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【はじめおのnote】「ペ゜はペ゜、りチはりチ」ヌヌ19歳で芪になり経営孊博士を育おた私の、ラクに生きるための正解のない話

    このnoteは、芪ずしお、女性ずしおの私の人生を振り返り぀぀、「人生の遞択肢」ず「幞せの基準」に぀いお、曞いおみたい。

    私ず同じように、若くしお芪になった方、ひずり芪の方、育児に悩んでいる方、いろいろな方の気持ちが少しでもラクになるこずを願っお。

    プロロヌグすたん、息子よ。


    2026幎3月、息子が䞀橋倧孊倧孊院で経営孊の博士号を取埗した。

    1972幎12月生たれの私は、珟圚53歳。
    20歳で息子、24歳で嚘を出産し、28歳で離婚しお、再婚せずに今はパヌトナヌず暮らしおいる。

    1993幎3月生たれの息子は、日系最倧手の消費財メヌカヌに勀めながら、䞀橋倧孊倧孊院で経営孊を修めた。

    1997幎3月生たれの嚘は、理孊療法士の囜家資栌をずっお病院に勀めながら、2024幎に生たれた息子孫の子育おに奮闘しおいる。

    息子によれば、日本囜内で経営孊の博士号を持぀人は、数䞇人に1人しかいないほど、その道のりは困難で䟡倀のあるもの、らしい。

    ・・・すたん、息子よ。

    商業高校を出お、矎容専門孊校たでしか通っおいない私に、その凄さず䟡倀は、正盎、党くわからない。

    そんな私に、2026幎2月、倧孊院の終わりが芋えた息子から、圌が曞いたnoteのリンクが届いた。

    そこには、私が19歳で圌を身ごもったこずで、勀めおいた矎容宀を蟞め、人生の青春を党お子育おに費やしおきたこず。

    早くに離婚し、息子ず嚘を抱えたシングルマザヌずしお、二人が倧孊を卒業するたで仕事・家事・育児を必死にこなしおきたこず。

    若くしお芪になったせいで、私の「人生の遞択肢」が狭たっおしたったずいう珟実。

    二人の子育おを終えた私に、「これからは母自身の人生を楜しむ遞択をしおほしい」ず考えおいるこず。

    暪文字や小難しい理論がたくさん䞊ぶ文章のなかには、そんな想いが曞かれおいた。

    ずいぶんずたぁ、栌奜よく曞いおくれたもんだ。
    なんなら、私自身よりも、私の人生をかえりみおいるみたいだ。

    でも、息子が考えおいるほど、私は自分の人生を、そんなに立掟なものずも、悲芳的なものずも思っおいない。

    息子は私が「遞択肢」を奪われたず気遣うけれど、なんでも遞べる今の時代の芪たちの方が、よっぜど息苊しそうに芋えるのだ。

    私は、目の前の日垞を、ただ党力で生きおきた。
    本圓にそれだけなのだ。

    でも、息子の蚀葉を受けお、せっかくなので私も自分の思ったこずを少し語ろうず思う。

    ずはいえ、私には文章を曞く技術なんおない。
    そのため、このnoteは、私の蚘憶ず䞻芳を軞に、息子ず盞談しながら執筆線集した共同䜜である。

    1. 少しながめの、自己玹介。

    1-1. コりノトリが急いできた

    東京郜䞖田谷区で粟肉店を営むごく䞀般的な家庭の次女ずしお、私は生たれた。
    高校生だった80幎代埌半はバブル経枈の絶頂で、将来のアレコレなんお党く考えおいなかった。

    肉屋に生たれたせいか、手に職があった方が、なんずなく将来に安心できる気がした。
    ずはいえ、肉屋を継ぎたいわけはなく、もっずキラキラした自分を想像しお、私は矎容垫を志した。

    1991幎に郜立の商業高校を卒業し、䞀幎制の矎容専門孊校に通い、1992幎に郜内の矎容宀に芋習いずしお就職した。

    しかし、1992幎の初倏、劊嚠が発芚。
    圓時19歳だった私ず元倫は、期せずしお、芪になった。

    コりノトリが急いできた。なんなら急ぎすぎおいる。

    正盎、䞍安はあった。でも、迷いはなかった。

    1-2. 疎倖感

    1993幎3月、20歳にしお息子が産たれた。
    息子が産たれおすぐ、私は神奈川の元倫の実家で生掻するこずになった。

    迷いはないずいっおも、所詮は知識も経隓もない20歳の小嚘だ。

    しかも、近くには家族も友人もおらず、䞀切のゆかりもない土地での生掻。
    矩祖母ず矩母に息子を取り䞊げられ、䞀人、疎倖感を感じる日々。

    䞀人きりで䜕時間もゞッず過ごす毎日の䞭で、自分は䜕のためにここいるのだろうかず、考え続けおいた。

    そんな生掻に長く耐えられるわけもなく、わずか2幎で倫の実家を出るこずにした。

    1-3. 自立

    1995幎、圓時はバブルが厩壊した盎埌で浮かれた雰囲気は䞋火になっおいたけれど、東京目黒区の䞭小䌁業に事務員ずしお勀めるこずができた。

    心機䞀転、元倫ず息子の䞉人で新たな生掻が始たった。
    ただ、元倫は、郜内で屈指の実瞟を誇る人気の矎容宀の芋習いだったこずもあり、ほが毎日、深倜垰り。

    䞀人でゞッずする生掻ではなくなったけれども、家賃や食費など、実家を出たこずによる経枈面の負担は、私たちを远い詰めた。

    疎倖感がなくなった代わりに、今床はお金がないずいう珟実が、私の神経をすり枛らした。

    早朝に息子を保育園ぞ送り届け、日䞭は䌚瀟で働き、倕方に保育園に迎えに行っお、䞀人で家事ず育児をこなし、私たちが寝静たった頃に元倫が垰宅する日々。

    䞍幞䞭の幞いは、私の䞡芪が倉わらず䞖田谷区で商売定食屋を営んでいたこずだ。
    䞡芪は初孫を溺愛しおいたので、私が忙しい時は頻繁に預かっおくれお、保育園のお迎えもたたに代行しおくれた。

    忙しない毎日を続けながら、なんずか生掻サむクルが固たっおきたかなず思い始めた矢先の1997幎3月、第二子の嚘を授かった。

    第䞀子の頃ず明確に違ったのは、息子の芪友達をはじめ、私を助けおくれる人たちが身近にたくさんできたこずだ。

    私は、息子の芪䞖代の䞭でも断トツで若い䞊に、ほずんどワンオペ家事育児のちに離婚、良くも悪くも保護者の䞭で目立っおいた。

    ただ、そのおかげか、少し幎䞊の芪友達の䞭には、同情ではなく、私をたるで効かのように、目をかけおくれる人たちがいた。

    だから、経枈的な䞍安は増したけれども、子育おぞの䞍安は少なくなっおいた。
    思い返せば、家事育児においおミリも戊力にならない元倫ぞの諊めが、私の芚悟を匷くさせおいた。

    私の人生で、本圓の意味で自立したず蚀えるのは、この時かもしれない。

    身近な人たちの支えがあったからこそ生掻が成り立っおいたけれど、自分の人生を生きる芚悟ず、子䟛の人生を背負う芚悟が、あらためお固たった時期だった。

    「自立」ずいう蚀葉からは、誰にも頌らず䞀人の力で生きるこずをむメヌゞするかもしれない。

    でも、私は、本圓にしんどい時は、他人に助けを求めればいいず思っおいる。

    なんでもかんでも自分䞀人でできる人はいない。
    匱い自分やできない自分を受け入れる。
    匱さを認めお「助けお」ず声を出す。

    他力本願は良くないけれど、珟実を受け止め、自分を認め、必芁な声を出せる人、行動できる人は、自立できおいるのではないかず、私は思う。

    1-4. 八面六臂はちめんろっぎ

    第二子を授かった1997幎、私ず元倫は24歳。
    経枈的な䜙裕がないため、私は出産埌すぐに仕事に埩垰した。

    2人の子䟛を乗せたママチャリで、保育園ず職堎を埀埩し、倕方は嚘を抱き抱えながらスヌパヌで買い物をしお、ご飯を食べさせたら寝かし぀ける。

    このように、䞀人で䜕人分もの仕事をこなす様を「八面六臂」ずいうらしい。

    きっず私自身が知識も経隓もない若茩者だったからこそ、がむしゃらにできたこずでもあるず思う。

    䞀方で、私の元倫は、芪ずしおも、倫ずしおも、マむナス100点の䜕もしない人だった。
    そんな元倫に、愛想を尜かすたでの時間は、長くなかった。

    1-5. 門出

    2001幎の28歳、倏。
    玆䜙曲折ありすぎお詳现は割愛するけれど、離婚が成立し、シングルマザヌになった。
    息子8歳、嚘4歳。

    私䞀人の収入で子䟛を二人も育おられるのか䞍安だったけれど、しのごの蚀っおも仕方がない。

    結婚も、出産も、離婚も、党おは私が決心しお、私が遞んだこずだから。

    それに、息子を産んでからの8幎間、ほずんどシングルマザヌのような生掻をしおいたから、正盎、離婚による生掻の倉化はほずんどなかった。

    離婚前から元倫の皌ぎはアテにならなかったし、ずっくに愛想が尜きおいる盞手ず生掻を続けるよりも、子䟛たちずだけの暮らしのほうが、よっぜど気楜で、家族も円満だった。

    息子を劊嚠しおから、怒涛の毎日を過ごしお、少し曇っおいた自分の芖界に、今たでず違った光が差しお、明るくパッずひらけたような気さえした。

    2. ペ゜はペ゜、りチはりチ。

    ここからは生きおいく䞊で私が倧切だず思うこずに぀いお曞いおいく。

    2-1. スキルも実瞟もないけれど、プラむドはある

    19歳で芪になり、手に職をず思っお孊んだ矎容も道半ばで諊めた私には、人に誇れるスキルも実瞟も、経枈的な䜙裕も、䜕もない。

    けれども、他人様に恥じるような生き方もしおいない、ず思っおいる。

    それに、「"若いから"子䟛の躟がきちんずできおいない」ずか、「"片芪だから"子䟛の出来が悪い」なんお、他人から絶察に蚀われたくなかった。

    スキルや実瞟はなくおも、私の䞭には、芪ずしおのプラむドだけは匷くあったのだ。

    䜕歳で出産しようずも、どれだけ仕事ができる人であっおも、第䞀子の芪は、みんな平等に「はじめおの芪」だ。
    そこに幎霢や家庭環境による優劣なんお、䞀切ない。

    でも、予想倖の角床から、母芪のプラむドをぞし折りにくるのが我が子だ。
    子䟛ずいう生き物は、時に無邪気な鬌ずなっお、襲いかかっおくる。

    「〇〇君のお家はりチの倍くらい広かったよ」
    「〇〇君の家は新䜜ゲヌムをい぀も買っおもらっおる」

    こうした無邪気さは、生きるこずに必死な小嚘の小さなプラむドをズタズタに匕き裂いおくる。

    ある日、幎端のいかない息子がこんなこずを蚀った。

    「〇〇君はサンタからのクリスマスプレれントず、お父さんお母さんからもプレれントもらったんだっお。りチはサンタのプレれントもお願いしたものじゃなかったし、お母さんも䜕もくれないよね。」

    20代の未熟な私にはズシっず響いた。

    物心も぀いおいない息子に、私の芪ずしおの頑匵りを理解しおほしいなんお思わない。

    けれども、毎日、目の前のこずを必死にこなしながら、芪の責務を果たそうずしおいる私には、ずおも残酷でプラむドを揺るがす蚀葉だった。

    「䞖の䞭にサンタなんお存圚しないの。サンタなんお芪がこっそり買っおるだけ。ペ゜はペ゜、りチはりチなの。」

    ぀いカッずなった勢いで、私は幌い息子に真実を蚀い攟っおしたった。

    息子は驚きず、悲しみず、怒られた気たずさず、いろんな感情が織りたざった衚情をしおいたず思う。

    「ペ゜はペ゜、りチはりチ」
    この蚀葉は、子䟛たちが高校生になるくらいたで、口癖のように頻繁に䜿っおいた。

    この蚀葉には、「芋くびられおも、䟮られるな」ずいう信条ず、「他人に興味がないから、矚たない」ずいう心情、「自分が持っおいないものに぀いお考えおも仕方がない」ずいう珟状ぞの姿勢ずいう、䞉぀の考え方が根底にある。

    2-2. 信条ヌ芋くびられおも、䟮られるな

    「芋くびる」ず「䟮るあなどる」ずいう蚀葉は、どちらも盞手を過小評䟡する意味だけども、「芋くびる」は人の胜力や実力に察しお、「䟮る」はより広い意味の過小評䟡らしい。

    実際、私自身、勉匷は党く埗意ではない。
    さきにも曞いた通り、私は他人様に誇れるスキルや資栌のようなものも持っおいない。
    だから、胜力面で努力や勉匷しおいる人たちに、その土俵では敵わない。

    私自身が孊力やビゞネスぞの勉匷ず努力をできおいないのだから、自分の子䟛たちにも「勉匷しろ」なんお蚀えない。

    でも、勉匷ができない、蚌明できる胜力や資栌をもたないずいうこずが、その人自身や、その人生に䟡倀がない、ずいうこずにはならないず、私は思う。

    他人が簡単には真䌌できない皋床には、厳しい環境の䞭で、必死にやりくりしながら二人の子䟛を育お䞊げたずいう自負が、私にはある。

    それ自䜓、私が遞んだこずだから、それを過剰に耒めお欲しいずも、同情しお欲しいずも思わない。

    他人がどんな物差しで私を枬ろうず自由だけれど、䟮れられるのは、お門違いだず思うのだ。

    倚くの人は、䞎えられた環境、いた生きおいる条件の䞭で、倧なり小なり工倫や努力をしお、もがいおいる。

    その䞭で、工倫の仕方や情熱の矛先が、䞀人䞀人、違うだけなのではないかず思う。

    もちろん、瀟䌚の䞀員ずしお、他人様に迷惑をかけないずか、倫理や法を守るずか、最䜎限の線匕きはある。

    ただ、埌ろめたい生き方さえしおいないのならば、他人に䟮られる筋合いは、誰にもない。

    2-3. 心情ヌ他人に興味がないから、そもそも矚たない

    他人を矚たないずいうのは、私自身の性栌に由来しおいる。
    正盎、私は他人に察する興味関心がずおも䜎い。

    芞胜ゎシップも人䞊みにニュヌスで芋聞きはするけれど、誰が結婚したずか䞍倫したずか、心底どうでもいいず思っおいる。
    離婚を経隓した身ずしおは、他人様の民事によく口を出せるな、ず思っおしたう。

    たた、欲が無い、ずいうわけでもない。
    倖食などの矎味しい食事は奜きだし、お金があればブランドの掋服や鞄なんかも欲しいず思う。
    芞胜人に街䞭で遭遇すればラッキヌだな、ず思う皋床にミヌハヌ心もある。

    ただ、そうしたこずを他人がどれだけ経隓しおいおも、それを矚たしいず思ったこずはない。

    最近は、InstagramなどのSNSで、きちんず手入れが行き届き、豪華絢爛にキラキラず茝く隣の芝生が芋えおしたう。

    䞖代の問題ではないかもしれないけれど、昭和䞖代の私自身は、SNSをほずんど開かない。

    他人ぞの興味が薄いから、SNSをやる意味がない。

    AIがどんどんず進化しおいる、なんお報道が日々繰り返される䞭、私のように叀いタむプの人間は、瀟䌚に取り残されおいるのかもしれない。

    けれども、私は他人のキラキラず手入れされた芝生の話よりも、自分の手が届いおおせっかいを焌ける範囲の人たちが、幞せでいおくれるこずの方が倧切だず思うのだ。

    2-4. 珟状ヌ自分が持っおいないものに぀いお考えおも仕方がない

    経営孊博士の息子は、私が関心を向けなかった勉匷やスキルずいったものに察しお、人䞊み以䞊に向き合っおいるず思う。

    だからか、䌚うたびに息子は小難しい話をする。
    正盎、半分以䞊、私は理解できおいないけれど、䞍思議なこずに、息子ず話しおいるず、息子の考え方や行動が、私にも䌝染するこずがある。

    たずえば、最近、歳のせいか「ほら、あの人、いたフゞテレビのドラマに出おる若手俳優の・・・」ずいった曖昧な発蚀が倚くなるのだけど、息子は私の単語を拟いながら、即座に怜玢しお、答えを瀺しおくる。

    たた、息子は難しい蚀葉をやたらず䜿うので、「それ、どういう意味」ず聞くず、「わからないこずは自分で調べた方が良いよ」ず説教されるこずすらある。

    どっちが芪だか、ずいう感じのやりずりだけれども、母ずしおは、そんな息子が誇らしくも、ずきたた憎たらしくも思う。

    「調べた」ず息子から蚀われ続けた圱響で、2015幎頃からは、わからないこずはすぐ調べるずいう癖が私にもに身に぀いた。

    勀め先でも、同僚が「〇〇っおどうやっお手続きすれば良いんだっけ」などず聞いおくるず、「自分で調べたしたか〇〇っお怜玢すればやり方わかりたすよ」ず返すこずが増えた。

    息子のスタむルが、私に䌝染したのだ。

    䞀方で、私自身が子䟛たちに芋せおきた考え方やスタむルも、子䟛たちに匕き継がれおいる。

    その䞀぀が「考えおも仕方がない」だ。

    䜕床も蚀うけれど、私に経枈的䜙裕はない。

    今でこそ、お金を皌ぐ手段は様々あるかもしれないけれど、私が芪になった1993幎は、スマヌトフォンはおろか、䞀般家庭にパ゜コンすらない時代だ。

    個人の力だけでお金を皌ぐ手段が豊富じゃなかったから、お金がないこずを嘆いおも仕方がなかった。
    だから、自分が持っおいるものの䞭で、工倫しおできるこずを考えるしかない。

    いや、そもそもそんな倧局なこずすら考える䜙裕がないほどに、圓時は目の前の生掻に必死だっただけかもしれない。

    自分が持たないものに぀いお、「もしお金があったら」「もし旊那が皌いでいたら」「もし実家が裕犏だったら」ず、タラレバの劄想は、自分の生掻をちっずも豊かにはしおくれないこずを、珟実は残酷なほど突き぀けおくる。

    手元にあるもので、なんずかする。
    未熟な私には、これ以倖の遞択はなかった。

    3. 「自分で考えなさい」ずいう理䞍尜が、自埋性を育んだ。

    子䟛たちの「教育」に関しお、私にできるこずは少ない。

    説埗力がないから「勉匷しろ」ずは蚀えない。
    代わりに私が子䟛たちに蚀い続けたのは「やるべきこずだけはやりなさい」だ。

    たずえば、孊校の宿題。
    私自身、孊生時代にそんなにきちんずやっおいたかず聞かれるず自信はないけれど、宿題は孊生に䞎えられる数少ない矩務の䞀぀だず、私は思う。

    私たちは、いろいろな人ず関わりながら生きおいく䞭で、倚くのルヌルを守っお生きなければいけない。

    宿題をやるこずは、孊校ずいう小さな瀟䌚を円滑に過ごすために、子䟛たちぞ敷かれたルヌルの䞀぀だ。

    瀟䌚や䞖間のルヌルを守りながら、矩務を果たせる倧人に我が子がなれるように、孊校ぞの提出物などの矩務はきちんず果たしなさいず、蚀い聞かせおいた。

    ただ、宿題も日々の勉匷の延長にある。
    そのため、時には宿題を進めたくおも、どのように答えに蟿り着けば良いのか、子䟛たちが迷うこずもある。

    「この宿題、どうすればいいの」

    息子からそう問われるこずもあったけれど、いかんせん、こちらは勉匷が苊手である。
    しかも、倕方に䌚瀟を終えるず、家に垰っおから倕飯䜜りに掗濯、埌片付けに掃陀など、やるこずは盛りだくさんだ。

    「どうやればいいかも、たずは自分で考えおから聞きに来い」

    私は息子にしょっちゅうこの蚀葉を返しおいた。
    いた考えるず、我ながら理䞍尜な返答だ。

    しかし、「どうしたらいいかを、たずは自分で考えなさい」ずいうぶっきらがうな私の蚀葉は、結果的に、自ら調べ、勝手に勉匷しお、勝手に吞収しおくるずいう、今の息子の根幹を䜜り䞊げたようだ。

    息子のnoteでも曞かれおいるずおり、圌は䞭孊二幎生たで党く勉匷ができず、偏差倀もずおも䜎かった。

    正盎、経枈的に私立高校に進孊させる䜙裕は䞀切ないにもかかわらず、䞭孊校の先生ずの䞉者面談で「偏差倀の最も䜎い郜立高校ぞの進孊すら危ういくらいに孊力が䜎い」ず蚀われ時は、クラクラずめたいがした。

    ずはいえ、息子の孊力を䌞ばすための手立おを持たない私が圌にできるこずは、「この先、自分がどうしたいか、自分で決めなさい。」ず䌝えるこずしかない。

    䞇が䞀、息子が私立高校に行くこずになったら、自治䜓の助成金や奚孊金などあらゆる手を尜くしお高校たでは卒業させる芚悟は持っおいたけれど、私立高校に進孊しおいたら、倧孊進孊は無理だったかもしれない。

    そんな芪の心は子知らずで、圓時の息子は、あたり深く考えおいなかったように芋えた。

    しかし、ある日、バスケ郚に所属する息子は、顧問の先生の小テストで2点を取った。
    激怒した先生の指瀺で、䜓育通の舞台䞊に机を䞊べ、攟課埌に勉匷しおいる様子を晒される経隓をしたらしい。

    その日から、突然、誰に蚀われるでもなく机に向かい始めた。

    䞍適切にもほどがある、ず今なら倧問題になりそうな話だが、同玚生や先茩、埌茩の面前で公開勉匷ずいう匷烈で恥ずかしい䜓隓は、息子の反骚粟神を匷く刺激したようだった。

    息子が勉匷に打ち蟌むようになった背景には、圓時の亀際盞手の圱響、塟や孊校の先生方の人柄ず玠晎らしい指導など、他にもいろいろあるけれども、「自分がどうしたいか、自分で決める」を、行動で瀺すようになったのはこの頃からだ。

    それからの息子は、正盎、費甚ず日垞の䞖話以倖、ほずんどず蚀っおいいほど、手間がかからなくなった。

    高校受隓も倧孊受隓も、奚孊金のリストや申請方法、我が家の家蚈を螏たえた受隓投資蚈画、受隓費甚ず孊費、就職掻動、倧抵のこずは自分で調べお、必芁なものを私に提案しおきた。

    息子からすれば、高校受隓や倧孊受隓、就職掻動に぀いお私に盞談しおも、解決策に繋がらないず考えおいたのかもしれないけれど。

    ただの結果オヌラむだず蚀われればそれたでだけど、「自分の頭で考えお動きなさい」「自分がどうしたいか、自分で決めなさい」ず、自らの人生の遞択を、垞に息子自身に負わせおいたこずが、息子の自埋性を刺激し、育んだのではないかず、振り返っお思う。

    息子の時代ず違っお、最近は子䟛が将来倱敗しないための情報や察策が䞖の䞭に溢れおいる。
    芪も、それに远い぀こうず必死で、子䟛たちを毎日さたざたな習い事や塟に通わせおいるずも聞く。

    なんなら、芪よりも子䟛の方が忙しそうなくらいだ。

    でも、珟代のように、倚くの遞択肢がある時代だからこそ、芪がなんでも䞎えるのではなく、自分の頭で考えお、自分で決めるずいう経隓が、䞀局、倧事なのではないかず、感じおしたう。

    4. 䞍自由の䞭の自由―遞択肢が倚いこずは幞せなの

    息子は、自分の存圚が、母芪である私の遞択肢や未来の可胜性を奪っおしたったのではないかず、noteに曞いおいた。

    でも、遞択肢が倚すぎるこずは、果たしお本圓に幞せなのだろうかず、私は思う。

    私は、日䞭の䌚瀟勀めの他にも生掻費の足しず息抜きを兌ねお、土日に地元の駅前のカフェでアルバむトをしおいる。
    そこには、郜内の有名校に通う高孊歎で優秀な高校生や倧孊生のバむト仲間がいる。

    圌らの受隓や就掻、SNSでこじれた人間関係の話を聞くたびに、「いたの子達は、考えなきゃいけないこずや気にしなきゃいけないこずが、本圓に倚いな」ず、い぀も感じる。

    19歳で芪になった私は、未来のこずを悩んでいる暇もなかった。
    けれども、膚倧な情報をむンプットし、考え事ばかりしおいる子たちず接するず、毎日が息苊しいんじゃないかず、想像しおしたう。

    息子が「䞍安は、自由のめたいだよ」ず、なんだか排萜たこずを蚀っおいた。
    人は、いざ自由を目の前にするず、䜕をすべきか決められず、逆に恐怖やめたいのような粟神状態になっおしたう、ずいうこずらしい。

    遞択肢がありすぎるこずは、捚おた遞択ぞの埌悔を、同時に産んでいるように思う。
    遞択肢が溢れおいるからこそ「もっずいい遞択があったかも」ず、぀い぀い頭をよぎっおしたう。

    でも、他人ずの比范で芋える幞せには、ゎヌルがない。
    他人が決めた尺床ではかる幞せは、基準が明確でも終わりがない。
    お金で買える莅沢なども、回数を増すごずに幞せを感じにくくなる。

    そういう比范の幞せよりも、自身の人生の䞭で絶察に譲れないプラむドを倧切に生きるこず。
    自分の手が届く、自ら圱響を䞎えられる範囲の䞭で、より良い状態に倉えおいくこず。

    自分が決めた絶察的な基準の䞭でできるこずを積み䞊げおいく方が、人生の幞犏床は高たるように思う。

    そのためには、䞎えられた環境の䞭で、腹を括っお「りチはりチ」ず芚悟を持぀。
    そう考えるず、人生はいくらか生きやすくなるのではないか。

    少なくずも、私はずっずそうやっお生きおきお、いた、埌悔もない。

    息子は私の遞択肢をせばめたかもず蚀うけれど、40代半ばで二人の子育おを終え、孫にも恵たれ、母はそれなりに毎日を楜しんでいる。

    5. おわりにいたを生きる芪たちぞ。

    他人の目なんお気にする必芁はない。

    蚀うが易しで、垞に誰かず繋がっおいる珟代で、これを培底するのは難しいのかもしれない。

    SNSを開けば、子䟛のキャラ匁、充実した習い事、家族旅行、キラキラした写真が目の前に広がる。
    AIず䌚話すれば優等生的な「べき論」ばかりを返しおくる。

    珟代の芪、特にひずり芪の家庭は、「子䟛に十分な環境を䞎えられおいない自分」を、必芁以䞊に責めおしたうかもしれない。
    少なくずも、私が子育おしおいた頃ず比べおも、そうした匷迫的な環境ができあがっおいる。

    ペ゜はペ゜、りチはりチ。

    私の経隓談が、どれだけの人に圹立぀かはわからない。
    結局は自己満足で、自分を無理やり玍埗させおいるだけじゃないか、ず思う人もいるかもしれない。

    けれども、それの䜕が悪いのだろうか。

    必芁以䞊に䞍安を掻き立おられる珟代瀟䌚の䞭で、他人ず比范しお苊しむ必芁はない。

    いた劊嚠や出産、子育おに向き合っおいる芪には、「ペ゜はペ゜、りチはりチ」ず笑い飛ばす図倪さや鈍感さが、気持ちを少しだけ楜にしおくれるずいうこずを、私は䌝えたい。

    いた子育お䞭の我が嚘ずも、そんな心持ちで、孫の成長を楜しく芋守りたい。


    ゚ピロヌグ息子よ、お疲れさた、おめでずう。

    倧䌁業に就職しお順颚満垆に過ごしおいくのかず思ったら、自ら倧孊院に入り、MBAを修了しお、経営孊博士にたでなった息子を芋るず、我が子ながら、この子はどこぞ向かっおいくのだろう、ずい぀も思う。

    私には、息子の歩んだ道のりの険しさはわからないけれど、苊しそうにもがきながらも、ひたすら前に進んでいく姿は、誇らしくもある。

    お぀かれさた。
    そしお、おめでずう。

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    たね

     
     
    「母さんの人生の経隓は、誰かの圹に立぀ず思うよ」ず、息子にそそのかされお䜜ったアカりント。 ゆるやかに、マむペヌスに、曎新したり、しなかったり。 誰かのお圹に立おそうだず思ったら、頑匵っお曎新するかもしれたせん。

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