
コーチ物語 クライアント35「人が生きる道」6.夫婦対鏡 前編
喫茶店、カフェ・シェリーで妻の紗弓と息子の太陽と会ってからの一週間。私の周りでは大きな変化が現れ始めた。
月曜日は西谷工場長に抱いていた不信感が一気に取り払われ。火曜日には、飯山さんから「ありがとよ」と声をかけられた。
後から知ったことなのだが、飯山さんはどうやら不器用な人らしい。確かに、高倉健のような感じがする。だから、嬉しいという感情をあまり表に表さないと聞いた。その飯山さんから「ありがとよ」と声をかけられたのは、周りのパートさんからすると最大級の褒め言葉らしい。
それを聞いて、私はうれしくなった。
さらに水曜日には、社長から直々にお礼を言われた。私がやっている工場の改善行動が、コストダウンと効率アップにつながり、利益が徐々に上がっているとのこと。
「こりゃ濱田さんに金一封でも出さないといけないね」
「いえ、そんな。もしそんなお金があるのならば、他にも改善したいところもあるので、そちらの予算に回して下さい」
これは私の本音。まだまだいろんなところを改善したいと考えている。特に5S活動について。普段から使っている道具を、もっと使いやすく、片付けやすくしたい。チリひとつ落ちていない工場にしてみたい。そんな願望が湧いてきている。
そんな一週間を経て、いよいよ妻と逢う日になった。約束は十一時。今回は余裕を持って家をでることができる。今回は、もう一度一緒に暮らしたいという話をする。再プロポーズ、ということになるのかな。
だから、ちょっと気合いを入れた服装。もともと服装には無頓着な方ではあったが、自分なりにコーディネートに挑戦。こんなもんでいいかな。
そして、先週と同じ喫茶店、カフェ・シェリーへと足を運ぶ。だが、その途中でこんな出来事が。
「えっ、どうしたのかな?」
もう少しでカフェ・シェリーに到着するというところで、困った顔で座り込んでいるおばあさんが目に入った。ただ困っているだけではない。なにやら周りをキョロキョロとしている。そして、時折携帯電話を取り出してはまたしまい込むという動作を繰り返している。
私はここでもしや、と感じてしまった。いや、私だからわかる、と言ったほうがいいかもしれない。
「あの……失礼ですけど」
私はおばあさんに声をかける。するとおばあさん、驚いた顔で私を見る。
「あなたがテツヤさん、ですか?」
「いえ、違いますが。ひょっとしたら、そのテツヤさんって人にお金を渡すことになっているのではないですか?」
「えっ、ど、どうしてそれが……」
「やっぱりそうか。おばあさん、それは詐欺ですよ。特殊詐欺」
「で、でも……このお金を渡さないと、息子の命が……」
脅されているのか、それとも騙されているのか。とにかく私の予感は的中したようだ。
私だからわかる。以前、そうやって数人の人を騙していたから。
「まずは警察に行きましょう。そうしないと、そのお金を騙されてとられてしまいますよ」
「えっ、そ、そうなんですか……でも……」
「大丈夫です。えっと、近くに派出所は……あ、すいません、派出所ってどこにありますか?」
私は歩いていた人に派出所の場所を聞く。すると駅前にあるということがわかった。時間は気になったが、今はこのおばあさんのために一緒に動くことが大事だと感じ、派出所に行くことにした。
派出所に着いた時点ですでに十一時。紗弓、ごめん。心の中でそう詫びる。携帯電話を持っていないので、紗弓に連絡をつけることができないのがもどかしい。
派出所では当然のことながら、詳しい事情を聞かれることに。特に困ったのは、私とこのおばあさんの関係。通りすがりで気になったから、と言っても、事件に関係している人じゃないかと疑われて困ってしまった。
そのせいで、身元を確認するために社長にも連絡がいくことに。無関係な人にも迷惑をかけてしまった。
結局、私が派出所から解放されたのは十二時。私はあわててカフェ・シェリーへと駆け込んだ。
カラン・コロン・カラン・コロン・カラン
先週と同じく、私は勢い良くお店に駆け込んだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、ご、ごめん」
私はお店に着くなり、誰に向かうわけでもなく、謝罪の言葉を投げかけた。そして顔を上げる。が、紗弓の姿がない。
「えっ、ど、どうして……?」
ひょっとして、遅くなったので怒って帰ってしまった、とか。それはあり得る。先週と同じことをしたのだから。
「あ、濱田さんですね。奥様から伝言が入っています」
お店のマスターが私を確認すると、そんなことを言ってきた。一体なんだろう?
マスターはメモを見ながら私にこう話してくれた。
「突然の用事ができたので、到着が遅れます。ちゃんと行くので待っていて下さい、ということです」
突然の用事って、一体?
「奥様とは十一時にお約束されていたのですよね。お電話は十一時少し前にかかってきました。よほど突然の出来事が起きたのでしょう」
どうしたのだろう? 事故にでも合ったのか? でも、それならばちゃんと行くなんてことは約束できないはずだし。不安なまま、私は妻を待つことに。
カラン・コロン・カラン
お店のカウベルが鳴り響く。妻か、と思ってその方向を見ると。
「あ、濱田さん。あれ、奥さんとご一緒じゃなかったんですか?」
入ってきたのは羽賀さん。
「羽賀さん、どうして?」
「いやぁ、ちょっとおせっかいだと思ったのですが。そろそろ奥さんとのお話も落ち着いた頃じゃないかと思って、来てみたんです。もうお帰りになったのですか?」
「いえ、実は……」
私はここに来るまでに起きた出来事を一通り羽賀さんに話した。
「なるほど、それは大変でしたね。あ、ひょっとして……」
「えっ、何か妻のことで思い当たることでもあるのですか?」
「ま、まぁ。でもそれをお話する前に、少し奥さんのことを聞いてもいいですか?」
「はい、どうぞ」
「失礼な質問かもしれませんが。濱田さんと奥さん、今までケンカとかしたことはありますか?」
「まぁ、長いこと一緒にいればちょっとした口論をすることはあります。特に私が気になっているのが、妻は片付けがうるさいんです。そこまで言うのか、ってくらいに。私はそこまで気にしなくてもってタイプで。これでよく衝突していました」
「なるほど。他に思い当たることは?」
「あ、私は外に出て遊ぶのが好きで。太陽が小さい頃は、一家でよく公園とか行っていたのですが。妻はインドア派で、家で読書をするのが好きで。最初は一緒にでかけていたけれど、太陽が大きくなるに連れて、私と太陽だけで出かけることが多くなって。こんなに正確が反対だとは思わなかったですよ」
「なるほどねぇ」
羽賀さんはにやりと微笑む。このほほ笑み、今までのものとは違って、何か思惑があるように感じた。