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#95_ひと手間の先にあるもの—新しい職場で、もう一度“教える”を考えた話

    この春、職場が変わった。
    同じ「教師」という肩書きではあるけれど、環境は大きく変わった。
    いわゆる一貫校で、しかもインターナショナルスクール。
    廊下を歩けば英語が飛び交い、掲示物には日本語と英語が並び、授業のスタイルも、これまでの「当たり前」がほとんど通用しない。

    正直に言えば、最初は少しだけ不安だった。
    いや、「少し」ではない。かなり、だった。


    「同じ教員なのに、こんなに違うのか」

    これまで積み上げてきた授業の型。
    うまくいっていた説明の流れ。
    生徒の反応を見ながら組み立てる“いつもの感じ”。

    それが、ここではうまくハマらない。

    説明しても、表情が読めない。
    「伝わっているはず」のところで、手が止まる。
    逆に、こちらが想定していなかったところで質問が飛んでくる。
    しかも、それが英語だったりする。

    「あれ、自分ってこんなに教えるの下手だったっけ」

    そんなふうに思った日も、一度や二度じゃない。


    「ひと手間」をかけるということ

    この学校で働き始めて、何より強く感じたのは、
    “ひと手間”の重さだ。

    たとえば、語彙。
    日本語で説明すれば一瞬で済む内容でも、英語で伝えようとすると、言い換えや例示が必要になる。
    一つの概念を、別の角度から何度も説明する。
    ときには図にする。ときにはジェスチャーを使う。
    ときには、あえて生徒に説明させる。

    時間はかかる。
    正直、効率はよくない。

    でも、その分だけ、生徒の「分かった」の質が違う。

    ただ聞いて理解するのではなく、
    自分でたどり着くような感覚。
    言葉を越えて、概念をつかむ瞬間。

    その表情を見るたびに、思う。

    ああ、この“ひと手間”は、ちゃんと意味があるんだな、と。


    苦労は、確かにある

    もちろん、きれいごとばかりではない。

    授業準備には、これまでの倍くらい時間がかかる。
    教材も一から見直し。
    「これでいける」と思って臨んだ授業が、思った以上に空回りすることもある。

    文化の違いもある。
    価値観の違いもある。
    「当たり前」が共有されていないことの難しさを、何度も痛感する。

    それでも、不思議と「やめたい」とは思わない。

    むしろ、「もう少しやってみたい」と思っている自分がいる。


    同僚に救われる日々

    たぶん、それは同僚の存在が大きい。

    この学校の先生たちは、本当によく話す。
    授業のこと、生徒のこと、ちょっとした失敗談まで、自然と共有される。

    「その説明いいね、今度使わせて」
    「そこ難しいよね、自分も最初つまずいた」
    「こういうやり方もあるよ」

    そんな会話が、日常の中にある。

    誰かが困っていれば、誰かがさりげなく手を差し伸べる。
    でも、過度に踏み込みすぎない。
    いい距離感で、支え合っている。

    正直、前の職場よりも“楽”というわけではない。
    でも、“孤独じゃない”という安心感がある。

    それは、思っている以上に大きい。


    生徒たちから教えられること

    そして何より、生徒たちだ。

    言語も文化も違う中で、彼らは毎日、当たり前のように学んでいる。
    わからないことがあれば、手を挙げる。
    納得いかなければ、質問する。
    自分の考えを、自分の言葉で伝えようとする。

    その姿を見ていると、ふと思う。

    「教えているつもりで、教えられているのは自分のほうかもしれない」と。

    完璧な英語じゃなくてもいい。
    完璧な理解じゃなくてもいい。
    それでも前に進もうとする、その姿勢。

    それが、この場所の一番の強さなのかもしれない。


    「生徒のために」という言葉の重み

    よく、「生徒のために」という言葉を使う。
    でも、この言葉はときどき、少し軽くなってしまうこともある。

    この学校に来てから、その言葉の重みを改めて考えるようになった。

    “ひと手間をかけること”
    “時間をかけて伝えること”
    “伝わるまで、やり方を変え続けること”

    それら全部が、「生徒のために」なんだと思う。

    効率だけを考えれば、省けることもある。
    でも、あえてそこに時間を使う。
    あえて遠回りする。

    その選択の積み重ねが、きっと教育なんだろう。


    新しい場所で、もう一度スタートする

    新しい職場に来て、気づいたことがある。

    それは、「慣れていること」が必ずしも強みではない、ということだ。
    むしろ、慣れていないからこそ見えるものがある。

    戸惑いながら、試しながら、失敗しながら。
    その一つひとつが、自分の“教員としての幅”を広げている気がする。

    まだまだ手探りだし、うまくいかないことも多い。
    でも、それでいいと思っている。


    最後に

    もし今、新しい環境に飛び込んで、少ししんどさを感じている人がいたら、伝えたい。

    うまくいかないのは、ちゃんと向き合っている証拠だ。
    迷っているのは、真剣に考えている証拠だ。

    そして、その中でかけた“ひと手間”は、きっとどこかで誰かに届く。

    自分にも、生徒にも。

    だから今日も、少しだけ手間をかけてみる。
    昨日より、ほんの少しだけ丁寧に。

    その積み重ねの先に、
    きっと「ここでよかった」と思える日が来る。

    そんな気がしている。

     
     
    中学校・高校教師/国語科 (専門:中古文学) ●学生時代 公立小→私立中高→私立大 ●職歴 私立高(2年)→私立中高一貫(3年目) 元理系の教員です。 ▶︎日々悩みながら生徒と本気で向き合い中 ▶教育について思うことを不定期でつぶやきます 質問・コメント等 お願いします

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