スッタニパータ 第1章「ダニヤとの対話(Dhaniyasuttaṃ)」第20偈、第21偈
直訳
20. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第20偈(ダニヤの言葉)
「Andhakamakasā na vijjare, kacche rūḷhatiṇe caranti gāvo;
Vuṭṭhimpi saheyyumāgataṃ, atha ce patthayasī pavassa deva.」
訳:
「私の牛たちは黒い虫(andhakāmakasā アンダカーマカサー)に悩まされることもなく、
河岸の茂った草(kacche rūḷhatiṇe カッチェ ルーラティネ)の上を自由に歩き回っている。
たとえ大雨(vuṭṭhi ヴッティ)が降ったとしても、彼らは耐え抜くだろう。
もし願うならば、雨よ、降れ。」
21. Dhaniyasuttaṃ(ダニヤ・スッタ)第21偈(ブッダの言葉)
「Baddhāsi bhisī susaṅkhatā, tiṇṇo pāragato vineyya oghaṃ;
Attho bhisiyā na vijjati, atha ce patthayasī pavassa deva.」
訳:
「私はよく編まれた葦の筏(bhisī ビシー)を使い、
大河(ogha オーガ)を渡り切り、向こう岸(pāragato パーラガト)に到達した。
もはや筏に用はない。
もし願うならば、雨よ、降れ。」
要約
ダニヤの視点:
彼の牛は健康であり、害虫や天候の変化を恐れる必要がない。
彼は物理的な安定に満足し、それが人生の安心につながると信じている。
ブッダの視点:
彼はすでに悟りに達し、もはや修行の手段すら不要であると述べる。
彼は「大河(輪廻の流れ)を渡り切った」ため、もう何にも縛られず自由である。
注釈・補足
1. 「ダニヤの言葉:私の牛たちは黒い虫に悩まされることもなく(Andhakamakasā na vijjare)」
「Andhakamakasā(アンダカーマカサー)」 は「黒い虫」や「吸血昆虫」を指し、牛にとっては大きな脅威となる存在である。
ここでのダニヤの言葉は、彼の牛たちが健康であり、害虫に煩わされることがない快適な環境にあることを示している。
2. 「ダニヤの言葉:河岸の茂った草の上を自由に歩き回っている(Kacche rūḷhatiṇe caranti gāvo)」
「kaccha(カッチャ)」 は「河岸」、「rūḷhatiṇa(ルーラティナ)」 は「茂った草」を意味する。
これは、ダニヤが自分の牛を育てるための環境が恵まれており、食料に困ることがないことを示している。
3. 「ダニヤの言葉:たとえ大雨が降ったとしても、彼らは耐え抜くだろう(Vuṭṭhimpi saheyyumāgataṃ)」
「Vuṭṭhi(ヴッティ)」 は「大雨」、「saheyyu(サヘーユ)」 は「耐える」ことを意味する。
ダニヤは、自分の牛が自然の変化にも動じることなく適応できると確信している。
4. 「ダニヤの言葉:もし願うならば、雨よ、降れ(atha ce patthayasī pavassa deva)」
彼は物質的な準備が万全であることを誇示し、外的環境の変化に動じないことを強調している。
しかし、この安心はあくまで物理的な条件に依存している。
5. 「ブッダの言葉:私はよく編まれた葦の筏を使い(Baddhāsi bhisī susaṅkhatā)」
「bhisī(ビシー)」 は「葦で作られた筏」を意味し、これは修行を象徴する。
「susaṅkhatā(スサンカター)」 は「よく作られた」という意味であり、修行の道が整えられ、確実なものであったことを示している。
6. 「ブッダの言葉:大河を渡り切り、向こう岸に到達した(Tiṇṇo pāragato vineyya oghaṃ)」
「tiṇṇo(ティンノ)」 は「渡った」、「pāragato(パーラガト)」 は「向こう岸に到達した」を意味する。
ここでの「大河(ogha オーガ)」は、輪廻や煩悩の流れを象徴しており、ブッダはこれを超越したことを述べている。
7. 「ブッダの言葉:もはや筏に用はない(Attho bhisiyā na vijjati)」
ブッダは、「悟りに到達した今、もはや修行の手段すら不要である」と述べている。
これは、すべての執着を超越した究極の自由を表している。
8. 「ブッダの言葉:もし願うならば、雨よ、降れ(atha ce patthayasī pavassa deva)」
ダニヤは「物質的な準備が整っているから、どんな変化も怖くない」と述べるのに対し、
ブッダは「精神的に解放されているから、何が起こっても平静でいられる」と答えている。これは、物理的な安全よりも精神的な安定のほうが重要であることを示している。