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AI時代の大学教員は、何を教える人になるのか(4):文脈が接続されるとき——研究的な対話と創発の条件

    第1弾で、こんな問いを立てました。AI時代の大学教員は、何を教える人になるのか。 その後、第2弾では「問いの手前にある何かがうごめく」という現象を描きました。第3弾では「とどまること」の価値と、問いが育つ過程を書きました。 3本書いてきて、少しずつ見えてきたことがあります。生成AIとの対話でも、人間同士の対話でも、何か新しいものが生まれるときには、ある共通した構造があるのではないか、ということです。 今回はその構造を正面から考えながら、第1弾で立てた問いへの、現時点での僕なりのアンサーを出してみたいと思います。

    研究が始まる場面で起きていること

    研究を始めようとする場面を、少し丁寧に見てみます。
    「保育者と子どもの関わりについて研究したいのですが、何を調べればよいか分かりません」 ゼミの中で、学生からこういう言葉を聞くことがあります。このとき、その人の中には、関心も経験も問題意識もある。しかしそれはまだ、研究の問いの形をとっていません。
    では、このとき指導教員や先輩研究者は何をしているのでしょうか。 正解を与えているわけではありません。情報を追加しているだけでもありません。「先行研究を読みなさい」と言うこともできますが、それだけでは何かが足りない。
    核心にあるのは、相手の「まだ言葉になっていない関心」に触れ、それが少し動き始める契機をつくることではないかと思っています。
    これはかなり繊細な営みです(だからこそ、名人芸に陥りがちな印象を持たれやすいのですが…)。

    「保育者の言葉かけが気になります」と言う。「言葉かけのどんな側面が気になるの?」と返す。「うまく言えないんですが、うまい保育者とそうでない保育者の違いみたいなものが……」と言いよどむ。「それは、保育者が子どもの何かを感じ取る力の話かもしれないですね」と返す。
    このとき、相手の中で何かが動き始めます。
    「そうそう、そういうことが言いたかった」という感じ。あるいは「少し違うけれど、でも近い」という感じ。

    第2弾で書いた「うごめき」が、ここで起きています。
    潜在的な関心が、対話の中で少しずつ輪郭を持ち始める。 なぜこれが起きるのか。相手(僕たち)が「正しい問いの立て方」を知っているからではありません。相手が言葉に「触れた」からです。そしてその触れ方が、自分の内部の地図にない場所から来たからです。

    僕は、この現象が研究という営みのかなり核心にあると思っています。
    文献を読むことも、議論をすることも、論文を書くことも——その根底では「自分の外から来る言葉に触れて、自分でもアクセスできなかったものが動き出す」ということが起きているのではないでしょうか。
    アカデミック・スキルとは、この動きを引き出し、育てていく力のことではないかと考えています。

    文脈が接続されるとき

    この現象を記述するために、一つの考え方を紹介したいと思います。

    きっかけは、あるワークショップへの参加でした。1泊2日の研究会で、各自がざっくばらんに関心のある話をしていく場だったのですが、その場の中心にいる一人の人物の立ち振る舞いが、僕はずっと気になっていました。
    うんうんと頷くだけでもなく、自分の話を一方的に展開するわけでもない。でも、お互いの話を少しずつ吸収しながら、場の雰囲気そのものを変えていく。終わった後に残ったのは、「これは何だったのか」という問いでした。

    僕は発達心理学を専門領域としています。
    そして「共同注意(Joint Attention)」という概念は、大学院時代から研究と発達臨床の両面で徹底的に叩き込まれてきたものでした。論文を読み、発達や子育て支援の現場でたくさんの乳幼児と接しながら、同じ対象を一緒に見て、他者と共有する——その共有の成立が、乳幼児のコミュニケーション発達においていかに重要かを、長く考え続けてきました。

    しかしあのワークショップの場で起きていたのは、対象の共有を超えた何かでした。互いの話し方や関心の枠組みそのものが、やり取りの中で変わっていく。それを記述する言葉が手元になかった。共同研究者とともに考えを進めるうちに、「Joint Context(文脈の接続)」という概念に辿り着きました。
    ここではその核心だけを、できるだけ日常の言葉で描いてみます。

    人と人とがやり取り(≒創発的なコミュニケーション)をするとき、そこには三つの段階があります。

    第一段階:交換
    「いま、私たちは同じものを一緒に扱っている」という感覚が成立することです。単に同じ場所にいるのではなく、同じ対象に向かっているという相互認識が生まれる。研究の場面で言えば、「この人の関心を、一緒に探っている」という感覚が共有される瞬間です。 これが起きる前と後で、場の質が変わります。起きる前は、一方が指導し、もう一方が受け取る関係です。起きた後は、二人が同じ問題を一緒に扱っている関係になります。

    第二段階:文脈化
    各自が暗黙に持っていた前提や経験、枠組みが、少しずつ場に出てくることです。「うまく言えないんですが」という言いよどみも、実は文脈化の一部です。まだ整理されていないものが、言葉になりかけながら場に出てきているからです。 そして指導する側もまた、自分の想定集合を場に出します。「それは、子どもの何かを感じ取る力の話かもしれない」という返しは、自分の経験や理論的な枠組みを、相手の言葉に向けて開示する行為です。 互いの前提が可視化されていく。この過程が文脈化です。

    第三段階:再編
    互いの文脈が接触した結果、最初にはなかった共通基盤が生まれることです。 最初に持ってきた「保育者と子どもの関わり」というテーマが、やり取りの中で「3歳児の自由遊び場面における保育者の応答性と子どもの探索行動の関係」という問いに変わっていく。この変化は、一方が単独で作ったのでも、もう一方が一人で考えたのでもありません。二人の文脈が接触し、接続されることで生まれたものです。 これが再編です。誰も予期していなかった何かが、やり取りの中から創発される瞬間です。

    創発的な場の条件

    この三段階が機能するためには、場の条件が必要です。 その核心にあるのが、心理的安全性です。ただしここで言う心理的安全性は、「否定されない安心」ではありません。「偶発的な発話を歓迎する余白」として捉えたいと思っています。
    研究の場面で言えば、こういうことです。 相手の曖昧な言葉を、急いで整理しないこと。「それはこういうことですね」とすぐにまとめないこと。「うまく言えないけれど、その感じ、もう少し話してみてください」と返すこと。 この応答の質が、文脈化を起動させます。
    言いよどんでいる瞬間は、潜在的な関心がうごめいている瞬間かもしれません。そこを急いで整えてしまうと、うごめきは止まってしまいます。第3弾で書いたネガティブ・ケイパビリティ——「答えを急がない姿勢」——は、指導する側にも求められます。
    また、自分自身の文脈を場に開示できることも重要です。「自分はこういう観点からこのテーマを見ている」を語ること。しかも完成した正解としてではなく、「自分もまだ考えている途中です」というかたちで出せること。
    ここで、研究者という存在を少し言い換えてみたいと思います。 研究者とは、知識(点)をストーリー(文脈)として語れる人ではないかということです。 「この概念がある」「この研究結果がある」というだけなら、それは点としての知識です。しかし「なぜその問いが立てられたのか」「どういう文脈でその概念が生まれたのか」「自分はなぜそこに面白さを感じているのか」という流れの中で語るとき、知識はストーリーになります。

    知識をストーリーとして語るとはどういうことか。端的な例を挙げるとすれば、地形や地学の知識から街の歴史を読み解くような語り口です(私はブラタモリの大ファンなのです)。
    僕の専門領域で言いますと、発達心理学や基礎研究の知見が、子どもの育ちや人間の発達という文脈に乗ってきたとき、それは単なる知識の伝達を超えて、聞き手の経験と接触する力を持ち始めます。 ストーリーとして語られた知識は、聞き手の文脈と接触します。「あの実習の場面とつながるかもしれない」「自分が気になっていたことは、この概念で考えられるかもしれない」——そういう動きが起きやすくなる。 つまり知識をストーリーとして語ることは、相手の潜在的な関心を賦活する条件を作り出すことでもあります。これはまさに文脈化の実践です。
    さらに、誰も計画していなかった言葉や方向が出てきたとき、それを「面白がれること」も重要です。突拍子もない発想、言いよどみ、逸脱。そういったものをノイズとして処理するのではなく、文脈の接合点として扱えること。この接合点に意識的であることが肝要なのではないかと考えています。

    先述のワークショップで、グラフィック・レコーディングを担当していた人が「Learning」と表記すべきところを「Leaning」と書いてしまった。ある参加者がそれに気づいた。しかしそこで単なる誤記として訂正されることなく、文化人類学者ティム・インゴルドの議論なども引き合いに出されながら、「LearningはLeaningでなければならない」という議論が生まれ、「Lean on(寄りかかる・もたれ合う)」がその研究会全体を貫く軸として参加者に共有されることになった。誰も計画していなかった言葉が、場そのものを変えていく。これが、偶発的な出来事が創発の起点になるということです——これは私が論文の中で分析したワークショップの実際のエピソードです。

    生成AIとの対話は、何を照らし出すのか

    ここで、生成AIとの対話との比較を少し考えてみます。
    生成AIは、心理的安全性に近い条件をかなり強く満たします。否定しない。いつでも応答する。曖昧な言葉にも付き合ってくれる。その意味で「一緒に考えている感じ」を生み出しやすいのは確かです。
    しかしここには、根本的な非対称性があります。 生成AIは、自分自身の固有の文脈を場に持ち込みません。「なぜこの問いが気になるのか」「自分はなぜそこに引っかかるのか」という、固有の関心の履歴を持って対話しているわけではない。だから文脈化はユーザー側にしか起きず、再編——誰も予期していなかった共通基盤の創発——は起きにくい。
    ただ、生成AIとの対話を単に「劣ったもの」として片づけたくはありません。 むしろ、生成AIとのやり取りを通して、私たちは逆に、文脈が接続される場の重要性を意識化できるのではないかと思っています。 AIに問いを投げるとき、自分の関心が曖昧なままだと、返ってくる応答もどこかずれます。そこで初めて「自分はそもそも何を問いたいのか」「どこに引っかかっているのか」を言葉にし直す必要が出てきます。
    この営みは、AIに答えを求めることとは、質的に異なる知的活動です。整った答えを受け取って満足するのではなく、ずれの感知を保持し、自分の文脈を言語化し続けること。この活動は、単なる情報収集でも効率的な問い解決でもありません。 そしてこの活動が実を結ぶためには、前提となるものがあると思っています。

    大学教員は、何を教える人になるのか

    第1弾で立てた問いに、ここで正面から答えたいと思います。 AI時代の大学教員は、知識を伝えるだけの人ではありません。問いを与えるだけの人でもありません。 僕の今の答えは、こうです。

    文脈が接続される場をつくれる人。

    具体的には、三つのことができる人です。
    一つ目は、相手の「まだ言葉になっていない関心」を、急いで整理せずに受け取れることです。言いよどみを、答えを求めずに保持できること。
    二つ目は、自分自身の文脈を、知識のストーリーとして開示できること。研究者として、点としての知識ではなく、その知識が生まれた文脈ごと語れることです。その語りが相手の文脈と接触したとき、一人ではたどり着けなかった問いが生まれます。
    三つ目は、互いの文脈が接触したとき、そこから生まれるものを面白がれることです。誰も予期していなかった方向に場が動いたとき、それをノイズとして処理せず、創発の契機として扱えること。
    これはテクニックではなく、態度です。 生成AIは、知的活動の強力な補助線になりえます。しかしその補助線が本当に活きるためには、問いを育て、文脈を接続し、ずれや偶発性を創発へと変えていける人間が必要です。そしてその意味での大学教員や研究者の価値は、AIが答えを速くするほど、むしろ高まっていくのではないかと思っています。

    論文紹介

    この議論の理論的背景を、私は共同研究者とともに論文としてまとめました。 「文脈の接続から創発へ——Joint Context論による相互行為の生成理論」(村上太郎・石川勝彦、常葉大学保育学部紀要第13号、2026年)です。 共同注意(Joint Attention)という発達心理学の概念を出発点に、「対象の共有」を超えて「共有の仕方そのものが更新される」過程をJoint Contextとして理論化しています。交換・文脈化・再編という3基準の詳細、ワークショップの事例分析、心理的安全性との接続まで、今回の記事では触れられなかった部分も含めて書いています。 関心のある方は、ぜひ論文本体も読んでみてください。 〔論文へのリンクはこちらです〕

    最後に——一つの立場表明として

    4本書いてきて、僕の中では一つの立場がかなりはっきりしてきました。
    生成AIとの対話の中でも、たしかに何かが生まれることはあります。自分の問いが動き出すこともある。それは本物の経験だと思っています。 しかし、その経験が本当に実を結ぶためには、前提があります。

    問いの手前にあるものを言語化する力。
    ずれの感知を急いで消さない耐性。
    知識をストーリーとして語り、他者の文脈と接続できること。
    そして何より、固有の文脈を持った他者——指導教員であれ、研究仲間であれ——がそこにいること。

    アカデミック・スキルの充実と、文脈を持った他者の存在。この二つが前提にあってこそ、生成AIとの対話は単なる答えの収集を超えた知的活動になるのではないか。私はそう考えています。
    答えを速く出せることではなく、文脈が接続される場をどうつくるか。 文脈が接続されるとき、一人ではたどり着けなかった何かが生まれます。
    その場をつくれる人が、AI時代の大学に必要な人ではないかと思っています。


     
     

    tarolabo

     
     
    専門は発達心理学・発達科学、子育て支援、発達支援。静岡で保育者養成校の大学教員をしています。

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