50代からも、希望を持っていい。
【長い長い滑走路を、今日も明日も未来へと。②】
「もう、遅いんじゃないか。」
そんなふうに、
思う日があります。
ねぇ、 歩いていこうよ。
長い長い滑走路を。
急がなくていい。
立ち止まってもいい。
振り返ってもいい。
少し休んでもいい。
それでも、
また歩き出せばいい。
50代。
そこにあるのは、
たくさんのyesterday。
そして、
たくさんのeveryday。
これからは、
たくさんのtomorrowも、 きっとある。

Ⅰ
「明日は、いつ来るんだろう。」
そんなふうに思うことがあります。
未来は、
ずっと先にあるように感じる。
でも、
本当は違うのかもしれない。
明日は、
今日の小さな選択から、
少しずつ作られていく。
今日、
誰かに優しくする。
今日、
自分を少し許す。
今日、
やってみたかったことを、
ほんの少しだけやってみる。
今日、
「私は私でいい。」 と思ってみる。
それだけでもいい。
未来というのは、
大きな決断だけで作られるものではなく、
小さな選択の積み重ねによって、
少しずつ形になっていくもの。
だから、
次の一歩が、
どんなに小さくても構わない。
それは、
明日への種になる。
Ⅱ
長い長い滑走路には、
たくさんの涙も落ちている。
よわむしだった。
泣き虫だった。
何度も、
「もうダメだ。」 と思った。
でも、
涙はやがて乾いていく。
そのとき、
何事もなかったように見える。
だけど、
本当に何も残っていないのだろうか。
違う。
そこには、
経験が残っている。
傷ついたから、
人の痛みが少し分かる。
迷ったから、
迷っている人に、
少し優しくできる。
失敗したから、
失敗を笑わなくなる。
苦しんだから、
誰かの苦しみに、
気づけるようになる。
それは、
若い頃には持っていなかったものです。
だから、
50代からは、
経験も翼の一部にしていい。
高く飛ぶためだけじゃない。
誰かの痛みに気づくための翼。
誰かに優しくするための翼。
そして、
自分自身を、
もう一度信じるための翼。
Ⅲ
だから、
50代。
誰かになるために、
心まで捨てなくていい。
誰かと同じ人生を、
生きなくていい。
私は私。
あなたはあなた。
それでいい。
もし、
自分を責めることで、
心がいっぱいになってしまったら、
ほんの小さな花を、
自分の中に咲かせてみよう。
「今日も生きている。」
それだけでもいい。
「明日、少し歩いてみよう。」
それだけでもいい。
「もう一度、人を信じてみよう。」
それでもいい。
人を愛することに疲れて、
臆病になる日もある。
それは、
弱さではない。
それだけ、
誰かを大切にしようとしてきた証なのかもしれません。
だから、
もう一度でいい。
少しずつでいい。
自分を信じることから、
始めてみる。
そして、
自分を大切にできるようになったら、
今度は、
誰かにも優しくできる。
自分だけが幸せならいい、
ではなく、
「あなたも、あなたの道を歩けますように。」
そう願える。
ここで、
私は、
「自分軸」と「中心軸」がつながるのだと思っています。
🟦
長い長い滑走路。
今日も、
明日も、
未来へと続いている。
高く飛べなくてもいい。
速くなくてもいい。
小さな羽でいい。
一歩ずつ、
歩いていこう。
50代。
ここからだって、
希望を持っていい。
これまで流した涙も、
いつの日か、
うれし涙になるかもしれない。
これまで信じてきた涙も、
そのうち、
「信じてよかった。」 と思える日につながるかもしれない。
だから、
今日も、
小さく胸を張ろう。
大きく根を張ろう。
地道に。
ゆっくり。
そして、少しだけ。
そして、
自分を大切にできるようになったとき、
その優しさを、
少しだけ、
誰かにも渡していく。
自分に戻る。
そして、
そこから、
誰かへ広がっていく。
それが、
私の考える、
「自分軸 × 中心軸」です。
長い長い滑走路。
私たちは、
まだ歩いている。
昨日までの自分も、
今日の自分も、
明日の自分も、
全部連れて。
だから、
もう、
「遅すぎた。」 とは言わなくていい。
「これから。」 でいい。
さぁ、
今日の小さな一歩を進もう。
どんなに長い滑走路でも。
その先には、
まだ見たことのない空がある。
今日も、
明日も、
未来へ。
長い長い滑走路を、
小さく胸を張って歩いていこう。
(おわり)
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします! いただいたチップは私にとっても皆さんにとってもプラスワンとなりますよう活動費に使わせていただきます! 