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スッタニパータ 第1章「ダニヤとの対話(Dhaniyasuttaṃ)」第24偈、第25偈



    直訳

    24. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第24偈(ダニヤの言葉)

    「Attavetanabhatohamasmi, puttā ca me samāniyā arogā;
    Tesaṃ na suṇāmi kiñci pāpaṃ, atha ce patthayasī pavassa deva.」

    訳:
    「私は自分の労働で生計を立て(attavetanabhato アッタヴェータナバト)、
    私の子供たち(puttā プッター)も揃って健康である。
    彼らが何か悪しき行い(pāpaṃ パーパ)をしたとは聞いたことがない。
    もし願うならば、雨よ、降れ。」


    25. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第25偈(ブッダの言葉)

    「Nāhaṃ bhatakosmi kassaci, nibbiṭṭhena carāmi sabbaloke;
    Attho bhatiyā na vijjati, atha ce patthayasī pavassa deva.」

    訳:
    「私は誰にも雇われることなく(bhatako バタコ)、
    完全に自由に(nibbiṭṭhena ニッビッテーナ)この世界を歩んでいる。
    もはや報酬(bhatiyā バティヤー)には何の意味もない。
    もし願うならば、雨よ、降れ。」


    要約

    • ダニヤの視点:

      • 彼は自分の労働で収入を得ており、家族も健康であるため、安心して暮らしている。

      • 彼は、家族の存在と繁栄が人生の安定を保証すると信じている。

    • ブッダの視点:

      • 彼は何ものにも依存せず、完全な自由の中で生きている。

      • 彼にとって、社会的な役割や報酬はもはや意味を持たず、悟りこそが最高の解放であると説く。


    注釈・補足

    1. 「ダニヤの言葉:私は自分の労働で生計を立て(Attavetanabhatohamasmi)」

    • 「attavetanabhato(アッタヴェータナバト)」 は「自己の労働で生活を支えている」という意味。

    • ダニヤは、誰にも頼らず、自分の力で生計を立てていることを誇りにしている。

    2. 「ダニヤの言葉:私の子供たちも揃って健康である(Puttā ca me samāniyā arogā)」

    • 「puttā(プッター)」 は「子供たち」、「arogā(アローガー)」 は「健康な」という意味。

    • これは、家族の健康が彼の人生の満足と安定の要因であることを示している。

    3. 「ダニヤの言葉:彼らが何か悪しき行いをしたとは聞いたことがない(Tesaṃ na suṇāmi kiñci pāpaṃ)」

    • ダニヤは、自分の家族が道徳的に正しく、問題がないことを誇っている。

    • これは、家族の道徳的な安定も、彼の安心感の一因であることを示している。

    4. 「ブッダの言葉:私は誰にも雇われることなく(Nāhaṃ bhatakosmi kassaci)」

    • 「bhatako(バタコ)」 は「雇われる者」、「kassaci(カッサチ)」 は「誰にも」という意味。

    • ここでブッダは、社会的な義務や束縛から解放されていることを示している。

    5. 「ブッダの言葉:完全に自由にこの世界を歩んでいる(Nibbiṭṭhena carāmi sabbaloke)」

    • 「nibbiṭṭhena(ニッビッテーナ)」 は「完全に解放された状態で」、「carāmi(チャラーミ)」 は「歩む」、「sabbaloke(サッバローカ)」 は「すべての世界」という意味。

    • ブッダは、彼の行動や生活が一切の執着や束縛から解放されていることを語っている。

    6. 「ブッダの言葉:もはや報酬には何の意味もない(Attho bhatiyā na vijjati)」

    • 「bhatiyā(バティヤー)」 は「報酬」、「na vijjati(ナ ヴィッジャティ)」 は「存在しない」または「意味を持たない」という意味。

    • ブッダは、金銭や物質的な報酬がもはや価値を持たないことを語り、精神的な自由こそが最も価値のあるものだと説く。

    7. 「もし願うならば、雨よ、降れ(atha ce patthayasī pavassa deva)」

    • ダニヤが「家族の健康と自分の労働で生活は安定している」と言うのに対し、
      ブッダは「私は社会的な義務すら不要であり、完全に自由である」と述べる。

    • これにより、物質的な家族の安定と、精神的な自由の違いが際立つ。

     
     
     

    三蔵

     
     
    出家も大学での学びも叶わぬ私にとって生涯をかけて仏教を学び発信し続けるという夢のためnoteで気づきを綴っています サポートは書籍代や学びの活動費そしてより多くの気づきを届けるための発信にのために大切に使わさせていただいてます 夢の実現のため、どうか応援していただけたら嬉しいです

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