
羽田に降りた人、台所に残る私
『台所のセーヌ』の、少し先の、続きのお話です。
会いに行けない人を想いながら、私は今日も台所に立つ。
昨日、あの人が帰国した。
夕方、羽田空港に降り立ったらしい。
その知らせを見た瞬間、私の心は、相変わらず簡単に飛行機に乗ろうとした。
羽田へ。
その先のパリへ。
もう何度も心だけが渡った、セーヌ川のほとりへ。
でも私には、仕事がある。
会いに行けない。
大人になるというのは、こういうことなのかもしれない。
会いたい気持ちがなくなることではなく、会いたい気持ちを抱えたまま、自分の場所に立つこと。
私は台所に立つ。
蛇口をひねる。
水の音がする。
それだけで、少しだけセーヌに似ていると思ってしまうのだから、我ながら重症だ。
鍋を出して、湯を沸かす。
まな板の上に、今日の暮らしを並べる。
羽田に降り立った人がいる。
その人に会いに行けない私がいる。
それでも、お腹はすくし、仕事の時間は来るし、台所には洗い物が残っている。
想いは、いつも少しだけ現実から浮いている。
でも生活は、私をちゃんと床に戻してくれる。
パリに飛びたい心を、私は台所の湯気で引き止める。
会えなかったのではない。
会いに行けない今日を、私は生きている。
あの人が羽田に降りた日。
私は仕事へ行く支度をしながら、台所で小さなセーヌを流していた。
遠い国への想いも、
会いに行かなかった日の痛みも、
全部、今日の水音に混ぜて。
そして私は、火を止める。
飛びたい心を胸にしまって、
いつもの靴を履く。
パリは遠い。
羽田も遠い。
けれど、私の台所には今も、
誰にも知られない川が流れている。
前作です