通訳してくれんけ?」
     という感じだ。
     金曜日の夜はいつも呑みにいっていたので、家でひとりの時間を楽しんでいた妻は、さぞめんどくさかっただろう。だけど、顔も知らない彼らのために妻は丁寧に通訳してくれ、彼らがいま本当に楽しめているかどうかを聞いてくれた。

     彼らも楽しんでいるとわかると俄然盛り上がり、常連客が彼らの隣の席に入れ替わり立ち替わりしながらみんなで呑んだ。
     ぼくは蓼科でウィスキーのボトルを入れていたが、この頃に初めて知った己の特性として、ハイボールを呑むと、いつもより酔ってしまうというのがあった。終電に乗るため店を出ようとする頃にはベロベロに酔ってしまったぼくは、彼らと別れるのがあまりに惜しくて、せいっぱいの英語で
    「トゥモロー、カム・トゥー・マイホーム!」
     と伝えた。ブレイクもコナーも周囲の客に呑まされてなかなかに酔っていたが、
    「リアリー? ほんとに?」
     と何度も聞き返してきた。ぼくは「イエスイエス!」と適当に返事して、最寄り駅を伝えて店を出たのだった。

    絶望の朝

     翌土曜日の朝、目が覚めてまず「さて、どうしよう……」と思った。

     したたかに酔ってはいたが、前夜のことはおぼえている。ブレイクとコナーがぼくの「カム・トゥー・マイホーム」をどこまで信じているかわからないが、こっちだって彼らがどこまで本気にしているのかわからない。
     とりあえず妻には正直に話すことにした。
    「昨夜、電話で話してもらったアメリカ人に『今夜うちに遊びにおいで』と言ってしまった。本当に来るかどうかわからんけど、心の準備をしておいてほしい」
     妻は(当然だが)文句を言いながらも、いつもの夕食+2人分の料理を用意し始めてくれた。

     令和の時代に書きにくいが、ぼくはまったく料理ができない。
     ひとり暮らしが長かったが、飯を炊くだけであとは総菜で乗り切った。人さまに食べてもらうものなど作れるはずがない。そもそも包丁が怖い。だからこの時、来るかどうかわからない2人のために刺身や食事を用意してくれた妻には頭が上がらない。

     ぼくは、夕方まで「アメリカ人も社交辞令で『本当に行っていいの?』くらいは言うやろ」と己に言い聞かせ、八割がた来ないだろうと踏んでいた。
     だが、約束の時間に駅に行くと、彼らはちゃんと来ていたのだった。
     コナーがぼくの姿を見つけるとすぐアプリを使って
    「本当に来てよかったのですか? ダメだったらそう言ってください。帰りますから」
     と言ってきた。ぼくはもちろん「大丈夫」と答えて2人を自宅に連れていった。

     ブレイクもコナーも、ラフな服装だった前日とは異なり、シャツを着てジャケットを羽織っていた。しかも片手にはワインのボトルを持っていて、
    「あ、アメリカの人がホームパーティに誘われたときの服装だ」
     と思った。ハリウッド映画でしか観ないやつだった。
     残念ながら我が家はマンションの一室で、映画のように大きなテーブルのあるリビングはない。こたつの周りでザコ寝ならぬザコ座りで我慢してもらうほかなかった。

     それでも彼らは日本の「庶民の暮らし」に触れることができて、うれしそうだった。妻の料理にも大喜びで、妻もうれしそうだった。何もしていないぼくも、みんなが楽しそうでうれしかった。ビールを呑み、日本酒を呑み、(彼らが持ってきた)ワインを呑んだ。

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    我が家で呑んだときの様子

     アメリカの話もいろいろと聞かせてもらった。2人は大企業で働くエンジニアで、典型的な「陽気なアメリカン」ではなく、どちらかといえば内向的なタイプらしかった。
    「ハリウッド映画では卒業パーティ(プロム)に誰を誘うかでドキドキする場面があるけど、ああいうのって本当にあるの?」
     とたずねると、2人そろって
    「そもそもあんなパーティはないよ」
     と言っていて、彼らの青春時代が垣間見えた気がした。彼らが興味なかっただけでパーティ自体は絶対あったやろとちょっと思った。

     そんなバカ話も含めて何もかもが特別で、人生で経験した最高の夜のひとつになった。

    長い夢の終わりと結婚する2人

     蓼科(たてしな)で偶然隣になっただけのブレイクとコナーとの交流は、その後も続いた。
     別の年、ブレイクとコナーがそれぞれ別の友人を連れて日本に来た時も蓼科で呑んだ。彼らも蓼科をホームのように感じていたのだろう。
     逆にぼくがアメリカに行った時には、コナーが当時働いていたfacebookの本社を案内してくれた。広大なオフィスにはレストランやゲームセンターがあって、ひとつの町になっていた。

     そして2017年。蓼科は女将の高齢化を理由に閉店が決まった。
     それまで何度も「もう(店を)やめる」と言い続けながらも90歳近くまで店に立ち続けた女将だったが、元気なうちにきれいなかたちで店を閉じたかったのかもしれない。
     最終日には歴代の常連客が店に集った。店内は超満員で、皆、立って酒を呑んだ。閉店時間になると店の前に出て、常連の代表が女将に感謝状を読みあげた。

    あなたは48年の長きに亘り、良き「昭和」を守り続けました。
    相手が誰であろうと好きなように「正直に生きる」ことを教えてくださいました。蓼科での出会いが私たちの人生に潤いを与えてくれました。

    常連客からの感謝状より抜粋

     気が強いあの女将が、顔をくしゃくしゃにして泣いていた。

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    最終営業日の女将と贈られた感謝状

     それから常連客30人ほどで渋谷センター街を「蓼科、今日で閉店です」「お疲れ様でした」「ありがとう」などとコールしながら練り歩いた。多くの人たちにとっては、なんのこっちゃわからなかっただろうと思うが、素敵な店じまいだった。
     当然、ブレイクとコナーにもこの日の様子を伝えた。

     その後、彼らが住むサンフランシスコでは大きな山火事があり、コロナ禍もあった。そのたびに連絡を取り合い、互いの無事を喜びあった。

     2023年、ブレイクから恋人と日本を旅すると連絡があった。東京にも立ち寄るというので、数年ぶりに会う約束をした。
     当日、妻と目黒駅に行くとブレイクがメキシコ出身の恋人ヤリ(仮名)と一緒にいた。ヤリはぼくから見ても小柄で、メキシコに対するイメージを覆すくらいおしとやかな女性だった。
     ふとブレイクを見ると、いつのまにかレーシックを受け眼鏡とおさらばしており、イケメンになっていた。ぼくは「この彼女に本気なんだな」と悟った。
     カフェでお茶をしたとき、予想は現実のものとなった。
     彼らは東京に来る前の日まで温泉街に滞在しており、そこでブレイクがプロポーズしたのだと言った。
    「ぼくたちが結婚するってことを、誰よりも先に2人に伝えたかった」
     と言ってくれたのは本当にうれしかった。彼はそこまでぼくたちのことを大事に思ってくれたのだ。
     続けて彼は
    「ぼくたちの結婚式にはぜひ来てほしい」
     と言った。
     ぼくはまたも深く考えずに「もちろん!」と、日本語で返事した。

    想いと現実問題のはざまで

     次の年、秋にメキシコで結婚式をすると正式な招待があった。

     超ありがたい話だし、勢いで「もちろん!」と言いはしたが、現実問題として会社勤めだったぼくは日々仕事に追われていて、休みをとれるかどうかわからなかった。とにかく疲れていて、大事な友人のために有給を取ろうという発想さえ思い浮かばなかった。
     ぼくより仕事ができる妻も同様で、何日も家を空けることは難しそうだった。

     また、もうひとつの懸念として数年前から飼い始めた猫の寅次郎の世話をどうするのかという問題もあった。寅次郎は捨て猫だけあって警戒心が強く、ぼくら夫婦以外には心を開かない。誰かに世話を頼むのが難しかった。

     申しわけないが(メキシコにそんな慣習があるのかどうか知らないが)祝電を送るだけにして、渡航はあきらめようと考えていた。
     そんなとき、これまた妻が
    「メキシコで結婚する友だちなんて一生にひとりいるかどうかなんだから、あなただけでも行ってきたら?」
     と言ってくれた。
     たしかにそうかもしれない。そもそもブレイクがヤリと付き合わなければ、メキシコ人と話すことなどなかっただろうし、よほどのことがなければメキシコに行くことなど考えもしない人生だった。
     ぼくは妻に頭を下げ、そうしたいと返事した。
     とはいえ仕事の問題もあったので、金曜日の15:00までオンラインで仕事をして17:00ごろの飛行機で出国。現地時間で日曜日の式に出席したら、翌日向こうを出国。火曜日の早朝、成田空港についてそのまま出勤するというハードなスケジュールを設定した。

    おっさん、着物を抱えてメキシコに降り立つ

     メキシコの空港に着き、荷物を受け取ってロビーに出ると、ヤリたちが「ようこそ! 大輔さん」と書いたプレートを持って出迎えてくれた。もうそれだけで泣きそうになった。
     ブレイクはもちろんのこと、ヤリのご両親まで待っていてくれた。
     ヤリと会うのはこの時が2回目。よく知らない日本人のためにここまでしてくれるなんてと空港を出ていないのにもうメキシコを好きになっていた。

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    空港で出迎えてくれたブレイク(仮名)とヤリ(仮名)たち

     あとで分かったんだけど、メキシコでは誰もが挨拶代わりにハグをする。  
     今から思えば思えばヤリとその家族に初めて会ったときも、彼らはハグしようと一歩ぼくのほうに踏み出していたようだった。
     でもぼくはどこまでの関係性でハグするものなのか、たとえば初めて会った異性、それも誰かの妻や恋人でもハグしてよいのかわからず、
     「お招きいただきありがとうございます」
    と日本式に頭を下げただけになってしまった。

     結婚式の前夜には両家の晩餐会にまで招待してもらったんだけど、ヤリが友人や親族と次々ハグするので、こっそりブレイクに
    「どういうタイミングで、どういう関係性の人とハグするの?」
     と耳打ちすると、
    「実はぼくもまだわかっていないんだ」
     と返ってきて面白かった。
     仕方がないのでヤリに確認したところ、親しい相手とは誰とでもハグをすることがわかった。相手に恋人や配偶者がいても遠慮する必要はない。このとき、口もとで「チュッ」と音を出すやつもする。隣でブレイクもなるほどとうなずきながら聞いていた。中学・高校生でも、異性の友だちとはハグするという。ぼくだったらと想像するだけでドキドキしてしまう。

     メキシコ滞在中、いろんな人を紹介してもらったが、ぼくは結局(相手側から来たとき以外は)一度もこの挨拶ができなかった。ぼくの意気地なし。

    踊り続けるメキシコ人

     メキシコの結婚式はひたすらに踊る。深夜3時ごろまで踊り続ける。

     結婚式の当日、ぼくは用意していた和服に着替えた。これも妻のアイデアで、当初はスーツで出るつもりだったのだが、趣味で和服を着ている妻が
    「着物で出たらメキシコの人たちも喜ぶんじゃない?」
     と、着付けの先生からもらったという男性用の着物を出してくれたのだ。「(亡き夫の着物が活用されて)先生も喜んでくれるはず」という後押しもあった。
     昔の人が着ていたものだから、ぼくには裾がちょっと短くて、羽織に紋も入ってなかったけれど、「海外の人が見てもあまりわからないだろう」とそのままいくことにした。
     余談だが、男性の着物は女性の着物と比べて簡単に着られる。動画で帯を締める練習をして、少し街を歩くとすぐに慣れた。海外で結婚式に出席する機会がある方にお勧めしたい。

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    間に合わせだがそれっぽくなった(現地ホテルで撮影)

     メキシコの結婚式も、いわゆる挙式から始まった。
     新婦のヤリが父親とともに式場に入ってきたとき、父親と目が合った。マリオみたいな口ひげを生やし、スナック菓子「ドンタコス」のCMに出てきそうな風貌の父親は、着物姿のぼくを見て、「やるじゃないか」という感じで笑ってくれた。

     挙式のあとは、階下のパーティルームに移動する。
     まずはウェイティングバーで、カクテルを飲んだ。メキシコなので、もうここでメスカルやテキーラが出てくる。ここではブレイクの叔母さんたちと話した。新郎側の親族は、ブレイクの叔父や叔母だけだったが、そろいもそろって元気な人たちだった。
    「あら、あなたどこから来たの?」
     と話しかけられて、ああ、そうか。着物は彼女たちにとって異国の服であることはわかっても、イコール日本の着物であることまではわからないんだという発見があった。ここでも叔母さんたちに「ナイスドレスですね」みたいな言葉でパッと返すべきだった。
     褒めるということに対して、ぼくたちはあまりに不慣れだ。

     19時、ようやくテーブルに分かれて席についた。
     お色直ししたブレイクとコナーが現れ、乾杯の挨拶があり、いわゆる「ご歓談」の時間だ。ここでは同じテーブルのコナーや恋人と一緒に、大きな肉を頬張ったりワイングラスを傾けたりして、楽しく飲み食いした。
     新郎新婦によるウェディングケーキへの入刀もあって、「日本の結婚式とほぼ一緒なんだな」と思っていた。
     だが、その後は何もかもが違っていた。

     テーブル席の中央に柔道場ほどの広さのダンスフロアがあり、ここに参列者が集って、ダンスが始まった。日本だったらこういう時、恥ずかしがってなかなか人が集まらないが、メキシコの人たちは違う。我先にと出ていって、各々好き勝手に踊り始めた。
     ぼくも「自分が彼らの中の『日本人のイメージ』になるんだ」と思って、旅の恥はかきすてとばかり出ていった。華麗なドレスやタキシードのなかに和服姿で飛び込んで、彼らと一緒に踊りまくった。

     やがて、参列者にプラスチック製のネックレスが配られた。
     ネックレスの先には小さなカップが付いている。サーバーのお兄さんたちが近づいてきて、そこに酒を注ぐのだ。首から下げているので、その場ですぐ呑んで、空にするしかない。
     そうやって呑んでは踊り、踊っては呑むがひたすら続く。
     クラブイベントのように各々が好き勝手踊っていればよい曲もあるし、カントリー・ラインダンスのように、皆で一斉に同じ振り付けで踊る曲もあって難し&楽しい。

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    この写真のタイムスタンプ(撮影時間)を見たら深夜1時過ぎだった

     ヤリの妹はヤリとは少し年が離れた大学生で、性格も真逆。日本でいう「ギャル」だった。披露宴の最中も会場のあちこちをまわってキャッキャ、キャッキャやっている。
     その彼女が日本からひとり参列しているぼくに気を遣って、何度もやって来ては
    「どう? 楽しんでる?(いえーい! ピース)」
     みたいな感じで確認してきた。ぼくはその気持ちに応えたいというのもあって、さらにテンションを上げて、ひと晩じゅう踊り続けた。
     その間にも、酒がどんどん運ばれてくるので、呑んで呑んで呑んだ。

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    新郎新婦から直接テキーラを注ぎこまれるぼく

     日付が変わってもペースはまったく衰えることなく、メキシコ人のエネルギーに圧倒された。(この時間になるとアメリカから来たグループのなかには、ぽつぽつ帰る人もいた)。

    そして大団円を迎えた

     深夜3時。ようやくDJが曲を止めてダンスがひと段落した。
     と、ここで登場したのが「マリアッチ」だ。大きな帽子ソンブレロをかぶり、刺繍が施されたカウボーイ衣装に身を包んだ楽団で、ギターやバイオリン、トランペットを携えた男が10人以上いた。
    「このおじさんたち、この時間まで待機してたん?」
     何よりもまずその点に驚いた。

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    深夜3時まで待機していたと思われるマリアッチの皆さん

     ここからはマリアッチの生演奏と歌の時間だ。新郎新婦は彼らの前に用意された特別席でそれを聴く。ぼくはすでに体力の限界だったから、マリアッチのおじさんの歌声が心地よく、眠りに落ちそうになる。

     マリアッチによる最後の曲は、ヤリの父親が花嫁である娘のために歌った。お父さんも70歳近いのではないかと思うが、この時間まで起きていて大変だ。とてもマネできない。
     歌い終わると、父親はヤリと2人で踊りはじめた。これがまた美しい。王様とお姫様。まさにディズニープリンセスのそれだった。これほど絵に描いたような結婚式があるのかよと思った。

     そして、花嫁の相手は新郎であるブレイクに交代する。
     ここまでくると、ぼくは完全に父親サイドの気持ちになっているので、自然と涙があふれてくる。「ブレイクの野郎……ヤリを幸せにするんだぞ」
    みたいな感じだ。
     ヤリとブレイクのダンスは、王子とお姫様だ。
     ブレイクについては「頑張って練習してきたんだな」といった動きだったが、ヤリのドレスとしなやかな動きが美しくて、見惚れてしまった。

     思えば、初めて会ったとき「卒業パーティなど存在しない」と言っていたブレイクだったが、30歳後半になってやっとその時が巡ってきたようだった。こんなところでお釣りが出るくらい青春を取り戻すタイミングがあったんだなと思うと、また涙が止まらなかった。

     このダンスでついに披露宴はお開きとなった。
     時計は朝5時近い。
     早朝まで踊り続けたせいか、着物の帯が完全にほどけてしまっていた。
     頑張って締め直したものの、こちらもベロベロだから適当になっていて、「もうあきらめた!」と雑に帯を巻いて、浮気の現場から逃げ出す大正時代の人みたいな風体でホテルまで走って帰った。

     こうしてぼくのメキシコ旅の目的は果たされた。
     蓼科(たてしな)でのブレイクたちとの出会いから10年近く経って、なぜかこの地にたどり着いていた。渋谷センター街にある小さな店からの道が、メキシコシティまでつながっているとは、想像もしなかった。
     すべては蓼科という小さな店に通うことが楽しくて仕方なかったことから始まった。そこでブレイクやコナーと知り合い、妻の後押しがあり、メキシコで迎えいれてくれた人たちとへとつながった。
     素敵な居酒屋は、素敵な出会いを運んでくれる。だからひとり呑みはやめられない。

     あの盛大な結婚式以来、ブレイクやコナーたちとは会えていない……などということはなく、どちらも昨年それぞれ日本に遊びにきてくれて、ちゃんと2人(とそのパートナー)との友情は続いている。

     
     
    (株)たちこぎライダー代表。ライター/編集者/ゲーム開発者。代表作は、ナマコを美少年に捧げる恋愛ゲーム『なまこれ』(企画・シナリオ)。現在は『DANRO』をはじめ、Webメディアで書いたり編集したりしています。https://twitter.com/douran