
シカゴで一か八か
『4か5で1か8か』と書かれたメモが書かれた紙がアパートの郵便受けに入っていた。
4か5。
1か8。
私は首を傾げながら、何度もその文字を眺めた。
「よんかごでいちかはちか」
「しかごでいちかはちか」
声に出してみてハッとした。
「シカゴ!」
思わず顔を上げた。
4か5。
「シ」か「ゴ」。
1か8。
「一」か「八」。
つまり、
「シカゴで一か八かの勝負をしろってこと?」
私は昔から、ミュージカル……特に『CHICAGO』が好きだった。
華やかな舞台。
妖艶なダンス。
欲望と野心が渦巻く世界。
ロキシーも、ヴェルマも、それぞれの人生を一か八かの大勝負を賭け、舞台の上で輝こうと必死だった。
そしていつか私も、ミュージカルスターになりたいと思うようになり、
大学生の頃にアルバイトをしながら劇団養成所に入り歌や踊りのレッスンを受けた。
そして何度か舞台に立てたものの、脇役のその他大勢止まり、セリフひとつない。
そろそろ現実に目を向けないといけないと、就活を始めたタイミングのメッセージに心が揺らぐのだった。
今のわたしは
まとまった貯金はない。
恋人もいない。
決まった仕事もない。
そう、失うものは何もないのだ。
アラサーの私。
夢を追いかけるには、少し遅すぎる年齢なのかもしれない。
それでも私は、ミュージカル『CHICAGO』のオーディションを受けることにした。
もう一度だけ、自分の人生に賭けてみたかった。
オーディション当日。
鏡の前で深呼吸をする。
手のひらには、あのメモ。
4か5で1か8。
私は小さく笑った。
「シカゴで一か八か……」
名前を呼ばれた。
震える足で舞台へ出る。
客席には、審査員。
照明が当たる。
眩しい。
逃げ出したくなる。
そのとき、頭の中に『CHICAGO』の舞台が浮かんだ。
ロキシーも。
ヴェルマも。
みんな、何かを掴むために、自分の人生を賭けていた。
私は顔を上げた。
「音楽、お願いします」
曲が始まった。
歌う。
踊る。
必死だった。
上手いかどうかなんて、もうどうでもよかった。
ただ、自分の人生を全部、この数分間に捧げるだけだ。
曲が終わり、会場は静寂に包まれていた。
そして長い沈黙のあと、一人の審査員が口を開いた。
「あなた、この作品のどこが好きなの?」
私は少し考えた。
そして答えた。
「一か八かで人生を変えようとする人たちが、すごく好きなんです」
審査員が微笑んだ。
「あなた自身も?」
「はい」
少しだけ間を置いて、私は続けた。
「私も今日、一か八かで来ました」
審査員は何も言わなかった。
結果が出るまで、一週間。
長い一週間だった。
そして七日目。
スマートフォンにメールが届いた。
私は目を閉じてから、画面を開いた。
そこには「合格」の文字があった。
「……嘘」
思わず笑った。
ハンヤクの役だった。
『CHICAGO』の中で、私がいちばん好きな女囚。
無実なのに、誰にもその声を届けられない。
英語さえ話せず、必死に「Not Guilty」と訴える。
それでも彼女は、自分の運命に抗おうとする。
そんなハンヤクを、私はずっと好きだった。
そして今、私はその役を演じる。
「……私にぴったりじゃない」
思わず、笑ってしまった。
人生、何が起こるか分からないからこそ、賭けてみる価値がある。
私は、これから始まる新しい人生に向かって歩き出した。
その先に待っているのが、
成功なのか。
失敗なのか。
それは、まだ分からないが、今度は私が、舞台の上で賭ける番だ。
あのメモを取り出した。
あのメモをくれたのは、誰だったのだろう。
『4か5で1か8か』
私はその数字の下に
『4か5よ 3 9』
と書き足し、財布にしまった。