スッタニパータ 第1章「ダニヤとの対話(Dhaniyasuttaṃ)」第22偈、第23偈
直訳
22. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第22偈(ダニヤの言葉)
「Gopī mama assavā alolā, dīgharattaṃ saṃvāsiyā manāpā;
Tassā na suṇāmi kiñci pāpaṃ, atha ce patthayasī pavassa deva.」
訳:
「私の妻(gopī ゴーピー)は従順で、心が揺らぐこともない。
長い間ともに暮らし、私にとって愛すべき存在である。
彼女に何か悪しき行い(pāpaṃ パーパ)を聞いたことはない。
もし願うならば、雨よ、降れ。」
23. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第23偈(ブッダの言葉)
「Cittaṃ mama assavaṃ vimuttaṃ, dīgharattaṃ paribhāvitaṃ sudantaṃ;
Pāpaṃ pana me na vijjati, atha ce patthayasī pavassa deva.」
訳:
「私の心(cittaṃ チッタ)は従順であり、完全に解放されている。
長い間育まれ、よく調えられたものである。
私の中には、もはや何の悪しき行い(pāpaṃ パーパ)も存在しない。
もし願うならば、雨よ、降れ。」
要約
ダニヤの視点:
彼の妻は従順であり、安定した関係が彼の安心の源である。
彼は妻が自分に忠実であることを誇りに思い、それが彼の生活の安定性を保証していると考える。
ブッダの視点:
彼は、自分の心が従順であり、長年の修行によって調えられたものであることを語る。
物理的な関係ではなく、精神的な自己統制が究極の安定をもたらすと説く。
注釈・補足
1. 「ダニヤの言葉:私の妻は従順で、心が揺らぐこともない(Gopī mama assavā alolā)」
「gopī(ゴーピー)」 は妻を指し、特に牛飼いの妻を指すことが多い。
「assavā(アッサヴァー)」 は「従順な」、「alolā(アロラー)」 は「心が揺らがない」という意味。
これは、妻が夫に忠実であり、家の中を安定させていることを示している。
2. 「ダニヤの言葉:長い間ともに暮らし、私にとって愛すべき存在である(Dīgharattaṃ saṃvāsiyā manāpā)」
「dīgharattaṃ(ディーガラッタム)」 は「長い時間」、「saṃvāsiyā(サンヴァーシヤー)」 は「ともに暮らした者」という意味。
これは、ダニヤが長年連れ添った妻との関係に満足し、それが安定の要因となっていることを示している。
3. 「ダニヤの言葉:彼女に何か悪しき行いを聞いたことはない(Tassā na suṇāmi kiñci pāpaṃ)」
「pāpaṃ(パーパ)」 は「悪しき行い」や「罪」を意味する。
ダニヤは、妻が誠実であり、自分を裏切るような行為をしないことを強調している。
4. 「ブッダの言葉:私の心は従順であり、完全に解放されている(Cittaṃ mama assavaṃ vimuttaṃ)」
「cittaṃ(チッタ)」 は「心」、「assavaṃ(アッサヴァン)」 は「従順な」、「vimuttaṃ(ヴィムッタン)」 は「解放された」という意味。
ブッダは、「私の心は制御され、解放されている」と述べることで、精神的な自由こそが本当の安定であることを示している。
5. 「ブッダの言葉:長い間育まれ、よく調えられたものである(Dīgharattaṃ paribhāvitaṃ sudantaṃ)」
「paribhāvitaṃ(パリバーヴィタン)」 は「育まれた」、「sudantaṃ(スダンタン)」 は「よく調えられた」という意味。
これは、ブッダが長い修行を通じて、心を完全に制御し、整えてきたことを示している。
6. 「ブッダの言葉:私の中には、もはや何の悪しき行いも存在しない(Pāpaṃ pana me na vijjati)」
ダニヤは「妻が悪しき行いをしない」ことを誇るが、ブッダは「自分の中に一切の悪がない」と述べる。
これは、外的な関係に依存するのではなく、自身の心の清浄さこそが最も重要であることを示している。
7. 「もし願うならば、雨よ、降れ(atha ce patthayasī pavassa deva)」
ダニヤが「妻の忠実さにより私は安全だ」と言うのに対し、
ブッダは「私の心は完全に制御されているため、外的な変化に左右されることはない」と述べる。これにより、物質的・関係的な安定と、精神的な解放の違いが鮮明になる。