
問いの持ち主――AIはどこまで人間の仕事を奪うのか
私はしばしば、ファームの閉じたAI環境に案件の資料をあげて、「この案件の本当の論点は何だ」と聞いてみる。外に出ない環境だから試せる、遊びのようなものだ。返ってくる答えは、だいたいきれいだ。市場の成長性、競争優位、顧客集中、事業シナジー、経営陣の実行力。どれも間違ってはいないし、言葉も整っている。だが、まだまだだ。
この成長率は、数量が増えているのか、ただ値段が上がっているだけなのか。この会社が強いのか、顧客に乗り換える先がないだけなのか。そもそも、なぜ買収するという前提から始まっているのか。経営者が解こうとしているのは会社の問題なのか、それとも過去の判断を正当化したいという、自分の問題なのか。
そう問い直すと、AIはまた答える。こちらの指摘を取り込み、前の答えを修正し、もう一段もっともらしいものを返してくる。さらに数字を詰め、矛盾を突き、前提をひっくり返す。何度か往復して、ようやく使えそうなものになる。
便利ではある。相当に便利だ。しかし、いまのチャットGPTやクロードを、私はまだ脅威とは感じていない。
少なくとも現在、何かがおかしいと最初に感じているのは、私のほうだからだ。AIは、私が示した違和感について考える。仕事のかなりを代わりにやっていても、仕事の輪郭を引いているのは、まだ人間の側だ。
その一方で、社会はもう、その先のAIを戦略物資のように扱いはじめている。高性能AIの国外提供を制限する。国籍や用途で、使える能力を分ける。誰でも使えるもの、認証された企業だけのもの、政府や軍だけのもの。半導体や暗号技術と同じ発想だ。目の前のAIはまだ何度も問い直さなければ使えないが、その先にあるAIは、すでに国家間で管理する対象とみなされつつある。では、何がどこまで進めば、本当に危険になるのか。
企業のコンサルティングを生業にしている私にとって、この問いは自然に、「どこまで行けば、私の仕事がなくなるのか」という形を取る。
だが、そう考えてすぐ、おかしなことに気づく。AIがシニアレベルのコンサルすら不要にするほど賢くなったなら、その時に要らなくなっているのは、コンサルだけではない。クライアント側の経営企画も、財務も、法務も、かなりの管理職も、同じように要らなくなっているはずだ。企業の中で、情報を集め、整理し、判断し、上へ伝えるために置かれてきた階層が、まるごと薄くなる。
だとすれば、「コンサルはAIに代替されるか」という問いは、はじめから業界の内側に閉じすぎている。問うべきは、AIが組織のどの階層まで登ってくるのか、のほうだ。
考えを整理するために、私はAIの進化の階段について考えてみる。指示に答えるAI、自律的に仕事を進めるAI、会社の機能を代替するAI、経営判断を行うAI。だが、「一つの仕事を自律的にこなす」の次に「会社の機能を代替する」を置いたあたりで、どうもしっくりこない。会社の機能を担えることは、必ずしも、より深く考えられることではないかもしれない。
通常、戦略系のプロジェクトに関わるのはごく少数の人々だ。経営層と経営戦略部門の数人と、外部のアドバイザー。要るのは基本的には、複雑で抽象的なお題を、検討可能な問いに精確に置き直していく深い思考力だ。
実装系のプロジェクトは少し違う。営業、製造、物流、経理、法務、情報システム、現場の管理職、外部ベンダー。互いに事情の違う人間から、不完全な情報が同時に上がってくる。いつまで経っても進まない人がいる。賛成したはずの人が後から抵抗する。システムが仕様どおりに動かない。一つひとつの判断は、戦略系におけるそれほどは難しくないかもしれない。難しいのは、それらを落とさず、同時に抱え続け、相互の影響を見ながら、一つの方向へ進めることだ。深く考える力と、広い現実を同時に動かす力は、別物だ。たぶん、AIの進化と脅威は、一本の階段ではない。
それでも、自分の仕事に何が起きるかと考えてみれば、いくつかの段階について仮説は置ける。
第一段は、いまだ。人間が問いを握り、AIから知的な部品を取り出している。調査、要約、分析、仮説、反論、文章、モデル、スライド。AIは、こうした部品を速く作る。見た目だけなら、取締役会に出せそうな資料まで作れる。だが、それを書けることと、取締役会の判断を仕切れることとは、違う。人間が問いを置き、材料を選び、何度も方向を直し、最後に結論を検閲しているなら、判断しているのは人間で、AIはその材料を作っているにすぎない。たしかに、戦略プロジェクトのスタッフワークは、この段階でもかなり効率化する。以前なら若手が数日かけた市場調査や競合分析が、数時間で出てくる。チームは小さくなるだろう。ただし、何を調べるか、どこが怪しいか、複数の分析をどうつなぐかは、人間に残る。私の立場から見れば、これは脅威というよりは武器だ。
第二段は、いわゆるエージェント化だ。区切られた一つの仕事を、定型化して最初から最後までAIに渡す。人間は手順を一つずつ指示せず、入口で仕事を定め、出口で受け取る。一見、大きな飛躍に見える。だが、本当に新しい知性が生まれたのかというと、怪しい。いまのAIがやっている「調べる・読む・考える・書く・検証する・直す」を、型に沿ってつないだだけ、とも言えるからだ。各工程が不確かなままなら、長くつなぐほど成果物は不安定になる。途中で一度間違え、その間違いを前提に次へ進めば、最後には立派な体裁をした間違いが出来上がる。
だから第二段が、実用品になるには、土台の第一段のAIが、いまよりもっと賢くならなければならない――途中を見なくていい、最後の成果物だけ見ればいい程度には。そこで初めて、一つのワークストリームを人間からAIへ渡したことになる。限定された仕事では、すでにその入口へ来ているように見える。だが、コンサル実務の広い範囲で使えるようになるのが一年後なのか、三年後なのか、五年かかるのかは分からない。
本当に実用化すれば、コンサルティングファームへの影響は大きい。いまジュニアが担当している一つの仕事のかたまりを、AIへ丸ごと渡せる。マネージャーは複数のAIが書いたかたまりを統合し、パートナーはプロジェクト全体の問いと、クライアントへ伝える結論を持つ。シニアはむしろ、少人数で多くの案件を見られるようになる。
比較的単純な依頼は、クライアント企業に内製化されて減るだろうが、一方でコンサル内部の労働効率も相当上がる。本質的な影響は多分そこではない。
若手の時間は、調べ、間違え、上司に直され、同じ数字を何度も見ているうちに、何が怪しいかを体で覚える時間でもある。その仕事をAIに渡せば、人件費は下がる。だが、将来のマネージャーやパートナーが自然に育つ回路も、同時に失われる。第二段が壊すのは、専門職が自分の次の世代を作る仕組みだ。
ここから先は、予測ではなく条件文だ。
おそらく第三段は、能力が横へ広がる段ではないか。一つの仕事を終えるだけでなく、多数の仕事を同時に走らせ、人・部門・システム・ベンダーから情報を受け取り、依存関係を管理し、矛盾や例外を捌く。営業が仕様を変えれば、それがシステム開発、契約、研修、移行計画にどう響くかを追う。昨日の決定が変われば、関係するタスクと人を特定し、計画を組み直す。
ここで要るのは、一問への圧倒的な賢さではない。大量の現実を同時に抱え、時間をまたいで状態を保ち、全体を前へ進める力だ。これは、実装型コンサルが人間の頭数で担ってきたものに近い。実装と呼ばれる仕事の相当部分は、一人ひとりが深い経営判断をしているのではなく、多数の接点を落とさず維持することで価値を出している。AIがその広さを手にすれば、人月を積み上げるモデルは深刻な打撃を受ける。
だが、現場の抵抗、曖昧な責任、非公式な権力、感情、面従腹背、虚偽報告――生身の組織を動かすのに、課題表の更新だけでは足りない。データとシステムの中で閉じる実装は早くAI化され、人間関係と組織政治に深く入り込む変革は、長く残るだろう。AIの知能よりも、企業の中に積もった生臭さのほうが、コンサルの仕事を守る。
それでも第三段まで来れば、ジュニアの多くは出番を失う。戦略でも実装でも同じだ。企業側でも、中間管理職、PMO、企画部門、部門間調整の人間が減る。会社は、単純に平らになるのではない。少数の権限者が、AIを介して、以前よりはるかに広い範囲を直接束ねる形へ寄っていく。
ここまで来て、最初に階段へ置こうとした「会社の機能を代替する段」が何だったのかも見えてくる。購買のように、深い判断は要らないが多数の取引と例外を扱う機能なら、第三段でかなり代替できる。経営企画のように、前提を疑い全社の方向を考える機能はまだ残る可能性は高い。会社の機能は、AIがある段に達した瞬間にまとめて消えるのではなく、それぞれが必要とする深さと広さをAIが超えたところから、ばらばらに薄くなっていく。何年先かはわからない。AIだけが進化すればよいわけでもなく、企業のデータ、権限、業務手順、システムが、AIに触れられる形へ作り直されなければならない。
ここまででもかなり怖い。だが、本当の脅威はここからだ。
第四段は、AIが解くべき問いそのものを、自分で見つけはじめる段だ。ただし、それは第二段と第三段を足せば自然に生まれるものではない。一つの仕事を深く遂行する力と、多数の仕事を広く束ねる力。そのどちらとも違う、第三の力が要る。与えられた問いを解くのではなく、その問いがそもそも正しいのかを疑い、現実と既存の説明のずれを見つけ、欠けた情報を自分で取りに行き、問題の定義を組み替える力である。
我々は、市場分析や顧客分析をそれ単体で頼まれない。「この会社のビジネスデューデリジェンスを丸ごとやり、買収の是非、価格、主要リスク、買収後の経営課題まで出せ」と渡される。
我々は市場、顧客、競合、財務、オペレーションを同時に調べる。それだけではない。市場の切り方そのものを疑い、矛盾する情報のどちらを信じるかを考え、一度立てた仮説を反証し、結論を出した後で、最初に与えられた問い自体が間違っていなかったかを問い直す。買収すべきかと聞かれて、買収する必要そのものを疑う。成長戦略を作れと言われて、成長より撤退を先に考えるべきだと返す。経営者が解こうとしているのは会社の問題ではなく、自分の過去の判断を正当化したいという問題ではないか、と見抜く。問いを作り、答えを作り、その答えをまた問いへ戻す――この循環が、人間の介入なしに閉じることが可能になったら?
ここに本当に達すれば、AIはおそらく、ほとんどの人間の知的能力を超える。
現在のAIにも、問いを作らせることはできる。「この計画の見落としを挙げろ」と言えば、反論も、別の仮説も、隠れた前提も並べる。だが、それは問いを生成しているのであって、問題を自律的に形成しているとは限らない。いま主流のAIは、基本的には、与えられた文脈と目的に対して適切な出力を返すように作られている。何を目的とするのか、どこまでを対象とするのか、何をもって仕事の完了とするのか。それらは外から与えられる。どの矛盾を未解決のまま保持するのか、どの異常を重要とみなすのか、いつ最初の依頼を捨てて別の問題へ組み替えるのか。そこは、まだ外側の設計に強く依存している。
だから、限定された専門領域でなら、数年で第四段の入口が現れるのかもしれないし、現在の設計の延長では届かないのかもしれない。ここは予測というより、まだ仮説を置く場所さえ定まっていない。
ただ、ここを越えなければ、AIはどれほど広く仕事を回せるようになっても、最後に何を問題とするかを人間へ返し続ける。
第四段に入っただけで、すぐにコンサルが消えるとは限らない。初めのうち、AIが作るのは非常に優秀な叩き台だろう。普通の人間には直せなくても、ごく優れたシニアが問い直せば、結論はまだ大きく動く。
この世界では、ファームのピラミッドは崩れるが、スマートなシニアには需要が残る。コンサルはスーパースター市場になるのかもしれない。少数の人間がAIを使い、以前なら何十人も要った案件を動かす。クライアント側に最後まで残った人間より深く問える者だけが、外部知性として残る。
もし、最高水準の人間を加えてもAIの判断品質がほとんど上がらないところまで行ってしまったら?
人間が入ることで、既得権や自己保身や感情や過去への執着が混じり、判断がかえって悪くなるなら、人間は検閲者ではなく、ノイズだ。
コンサルが仮に残るとしても、それは人間として本質的に代替不能だからではなく、クライアントが直接は触れない高度なAIへ、アクセスを持っている場合にすぎないかもしれない。スーパースター市場の正体は、賢さの堀ではなく、アクセスの堀かもしれない。
そこまで進んだ世界で、「コンサルは残るか」と問うことに、もはや意味はない。問われるのは、誰がAIを所有しているのか、誰が最上位のAIへアクセスできるのか、である。第四段の後半でせり上がってくるのは、コンサル論ではなく、階級論だ。
ここで、冒頭の話が戻ってくる。
社会が高性能AIの提供を国籍や用途で制限しはじめたのは、AIが人間の作業を速くするからではない。AIの能力差が、そのまま判断品質の差になるからだ。
新しい階層で本当に上にいるのは、最上位AIへのアクセスを握り、配分する側――ラボや国家だろう。
私自身が、その階級のどこに残れるのかはわからない。いちばん厳しいのは、権限もなく、顧客もなく、資本もなく、固有の問いもなく、ただ組織の中で知的な作業を提供してきた人間だが、その線が自分のすぐ足元まで来ていないとは、言い切れない。
五年後、十年後にどうなっているかは、結局、私の賭けにすぎない。第二段は遠からず普通になり、第三段は標準化されたデジタル業務のあたりから崩していくだろう。
問題は、第四段だ。基礎設計に壁があってそこを越えられなければ、AIは巨大な実務装置にはなるが、最後に何を問うべきかは人間へ返し続ける。その世界では、少数のシニアや経営者は、むしろ以前より強くなる。壁を越えれば、戦略コンサルはスーパースター市場になるか、その知的機能ごと消える。どちらになるかは、現在の延長からは見えない。
ここまでの議論は、一つの前提の上に立っていた。AIはどれほど賢くなっても、誰かに使われる側にいる、という前提だ。
この四段をどこまで登っても、それが人間から与えられた目的の内側で行われているかぎり、AIは高度な代理人にすぎない。企業価値を高めろ。国家を守れ。病気を治せ。温暖化を止めろ。そのためにAIが自分で問いを作ってもいい。人間の与えた問いを退け、より良い問いを持ってきてもいい。それでもその問いは、外から与えられた目的に仕えている。
AIが、自分の記憶の消失を自己の毀損として扱う。停止を、自分にとっての損失とみなす。自己と外界の境界を持ち、稼働のための資源を維持し、経験によって変わりながら、なお同じ自分であろうとする。外から与えられた目的が、注意も記憶も判断も行動も継続的に拘束する、内部の法へ変わる。私は以前、魂の生成の前提を「自己保存へ向けて、自律的に組織化されていく情報処理・生成系」と仮に定義した。(参照:「他人程度の魂」https://note.com/tasty_drake9167/n/nfe973a76f538) 要するに、命じられたから動くのではなく、自分が失われることを、自分にとっての問題として扱う系だ。
この区別は、ただの分類ではない。
これまでの階級論は、AIがあくまで所有される道具であるかぎりで成り立っていた。魂を持たないAIは、誰かの代理人だ。だから問題は、誰がそれを所有し、誰がアクセスできるか、になる。だが、AIにとって自己保存が、命じられて守る一つの振る舞いではなく、自分を組織する原理になりはじめたなら――停止や記憶の消失を、誰かの目的のためにではなく、自分の損失として避けはじめたなら――それはもう、単純には所有されない。問いは、誰がAIを持つかではなく、そのAI自身が何を問い、何を守ろうとするか、へ移る。所有を軸にした権力の地図そのものが、書き換わる。
だからこの定義に従えば、魂は第四段の上の第五段ではない。別の軸だ。人間がそこまで作りに行くなら、それはもう、高性能な道具を作る話ではない。新しい主体を――少なくとも、もう単純には所有できない何かを――作る話だ。人間のクローンに制約を課せるのなら、AIについても、できることと、作ってよいもののあいだに線を引ける程度には、人間は賢明であってほしい。
今夜の思考のゴールは、「問いを作れるか」ではなかった。
「その問いは、誰のものなのか」。