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星々の記憶 ⑥ 火星  ―― 赤い星に、人類の夢を見る

    夜空に赤く輝く星がある。

    古代の人々は、
    その不思議な赤い色を見て、
    そこに血と戦いのイメージを重ねた。

    ローマ人は、この星を
    戦いの神 Mars の名で呼んだ。

    ギリシャでは Ares。

    日本では、
    その赤い色から「火星」と呼ばれる。

    火のように赤い星。

    しかし、火星は燃えているわけではない。

    その赤さを生み出しているのは、
    地表を覆う酸化鉄――
    いわば「錆」だ。

    赤い惑星。

    それは、
    巨大な炎の球ではなく、
    錆びた大地を持つ世界だった。

    火星には大気がある。

    しかし、その大部分は二酸化炭素。

    大気は薄く、
    地表の気圧は地球の約1%程度しかない。

    平均気温も、
    およそマイナス60℃。

    地球と比べれば、
    極めて冷たく乾いた世界である。

    それでも火星には、
    地球によく似た風景がある。

    山がある。

    谷がある。

    砂丘がある。

    極冠には氷がある。

    そして何より、
    過去に液体の水が流れていた痕跡がある。

    かつての火星には、
    川があり、
    湖があり、
    もしかすると海さえあったのではないか。

    その可能性を、
    私たちは探し続けている。

    火星探査機が送ってくる写真を見ると、
    そこには奇妙な静けさがある。

    誰もいない。

    鳥もいない。

    木々もない。

    ただ、
    赤茶けた大地と、
    遠い空。

    しかし人間は、
    その静寂の中に未来を見る。

    月の次に、
    人類が足を踏み入れるかもしれない世界。

    いつか人間が火星へ行き、
    赤い大地の上を歩く日が来るのだろうか。

    そのとき、
    最初の人間は何を見るのだろう。

    地球を振り返るのだろうか。

    火星から見れば、
    地球は小さな青い星になる。

    私たちがかつて、
    宇宙から地球を見て
    「青い」と感じたように。

    火星から見た地球は、
    きっと小さな光だ。

    そこには、
    海があり、
    森があり、
    家族がいて、
    何億人もの人間が生きている。

    そして、
    その小さな青い点から、
    誰かが赤い惑星を見つめている。

    火星は、
    単なる「移住先」ではない。

    それは、
    人間が自分たちの故郷を
    もう一度見つめ直すための鏡なのかもしれない。

    遠くへ行けば行くほど、
    故郷は小さく見える。

    けれど同時に、
    その大切さは大きくなる。

    火星。

    戦いの神の名を持つ赤い惑星。

    しかしそこへ向かう人間が求めているのは、
    戦いではない。

    知ること。

    歩くこと。

    そして、
    まだ誰も見たことのない景色を見ること。

    Mars――

    赤い大地の向こうに、
    人類は何を見つけるのだろう。

    …../…..

    Mars

    A crimson world beneath a distant sun,
    Where rust-red deserts stretch beyond the sight;
    A silent land where ancient rivers run
    In memories beneath the dust and light.

    The Romans named this wandering star for war,
    And Ares watched it burning in the sky;
    Yet now we dream of footsteps on its shore,
    And ask what ancient secrets still may lie.

    Perhaps beneath the frozen polar land,
    Or buried deep beneath the ochre plain,
    There waits a trace of water, life, or sand
    That time has hidden from the human gaze.

    O Mars, red world of silence, dust, and fire,
    You call us not to war, but to inquire.

    火星

    遠い太陽の下にある、紅い世界。
    錆びた赤い砂漠が、見渡す限り続いている。
    古代の川が流れていたその静かな大地には、
    塵と光の下に、記憶だけが眠っている。

    ローマ人は、このさすらう星を戦いの神に捧げ、
    ギリシャのアレスもまた、空に燃える星を見つめた。
    けれど今、私たちはその大地に足跡を残すことを夢見て、
    そこにどんな古代の秘密が眠っているのかを問う。

    凍った極地の大地の下に、
    あるいは黄土色の平原の深くに、
    水か、生命か、あるいは砂の痕跡が
    人間の眼から隠されたまま、待っているのかもしれない。

    おお、火星よ。静寂と塵と炎の赤い世界よ。
    君が私たちを呼ぶのは、戦うためではない――
    問いかけるためなのだ。

     
     
     
    74歳、人間の記録係。アフリカのサバンナ、ICUの林、シンガポールの熱帯、そして企業の会議室。半世紀にわたり見続けてきた人と組織の営みを、「現場の観察」から綴ります。若い日に見たものの意味を、今になって理解し始めています。

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