架空麻辣湯を食べる
架空と書いたが、私の中であれは紛れもなく麻辣湯だった。
流行り始めて数年。私は未だ麻辣湯を食べたことがない。辛いものが得意ではないし、癖のあるスパイスも得意ではないから、これまで全くと言っていいほど惹かれてこなかった。
だけど、こんなに流行っているのなら一度くらいは食べてみたくなる。何事も経験してみないとわからない。食べた上で、好きか苦手かと言うことに意味がある。要はミーハー。
そんなある日、事件が起こった。
その日は朝ご飯を食べて以来、夜まで何も食べないまま、用事を終え帰宅した。20時以降は食べないようにしているため、家着即風呂をキメ、あとは歯を磨いて寝るだけかと思われたそのとき、鼻先を悪魔的な美味臭が通り抜けた。
「ありえんいい匂いがしてるんだけど」と全裸のままリビングに飛び出して行くと、母が鍋を火にかけていた。
「それ何?」
「ん?まーらーたん」
まーらーたんとは、あの麻辣湯のことですか?
「お腹空いたって言ってたから」
どうやら、夜食べたのを温め直してくれたらしい。私は涙した。必ず、かの寸草春暉の母を幸せにしなければならぬと決意した。
だが、ひとつ問題があった。先ほども述べた通り、私は麻辣湯を食べたことがない。そして、母も麻辣湯を食べたことがなかった。えっ、じゃあ今目の前にあるこれは何……?
聞くと、それっぽい調味料とそれっぽい具材を入れて作ったそうなのだが、それでは、それっぽい何かなのではないだろうか。ただ、見た目はテレビで見る麻辣湯のそれだったし、食べない選択肢がないほどいい匂いをさせていたため、私は迷わず口にした。
麻辣湯だった。
私には麻辣湯がわからぬ。私は、未麻辣湯人である。だが、これは麻辣湯以外の何者でもないと本能が告げていた。そして何より美味すぎる。
私は夢中で食べた。そして高らかに宣言した。
「私は、麻辣湯を食べたことがあることにします」
そしてすかさず、その場にいた母と妹に呼びかけた。
「いい?もし誰かに聞かれたら、私は麻辣湯を食べたことがある、と答えるの。わかった?」
「なんとなくで作っただけだから」と謙遜する母を、「辛くて美味くて体が燃焼してきたから」の一点張りで説得し、ついに私は麻辣湯済の世界を手に入れた。今後は誰に聞かれても、曇りなき眼で「あぁ麻辣湯?あれ美味しいよねー」と言うことができる。もう何も怖くない。ありがとう母上。真あなたに作れぬものなどないのですね。
麻辣湯、なんと素晴らしい。美味しいしお腹も満たされるし、むしろ痩せた気すらする。流行っているのも頷ける。
だがな、本当に流行っているというのであれば、予測変換が一発で出るようにしろ。麻辣、enter、湯麺、delete。計16回。いい加減にして。もう二度と麻辣enter湯麺deleteの記事を書くことはないだろう。