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歌集を作り文フリに出店して自己決定感のほんとうを学んだ話

    あっち側に行きたい

    それは昨年の冬、購入者として文学フリマ(以下、文フリ)に行った時から始まっていた。すでに買い物客としては何回か文フリは体験し、雰囲気や勝手も分かってきて楽しめるようになっていた。初めての時は行く前からかなり不安で緊張していたのを覚えている。こういうイベントのイメージサンプルがコミケしかなくて(もちろんコミケに足を踏み入れたことなどなくメディアからの情報から得たものだけど)私のような普通のおばちゃんが行ったら場違い感ありまくりなのでは?と思っていた。
    それでも欲しい歌集があったので恐る恐る行ってみたのを覚えている。でも実際は想像と違って売っている人も買っている人も本当に楽しそうで、若い人から私よりもかなり年上という感じの人までそれぞれ好きな世界を堪能している感じがした。テーブルひとつ分のスペースに思い思いの趣向を凝らしたディスプレイで手作りのポップやサイン帳などが置かれマーケットというよりはイベント色のほうが強く感じられた。

    なんか義視感があるな〜と思っていたら、「そうだ!文化祭のあのノリだ!」と気づいた。短歌を作り初めて数年たった頃からSNSや歌会などを通じて短歌の知り合いも増えて来た。そしてそんな仲間たちが楽しそうに作った歌集を販売しているのをみてうらやましくなった。私もあっち側(出店者)になってみたい!と今回初めて思った。折しも帰りのバスの中で歌集のちょっとしたアイデアを思いついたので形にしてみたいとボンヤリ考えていた。ただその時はできればいいな〜ぐらいの感覚だった。

    縦にしたい

    翌日から文フリで買ってきた歌集を少しづつ読んでいった。エモい短歌、日常を上手に切り取った短歌、旧仮名の格式高く感じる短歌などあって短歌の裾野の広さを感じた。共通しているのはどの歌集も基本縦書きで1行で書いてあるということだ。やっぱり短歌は縦に1行で書いたほうがカッコイイと思った。1ページに1〜3首、ゆったりとした余白で余韻を楽しむことが出来る。

    今は小さなスマホのメモ帳にギュウギュウに押し込められている私の短歌にものびのび出来る居場所を作ってあげたい!そう思った。よしっ、歌集を作ろうと決意した瞬間である。道のりは長そうだけど久しぶりにワクワクした気持ちになっている。

    一人でやり遂げるぞ

    とはいえ歌集を作った経験などない。何から手をつけたらいいのか手さぐりからのスタートだ。「歌集」というぐらいだからまずは掲載する歌を集めるところから始めた。これまであちこちに詠み散らかしていた自作の歌を集めることにした。そのあとも形になるまでにはいろいろな工程があるだろう。そのつど調べたりしながら進めて行けばいい。詳しい人に教えを乞うたりプロに頼むことも出来るだろうが、この歌集は全部自分一人でやり遂げようと思った。

    普段、姑とオットと生活しているとなかなか家庭で私の希望や主張が通ることは少ない。姑の決めた昭和の価値観のルールに違和感を持ちながらも従うしかなかった。
    でもこの歌集は違う。私が詠んで選んだ歌を載せ私が考えた構成でと全部自分の思ったとおりに作るのだ。そう思ったら俄然やる気が出てきた。

    読み散らかした歌を集める

    まずはザクッとコンセプトを決めて項目ごとに載せる短歌を選んでいく。スマホからアナログな紙のノートに大雑把な項目ごとに一首づつ書き出していった。だいたい150から200首を掲載する予定だけど、最初の「植物」の項目だけですでに50首を超えている。選ぶということは落とすということと同義なんだろうなと思った。

    数日かけてようやく歌集に載せる短歌のピックアップが終わった。この中から載せたい歌を拾っていったら200首を越えていた。もう少し絞った方がいいのかもしれないとも思ったが、次は項目ごとに分類して並び方を考えていく予定。ここでもきっと増えたり減ったりはするだろうから今はこのままでもいいようにも思う。

    自分の色がにじみ出ていた

    それにしても自分の歌をこうして一堂に眺めてみると、よくこれだけ詠めたな〜と自分でも驚いている。これは〆切とお題が決まっている「うたの日」と「NHK短歌」のおかげだとしみじみ思う。改めて自分の短歌をみると自分の傾向が見えてくる。よく使うワードとか詠みがちな景とか。たとえば動物の歌では圧倒的に猫の短歌が多い。犬はほんの数首しか作っていなかった。

    もともとちゃんとした講習とか受けたこともなく、見よう見まねの手探りで続けてきたのでテイストもバラバラで自分の色がないと思っていたけどやっぱり“自分“というものは染み込んでいるんだな〜と驚いている。

    もう後に引けない

    今回、私家版歌集を作るのにあたってもしかして苗字があった方が落ち着くかもと思った。これまでネットでは「まつき」と名乗っていた。こんなに長く続けることになるとは思えず適当にこれでいいやとつけた名前だ。でもすでに「まつき」で定着している。今さらガラッと変えてしまったらアイディンティティまで失ってしまいそうだ。そこでこのnoteのアドレス名に漢字を振り当てて「淡花野まつき」と名乗ることにした。「たんかのまつき」と読ませる。これで少し歌人としての覚悟が芽生えはじめた。

    歌集作りは仕事や家事の合間を縫ってちょっとづつ進めてはいたが少しペースが落ちてきた。文フリにいったときのテンションのざわめきの波が引くにつれ、本当に完成させられるのか、作ってもちゃんと売れるのか……と弱気の虫が動き始めた。でも時間は待ってくれない。
    もし本が出来ずドタキャンなどしたら他に参加したかった人の1ブースを奪ってしまうことになる。だから出店の申込みはちゃんと歌集が完成してからにしようなどと悠長なことを思っていた。でも気がつくともう申し込みの締切日になっていた。次の東京文フリはうれしいことにうちの定休日の月曜開催。ということは誰に気兼ねすることもなく堂々と行ける最初で最後のチャンスかもしれない。「えいゃぁ〜っ!!」と勢いで申し込みのボタンを押してしまった。この時点ではまだ確定ではなくて抽選とのことだったが数日後のメールで申し込んだ人全員が出られるとのメールが届きいよいよ後に引けない状況に追い込まれてしまった。

    いよいよ原稿作り

    掲載する短歌がだいたい出そろったので、手探りながら歌集の原稿を作り始めた。さすがにスマホでやるにはムリがあるのでパソコンを引っ張り出して来た。久しぶりに触ったWordが進化し過ぎていてどこにどの機能があるのか試行錯誤でイライラしてきた。そこでひとまずExcelにダ〜ッと入れていくことにした。並べ替えや数を数えるのもラクだし、最初からこうすればよかった。
    最終的な入稿はPDFファイルにするのだから、もしかしてExcelだけで原稿作れるかも!?なんて考えが頭をよぎったがさすがにそれは無理がありそうだ。

    絶対入れる歌から拾い集めているけど、並べ方がすごく難しい。テーマで分けると似たような歌が続いてしまうし、時系列というのも違う気がする。いくつかの連作のかたまりは出来たのだが、それを配置するのにも頭を悩ませている。

    本文が終わっても表紙や紙や印刷の種類とか定価のこととか考えなくてはいけないことが山積みだ。それでも一歩一歩進むしかない。Wordとケンカしながらもせっせと歌集原稿に取り組んでいった。位置をきれいにする方法が分からなくて力技で改行、改行とやって、なにか直すたびに崩れていくことに泣かされたりしながらもなんとか形になってきた。

    並行して印刷所探しだ。持っている本の奥付を見ながらいくつかの会社をピックアップしてホームページを見ながら金額や納期、入稿方法などを検討し、いちばん希望の条件に近いところに決めた。

    少し気分転換にcanvaで表紙を考えたり、オマケの栞を作ったりしながらコツコツと進める日々は続いた。そしてようやく形になった。残すは表紙のみ。ゴールテープがチラチラ見え始めたような気持ちだ。ラストスパート、ここで転ぶわけにはいかない。

    歌集のタイトルどうしようかな〜と言っていたらオットがぼそっと「すみながし」とつぶやいた。昨年やったすみながしの体験のことを覚えてくれていたのだ。「あっそれいいかも!」移ろいゆく一瞬をとらえるということは短歌にも共通している。

    タイトルが決まったのでいよいよ表紙作りだ。歌集の顔とも言える大切な部分。どんなテイストにしようか。あまりポップなものより落ち着いた感じにしたい。そうだ!すみながし体験で作ったスカーフを画像にして入れようと思った。世界にひとつしかない私だけの表紙になる。最初は表紙全体にしてみたが、サイケデリックな感じになってしまったしタイトルの文字も目立たない。そこで中央に四角く配置することにした。ありがちなデザインではあるが落ち着いた感じになったのでこれでいくことにする。表紙でいちばん手こずったのは背に入れる文字だ。ほんの数ミリの幅に収まるように文字のサイズを変えたり上下の配置をちょうどよくなるように微調整したりしてなんとか形にした。
    まだ「本」という形にはなっていないが第一次やり遂げた感が満ちてきた。何ひとつ分からない状態から自分で悩んで、考えて、調べて、失敗して、やり直して、選んで、ここまで来たのだ。久しぶりに味わったこの達成感は自分の宝物になるとおもう。

    いざ入稿そしてついに歌集が完成

    PDFファイルに変換し、いざ入稿だ。『注文』ボタンを押すときに、「本当にいいんだよね、後戻りはできないよ」と心の声が聞こえたが最後までやり遂げたいという気持ちが勝った。入金も済ませあとは出来上がりを待つだけだ。
    数日後、完成した歌集が届いた。ちょうど外で植木鉢の植替えをしていたオットが受け取ってくれ、段ボールを抱えて入って来た。「また、なんかくだらないもの買ったのか?」と思ったら私の歌集だった。突っ込む前に気づいてよかった。箱はそれほど大きくはないけれど持ったらずっしりと重たい。一冊だけ持つとほとんど重さは感じられないのに集まるとこんなに重くなるのか! 最初の一冊はオットに謹呈した。たぶんパラパラと見たらその辺に放置されるような気がするけど。

    ワクワクの文フリ準備

    もう文フリまでひと月もない。つぎはブース作りを考えなくては。百均へ行って使えそうなものを調達してきた。値札立てとかテーブルに敷くクロス、コインケースなど。旅行へ行くときの準備のような、新居のインテリアを選ぶようなワクワクした気持ちになった。
    当日あたふたしないように文フリのブース作りの予行練習もしてみた。食卓にブースのサイズにマステで印を付けて、クロスを広げ、フリーペーパーや立ち読み用見本、名刺、コメントノートなどを配置して少し離れて眺めてみる。「おお、文フリみたいだ!」などと謎の感動をした。写真も撮ったので当日はこれを参考に設営すればなんとかなりそうである。

    そして当日がやって来た

    いよいよ5月4日、文フリ初出店日を迎えた。前日の夜には荷造りを済ませ当日は少し早めに家を出た。現地までは時間よりも前に到着したが、サイトでみていた屋外駐車場が閉鎖していてるというアクシデントに見舞われてしまった。うちの車は高さ制限のあるところには入れないので、停められるところを探して周辺をグルグル。やっと見つかった屋根がなく空きのあるところは癌研よりもずっと向こうの有明の先にあった。オットは「都会の駐車場は怖いぞ(料金的な面で)」と言っていたがこれ以上築地に近づくともっと大変そうなので【一日最大3500円】という表記を信じてそこに停めることにした。かなり会場から離れてしまった。そこからオットがカートを引き私がトートバッグを担いでひたすら20分ぐらい歩いてようやく会場にたどり着いたのは受付開始時間を少し過ぎた頃だった。早めに出て正解だった。

    開場前の高揚感

    受付を済ませ会場に入ると、半分ぐらいのブースが設営中でまだ到着していないブースもけっこうあった。さっそく設営開始。事前に予行練習していたのと、売るものが1種類しかないので割とスムーズに出来た。何度も前に回りお客さん目線で確認した。サマになっていることがうれしく、ここにお客さんが立ってくれる姿を想像したりしていた。

    一つおいた隣のブースは何度か会ったことがある短歌仲間で初めての参加者としては心強かった。そして同じ机を分け合うお隣は初めてお会いする方。ドキドキしながらご挨拶をするととても気さくな紳士なので安心した。

    一般入場まではまだ時間があるので、この隙に知り合いのブースを回りたかったのにタバコを吸いに行ったオットがなかなか戻ってこないので行かれなかった。
    出店者とスタッフしかいない開場前のこの時間、こっち側に居るんだという不安と期待の入り混じったなんとも言えない高揚感がある。

    ありがとうお客さん第一号

    そうこうしているうちに開場のアナウンスが流れた。見上げると(開場はエスカレーターを降りた下なので)たくさんの人が流れて来る。広大な砂漠で落とした十円玉のような私のブースを見つけて買ってくれる人が一人でもいればいいなぁ〜と思いつつ座っていた。ところが待てど暮らせど誰も来ない。他のブースはそれなりに賑わっているのに……。もしかしてこのまま一冊も売れないのかも?と不安にかられていたところ、短歌仲間のお一人が買いに来てくれた。有名歌人でもなく、大きな賞をもらったこともない市井の人間の歌集をお金を払って買ってもらえることがこんなに感動出来ることなのかと、出店して本当によかったと思える瞬間だった。その後もバラバラと立ち寄ってくれる人が増えて来た。立ち読みしてくれる人やチラシを受け取ってもらえるだけでもうれしいことだと分かったのは最初の出足の鈍さがあったからだろう。

    シマウマが来た!?

    人の流れも落ち着いてきたので、オットに店番を頼んでチェックしていたブースを大急ぎで回り欲しかった本を手に入れた。でも行けなかったブースもあって出店者と購入者を両立するのは難しいなぁというのが実感だ。
    自分のブースに戻るとオットが「誰か知り合いっぽい人が来たよ」と教えてくれた。「名前聞いた?」と尋ねても「分からないけどシマウマみたいな服を着てた」という謎の情報だけしか得られなかった。まったくオットというものは……。それからは気になってサバンナでシマウマを探すライオンのような気持ちで会場を眺める人になってしまったではないか(笑)

    しばらくするとシマウマ柄のシャツを着こなした女性がブースに来てくれた。Xやnoteでいつも短歌を読ませていただいたり読んでいただいたりしているフォロワーさんだった。人混みが苦手と仰っていたのにわざわざ来てくれたんだ!少しお話をしたらサバンナを駆け抜けるシマウマのように足早に去って行った。

    そろそろ店じまい

    16時を回った頃から人の流れも途絶えてチラホラと店じまいするブースも出てきた。私もゆるく片付けをしながら様子をみていた。するとそこへさっきチラシを渡した女性が戻って来て買ってくれた。すごくうれしかい。迷って考えてやっぱり欲しいとわざわざ戻って来てくれたお客さまをがっかりさせなくて本当によかった。最後まで店じまいしなくて本当によかった。
    やがて17時、閉場のアナウンスとともに拍手で夢のような一日は終わった。机を分かち合ったお隣さんのご厚意に甘えて椅子だけ片付け机はお任せして会場をあとにした。

    楽しかった。まさにお祭り、非日常空間と時間を味わえた。開始の拍手で異次元空間に入り、締めの拍手で現実世界へ否応なしに戻される。すごく充実した時間だった。
    来た時よりほんの少し軽くなった荷物に思い出と感動を詰め込んでまた駐車場まで延々と歩く。もう足はガクガクになりながらたどり着いた。あとは荷物を積み込んで帰路につくだけだ。駐車場の精算機の前で一日付き合ってくれたオットに感謝を込めて「お釣りはいいよ」と五千円手渡すと……。都会の駐車場は怖いと言っていた意味がよく分かった。精算機には6500円という表示が!!
    「ええ〜、どういうこと???」、「たぶん3500円というのは平日の値段だったんだね、ダマされた〜(よく見なかったこっちが悪いんだけど)」とあと2000円手渡しオットへのお礼は500円に減額されました(笑)

    翌朝、起きたら持ち帰った荷物や購入した歌集は当たり前だけどしっかりそこにあって「となりのトトロ」のサツキとメイのように「夢だけど夢じゃなかった」といった感覚になった。

    自己決定と何もかも一人で抱え込むことの違いを学んだ

    最初、「全部一人で思うようにやるんだ」と息巻いていた。日ごろ抑圧されている自己決定感を取り戻すのだ。そんな風に思っていた。でも歌集を作り文フリに申込み、出店してという一連の体験を経て気づいたことがある。それは自己決定感というのは誰の力も借りない、意見も聞かないということではないことだ。現にタイトルはオットの案を採用した。当日は車を出してくれ荷物運びや店番を手伝ってくれた。見本誌コーナーに出した見本誌をそっと見やすい位置に置き直してくれたことをあとで知った。近くに知人のブースがあることで初めての出店の不安を和らげてもらった。そして何よりブースに立ち寄ってくれた人、立ち読みしてくれた人、お買い上げしてくれた人。開催してくれた主催者の人々。みんなに助けられていたのだ。これらは自分の意思だけでは到底成し遂げられないことだ。そこに気づくことが出来たことが歌集を作り文フリに参加したことで得られた最大の収穫であった。


     
     
    短歌作ってるまつきです。三十一文字からはみ出してしまう想いをこちらで綴っていければと思います。 詳しいプロフィールはこちらで。 https://note.com/tankano_matuki/n/n8c26511dbee2

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