
コーチ物語 クライアント62「生きる、生かされる」 第5章 唯一無二の存在 その5
「あ、いや、会長がとりついでいただいたほうが話が通りやすいかと思いまして」
当然、その方がいいしそうしてくれるものだと思いこんでいた。だが会長の思いは違っていた。
「この研修は羽賀くん、君がやりたいと思ったんだろう。内容としては私も賛成はする。が、君の想いを息子に、いや社長に伝えるのは君の役目だろう。私は会社の経営や息子のやり方にはすでに干渉はしないことを決めているんだから」
そう言われると、何も反論することはできない。
「わかりました。ではあらためて社長にアポを取ってご訪問させていただきます」
「ぜひそうしてくれ。あ、ただし。桜島さんや羽賀くんのことは、息子には一切話しはしていない。そのつもりで」
これもまた意外な言葉だった。ボクのことはともかく、桜島さんのことくらいは息子さんに話しているのかと思っていた。となると、大塚インダストリーへの営業はまったくコネなし、ゼロの状態から行うことになる。
そうなると話は違ってくる。さて、どうしたものか。とりあえず、一度桜島さんに相談をしてみることにしよう。
そう思ってすぐに戻り、桜島さんにこの話をしてみた。
「なるほど、大塚会長らしいのぉ。で、羽賀よ、お前さんはどうするつもりなのじゃ?」
「ここで引き下がっては、元四星商事営業マンの名が廃ります。もちろん、訪問はしてみますよ。けれど、問題は社長とは何のつながりも持っていないところにあるんですよね。ここをどうクリアするか……」
今まで飛び込みの営業はやったことがない。というか、飛び込み営業は自分のポリシーに反する。相手ときちんと関係性をつくってから仕事の話を持ち込む。これがボクの営業スタイルだからだ。
「では、そんなお前さんに一つだけヒントを授けよう。それは『存在の原理』じゃ。相手は唯一無二の存在。すでに完璧なものである。だらかこそ、相手のことをしっかりと受け止めよ、じゃよ」
「相手は唯一無二の存在、すでに完璧なもの、ですか」
口ではわかったようなことを言ったが、ボクはそうは思わない。むしろ、不完全だからこそ、桜島さんの研修が必要だと思っている。そこを伝えずして、この仕事を獲得することはできない。
ともあれ、どうやって大塚社長とつながりを持つか、そこを考えてみた。インターネットで大塚社長に関するありとあらゆる情報を集め、そこからボクとどこかに接点がないかを探ってみた。
「おっ、これは使えるかも」
ボクが見つけ出した接点、それは「経営者グルメ倶楽部」である。これは主に若手経営者や次期経営者となる人たちが、月に一度集まって地方のグルメ食材を集めて試食会を行うというもの。
一見すると金持ちの道楽のように見えるが、実のところ地方のグルメを紹介することで、その食材などを知り合いの飲食店に紹介したりという、ビジネス的な面も持ち合わせている。
実は昔、一度だけこの会に四星商事として食材を紹介したことがある。このときにつながりを持った社長にアポを取って、次回の会合にぜひ参加させてもらおうと思った。
「栃山社長、ご無沙汰しております。四星商事の営業をやっておりました羽賀です」
「おぉ、羽賀さんじゃないですか。久しぶりですね。どうしたんですか?」
ここでボクは四星商事を辞めて、今は東京にいることを伝えた。これから人脈を作りたいという名目で、経営者グルメ倶楽部への紹介をお願いした。
「そんなことならお安い御用だよ。知っているとは思うけど、この会は誰でも参加できるというものじゃなく、会員の紹介がないと無理だからね。でも、羽賀さんなら私も喜んでみなさんに紹介しますよ」
よし、これでなんとか繋がりを持つことができた。早速次回の会合への参加を許可された形となった。次は大塚社長へ近づくことだ。
そうして一週間後に開催された経営者グルメ倶楽部へと足を運んだ。そこには二十名を超える若手経営者が顔をそろえている。ボクは栃山社長からみなさんに紹介をされ、急ごしらえで作成した名刺を配って回った。もちろん、大塚社長の名刺もゲットすることができた。
今回はあくまでも繋がりを持つことが目的。なので仕事の話は一切せずに、今回の地方グルメに舌鼓を打ちながら、四星商事で培った情報などをいろんな社長へと話してみた。
「へぇ、そいつはおもしろいね。この食品の製造をもっと効率よく行うための機械を考えてみるのもいいな」
町工場である大塚インダストリーは、いろんな企業のリクエストを受けて、そこに見合った製造機械を設計開発、さらには製造まで一貫して行う会社である。今までは受注生産だったが、ここで提案営業をしてみるのもいいのでは、とボクからアドバイスをしてみた。
「これからは攻めの営業も必要だとボクは思いますよ」
「その話、もっと詳しく聞かせてもらえないかな?」
よし、ここで大塚社長とのアポもとれた。向こうから望んでいることだからここから先はやりやすくなる。早速、三日後にアポを取り、訪問することになった。
「桜島さん、なんかもっともらしいことを言っていたけど。すでに完璧だなんてありえないよ。そうじゃないからこそ、多くの企業は経営に困っているのに」
そう思いながらも、このときに提案する資料を再度見直し、一発で桜島さんの研修の受注を決めようと意気込んでいた。そうして大塚インダストリーへの訪問。大塚社長は、まずは攻めの営業のことについてボクに質問を浴びせてきた。
「この前のこの食品、もっと生産量を上げて全国展開を狙ってもらえるように提案したいんだけど、どうだろうか?」
「そうですね。まずはその意欲を湧かせるところから始めないと。そのためには、販売ルートを見つけてあげることが大切です」
「はぁ、そういったことも必要になるのか。けれど、これがうまくいけばかなり大口の契約になりそうだ。羽賀さんならそういう販売ルートをご存知では?」
「そうですね、四星商事に口利きをすることはできます」
このとき、ボクの頭の中では同僚の唐沢の顔が浮かんでいた。あいつならこういったことはお手の物だ。
話は大塚社長からの質問ばかりで、ボクが本題にしたい桜島さんの社員研修の話にまで届かない。そろそろ話題を変えなければ。
「ところでちょっと話は変わりますが、大塚インダストリーでは今社員研修などはどのように行っていますか?」
ボクがそう切り出したところで、大塚社長の顔が急に変わった。一体どうしたのだろうか?
「社員研修って、羽賀さん、あなたも父と同じで私のやり方がよくないと、そうおっしゃるのですか?」
これは予想もしない言葉が返ってきた。どういうことなのだ? そんな情報は一切ないし、言っている意味がわからない。そのため、どう言葉を返していいのか、迷っている自分がいた。