
1/3 「100年後の未来をAIで予想してみた」前編 平均寿命が42才
※この記事は、2026年の七夕(7月7日)に書いた記録です。
2026年7月7日、火曜日。七夕である。
朝、仕事を始める前に、私はAIにこう頼んだ。
「100年後の未来を予想してくれ」
我ながら、七夕の願い事としては欲張りすぎると思う。短冊なら「商売繁盛」の四文字で済む男が、機械が相手だと急に大きく出る。
なぜ急にそんなことを頼んだのか。話は、35年前の教室から始まる。
35年前の七夕
七夕と聞いて、私がまず思い出すのは、35年前――1991年頃の教室である。
あの頃は、七夕が近づくと、教室や園の隅に笹が立った。折り紙の輪飾りと吹き流し、そして色とりどりの短冊。字を覚えたての子どもたちが、鉛筆を握りしめて願い事を書いた。「ケーキ屋さんになりたい」「野球選手になりたい」。あるいは「足がはやくなりたい」「プールがじょうずになりたい」。だいたい、"なりたい"か"できるようになりたい"のどちらかだった。
7月7日の給食には、天の川に見立てたそうめんが出た。星形に抜いたにんじんやオクラが浮いていて、デザートには星の果物が入った七夕ゼリー。地域や学校によって差はあったらしいが、あのぷるぷるした星のゼリーを覚えている同世代は多いと思う。
教室の外の世界は、いま振り返れば激動だった。年明けに湾岸戦争が始まり、初夏には雲仙普賢岳で大きな火砕流があった。夏を前に横綱・千代の富士が引退し、貴花田・若花田の兄弟へ時代が移ろうとしていた。テレビでは『ちびまる子ちゃん』が国民的人気で、子どもたちは前年に出たばかりのスーパーファミコンに夢中。そして年末には、ソビエト連邦が地図から消えた。バブルがはじけ始めた年でもある。
でも、教室の笹の下で、そんなことを気にしていた子どもは、たぶんひとりもいなかった。子どもにとって歴史は、いつも教室の外で起きている。
あれから35年。あの頃の子どもたちは40歳を過ぎて、短冊はもう、書いていない人が多いと思う。
35年でこれだけ遠くへ来た。なら、100年前の七夕は、どれだけ遠いのだろう。100年前の今日も、誰かが同じ空を見上げて、織姫と彦星の話をしていたはずなのだ。そしてその誰かは、100年後の今日を知らない。
だから私は、AIに頼むことにした。ただし、いきなり未来には飛ばない。予想させる前に、まずAIと一緒に、過去100年を振り返る。予想の腕前を確かめるには、答え合わせのできる過去からである。
問いはひとつ。
この100年で、人は何を手に入れ、何を失ったのか。
そもそも七夕とは、何を願う日だったのか
100年を振り返る前に、七夕そのものの歴史を少しだけ。調べてみると、これが100年どころの話ではなかった。
七夕のもとになった行事のひとつは、中国の宮廷で行われていた「乞巧奠(きっこうでん)」だとされる。7月7日の夜、織女星に針や五色の糸を供えて、機織りや裁縫、書の上達を願う行事である。巧みになることを乞い、奠(まつ)る。願いの中身が「上達」だった、というところが私は好きである。星に頼んでいるようで、結局は自分の腕を磨く話なのだ。
ここで、35年前の教室を思い出してほしい。「足がはやくなりたい」「プールがじょうずになりたい」。あの子どもたちの短冊は、期せずして乞巧奠と同じ、"上達"の願いだった。誰に教わったわけでもないのに、である。
七夕は奈良時代に日本へ伝わり(記録の上では755年、孝謙天皇の頃とされる)、機を織って神を迎える日本古来の「棚機津女(たなばたつめ)」の信仰と結びついて「たなばた」になった、と伝えられている(成り立ちには諸説ある)。1,300年前の歌人たちも、同じ星を見上げて歌を詠んでいた。
笹に短冊を吊るすあの形は日本独特で、江戸時代に始まったものだという。寺子屋の子どもたちは、里芋の葉にたまった夜露で墨をすり、字の上達を願って書いたそうである。露で墨をする、という発想がもう美しい。あの給食のそうめんも、奈良時代に伝わった「索餅(さくべい)」という小麦菓子が変化したものという説があり、「7月7日に食べると1年間無病息災」と言い伝えられてきた。35年前の給食の献立は、1,300年前から続くメニューだったわけである。ソフト麺と同じ食缶に入って、である。
そして今朝、私がAIに頼んだ「予想」も、つまりは未来への願いの一種である。七夕の日に未来を聞くのは、案外、正しい作法なのだ。
100年前の七夕。1926年7月7日
ところが、である。
明治6年、太政官布告の第1号によって五節句が廃止されると、七夕は祝日ではなくなり、特に東京など都市部では一気に衰退した。大正期には、子どもの頃に見た美しい七夕祭を懐かしみ、その衰退を嘆く文章を知識人が残している。一方で、地方では江戸以来の笹と短冊が生き続けていた。
つまり100年前の今日、大正15年の七夕は、「都会では細り、地方では続く」という、変わりゆく最中の行事だったのである。
明治維新が大好きで、幕末の志士のお墓参りに通う私としては複雑だが、あの御一新は、七夕にとっては逆風だった。何かを大きく変えるとき、一緒に細っていくものが必ずある。
その頃の日本を、もう少し覗いてみる。
ラジオの本放送が始まって、まだ2年目だった(東京での放送開始は1925年)。テレビはない。もちろんスマホもない。夜は、いまよりずっと暗かった。都会にも、天の川に近い夜があったはずである。
当時の日本人の平均寿命は、およそ42歳だった。
42歳。
書いていて、手が止まった。いまなら働き盛りど真ん中の年齢である。会社で言えば、課長や部長の年齢で、人生の平均が尽きる計算になる。
もちろんこれは「平均」であり、乳幼児の死亡率が高かったことが数字を大きく下げている。60代、70代まで生きる人も普通にいた。数字には、いつも但し書きがいる。
世界に目を向けると、地球上の人口はおよそ19億人。世界の人口が20億人に達するのは、翌1927年のことである。
そしてこの年の12月25日、元号は昭和に変わる。7月7日の時点で、それを知る人は誰もいない。

手に入れたもの
あれから100年。
日本人の平均寿命は、およそ42歳(1920年代前半の生命表)から、男81.09歳・女87.14歳(2023年)になった。
ほぼ倍である。
ほぼ倍、と一行で書いたが、これはとんでもないことだと思う。人類は100年かけて、人生をもう一回分、手に入れた。
100年前なら「平均的には存在しなかった」年齢から、第二の仕事を始める人がいる。孫の運動会を見る人がいる。定年後に学び直す人がいる。全部、この100年が生んだ時間である。
世界の人口は、およそ19億人から82億人になった。4倍以上の人間を、この星は食べさせている。飢えが消えたわけではない。それでも、この星がこれだけの人数を養えるようになったこと自体が、100年前には想像しにくい話だった。
そして今朝、私はポケットに入る機械に「100年後を予想してくれ」と頼んだ。乞巧奠の時代、人は星に「上達」を願った。いま私は、機械に「予想」を頼んでいる。1926年の人がこの光景を見たら、たぶん天の川より驚く。
失ったもの
ただし、いいことばかりの100年ではない。
この100年には、二度目の世界大戦が含まれている。広島と長崎も、含まれている。人類が手に入れた技術は、人類をもっとも効率よく傷つける道具にもなった。ここで悪者探しを始めると話が単純になりすぎるので、私はやらない。ただ、事実として置いておく。
もう少し身近なところでは、たとえば天の川である。
1926年の夜は、いまよりずっと暗く、天の川はずっと身近だったはずだ。2026年の今夜、天気予報によれば、天の川がよく見えるのは東北や日本海側が中心で、太平洋側の都市部では難しいらしい。街が明るくなったからである。
便利さと引き換えに、夜空を差し出した。これが良い取引だったのかどうか、私にはまだ分からない。
ここから先は、数字で証明できない私見である。隣の家に醤油を借りられた時代は、たしかに終わった気がする。そのかわり、隣の家に人生を監視されない自由を手に入れた。失ったものの多くは、裏返すと手に入れたものでもある。だから私は「昔は良かった」とは言わない。言えるほど、昔を生きていない。
ただ、七夕の100年を思い出してほしい。明治の改革で都会から消えかけた行事が、地方の笹の上で生き延びて、35年前の教室にも立っていた。失われそうになったものが、全部消えるわけでもないのである。
100年前の人は、未来を当てられたのか
ここで、面白い記録がある。
1901年(明治34年)、報知新聞が「二十世紀の予言」という記事を載せた。100年後の世界を、23項目にわたって予想したものである。
結果はどうだったか。

「無線電信電話」、つまり携帯電話は、当たった。「写真電話」、テレビ電話も当たった。「7日間で世界一周」も、飛行機で当たった。23項目のうち、半分以上が実現したと言われている(実現数の集計には幅がある)。
一方で、「蚊およびノミの滅亡」は外れた。蚊は今年の夏も元気である。
未来予想は、意外に当たる。そして、派手に外れる。
この両方を頭に入れて、私はAIに100年後を予想させることにした。
中間の答え
100年で、人は何を手に入れ、何を失ったのか。
私の中間の答えはこうである。失ったものは、たしかにある。夜空も、静けさも。それを差し引いても——人類はこの100年で、圧倒的に豊かになった。寿命はほぼ倍になり、地球の裏側の誰かと一瞬でつながれるようになり、42歳で締めくくるはずだった人生に、もう一回分の「時間」がついてきた。そして、その時間を何に使うのかという宿題も、一緒に手に入れた。この宿題からは、人が集まって働く場所——会社も、逃げられない。ただ、こんな宿題が出ること自体、豊かになった証拠である。
そしてこの激変は、終わっていない。むしろ、速くなっている。次回の中編では、2126年へ飛ぶ前に、いったん「今日」に立ち止まる。2026年7月7日という、なんでもない火曜日。100年後から見れば、「あのあたりから、一気に良くなった」と言われるかもしれない一日を、そのまま記録しておこうと思う。
夕飯は、ちらし寿司にするつもりである。それから、35年ぶりに七夕ゼリーを探してみようと思う。給食のあれより少し高級なやつを、40歳を過ぎた男がひとつだけ買うのである。レジの人は何も思わないだろうが、こっちは1,300年の歴史を食べているのだ。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 いつかの七夕の夜、あなたの町で天の川が見えますように。
出典(本文の記述順)
1991年頃の七夕・子ども時代の共通風景(笹飾り・短冊の定番・七夕給食のそうめんと星形にんじん・七夕ゼリー):学校給食会・保育/食育コラム・農林水産省の地域食文化資料等
1991年の世相(湾岸戦争開戦・雲仙普賢岳の火砕流・横綱千代の富士引退・ソビエト連邦解体・バブル崩壊):国内外の一般史実/『ちびまる子ちゃん』(1990年アニメ開始)/スーパーファミコン発売(1990年11月・任天堂)
乞巧奠(技芸上達・五色の糸・織女星への供え):京都地主神社・歳時記解説・和樂web等※成り立ちには諸説あり
日本最初の乞巧奠=755年(天平勝宝7年・孝謙天皇の頃):歳時記・学術資料の通説
棚機津女との習合(「たなばた」の読みの由来・諸説):国内・解説
万葉集の七夕歌130首以上:国内・学術寄り資料 ※本文では割愛(背景資料)
牛郎織女伝説・『詩経』・ベガ/アルタイル:海外・百科等(最古の言及には諸説)
笹に短冊は江戸期に始まる日本独特の風習・寺子屋の手習い・里芋の露:国内(日本人形協会・東京学芸大アーカイブ等)
索餅とそうめん(奈良時代伝来・無病息災の言い伝え):農林水産省の地域食文化資料・食育コラム等(国内)※諸説あり
明治6年 太政官布告第1号(五節句廃止):布告原文(Wikisource・国内)/都市部での衰退・大正期の回顧:近代日本の七夕祭に関する研究(J-STAGE・2024)
ラジオ本放送開始(1925年)・昭和改元(1926年12月25日):国内の一般史実
平均寿命(1920年代前半=第4回完全生命表〔1921〜25年〕男42.06歳/男81.09歳・女87.14歳=2023年):厚生労働省「完全生命表」「令和5年簡易生命表」
世界人口(1926年≒19億人・20億人到達は1927年/2024年82億人):米国勢調査局の歴史人口推計/国連「世界人口推計2024(WPP2024)」
天の川の観測情報(2026年7月7日):日本気象協会 tenki.jp
報知新聞「二十世紀の予言」(1901年・23項目):※実現項目数の集計は二次資料により幅がある