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人面犬とアズキ病

     僕は彼女と一緒に今はもう廃れたような商店街を歩いていた。そう今はもう廃れた商店街。その商店街には活気のあるおかみさんのいる肉屋がある。僕は塾に通う途中にその肉屋の前を通るたびに(きっと10回以上は通り過ぎていただろう)、一度立ち止まってみたいと思っていた。少年の僕はそこに並ぶハムカツやロースカツ、コロッケなんかが気になっていた。ある日、僕の財布には100円が入っていたときがあった。タイミングが合ったのだろう。僕は肉屋の前で立ち止まりハムカツを頼んだのだった。おかみさんは「はいよ~!」といって、少し温かみのあるハムカツ(60円)を油をはじくような紙を添えて僕に渡してくれた。僕は塾までの道をハムカツをかじりながら向かったのだ。僕はそれ以来、数回ハムカツを頼むことになった。今はその肉屋はなくなっているし、ハムカツのかけらもない。もちろん活気のあるおかみさんもいない。僕はハムカツを渡してくれたおかみさんの顔なんかは覚えていない。僕が覚えていることはとても少ない。

     そんな肉屋(ミートショップ)があるような商店街、かつては存在していたような商店街。そこを僕と彼女は歩いていたのだ。彼女は僕にこんなことを話し始めた。「ミカヅキさんがね。この前にデパートで会ったんだけどね。私にこんなことを言ってきたの。」「どんなこと。」「うん。ミカヅキさんがね、”もうお中元はうちは大丈夫”って言うの。」「ミカヅキさんがそんなことを言ったの!?」僕はミカヅキさんがそんなことを言うことが信じられなかった。だってミカヅキとは僕が少年時代に住んでいた家の通りに住んでいた裕福な家庭の同級生だった。僕はミカヅキくんとはそんなに仲良くはならなかった…というか、なれなかった。家が近いからといって、だれしもが仲良くなれるわけではないのだろう。彼女が言っているミカヅキさんは僕の同級生の母親のことになる。かつてはとても綺麗な専業主婦だった。今はもう中年というか、僕の母と同じくらいの年齢になっているはずだった。ミカヅキさんと彼女の接点はわからない…けれど、確かにミカヅキさんは彼女に「お中元は大丈夫。」と言ったのだと思う。僕は彼女の言うことを信じることにしている。理屈っぽい言い方だとしても。ある日デパートに行った彼女が、ふとミカヅキさんに出会い「お中元は大丈夫。」と声をかけられ…それだけのことだろう。

     僕は商店街を歩きながらその話を聞いていた。僕はその時、別のことを考え始めていた。自宅にある深い浴槽にいる猫のことだ。僕の家の浴槽はとても深い。そのバスタブに浅くお湯が入っている。そして、そこに子猫がいて、”ぶくぶく”と泳いでいる。顔は出していない。そのまま…、子猫はそのままだったら、窒息するだろう。僕はそう考え、子猫を助けることにする。ちょうど子猫の体が埋まるほどのお湯が入っている浴槽に僕は両手をいれる。すると、子猫は下を向いたまま、僕の両手にちょうど収まるように入り込んでくる。僕は両手で子猫を優しく持ち上げる…。そんなことを考えながら、歩いていたのだ。彼女は何か別の話をしていたような気がする。僕はうなずきながら、バスタブで救った猫について考えていた。

     そうして僕はバスタブの猫よりも大事なことに気づいたのだった。それは、僕が彼女と話して歩きながら抱えていた人面犬についてだ。人面犬は鼻の周りに生々しいアズキのようなできものがたくさんできていたのだ。しかも人面犬は発作なのか少し顔を赤くして、口をすぼめ苦しそうな表情をしていた。大量のアズキが鼻の周りで吹き出し、ポタポタと僕が両手で抱えている手や腕に、人面犬の顔から吹き出し、アズキが”ベトベト”と滴っていった。

     隣で歩いていた彼女も人面犬のアズキに気づき、たまたま近くを通りかかったバインダーをもった女性に尋ねた。バインダーをもった女性は病院関係の人らしく、その隣にはドクターらしき人もいた。彼女はドクターに僕が抱えている人面犬の情報を素早く伝えた。ドクターはいくつかの見解を示し、すぐに近くの病院にいくことを勧めた。僕はアズキが吹き出している人面犬を抱え、自宅へ向かった。

     僕は自宅へ向かっている時にこんなことを考えていた。このまま、人面犬のアズキについて病院に行くとすると”仕事を休まなければならなくなる”ということを。「子供が病気になったから仕事を休みます」というのと、「人面犬からアズキが吹き出しているのが心配なので仕事を休みます」というのは、どこか世間的にうまくいかないことがあるような気がしたのだ。ほんの些細なずれだけれど、受け入れられないようなこと。

     僕は自宅のドアを開けた。自宅はビルの2階にある。ドアをあけると玄関にはたくさんの人が並んでいた。僕は思い出した。自宅は僕が昼に仕事をしている間は歯医者に貸していたのだということを。僕はそんなことも忘れていたのだった。僕は玄関で列を整理するおじさんにこんなことを言われた。「受付しましたか~。」ここは僕の家だ。受付なんて必要ない。そんなことを説明する手間をしている時間はない。だって、僕は人面犬のアズキについて対応をしなければいけないのだ。リビングでは大勢の歯の診察の患者が、普段僕が使用しているソファやら床に座っていた。僕は仕方がないから、ちょうどよいキャビネットに腰掛けようとした。すると、キャビネットには診察を待つ患者たちの荷物が”びっしり”と置かれていた。僕はどうしたもんか…と思った。

     そうして、僕は気づいた。

     僕が抱えていたはずの人面犬がいなくなっていることに。

     アズキ病の人面犬がいなくなっていることに。

     
     
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