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【イン・ザ・メガチャーチ】読書記録①pp.1-25

    最近よく感じるのは、些細な会話でさえも、ひとの価値観を刺激してしまう場面に出くわすことの多さだ。私のフォローしているアカウントの民度と、私自身のリテラシーの欠如が原因か、自分を正当化することに長けた声の大きい者たちが罵り合い、自分が傷つかぬよう必死に仲間集めに勤しんでいる。

    私は宗教に明るくないが、AIが台頭した現在(いま)となっては、拠り所の対象がフィジカルかそうではないかの違いはあれど、自分を見失うには充分すぎるほど情報に溢れ、答えを出すには余暇があまりにも足りていない。

    たしか4、5年前はファンと推しの違いを身近に議論していた。その時は、(サポーター)>ファン>推しといった構図だったが、いまやコミュニティを形成するドライバーになり得るのは、ファンよりも「推し」だろうか。

    今もどこかでその議論は続いているのか。検索エンジンやどこかしらの文献を漁ればすぐに答えは得られるだろうが、AIに頼ってしまったら、この文章さえも自分で書いた実感を得られそうにない。

    調べる以外の手段で「気づき」を感じられないものか。推しと向き合う動機よりも先に、周辺にあるあれこれが片付かずに、画面をまえに思考が止まる。幸か不幸か、推しと呼べるほどの偶像もおらず、名目上推しと呼んでいるアイドルは、精神安定剤としては機能していない。

    それに加え、あいにく自分の考えを深めるほどの思考力ももはや持ち合わせておらず、孤独・孤立に直視することを許せるほど、いま在るものを捨てる決断力も備えていない。

    とどのつまり、私はより生産的であるために思考と心の安寧を外部に委ねることに慣れ、自らを取り返すあるいはこれ以上奪われないように躍起になっている。また時には、拡声器と化した周囲の声に耳をふさぎ、共感を求めて他者に自分を投影している。

    我が物顔で大群に属しているかのように振舞い、前に参列している者よりも責任を伴わない距離で少しでも存在感を示そうと虚勢を張る。
    自己顕示欲に苛まれながら画面を遷移しつつ、2分に一度、いいねが来ていないか閲覧者の数をかぞえる。

    おわり

    ※タイトルの本から着想を得ておりますが、さんざん派生して書きなぐった文章なので、本書の内容をあまり真正面から捉えようとはしておりません。
    ひとが書くレビューや要約の価値はこれまでよりも低くなっている、あるいは私自身がそれを読むことをあまり好まなくなっている中で、共感や気づき、コミュニティを欲したことにより、表出した千文字あまりでした。
    ここまでお読みいただきありがとうございます。

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