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PMJ倶楽部を作ったワケ④ ~若いママの孤立をなくしたくて始めた家族ぐるみの子育て~最終話

    【前回のお話はコチラ】

    これは、私が1992年に立ち上げた、
    家族ぐるみの子育てサークル
    【PMJ倶楽部】
    を作るもとになった想いと、
    実際の出来事の記録です。

    この最終回では、
    私の過去の経験についてお話ししています。

    決して楽しい思い出ではありません。
    でも、この経験があったからこそ、
    『若いママや、子供たちに居場所を作ろう』
    と思いました。

    【大切な子供や孫が生きていく世界は、
                                     今の私たちが創っている】

    このことが、私の責任感を駆り立てる要因なのだと思います。

    いつでも人は、
    『昔は良かった』…と言う。

    子供や、孫たちにも、
    そう言わせてあげたいものです。

    この先は、私が実際にした経験をもとに、感じたこと、思ったことを書いています。
    読んでいて、辛くなってしまう方がいたら、ごめんなさいm(__)m
    途中で離脱してくださいね。

    最終回
    『私が、いじめられた経験から得たもの』

    勝手に切り取るメディア

    兄が、恥ずかしいと言ったのも理解できる。

    私の言う、
    『ヤングママ』ではなく、
    『ヤンキーママ』の方が
    圧倒的に話題になるからだ。

    PMJ倶楽部のメンバーに、
    金髪の子はいなかったし、
    たまたま若いうちに子供を授かっただけ。

    メディアからの出演依頼にも、
    PMJ倶楽部の趣旨を、
    きちんと伝えてくれるモノにしか出なかった。

    それでも、『ヤンママ・ブーム』は
    独り歩きを始めてしまった。

    ・・・生放送のラジオに出演した時、
    局の手違いで家の電話番号が電波に流れた。

    放送直後に、営業電話がかかってきたが、
    すぐに電話回線を止めて、事なきを得た。

    今みたいなネット社会ではなかったから、
    まだマシだったのかもしれない。
    もし、あの時、プライバシーがネットに晒されていたら…と思うとゾッとする。

    そんな出来事を振り返っていると、ふと思う。 
    私が、人の痛みに敏感になったのは、
    もっと幼い頃の経験があったからではないか、と。

    いじめられた経験から得たもの

    私は幼い頃から、いつも泣かされる側だった。

    記憶の最初は、2~3歳の頃、
    1つ年下の従妹だった。

    母に
    『年上なんだから我慢しなさい』
    と言われ、
    従妹にやられ放題で、よく泣かされていた。

    幼稚園でも、揶揄しやすい苗字と名前のせいで、
    ずっと男の子に泣かされていた。

    小学校に上がっても、夏休み明けの
    『日焼けコンテスト』で上位に入ると、
    あだ名が差別用語になった。

    3年生の時、我慢の限界で、
    給食の途中で家に泣きながら帰った。

    先生に家まで連れてこられた、いじめっ子は、
    その場では謝ったものの、次の日からは、
    私の家が古かった事をネタに、いじめが続いた。

    いじめる理由は何でも良いのだろう。

    人生の転機

    4年生の時、天の助けか、いじめっ子の住む地域と学区が分かれることになり、顔を合わせずに済むようになった。
    そのクラス替えで、担任やクラスメイトに恵まれ、やっと、学校でのいじめからは解放された。

    その担任の先生に、大人から初めて
    『自分を認めてもらえた』
    と感じた記憶がある。

    担任の先生は長崎出身の先生だった。
    私の親は山口県出身だった。

    ある日、先生の机の周りで数人が話をしていた時、一人が先生をからかっていた。
    私は思わず、
    『先生、おちょくられてる🤭』
    と言った。

    すると先生は笑いながら、
    『おっ、難しい言葉知ってるね✨』
    と言ってくれた。

    今思えば、それだけのことだった。
     でも、その一言が、自信のなかった私の心に、小さな灯をともしてくれた。

    『私はこのままで良いんだ』

    そう思わせてくれた大切な言葉。

    その先生のおかげで、前向きになり、
    いじめられない為には、面白い子になれば良いんだ!
    という学習をする(そこ?笑)

    中学に入ると、4学区が集まり、
    あのイジメっ子と再会した。

    でも、もう怖くなかった。
    離れていた3年の時間が、わたしを強くしてくれたのだと思った。

    私をイジメていた彼は、
    なぜかイジメられる側になっていた。

    でも私は、仕返しをするのではなく、
    他の子とおなじように接するように心掛けた。

    同情していたのかもしれないが、
    自分が嫌だったことは、他人にしたくなかった。

    中学で陸上部、野球部マネージャーを経験し、
    楽しかった…
    …のも、つかの間(笑)
    3年で転校した学校で、史上最悪のイジメを経験することになるのだが…そのお話しは又いつの日か。


    あとがき

    この経験が、後々
    『若いお母さんと子供たちの居場所を作りたい』
    と思うきっかけの一つになりました。

    今でも私は、PMJ倶楽部の子供たちの姿を、忘れられずにいます。

    時代は変わっても、子供たちが安心して過ごせる場所の大切さは、きっと変わらないと思っています。

    この記録が、誰かの、何かの、
    きっかけになってくれたら嬉しいです。

    『みんな、
    可愛かったなぁ😍  あの頃のこと覚えてるかな?
    君たちは、いくつになっても、
    【PMJの子供たち】だからね😊』

    【1話から読む】

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