スッタニパータ 第1章「ダニヤとの対話(Dhaniyasuttaṃ)」第30偈、第31偈、第32偈
Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)
直訳
30. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第30偈(ナレーション)
「Ninnañca thalañca pūrayanto, mahāmegho pavassi tāvadeva;
Sutvā devassa vassato, imamatthaṃ dhaniyo abhāsatha.」
訳:
「低地(ninnaṃ ニンナン)も高地(thalaṃ タラム)も水で満たしながら、
大きな雨雲(mahāmegho マハーメーゴ)がその時降り始めた。
神(deva デーヴァ)の雨が降る音を聞いて、ダニヤ(dhaniyo ダニヨ)がこう語った。」
31. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第31偈(ダニヤの言葉)
「Lābhā vata no anappakā, ye mayaṃ bhagavantaṃ addasāma;
Saraṇaṃ taṃ upema cakkhuma, satthā no hohi tuvaṃ mahāmuni.」
訳:
「我々にとって、これは計り知れない幸運である。
私たちは今、世尊(bhagavantaṃ バガヴァンタム)をお見かけしたのだから。
あなたを頼りとしよう、智慧の眼を持つ方よ(cakkhuma チャックフマー)。
偉大なる聖者(mahāmuni マハーモニ)、どうか我らの師となってください。」
32. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第32偈(ダニヤの言葉)
「Gopī ca ahañca assavā, brahmacariyaṃ [brahmacariya (ka.)] sugate carāmase;
Jātimaraṇassa pāragū [pāragā (sī. syā. kaṃ. pī.)], dukkhassantakarā bhavāmase.」
訳:
「私の妻(gopī ゴーピー)も私も従順であり、
善逝(sugata スガタ)のもとで清浄な行い(brahmacariyaṃ ブラフマチャリヤ)を実践している。
我々は生死(jāti-maraṇa ジャーティ・マラナ)の向こう岸(pāragū パーラグー)に到達し、
苦しみ(dukkha ドゥッカ)を終わらせた者となった。」
要約
ダニヤの視点(31偈・32偈)
彼はブッダを見て、「これほどの幸運はない」と喜ぶ。
彼と妻は清浄な生き方をしており、生死を超えたと確信している。
彼は、ブッダを師として受け入れる決意を示す。
注釈・補足
1. 「低地も高地も水で満たしながら、大きな雨雲がその時降り始めた(Ninnañca thalañca pūrayanto, mahāmegho pavassi tāvadeva)」
「ninnaṃ(ニンナン)」 は「低地」、「thalaṃ(タラム)」 は「高地」、「pavassi(パヴァッシ)」 は「雨が降る」という意味。
これは、物理的な環境の変化を描写しており、ダニヤがそれにどう反応するかを示す導入部分となっている。
2. 「我々にとって、これは計り知れない幸運である(Lābhā vata no anappakā)」
「lābhā(ラーバー)」 は「幸運」、「anappakā(アナッパカー)」 は「計り知れない」という意味。
ダニヤは、ブッダに出会えたことが自分にとって大きな幸運であると認識している。
3. 「あなたを頼りとしよう、智慧の眼を持つ方よ(Saraṇaṃ taṃ upema cakkhuma)」
「saraṇaṃ(サラナン)」 は「帰依」、「cakkhuma(チャックフマー)」 は「智慧の眼を持つ者」を意味する。
これは、ダニヤがブッダを師と仰ぎ、彼に帰依する決意を示している。
4. 「私の妻も私も従順であり、善逝のもとで清浄な行いを実践している(Gopī ca ahañca assavā, brahmacariyaṃ sugate carāmase)」
「gopī(ゴーピー)」 は「妻」、「ahañca(アハンチャ)」 は「私も」、「assavā(アッサヴァー)」 は「従順な」という意味。
これは、ダニヤが「私も妻も正しい生き方をしている」と自負していることを示している。
5. 「我々は生死の向こう岸に到達し、苦しみを終わらせた者となった(Jātimaraṇassa pāragū, dukkhassantakarā bhavāmase)」
「jāti-maraṇa(ジャーティ・マラナ)」 は「生と死」、「pāragū(パーラグー)」 は「向こう岸に到達した」という意味。
これは、「生死を超えた」という意味を持つが、ダニヤが本当に解脱したわけではなく、自分の生き方に対する誇りを語っている。