スッタニパータ 第1章「ダニヤとの対話(Dhaniyasuttaṃ)」第33偈、第34偈
直訳
33. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第33偈(マーラの言葉)
「Yo ve dhīro dhammaṃ carati, sudantaṃ saṅkhatadhammesu jantuṃ;
Pāraṃ so adhigaccheyya, jātimaraṇassa saṃsāraṃ atikkame.」
訳:
「賢者(dhīro ディーロ)が正しく法(dhammaṃ ダンマ)を実践し、
よく制御された者(sudantaṃ スダンタ)として、因縁の法(saṅkhatadhammesu サンカタダンメース)を修めるならば、
彼は生死(jāti-maraṇa ジャーティ・マラナ)の向こう岸(pāraṃ パーラン)に到達し、
輪廻(saṃsāraṃ サンサーラン)を超越するであろう。」
34. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第34偈(ブッダの言葉)
「Addakkhi so puriso sudantaṃ, sudantaṃ māraṃ paccāgaccha;
Nāhaṃ bhayassa bhāyāmi, natthi me kiñci pāpakaṃ.」
訳:
「よく調えられた者(sudantaṃ スダンタ)を、その者(so puriso ソー プリソ)は見た。
よく制御された者(sudantaṃ スダンタ)よ、マーラ(māraṃ マーラン)よ、戻れ。
私は何の恐れ(bhaya バヤ)も感じることはない。
私には一切の悪しき行い(pāpakaṃ パーパカン)が存在しない。」
話の背景
この2偈では、マーラ(悪魔) が仏法の真理について語るが、
ブッダはそれに対し、「私は恐れを持たず、一切の悪から解放されている」と応じる。
マーラは、輪廻を超越することができる者の条件を示すが、
ブッダはすでにその境地に到達しており、マーラの誘惑が意味をなさないことを示している。
要約
マーラの視点(33偈)
賢者が正しく法を修め、因縁の法を理解すれば、輪廻を超えることができると述べる。
彼は仏法の力を認めつつも、ブッダに何らかの揺さぶりをかけようとする。
ブッダの視点(34偈)
彼は「私はすでにすべてを超越しており、マーラの影響を受けることはない」と語る。
彼は何の恐れも持たず、悪から完全に解放されている。
注釈・補足
1. 「マーラの言葉:賢者が正しく法を実践し(Yo ve dhīro dhammaṃ carati)」
「dhīro(ディーロ)」 は「賢者」、「dhammaṃ carati(ダンマム チャラティ)」 は「法を実践する」という意味。
これは、マーラが「仏法を正しく実践すれば、生死を超えられる」と述べていることを示す。
2. 「マーラの言葉:輪廻を超越するであろう(saṃsāraṃ atikkame)」
「saṃsāra(サンサーラ)」 は「輪廻」、「atikkame(アティッカメ)」 は「超越する」という意味。
これは、修行者が解脱に至ることを意味している。
3. 「ブッダの言葉:よく調えられた者を、その者は見た(Addakkhi so puriso sudantaṃ)」
「addakkhi(アッダッキ)」 は「見た」、「so puriso(ソー プリソ)」 は「その者」、「sudantaṃ(スダンタ)」 は「よく制御された者」。
これは、「真の修行者は悟りを得た者を見ることができる」ことを示している。
4. 「ブッダの言葉:よく制御された者よ、マーラよ、戻れ(Sudantaṃ māraṃ paccāgaccha)」
「sudantaṃ(スダンタ)」 は「よく調えられた者」、「māraṃ(マーラン)」 は「マーラ(悪魔)」を指す。
ブッダはマーラに対し、「私にはもう関係ないから戻れ」と述べている。
5. 「ブッダの言葉:私は何の恐れも感じることはない(Nāhaṃ bhayassa bhāyāmi)」
「bhayassa(バヤッサ)」 は「恐れ」、「bhāyāmi(バーヤーミ)」 は「恐れる」という意味。
これは、ブッダが一切の恐怖を克服していることを示している。
6. 「ブッダの言葉:私には一切の悪しき行いが存在しない(Natthi me kiñci pāpakaṃ)」
「natthi(ナッティ)」 は「存在しない」、「pāpakaṃ(パーパカン)」 は「悪しき行い」を意味する。
ブッダは、自分が完全に解放され、何の悪行もないことを明言している。