命をいただく ― 坐禅断食で感じた“食といのち”のめぐり
食べることは、生きること。
坐禅断食で感じたのは、茶道にも通じる「いのちへの敬意」でした。
忙しい日々の中で忘れかけていた“感謝の循環”を、今、もう一度見つめ直してみませんか。
こんにちは、宗美です。
先日参加した坐禅断食会。
今回は、断食について綴ってみたいと思います。
2日間の完全断食を通して感じたのは、空腹感ではなく、むしろ心と身体がひとつに溶け合うような穏やかさでした。
2週間ほど前から、朝食を抜いて空腹の時間を長くしたり、昼食と夕食の量を控えめにしたりと少しずつ準備を整えました。
断食本番では、「空腹に耐える」という感覚は不思議となく、合間にいただいた人参リンゴジュースの甘みと香りが、まるでご馳走のように身体に染み渡っていきました。
坐禅・警策・経行を繰り返しながら、心も身体も静かに澄みわたっていく
情報を遮断し、五感を研ぎ澄ます時間は、まさに内なる自然との再会でした。
「明けの一膳」が教えてくれたこと
そして迎えた「明けの食事」
寸胴鍋にたっぷり作っていただいた大根汁に、手づくりの梅、生野菜や浅漬け、季節の果物etc.
ひと口ごとに、命をいただくということを全身で感じました。
細胞ひとつひとつが喜んでいるような感覚です。
それは、単なる栄養素としてではなく、いのちをめぐらせる食事でした。
途中、何度も席を立ちながら(身体の中の“浄化”タイムです)
「こんな色のものが自分の中にあったの?!」と驚きつつも、終わったあとには深い清々しさに包まれていました🤭
食べることは、いのちをつなぐこと
明け後の3日間も、丁寧に食事を選びました。
「食べても大丈夫」と教えていただいたパンや、お蕎麦
その一口一口が、まるで祝福のようでした。
お蕎麦は、元々最初の数口はそのままいただくのが好きで^^その爽やかな香りと喉越しと、本当に最高でしたよ♪
改めて感じたのは、食べることは“生きること”そのものだということ。
私たちは、山の幸、海の幸、畑の恵みを通して他のいのちをいただき、生かされています。
だからこそ、食材ひとつひとつの“命”に、畏敬と感謝の気持ちを忘れずにいたいと思うのです。
ちょうど今は、実りの秋。
大地の恵みに感謝する祭事も多く行われる季節です。
日々、豊かに食卓を囲めること自体が、どれほど尊いことか。
食べられること、働けること、生きていること
そのすべてが「いただきます」という祈りの言葉に込められているのだと、静かに感じた時間でした。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。
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