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父親にはタップがない

    強い人間でいたかった。

    いや、違う。自分が弱いと思っていたから、格闘技を始めたのかもしれない。

    倒れないこと。折れないこと。タップしないこと。
    それが強さだと、長いあいだ信じていた。

    でも、本当のことを言えば、今も練習では若手に一本を取られる。UFCには辿り着いたが、そこに居続けることはできなかった。「なぜ戦うのか?」という問いにも、まだうまく答えられない。

    そして父親になって、一番こたえたのは、痛みでも敗北でもなかった。

    子どもの心を、代わりに守ってやれないことだった。

    金網の中なら、タップができる。苦しくなれば、まいったの合図を出せる。負けを認めれば、そこで試合は終わる。

    でも、人生にはタップがない。

    それでも人は、次の一手を出せる。

    筋肉は裏切らないが、関節は裏切る

    試合を意識した練習から、少しずつ自分がフェードアウトしていく。それを受け入れるのは辛い。だが現実は厳しい。柔術では黒帯との差をはっきり感じるようになった。身体の大きい若手や勢いのある選手に、タップする。打撃でも、スピードと反応速度が落ちていく。今は次の世代を育てる立場だ。それでも若手は、次に会うたびに成長している。こっちは維持できれば上出来。コンディションを保つだけで精一杯だ。貯金を切り崩しながら、その日をやり過ごしている感覚がある。

    もう四十歳か。気づけば、アメリカに来て今日で二十二年が経った。古傷が痛む。

    そしてふと思う。ここまで歩いてきた道は、果たして正解だったのか?

    なぜ、戦うのか?

    格闘技人生を振り返ると、いまだに答えられない質問が二つあることに気づく。「なぜ戦うのか」と「モチベーションはどこから来るのか」だ。

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    気づけば自分は、所属していたジムのタイ本家に出稽古へ行き、夏休みのあいだ住み込みで練習していた。ムエタイのプロデビュー戦はパタヤだった。アメリカの大学を出たあとは、オンボロの中古トヨタを売った金でリオデジャネイロへ飛び、グレイシーの総本山でブラジリアン柔術に明け暮れた。MMAの二戦目はブラジル。相手は柔術の世界王者で、明らかに噛ませ犬の試合だった。それでも、ファベーラ(スラム街)のボクシングジムでハングリーな選手たちと練習した甲斐があったのか、なんとか勝つことができた。

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    今、自分は親になった。もし息子が同じ旅をすると言ったら、死んでも止める。冗談ではない。

    モチベーションなど、存在しなかった

    モチベーションなどは存在しなかった。ただ言えるのは、取り憑かれていたということだけ。Obsessed だった。それがやがて、規律になった。「これは、この先に来るもっと大きな機会のための下準備なんだ」。そう信じていた。

    何度も打ちのめされてきた。その瞬間をどう切り抜けるのか。自分への疑いを押しのけて進めるのか。恐怖と向き合えるのか。結果がほぼ見えている試合でも、最後の最後までがむしゃらにやり切れるのか。

    だが、なぜ戦うのか。その問いにだけは、答えられなかった。

    困難に挑む意味は、折れない力と逆境を越える技術を身につけることにある。自分の道を、自分で見つける方法を教えてくれる。

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    UFCに到達することはできた。だが、生き残ることはできなかった。タップして一本負けしたことは、一度もない。それでも、玉砕覚悟で金網で散るエキサイティングな選手にもなりきれなかった。UFC選手になることより、そこに居続けることのほうが、ずっと難しかった。

    格闘技という人生の師は、いつも自分が暗闇にいるときに、気づきを与えてくれる。

    なぜ、タテキなのか?

    UFCの最初の契約だけでは、格闘家として食べていくのは厳しい。Fight of the Night に選ばれれば、当時のボーナスでファイトマネーに追加で五万ドルが入る。でも、安定とは程遠い。だから全部、自分でやった。スポンサー探しにウェブサイトの制作も、デザインも、オンラインショップも、セルフプロモーションも。もちろん競技生活が最優先。何もかも一人でやってきた。

    そのセルフメイドのサイトに、一通の問い合わせが来た。最初はイタズラかと思った。指定された住所と、何重ものセキュリティチェックを経て、ようやくわかった。これは、ガチだ。

    なぜ世界一稼ぐスーパーモデルが自分を選らんだのか、不思議でならなかった。この立場に上り詰めたい人間は、何百、何千人といるだろう。見えない行列を、背中に感じた。ジゼルとの最初のトレーニングを終えて、生活は一気に変わった。パーソナルトレーナー用の保険を、桁二つ上げた。とにかくジゼルを最優先にした。女性の生理学を、一から徹底的に学び直した。ピラティスの先生と連携を取り、パーソナルシェフにはジゼルの活動量を伝え、栄養バランスの調整を徹底した。

    ある日、ジゼルが撮影から帰ってきた。首が曲がらない。撮影のあいだ、ずっと無理な姿勢とポーズを保っていたから、身体が硬直していた。彼女は撮影中に、本当の意味でモデルになる。カメラマンとのやり取りはもちろん、それ以外の感情はすべてシャットアウトし、肉体をアートとして、ひとつのフィギュアとして撮影に捧げる。無我の状態だ。

    ただでさえ負荷のかかった身体に、格闘技のトレーニングは疲労を重ねるだけになる。世界一の身体に、自分は何ができるのか。模索しながら、ベストを尽くした。

    ある日、ジゼルが言った。リオ五輪で、最後のキャットウォークをすると。体づくりにも気合が入り、その日が近づいてくる。彼女は今までにないプレッシャーを感じていた。もし開会式の舞台で転んだら。ブラジル人からは、祖国を裏切りアメリカに魂を売ったモデルとして。アメリカ人からは、祖国ブラジルの大舞台で大恥をかいたモデルとして。きっと笑われるだろう、と。

    一方、当時の夫トム・ブレイディは、NFL史上最高の勝者と呼ばれるクォーターバックだった。日曜の試合の翌日、月曜は一日中、試合の映像を見ていた。対戦相手の動きと、自分のプレーを分析する。彼用にカスタマイズされたマウスで、一時停止とスローモーションを繰り返し、画面に釘付けになって、次の勝利の準備をしていた。

    すべてを手にした二人に、安心も安定もなかった。彼らのプロフェッショナリズムは、松田干城のプロ総合格闘家キャリアの最初からあっただろうか?その姿を横目に、自分は静かなるプロフェッショナルを目指すようになった。

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    ある朝、ジゼルが、自分とのトレーニングをインスタグラムに載せた。それが公になり、多くの人から連絡が来た。ファッション雑誌なんて無縁の格闘家に、だ。世の中は面白い。もしあの頃、UFC復帰を諦めて毎週末マンハッタンに出張し、モデルたちにワークショップをやって商売をしていたら、今頃は相当に裕福になっていたと思う。

    なぜ、選ばなかったのか? 格闘技で食べていくチャンスだった。けれどこの時も、わからなかった。「なぜ戦うのか」の答えが。

    Focus と Positivity

    ジゼルは著書『Lessons』にこう書いている。「人生のすべては夢から始まる。しかし、まず夢を明確に定義しなければならない。そして、もっと大切なのは、なぜそれが必要なのかを理解することだ」と。

    その言葉を読んで、自分の本当の夢を、もう一度深く考えた。「UFCファイターになる」という夢は叶った。だが、「世界チャンピオンになる」を、なぜ本気の夢だと思えなかったのだろう。

    あの頃、UFCで生き残れなかったのは、格闘技に100%集中できていなかったからかもしれない。留学生あがりで、ビザのステータス、競技を続けるための資金、ボストンで生き抜くこと。それらと並行しながらでは、純粋に格闘技だけへ身を捧げることはできなかった。でも、後悔はしていない。渡米してからずっと、一瞬一瞬を全力で、一つ一つの決断をして生きてきたからだ。

    だから、ジゼルに聞いてみた。どうして格闘技をトレーニングに入れようと思ったのか、と。すると彼女は、格闘技に求めているのは「強い意志があれば、強くなれる。揺るぎない意志こそが成功の秘訣だ」ということで、それをタテキから学びたい、と言った。恐れ多いと思った。でも、嬉しかった。

    普段は彼女の時間を最優先するから、無駄な私語も、彼女を詮索することもしなかった。それでも、この時だけはアドバイスを求めた。ジゼルのように世界のトップに居続ける、つまり成功するには、何が必要なのか、と。

    ジゼルは彼女の口から直接、こう教えてくれた。ゴールを達成するために必要なのは「Focus」と「Positivity」だと。集中すること、ポジティブでいること。そのどちらにも、揺るぎない意志がいる。そしてその時間はきっと、大雨の中で踊るようなものだ。Dancing in the rain。

    顔のない相手

    書籍「Lessons」を読み終えたとき、自分はブログに書いた。「いつか父親になるのが待ちきれない」。そして、「子を持つすべての親に、脱帽だ」と。

    あれから、自分は父親になった。あの「脱帽」の意味を、当時とはまるで違う深さで知ることになる。

    子育てを振り返って、最初に浮かぶのはこれだ。父親と母親でどれだけ役割を分けても、母乳がない時点で、男はパーを失っている。グーとチョキしか出せない。三つとも出せる相手と、じゃんけんをしているようなものだ。どう頑張っても、最初から一手足りない。

    格闘技なら、相手は目の前にいた。危険は見える。心拍が上がり、呼吸が浅くなり、身体が勝手に戦う準備をする。倒せば終わる。だが父親として向き合う相手には、顔がない。長年アメリカに住んでいるが、やっぱり慣れない制度、契約、学校、移民としての立場、そして、子どもの心。殴れる相手はいない。倒せば終わる敵もいない。

    金網の中なら、自分が前に出て、倒れず、痛みに耐えればよかった。だが、どれだけ自分が強くても、子どもの心を代わりに守り切ることはできない。子どもが感じる不安も、学校での小さな違和感も、すべてを肩代わりすることはできない。

    ここには、タップがない。降参して、もう一度始めることができない。逃げ場がない。

    だから父親の苦労は、静かだ。子どもの前で、必要以上に不安は見せられない。表では冷静に振る舞いながら、内側で何度も自問する。自分の判断は正しいのか。この国で、日本人の家族として、どこで耐え、どこで引き、どこで戦うべきなのか。

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    できるのは、次の一手だけだ。メールを一通返す。学校に確認を入れる。深夜に妻と話す。子どもの体調をただ見る。幼稚園のお弁当を作る。料理を作って、食卓を囲む。旅先で、子どもに芸術や文化を触れさせる。できることを、毎日続ける。

    子どもに戦うことは教えない。子どもの人生は、子ども自身のものだ。ただ一つ、防御だけは教えたい。攻撃ではなく、防御。支配ではなく、自立。勝つためではなく、自分を守るための知恵を。

    元UFCファイターという肩書きは、外から見れば強さに見えるのだろう。でも父親としての自分は、もっと情けない。怒りもある。不安もある。疲れもある。自分の無力さを感じる夜もある。家族が崩れないよう、見えない場所で支柱でいること。それは、ときどき、ひどく孤独だ。

    大雨の中で、踊る

    世界一のスーパーモデルが教えてくれた言葉を、自分はずっと、勝つための技術だと思っていた。Focus。Positivity。揺るぎない意志。ゴールに到達するための道具だと。

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    でも、父親になって、タップができない日々を過ごす中で、初めてわかった。ジゼルの言葉は、勝つためのアドバイスではなかった。勝てない日に、どう戻ってくるかというスキルだった。

    揺るぎない意志だけでは足りない。意志は疲れる。子どものインフルエンザの熱は、意志では下がらない。どれだけ強く願っても、ポジティブでいても、代わってやれないものがある。

    そこで、彼女のもう一つの言葉が効いてくる。「Dancing in the rain」(大雨の中で踊る)。雨は止められない。タップして、試合を止めることもできない。なら、踊るしかない。

    道場で毎日タップしてきて、本当はずっと前から知っていたはずだ。タップをして「まいった」と相手に伝えることは、負けを認めることではない。今この一瞬は勝たなくていいと認め、生き延びて、明日また練習に戻ること。父親には、その逃げ場のタップがない。だから、逃げ場なしで、同じことをやる。劣勢を受け入れる。今日は勝てないと、認める。それでも、辞めない。

    これが、自分にとっての「強さ」の意味を変えた。強さとは、倒れないことでも、タップしないことでもなかった。崩れたあとに、戻ってこられることだった。

    Focusも、反転した。ジゼルは撮影中、すべての感情をシャットアウトし、無我になれた。自分も、彼女のサムライだった頃は、世界を遮断して彼女一人に集中できた。脇に置けない人間が、まだいなかったからだ。父親には、それができない。子どもは、こちらの集中を待たない。だから父親のFocusは、世界を遮断することではない。消せない雑音の中で、方向を見失わないことだ。

    究極を探して、タイへ、ブラジルへ、アメリカへと、世界を渡った。その究極は、頂点にはなかった。毎日できる、次の一手の中にあった。夢の定義も変わった。かつての夢は「自分が何になりたいか」だった。今の夢は「自分の命を、何に使うか」だ。世界一の身体に注いだあの集中は、いつのまにか、自分のためのものではなくなっていた。

    父親として自分が背負っているのは、ただの責任ではない。子どもたちに生き方を残すことだ。言葉ではなく、背中で。

    不動心  心は動く、魂は動かない

    では、その暗闇の中で、どう立ち続けるのか?歯を食いしばる根性でもなく、小手先の技術でもない。

    ジゼルとの日々で、自分の中にひとつの式が生まれた。「夢の定義」と「揺るぎない意志」。この二つが合わさると、目的に基づいた不動心が生まれるのではないか?何のためにという夢の定義。なぜそれが欲しいのかという理解。そこに批判や恐怖に揺さぶられない意志が重なる。すると、何があっても動じない、心の芯ができる。

    孟子はこう説いている。「何事にも動じない強い心、不動心は、小手先の技術で身につくものではない。日々の正しい行ないによって、内側から湧き出る「浩然の気」、大いなるエネルギーを養うことで、はじめて得られる」と。

    一度の劇的な行いでは、手に入らない。毎日の地味な積み重ねからしか生まれない。ジゼルがトレーニングを欠かさなかったように。自分が今も道場やジムで、毎日タップしてきたように。試合の一瞬を決めるのが、その前の長いファイトキャンプだったように。

    心は動く。感情は毎日揺れる。不安にも、怒りにも、焦りにもなる。それでいい。でも、その奥にある魂は動かない。日々の積み重ねで養われた魂は、簡単には揺るがない。

    心は動くが、魂は動かない。だから、不動心は志になる。揺れる心の奥で、動かない魂が、ぶれない方向を支えている。それが、志だ。

    なぜ戦うのか? 本能という答え

    ずっと、答えられない質問があった。「なぜ戦うのか」。タイでも、ブラジルでも、金網の中でも、ジゼルの前でも、答えは出なかった。

    父親になって、ようやくわかった。なぜ答えられなかったのか。それは、言語化できるものではなかったからだ。なぜなら、それは本能だから。

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    子育てを通じて、自分は人間の本能を間近で観察することになった。子どもは理由を説明しない。ただ、生きようとする。掴もうとする。守ろうとする。言葉になる前の、剥き出しの力。それを見ていて気づいた。自分が戦ってきた理由も、同じだったのだと。説明できない。本能だから。

    その本能は、形を変えた。かつては勝つために戦った。今は、守るために戦っている。父親としての自分は、今も戦っている。だが、その戦いは誰かを倒すためではない。子どもたちが、自分の名前を、自分の文化を、自分の身体を、自分の心を、信じて生きていけるようにするための戦いだ。

    おかしな話だ。男の格闘家なのに、女性の生理学に詳しいと言われるようになった。世界一の身体に本気で向き合った、あの日々のせいでだ。そして今、自分は、生理の貧困をなくすための活動をするRedBox Japanのアンバサダーをしている。相手を倒す技を学びにタイとブラジルを渡り歩いた男が、見ず知らずの女性の健康のために動いている。戦う本能は、いつのまにか、守る本能になっていた。

    今日で、アメリカに来て二十二年になる。四十歳。歩んできた道は、正解だったのか?

    2004年6月1日に成田から片道切符で渡米した18歳の少年は、全く想像していなかったであろう。22年後、ボストンを拠点に格闘技を続けて、北欧のスタートアップで挑戦する父親になっていることを。

    今は、こう思う。正解かどうかは、たぶん、問いが間違っている。人生に到達点はない。すべてを手にしたあの二人にも、安心はなかった。自分も、今なおジムで強いやつに負かされ、父親としてはタップできないまま、ラウンドの中にいる。

    ただ、ひとつだけ、言えることがある。

    人生には、自分では選べない暗闇がある。それでも人は、その中で姿勢を整え、呼吸を戻し、次の一歩を出すことができる。


    #創作大賞2026 #エッセイ部門


     
     
    Boston拠点のプロ総合格闘家/元UFCファイター・日本人バイオハッカー。ホロライフJapan代表・学位>応用栄養学修士課程修了・スポーツ科学学士号・健康やウェルビーイングを手に入れるためのバイオハッキングを日本へ普及させるため目下活動中

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