
名前で呼べない距離
恋人になったのに、まだ彼を名前で呼べない。
それは遠さではなく、近づく速度に言葉が追いついていないから。
食卓、車、次の約束、靴を見に行く予定。生活だけが先に近づいていく。
彼は私を名前で呼ぶ。私より二つ年下の声で、何気なく。
けれど私は、まだ「ねえ」としか言えない。
ある日、運転席の彼の横顔を見ながら、私は息を止める――。
私はまだ、彼を名前で呼んだことがない。
いつも、「ねえ」と呼ぶ。
あるいは、「ねえねえ」と呼ぶ。
付き合っている、ということになっている。
食卓を囲み、同じ車に乗り、次に行く場所の話もする。それなのに、名前だけが、まだ私の口から出てこない。
知らない人だからではない。
遠い人だからでもない。
むしろ、思っていたより早く近づいてしまったから、呼び方だけが、置いてきぼりになっている。
私はこれまで、出会って何年も経ってから、誰かと恋人になることが多かった。
だから、付き合う頃にはもう、呼び名も、距離感も、ふたりの空気も、いつの間にか決まっていた。
名前をどう呼ぶかで迷うことなど、なかった。
でも彼とは、まだ何も決まりきっていない。
決まりきっていないまま、私は彼の家でごはんを食べる。
彼の車に乗る。
彼が選ぶ道を、一緒に進む。
「今度、ここへ行こう」
「この靴、見に行こう」
「これ、食べる?」
そうやって、生活の中に少しずつ招かれていく。
けれど私は、その人を呼ぶための言葉だけを、まだ見つけられないでいる。
彼は私を、名前で呼ぶ。
少し照れるくらい、自然に。
私より二つ年下のその人が、私の名前を何気なく呼ぶたび、私はほんの少しだけ、年齢を忘れる。
呼ばれることには、もう慣れた。
けれど、呼ぶことには、まだ慣れない。
名前を呼ぶというのは、不思議なことだ。
ただ音にするだけなのに、その人を、自分の中へ正式に招き入れてしまうような気がする。
「ねえ」なら、まだ逃げ道がある。
「ねえねえ」なら、少しふざけられる。
けれど、名前は違う。
その人だけを、まっすぐ呼んでしまう。
ほかの誰でもない、と認めてしまう。
たぶん私は、怖いのだと思う。
恋が始まることではなく、
始まってしまった恋を、自分の声で、はっきりと呼んでしまうことが。
いつか、ふいに呼べる日が来るのだろうか。
彼が運転席にいて、私は助手席にいて。
何でもない道を走っている途中で。
「ねえ」と言いかけて、
少しだけ息を止めて、
はじめて、その名前を呼ぶ。
たぶん彼は、何事もなかったように返事をする。
でも、その横顔のどこかが、ほんの少しだけやわらぐ。
その時、私はきっと思うのだ。
ああ、ようやく。
私の言葉が、この距離に追いついたのだ、と。