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「ない」をつくる

    この文章は、文藝春秋がnoteで開催する「#未来のためにできること」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

    決して裕福とは言えない家庭で育った。

    父と祖母との暮らしはつつましやかで、既に在るモノを利用して生活していました。
    洗濯は洗濯板で汚れを落とし、糊付けは米を利用し、風呂は五右衛門風呂。
    汲み取り式の便所だったので、僕たちが排泄したものを肥料にして畑に撒き、そこで収穫した野菜を食料にする。
    祖母は口癖のように「誠、始末しなさい」と言っていた。
    「始末」とは、モノを大事にして、無駄遣いしないこと。エネルギーとコストをかけて解決する現代社会に比べると、最先端の暮らしだったように思う。
    「ない」に囲まれていたからこそ、工夫する知恵が生まれていた。

    実家は古い建物でしたが、美しい佇まいだった。
    ひとえに、祖母の手入れによるものです。
    祖母は、毎日怠ることなく床を雑巾がけしていたので、食べ物が床に落ちても「我が家はきれいだから食べなさい」と。
    掃除をしていたから建物は美しく保たれ、大事にするから愛着も湧き、長く住める場所になっていたのでしょう。

    工夫する知恵、手入れをして大切にすること。
    モノと情報があふれた現代は、既に在るモノを買ったり、借りたりすることで成り立っています。
    「ないのであれば買えばいい、無駄になれば捨てればいい」。
    この考えを改めることが本質だと僕は考えています。

    “SDGs”に関して言えば、トレンドの一つとして消費されているような気がしてなりません。
    本質は既に在る状態をもう一度考えてみる。
    「ない」のであれば、工夫し、自分たちでつくる。

    そして「捨てる」という行為を減らすこと。
    売る側の知性以上に、買う側の技術や教養が求められる時代。
    その意識を育てることができれば、選択肢は自然と現れてくる。
    着物のように世代を超えて受け継がれ、形を変えて長く使われていくように。

    先日、北海道で40000㎡の土地を見つけた。
    その土地に井戸を掘り、小屋を建て、畑で小麦や野菜を育てます。
    窯をつくって小麦から生地を作り、野菜を使ってピザをつくる。
    「生きる場所」がないのであれば、自分たちでつくる。

    「足りないモノは工夫して、ないモノはつくる」
    一人ひとりにそのマインドが育まれれば、社会が抱える課題への本質的な解決につながるのではないでしょうか。

    大切なことの多くは、父と祖母の暮らしの中にありました。
    その体験が、クリエイターとしての自分を支えてくれていると信じているし、そういう考えを少しでも多くの人に伝えていきたい。

     
     
     
    建築家、起業家。自然と建築について考える 日々。 suppose design office、tecture、絶景不動産、Daichi…などの10の法人を経営。 建築と不動産に関わるなかでの、葛藤を包み隠すことなく書いてみようと思います

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